2017年12月28日

息子を連れて佐渡島へ 1

 うちの嫁さんは、毎月一回は息子を連れて里帰りをしています。おばあちゃんに息子を会わせるためです。私も「行ってきな。親孝行してきなよ」と、嫁さんに推奨しています。親が親孝行しないで、息子が親孝行な人間に育つ訳がないからです。

 そういうわけで、うちの息子はすっかりおばあちゃん子です。明日はおばあちゃんの家に行くんだよと言うと、非常に嬉しそうな顔します。夜寝る時も、明日はおばあちゃんの家行くんだよね、と何度も念を押します。そして、庭先でドングリやヤマボウシの実みを拾ってなんかを拾って「これをおばあちゃんに持っていこうかな」なんて言ってます。その光景が、とっても微笑ましかったんですが、ある時、息子がこんなこと言ってきました。

「タケルには、おじいちゃんは居ないの?」

 実は、嫁さんの父親は、かなり若くして脳腫瘍で亡くなっています。なので、息子の母方の祖父は、この世にはいません。しかし、私の父ならまだ生きています。ただし、85歳ぐらいなので、いつ仏様になってもおかしくない年齢です。

「タケルには、おじいちゃんは居ないの?」
「いるよ」
「どこにいるの?」
「佐渡島と言うところだよ」
「佐渡島?」
「タケちゃんは、 2年前に佐渡島に行っておじいちゃんになっているんだけれどね、それは2歳の頃だから覚えてないのかな? 」
「うーん」
「おばあちゃんだって、もう一人いるんだよ。タケちゃんには、おばあちゃんが二人いるんだ」
「ちがうよ、おばあちゃんは一人だけ」
「いやいや、二人いるんだ」
「えええええええええええええ、違う違う」
「本当だよ、二人いる。一人は館林に、もう一人は佐渡島に」
「違う違う違う違う」

 このような言い合いになったわけですが、息子は親と同じく、祖母は一人だけだと思っているらしい。なので、その誤解をとくように何度か説明するのですが、いまいちピンとこないようなのです。ああ、これは、実際に会わせなければ理解できないんだな・・・と、久しぶりに私の故郷・佐渡島に里帰りしなければならないと思うようになってきました。

「そうか、たまには佐渡島に帰ってみるか。いつまでも佐渡島のおじいちゃん・おばあちゃんが生きているとは限らないからね」

 というわけで、息子のために2年ぶりに佐渡島に帰ることにしました。今のうちに父方の祖父母にも会わせておいて、息子に思い出を作ってあげないと思ったからです。

 出発は11月6日。前日から準備して、朝の5時に車に乗って出かけました。新潟港9時20分出発のカーフェリーに乗るためです。車ごとカーフェリーに乗りますから、往復チケットをインターネットでカード決済で予約。これによって乗船料金がかなり安くなります。本当なら北軽井沢からだと、直江津まで行ってそこから佐渡島に行った方が早いのですが、 11月から直江津航路は閉鎖になっていました。なので、北軽井沢から新潟港まで高速道路を使って3時間で到着。カーフェリー「おけさ丸」に乗り込みました。

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 「おけさ丸」は、 5,860トンと大きな船で、授乳室・喫煙室・ゲームセンター・ペットコーナー・スナック・食堂・売店・イベントプラザ・コインロッカーとなんでもあります。私が子供の頃には、佐渡汽船の船はもっと小さくて海が時化ると、船酔いで大変でした。みんなゲロを吐くために、船のあちらこちらにアルミのオケがおいてありました。

 だから佐渡島の人間は船の乗り方をよくしています。窓側なんかに行かずに船の中央部に場所を取ります。そして進行方向に対して前すぎてもだめだし、後ろすぎてもダメです。前過ぎると波にぶつかって船が揺れて気持ち歩くなるし、後ろすぎるとディーゼルエンジンの振動で、これまた気分が悪くなります。

 あと島民は必ず場所取りの意味も含めて100円で毛布を借ります。毛布を広げれば、そこが自分の領土になります。で、元島民として毛布を借りに行って帰ってきたら、嫁さんと息子は窓際を占拠していました。
「窓際は酔うぞ」
と思ったんですが、まぁせっかくの船旅だし、白波も経ってなかったので、好きなようにさせることにしました。

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 毛布で場所取りをした後は、船内の探検です。なにしろ嫁さんも息子も海無しの群馬県民ですから、海の上に浮かんでいる船に乗っているだけでハイテンション。群馬県民は、海を見るだけで幸せになると言う変わった人種ですから安いものです。
 これが夏だったら、航行中にトビウオが飛んでいたり、船がイルカの大群に囲まれたりするんですが、今は11月なので、それは期待できそうもありません。

 代わりに売店で「かっぱえびせん」を買って、それをカモメたちに放り投げました。そしてアッという間にカモメたちは集まってきました。息子は、そんなカモメたちに大喜びです。

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 で、次は、息子の船内探検。
 疲れ知らずの息子は、二時間ちかく船内をウロウロ。
 全くもって休む気がありません。
 嫁さんは、三十分でダウン。

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 私も、いい加減嫌になってきたので、
 息子をレストランに誘ってアイスなどを食べてつつ休憩しました。
 ちなみに下の画像は、佐渡乳業の看板。

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 佐渡の牛乳・バターは、ここで作られますが、実は私の実家から徒歩1分のところに工場があって、小学生の頃に学校で見学にいったりしています。それが縁で学校帰りによく遊びに行ったものです。そして賞味期限切れの牛乳をもらったりしました。

 今からしたら信じられないことですが、昔は仕事している現場に近所の小学生が乱入できたんですよね。追い払われなかったんです。それで牛乳をもらったんですよ。で、学校の給食で牛乳を残していた奴が、「おっちゃん、牛乳クレー」と強請っていたんです。まあ、迷惑もいいところなんですが、そういう事が許された昭和時代という、のんびりした時代があったんです。

 ちなみに実家では、牛乳を取っていて、毎日6時頃に牛乳配達のおじさんがやってきました。その時の牛乳瓶のガチャガチャいう音に目覚めて、牛乳をとりにいったものです。私は、実家で牛乳を飲んで、学校給食で飲んで、工場で飲んだりしましたから、一日3本も飲んだことになります。

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 実は、この佐渡乳業の牛乳やバターは、知る人ぞ知る有名ブランドで、特に佐渡バターは軽井沢の高級レストランでもよく使われています。佐渡乳業の企画力・商品力は本当にすばらしいもので、北軽井沢も見習ってほしいものですが、残念ながら北軽井沢の「みるく村」は、よそに買収されてしまって、北軽井沢ブランドは無くなって、みるく村も今では見る影もありません。
 ちなみに現在の佐渡乳業は、規模が拡大して、佐渡島でも大きな会社になっており、ここに外海府ユースホステルの息子さんが就職しているそうです。話は変りますが、今回は外海府ユースホステルに泊まるのも目的の一つです。そして外海府ユースホステルを、ここを読んでる皆さんに紹介する予定です。おっと話がそれました。

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 上の写真はジェットホイルという高速船です。
 私は、一度も乗ったことがありません。
 値段が高いし、船はのんびりの方が好きなので。
 下の写真は、佐渡おけさを歌った村田文三です。
 ロビーに飾ってありました。

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 村田文三は、佐渡おけさや相川音頭を全国的な民謡にした功労者で、彼の節回しによって、佐渡おけさが日本を代表する名曲になったと言われています。もともとの佐渡おけさは、もっとテンポの速い曲で、誰にでも歌えるものでしたが、彼の歌が有名になって、現在の佐渡おけさになったと言われています。つまり、今の佐渡おけさは「村田文三さどおけさ」なんですね。

 ちなみに私が、ヨーロッパに行ったときに佐渡おけさを歌ったら、口の悪いドイツ人が「雑音にしか聞こえない」と言ってきたので、「こきりこ節」や「谷茶前節(たんちゃめぶし)」を歌ったら、大喜びで「すばらしい民謡だ」と絶賛。彼らは手拍子したり、踊り出したりしたので、おもしろいなあと思ったものです。

 こきりこ節も谷茶前節も、テンポの良い曲ですから、ヨーロッパ人に受けたのかもしれません。しかし、佐渡おけさは、ヨーロッパのどこで歌っても
「?」
という感じで、シーンとなります。彼らには、音楽に聞こえてないようです。雑音にしか聞こえてないんですよね。しかし、これが日本になると、逆で、佐渡おけさの方が、メジャーで、こきりこ節も谷茶前節もマイナー民謡ですからおもしろいですね。

(ただし西洋化された平成時代の日本では、こきりこ節や谷茶前節の方が、メジャーかもしれない。しかし昭和では、佐渡おけさの威力が凄く、私が上京した頃は、宴会の席で、佐渡おけさを踊れとか歌えとか良く言われたものでした)





 ようするに村田文三の節回しを理解できるのは、日本人だけがもつ右脳のせいかもしれません。世界で日本人だけが、特殊な右脳をもっていて、虫の音を言語や音楽として認識できることと関係あるかもしれません。このあたりは、脳科学がもっと進歩すると、分かってくるかもしれません。若い脳科学者に、佐渡おけさを使って、ヨーロッパと日本人の脳の反応実験をしてもらいたいものです。

 もっとも村田文三以前の佐渡おけさは、独特の節回しも無く、テンポの良い曲なので、これだったらヨーロッパ人に受けたかもしれません。しかし、それでは佐渡おけさが日本で大ヒットすることもなかったでしょう。やはり佐渡おけさは、村田文三あっての佐渡おけさなんでしょう。

 限に、村田文三の節回しは、民謡界の伝説であり、過去に聞いた人の話によると、体が震えるほどの芸術であったといいますから、村田文三の存在が佐渡おけさを有名にしたので間違いないと思います。

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 これは船内で食べた海鮮丼。
 息子が、休むこと無く2時間以上船を歩き回るので休憩です。
 息子の奴は疲れ知らず。
 嫁さんは船酔いでダウン。

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 そして、佐渡に到着。

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 船はやがて両津港に到着しました。実は、佐渡の両津港こそは、日本最初の鉄船建造をしたところです。ここで、日本で初めて船体構造に鉄材を使用した船が作られたのです。その船の名前は『新潟丸』で、明治四年のことです。

 安政5年(1858)、江戸幕府はアメリカなどと通商条約を結び、横浜、長崎、函館・神戸・新潟の開港を約束しました。そして、明治元年11月19日に正式に新潟が開港となります。そのときに両津が補助港となり、港湾工事が着工され、それが完成されると、新潟と両津を結ぶ、蒸気船を建造して外国人の旅客や貨物を運送することとなりました。

 そして英国造船技師マクニホールを雇い、造船場を建設し、鉄船を建造しました。明治四年のことです。それが日本最初の鉄船「新潟丸」です。意外に思えるかもしれませんが、明治以前の佐渡は、金山のために日本有数の工業地帯でもありました。製鉄に使われる木炭も豊富であり、砂鉄も多かったために、鉄の生産も豊かで、製鉄に関連する山の名前「ドンテン山」もあるくらいで、ドンテンロッジという山小屋もあります。なので、日本最初の鉄船を建造するのに適した土地であったわけです。

 そのうえ新潟港は、信濃川が土砂を運んでくるので浅瀬が多く、大型船の入港には無理があり、小型船でも他所から来た船は現地での水先案内人を付けないと座礁の危険がありました。そこで佐渡の両津港に陸揚げして、それから小型船で新潟に輸送するようになり、そのために両津の湊が繁栄しました。港としての機能は新潟よりも両津港の方がすぐれており、特に冬場は両津の方が積荷も多かったと言います。

 また、佐渡島民は、その巧みな操船技術によって、江戸時代から新潟に薪炭や魚を輸出して儲けていました。その代表格が、外海府ユースホステルの御先祖様たちです。今回の旅は、その外海府ユースホステルに泊まってマネージャーと話をすることも目的の一つです。で、すごい収穫があったわけですが、それについては、後日、ここにアップしましょう。

 佐渡島民は、江戸時代の佐渡は、奉行所の命令で鎖国体制をとっており、他藩と交流が無かったと思っているようですが、それはとんでもない勘違いなんですよね。松浦武四郎の佐渡日誌を読めば分かるとおり、鎖国どころか、その逆なんですよ。佐渡の資料しか読んでないから、そういう勘違いが起きるんです。他地域の資料を読んだら全く違ってくる。それについては、また後日。

つづく。

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2017年12月18日

軽井沢高原教会のクリスマスキャンドルナイト2017に行ってきました

軽井沢高原教会のクリスマスキャンドルナイト2017に行ってきました

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 星野グループが手掛けているだけの事はあって、その幻想的な様は訪れる私たちを圧倒します。広大な敷地に、何千というランタンが光を放ち、森の中を照らします。しかも、道行く人たちにランタンを貸してくれます。息子もランタンをお借りして、森の中を散策しました。あたりは人だかりの山です。ちなみに軽井沢高原教会は、大正10(1921)年に材木小屋で始まった「芸術自由教育講習会」が原点となり誕生した教会です。当時はキリスト教思想家である内村鑑三をはじめ、詩人の北原白秋、小説家の島崎藤村ら文化人が集い学ぶ場でした。

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 その空間をこよなく愛した内村鑑三は「星野遊学堂」と名づけ、布教の場としました。第二次世界大戦後は、星野遊学堂から軽井沢高原教会に改名。しかし「星野遊学堂」の木の看板は、今も変わらず建物の正面に掲げられています。教会前には高さ6mのもみの木ツリーが光り輝き、無数のランタンキャンドルとイルミネーションが森を照らし、とても幻想的でした。教会では、音楽礼拝や、ハンドベルの生演奏も行われています。

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【ハンドベルの調べ】 毎週金曜・土曜日 19:00〜、19:20〜、19:40〜 各回10分程
【ハープ演奏】 毎週日曜日、12/25 18:45〜19:00
【クリスマス音楽礼拝】 毎週日曜日 19:30〜20:00
【クリスマス特別礼拝】 12/25 19:30〜20:00
【クリスマスレター】 18:30〜21:00



つづく。

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posted by マネージャー at 23:59| Comment(0) | 中軽−ハルニレテラス・野鳥の森 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月17日

恵シャレーのマルシェに行ってきました

土曜日に恵シャレーのマルシェに行ってきました。ここ数年、星野グループのキャンドルナイトに押され気味だった恵シャレーでしたが、今年は、マルシェをやってて凄かったですね。屋台で食べた沢屋のピロシキ・揚げたてカレーパンは最高でした。ネパールのカレー・恵カレーも美味しかった。息子は、たき火で焼いた焼マシュマロに大喜び。ホットプリンも美味しかったです。

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焼マシュマロも美味しかった。
トッピングにチョコリンゴ。

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フランク

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チョコケーキと抹茶ロール

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チキンと大根のネパールカレー

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姉妹都市・大槌町の皆さんが、震災の時の支援のお礼に、やってきて、合唱とバイオリンを披露。すごく上手でした。しかも帰りに手作りの御菓子まで頂いてしまった。

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とにかく恵シャレー、がんばっていました。
マルシェも盛況で観光バスが何台も並んでましたね。

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ファイアーショーにコンサートも!

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つづく。

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posted by マネージャー at 23:52| Comment(0) | 旧軽−雲場池・恵シャレー・離山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月15日

四歳児を連れて槍ヶ岳に登ってきた その2

 日没後、私は外に出ました。風は相変わらずでしたが満天の星空。このぶんなら明日の早朝は、すばらしい御来光がおがめそうでした。しかし、山小屋に戻ったら外国人の団体と一緒の部屋にされてしまって、その外国人たちがうるさいうるさい。

 マナーを守らないことで定評のある国の若い団体さんたちと一緒にされるということは、「どうせ子連れ客の幼児(四歳)もマナーを守れんだろう」という偏見が、山小屋側あったのかなと疑いました。というのも他の日本人客の部屋は、ガラガラに空いていたからです。

 そもそも私たちは最初から隔離されるように、部屋を個室のように使っていました。後から次々とチェックインしてくる人たちは、他の部屋に行く。隔離感がはんぱなかった。

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 うちの息子は、どの山小屋に行っても、誰からも絶賛されるほどマナーがよい。絶対に騒がないので驚かれる。これは息子自慢ではなく、そういうお子さんは多いのではないかと思います。自力で三千メートル級の山に登る幼児ならば、そういう躾はできてると思う。

 ところが、うるさかった外国人の団体たちは、九時前には就寝。で、私たちが寝ている部屋はどの部屋よりも静かになってしまった。

「あれ? この部屋、あたりかも!」

 外国人の若い団体たちは、いびきをかかなかった。
 彼らの年齢は若かった。

 しかし、日本人の登山客は高齢者が多くて、いびきでうるさい。
 宿屋である私たちが山小屋利用するのは必ず平日なので、若い人たちなんかいやしない。
 九割が高齢者で酒飲み。
 だから必ずいびきの大合唱になる。

 山小屋は、二十人くらいの相部屋が多いので、その中には、五人くらいの睡眠時無呼吸症候群の人がいる。ましてや空気の薄い三千メートル級の山なら確実に症状が出る。おまけに彼らは山小屋で酒を飲んで寝る習慣があるので、よけいにいびきがうるさい。

 しかし、若い人にはそれがないのです。
 若者でいびきをかく人は少ない。

 私が、十七年前にユースホステルを開業した頃は、若い人たちばかりでした。なので相部屋スタイルのユースホステルでも何の問題もなかった。しかし、団塊の世代が定年退職しだした2006年以降は、急に中高年のユースホステル利用が増え出して、いびきの苦情が若い人たちから出始めてきた。そこで2006年以降は、耳栓を格安で販売するなどの対応をしたり、予約のアンケートでいびきをかくかどうかを教えてもらい、いびきをかく人の部屋を一般人と区別隔離したりした。それでも中々いびき問題は解決しないでいた。

 そのうち若い人たちが個室予約するようになり、いびき問題はユースホステルから自然消滅したわけですが、個室のない山小屋には、いびき問題がいまだに残っていた。そして、これだけは仕方が無いと私も諦めていたのです。

 ところが外国の団体さんは、多少マナーが悪いといえど、二十歳前後の人たちばかりですから、いびきはかきません。夜九時の消灯時間を過ぎたら、爆睡して無音の状態になる。私たちの相部屋は、どの部屋より静かで寝やすくなっている。ああ、この部屋割りは山小屋側の親切だったんだなと思うことにしました。

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 翌朝、さわやかな目覚め。

 そして朝食。またもや山小屋スタッフさんから御菓子をもらう息子は、とても嬉しそうでハイテンションでした。朝食を食べ終わると見事な御来光が登りました。私たち親子は、しばし朝日を眺めながら、うっとりです。

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「頂上だけれど、どうする?」
「風が強いなあ、四歳が登れる状態かどうか偵察に行ってくる。それまでパッキング(かたづけ)の準備していてくれる?」
「わかった」

 で、10分ばかりかけて、大急ぎで偵察に山頂まで登ってみたけれど、やはり強風。風速二十メートル近くもあります。この強風さえなければ、時間さえかければ四歳児でも登れるんですが、風が強すぎて息がしにくい。おまけに、低気圧が近づいており、明日は雨。もし、ここで無理して息子と登ってしまったら今日は確実に下山中に山小屋泊まり。そして明日は雨の中を何時間も歩かなければならない。


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 駄目だ、撤退しよう。

 撤退して今日中に上高地まで行って自宅に帰ってしまおう。今日中に帰ってしまえば、明日の幼稚園行事『芋掘り』に間に合う。息子が楽しみにしていたけれど、欠席させる予定だった行事に間に合う。ただし、そのためには、十二時間のコースタイムを歩かなければならない。しかも、終バスは十七時で時間制限がある。少なくとも十二時間で上高地に到着していなければならない。

 どうするべきか?

 槍ヶ岳の山頂で一分間迷ったあげく、少々無謀だけれど上高地までの下山を決意しました。息子の体力はわかっている。奴は想像以上にパワフルだ。登山中も槍ヶ岳山頂小屋付近では走って登っていた。私や嫁さんよりも元気だった。十二時間くらいの山道なら歩けるはずだ。

 それに万が一、終バスに乗り遅れたらタクシーがある。そのタクシーも十九時に釜トンネルが封鎖されるので、それ以降は使えないけれど、その時は一時間よぶんに歩いて釜トンネル前まで行ってからタクシーを呼べば良い。それなら勝機はある。そう判断しました。

 そして下山を決意したのです。

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 案の定、息子はハイテンションで下山。
 しかも下山ルートの紅葉は、逆光気味で美しい。

 ここを十二時間で降りるのはもったいなすぎるけれど、明日の天候を考えると仕方が無い。十月中旬ということを考えると下手したら雪の可能性もあるから、のんびりもしてられない。

 こういう親の気持ちは、子供にも感染するらしく、息子の足も速くなります。そして調子にのった息子は、途中、崖から滑落しかかかりました。私は、危ない! と絶叫しましたが、その時、奇跡がおきました。息子は自ら側転して身を守り怪我一つしなかったのです。

 私は息子に、前転、バク転、側転、逆上がり、逆立ち、受け身も教えていることはいるんですが、息子は一度も成功したことがありません。だから私は、息子の運動神経の無さに時々、絶望していたんですが、イザという時に側転を成功させて自分の身を守りました。この時ばかりは、教えておいてよかったと思いました。

 芸は身を助けると言いますが、身のこなしに関することは、たとえできなくても根気強く教え続ければ、それが役に立つ時がくるんですね。だから今後も教え続けることにします。

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 四時間かけて十一時に槍沢ロッジに到着。
 コースタイムどおりです。
 上高地まであと、五時間弱の距離。

 休憩一時間を含めても終バスまで六時間あります。なので昼御飯をとりました。息子は嬉しそうに、ビスケット・ソーセージ・サラミなどをほおばります。そして、あと五時間ほど歩いて上高地に十六時三十分に到着。これほどのハードスケジュールは、二十代の若者がメインの山岳会でも『風のたより』でもやったことがありません。それにもかかわらず、楽しそうに登山していた息子は大したものです。

 これは、うちの息子が凄いと言うより、幼児にはそれだけの潜在能力があるということでしょう。きちんと訓練し、疲れないように工夫し、装備と準備を万全にし、楽しいと思わせながら科学的に登山させれば、決して無謀なことではないと思います。

 また登山を行うと、NK細胞が増加して免疫力をあげてると言われています。厚生労働省のホームページに書いてあります。また登山によって足の筋肉を発達させると病気に対する抵抗力も増やします。筋肉は免疫力を上げて『がん』まで撃退してくれます。

 最新の研究で筋肉の健康効果が次々と明らかになっています。 筋肉から生まれる「グルタミン」という物質は、人間の免疫力の源である「リンパ球」を増やす事が分っています。これによって人間の免疫力が高まり、がん細胞をやっつけたり様々な病気になりにくくなります。

 なので息子は病気をしません。インフルエンザをうつされても一晩寝るだけで治ってしまいます。親は一週間も寝込むのにです。


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 話を戻します。

 槍沢ロッジから、横尾まで二時間。そして、横尾・徳沢園・明神と、徒歩一時間おきに山小屋があります。つまり一時間おきに山小屋で休みながら飲み食いするわけですから息子も大喜び。先を急ぎたいのは山々でしたが、息子を喜ばせることも忘れてはいけないので、山小屋で、ふだんできない贅沢もさせなければなりません。

 十六時三十分。上高地バスターミナルに到着。なんとか終バスに間に合いました。けれど、疲れたので私が
「タクシーで帰らない?」
と提案するも嫁さんは却下です。お金がもったいないと言います。もったいないも糞も三人分の差額は、たったの八百円なんですが、うちの嫁さんは、節約家なので露骨に嫌な顔をします。仕方が無いのでバスに乗ることにしました。

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 上高地からバスで沢渡の駐車場に到着。あとは北軽井沢に帰るだけでしたが、せっかくなので松本の日帰り温泉に立ち寄りました。息子は疲れ知らずで、温泉で大喜び。非日常を大いに楽しんでいました。そして回転寿司で久しぶりの魚を食べて帰宅。翌日は、幼稚園の芋掘りイベントに参加して、息子は大量のサツマイモを収穫してきました。

 子供園(幼稚園)を三日間もお休みしていたので、園の先生が、「どこに行ってきたの?」と聞いたらしいのですが、息子は「温泉に行ってきた」と答えたらしく、園の先生方は
「温泉に行ってきたんですねえ」
と私に言ってきました。私自身も「はあ」と曖昧に返事をしてしまいました。今さら槍ヶ岳といっても山を知らない人には「?」ということでしょうし、いちいち説明するのもかったるいので温泉に行ってきたということにしておこうかと。

 ようするに息子にとっては、槍ヶ岳よりも、温泉の方が印象深かったし楽しかったんでしょう。そして、よくよく考え見たら私も、そうたったかもしれないと思い返しました。登山後の温泉と寿司とビール。これが一番最高だったかもしれません。


つづく。

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2017年10月20日

四歳児を連れて槍ヶ岳に登ってきた その1

 久しぶりにブログを更新します。 十月に入ってから、雨ばかり降っていて憂鬱になってしまいますね。今年は、宿を大胆に休館して息子連れて登山ばかりする予定だったのですが、雨ばかりで大幅に予定が狂ってしまいました。今日も雨が降っていますが、気分直しに、 十日前に登った槍ヶ岳の話でもしようかと思います。

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 十日前といえば、ちょうど十月の連休があった時ですが、珍しく晴天に恵まれた連休でした。お客様が出発したあと、大急ぎで部屋掃除をして、十一時頃に、上高地に向かいました。連休最終日と言うこともあって道路が混雑しており、上高地に到着したのは十五時三十分でした。日没まで二時間を切っていたのです。

 四歳児を連れて上高地から槍ヶ岳に登る方法は、一種類しかありません。
 上高地・・明神池・・徳沢・・横尾・・槍沢ロッジ・・槍ヶ岳山荘のコースです。
 大人が普通に歩けば 往復二十四時間。
 やや健脚向きのコースで三泊四日のコースです。
 予備日を入れれば四泊五日でしょう。
 なので幼稚園にも一週間のお休みの電話をしました。
 息子が楽しみにしていた幼稚園行事もお休みです。
 宿屋も月曜日から金曜日まで休館にしてしまいました。

 上高地に到着したのが十五時過ぎ三十分。普通なら上高地で宿泊です。山小屋は、一般の宿と違って、チェックインの締め切りが早いのです。十七時を過ぎてチェックインしようものなら怒られます。山小屋によっては怒鳴られることもあります。

(もっとも現在ではそういうことも少なくなっているかもしれませんが、昔は「山をなめるな」と怒られていました)

 なので普通なら上高地で宿泊なのですが、天気予報を見ると、 三日後に雨が降る予報。急がないわけにはいかなかった。なにしろこっちは四歳の子供連れです。岩場の多い槍ヶ岳のルートを四歳児に歩かせるわけにはいかない。岩が濡れると非常に危険なのです。

 さらに低気圧が近づくと、空気が薄くなって高度障害(高山病みたいなもの)がおこりやすくなります。 四歳児にそれが起きると、それが原因で他の病気を併発することもあります。それらを考えると、少しでも先に進みたかった。なので、 三時間かけて横尾山荘まで歩くことにしました。

 もちろん山小屋の御主人に「非常識すぎる」と怒鳴られないように観光協会を通して予約を入れようとしたんですが、観光協会は「熊が出るから」と受け付けません。夜間に登山道を歩く行為は危険なので、私だってお客さんにお勧めしません。しかたがないのでパンフレットだけもらって、歩きながら自分で交渉をすることにしました。

「もしもし、横尾山荘ですか? 今日泊まりたいんですけど」
「今どちらですか?」
「明神の手前です」

 この答えは正確ではありません。
 まだ上高地にいたからです。
 でも上高地だって、明神の手前です。 四キロほど手前。
 そういう屁理屈で、相手をだまして予約の電話をいれました。

「明神からだと、到着時刻には真っ暗になりますけれどヘッドランプを持っていますか? 」
「もちろん持っています」
「何名様ですか? 」
「大人二人と子供が一人です」
「お子さんは何歳ですか?」
「年中組です」

 四歳と答えると、宿泊を断られる可能性があったので、あえて年中組と答えたんですが、それでも幼児連れとあって電話の相手は急に渋り出しました。

「明神で宿泊されたらどうですか?」
「どうしても今日中に横尾山荘まで行きたいんですよね」
「うちに泊まったことありますか? 山小屋ですよ」
「もちろん何度も泊まったことあります。何十回も止まっています。息子も山小屋に何度も泊まったことがありますので大丈夫です」
「でも幼児ですよね」
「三歳の頃から自分の足で三千メートル級の山に登っていますので素人ではありません。御心配をおかけすることはないと思います」
「・・・・」

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 こうして粘り強く交渉した結果、なんとか宿泊予約が取れたのですが、冷や汗ものでした。もし上高地から電話していることがバレたら確実に断られていたでしょう。だから「明神の手前」と嘘も方便をつかったわけです。

 ちなみに一般的な山小屋は十七時に夕食です。
 そして二十時頃に消灯となります。

 しかし横尾山荘は、十九時までに食事を取ればいいと言ってくれる。ずいぶんのんびりしてるなぁと思ったのですが、その理由が後で分かりました。私たちと同じように遅く到着する旅行会社の登山パーティーの予約が入っていたからです。関西からバスに乗って上高地に来る登山系旅行会社(◆◆旅行社)の団体さんが、私たち親子の前を歩いていたからです。

「うわー、ガイド付きとはいえ、これはありえんわ」

と、自分たちのことは棚に上げて呆れながら後をついていきました。歩く速度も速くて、駆け足に近い速度です。もちろん私たち親子も、ほぼ駆け足に近い速度で歩かないと、日没となって危険になるので急ぎ足です。途中、団体さんを追い抜いて、横尾山荘に到着したのが十八時前。辺りは真っ暗でした。

 横尾山荘の御主人は、非常に優しい方で、ベットは添い寝・食事は取り分けにしてくれました。おかげで安く泊まれました。この山小屋は、幼児連れに対するサービスが良く、風呂も豪華でした。日本一豪華な風呂がある山小屋だと思います。

http://www.yokoo-sanso.co.jp/
http://www.yokoo-sanso.co.jp/information

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息子は久しぶりの山小屋泊に大喜びで、はしゃぎまくっていましたが、なんとか他人に御迷惑をかけずにすみました。ここで息子は山小屋式トイレを経験し、大きなウンチを排泄。消灯は二十一時。朝食は五時の山小屋式タイムスケジュールも体験します。

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 翌朝、私たちは槍ヶ岳を目指しました。四歳児連れの槍ヶ岳方面の出発は、かなり目立ったようで、大勢の登山客が息子を応援してくれます。息子の方も調子に乗って、先頭を歩きたがります。そして槍ヶ岳から降りてくるお客さんを見つけると大きな声で
「こんにちわ!」
と挨拶をします。するとお客さんから

「すごいなぁ」
「何歳かな?」
「がんばれよ」

と応援してくれるので、それが非常に嬉しかったようです。私が息子を追い抜いて先頭に出ようとしようものなら、烈火のごとく怒り出して、ブロックしてきます。自分が先頭を歩かないと気が済まないようです。そして、大勢の登山客に挨拶します。

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 と、このように書くと、うちの息子はさぞかし運動神経が良いだろうと思われがちですが、そういうわけではありません。運動会のかけっこでは、いつもビリです。 十メートルくらいは普通にはなされてしまいます。キャッチボールも五メートルまでで、それ以上の距離が離れるとボールが届きません。バク転も、逆立ちも、逆上がりも、教えてはいるのですが、まだ無理です。 三月生まれのハンデを考慮したとしても、決して運動神経が良いとは言えません。

 要するに息子の運動能力は登山に特化したものなんです。

 かけっこが遅い理由も、登山に特化したためです。私は何度も、山道を走る息子を叱っています。登山道を走ると大怪我するからです。そのために息子は、いつも五割の力でしか走らなくなりました。唯一の例外が浅間牧場で、一面芝生だらけなので、浅間牧場では全力疾走を許しているので、この場所だけでは親よりも速く走ります。けれど、他の登山道では走ると私に怒られるので、ゆっくりとしか走らなくなりました。なので、幼稚園でかけっこをすれば、必ずビリです。

 また、登山という世界は、楽しみながら歩くのがメインですから、競争するという考えもありません。私たちの登山スタイルは、疲れたら休む。そしておやつを食べる。だから息を切らして山に登ることはないんです。

 そもそも四歳児の幼児が息を切らしてまで登山道上ることなんてありません。もちろん親の私は重い荷物を背負っているので、ハァハァーゼーゼー言いながら登りますけれど、息子は息を切らしてまで登りません。疲れたら
「疲れた」
と言って立ち止まります。

 だから、息子が疲れないように、長年培ったテクニックを使います。アミノバイタルゼリーやアミノ酸系ドリンクを飲ませるんです。そうすると疲れないし、水分もとれます。案内表示ごとに写真を撮ったり、おやつを食べたりしてやる気を出させます。

 パブロフの条件反射のように「山を歩くイコールおやつを食べる」というのを徹底的に脳に植え付けるんです。そうすると嫌でも登山好きになってしまいます。また、下山後は、かならず温泉に入って、息子の好物を与えています。最後が楽しければ、楽しかった思い出しかのこりませんので、こうやって簡単に洗脳します。そのために登山すると逆に体重が増えるという逆転現象がおこります。

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 実は、この方法は、登山に限らず、いろんなことに有効でした。 二歳〇ヶ月の時は、この方法によってひらがなカタカナ数字アルファベットなどを二週間ぐらいでマスターさせています。三歳〇ヶ月の頃は、漢字を読めるようにしました。ただし、書けるようにはなっていません。指の力がないうちに文字を書かせるのは危険なので、これは五歳になるまでやらないようにしています。

 話がそれました。
 槍ヶ岳登山の話です。

 横尾山荘から槍ヶ岳までは、普通に歩くと八時間ぐらいかかります。この八時間時間というのが、くせ者で、どんなになだらかなコースでも八時間以上歩き続けると、急激に体に負荷がかかるんです。だから八時間で槍ヶ岳に到着しなければいけません。

 昔、『風のたより』という旅人の集まりで、二十代の若者を数十人連れて、横尾山荘から槍ヶ岳山荘を目指したことがあるんですが、残念ながら到着しませんでした。槍ヶ岳の手前の殺生ヒュツテと言う山小屋までしか到着できなかったんです。

 距離が長かったこともありますが、標高が高くて空気が薄いために体調崩した初心者が多かったために、八時間で殺生ヒュツテまでしかいけなかったんです。あと一時間かければ、槍ヶ岳山荘に行けなくもなかったんですが、その一時間オーバーが、命取りになることが多いんですよね。だから八時間以上の登山になると、
『残業タイムに入った』
と言って、登山リーダーは要注意で、メンバーの様子を見るわけです。

 必要以上に息を切らしてないかとか、靴擦れをしてないかとか聞いた上で、唇を見たり、手の爪を見たりするわけです。そして、極端に紫色の唇をしてる人がいたら要注意なんです。その人は、それ以上歩かせたら、高度障害になる可能性が出てくる。そのあたりは三十年間の登山ガイド経験で、嫌と言うほど体験しているので、四歳児をコースタイムどおりに登らせなければならない。

 で、息子と嫁さんに、後先を考えずに、アミノバイタルやアミノ酸飲料を断続的に与えました。最初は、三十分ごとに休憩して与え、終盤には十分おきに休憩して与えました。休憩時間は一分。それ以上休むと筋肉が固まるから、終盤は小刻みに休憩で、おやつを食べてるんだか、山を登ってるんだか分からなくなるような登山になります。

 私は、もっぱら写真撮影。
 槍沢カールの紅葉は、それは美しかったです。

 みんな紅葉を目指して涸沢とか天狗原の方に行きますけれど、槍沢だって決して負けてはいません。もちろん穂高連峰の魅力も捨てがたいものがありますが、あそこは四歳児には、ちょっと岩場の難易度が高すぎるんです。槍ヶ岳なら、頂上付近を除いて四歳児でも充分に登れるコースですから、穂高連峰は息子は五歳になるまでとっておきます。登るなら来年以降です。

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 十四時。槍ヶ岳山荘に八時間かけて到着。直ちに槍ヶ岳山頂に登ろうかと思ったんですが、稜線上は風速二十メートル近い強風。頂上への登り口に行ってみたら強風のあまり息子は立っているのがやっと。息するのさえ苦しそうで今にも泣き出しそうでした。
「これは無理だな」
と思ったので、頂上アタックは、翌朝に変更して山小屋でゆっくり休むことにしました。

 ちなみに槍ヶ岳山荘では、幼児の添い寝というシステムはなく、四千円くらいの幼児料金が取られます。取り分けのシステムもなくて、取り皿も出してもらえません。ここが八ヶ岳の赤岳山頂小屋と違うところです。

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 しかし山小屋自体は豪華な建物で、料理も美味しいです。うちの息子は、スタッフの人から御褒美のおやつをもらっていました。きっとお子さんがおられるスタッフさんだったのでしょう。四歳児が標高三千メートルの山小屋まで八時間かけて自力で登るということが、どれだけ苦労するのか、どれだけ凄いことなのか自分が子育てしてみて分かっているんだと思います。それが証拠に、若い登山家には、四歳の息子をみても無反応ですからね。

 ちなみに息子は、よほど腹が減っていたのか、御飯が美味しかったのか親の御飯の大半をペロリと食べちゃいました。こんなことなら取り分けにしなければよかった。食事を三人前注文すべきだったと後悔しました。それだけ御飯が美味しかった。

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 ただし、一部の登山家には大変不評でした。というのも山小屋でビールを売ってなかったからです。

「ホームページに山小屋で飲むビールは最高に美味しいと書いてあるから、それを期待して登ったのに、次のヘリの便でも送ってこないなんて詐欺だ」

と怒っていました。うちの嫁さんは「なんでそんなことで怒るんだろう?」と、そういう人たちをクレーマー扱いしていましたが、これは文句を言う人の言い分が正しいと私は思います。ビールは売り切れて、その補充を今後しないんであれば、ホームページにそれを書くべきだったでしょう。
「山小屋の終了が近いのでビールの補充ありません」
と書いてあれば、登山家の連中は自分でビールを持参して登山したと思います。それを書かずに「山小屋で飲むビールは最高」とホームページで宣伝して、欠品してもビールの補充をしたいのであれば、ビール党に言わせれば詐欺師に騙されたも同じです。うちのスタッフの土井くんだったら怒り狂っていたかもしれません。

 ただし、私ならビールなどのお酒は飲みません。高度障害にかかりやすくなるからです。ましてや低気圧が接近してるなら尚更です。念のために息子の体調を確認してみたら全く異常ありませんでした。相変わらず健康そのもので、ハイテンションになって談話室のクライミング練習用の壁を登って遊んでいます。
「こいつは、どんだけ元気なんだ!」
と呆れかえりました。

 それに対して嫁さんは唇が紫色。高度障害になる可能性がありました。無理もありません。出発直前まで連休で満室の宿をきりもりしていたからです。睡眠不足で高度障害にかかりやすくなっていたのです。しかし心配してませんでした。薬も与えているし、対策も伝授しているからです。第一、私たち夫婦は、槍ヶ岳に十数回登っているからです。

 私は、みんなが寝静まったあと、こっそり外に出ました。
 風はあいかわらずでしたが満点の星空でした。
 このぶんなら明日の早朝は、すばらしい御来光がおがめそうなかんじでした。

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つづく。

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posted by マネージャー at 21:35| Comment(2) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする