2009年12月16日

日本ユースホステル史の源流4

日本ユースホステル史の源流4

つづきです。

 日本ユースホステル協会の源流。
 それは、第13代鹿島藩藩主、鍋島直彬にはじまります。
 そして、この鍋島直彬こそが、
 薩長土肥の連合軍を造った幕末の英雄でした。
 しかし、これが歴史に出てこないのです。

 薩長土肥の中の一つ。肥前鍋島藩の鍋島藩主・鍋島閑叟は、討幕派ではなかった。幕府、朝廷、公武合体派のいずれとも距離を置いていました。むしろ幕府に近かったきらいがありました。それを勤王倒幕に動かしたのが、支藩である鹿島藩藩主である、鍋島直彬でした。

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 鹿島藩とは、肥前鍋島藩、つまり佐賀藩の支藩です。
 佐賀藩には、蓮池藩・小城藩・鹿島藩の三つの支藩がありました。

 蓮池藩は、5万2000石。
 小城藩は、7万3000石。
 鹿島藩は、2万石。

 一番小さい支藩が、鹿島藩です。しかし、この2万石は嘘で、本当は八千石。表高を水増しして2万石にして、やっと大名にしてもらったような藩でした。

 表高を水増ししたらどうなるか?
 赤字になります。
 八千石の予算に、2万石の経費を使えば赤字になります。
 財政は逼迫し、参勤交代の予算もない。佐賀本藩からの援助でやっと参勤交代をする。佐賀本藩に援助を断られると、幕府に藩主病気を理由に参勤交代を五年間猶予願いを出して許してもらうことが何度もあった。そのくらい情けない状態でした。

 その結果、佐賀本藩から、鹿島藩取り潰しの案が何回も出されました。そして幕府に廃藩の願いが提出されていました。それを受けて老中牧野備前の守は、密かに内情を探らせました。そして出た結論は、十代鹿島藩主・直永の子、直彬(六歳)を十三代鹿島藩主にして、藩主が大人になるまでの間に、鹿島藩の行政改革をするよう、佐賀本藩が助けるようにということでした。

 佐賀本藩は、直彬(六歳)を十三代鹿島藩主にして、役人を派遣して壮絶な倹約を命令しました。進駐軍みたいなものです。しかし、倹約だけでは、どうしようもない状態に鹿島藩は追い込まれていました。まさに今の日本国政府みたいです。鹿島藩は青息吐息。

 そして、十三代鹿島藩主・直彬(六歳)に対しては、
 将来の名君になるべく文武両道のスパルタ教育をはじめました。
 これが良かった。
 すごい人間ができあがった。

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 直彬への教育は、質実剛健そのものでした。
 しかも文武両道。両方を学んだ。
 徳のかたまりのような青年をつくりあげ、
 そして行動のすばやい人格を形成してしまった。

 十二歳の時におきた安政の大地震の時は、自ら飯を炊き救援活動を行いまとた。十四歳になった時は、初穂米を売却した資金百三十九両を低利で貧民に貸し与え、その利息で図書館の蔵書費としました。

 そして、十七歳になるまでの間に、中村敬宇安積艮斎をはじめとする多くの名儒から教えを受けました。そして、長州藩邸に出入りし、小倉健作や高杉晋作とも交遊し、昌平坂学問所では、勤王として名高い松本奎堂・松林飯山・水本樹堂らとも一緒に学びました。

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 そして直彬が十七歳となった時、佐賀本藩は、鹿島藩への役人の派遣をやめました。進駐軍を引き上げさせたのです。英邁な直彬ならば、鹿島藩の窮状をうまく処理するであろうという判断が働いたからだと思われます。それほど直彬は素晴らしい青年に育っていました。そして十七歳にして、初めて直彬は、江戸から鹿島藩に入国するのです。

(江戸時代、大名の子供は江戸で育てられ成人するまで故国に帰れませんでした)

 十七歳にして佐賀の鹿島城に入った直彬は、驚天動地の活動を行います。干潟のガタリンピックで有名な鹿島は、洪水の本家みたいなところですが、洪水が起きると藩主みずから舟を出して糧食を配給しました。

 災害地には、かならず自ら馬を飛ばして巡視し、
 仮設住宅を造って罹災者を収容し、
 城内の米を出して焚きだしをしました。

 火災にも藩主が先頭になって真っ先に火事装束で飛び出しました。
 藩主が飛び出したのに家臣が寝ていることはできませんから、
 城から一斉に家臣たちが火災現場に向かうことになり、
 火災はアッという間に消し止められることになります。

 そのうえ、さらに病気が流行したときは、
 薬の配給までやってのけたから驚きます。

 こういう藩主がでてくると、部下にも凄いのがでてきます。
 松尾弥四郎です。

(しかし、この人も、インターネットで検索しても出てきません。つい最近まで歴史から抹殺されていたからです)

 この松尾弥四郎と直彬が、
 世界史を変えるほどのことをやってのけた。


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つづく。

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posted by マネージャー at 17:28| Comment(0) | ユースホステル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月15日

なぜ赤字財政になってしまったか?+α

なぜ赤字財政になってしまったか?+α


≫>おそらく各省庁の事務次官会議にお委せした方が、10倍の6兆円くらい削れた可能性が高かった。


≫これ本当ですか?本当なら大変なことだけれど。
≫Posted by なつ at 2009年12月15日 09:34


≫そのようです。
≫Posted by 進之助 at 2009年12月15日 15:41


 超有名大学の経済学部出身で、自営業で成功もされたことのある進之助さんも、言ってますが、これは本当です。

「政治主導」のもとに各省庁の事務次官会議を廃止し、
各省庁の調整ができなかったことに、
95兆円の巨大予算の原因があります。


 そして、そのために各省庁で、各種の予算が重複しているのです。その重複部分を削れば問題ないのですが、削るのは専門家でない限り不可能。普通の政治家には無理です。最低でも経理が分からないと無理。経理が分かったって、法律と、官庁用語がわからないと無理。行政刷新会議で、役人をやり込めるテレビシーンに喝采しても、6900億円しか削れなかった。

 しかし、123年間続いた、各省庁の事務次官会議を廃止しせずに、去年どうりの調整をしていれば、昨年度並みの予算、つまり88.5兆円の予算範囲に収まっていた可能性があった。やりかたによっては、2007年度の82兆円まで抑えることも可能だったはずです。というのは麻生政権は、景気を煽る政策だったので、それを緊縮財政にもどすのなら、うまくやれば、82兆円までもどれた。つまり、最大13兆円も節約することができた。

 あえて、それをせずに、事業仕分けというパフォーマンスを行った民主党政権の政策には、私は、かなり疑問を感じています。こいつら本気で無駄を削る気があるのか?と。どうして最大13兆円も節約することができたのに、あえて6900億円しか削らなかったのか?と。そんなに人気が欲しいのかよ?と。


 もう一つ言うと、民主党政権は「政治主導」を勘違いしている。

 政治家は、細かいことを言ってはダメなんですよ。
 そういう細かいことは官僚(専門家)にまかせればいい。
 そのための官僚(専門家)なんだから。

 政治家は、大きな目標を提示するのが仕事。本気で
「無駄をはぶく」
つもりなら、中曽根内閣がやったゼロシーリングをやればいい。

 これが無駄に対する処方箋です。

 民主政権の連中が知らないとは言わせない。
 彼らは、元自民党なんだから。
 絶対にゼロシーリングの効果を知っているはず。

 なのに、やりたくないというのなら、
 本気で無駄を削るのが嫌なんだろうと勘ぐってしまう。

 最初から無駄を削る気なんか無い。だからゼロシーリングをやろうとせずに、事業仕分けというパフォーマンスで誤魔化して、大きな無駄を造って増税しようとしているなと勘ぐってしまう。

 念のためにゼロシーリングを知らない人に解説しておきますと、
 毎年、前年度の予算と同じにする。
 つまり、どんなことがあっても予算アップを認めない。
 よーするに、定額おこずかい制ですね。

 そうなると、各省庁は、予算をやりくりするために、
 自分の所の無駄を削るしかないのです。
 そして、気がついたら赤字国債ゼロになっている制度です。
 (もちろん弊害もあります)

 ここで思い切ったことを言いますと、各省庁の埋蔵金を認める。つまり、へそくりを認める。そのかわりにゼロシーリングにする。または、マイナスシーリングにする。そして無駄金を廃止するのは、各省庁にまかせる。こうすれば、10年くらいで無駄が減り、埋蔵金(へそくり)が膨れあがっていくはずです。そして増加した埋蔵金(へそくり)で、思い切った行政が可能になるはずです。

 そういう意味では、埋蔵金(へそくり)は、決して悪いものではないのです。実は、昔は、日本ユースホステル協会にも、埋蔵金(へそくり)があったのです。今は無いですけれどね。

いいかげんに、誰かを悪玉にして、それを叩いて喝采するような下品なことは、やめてもらいたい。

埋蔵金(へそくり)も、官僚も、決して悪玉ではありません。
悪いのは使い方。
包丁と一緒ですよ。
使い方によっては、美味しい料理を造ることも、人を殺すこともできるのです。

つづく

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posted by マネージャー at 21:47| Comment(4) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本ユースホステル史の源流3+α

日本ユースホステル史の源流3+α

おあきさん

≫1986年に「戊辰の役戦没佐賀藩士慰霊秋田実行委員会」を作り
≫供養したのですが
≫その際、管理人様もお書きになられた通り
≫どうしても佐賀県の資料が見つからず
≫ご遺族の方が分からずご遺族探しに非常に
≫苦労されたことが新聞に載っていたことを思いだしました。

 ああ、これは非常に面白い現象ですね。

 というのも私も、今回の佐賀調査で、そういう経験を何度もしているからです。

 具体的に、一つ例をあげてみましょう。実は、私の今回の佐賀行きの目的の一つに、日本赤十字を設立した佐野常民の息子、佐野常羽のことを調べに行ったのですが、これまた資料が無いのですね。佐野常民記念館に行っても資料が無い。世界遺産申請しているほどの重要地に資料が無い。いや、資料が無いどころか、かすってもない。佐野常民の息子、佐野常羽は、ボーイスカウト設立の功労者であり超有名人であるのに、一言もふれていないのです。もう、それは徹底している。仕方がないので、土地のボランティアガイドをたのんで
「どうしてなの?」
と聞いてみたら、驚くべき回答が帰ってきました。

「ここでは佐野常羽さんの話はしないとです」
「どうして?」
「佐野常羽さんは、駒子(妻)さんの実子ではなかです」
「はあ?」
「おめかけさんに生ませた子供です。だから、こういう所では、あまり話題にしません」
「・・・」

 これには驚きました。私には、現在の倫理をもって過去を判断する思考回路が無かったので、死ぬほど驚きました。あまりにも驚いたので、どうしてだろう?と、いろいろ質問をしてみたら、みなさん、佐野常民のことを、とても尊敬してらっしゃる。言い方を悪くすると崇拝している。

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 これは、佐野常民に限ったことではありませんでした。鍋島閑叟にしても、江藤新平にしても、大隈重信にしても、他の偉人たちの記念館においても、多くの郷土史家たちにおいても、尊敬・傾倒・崇拝といった、人物への惚れ込みがあり、それらは共通しておったような気がしました。

 まあ、それは、それは素晴らしいことなのですが、あまりそれが強いと、正確な歴史が残されなくなります。肝心なものが見えなくなるのですよね。日本ユースホステル協会の源流も、見えにくくなってしまう。

 日本ユースホステル協会の源流。
 それは、第11代鹿島藩藩主、鍋島直彬にはじまります。
 そして、この鍋島直彬こそが、
 薩長土肥の連合軍を造った幕末の英雄でした。

 しかし、これが歴史に出てこないのです。

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つづく

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posted by マネージャー at 20:27| Comment(2) | ユースホステル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

なぜ赤字財政になってしまったか?

なぜ赤字財政になってしまったか?

 民主党の鳩山内閣は、2010年度予算について、95兆円と史上最大になった事実を発表しました。ムダを削るを目玉に政権獲得した民主党政権で過去最大の予算。国債発行高は、50兆円とも、60兆円とも言われています。どうして、こんなに赤字がふくれてしまったのか?

 自営業者である私には、さっぱり分からなかった。
 不思議でならなかった。
 なぜならば、バブル崩壊の時でも、こういう事はなかったからです。
 さらに言うと新進党政権の時も、社会党政権の時もおきてない。

民主党政権の時だけに起きた珍現象だったからです。

 そこで御客様から情報をいただき、自分なりにも調べてみたわけですが、こうなった原因は、「政治主導」のもとに各省庁の事務次官会議を廃止してしまったことにあるようです。事務次官会議が廃止されたことで、予算編成時に省庁間の調整が行えなくなり、そのために各省庁は、かたっぱしから予算に詰め込み史上最大の予算になってしまった。

 それを「事業仕分け」という民主党のパフォーマンスで、カットする予定でしたが、カットどころか大幅に予算増額を認めてしまった。なぜならば民主党の支持基盤は、公務員だったから。つまり民主党政権は緊縮財政に失敗してしまった。(具体的に言うと、たったの6900億円の削減/おそらく各省庁の事務次官会議にお委せした方が、10倍の6兆円くらい削れた可能性が高かった。しかし、もう遅い。過ぎたことを、とやかく言っても仕方ない)

 つまり民主党政権は、手続きを間違えて逆に無駄を増やしてしまった。

 そのうえ麻生政権の景気対策をとめてしまったために、経済が悪化、大幅な税収不足に陥り、赤字国債を増大させるという最悪な結果になったわけです。

 こうなると正直言いまして、
 子供手当などというのんきなことを言ってられなくなった。

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 だいたい民主党の言う
「子供手当」
とは、子供のための手当ではありません。

 誤魔化してはダメです。
 親手当です。


 そこのところをハッキリさせといた方が良いでしょう。

 子供を育てる親に(赤字国債で)手当を出して、そのツケを将来、子供たちに支払わせる手当が、子供手当といわれているものです。子供が大人になったときに、親たちの子育て代金を、赤字国債という形で子供たちに税金として払わせる制度です。

 本当に子供が可愛ければ、そういう手当は、断固拒否すべきです。
 それでも欲しいと思っている人間は、
 本当は子供たちのことを思ってないエゴイストですよ。

 本当の意味の子供手当とは、子供たちの将来のために投資することです。子供たちの遊び場を造ってやったり、子供たちの図書館を造ってやったり、奨学金制度を充実させたりする。それが本当の意味の子供手当というものではないですか?

 そして、できれば、ユースホステルの会員証を子供たちに無料で配ったり、子供たちの一人旅を支援する基金を用意してもらいたい。それであってこそ、子供手当というものでしょう。

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 少子化対策なら、保育所の充実や、公立ベビーシッター制度や、育児ヘルパー補助制度を造ればいいことです。義務教育の単位としてベビーシッターを年何回、育児ヘルパーを年何回と義務づけてもよいではないですか。その単位が無ければ、進学できない、または進級できないことにする。そうすれば、人的確保からも、中高生たちの情操教育にも役立つと思います。

 だいたい、私が小学校の時は、5年生は、2年生の給食当番と掃除当番をやったし、6年生は、1年生の給食当番と掃除当番をやったものです。中学生が、幼稚園で幼児の面倒をみることがあっても、何の問題もないはずです。高校生が乳児の面倒見ても良いではないですか。こっちのほうが、「子供手当」という名の実質・親手当より、よほどましです。だから民主党政権には

 金なんかで誤魔化すな!

と言いたい。

 子供手当という言葉で誤魔化すなと言いたい。

 それは親手当であって、
 子供のためではない。
 借金を、子供たちに回すだけなんだから!


 もう一度言います。

 子供たちに親の借金を押しつけてまで、
 親たちは楽をしたいのか?


 そのへんを、よーく考えていただきたい。
 本当に子供が可愛かったら、
 いったい何をすべきなのかと!
 政治家の方は、この本を、お読みいただきたい。

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つづく。

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posted by マネージャー at 00:02| Comment(6) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月14日

そば満留井(まるい)

そば満留井(まるい)

 南軽井沢の18号バイパス沿いに、リーズナブルで上手い蕎麦屋があるというので行ってきました。そば満留井(まるい)です。ここは、国産蕎麦粉を使う店だとか。

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 店内は、こんな感じ。

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店に入ると、お茶と、揚げ蕎麦がサービス。

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そして、蕎麦はかなりの量。
腰があります。

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私が注文したのは、かき揚げ丼。
で、でかい。

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人間と対比すると、この大きさ。

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美味しかったですし、おなか一杯になります。

軽井沢町大字長倉628-5
電話0267-42-0330
営業時間11:30〜22:00(冬期は〜21:00)
定休日木休(夏期は無休)


つづく。

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posted by マネージャー at 22:00| Comment(4) | 南軽井沢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本ユースホステル史の源流3

日本ユースホステル史の源流3

つづきです。

 開国以来、日本人は驚くべき能力で西洋文明を吸収していきました。黒船来航からわずか三年後に宇和島藩は日本人だけで蒸気船を造っています。他にも、製鉄、鉄鋼、加工技術、大砲、蒸気機関、医術などの研究開発を行い、アッという間にヨーロッパ並みのものを作り上げることに成功したのですが、どうしても真似ができない部分がありました。

 量産技術です。

 職人技でもって、大砲や鉄砲は造れました。しかし、それを低コストで供給できなかったのです。造る能力があってもコストが高ければ、輸入するしか在りません。しかし、コストを下げるには、幅拾い産業技術の蓄積がないとダメなのです。つまり産業革命によって、あるていど社会が成熟してないとダメなんですよ。

 例えば製鉄。

 ペリー来航以来、日本の諸藩は、次々と反射炉、つまり製鉄所を建設し、製鉄を行いました。文献を手に入れ、ヨーロッパから技術者を招けば、同じような反射炉は完成しました。

しかし、数年ほど鉄を生産していくうちに、反射炉はボロボロに溶けてしまい使い物にならなくなってしまう。反射炉を構成している耐火煉瓦が、鉄を溶かす熱に負けてボロボロになっていくのです。そのために、アッという間に、生産設備を償却してしまって、コストの高い鉄になってしまう。薩摩でも長州でも幕府でも、反射炉を造ることは造ったのですが、その反射炉は、すぐに使えなくなってしまう代物だったのです。

 図面をもらって、見よう見まねで文明の利器を造るということと、それを低コストで量産するということは、全く別のことなんですね。例えば、ロケットで月面に人間を輸送することは、今の日本の技術力なら不可能ではありません。しかし、それで利益を上げられるかどうかは、別の問題になります。幕末の開国で、製鉄、鉄鋼、加工技術、大砲、蒸気機関を造るのは、わりと簡単に達成したのですが、それをコストにみあうレベルで量産するのは、非常に難しかった。

 しかし、例外があった。
 佐賀藩でした。

 どういうわけか佐賀藩には、ヨーロッパなみの幅拾い産業技術の蓄積がありました。理由は伊万里焼。伊万里焼は、有田焼と違って商売を目的に焼かれたものではありません。

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皇室・将軍・他藩へのプレゼントとして、世界最高級の焼き物を生産する佐賀藩の秘密結社なのです。人間国宝クラスの職人を山奥に閉じ込め、外部の人間を一切遮断して、究極の磁器を造らせた。それが伊万里焼なのです。そして、この磁器は、きわめて高温で焼くために、耐火煉瓦の技術にすぐれたものがあり、その技術によって、完璧な反射炉を製造することができたのです。

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そうなると、銃砲火器から造船土木に至るまで、波及効果がでてきます。産業の米たる製鉄のレベルがあがり、それを安価に量産できるとなると、日本もヨーロッパ並みの工業国になれるということになります。そして、この伊万里焼は、もう一つの効果を生み出します。赤字財政で潰れる寸前だった佐賀藩に大金をもたらします。

 いわゆる密貿易です。

 歴史文献に、佐賀藩のことが詳しく出てこないのは、この密貿易の存在のためです。伊万里焼の密貿易で、大金をかせぎ、その費用をもって西洋文明を輸入する。そして近代国家を作りつつあった。それが佐賀藩の正体でした。これは最近まで明らかにされてなかったことです。これを発表したのは、平成10年頃に、冥土の土産に書き残した郷土史家(医師)がいたから分かったことです。しかし、それを今まで公表できなかった。佐賀の郷土史家たちは、不名誉なことは全て口をつぐんできたからです。

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 また佐賀藩は、もっと恐ろしいことをやってのけています。佐野常民の登用です。佐野常民の登用のどこが恐ろしいかと言いますと、この男は、とんでもない人間だったからです。ネットで調べると、佐野常民は、日本赤十字を造った男として、かなり美化されて書かれてありますが、この男の正体は、そんなものではなかった。もっと凄みのある人間だった。この人間が、全く恐ろしいことをやってしまった。しかし、それを歴史の表に出す人は少ないのです。みんな黙っている。だから歴史書やネットで調べても、なかなか出てこない。

つづく。

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posted by マネージャー at 03:21| Comment(2) | ユースホステル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月13日

日本ユースホステル史の源流2

実は、日本ユースホステル史の本を書いています。
そのために佐賀に行ってきました。

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 なぜ、佐賀くんだりまでいったのかと言いますと、リヒャルト・シルマン伝を書いたときの苦い失敗があったからです。リヒャルト・シルマン伝のどこに失敗があったかと言いますと、

現地を見ずに書いたことです。
文献だけで書いてしまった。


 これが失敗だった。たとえば、リヒャルト・シルマンが教師として働いていたアルテナ。どの文献を読んでも、インターネットで検索しても美しい渓谷の自然豊かな場所としか書いてありません。だから、その文言を信じて、それを前提にリヒャルト・シルマン伝を書いたのです。

 だから私自身の歴史検証作業に重大な過失があったわけではなかった。

 現に、リヒャルト・シルマンも、同じように発言しているし、ウィルヘルム・ミュンカーも同様のことを言っています。アルテナ城を見学したという日本のユースホステル関係者も、同じ事を言っています。美しい渓谷の自然豊かな場所だと。たしかに、それは間違いではなかった。


 しかし、アルテナに行って、アルテナ城周辺を散策して
 驚愕しました。
 アルテナは、大工業地帯だったからです。


 アルテナどころか、ウィルヘルム・ミュンカーの生地であるヒルヘンバッハさえも工業地帯だった。だいたいヒルヘンバッハなんて、日本で言えば嬬恋村か六合村クラスの田舎町なのに工業地帯だった。これが、どの文献にも抜けていた。かわりに自然豊かな場所だと書いてあった。これを最初から知っていたら、私のリヒャルト・シルマン伝は、もっと別の文章になっていた可能性がある。こういう失敗に反省した私は、きちんと現地取材をしようと決意しました。

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 で、日本ユースホステル史の本を書くために、2008年は、関東地方と静岡県を調査したのですが、2009年は、佐賀に的を絞って調査することにしたのですが、困ったことに佐賀の本がないのです。るるぶにも、マップルにも、ブルーガイドにも、JTBガイドにも佐賀県だけ資料がないのです。

 福岡や長崎はあっても、佐賀はない。
 唐津・吉野ヶ里は、福岡のガイドブック。
 伊万里・有田は、長崎のガイドブック。
 佐賀県の主な名所旧跡が、他県のガイドブックに載っている。orz

その結果、佐賀県のガイドブックが無いのですね

 さらに佐賀県の郷土資料が無い。
 インターネットでも、国会図書館にも不思議なくらいにない。
「そんな馬鹿な?」
と思うのですが無いのです。

 歴史書を調べてみても、佐賀鍋島藩のことは書いてあっても、鹿島藩については書いてありません。重要な部分がスポッと抜けているのです。伊万里焼についても同じです。肝心なことが抜けている。下のサイトをみてください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E4%B8%87%E9%87%8C%E7%84%BC

ウィキペディアにして、こんなものです。伊万里焼が世界史を変えたことを考えると、このあつかいは、無いんじゃないかという気がします。では、どうして伊万里焼が世界史を変えたかと言いますと、2つの意味で世界史を変えているのです。

 一つは、その技術が、ある事に使われて世界史を変えたこと。もう一つは、伊万里焼が明治維新において、決定的な役割をはたしたことです。そして、その結果、ユースホステル運動の源流が生まれるタネとなった

 今回は、それをさぐりに佐賀に調査に行ったわけです。

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つづく。

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posted by マネージャー at 13:45| Comment(0) | ユースホステル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする