2011年02月01日

高峰山スノーシュー

高峰山スノーシュー
今回のメンバーです。

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小さなキツツキ、コゲラを発見。

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頂上です。

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つづく

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ユースホステルは甦るのか?19

ユースホステルは甦るのか?19

 初期の頃の日本ユースホステル協会というか、中山正男氏は、大きな風呂敷を拡げるのが好きだったようです。公営ユースホステルを飲み込んだのもそのためだったようです。利用者の便宜をはかるためでもあったでしょうが、公営ユースホステルの有る無しでは、統計が違ってくるのです。年間の総宿泊利用者数が違ってくる。

 中山正男氏は、何でも一番が好きだったので、利用者の数、会員の数、ユースホステルの数が多いのが好きだった。で、公営ユースホステルを飲み込むなどの努力の結果、世界で2番目のユースホステル大国になったわけです。一番は、ユースホステル発祥の地であるドイツです。ドイツは、国ぐるみでユースホステル運動に力を入れているので1番。そして2番目が日本です。

 ここで重要なことは、1番と2番が第二次大戦の敗戦国だったという事実です。
 しかも2番が有色人種の国だった。





 ユースホステルの発祥はドイツであると言っても、ドイツは第二次大戦以降、しばらくは国際ユースホステル連盟に加入もさせてもらえませんでした。連盟の本部は、イギリスにあるのです。ドイツは、ヒトラーの時代に国際ユースホステル連盟を脱退しています。そのドイツが1番になった。国際ユースホステル連盟の会長もドイツ人が就任した。そして日本が2番になった。国際ユースホステル連盟の副会長に横山祐吉氏が就任した。

 これは、当時の状況から考えると凄いことなのです。

 これは、今の若い人には分かりにくいことかもしれませんが、第二次大戦も人種差別は凄かったのです。うちの嫁さんは、1972年生まれですが、その1年前までアメリカでは黒人に選挙権は無かった。横山祐吉氏が戦後の青少年運動指導者としてアメリカ視察に行ったとき、黒人のレストランに入ったわけですが、ものすごい大歓迎された。
「どうしてだろう?」
と不思議に思っていると、店のオープン以来はじめて黒人以外の人間が入店したからです。そのぐらいに世界中の人種差別は凄かった。

 東京オリンピックのときなど、はじめて大半の選手が閉会式まで帰らなかった。これはオリンピック史上初のことで閉会式には、世界中の選手が喜びながら入場してきた。日本のオリンピック関係者たちは「何故だろう?」と不思議に思って選手たちに聞いてみたら、彼らはこう答えました。

「日本人は有色人種の俺たちと、なんの偏見もなく握手してくれる」

 スポーツの世界でも、このくらい人種的な偏見は強かった。





 そんな中で、ましてや敗戦国の日本は、ものすごく肩身が狭かった。
 敗戦国というだけで世界中からバッシングされた。
 たとえば、戦後間初のオリンピックには敗戦国には参加資格を与えられなかった。
 ブリュッセルの南極観測の会議では
「なぜ日本がここに いるんだ。敗戦国日本には国際舞台に上がる資格はない」
と非難されました。

 それに反発した日本が南極観測参加に申し込んだとき、日本に割り当てられた観測場所は、南極東部のプリンス ハラルド海岸というアメリカ・イギリスなどの戦勝国が、7回も上陸を試みて失敗している場所を日本に押しつけてきた。アメリカ海軍の報告書には、接岸不可能と記されていた場所でした。よーするに、そういう嫌がらせさせられたわけです。しかし、その絶対に上陸不可能と言われたところに第一次越冬隊は上陸して、世界中を驚愕させる観測データーを持ち帰った。日本は、こういう差別と戦っていた。





 もちろんドイツも敗戦国だった。
 しかし彼らは人種差別されることはなかった。
 そういう世の中で生きてきたのが中山正男氏であり横山祐吉氏だった。
 これがわかってないと中山正男氏が大風呂敷を拡げる理由がわからないかもしれない。

 中山正男氏には、ユースホステル運動をもって世界に日本の国威を示そうという気概があった。横山祐吉氏に、それがあったかは定かではない。しかし、あったと思う。で、何をしたかというと、日本でユースホステルの国際会議を開いた。飛行機をチャーターしてホステラーをじゃんじゃん海外に送り込んだ。そして大儲けして、その資金を国際ユースホステル連盟に対するロビー活動に使った(のではないかと言われている)。


 そして、横山祐吉氏らは国際舞台で大活躍をするのです。しかし、どんな活躍をしたのかが、今ひとつ分かっていません。しかし、大活躍したことは間違いない。というのもドイツユースホステル協会が、横山祐吉氏を特別扱いしているからです。横山祐吉氏の墓が、リヒャルト・シルマンの墓の隣にあるからです。

 これは、ものすごいことであり、この事実を現在のドイツユースホステル協会の関係者の大半が、知っています。ウィルヘルム・ミュンカー(ドイツユースホステル協会の産みの親)の墓が何処にあるのか知らないドイツユースホステル協会の人も、横山祐吉氏の墓がリヒャルト・シルマンの墓の隣にあることは知っている。そういう人に私は何人も出会っています。つまり、そのくらい横山祐吉氏は、ドイツで知られている。


ウィルヘルム・ミュンカーの墓
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リヒャルト・シルマンの墓
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横山祐吉の墓
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つづく

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2011年02月02日

フレンチレストラン『フィガロ・クラシクゥ』に行ってきました。

フレンチレストラン『フィガロ・クラシクゥ』に行ってきました。
この店は、2009年にオープンした新しい店。
親子でやっています。

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店は新しいですが、前は前橋で
30年間やってたフレンチシェフなので
腕はいいと聞いていました。
本当なのか調査してきました。

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場所は、浅間牧場のちかくにあります。
国道146号線の軽井沢よりです。

群馬県吾妻郡長野原町大字北軽井沢1990-3280
TEL 0279-84-6553


フレンチだから値段が高いのかなと思いきや、
超リーズナブルでびっくり。
もちろんコース料理もあって、3800円から。

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店内の感じ

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ランチは1000円と1500円があります。
1000円のポークソティーと
1500円の三陸海岸の牡蠣フライぉたのみました。
ランチは、数種類から選べます。


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牡蠣フライは大きいのでびっくり。
そして3つのサイズがバラバラ。
冷凍でないことは、これでわかります。

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ポークも分厚く大きかった。
そして柔らかい。
叩いて柔らかくしてあるのではない。
肉そのものが上質。

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デザートつきでした。
これで、この値段なら安い。

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あと感心したのが、接客のしっかりしているところ。
値段も安いし、ツアー帰りのランチ(15時まで)に使える店ですね。
この店は、御客様におすすめできます。

つづく


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2011年02月03日

ユースホステルは甦るのか?20

ユースホステルは甦るのか?20

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 日本ユースホステル協会を創設した中山正男氏は、大きなことをやることが好きでした。大風呂敷を広げることが大好きだった。で、日本ユースホステル協会を巨大化させることに全力をつくしました。彼の目標は、日本ユースホステル運動を大きくして派手な活動を行って世間を驚かせる。大雑把に言えば、これにつきたと思います。彼の本質は無思想であり、あるのは浪花節と人情のみ。親子愛のみ。戦後、政治も思想も教育も何もかもが変わった中で、普遍だったのが馬喰一代の親子愛だった。その親子愛の延長が彼にとってのユースホステル運動だった気がします。

 これに対して横山祐吉氏には、明確なグランドデザインがあった。しかし、それを中山正男氏に訴えた形跡は無い。いや、訴えなくてもよかった。中山正男氏は、そういう細かいことには口出ししなかった。横山祐吉氏に全部任せていた。ただ、大法螺を吹いてその実行を命令するのが中山正男氏の癖で、その大法螺は、必ず実現されてしまった。そのために日本ユースホステル協会は、わずか二十年で、日本最大クラスの財団法人にまで発展しました。


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 横山祐吉氏は、そういう発展の中で着々と自分の計画(グランドデザイン)をすすめていった。計画(グランドデザイン)とは、ユースホステル協会を目的をもたない団体にする。つまり脱イデオロギーな団体にすることです。目的は、個人個人にまかせてしまおうというのが横山祐吉氏の考えです。つまり会員には『自助の精神』を持たせるのが横山祐吉氏の考えです。

 それに反抗したのが、静岡県ユースホステル協会の会長である鈴木重郎氏です。
 彼は、それではまずいと言った。
 ユースホステル協会としての目的を持つべきだと言った。
 そして自助の精神よりも社会を改革していくことが大切であると述べました。
 鈴木重郎氏と横山祐吉氏は、思想の上で真っ向から対立していました。

 ところが、思想上、対立はしていても、
 横山祐吉氏が反論した形跡は無い。

 横山祐吉氏は、鈴木重郎氏の言論を塞いでない。自由に言わせている。そして、静岡県協会の活動も自由にやらせている。鈴木重郎氏を日本ユースホステル協会の理事として迎えている。ただし、本部の人事には口出しさせてないし、本部では横山祐吉氏の権力は強かった。そのうえで鈴木重郎氏を役員として丁重に迎えている。このへんが面白いところです。


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 ちなみに鈴木重郎氏は、日本青年団協議会の初代事務局長です。横山祐吉氏は、2代目事務局長です。そして初期の頃からユースホステル運動に関わってきた人であり、古いつきあいをもっています。しかし、お互いは決して仲がよいとは言えなかった。鈴木重郎氏は、社会党の人で左寄りだったということもあります。日本青年団協議会時代には、文部省に喧嘩を売り日本青年団の思想をリードした人でもあります。

 ところが横山祐吉氏は、そういった『特定の思想』が嫌いだった。だから鈴木重郎氏が何度も
「ユースホステル運動の指針を示せ」
「ユースホステル協会は長期計画をたてろ」
「総括をしろ」
と言ったにもかかわらず無視を続けた。

 さらに鈴木重郎氏は、いろんな事を言っている。理事会の発言でも、凄いことを言っている。そして、彼の発言の全てが正論づくめなのです。会員の役員の選挙権を認めろとか、でなければ、どういう趣旨で活動しているか明確に示せとか、今から思えば正論過ぎるくらいに正論を言っている。

 もし、ユースホステル協会のやっていることが青少年運動だとしたら趣旨が分からなければ詐欺ですよね。どんな趣旨か分からないNPOに金は出せない。逆に趣旨が明快でないならば、それはサークルと同じだから会員に選挙権がなければおかしい。そうじゃなくて、趣旨が曖昧で、会員に選挙権が無いとしたら、ユースホステルの会費は、どういう性質なものになってしまうだろうか?

 運動に対する寄付でもなく、
 サークルに対する会費でもない。
「じゃあ何だ?」
 と問われると答えは一つしかない。

 利用権。

 しかし、会費が利用権ならば、公営ユースホステルが全国に網羅されたら誰も払わなくなる。公営ユースホステルが網羅されないとしても、類似施設(つまり民宿やゲストハウスなど)の誕生で誰も払わなくなる。そうなると類似施設によって既存のユースホステルは、滅びるぞと鈴木重郎氏は、昭和五十二年頃に叫んでいた。

 この鈴木重郎氏の洞察は、正論すぎる。
 天才的な推察としか言いようがない。
 さすが横山祐吉氏のライバルであっただけのことはある。

 しかし、鈴木重郎氏が叫んだ頃は、中山正男氏も横山祐吉氏は墓の中でした。この鈴木重郎氏は、いつも正論を述べる。この正論だけで日本のユースホステル運動が、ここまで大きくなったかというと、そういう事は無いと思う。また彼の正論によって、日本ユースホステル運動は政治的な活動に足を突っこんでしまったかもしれない。日本青年団協議会のように。当時の若者というのは、無茶苦茶に暴走しましたから政治的な団体活動をするようになってしまったかもしれない。だから横山祐吉氏は、脱イデオロギー化をめざした。そのへんの事情は私にもよくわかる。


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 しかし、横山祐吉氏は「脱イデオロギー化をめざした」とは言わなかった。いつも禅問答で、のらりくらりと逃げた。自分の思想さえも無臭化してしまい、横山祐吉氏が何を考えているのか? 近い人にさえ誰も分からないという状態のまま放置し、墓の中に入ってしまった。残された日本ユースホステル協会の職員にしてみれば、いい迷惑だったかもしれない。


つづく

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2011年02月04日

ブレイクダンスの世界大会で、回転忍者が、凄すぎる件

ブレイクダンスの世界大会で、回転忍者が、凄すぎる件

おしくも優勝は逃しましたが、
回転忍者の最後のダンス
「涼宮あつき」のダンスはですね!
秘技ピサの斜塔には脱帽!
アメリカの観客総立ちで盛り上がっています。

残念ながら敗れましたけれど、
その判定に会場のアメリカ人がブーイング。
アメリカの観客は、みんな回転忍者の味方でした。
そのくらい観客を魅了したということか!






回転忍者のもう一人のスーパーヒーローは、りゅういちさんという人らしい。
体操のオリンピック選手なみの技術です。








これは回転忍者どうしのバトル。
涼宮あつきVSりゅういちの戦い。




ちなみに涼宮あつきは、バリバリのオタク。
秋葉原で覆面で踊っていたという噂もある。


もうすぐ50歳だけれど、ブレークダンスやりてー!


つづく

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ユースホステルは甦るのか?21

ユースホステルは甦るのか?21

 この鈴木重郎の洞察は、正論すぎる。
 天才的な推察としか言いようがない。
 さすが横山祐吉のライバルであっただけのことはある。

 しかし、彼の正論によって、日本ユースホステル運動は政治的な活動に足を突っこんでしまったかもしれない。日本青年団協議会のように。


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 横山祐吉が働いた日本青年館は、田澤義鋪が作ったようなものでした。つまり田澤義鋪こそは、青年団の父親みたいなものでした。で、田澤義鋪は徹底した自由主義者だった。青年たちに愛情をそそぎながらも彼らには自助論の精神で接しました。社会を改革するのではなく、おのれ自身の向上を説いたのです。つまり骨の髄から自由主義者だった。

 そういうことろに熊谷辰治郎や横山祐吉が弟子入りした。
 当然のことながら2人とも自由主義者になります。
 何度も憲兵に連行されるくらいですからバリバリの自由主義者です。

 ところが、バリバリの自由主義者になってしまうと、その自由主義の原理によって、国家社会主義の本まで作ってしまうことになる。自由主義というのは、言論の自由を認める主義ですから、自由主義の敵であってもその言論を封印することはない。だから青年団が欲しいと言ってくれば、たとえ自分の信念とは違う本でも出版してしまう。熊谷辰治郎も横山祐吉も、そういうことをやっていました。

 ところが田澤義鋪が、そういう行動を怒ったわけです。
 で、熊谷辰治郎と横山祐吉は驚いた。

 この二人の弟子たちは、自由主義者であるはずの田澤義鋪に怒られて目を白黒させたわけです。自由主義者のしせに国家社会主義の思想の入った本を出版してはならん怒り出す。これじゃ自由主義者の原則にはずれているではないかと。本物の自由主義者なら自分と違う意見も認めるはずでしょ? 田澤義鋪先生は、ちょっと矛盾しておるぞと。そのように思ったわけです。


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 しかし、それから何年もたたないうちに日本から自由な言論が無くなってしまった。田澤義鋪も日本青年館から追いだされ、次郎物語の下村湖人も青年団研修所を追放されてしまった。気がついたら日本青年館には、バリバリの国家社会主義たちが占拠していて、ヒトラーユーゲントを歓迎する準備をしていた。そして初めて横山祐吉は、
「ああ、こういうことだったのか」
と思ったわけです。田澤義鋪先生は、これを防ぎたかったんだと。

 横山祐吉は、こういう体験を戦後にもしています。

 GHQが潰そうと考えていた日本青年館を守り、日本青年団の復興のためにがんばり、日本青年団協議会をたちあげて事務局長までやったにもかかわらず、青年団の政治的な活動の中でしだいに干されていくのです。仕事が無くなるのです。その時も、こう思ったはずです。ああ、こういうことだったのか。田澤義鋪先生は、これを防ぎたかったんだと。

 この2つの体験によって横山祐吉は、脱イデオロギーをめざすなら
 権力を使ってでも、専制君主になってでも、
 たとえ正論でなくても、
 筋が通って無くても、
 日本ユースホステル協会をイデオロギーから守りたかった。


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 だからライバル関係にあった静岡県ユースホステル協会の鈴木重郎氏が、
 どんな正論でもって議論をしかけても横山祐吉は微動だにしなかった。
 正論が、良い結果をもたらすとは思ってなかったのでしょうね。


 ちなみに横山祐吉の師匠である熊谷辰治郎は、
 戦後の日本青年団に正論で戦いをしかけました。
 日本青年連盟なる別組織を作りました。
 だから日本青年団協議会のメンバーの一人は熊谷辰治郎に殺意を覚えたとまで言っています。

 しかし、横山祐吉は、中山正男氏と相談して違う方法を撰びます。
 日本青年団協議会と揉めません。
 結論を言うと円満退職します。

 横山祐吉は中山正男氏に相談すると、
「だったら日本ユースホステル協会の事務局にこい」
と言います。

 しかし、日本ユースホステル協会には金がない。横山祐吉に払う人件費が無い。3人の子供が大学に行ってるので横山祐吉は無給では働けない。ただ、日本青年団協議会の方もできれば横山祐吉氏を追い出したかった。

 で、中山正男氏は、日本青年団協議会と繋がりのある静岡県ユースホステル協会の鈴木重郎氏と一緒に、東洋醸造所(静岡県)に出かけていった。中山正男氏にしてみれば、横山祐吉を日本ユースホステル協会の戦力にしたいし、日本青年団協議会にしてみれば、うるさい爺さんには消えて欲しい。で、鈴木重郎氏と中山正男氏の利害が一致して東洋醸造所(静岡県)に出かけていった。そして

「日本ユースホステル協会で横山祐吉氏を使いたいので毎月いくらかの金をくれませんか」

と御願いしました。


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 そして毎月5万円(当時としては大金)の援助をしてもらえるようになった。
 名古屋市内の会社で、高卒初任給8200円の時代の5万円でした。
 その御礼に東洋醸造所の社長が、日本ユースホステル協会の2代目会長になったわけです。
 ある意味で横山祐吉にとって、中山正男氏と鈴木重郎氏は恩人でもあった。
 で、横山祐吉は恩は決して忘れないタイプの人間でもあったようです。


つづく

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posted by マネージャー at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月05日

ル・ポミエ (Le Pommier)

ル・ポミエ (Le Pommier)

嫁さんが誕生日だったので佐久の中でも最も評判の高い
ル・ポミエ (Le Pommier)に行ってきました。美味しかった!

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よくも悪くも佐久らしいケーキ屋さん。
実家が、果物農家なので、最高のフルーツを使われています。
味は、大人味。
洋酒も多少多め。
甘さ控えめです。
あっさりしたクリームが好きな方には好評のお店です。
席数は少ないけれど喫茶スペースもあります。

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〒385-0022 長野県佐久市岩村田1356−3
TEL 0267-67-0797
住所 長野県佐久市岩村田1356-3
営業時間 9:30〜19:30
定休日 火曜日・第3月曜日


これは、サクサク(佐久佐久)シュークリーム!
私が一番にお奨めしたい一品。
サクサクしていて、本当に美味しい。
クリームは少なめで、大人の味。
甘党には甘さが物足りないかも。

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この饅頭みたいなケーキも酸味がきいていて美味しい。

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フルーツの美味しさを引き出している。
この店のスイーツは、
ケーキがメインなのか
フルーツがメインなのか、
分からないくらいにフルーツが自己主張しています。
だから旬の時期にあわせて食べに行くみせですね。


このケーキも美味しかった。
やはりフルーツの味をひきだしている。

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それにしても不思議な洋菓子店です。
佐久らしいと言えば、佐久らしいのですが。

つづく

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posted by マネージャー at 18:51| Comment(4) | TrackBack(0) | 佐久 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月06日

連休にキャンセルでました。

2月の連休にキャンセルでました。
まだ御予定のない方は、御検討ください。

2月11日2名
2月13日3名


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あと、表万座スキー場のチケットを3枚もらいましたので、
お泊まりの御客様に先着順でプレゼントします。
欲しい方は、申し出てください。
(あくまでもお泊まりの御客様に限ります)


つづく

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posted by マネージャー at 17:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 業務連絡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

満天山に行ってきました。

満天山に行ってきました。
初心者が多い日は、ここをスノーシューコースにするための下見です。

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一度、夏山ハイキングで企画したのですが、
参加者がいなくて潰れています。

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北軽井沢ブルーベリーYGHがオープンした頃に
ナイトハイクしたことがあって、
その時は星空が凄かった。
しかし、あれから10年。
樹が大きくなっていて、見晴らしが悪くなっていますね。

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つづく

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posted by マネージャー at 19:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 北軽−鼻曲山・満天山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

桟敷山の雪道作り

 北軽井沢ブルーベリーYGHは、毎週土曜日・日曜日にスノーシューツアーを行っていますが、ごくまれに平日にも宿泊客以外のオーダーメイドのスノーシューガイドを行っています。それも行ってない時は、トレース作り、つまり雪の道を作っています。

 実は、この雪道作りは非常に重要な作業です。

 雪道を作っても、すぐに雪が降って道が雪に埋もれるのですが、でも、雪道を作った場合と、雪道を作ってない場合では、同じラッセルをするのでも疲労度がまるで違います。人が一度通った道は、大雪であっても歩きやすいのに対し、誰も通ってない道は、たいした雪でなくても非常に苦戦するのです。これは雪の焼結作用関係あります。だから暇さえあれば、私たちは道作りに精を出しています。もちろん正規ルートだけでなく、イザという時のためのエスケープルートの道も作ってあります。これによって手軽で安全なスノーシューコースができあがるのです。

 というわけで、今回は、桟敷山の道作り。
 下の写真のように道の全く無いところに道をつけていきます。

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これが桟敷山の頂上です。

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素晴らしい展望。

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角間山。

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小桟敷山。

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村上山。

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嬬恋平野。

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浅間山。

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湯ノ丸山。

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 桟敷山は南斜面に雪は無く
 西斜面に豪雪になっていることが多い。
 間違えて西斜面を登ると、とんでもないことが。
 逆に東斜面に迷うと岩場でスノーシューでは歩けなくなります。
 北斜面は、急登でしかも崖があります。
 全部の方角から登ってみましたが、登山道を行くのが一番という結論です。

 南斜面の登山道以外のルートを登るのは命がけですからくれぐれも迷わないように。

つづく

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posted by マネージャー at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 鹿沢−桟敷山・小桟敷山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月07日

満天山でスノーシュー体験

満天山でスノーシュー体験をするチャンスは滅多にありません。
雪が少ないからです。
あと、縦走路の一部が分かりにくいということもあります。
しかし、分かりにくくても稜線沿いの道なので、
多少は山を知ってる人なら迷うことはありません。
今年は、雪が多い年なので満天山にチャレンジしてみました。


ちなみに今回のメンバー。
女性4名、男性2名、六歳のちびっこ1名の計7名。
このくらいの人数が一番いいですね。
参加者は、1名を除いてほとんどが初心者の美男美女たち。
関西系(春日部系も含まれる)が多かったせいかノリもよかった模様。
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このルートは、ツリーハウスがいっぱいあるのが特徴。
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この山には、野鳥の痕跡がいっぱい。
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野ウサギも。
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アッというまに頂上に達します。
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これが頂上。
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御客様のリクエストでカップラーメン!
これが本当に美味しい!
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そして記念撮影大会!
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生まれて初めての冬山。
自慢してもいいぞ!
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そして、帰りはアッという間でした。
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スノーシューの良いところは、下りに膝を痛めないところです。
だから楽々下山。
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ちびっこも元気に下山。
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つづく

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2011年02月08日

昭和時代の漫才師・象さんのポットが平成時代に通用する件

昭和時代の漫才師・象さんのポットが平成時代に通用する件
1980年頃でしょうか?
このギャグは、昭和には早すぎましたね。
今のほうが受けると思う。
惜しい!







ところで、象さんのポットって、今、生きてるの?



ちなみに、代表的な昭和の漫才はこれです。
いかにも昭和。







つづく

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猫対犬の対決

猫対犬の対決 おもしろ動画の紹介です。


まずは、猫さんチーム!













次は犬さんチーム!











つづく

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2011年02月09日

ユースホステルは甦るのか?22

ユースホステルは甦るのか?22

 今回は、ちょっと趣向を変えて生物の進化について語ってみます。生物の種は無数に現れては消えていきます。弱肉強食の競争の中で、多くの種が競争に敗れて消えていきました。そのうえで生命体は、幾多の大量絶滅の時代をえて今日の姿を残しています。これらの生存競争の浮き沈みの中で、ある種の法則があるのを発見したのは、明治元年生まれの丘浅次郎です。丘浅次郎は、生命体の生存競争で勝ち残ってきた生命体は、その勝利原因によって滅びることを発見しました。

 例えば、サーベルタイガー。

 世界最大の牙をもったサーベルタイガーは、その牙の大きさ故に、どんな哺乳類にも負けない強さを誇り、おそらく食物連鎖の頂点にたったと思われます。牙が大きければ、大きいほど強い。だから適者生存の結果、サーベルタイガーの牙は、どんどん大きくなってきます。サーベルタイガーだけではありません。





 マンモスもそうです。牙が、どんどん大きくなっていく。氷河期で餌が少なくなると、少ない餌をめぐって争奪戦になる。そうなると、牙が大きいほど餌を確保しやすくなる。だから適者生存の結果、マンモスの牙は、どんどん大きくなってきます。牙が大きいほど生存率が高くなるからです。

 しかし、サーベルタイガーもマンモスも、ある時期に滅びてしまいます。原因は牙の大きさによって、アゴが牙を支えられなくなり、食事も満足にとれなくなるからです。サーベルタイガーは、野ねずみのような小さな獲物をしとめられなくなるし、マンモスは林の中に入れなくなる。ある時期まで有利だった条件が、あるラインを越えると、生存には不利になっていく。じゃあ、牙を小さくすればいい話しなのですが、そうはいかない。長い間に形成された遺伝子は、子孫が減り始めると、なおのこと牙をどんどん大きくしてしまい、ついには種が絶滅してしまいます。





 この丘浅次郎の理論は、生物の進化だけでなく、
 私たちの社会にも当てはまることが多いように思います。
 ちょっと例をあげてみましょう。

 その昔、戦後の日本の復興を支えたのは、国鉄であり、ダムであり、優秀な官僚であり、教育水準の高さだと言われていた時期がありました。

 国鉄は、復員兵士たちを吸収して雇用を確保し、新しい技術を開発して、国鉄一家と呼ばれるほどになり団結を誇りました。渥美清主演の国鉄映画シリーズが生まれたくらいに模範的な企業だった。ダムの建設は、水資源の再利用と公共事業による景気対策をすすめ、工業化のためのインフラの整備をすすめました。優秀な官僚たちは、日本経済をひっぱっていきました。高度な教育水準も日本経済を陰からささえました。これらは、サーベルタイガーやマンモスの牙のように日本を世界第2位の経済水準におしあげた原因だと言われています。

 しかし、これらの牙は、ある時期から日本経済の足を引っ張るようになります。国鉄は赤字を出し、ストライキばかりでサービスは酷くなるばかり。ダム建設も利権と汚職の温床になってきました。優秀だったはずの官僚も天下り利権の話しが聞こえ始めました。教育は、金をかければかけるほど荒廃していき、国際的な学力はどんどん低下していきました。どれもこれもサーベルタイガーやマンモスの牙みたいになってきているのです。こうなると牙を大きくするという発想は滅びへの道に見えてさえきます。もっと別の発想が必要になってきます。





 では、かって急成長したユースホステル界には、どんな牙があったのか?
 
 ここに、ユースホステル運動の復活の鍵があります。しかし、その鍵を見つけるには、慎重に、そして正確に歴史を検証する必要があります。私が、くどいくらいにユースホステル運動の歴史の検証にこだわってきたのは、そのためです。

 安易な思いつきでは、ユースホステルの再建はできない。誰かが捨てられてしまった歴史を掘り起こして、それらを再検討して貴重なノウハウとして積み重ねていくしかない。それをしないで単なる思いつきで改革を始めたら悪い方向に流れてしまう。歴史をみてもわかるように、根拠のない思いつきでアッという間に滅びた組織ならいくらでもあります。


 というわけで、いよいよ結論です。
 ユースホステルには、どんな牙があったのか?
 そして、どんな牙がユースホステルを滅ぼそうとしているのか?

つづく

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posted by マネージャー at 02:56| Comment(4) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

昔のサントリーのCMと小林亜星が凄かった件

昔のサントリーのCMと小林亜星が凄かった件

若い人には分からないかもしれませんが、
かってサントリーのCMが凄かった時代がありました。
ちなみにサントリーは、ユースホステル業界と縁があります。
サントリーの社長は、大阪ユースホステル協会会長でもありました。

まず私が一番好きなサントリーのCM。
もちろんローヤルです!
このCMを見てください。感動します。
特に音楽が凄い!
誰かと思ったら小林亜星。







これは、1980年頃のローヤルのCMです。
すごく良いCMですが、
この後、もっと凄いCMがでてきます。
ランボオの詩集をウイスキーのCMにしてしまった。
これを初めて見たとき、鳥肌がたちましたね。







次のローヤルのCMは、ガウディーとマーラーを紹介しています。





次に好きなサントリーのCMは、サントリーオールド。
これも音楽が凄い! 鳥肌がたちます。
作曲 小林亜星。
小林亜星は、天才ですね!
亜星さんの守備範囲の広さ、センスの良さには脱帽!




http://www.youtube.com/watch?v=fhiXUypuN64










つづく

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posted by マネージャー at 18:44| Comment(4) | TrackBack(0) | 動画紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月10日

ユースホステルは甦るのか?23

ユースホステルは甦るのか?23

 日本のユースホステル運動は、世界史に無いくらいな驚異的な速度で大きくなった。
 これは日本史上、他に類が無いくらいだった。
 ということは、あきらかに日本ユースホステル協会には、牙があった。
 そして、牙が大きくなっていった。
 マンモスやサーベルタイガーのように。

 と書くと
「団塊の世代があったからな」
「団塊、つまりベビーブーム世代がユースホステルを支えたんだよ」
「あと昔は類似施設がなかったからね」
と言い訳する関係者がいます。

 もう、そう言われると新参者の私は、ずっと黙ってしまうしかないのですが、ユースホステル業界しか見えない人ほど、そういう風に現象をとらえる傾向があります。

 これは実に残念なことです。
 そんな簡単な問題ではない。

 ユースホステルの栄枯衰退を青少年たちの数や、類似施設との競争のせいにしては何も見えなくなる。もっと検証してみた方がよい。皆さんも、ちょっと考えてみてください。ユースホステル業界に存在した大きな牙の正体は何であったのか?





 確かに団塊の世代とともにユースホステル業界は巨大化し、団塊の世代の終わりと共にユースホステル業界は、小さくなっている。しかし、一方、日本青年団・日本青年団協議会は、団塊の世代の時代になっても決して巨大化しなかった。どんどん小さくなっていった。

 日本ユースホステル協会が巨大化しているのに、
 日本青年団協議会は、大きくならなかった。
 だから人数(少子化)の問題ではない。

 つまり、団塊の世代の青少年たちは、
 青年団を生活の場に撰ばなかった。
 彼らの一部は、ユースホステルを撰んだ。

 つまり団塊の世代の人数が増えたから
 ユースホステル利用者が増えたのではない。
 団塊の世代の青少年たちは、
 それまであった青年団よりも
 新しくできたユースホステルに魅力を感じた。
 そう考えた方が自然です。


 そして、その魅力こそがサーベルタイガーの牙であると。





 青年団にも、かっては巨大な牙が存在した。機関誌は、百万部という日本最大の発行部数を誇っていた。しかし、ある時期に、その牙は、自らの成長を妨げてしまった。マンモスやサーベルタイガーの牙が大きくなりすぎた。そこに登場したのがユースホステルだった。そう考えた方が無理がない。とすると、日本青年団の衰退を理解することが日本ユースホステル運動の衰退を理解することに繋がる。

 昔の青年たちは、青年団に魅力を感じた。
 そこには若い力をぶつける場所があった。
 夜間講習会があり働きながら勉強できた。
 高価だった本が置いてある図書館もあった。
 悩みがあればみんなに相談できたし、男女交際の場所もあった。
 夜這いという特殊な世界もあった。
 祭りでは、大人をおしのけて村の主役になった。
 みんなで金を出し合いながら、交代で代表をお伊勢参りに出した。
 村の若者たちみんなで助け合い、お互いにいたわりあった。
 つまり青年団は、青年たちの生活の場であり、青年たちの青春そのものだった。

 しかし、その青年団も、戦後はふるいませんでした。戦後のベビーブームで生まれた団塊の世代たちは、そのような青年団から距離をおきはじめた。青年団に青春を預けようとはしなかった。かっての青年団の魅力が、団塊の世代の青少年たちには、
「うざい」
ものに見えた。

 青年団は、村を基盤としている。

 村を青年の力で変えていくというのが青年団に青春を預けた人たちの理想だった。しかし、団塊の世代たちは、村そのものをダサイと感じた。村という狭い世界を嫌って、未知の世界に飛び出していった。すすんで集団就職で上京し、村の親に仕送りするようになった。団塊の世代は、新しい世界に飛び込んでいくチャレンジャーだった。つまり、彼らが求めていた青春は、青年団が提供する青春とは別のものだった。むしろ正反対のベクトルをもっていたものだった。それは狭い世界にとらわれない自由な生き方だった。

 だから団塊の世代の青年たちは、村を基盤とした青年団でなく別のものを撰んだ。
 会社であったり、宗教であったり、政治活動であったりした。
 もちろんユースホステルを撰んだ者も多かった。

 ユースホステルは、脱イデオロギーな組織であり、組織としての目的も曖昧な自由な世界だった。だから自由を愛する団塊の世代は、ユースホステルに魅力を感じた。ユースホステルには、ルールさえ守れば、しがらみのない自由さがあった。気に入らない宿やグループは、自由に捨てることができた。





 そのくせ、ユースホステルの世界は孤独ではなかった。
 普通なら「自由」は、孤独を生む。
 村社会にありがちな「お節介」が無ければ「自由」になれる。
 しかし、その自由は孤独とセットなのです。

 田舎を捨てて、上京すれば自由を得られる。
 しかし、都会の孤独も襲ってくる。
 誰もかまってくれないコンクリートジャングル。
 いつしか孤独感が、こみあげてくる。

 しかし、日本のユースホステルには、「孤独」は無かった。
 横山祐吉氏の天才的な手腕で「孤独」という副作用を最低限に抑えた。
 グループ活動を盛んに導入したからです。
 (詳しくは、ユースホステルは甦るのか?13を参照すること)
http://kaze3.seesaa.net/article/182309283.html

 そのうえ御茶会(ミーティング)をユースホステルに採用した。
 歌も踊りも採用した。
 これによって「孤独」を感じさせない「自由」を旅人に提供した。

 こうして団塊の世代の青年たちは、盛んにグループ活動を行って自由を謳歌した。
 自由に一人で旅しても「孤独」とは無縁だった。
 ユースホステルという旅は、自由と平等の象徴だった。

 さらに、御茶会では、みんなで歌を歌ってダンスも踊った。
 孤独という副作用は、ますます少なくなっていった。

(皮肉なことに、この現象は、21世紀になって秋葉原で復活することになる)





 フォークソングとフォークダンスは、ユースホステルから広まった。最初はフォークダンスとは言わずにスクエアダンスと言いました。GHQの指導の下でアメリカ軍人の講師を招いて横山祐吉氏が日本青年団に積極的に取り入れたものでしたが、青年団では広まらずに、ユースホステルで広まりました。横山祐吉氏は、その普及活動の先兵だった。横山祐吉みずからスクエアダンスを若者たちに教えてまわった。日本ユースホステル協会の古い幹部は、横山祐吉に踊りを習った。

 それがいつしかフォークダンスとなり、ユースホステルでオリジナルな踊りに変質し、学校教育に取り入れられるようにもなりました。新米教師の多くは、ユースホステルのホステラーでした。やがて体育の授業で子供たちがフォークダンスを踊らされるようになり、音楽の教科書にかってのフォークソングが載るようにもなった。

 こうしてユースホステルを巨大化させる牙は、どんどん大きくなっていった。
 そして青年たちを青年団でなくユースホステルに集めることに成功した。
 ユースホステルは、団塊の世代の青少年たちに
「ユースホステルという別の青春」
 を提供した。
 団塊の世代たちは、その青春をいたく気に入ってしまった。
 これが日本ユースホステル運動のマンモスの牙となった。

 しかし、その牙は、ある時期から自らの生命を犯すようになるかもしれない。青少年に、別の青春が生まれることによって、ユースホステルは、青年団と同じような運命をたどるようになるかもしれない。では、別の青春とは何か?

つづく

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posted by マネージャー at 02:14| Comment(2) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

またキャンセルでました

またキャンセルでました。
2月12日に3名お泊まりになれます。

2人部屋の個室1室(2名)
ドミトリー1ベット(1名)

が空いています。よろしければ、御検討ください。


110101-07.JPG


御客様の希望にもよりますが、
連休のスノーシューツアーは、桟敷山あたりを考えています。
他に御希望がありましたら、変更も可能ですので当日にリクエストをどうぞ。


110119-6.JPG


また、今年はたくさんスキーチケットをもらったので
先着順で希望者にスキーチケットをさしあげています。
数がありませんので、一人一枚づつで御願いします。
残りは表万座スキー場の3枚を含めて合計5枚です。
スキーチケットが欲しい方は、はやめのチェックインをおすすめします。

つづく

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posted by マネージャー at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 業務連絡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

またまたキャンセル出ました

業務連絡です、またまたキャンセル出ました。orz
2月11日−男1名(ドミトリーのみ)
2月12日−4名(個室もあります)

つづく

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posted by マネージャー at 10:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 業務連絡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小林亜星のCMソングが凄い件

なにげに小林亜星のCMソングが凄いですね。
サントリーオールドのCMソングも凄いですが、
「酒は大関」も凄い。
昭和40年代の曲なのに、今でも聞けます。





この樹、なんの樹で有名な日立のテーマ曲。
これも凄い。私が小学校の時から続いている。40年くらいつづいている。





でも、小林亜星の真骨頂は、『モクセイの花』。
ニッセイのおばちゃん、今日もまた♪
このCMソングがいい。







どこまでも行こう / 山崎唯
これも有名なCMソング。
山崎唯と言っても若い人は知らないだろうなあ。
トッポ・ジージョや、ひょっこりひょうたん島と言っても分からないかな?






あと、有名な小林亜星の曲を紹介!












守備範囲が広すぎる。
どんなジャンルでも、才能を発揮していますね。

つづく

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posted by マネージャー at 17:35| Comment(3) | TrackBack(0) | 動画紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月11日

ユースホステルは甦るのか?24

ユースホステルは甦るのか?24

 前回にも述べましたが、団塊の世代によって、青少年の人数が増えたからユースホステル利用者が増えたのではなく、青年団よりもユースホステルを利用する道を撰んだと考えるが妥当です。

 かって青年団は、巨大な牙をもっていた。機関誌は、日本最大の百万部という発行部数を誇っていた。今で言えば一千万部規模の雑紙を毎月発行していた。その日本青年団が、戦後にはサッパリふるわなくなってしまった。団塊の世代の青少年たちは、青年団ではなくユースホステルを撰んだ。青年団が提供する青春よりも、ユースホステルが提供した青春の方を好んだ。

 そう考えた方が無理がない。
 逆に言うと青年団の衰退が理解できれば、
 ユースホステルの衰退の原因が見えてくる。

 ある時期から日本の青少年たちは、ユースホステルが提供する青春に対して拒絶反応を示した。しかし、ユースホステル側は、それが分からずに、自分たちの成功体験ばかりを追ってしまった。つまり、マンモスの牙をますます大きくする方向に向かってしまった。

 じゃ、いつからユースホステルが衰退したかというと、これはもうハッキリしている。横山祐吉氏が日本ユースホステル協会から退いた昭和47年からです。昭和47年から減っている。で、昭和45年の高校進学率が、82.1パーセント。大学進学率が17.1パーセントです。ちなみに平成15年になると、高校進学率が、96.1パーセント。大学進学率が41.3パーセントです

http://www.gender.go.jp/whitepaper/h16/danjyo_hp/danjyo/html/honpen/chap04_08.html

進学率があがるとユースホステル利用率が下がる。



 ちなみにユースホステル利用率が爆発的に増加しはじめた
 昭和30年の大学進学率は13パーセント。
 ほとんどの人間は、進学せずに勤労していた。

 そして大学進学率の推移は、昭和45年までの15年間の間に、
 たったの4パーセントしか上がってない。

 つまり昭和30年から45年の間の青少年たちの大半は、勤労青年だった。
 そういう時代にユースホステルは、爆発的に発展していった。
 そして、青年団は小さくなっていった。
 これは何を意味するのか?

 勤労青年にとって、ユースホステルが提供する青春が、とても居心地の良いものだったとも言える。また、当時の大学生は、いわゆる裕福な階層であり、エリートであったとも言えますから、そういう大学生には、ユースホステルは居心地が良かったともとれる。何にしても大学進学率が低かった時代には、ユースホステルが提供する青春は、若者たちに好評だったという事実は、動かしがたい事実として受け止める必要がある。





 ちなみに、現在の(平成時代の)ユースホステルの状況も、これに似たデーターがあります。これは、北軽井沢ブルーベリーYGHに限ったデーターですが、北軽井沢ブルーベリーYGHのオープンから今年までの十年間において、リピートの多い御客さんは、学生ではありません。社会人です。二十歳の学生は、あまりリピートしない。しかし、二十歳の社会人は、盛んにリピートする。これが三十歳になると、もっと顕著になってくる。三十歳の学生よりも、三十歳の社会人の方がリピートが多くなってくる。

 これは、どういうことかと言いますと、学生時代には、学校という明確で分かりやすい青春がある。しかし、社会人になると、必ずしも自分にとっての青春があるとは言えない。おまけに出会いのチャンスも減るし、仕事仲間も横の繋がりというより縦の繋がりになっている場合が多い。社会人の世界は、自由気ままな世界であるとはかぎらない。そういう立場にある人は、ユースホステルが提供する青春にはまりやすい。

 しかし、すでに学校という青春をもっている人にとって、ユースホステルは単なる宿屋でしかない。ユースホステルを単なる宿屋として見られてしまっては、どうしても欠点が目立ってしまう。ドミトリーだし、規則がある。値段が安いくらいしか長所はみあたらない。

 ここまで書けば、私が何を言いたいか分かりますね?

 ある時期から日本の青少年たちは、ユースホステルの提供する青春に興味を失ってしまったということです。彼らは、学校という青春を享受しはじめたからです。井戸の外に出るのではなく、井戸の中の青春に興味をもちはじめた。スポーツや勉強に熱心に打ち込むようになったのです。



 そのうえ何を血迷ったか、文部省は、高校生のユースホステル運動を禁止してしまった。
 ユースホステル界にとって将来の貴重な人材を根こそぎ絶ってしまった。
 (ユースホステルは甦るのか?15を参照のこと)

 さらに不幸なことに、ユースホステル運動が、停滞をはじめる昭和47年以降は、
 学園ドラマが大ブームになります。

 俺は男だ!
 飛び出せ!青春
 われら青春!

 といった学園ドラマが全国の青少年たちの心をとらえ、若者たちは学園生活に青春をかけるようになりました。さらに『俺たちの旅』といった大学生の青春ドラマが若者たちの心をとらえ、『俺たちの朝』といった夢をもつ若者の青春群像ドラマが若者たちから支持されました。その後は、熱中先生、夕陽が丘の総理大臣、金八先生、スクールウオーズといった学園ドラマが、ジャンジャン大量生産されていきます。青少年たちは、善悪は別にして、ますます学校生活にのめり込んでいきます。



 このとき、ユースホステル業界は、もっと学校というものを真剣に考えるべきだった。学園生活に打ち込む若者たちに、何かしかけるべきだった。もともとユースホステルは、学校からスタートしたしたものだったのだから。でもまだ、この時代には貯金があった。衰えたとは言え、ユースホステルには、まぶしいくらいの魅力が残っていた。そのために日本の青少年たちは、ユースホステルという青春を知っている人と、ユースホステルという青春を全く知らない人に別れていきます。

 この分離が、後日、悲劇を生みます。
 ユースホステルという青春に対して、
 偏見のようなものが、
 じわじわと社会に育っていくからです。

「はあ? 一人旅のどこが面白いの?」

 この偏見は、ユースホステル側が、ユースホステルという青春(ライフスタイル)を青少年たちに、きちんと伝えてないために生じたものです。どうして伝えられなかったかと言いますと、そもそも横山祐吉氏が、日本ユースホステル協会を脱イデオロギー団体にしてしまったために、具体的に説明する技術をもってなかったためです。

「ユースホステルとは、◇◇◇である!」

という説明を横山祐吉氏は禁止し、

「なんでもありがユースホステルだ!」

と言ってしまったために、説明しにくい青春(ライフスタイル)になってしまった。
それが学園生活をおくる若者たちに理解してもらいにくい存在になってしまった。

甲子園をめざして野球に打ち込むことは理解できても、
ユースホステルを使って旅する意義は、経験してみないとわからない。
言葉では説明しにくい。



つづく

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posted by マネージャー at 02:21| Comment(0) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする