2021年01月26日

群馬県の新型コロナウイルスによる感染について

 群馬県の新型コロナウイルスによる危険レベルが4になっていることによって、何が起きているかと言うと、 学校の部活動が全て中止になってしまっています。当然のことだから息子が入ってるスケート部の活動を中止で、全ての大会がなくなってしまいました。 レベル3になれば記録会だけはあるらしいのですが、おそらく難しいと思われます。というのも去年のことを考えてみても、2月に入ってから感染拡大がストップするとは、到底思えないからです。むしろ感染が拡大して3月にピークを迎えていく可能性が高い。そう考える方が無理のない考え方です。

 こういうことは来年の冬も続くでしょうから、小中学校におけるクラブ活動が、中止になってしまう可能性が高い。つまり今後は、スケートとかスキーの冬に行うクラブ活動は、事実上、活動停止になる可能性が高い。つまり廃部になったようなものです。

 昨年11月に入国緩和を行った菅内閣の罪は重いと思います。 これからインフルエンザが増えると思われる時期に、どうして外国人の入国緩和を行なったのか? こうなることはわかりきったことだと思うのですが。これは go to キャンペーンも同じです。冬になる前にやめておけばよかったと思う。その方が、 結果として観光業者にはありがたかったと思う。常識で考えれば分かることだと思うんだけれど 。現にそれを想定して準備していたお宿さんも多かった。スーパーで出会った宿の仲間たちと
「冬に向けて蓄えておかなければ」
と噂話していたからです。


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 群馬県の新型コロナウイルスによる感染についてどうなってるんだろうと思ったので、県が出しているホームページ予定たを調べてみました。下記のサイトに令和3年1月1日から1月24日までの感染者の感染原因について書かれてあるのですが

100184030.pdf (pref.gunma.jp)
https://www.pref.gunma.jp/07/z87g_00016.html

 この資料を見て分かったことは、感染者の大半が、同居家族による感染だったということです。この傾向は、全国の傾向と同じです。

 また、学校職員や福祉関係者によるクラスター感染も相変わらず多く見られました。ただしクラスター感染に関して言えば、昨年10月までは、 たったの11件です。

 それが外国からの入国が自由化される11月以降になると、 工事現場・飲食店・福祉施設・病院・大学運動部・保育施設・教会・中学校と、たった2ヶ月に30件にのぼるクラスター感染をおこしており、それが原因となって、同居家族への感染が広がっています。このクラスター感染に関しては、まだ調査中なので、感染者はこれから増大すると思われます。ちなみに空港で分かった感染者は、107名でした。107名という数は、多いと思います。

群馬県の感染者数は、3,604名。
そのうち退院者が、3,085名。
死亡者が、66名。
(ほとんど高齢者)
入院者が、198名。
(うち重傷者11名)

宿泊施設で待機が164名。
入院調整中が、 91名。

あと感染者の大半が、家族間による感染なので、自宅でもマスクは必要かもしれません。

地域別にみると伊勢崎・館林・高崎・藤岡がおおいですが、東京への通勤圏の地域ですね。
逆に少ないのが下仁田・富岡・安中・渋川・桐生・吾妻。
桐生が意外に少なかった。
安中も少ない。
われらが吾妻は、少ないのは少ないけれど、少ないグループの中では多い方。
感染者は、医師・高校生・会社員・家族といった感じでクラスターはおきてない。
気になるのは医師が2名もいたこと。

意外に多かったのが沼田水上で、前橋と同じレベル。
なぜ沼田・水上が多いのかは、渋川が少ないゆえに不思議な気もします。

 あと、気になる点は感染者の多くが県外の人と濃厚接触することによって感染し、それが家族に感染させているところ。これを考えると、県外への移動は自粛した方が良いのかもしれません。東京への通勤圏の地域で感染者が多いことを考えても、考えさせられることが多いと思います。それからクラスター感染の原因となっている若い福祉施設の職員による感染も考えなければいけない。高校生の感染が少なからずいることも要注意です。学校でクラスター感染が起きてないことを祈るばかりです。



つづく。

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2021年01月24日

除雪機の性能アップさせる方法!

 朝起きたら一面真っ白な雪原でした。久しぶりの大雪に今日は一日中雪かきです。最悪なことにうちの宿の土地は1000坪近くあるので、これを全部雪かきするとなるとものすごい労力です。おまけに、ぼた雪で重い。北軽井沢はパウダースノーで有名なのに、今回は新潟の雪かと思うくらいに重すぎる。2台の除雪機を使い倒しました。

 うちの宿には、飛ばすタイプの除雪機と、ブルドーザータイプの除雪機の2台があるんですが、今回活躍したのが、ブルタイプのものです。雪が重すぎてなかなか飛びにくかったので、ブルタイプ(ホンダのユキオス)が大活躍。


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 で、思い出したのがオープン間もない頃のことです。実は、オープンしてから十数年間は、人力で雪かきをしていました。当時は今よりも雪が降っていましたから地獄でした。何しろ雪を捨てるところがないので、それに一番苦労しました。筋肉痛になるのを防ぐために、アミノバイタルやバームをぐびぐび飲んで、一日中雪かきをすると、春先になるまでに体重が10キロぐらい減ったものです。

 ところが、何年か前に物凄い大雪になってから、除雪機を買ってからというもの、除雪が楽になって、体重が減ることはなくなりました。結局、3台の除雪機を買ったんですが、一台は廃棄しています。もちろん廃棄した除雪機は中国製です。安物買いの銭失いだった。あれ(ハ○ガー)だけは買ってはいけません。金をドブに捨てるようなものです。買うなら絶対に日本製です。というわけで今は2台ともホンダ製ですが、すごく調子がいい。


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 どうしてホンダの除雪機にしたかと言うと、一番売れてる除雪機だったからです。もっと性能の良い除雪機もあったんですが、一番売れてるやつにした理由が、メンテナンスのためです。何しろ大量に売れてる製品なので、メンテナンスの仕方が、いろんな人が、YouTubeの動画で説明していたりする。キャブレターの掃除の仕方から、エンジンオイルの交換の仕方や、故障の原因の見つけ方など、大抵のことがYouTubeに載っている。だからある程度まで自分でメンテナンスができる。もちろん、買った所に持って行って修理してもらうと言う手段もあるんですが、運ぶのが大変なのと、どのくらいで修理が終わるかという問題もあるので、自分でもメンテナンスが可能な除雪機を買ったというわけです。

 というわけで、誰もが持っている除雪機を買ったために、近所の人が除雪しているところを見て、
「同じ製品なのに、うちのよりも雪が飛ぶ」
と驚いたりします。同じ製品なら、同じ性能なはずなのに、雪が飛ぶ距離が違っていて驚くわけです。

 しかしこれにはタネがあります。除雪機を使えば使うほど塗装が剥げてきて、雪がくっつきやすくなるんです。それで雪は飛ばなくなる。だから塗装して直せば、買ったばかりに近い性能が出るようになる。塗装が面倒くさい人のために、買ったばかりに近い性能が出るようになるスプレーも売っています。シリコンスプレーなんですが、塗装と兼ねるシリコンスプレーがある。今回はこれを紹介します。良かったら使ってみてください。


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 高森コーキ 離雪シリコンアクリルスプレー
 ホンダ用レッド 300ml TU-SAN-RD


https://item.rakuten.co.jp/rcmdse/oo-3770124/?l2-id=pdt_sl_item_iname_1#14858691

 除雪機に雪がこびりついて困ってる人は、これを使うといいです。
 スコップに吹き付けても良い。
 雪離れが段違いです。
 なので、除雪機を持ってない人も買ってもよい。
 透明バージョンがありますから。 

 楽天市場で買えます。Amazonより安く買えます。
 ちょうどお買いものマラソン中です。
 シリコンスプレーですから離雪効果が高いです。

 撥水スプレーにシリコンタイプが多いし、シリコンスプレーを間違えて靴の裏に吹き付けると、ツルンつるんに滑って靴の役目が終わってしまいます。自転車のブレーキやタイヤに吹き付けると、ブレーキがきかなくなります。それほどシリコンスプレーの威力はスゴイので、雪を飛ばす威力が戻ります。ぜひお試してみてください。昔の性能がもどると思います。



つづく。

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2021年01月23日

リモートワークで働くなら嬬恋村

 ここ数日、暖かい日が続きましたが、そのせいか初めて北軽井沢にまともな雪が降ってきました。日本列島に寒波がやってくると、新潟や北陸で大雪になり、北軽井沢では晴天になります。逆に暖かい日が続くと、東京に雨が降り北軽井沢に雪が降ります。今日の北軽井沢は、まさにこんな感じです。

 本来ならばこの雪は、めぐみの雪となって、スキー場が大喜びするわけなんですけれど、新型コロナウイルスのせいで、スキー場はすっからかんになっていました。世の中、うまくいきませんね。

 新型コロナウイルスは、去年の3月頃から日本列島を恐怖に陥れたわけですが、 それでも12月から3月までは、スキー場に人が来ていました。だから去年の方が、まだマシだったと言えます。 今年はもっとひどい状況になっています。 スキー場で働いてる人たちは、深刻な状況だと思います。

 大型ホテルに関しても、冬にオフシーズンであっても、スキー場にあるホテルに移動することによって、なんとか人件費を出していたわけですが、そのパターンが通用しなくなったために、大手のホテルチェーンは青ざめていると思います。 結局、地元採用のアルバイトやパートさんを切ってしまうしかないわけで、地元の雇用が壊滅的な打撃をうけることになりました。

 こうなると観光地では、何か別の手を使って新事業を起こすしかないですね。例えば、リモートワークに適した村づくりをするしかない。つまり嬬恋村の通信環境に関するインフラを整備するしかない。群馬県のチベットとも言われているウルトラ・スーパー・超過疎地嬬恋村のメリットといえば、密にならないところです。人口が少なすぎてスカスカな村ですから、密にならない。

 おまけに軽井沢は近いし、草津温泉も近い。これだけ過疎地なのにも関わらず、東京までの交通の便はそんなに悪くない。その上、 野菜が安くてうまい。遊ぶところもないし、風俗産業もない。ちょっと車で走れば、あちこちに登山道があるし、免疫力をつけるには最高な地域でもあります。おまけにカラ松が大量にあって、そのカラ松が、人間の免疫力を高める。そして薬いらずの万座温泉までとても近いし、老人になれば、たった100円で嬬恋村ないの温泉に入ることができます。おまけにこの村では、何年も前から幼稚園も保育園も無料です。小学校の給食費もありませんし、学校の教材費も村が出してくれます。

 唯一の欠点は、働く場所がないことですが、新型コロナによってリモートワークで働く風習ができ、通信環境が今以上に整備されれば、こんなに働きやすい村はないと思いますけれどね。不動産は安いし、別荘は有り余っている。行政の方でも、移住のための様々な支援が行われていますから、この際 、嬬恋村に引っ越してきて、こちらでリモートワークされたらいかがでしょうかね? 大きなホテルも、部屋を余らすぐらいだったら、いそのことマンションかなんかにしてしまったらどうでしょうかね? いくら何でもそれは難しいかな?

  とにかく、今後は観光の形態を変えていかなければならないだろうし、リモートワークのためのインフラ設備を全国的に進めなければならなくなるでしょうね。あと、免疫力を高めるためのプロジェクトを観光関係者や自治体が進めていかなければならないと思うし、 それに伴って新しい産業が生まれなければいけない気がします。

 とにかく自粛自粛で守りに入るようではダメだと思う。 もちろん自粛も必要でしょうけれど、永遠に自粛することなんかできないんだから、自粛しなくても済むような社会体制作りがいると思うし 、私個人も何かしなければいけないんだろうな。小さな小さな一軒の宿屋が、できることは限られていると思うけれど、何かしなければならないと思う。

  観光協会も、商工会も、自治体も、国も、医療関係者も、いろいろ頑張ってると思う。みんな一生懸命頑張ってるのは痛いほど感じている。ただ言いたいことは、 そういう連中の努力をぶち壊すような、安易な外国人の受け入れだけはやめてほしい。下の図(Facebookからのコピペ)にあるとおり、空港検疫で陽性になった多くの人間が、外国籍です。もう、こういうのは止めましょうよ! 台湾のように水際でブロックしましょうよ。感染者の多くは、終息していると言ってる言い張ってる国なんだから、いい加減に現実に目をやって手をうちましょうよ。


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 それはともかくとして、私が一番心配してるのは、スキー場や大手のホテルが潰れることです。 何とか頑張って欲しいですね。大手が潰れれば、地域に対するダメージが大きく残りますから。だいたいこういう時代に、ピンチをチャンスにして一人勝ちする会社が出てくるものですが、嬬恋村や北軽井沢の中から、そういう会社が出てきて欲しいものです。 できれば嬬恋村に移転してきた大企業か、ピンチをチャンスに変えて一人勝ちする会社になってくれるとありがたいな。



つづく。

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2021年01月21日

春先のように暖かかった一日

 トランプ大統領の任期が終わってしまいました。最初は私も誤解していましたけれど、彼は偉大な大統領の一人だったと思います。彼の功績の第一は、数十年ぶりにアメリカから戦争をしなかったこと。これだけは褒めてあげてもいい。そしてもう一つ彼の功績として大きく取り上げたいのが、中東問題の解決です。その他にも、色々ありますけれど、戦争をしなかったことと、平和に貢献したという意味では、満点だった。

 話を変えます。

 ここしばらくは寒かったですが、今日は非常に暖かくて、部屋の中にいるよりも、小浅間山を散策してるほうが暖かかったです。ついでに浅間牧場馬も散策したんですが、春先のように暖かかったですね。

 非常事態宣言以降、めっきり暇になってしまったので、最近は毎日散歩しています。散歩することによって免疫力をアップさせるためです。

 新型コロナがこれだけ蔓延していたら、冬の間はじっとしてるしかないでしょうね。こうなることが分かっていたのだから、外国人の入国を緩和するべきではなかった。感染爆発と、入国制限の緩和は同時に起きていますから。統計的に見て入国制限の緩和こそが感染爆発の原因であることは間違いない。というのもGotoキャンペーンでの感染者は、11月までに、たったの130人だったから。


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 いずれ新型コロナも、いつかは小康状態になると思いますが、感染者が減ったからといって、入国制限の緩和はやめてもらいたい。お願いだから緩和だけはやめてもらいたい。3.11の時だって、日本中の観光地から外人が消えても、なんとかやってきたし、出来ると思います。インバウンドより、日本人客をとりこみましょうよ。Gotoキャンペーンだって県内限定にするとか、隣県限定にするとかでいいじゃないですか。というか、それよりも、医療崩壊が起きないような施設を作り、空港で外国からの感染者を隔離できるような施設を作り、水際で防御できるような体勢を整えるまで入国制限でいいじゃないですか!

 Go to キャンペーンも、事業化給付金も、いらないかな。それよりも、抗ウイルス用の壁紙とか、抗ウイルス用の空気清浄機を導入するための補助金を用意してくれる方がありがたいですね。でも本音言うと、そういうのもひっくるめて全ていらないから、入国制限の緩和だけは、やめてもらいたい。これから十年間、入国制限の緩和をしないと言うなら、Go to キャンペーンも、事業化給付金も、全てなんにもいらない。あとは自分で何とかします。

 お客さんが来なければ来ないなりに生活しますよ。他に仕事を探しますよ。細々と生きていきますよ。その辺の雑草を食ってでも生きていきますよ。ただ、子供たちが楽しみにしている、楽しい学校生活とか、スポーツ大会とか、修学旅行とか、運動会とかへの影響だけは勘弁してもらいたい。


つづく。

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2021年01月20日

今後、上毛かるた大会が無くなってしまうのか?

 新型コロナウイルスによって、様々な伝統文化が破壊されようとしています。
 その一つに群馬県の文化である上毛かるた大会も、開かれることはなくなりました。

 上毛かるたというのは、1947年(昭和22年)に発行された群馬の郷土かるたです。
 群馬県の名所旧跡や輩出した人を札としています。

 昭和21年、浦野匡彦氏は、満州から群馬へ引き揚げ、恩賜財団同胞援護会県支部を取り仕切り、戦争犠牲者の支援に取り組んでいました。当時は、戦争孤児や寡婦などの境遇は悲惨なうえに、GHQの指令により、学校教育での地理・歴史の授業は停止されていました。

 そこで彼は、かるたを通じて群馬の歴史・文化を伝えることにし、上毛かるたを作るわけですが、GHQ(占領軍)の検閲で難航したといわれています。

 そして、昭和23年に第1回上毛かるた競技県大会が開催。
 以降、毎年行われていて、2017年で第70回を数えています。


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 群馬県人にとっての上毛かるたは、県民のアイデンティティみたいなもので、東京銀座のホステスを口説く時も、相手が群馬県民なら上毛かるたの話題を出せば、どんな難攻不落の女性でも落とすことができると、まことしやかに噂されていたくらいです。

 群馬県民の嫁さんと結婚した後に、その噂は本当なのかと聞いてみたら、
「9割方本当かもしれない」
と答えたくらいですから、やっぱり本当なのでしょう。そのくらい群馬県民は上毛かるたを誇りに思っているわけです。

 現に、うちの嫁さんは、五十歳近くになっても上毛かるたを暗記しています。そして上毛かるたで勝負をすると信じがたいぐらい早いスピードで札を取って行きます。息子が四歳の時に、四歳児の息子と嫁さんが勝負をしていましたが、全く手加減しません。

 相手は四歳児なのだから、私はわざと息子に負けてあげて、息子のやる気を引き出したりするんですけれど、嫁さんのやつは容赦せずに四歳児の息子を叩き潰します。仕方ないので、私がわざと負けて見せて、息子のやる気を出すんですが、そうやってせっかく息子のやる気を出させてあげたにも関わらず、嫁さんのやつは、無慈悲にも、それを徹底的に叩き潰し、ワンワン泣かせてしまうのです。

 仕方ないので、息子と嫁さんが上毛かるたの試合をやる時は、私が審判になってハンデをつけさせました。嫁さんは、札を読み切るまで取ってはいけないことにしたわけです。それでも、嫁さんのやつは、鬼のように四歳児の息子を叩き潰して泣かせてしまいます。

 これが群馬県のスタンダードなのか?

と、呆れたものです。

 仕方ないので、四歳児の息子に、嫁さんに勝てるように特訓しました。
 どういう特訓かと言うと、絵札の文字を消して、絵だけで取るように訓練したのです。
 しかし、それでも息子は嫁さんに勝てません。

 これほど上毛かるたに強い嫁さんなんですが、読み札の意味を全くわかりません。信じられないくらい無知なのに呆れてしまったものです。例えば

「銘仙織出す伊勢崎市」

という読み札があるんですが、銘仙の意味を知らない。新島襄がどんな人かも知らないし、田山花袋がどんな人かも知らない。けれど、田山花袋のかるたが出たら、ガンガン取ってしまう。


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 まあそんなことはどうでもいいんですけれどね。結局、何が言いたいかと言うと、群馬県民がこよなく愛する上毛かるた大会が、新型コロナウイルスによって出来なくなってしまったということです。新型コロナウイルスは、GHQ(占領軍)の検閲よりも、大きな力を持っているということです。



つづく。

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2021年01月19日

小学校2年生の算数の宿題が九九ばかりで助かった話

 新型コロナウイルスで、嬬恋村の小学校が、臨時休校になってしまって、冬休みが一週間以上伸びてしまいました。それがやっと、昨日になって学校が始まったんですが、本当に困ったものです。冬休みに続いて、いきなり一週間以上の休校ですから学校の方でも宿題などを用意できるわけもなく、各自で勉強して下さいということでした。

 仕方がないので、国語は教科書の最後まで音読をさせ、算数は毎日九九の練習を欠かさず行いました。と言っても息子は、四歳くらいから九九ができていたので、息子にとって九九の勉強は、たいしたことではありません。

 どうやって四歳ぐらいから九九を覚えさせたかと言うと、九九の歌のCDを買ってきて、車で移動するたびに聞かせただけです。四歳から九九を勉強させたわけではありません。毎回毎回九九の歌を聞かされているうちに、歌詞を覚えてしまっただけです。





 九九だけではありません。ABCのうたや、ロックンロール県庁所在地なんかも歌詞を覚え、日本史年号の歌や、元素記号の歌や、一より小さい数の歌に、大きい数の歌、一本でも人参の歌や、十二ヶ月の歌に、落語の寿限無の歌まで、四歳から六歳まで、子供園に送迎しているときに車の中で繰り返し聞かせたら、歌詞をみんな覚えてしまいました。それも無理矢理に覚えさせることなく、勝手に憶えてくれたという感じです。


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 けれど、これは三歳児から六歳児だったから通用したのだと思います。小学生に同じことをしても無理かもしれません。

 これには根拠があります。

 実は、ABCの歌だけは、二歳児の時に二ヶ月だけ盛んに聞かせていたんですが、その時は息子は聞くだけで歌うことはありませんでした。そして月日が流れて、一年か二年経った頃に、息子が突然、お風呂の中でABCの歌を歌い出したのです。こども園でそんなものを教えるわけはないし、ある日突然、歌い出してしまった。心当たりがあるとすれば、二歳児の頃に二ヶ月だけ車の中で聞かせたことがあるだけです。つまり二歳児の脳は、憶えていたことになる。

 これは脳科学的にありえることらしい。

 これに驚いた私は、四歳児の息子に、車の中で毎日というに九九のCDを聞かせれば、七歳ぐらいになって突然歌い出すかもしれないと思ったので、毎日聞かせたわけです。最初の一年ぐらいは、黙って聞いてるだけだったので、やっぱり歌わないのかなと思ったんですが、一年間延々と聞かせ続けたら、お客さんが血相を変えて行ってきて、
「オタクでは四歳児の息子さんに、九九を教えてるんですか?」
と言います。

 もちろんそんな事実はないので、そっと息子の姿を眺めてみると、確かに九九の歌を歌っている。そこで駆け寄って
「もっと歌ってみて」
と言ったら歌わなくなってしまった。

 歌うのを強制してはダメなんだなと思ったので、しばらく放置していたら、ぽつりぽつりと歌うようになってきた。こいつはいぞと思った私は、歌うことを強制させずに、とにかく聞かせることに専念しました。あと実験として、志村けんの番組で「だいじょぶだぁ」で、よく放送されていた
「ウンジャラゲの歌」
も、私の声で聞かせました。その結果、一番反応が良かったのがウンジャラゲの歌でした。





 なので息子が最初に覚えたのが、ウンジャラゲの歌なので、最初に憶えたのが月曜日から日曜日までの曜日の名前です。次に覚えたのがABCの歌で、アルファベットを憶えました。その次に覚えたのが九九の歌。九九を四歳児が憶えてしまった。と言っても九九の歌の歌詞を覚えただけで、九九を理解しているわけではない。

 その次に覚えたのが一本でもニンジンの歌。これで数の数え方をマスターし、それに続いて覚えたのがロックンロール県庁所在地。残念ながら日本史年号の歌と元素記号の歌は難しすぎたのか覚えませんでした。

 大きく脱線しました。話を戻します。
 実は、息子が小学校に入る前に九九を覚えたために得をしました。

 どういうことかというと、小学校の二年生になると宿題が多くなってくるのですが、夏はともかくとして、冬になるとスケート部の活動があるために、なかなか宿題をする時間が取れません。放課後から夕方六時半までスケートの練習があるために、家に帰ると夜の七時になります。ご飯を食べてお風呂に入れば、宿題をする時間がなかなか取れません。それを危惧していたのですが、杞憂に終わったのです。

 実は、二年生の二学期の終わりともなると、算数の宿題は九九ばかりです。つまり息子に限って言えば、算数の宿題がないのと一緒です。だから、思う存分スケートの練習ができるわけです。

「こいつはラッキー!」

と思っていたら、新型コロナの大流行が起きてしまって、スケート部の活動はあっという間に中止になってしまいました。一週間後に軽井沢の大会があるにも関わらずです。憤慨したのは言うまでもありません。わざわざ高価なスケート靴を買って、準備万端整えていたのに、活動中止とは、スケート靴は高いし、研ぎ台なんかの付属品も高い。せっかく買いそろえたのに、この仕打ちはむごい・・・。ちなみにスケート部の再開の目処はたっていません。下手したら今年は、もう再開できないかも。新型コロナウイルスが恨めしい。


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つづく。

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2021年01月18日

【注意!】平日営業を止めている施設が増えてます

 新型コロナウイルスで、北軽井沢や嬬恋村の宿泊施設は、どこも壊滅状態になっています。特に大きな施設は、固定費も大変かかりますから経営が苦しくて平日営業を止めている状態です。それに伴い外来を受け付けている温泉施設・スキー場・レストランなども営業をしていませんので気をつけてください。

 もちろんうちの宿も非常に厳しくなっていますので、冬季の間は、原則として一人旅の宿泊を受け付けていません。二人以上だったら受け付けています。理由は、電気代灯油代で赤字になってしまうからです。昔はサービスのつもりで、受付たこともありますが、新型コロナウイルスのために、宿に体力が残っていませんので、そういったサービスができない状態です。これはうちの宿に関わらず、どこの宿さんもそういう状態です。


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 こういうご時世ですが、リピーターさんはありがたいですね。 先週末は団体さんでスノーシューをやるために泊まりに来てくれました。当然のことながら貸切状態です。大勢で四阿山に登るということでしたので、特別に、6時ちょっと過ぎに朝食を出しました。もし他のお客さんがいたら、そういうことはできなかったんですが、その団体さんの一組だけだったので、 こういう芸当ができたわけです。

 新型コロナウイルスによって、できないサービスも増えましたけれど、逆にできるサービスも確実に増えています。宿にお客さんが少ないので、団体さんの貸切状態になることも多いので、ある程度、融通が利かせられるわけです。

 これは家の宿に限らず、他の宿でも事情は同じかもしれません。なので、こういうご時世だからこそ、小さな宿に、いろいろ交渉して見るのもありかもしれません。少なくとも、うちの宿ではありです。緊急事態宣言が出ているわけですから、週末といえども、他に泊まり客がいない可能性がありますので、 そういう場合は団体さんのご希望に沿った提案ができるかもしれません。場合によっては貸切にすることも不可能ではありません。

 団体さんでなくても、 他に宿泊する人たちがいなければ、ご希望を叶えることができる可能性が大きいです。 リピーターさんならなおさらです。なので、日頃贔屓にしているペンションや旅館さんに、交渉してみるのもありかもしれませんね。

 ところで go to キャンペーンの過去の統計が、本部から送られてきました。それを見て驚いたのは、大半が旅館を利用しているということです。ペンション・ユースホステルなどの小規模施設の利用率は、たったの3%という少なさです。ほとんどのお客様は、旅館とか大型ホテルを go to キャンペーンを使って泊まっているようです。私は、新型コロナウイルスだからこそリスクの大きな大規模施設を避けるのかな?と思っていましたが、事実は逆でした。

 この数字には、かなり驚きましたが、よくよく考えてみたら私も、 Goto キャンペーンで、普段は泊まれないような温泉ホテルに泊まっていますから、世間の流れというのは、そういうものなのかもしれません。

 逆に言ってみたら、従業員を抱えていて固定費のかかる大型ホテルや温泉旅館などは、 Goto キャンペーンでかろうじて倒産しないで済んでいるのかもしれません。もし、これらが倒産してしまったら、そこで働いている従業員の生活も壊されてしまうので、これはこれで良かったのかもしれません。


つづく。

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2021年01月16日

半世紀前に存在した、とんでも授業【10】

 昭和時代に普通にやって、現在では滅びてしまったものに体罰があります。今から考えたら信じられないことですが、昔は体罰が日常茶飯事でした。もちろん体罰をする先生と、口だけで怒る先生の二種類がいたのですが、どっちが嫌われていたかと言うと、信じられないことですが、どの先生も生徒に嫌われている人はいなかったと思います。

 これから十年後の嫁さんの世代になると、校内暴力が多発して多くの先生方が、子供たちの暴力の犠牲者になるわけですから、たった十年間で、どうしてこんなに変わってしまったのかが分かりません。

 私が小学校一年生から二年生までに担任の先生が五回も変わったことは以前述べました。五人の先生は全員女性の先生だったこともあって、このあいだに体罰を見たことは一度もありません。映画「二十四の瞳」のような日常風景画が基本であり、子供たちは担任の先生にとても可愛がられていたと思います。成績が少しでも良くなると、ひとりひとり呼び出されてとても褒められましたし、成績が悪くなれば、親切に特別に勉強を教えてくれました。それぞれキャラクターは違いますが、聖職者であるという姿勢は五人全てに共通していたと思います。

 ところが、小学校三年生になり二十二歳の男性新任教師が、遠方から赴任してくると、初めて体罰を体験して衝撃を受けます。その体罰とは、プロレス技でした。コブラツイストとか卍固めだった。と言っても、子供たちとじゃれあうように、ふざけてコブラツイストをやっていた。だから体罰と言えるかどうか、ちょっと分かりません。

 昔、「夕陽丘の総理大臣」という学園ドラマがありましたが、あの主人公にそっくりな先生でした。要するに子供たちに異常に馴れ馴れしい先生だったわけです。それまでの先生は、仰ぎ見る存在だったので、子供たちが衝撃を受けたのです。





 その時代というのは、70年安保が終わって就職できなかった人たちが大量に教員になった時代で、今までとは毛色の変わった教師が全国の小中学校に入ったのかなと思われます。こういう先生の存在によって、子供たちの中に存在していた偶像がガラガラと崩れていったことは確かです。

 映画「二十四の瞳」のような日常だった小学校が、学園ドラマの「夕陽丘の総理大臣」のような日常になってしまうわけですから、子供たちに混乱が起きないはずがありません。当時、こういう体験をした子供たちは、当時かなり存在していたのではないでしょうか?

 結局この先生は三年で島を出て行って、島の小学校は「二十四の瞳」のような昔の小学校に戻ったわけですが、その代わりに現れた五十代ぐらいの男の先生によって初めて体罰らしい体罰をする先生に出会いました。





 体罰といっても悪いことしたら頭にげんこつをくれるくらいです。それも痛いわけではなかった。でも、しょっちゅうポカポカ殴られました。その先生は、私とは別のクラスの担任の先生だったので、私はあまり殴られたことはないんですが、そのクラスにいた子供たちの話を聞いたら、宿題を忘れた人を一列に並ばせて、教科書でポンポンポンポン一斉に殴るのが日常だったという話です。

 まあ体罰といえば体罰なんでしょうけれど、それによってその先生を嫌いになったことはありませんし、その先生を嫌う子供たちがいたという話も聞いたことがありません。殴られても大して痛くないし、殴られた後は、普通に日常生活が行われていたので、さらりとしたものでした。むしろ、女性の先生によって、ねちねちと長時間にわたって怒られることの方が、よほど苦痛だったと思います。少しも痛くないげんこつの方が、楽でよかったわけで、その先生は皆に嫌われては無かった。

 むしろ自分たちの父親の体罰の方が痛かったと思います。現に私も父親の体罰によって何度も怪我をしています。コンセントを鞭代わりに叩かれて、背中の肉が削げたこともありますし、裸足で砂利道を走らされて足の裏がどす黒くなったことさえありましたから、学校の先生の体罰なんか、蚊に刺されたくらいにしか思ってなかった気がします。これは私が小学校六年の時の話で、昭和四十八年頃のことです。うちの嫁さんが、生まれた頃の話です。

 そして中学校に入ると、本格的な体罰を体験しました。私が中学校一年生の時の担任の先生は、物理の先生だったんですが、柔道を本格的にやっていたらしくて、悪さをした生徒に対して、大外刈りとか、釣り込み腰とか、払い腰とか、柔道技をかけるという体罰を行っていました。不思議なことに顔を殴るということはしませんでした。

 今まで大した体罰を受けてなかった私たちは、この先生に衝撃を受けました。給食を食べてる時に、友達とふざけあって、私が頭を打って倒れたのですが、それに対して怒って、私の友人に対して柔道技で懲らしめたわけです。

 で、その先生による体罰は、それっきりで、それ以降、卒業するまでの三年間、一度も見ることはありませんでした。みんな恐れて、その先生の前では、ふざけたことをしなくなったからです。そして、その先生の噂は瞬く間に広まって、その体罰の現場を見たことのない、他のクラスでも、その先生の前ではふざけたことがなくなりました。逆に言うと、その先生の授業中は、いつもシーンとしていて、その先生が
「この問題が分かる人?」
と問いかけても、手を上げて答える人は、ほとんどいませんでした。ほとんどいないので、私が大抵手を挙げて答えました。誰も手を挙げないと、先生がいつ怒り出すかという恐怖があったので、私が積極的に授業に参加しました。

 そのせいか、その先生は私のことを気に入ってしまったらしく、放課後に雑談するようになり、その先生の趣味が、私と同じで漫才や落語が趣味だったので、その話で盛り上がりました。

 結局その先生は、たったの一回きりの体罰で、みんなを恐怖させたわけですが、仲良くなってみると、そんなに怖い先生ではなかったことに気が付きましたが、それを私が友達に話しても、三年間の間、誰も信じなかったことが衝撃です。一回ついてしまったイメージは、何年たってもとれないものなんですね。

 結局、体罰はあっても日常的に体罰を行う先生は、私の時代でも、そんなに多くはなかったと思いますが、一人だけ、やたらと体罰を行う先生がいました。





 陸上競技の大会に出続ける体育の先生です。教師になりたての陸上選手だったと思います。大会が近づくと、放課後に何時間も何時間もガンガン走っていた先生で、大会の翌日には新聞紙面にもインタビュー記事などが掲載されていたと思います。そういう有名な先生が、典型的な体罰教師でした。

 と言っても、殴る蹴るは一度もしたことがありません。別に竹刀を持っていったわけでもありません。生徒がふざけると、ヘソを出せと言って、お腹を出させます。そしてお腹をツネります。

 それもあっさりしたもので、それが終わるとすぐに日常に戻りますので、誰もこの先生を嫌ったりしませんでした。むしろ正座して長時間説教されることの方がよほど苦痛でした。ちょっとお腹をツネられるくらいなら、そっちの方がよほどマシだったわけです。

 例えば、女子更衣室を覗いたとか、修学旅行の時に女子部屋に潜り込んだとか、そういうことが発覚した時、他の先生だったら、体罰を行わない代わりに、みんなが見ている前で、何時間も怒鳴られながら正座させられます。それからしたら体育の先生の体罰なんか屁でもなかったと思います。むしろ誰も見てないところでこっそりお腹をツネられる方が、よほど良かったというのが、当時の悪ガキの発想だったと思います。

 その昔、清水次郎長親分が、どうして、大勢の子分に慕われたかと言うと、子分を叱る時に人前で叱ったことがなかったという。たったそれだけのことで、東海道で一番慕われるヤクザの親分になったわけですから、大勢の前で正座させられることの方が、体罰なんかよりも、きついことなのです。

 それはともかくとして、その体育の先生くらい体罰を日常的に行っていた先生はいませんでしたが、不思議なくらいに人望がありました。おまけに悪いことをしたと生徒が納得した後に体罰を行っていました。体罰を行う前にも必ず生徒に
「悪いと思ってるか?」
と確認した上で行っていた。そして、ヘソをツネった後に、その後に全く引きずらなかった。子供たちにしてみたら、お腹を一秒ツネられる方が、十分も正座させられて怒られ続けるより楽だった。だから非常に人望があった。

 その人望に他の先生が快く思ってなかったくらいです。そういうのは生徒にすぐに分かってしまいますから、生徒の方でも、そのうちその先生を陰でサポートしていました。中には、先生を庇って身代わりになる奴が出てきました。例えば、体育の授業が熱心なあまり、次の授業にさしつかえるくらいに授業が延長することがあるのですが、それに他の先生が激怒すると、生徒の方が、体育の先生を庇って、
「先生は関係ありません。私が先生に勝手にしつこく質問してて、そのために次の授業に遅れました。悪いのは私です」
と身代わりになって怒られていました。

 それから、自分で罪を申告して、体育の先生の前で自分で自分のお腹をツネるやつも出てきました。後でバレるくらいなら、さっさと自白して自分で自分を罰する方が、その後の害が少ないからです。これは生徒の悪知恵でした。人の良い体育の先生は、このような悪知恵にコロッと騙されて
「潔い」
と感心していました。生徒にとっては、自分のお腹をツネるのは、たいしたことではありません。怖いのは、この先生を本格的に怒らせて、グランドを十周させられたり、腕立て伏せやスクワットを百回やらされることです。それを防ぐために、子供たちが悪知恵を働かせて、すすんで自白して自ら先生の前で自分を罰したわけです。





 まあいい時代だったと思います。この十年後に、全国の中学校に校内暴力の嵐が始まって学校の窓ガラスが片っ端から割られるなど、ひどい状況になるんですが、十年間で一体何があったのか、私にはさっぱり分かりません。校内暴力世代だった嫁さんの中学校時代の話を聞くたびに、別の星の話なのかな?と思ったくらいです。


つづく。

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posted by マネージャー at 23:04| Comment(0) | 教育問題を考えてみる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月15日

半世紀前に存在した、とんでも授業【9】

 私が中学生の時には、三年B組とか、一年A組とかいうクラス名ではなくて、斉藤学級とか、本多学級と言う名前でした。担任の先生の名前が、クラス名だったのです。それが、三年B組とかに変わったのは、私が中学三年生の時です。それまでは、斉藤学級とか、本多学級と言うクラス名だった。つまり担任の先生の名前がクラス名だったわけです。それだけに、担任の先生の影響が大きかった。

 それは給食の時間にわかりました。私が通っていた中学校には、一学年に三クラスあったんですが、他クラスへの留学制度というか、生徒の他クラスへの一時的なトレード制度がありました。例えば、A組から三人・B組から三人・C組から三人。各クラスから三人ずつを給食の時間だけ他のクラスにトレードする制度です。給食を通して三クラスで交流を持とうと言うことをやっていました。

 例えば、A組から三人・B組から三人・C組から三人。各クラスから三人ずつを給食の時間だけ他のクラスにトレードする制度です。給食を通して三クラスで交流を持とうと言うことをやっていました。外部の人間を一時的に入れるという、この制度によって集団イジメなどの抑止力が働いていたので、これはこれで素晴らしい制度だったと思います。

 私はC組だったんですが、A組に行って彼らと一緒に昼食を食べてみたら、私のいたクラスと、あまりにも違っていて驚いた。そのクラスでは、みんなでじゃんけんをして、負けた一人が、全員の分の食器を片付けることになっていました。
「それはひどい」
と抗議したんですが、「負けるのが怖いのか」と言ってきたので、カーッとなって勝負を受けて勝っています。そして勝利した上で、負けて一人で全員のぶんの食器を片付けているの手伝ったのですが、手伝うのは私一人で、誰一人手伝おうとしない。負けた人に対する同情が全くない。それに義憤を感じた私ですが、気が付いたら私が悪者になっていた。シャレのわかんないやつだと周りから非難されていた。これに衝撃を受けた私は、クラスが変わるとこんなにも雰囲気が変わるんだと驚きました。





 私がいたクラスは、誰もがみんながお互いに助け合う雰囲気を持っていたので、じゃんけんで勝負して、負けたら食器を全部片付けるとか、負けたら一人で全部掃除するという文化がどうしてもわからなかった。そういう文化の違いが、給食時間におけるトレード制度で否応なく体験できたのは、今から考えたらすごく良かったと思います。

 あと、こういうじゃんけん勝負を許していたのも昭和時代の特色かもしれません。今だったらちょっと考えにくいですよね。

 このようなトレード制度は、いわゆる昭和時代の文化だと思います。クラスによってあまりにも雰囲気が違いすぎるので、その雰囲気の違いを体験しようというトレード制度ができたんだと思います。けれど平成時代になってからこういう文化があったと言う話を聞いたことがありません。つまりどのクラスに言っても大して違わないようになっていたんだと思います。どのクラスも均一化されていったんだと思います。

 あと、このようなトレード制度は、学校の先生が考えたものではなくて、生徒会か何かが企画立案したものだと記憶しています。そういう生徒の意見が学校の先生に通用したのが昭和時代だった気がします。これは生徒の意見を取り入れた先生も偉いと思いますが、こういう意見を先生に申し出る発想が生徒にあったということも 今から考えたらすごいことなのかもしれません。

 また、毎日ではありませんが、給食の時間に、担任の先生でない先生と一緒に給食を食べていました。これは生徒会の意見でこうなったのか、教職員の考え方で、そのような制度ができたのか、よく分かりません。ちょっと覚えてないです。

 それはともかく他の先生と一緒に食事をすると、その先生の色々な部分が見えてきて非常に楽しかったことを思い出します。

 授業では分からなかった先生の過去とか、先生の家族構成とか、先生の出身地なんかが聞けるからです。授業中にそういう脱線を嫌う先生も、給食の時間に限っては、無礼講だった気がします。

 特に、国体で現役でバリバリ走っていた陸上を専門とする体育の先生なんかと一緒に食事をした時が面白かったです。まだ24歳ぐらいだったかと思いますが、自分のことをおじいちゃんとか、年寄りと言っていました。当時は「年寄りじゃないじゃん」と思っていましたが、陸上の競技会の選手の中では、老人扱いされていたのかもしれません。

 その先生は、陸上部の顧問の先生だったんですが、放課後になるとガンガン走っていました。特に大会が近づいている時には、日が暮れるまでグランドを一人黙々と走っていて、それを見て部活動に身が入らなかった生徒はいなかったと思います。そういう先生と、一緒に給食を食べる機会は、今思えば非常に貴重な時間だったと思います。





 給食と言えば思い出すのが、脱脂粉乳です。私が小学校二年生の時まで、給食に脱脂粉乳が出ていました。大きなやかんに脱脂粉乳を沸かして、それを六年生のお兄さんが各児童のアルミか何かのコップに入れて配ったものです。そして昼食を食べる時間が始まると、脱脂粉乳の入ったアルミのコップに湯葉がってきていて、それを先割れスプーンで食べてから脱脂粉乳をのみました。温められた脱脂粉乳は、時間が経つと表面に湯葉のような薄い膜ができていましたから、これをスプーンで最初にすくって食べないと、薄い膜が唇から垂れ下がることになります。

 この脱脂粉乳の話をすると、体験者のほとんどの人たちが
「まずかった」
と言いますが、みんな肝心なことを忘れている気がします。どんなに不味くても脱脂粉乳を残していた児童はいなかったという事実です。

 私が小学校三年生の時から、脱脂粉乳が廃止されて牛乳になったわけですが、これを残す子供たちが続出しました。特に冬になると冷たくて牛乳が飲めないと言う子供たちが多かった。私は牛乳が大好きだったので、そういう子どもたちからたくさんもらって、一日に五本も六本も飲んだ記憶があります。そして、瓶牛乳の早飲み男として有名でした。キャップをあけるところからスタートして3秒で飲み干し、5本を15秒で飲みきっていました。紙キャップをどうやって開けたかというと、前歯であけて飲んでいます。

 そんなことは、どうでもいいとして、どうして脱脂粉乳を残さなかった子供たちが牛乳を残したかと言うと、冷たかったからです。あと、当時の食文化のためか、胃袋が牛乳やチーズを受け付けない子供たちがいて、温かい脱脂粉乳を飲めても冷たい牛乳は飲めないと言う子供が少なからずいたのです。なので給食の時間になると、私は牛乳やチーズをいろんな友達からもらっていました。多い時には牛乳五個とチーズ十個くらいもらったこともあります。

 ちなみに牛乳が給食に出始めた頃、牛乳瓶ではなくて三角の容器に入っていました。その三角容器の牛乳の飲み方を先生から教わった記憶があります。その三角容器も、いつのまにかなくなって、牛乳瓶に変わっていきました。そうすると、牛乳を残す子供たちが少しずつ減ってきました。

 理由は、単純明快で、学校のストーブの上に置いてあるお湯の入った大きなタライに牛乳を入れて温める人が出てきたからです。真冬に冷たい牛乳が飲めなかった子供も、牛乳瓶を温めることによって飲めるようになったわけです。けれど、ここで事故が続発します。長時間牛乳を温めすぎると瓶の底が割れてしまうのです。なので学校のストーブの上のタライは、午後になるといつも真っ白になっていました。そして教室中に授乳の香りが漂っていたのです。

 話は令和時代に戻ります。息子が入学した時に驚いたのは、一年生なのに給食当番があるということです。私が子供の頃は、給食当番は三年生になるまでありませんでした。一年生の給食の配膳は六年生が行っていましたし、二年生の給食の配膳も五年生が行っていました。なので、五・六年生はお昼になると下級生の給食の配膳のために非常に忙しかった。

 なぜなら、下級生の配膳の後には片付けが待っていたからです。ところが、どの時代にも食べるのが遅い下級生がいました。食べられないおかずがあったりすると、さらに遅くなります。そういう低学年の子供たちがいると、片付けをしなければいけない上級生のの昼休みがなくなってしまうので、イライラしながら待ったものです。ひどいやつになると、
「食べられないんなら残しちゃえ」
と悪魔のささやきをつぶやくやからも少なからずいました。早く片付けてお昼休みに遊びたいからです。特に気の小さな女の子をそそのかして、こっそり残飯を捨てさせたりしたのですが、それが女の子の担任の先生に見つかって、女の子だけが怒られるということがよくありました。


つづく。

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2021年01月14日

半世紀前に存在した、とんでも授業【8】

 私が中学生の時の担任の先生は、教員免許もないのに25年間、隣の村の教員をやっていたことをホームルームで話していた。

 その先生は、神奈川県の人で、いわゆる高専か何かを出ていて、当時の一流企業に務める予定だったんですが、体が弱くて肺か何かが悪かったために、病気療養のために佐渡島に一時的に滞在することになった。

 その時に暇だったので、教員のアルバイトをしたそうです。アルバイトですから、ずっと同じ中学校に勤めています。それが25年間ぐらい続いて、社会が落ち着いてきて、面倒なことが起きたので、正式な先生になったらしく、私のいる中学校に転勤になったと言っていました。だからその先生は、25年以上教職をやっていながら、二つの中学校しか赴任してなかったことになります。

 このような例は、他にもあって、中学3年生の時の学年主任の先生も、長年のアルバイトから教員になった口でした。それも私の住んでいた街の隣の村のことです。なので、その隣の村では、そういうことをよくやっていたのかもしれません。

 ちなみに、その先生は特攻隊の生き残りで、終戦時に陸軍少尉だったようで、あと何日か戦争が続いていたら死んでいたらしい。つまりパイロットだった。この先生の授業が面白かった。爆弾を川に投げ込んで魚を取った話とか、 陸軍時代の青春物語がとてつもなく面白かった。そういう青春時代を送ったせいか、やたら青春もののドラマが好きで、特に太陽にほえろが大好きだった。太陽にほえろというのは刑事ものの青春ドラマで、若い刑事がやたらと走りまくることで有名なドラマです。

 その話を他のクラスの友人にしたことがあったんですが、そのクラスではそういう話はしないとのことだった。どういうわけか、私のいるクラスでしか戦争の話をしなかった。





 こういうことは、当時よくあって、近所のおもちゃ屋さんの親父さんなんかもそうで、その人は戦争中に空母瑞鶴に乗って戦ったことがある人なんですが、その話は気に入った子供がいる時だけにしか話してくれなかった。その親父さんの奥さんにも話してなかった。なぜ知ってるかと言うと、親父さんから聞いたことを奥さんに話すと、初めて聞いたと言ったからです。私は、 その店で戦闘機とか戦車のプラモデルをよく買ったので、その親父さんにとても可愛がられて、 いろんな戦争の話を来てくれたものです。

 その話が、体験者にしか分からない話なんです。例えば空母瑞鶴のプラモデルがあってそれをしげしげと眺めていると、その親父さんは、本当の瑞鶴は、このプラモデルのように綺麗な形をしてなかったんだよと言います。戦艦大和でも何でもそうだったらしくて、工作の具合によってゴツゴツしていたらしかった。魚雷が当たった時の振動がすごくて、あれに比べれば新潟大地震なんて大したことはないと言っていました。こういう話は、私が大きくなるにつれて話さなくなり最終的には店に出なくなった。

 そんなことは、どうでもいいとして、この特攻隊あがり先生とは個人的に仲が良かったので、どうして先生になったのか?と聞いたことがあったんですが、失業して実家でぼーっとしていたら、村から教師になってくれと頼んできたので、教員になったと言っていました。軍人上がりなので教員免許を持っていたかどうかは、非常に怪しいですが、教員をやりながら免許を取ったのかもしれないし、そうでなかったのかもしれません。


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 男たちの旅路(NHK)より借用


 他に面白かったのは、中学1年生の時に習った数学の先生です。この先生は非常勤の爺さん先生でしたが、専門は地理と言ってました。地理の先生がどうして数学を教えてるのかよく分かりませんが、かなりお年を召した先生で、教務室に机があったかどうかもう怪しいくらいの先生ですが、授業は飛びぬけて面白かった記憶があります。おそらく学校で一番面白かった。

 どういう風に面白かったかと言うと、
「1メートルの長さというものは、実際には存在しないんだ」
というのです。どういうことかと言うと、世界基準を決める1メートルの物差しがフランスにあるらしいのですが、そのものさしは金属でできているので、温度によって膨張したり収縮したりするらしいので、正確な1メートルというのは存在しないというのです。子供心に
「そんなことは知ってるよ。それを言っちゃおしまいだろう」
と思っていましたが、その先生の意図は、そこではなくて、数学というのは、全て仮定で出来ている。つまり1メートルという単位が、存在すると仮定の上で、ロジックを求める行為であるという。つまり数学とは、計算では無く、ロジックを証明する学問だというわけです。論理学であり哲学なんだということです。

 これは中学1年生の時に教えられるわけですから、良い意味でも悪い意味でも、とんでもない先生だったと思います。なので、授業そのものは、すごく面白かった。大学の授業を聞いているような感じだった。

 ただし、私はこの先生に習ってる間に、数学の学力を落としました。授業が面白くて大好きだったのに学力を落としてしまった。ロジックを大切にするあまり計算を求める先生ではなかったからです。なのでテストの点数が、よくなる先生というわけではありません。数学に興味を持たせてくれる先生ではありましたけれど、それで成績が良くなるわけではないところが面白いところです。

 そして中学2年生になって、別の先生になってから成績が格段にアップした。ではその別の先生の授業が面白かったかと言うと、全く面白くなかった。面白くないのにどうして成績がアップしたかと言うと、担任の先生であり、この先生の人間性が好きだったからです。どうしてか授業がつまんなくても、先生の人間性を好きになると、成績はアップするらしく、この先生の時に限って私は何回か百点をとっている。

 ちなみにこの先生は、学生時代に宝くじを当てて、高額の賞金をもらい、そのお金で、内定が決まっていた一流企業に就職する前に1年ほど佐渡島で療養する予定が、暇だったので佐渡で教師のアルバイトをしているうちに、25年間教員生活を続けてしまったと言う先生だった。

 私はこの先生のもとで、数学のテストが良くなりました。授業は面白くなかったんですが、成績が上がったことは間違いありません。この先生の数学に対する考え方は、
「数学は暗記科目である」
という考えです。この考えに現在の私も賛同してます。やはり数学は暗記科目です。私たちは、1+1=2をわざわざ計算していません。九九を暗記するように暗記しています。だから指を使って計算をしません。でも算数を習いたての子供は、指を使って計算します。暗記してないからです。

 そういう意味で、数学の公式も暗記しないと話にならないし、数学の問題もある程度問題を解いて、問題のパターンを暗記しないと成績が良くならない。それを教えてくれたのが、あまり授業の面白くない担任の先生でした。そういう意味で私は非常に感謝しています。

 では、授業がとても面白かった数学の先生に対しては感謝してないかと言うと、そういうわけではありません。この先生のおかげで、知的好奇心がものすごくアップしたからです。その先生の教え方では、数学の成績が良くならなかったけれど、逆に数学に興味を持つことができました。ギリシャ哲学に興味を持ったし、インド哲学にも興味を持つようになった。そもそもその先生は、数学が哲学であること教えてくれたわけですから、受験勉強に必要な問題集なんかに興味が持てるわけがない。もっと根本的なものに興味の方向が入ってしまって、中学校の勉強に身が入らなくなってしまった。

 そういう意味では、こういう面白い数学の先生というのは、中学生や小学生には毒かもしれません。人によっては薬になるかもしれないけれど、人によっては劇薬になる可能性があると思います。

 ただし、こういう専門外の非常勤講師というのは、人間の幅を広げてくれるかもしれません。文部科学省の教育指導要領からの呪縛がないわけですから、こういう先生の指導のもとから天才がどんどん生まれてくるのかもしれません。テレビで有名な、でんじろう先生なんかも、そういう先生だと思います。






つづく。

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posted by マネージャー at 12:09| Comment(0) | 教育問題を考えてみる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする