2011年06月01日

超豪華列車『リゾートやまどり』を吾妻線に走らすことになった

嬬恋村のデスティネーションキャンペーンの会議に行ってきました。

 デスティネーションキャンペーンとは、北海道旅客鉄道・東日本旅客鉄道・東海旅客鉄道・西日本旅客鉄道・四国旅客鉄道・九州旅客鉄道のJRグループ旅客6社と指定された自治体、地元の観光事業者等が協働で実施する大型観光キャンペーンのことです。

2010年度(平成22年)は、
4月1日〜6月30日 奈良県 はじまりの奈良、めぐる感動。
10月1日〜12月31日 長野県 未知を歩こう。信州
1月1日〜3月21日 京都市 京の冬の旅キャンペーン
と、奈良・長野・京都に集中してJRグループ旅客6社が大型観光キャンペーンを行いました。


今年は、

青森県 4月23日〜7月22日
群馬県 7月1日〜9月30日
熊本県・宮崎県・鹿児島県 10月1日〜12月31日

です。

 青森県・熊本県・宮崎県・鹿児島県が選ばれた理由ははっきりしています。新幹線です。この4県には、JRグループ旅客6社が大勢の御客さんを運んでいると思います。問題は、群馬県。なぜ群馬県だったのでしょうか?


 ちなみに嬬恋村も、この企画に深く関わっています。
 しかし、嬬恋村はちょっと不利なんです。
 というのも電車でくる御客さんが少ないからです。
 というか、ろくに電車が走ってない。
 だから、みんな自家用車でくる。

 電車でくる人だって、大半が新幹線。
 吾妻線の利用は少ない。

 ところが、JRが隠し球を用意してくれました。
 超豪華列車『リゾートやまどり』を吾妻線に走らすことになった。
 この『リゾートやまどり』は、凄い列車です。






 おそらく日本一豪華な列車。
 まず座席が3列。
 かなりゆったりめ。
 しかもシートがグリーン車なみの豪華さ。



090201.jpg090202.jpg


 これで臨時快速です(毎日ではありません)。
 普通車料金で乗れます。
 夏休み期間の平日に高崎10時12分発で運転します。
 (万座鹿沢口17時発)
http://jres.jp/news/docs/110520_natu_presu.pdf

 もちろん特急にも使用されますけれど。
 すごい快適な旅になると思います。
 夏休み限定なので、話の種に一度のってみてください。
 私も、冷やかしに乗ってみる予定です。


 ちなみに、この車両を作ったのは、東急車輛製造。
 どっかで聞いたことのある会社ですね。
 2011年夏は吾妻線で臨時快速列車として運転されます。
 また、新宿から長野原草津口までの直通の臨時特急列車リゾート草津も運転されます。

http://jres.jp/news/docs/110520_natu_presu.pdf

 これで、嬬恋村にくる御客さんが増えるといいなあ。


つづく

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posted by マネージャー at 11:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 吾妻渓谷・川原湯温泉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

老人たちの話し 5

老人たちの話し 5

ちょっと脱線します。
ベビーシッターについて御本人から面白いコメントがついたもので。

「マネージャーさん! お金持ちでないとベビーシッターを雇えないんじゃなくて、他人が自分の家で一緒に住むと言う形が日本では感覚的に浸透しにくいんじゃないかっていったんですよ〜。場所の問題もあるし。でも、感覚ってことであればマネージャーさんの子ども時代のお話や、そういえば私の母が子どもだった頃の家には色んな人がいたって話も思い出して、あ!と思ったんです。やっぱり核家族化してきてから今の感覚になってきたのかな」


昔は、ふつーに他人が家に住んでましたからね。
幼児の私と母親は、ふつーに他人の家に住んでいたし、
そこには、村の年寄りをはじめとして、
大勢の子供たちがふつうーに出入りしてました。

もちろん鍵なんかありゃしない。
どこの家にも全く無かったと思います。
泥棒がいたら入り放題!





 この風景が、今の人には分かりにくいと思いますから、
 もう少し具体的に書いておきます。
 でないと昔の佐渡島の風景を知る者がいなくなってしまう。
 佐渡島民だって、知らない人が多いと思います。


 私が幼児の時に御世話になった家には、いろんな人が自由に出入りしていました。それこそ家族みたいにです。御客さんとしてではありません。だから自由に出入りし、コタツに入って温まっていても、菓子が出るわけでも、茶が出るわけでも無い。ふつーに世間話するだけです。家族に菓子や御茶を出さないのと一緒です。


 そこのおばさんと買い物に行って帰ってくると、玄関に杖がある。
 すると
「◆◆のバアがきたな」
と言う。

 杖の形で、これは◆◆のバア。これは◇◇のバア。と、一発でわかる。
 下駄や草履ではわからない。
 留守中に◆◆のバアが、来たのですが、
 買い物で留守だったので、勝手に上がり込んでコタツにあたっていたわけです。
 全ての家に鍵が無いから、自由に上がることができたんですね。

 で、コタツにしても、豆炭コタツなので、朝にセットしたら夜まで暖かい。電気コタツのように買い物の時に電機を切る必要も無かったんです。ちなみにコタツは掘りコタツです。いろんな人が出入りするので、堀コタツでないと、足が邪魔になって大勢が入れない。もちろんストーブなんてものはない。あっても囲炉裏・火鉢だけです。

 家に入ると◆◆のバアが、勝手に堀コタツに入って待っていました。
 今なら「何の用?」と聞くことになるのですが、
 当時は、用がある方が珍しい。
 用が無くて勝手に入ってくるケースが多い。

 で、おばさんは、勝手に家の仕事をはじめてしまう。
 私は、◆◆のバアとコタツで遊び始めます。
 こういうところも、下宿先のおばさんにとって、
 ◆◆のバアの存在はありがたかったと思います。
 ◆◆のバアにしてみたら、単に小さい子供と遊びにきただけでしょうが。





 ちなみに、どうして「◆◆のバア」と言うかと言いますと、昔の佐渡島では、名前で呼ぶことは少ないんです。自分の名前が重要になってくるのは、小学校に入ってからであって、いわゆる西洋文明にふれるまでは、名前というものは重要ではなかった。だから、みんな屋号でよんでいたんです。

 ◆◆というのは、屋号です。
 ◆◆の父ちゃんといえば、◆◆の主人のこと。
 その息子は、◆◆の跡取り。
 その母親は、◆◆のバア。

 で、佐藤智子なんて名前では呼ばない。屋号で呼ぶ。北軽井沢ブルーベリーの奥さん、北軽井沢ブルーベリーのバア。という感じで呼ぶんです。それがめんどくさい時には、「バア」とか「バアよ」という言い方をする。そうしないと集落全体が「佐藤」だったりするのでややっこしい。

 で、私が下宿していた家と、◆◆の家は、家族みたいにつきあっていて、共同で軽トラなんかを買っている。そして一緒に山仕事をしたりしている。そういう家が、何軒もあって、田植えとか稲刈りとか漁業で共同作業をするんです。

 しかし、共同作業をしつつも分業もする。例えば、私が下宿していた家では、男手が無かったために洋裁をしていました。毎日、村の人の服を作っていた。電気アイロンが無かったので、囲炉裏の炭なんかでアイロンを温めながら洋裁をしていた。ユニクロなんか無かった時代ですから、小さな子供服なんかは、みんな手作りです。

 思い出してみると、そこには原始共産制度が、しっかり生きていたような気がする。

 ちなみに、◆◆の家と、下宿していた家は、微妙に離れています。
 下宿していた家は、海に接しています。
 今は、堤防やテトラポットで台無しになっていますが、
 昔は綺麗な海と接していました。

 家の構造は、砂浜−船小屋−小さな畑−蔵−民家 という感じで細長ーい土地に、いろんな建物があって、海からの風や波を防ぐ構造になっていました。もちろん海側に窓なんかありません。窓は全て山側をむいていました。土地が海に向かって細長いのは、風と波をふせぐためだったんです。





 で、◆◆の家は、山側にあったのです。つまり漁師の家と、そうでない家が仲がよかった。親戚でも何でも無いのに仲がよかった。逆に漁師の家同士、つまり隣近所が仲がよかった記憶が無いです。あるいは仲がよかったのかもしれませんが、私の記憶だと、漁師同士が家族のように仲良くしていたというケースは覚えてない。それから察するに、海山で、お互いに助け合って生きていたのかもしれない。

 あと、佐渡で自動車を買い始めたのが、こういう僻地の農家でした。サラリーマンよりも、農家の方が車を先に買っているんです。しかも軽トラ。それを何軒か共同で買っている。耕耘機・トラクターなんかも共同で買って一緒に仕事をしている。しかし、買う前も一緒にしていた。共同で一斉に田植えや稲刈りをしていた。

 田畑は、山にあります。民家のある海から遠いですから、村から大人たちはいなくなります。そうなると腰の曲がった老人たちの出番です。三歳だった私は、真っ暗になるまで腰の曲がった老婆に引き取られます。小学校の教師だった私の母も、真っ暗になるまで小学校で働いていますから、私は、真っ暗になるまで老人と一緒の生活です。逆に言うと暗くなると母親が迎えがくることを体験で知っていた。

「真っ暗」

というのがポイントですね。
暗くなっても簡単に電気を付けなかったんですね。
で、暗闇な夜道を母親と二人して帰っていった。

 道には、たくさんの御地蔵さんがあったのを覚えています。なぜ覚えているかと言いますと、御地蔵さんは、いつも真っ赤な服をきていて、とても鮮やかだったからです。野ざらしなのに、いつも綺麗な真っ赤な服を着ていた。あれは、誰が着せ替えていたんだろう?

 外灯なんか無い時代ですから、真っ赤な服を着た御地蔵さんは、月あかりでみています。
 海というのは、海が月光を反射して、夜でも明るいんですね。
 ちなみに、この北片辺は、「民話・夕鶴」の発祥の地です。


つづく

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posted by マネージャー at 23:00| Comment(5) | TrackBack(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月02日

ネットへの取り組みについて1

北軽井沢ネットについて

 御客さんから、電話で北軽井沢ネットについて質問がありましたので、良い機会なので北軽井沢ネットについて書いてみたいと思います。

 観光の仕事をしていて、つくづく思うことは、時代に追いついている企業と、そうでない企業の差が開きすぎているということです。これが非常に困る。どういうふうに困るかというと、会議の時に困る。会議にならないんです。だから、こっちは黙ってしまう。一言も口をきかないで、終了とともに逃げるように去ってしまうだけになる。下手に捕まると、仕事や役職を押しつけられてしまうからです。

 昔は、こんなことは無かった。会議にならないということは無かった。少なくとも会話は成立した。じゃ、どうして、今は会話が成立しなくなったかと言いますと、インターネットとマーケッティングへの取り組みの差のためです。

 インターネットをやってる立場からすると、従来の紙媒体の宣伝というものの費用対効果の効率の悪さが信じられないほど悪い。しかし、インターネットに無知だと、それにすがるしかないわけで、何十万もかけて、チラシやポスターを作ってばらまくわけですが、その効果は皆無にちかいです。しかしインターネットだと、千分の1のコストで、同様の効果を得ることが出来ます。しかも双方にメリットのある顧客が得られます。そこから長いつきあいが始まり、リピーターが増えるのです。

 リピーターという存在は、観光業者にとって神様みたいにありがたいもので、道案内はしなくていいし、宿について細かい説明もいらない。そのうえ勝手に宣伝までしてくれる。暫く、姿をみせなくなったとしても、どこかで話題にだしててくれる。本当にありがたい存在ですが、このリピーターはチラシでは得られにくいんです。チラシという紙媒体では獲得しにくい。本を出版するくらいでないと難しい。チラシ程度の情報では、相手の顔が見えないために相性の悪い宿を選択してしまいがちだからです。

 あと、チラシやポスターは、時として御客さんを騙すこともあります。意図してないのに騙すこともある。チラシに使われている写真は、最高のものであるために、行ってみるとガッカリということになり、結果として悪評を広めてしまうことになる。しかし、インターネットならそのデメリットを防ぐことも可能です。今年は、シャクナゲの花が不作だとか、見頃はいつだとか、細かい情報が書けるから、御客さんをガッカリさせる確率が減ります。

 前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。

 その昔、私が属している浅間高原観光協会は、なかなかホームページを作ってくれなかった。ホームページによる情報発信をしようとしなかったんです。事務局に何回言っても、ウンと言ってくれなかった。で、チラシ・ポスター・キャラバン・イベントばかりやっていた。当然のことながら効率が悪いのなんの。

「もう観光協会をやめようかな」

と思っていた矢先に、ホームページで共同宣伝する組織である「北軽井沢ネット」という組織から、北軽井沢を宣伝するホームページを作ってくれないか?という相談がありました。で、ワダックスの代理店をやってる土井君を管理責任者にすることを条件にボランティアでホームページを作ったのです。それが、これです。

http://kita-karu.net/

 ちなみに
「どうしてサッサと観光協会を辞めなかったの?」
という質問がありましたから、お答えしておきます。

 観光協会でないと、できないことがあるんですね。
 それは割引施設のことです。
 温泉などの割引券は、1軒の宿のために割引券をだしてくれない。
 三十軒くらいまとまって利用してくれないと出してくれないんです。

 あと、割引券・前売り券の印刷。
 これは、温泉施設が印刷してくれるわけではありません。
 こっちが毎年印刷をかけて発行します。
 そういうものなんです。


 この費用が年間に三十万円くらいかかる。
 つまり、割引券・前売り券にはコストがかかっている。
 それを一軒の宿が負担できるわけがない。

 実は前売券や割引券には、
 莫大なコストがかかっているんです。


 だから観光協会で共通割引券にして、割引施設を三十ヶ所くらいの割引券を共通にして、印刷をかけないと、とても作れないのです。大手の軽井沢グリーンプラザホテルなんかは、独力でそれをやっていますが、小さなペンションやユースホステルには、それができない。だから観光協会を辞めたくてもやめられなかったんです。辞めたら、御客さんの温泉入浴料金が跳ね上がる。だから辞められなかった。これは案外知られてない事実でしょうね。割引券は、無料で存在しているわけでない。

 しかし、私が北軽井沢ネットに入った時、北軽井沢ネットに温泉割引券があった。
 北軽井沢ネットで割引券・前売り券を印刷していたんです。
 これで観光協会に在籍する意味が無くなった。

「こりゃいい、北軽井沢ネットに入れば、観光協会を辞められる」

と思って大喜びしたのですが、そうは問屋がおろさなかった。観光協会のトップが交代し、北軽井沢ネットのボスが、観光協会の役員になってしまった。そしてホームページを作る予算が付きました。で、ワダックスの代理店をやってる土井君を管理責任者にすることを条件に、私がボランティアでホームページを作りました。それが、これです。

http://asama-kogen.info/

ブログも作りました。

http://asama-s.seesaa.net/
http://wf-asama.seesaa.net/
http://ai-asama.seesaa.net/

 こうして、北軽井沢ネットと浅間高原観光協会のインターネット事情は改善されていったわけですが、北軽井沢の状況・嬬恋村全体の状況をみると、まだまだ遅れています。それは日本ユースホステル協会も一緒です。ホームページはできていても、チラシをインターネットに流した程度のものしかないのが現状です。しかし、これもパソコン教室を開いて宿主のスキルアップをさせているので、少しづつ改善されていくでしょう。



つづく

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posted by マネージャー at 12:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 業界裏話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

老人たちの話し 6

老人たちの話し 6

 佐渡の北片辺のことを書いているうちに、懐かしくなってインターネットで北片辺を調べてみました。今は、どんな状況なのかと。で、写真をみつけました。

62kat-12.jpg

 もう無残としか言いようがないです。
 美しかった北片辺の風景は、もうありません。
 海岸は、堤防とテトラポットにかわってしまっている。
 まあ、仕方ないことなんでしょうね。

 Googleマップでも調べてみましたが、昔あった道もなくなっている。かわりに巨大な橋と巨大なトンネルになっている。昔は、正面から車が来ると、どっちかがバックしなければならなかった。第一、島を一周する道路が無かった。だから交通手段は、バスというより船だったところが多かった。

 1日1便の両津行きのバスが出ている。そういう場所も多かった。そのために佐渡は、昔の登山ガイドに載っていた。登山道が載っていたのではなく、島の海岸線のルートが載っていた。そのせいか自動車の通行できない僻地なのに旅館は多かった。しかも江戸時代から続いている老舗の旅館も多かった。戸数が三十くらいしかない集落に旅館が三軒ということも珍しくなかった。そういう意味では、僻地だった頃の佐渡島の方が、今より栄えていたのかもしれない。





 前にも言いましたが、私は4歳になると、母親と別れ、父親と祖母のもとに引き取られます。佐渡の北片辺という土地から離れ、佐渡の泉というところに住むことになります。ここは、佐渡にしては都会だったので、北片辺のような風景は無かったのですが、やはり鍵はなく、いろんな人が家に出入りしていました。六畳と四畳半と土間の小さな借家だったのに、いろんな人が出入りしていた。

 その中の一人に、とても仲がよかったおじさんがいましたが、病気になり死んでしまった。何でも731部隊の将校だったらしく、身元がバレるのを嫌がって、病気になっても病院に入院すること拒んだために病死してしまった。

 まあ、そんなことは、どうでも良いのですが、私は父親と祖母によく怒られましたから、新しい環境になじめませんでした。そういう状況の中で、北片辺から老人たちが、よく遊びに来てくれました。

 私は、北片辺の人たちに、よほど可愛がられたみたいです。親戚でもないのに、いろんな人たちが次々とやってきた。そして私の顔をみて帰っていった。そのうち北片辺の人たちは、当時、高価だった軽トラを買って、みんなで遊びに来ました。休みになると私を拉致するように北片辺に連れ帰ったりもしました。このように北片辺との交流がつつきました。

 こういう子供時代をおくると、街中で老人を見ると無性に涙が出てくるようになる。祖母とは、口喧嘩が絶えないのに、見知らぬ老人に涙が出てくる。こういう条件反射が、二十歳くらいになるまで続きました。

 一般的に可愛がられるという行為は、「甘え」の原因を作ると言われます。確かに原因にはなりますが、私は、決して悪いことだとは思いません。そういう記憶は、大人になって、ギリギリのところで人間を人情深くする。つまり人間を性善説にしてしまうと思うからです。

 むしろ人に甘えることを知らないまま大人になった方が怖い気がします。「甘え」を知らない子供の方が、大人になってから凶暴になる可能性がある。かといって、無制限の甘えは、人間を駄目にする。ここが難しいところですね。





 以前、9歳のお子さんと、お母さんが、スノーシュー体験をしに北軽井沢ブルーベリーYGHに泊まりに来ました。土井君がいないので、私がガイドをしました。最初は、真面目にガイドをしていたのですが、9歳の子が、あまりにも甘えん坊なので、途中で無茶苦茶あそんでしまった。雪をかけて埋めてしまったり、母親がみてないところでポカリと叩いたり、漫画見ながらラーメンを食べてると「行儀わるいな」と鼻をつまんだり。どんどん距離を縮めたら、ものすごく仲良くなってしまった。

 で、草津ユースホステルにチェックインするために、お別れすることになったのですが、
「一緒に草津ユースホステルに行こう!」
と駄々をこねはじめた。

 お母さんは大爆笑です。
 9歳のお子さんは、
 私が宿屋のオーナーであることを忘れてしまっていた。
 そのくらいに仲良くなっていた。

 けれど私は、単に甘やかしただけではない。マナー違反には何度もポカリと頭を叩いている。そのうえで一緒に笑い転げながら雪遊びしている。甘えるところは甘えさせている。これは、かって北片辺の老人たちが、私にしてくれたことを、9歳の子供さんにしただけなんですね。しかし、具体的に、どのように接したか、というのは言葉では説明しにくい。

 こういうものは、世代を超えて体験で受け継ぐしか無い。
 逆に言うと、体験で伝えられなければ、
 終わってしまう。

つづく

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posted by マネージャー at 22:12| Comment(0) | TrackBack(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

猫とトイレ

猫とトイレの動画です
猫って、けっこう賢いですね。





トイレ後に水を流そうとしてる?
蓋を閉めようとしてる?





オイオイ.....





最期に



つづく

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タグ:猫とトイレ
posted by マネージャー at 22:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 動画紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月03日

老人たちの話し 7

老人たちの話し 6

 モテキというドラマがありました。人間には、誰にでも一度はモテる時期があると言います。それを過ぎると急にモテなくなる。そういうものらしい。但し、モテキが5歳の頃なのか、50歳の頃なのか、25歳の頃なのかは、人それぞれらしい。





 この「モテキ」という現象、ある意味、真実をついてると思いますね。私の友人(男)に、すごくモテる奴がいたんですが、何故か彼女は、みんな5歳くらい年下だった。で、35歳くらいまでは、すごくモテモテだったんですが、45歳の現在、全くモテなくなってしまった。

 45歳だと、5歳年下は40歳。つまり、その世代の女性の大半は結婚してるか、結婚をあきらめてマンションを買っているかですから、対象となる5歳年下の女性そのものが少なくなっているからモテなくなる。つまりモテキは終わってしまっているわけです。

 高校時代に、なぜか先輩にだけモテる男がいましたが、高校3年生になると、バッタリもてなくなってしまった。こういうケースもある。やはり、人には、それぞれのモテキがあるみたいです。カップルになるための相性というものがあるんですよ。それがモテキを形成するための重要な要件となる。


 ここからが本題です。


 実は、若者と老人たちとの相性というのも、ある気がします。
 というのも私は、明治生まれの人と相性が良かったからです。
 明治生まれと、大正ひとけた生まれでは、
 同じ老人でも気質がまるで違っていたからです。
 これが大正二けた、昭和ひとけたになると、まるで違ってくる。


 明治生まれの老婆には、字の書けない人が多い。スミとか、トメという名前の老婆が多いのも、この世代なんです。そして、必ず兄弟が十人以上いる。後妻の子供と、前妻の子供でわかれていたりする。

 私の祖母の名前も「スミ」でした。
 そして明治生まれでした。
 祖母は、大勢の兄弟の中で、
 学校に行かず子守ばかりしていたために字が書けなかった。
 しかし、決して無教養であったわけではなく、
 むしろ今の高校生より、ものを知っていたと思います。

 で、私が二十歳の頃、あれは1981年頃のことです。ある町工場で雑用のアルバイトをしたんです。そこに明治生まれの老人が働いていて、なんだか良く分からないけれど、すごい職人だった。私は、その老人から、とても可愛がられたんですね。逆に昭和生まれの専務には、ひどく嫌われたんですが、明治生まれの職人さんには、ものすごく可愛がられてしまった。





 で、明治生まれの職人さんのそばで、ずっと働いていた。私は、好奇心いっぱいで、老職人さんの仕事をじーっと見る。見ながら、休み時間に見よう見まねで、真似をしたりする。それを年老いた老職人が、目を細めながら、時たま禅問答みたいなことを言う。

「肘だ」
「え? 肘って、どういうことですか?」

 老職人は、ニヤニヤ笑うだけで、それ以上答えてくれない。仕方ないので、休憩が終わった後に、ジーッと盗み見るわけですが、わけが分からなくて、首をかしげてしまう。それをまた老職人は、ニヤニヤ笑う。そんな毎日なんですが、そういう現場を昭和一桁生まれの人に見つかったら、たいへんです。怒鳴られ蹴られてしまう。

「何ぼけーっと見てるんだ! さっさと働け」

と雷をおとします。彼らは、働いてるふりでもいいから、忙しそうに動いてないと機嫌が悪い。もちろん明治生まれの老職人は助けてくれません。笑いながら見ているだけ。しかし、時々助けてくれることもある。怒られてる最中に
「たばこ買ってきてくれ」
と用事を言いつけてくれる。私は、よろこび勇んでタバコを買いに行きました。





 ちなみに、この老職人たちは、その世界では人間国宝みたいな人だったらしく、造のエンジン部品をつくっていました。当然のことながら造船所や大きな工場に出張に行くことが多い。役立たずだった私もお供するのですが、通用門に入るときなど、名前を書くときに必ず私が代筆しました。

現場では、私は役立たずなので、私の仕事は、この代筆くらいなもんです。代筆だけの仕事で、1万円の日給はもらいにくいので、ある日、アルバイトを辞めることを決意し、老職人にうちあけました。すると驚くことに老職人は、こう言ってきたのです。

「困ったな、俺は字が書けないんだよ。また新しく別の奴をさがさないとな」
「・・・・・」

 最初、冗談かと思いました。
 難しい図面を読める人が字が書けないわけがない。
 新聞だって読んでるし、難しい計算もバッとこなす。
 だいたい、人間国宝といわれている人が、字が書けないわけが無い。

 しかし、字が書けなかったのは本当だった。
 読めても書けなかった。
 文字を書かせると書き順がデタラメだった。
 あきらかに学校教育をうけてない。
 しかし、文盲というわけではない。
 逆に凄いレベルの知性をもっている。
 なのに何故?

「むかしはよ、学校に行かなくても本は読めたのさ。横に小さなカナをふってあったからな」
「そういう問題ですか?」
「ははははは」

 老職人は言います。

「そうか、辞めるのか。おめーは見込みあると思ってたんだがな。若い奴には、珍しく、おれの仕事を盗もうとしてたからな」
「あれは、好奇心というか、なんというか」
「他の奴はよ、専務の顔色をみてばかりなのにな」
「・・・・」
「専務は、動く奴が好きなのよ。働く奴よりもな。人偏(にんべん)は、いらねえんだ」
「でも、私は、まだ働けてせん」
「そう簡単に働けるようになってたまるかってーの」

 この後も、この明治生まれの老人には驚かされることばかり続いた。
 明治生まれの老人の中には、このような破天荒な人が多い。
 今の価値基準では、計れきれない。

つづく

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posted by マネージャー at 23:26| Comment(4) | TrackBack(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月04日

サッカー国際大会開会式を盛り上げた一人の日本人

サッカー国際大会開会式を盛り上げた一人の日本人
ブラスバンドのおじさんたち、この後とっても喜んでいたらしい。



埼玉県市議選ポスターが色々とおかしい件



熊と猫の決闘



天才猫



すごくかわいい



つづく

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posted by マネージャー at 02:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 動画紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

天気が良かったので小浅間山ハイキングに行ってきました

天気が良かったので小浅間山ハイキングに行ってきました。

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今回のメンバー。

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すごい新緑。
すばらしい。

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つづく

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タグ:小浅間山
posted by マネージャー at 16:35| Comment(2) | TrackBack(0) | 中軽−小浅間山・千ヶ滝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

老人たちの話し 8

老人たちの話し 8

 老人たちの話しをするとき、どうしても避けて通れないのが大正生まれの人たち。
 一言で言えば、この時代の生まれの人たちは、ダンディな人が多いですね。
 明治生まれが破天荒だとすれば、大正生まれは、おしゃれでダンディ。
 明治生まれに比べると理屈が通じやすいし学もある。
 うちの御客様にも大正生まれの人たちが時々来ますが、やはりダンディな人が多いですね。

 それはともかく、大正生まれともなると言葉遣いも、
 方言が無くなって共通語に近くなります。
 そして身なりも格好良くなる。
 腰の曲がった人も減ってくる。
 これが昭和一桁となると、怒りっぽい人が多いのに、
 大正生まれの老人たちは、オットリしています。
 オットリしているけれどダンディ。趣味をもっている。
 もちろん地方と都会では全く違いますけれど、やはりダンディかなあ。

 あと、面白いのは写真。
 大正生まれの老人たちは、自分の写真を撮っている。
 明治生まれだと、自分の子供の頃の写真を持ってない人が多い。

 で、大正生まれの老人たちに写真をみせてもらうと、若い頃に洋服を着ている。
 全員ではないけれど洋服を着ている。
 女性はスカートをはいている。
 それも、かなりファッショナブル。
 ところが、結婚すると和服になる。
 これが不思議。
 結婚後も洋服って女性は、ほんとうに少ない。

 洋服が一般的になるのは、もっと後なんですね。
 彼らの息子さん達が、洋服。
 で自分たちが和服。
 家族の写真が、洋服と和服がまじってたりする。

 嫁さんのお祖父ちゃんが大正生まれで、
 一度、北軽井沢ブルーベリーYGHにやってきたことがありました。
 車で北軽井沢を案内してあげると
「木のトンネルだ!」
 と喜んでいました。
 おしゃれなだけでなく、
 ポエムな、おじいちゃんでした。

 第二次大戦では、錦糸勲章をもらうくらい優秀な兵隊さんで、
 中国に、大勢の友人がいたそうです。
 夫婦げんかして、中国に帰ろうとしたこともあったらしい。
 大正生まれの老人たちには、こういう謎めいたところがあります。


つづく

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posted by マネージャー at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月05日

H23/06/03 参院予算委・森まさこ

H23/06/03 参院予算委・森まさこ




ちょっと、これは酷い。
どうしてニュースにならないのか?
もっと、大きなニュースになってもいいと思うんだが。

菅総理には、人間の血が流れてるのか?


つづく

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posted by マネージャー at 01:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 特設 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

インド映画が凄い件

インド映画が凄い件



最近のインド映画は、すごいですね。
もう、ハリウッドを越えてるんじゃないでしょうか?


つづく

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posted by マネージャー at 02:08| Comment(4) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鼻曲山ハイキング

鼻曲山にハイキングに行ってきました。

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ここは、スカイパーク。

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眺めは最高です。

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鼻曲山頂上です。
浅間山が、よく見えます。

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隠浅間山もよく見えます。

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ツツジがきれいだった。

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筆リンドウも今がピーク。

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つづく。

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2011年06月06日

浦倉山ハイキング

浦倉山ハイキング

今回のメンバー

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そろそろツツジが咲きました。

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ちなみに、この時期は野鳥観察にもってこい。
とくに、このルートは人がいないのと、
草原であるために野鳥を観察しやすいのです。

ちにみに、コガラのさえずり。

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ホシガラスかな?

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わー、カッコウだ!
これを観察しただけで、来たかいがあります。
充分もとがとれてます。

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稜線。

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頂上へ

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つづく

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2011年06月07日

野地平湿原

野地平湿原は、パルコールスキー場から入ったところにあります。
観光ガイドブックには何1つ載っていない所ですが、穴場です。

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標高1650メートルの湿原です。山野草の宝庫でもあり、季節によっては
イワカガミ・ミツバオウレン・ムラサキヤシオツツジ・スズラン・レンゲツツジ・クルマユリ・
ツマトリソウ・アヤメ・ギボウシ・アザミ・タカネシュウロ・クガイソウ・ヤナギラン
などがみられます。

しかし、ここの花は、年々減りつつあります。
笹藪が増えすぎて、湿原としての寿命がきています。
あきらかに乾燥化が進んでます。

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しかし、雨が降ると大湿地帯に変化するところでもあります。
湿地に見えなくても、スギゴケが生えてますし、水を含むと
泥に足をとられますから注意してください。
末期でも、湿原は湿原です。

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つづく

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タグ:野地平湿原
posted by マネージャー at 22:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 四阿山・バラギ高原 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

東電、6月の電力需給 依然“綱渡り”続く



これ、本当ですかね?
頭痛いなあ。
はやく、新しい発電所を作って欲しいですね。


節電には協力しますが、
せっかく節電しても代わりにパチンコ屋が営業してたら
何か納得できないものがあるしなあ。


もう、こうなったら、12時から14時まで、
昼間のテレビ放送の一斉中止したらどうですか?
これで、昼間にエアコンガンガン付けてテレビを見ている人たちが
一斉にテレビを消すから、すごい節電になりませんか?
で、テレビ局には、保障金をあげればいいでしょう。


もしくは、 ピーク時間の電気料金を倍にして、
深夜電力を半額にするとか。
あと、もう電力会社の独占は、やめてもらいたい。
戦前は、何社かの激烈な競争社会だったのだから、
戦前並みの自由化をすべきですね。
戦後、電力会社が独占企業になったのは、原発が導入されてからでしょ?
もとにもどしてもいいのでは?


あと、大工場や、私鉄なんかに自前の発電所を設置させるとか。
ホテルオークラなんか、自前の発電所を作ったために
毎年34億円の経費節減になり、
3年で設備投資の元をとったわけだし、
他のホテルも、それをすればいいんだよなあ。


巨大ビルなんかは、それをしてもいいでしょ。
大病院や大学なんかもね。


つづく

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posted by マネージャー at 23:31| Comment(2) | TrackBack(0) | ニュース・時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月08日

湯ノ丸山に行ってきました。

湯ノ丸山に行ってきました。
今年は、レンゲツツジの花芽がいいですね。
ただし、開花は、遅めです。
6月下旬が満開ですね。

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まだ、レンゲツツジは咲いていません。

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つづく

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タグ:湯ノ丸山
posted by マネージャー at 23:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 鹿沢−湯の丸山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月09日

安物を買わなくなってしまった理由

掃除機

 640wの掃除機を買いました。
 世界最強の吸引力をもつやつです。
 畳を持ち上げるほど強力な製品。
 メーカーは、モーターの日立。

 なぜ、こうも強力なやつを買ったかと言いますと、ベットマット・ソファーのダニを吸うためなんです。本当は、ウォーター掃除機が欲しかったのですが、高くて手が出なかった。それに最近は、吸引ゴミ袋が進化してハウスダストをガッチリ受け止めるようになったので、むかしほどハウスダストが漏れることが無くなったこともあります。

 ダニを退治する方法は、いろいろありますが、実は掃除機が一番確実。実験結果では、ゼロになるまで吸い取ってくれることが分かっています。布団乾燥機や天日干しでは、5割くらいしか効果が無いのに、掃除機では一瞬ですがダニがゼロになる。そのためには、強力な掃除機が必要なんですね。

 ちなみにうちの掃除機は、これで7代目。いろいろ経験した結果、掃除機は600w以上のパワーが無いとダニは駆除できないことが分かりました。安い掃除機だとモーターも5年くらいで性能が悪くなります。特に紙パックの交換を渋ると性能が悪くなる。だから、うちは値段が高くても最高機種のものを買うようにしています。でないと、掃除機がゴミになってしまう。





 ところで宿をやってると、だんだんと安物買いをしなくなりますね。
 昔は、安いリケンラップなんかを買っていたんですが、
 今じゃ高くてもサランラップしか使っていません。
 使い勝手が悪いからです。
 百円ショップのやつも買わなくなってしまった。

 安物は、料理を駄目にしてしまうことがあるのと、料理の能率を落としてしまうことがあるからです。あと、百円ショップのやつは、せいぜい二十メートルしか無いので、取り替える手間や在庫の置き場確保が面倒なので、百メートルあるサランラップしか買いたく無くなってしまいました。





 これは、蛍光灯なんかにも言えることで、オープン当初は、一番安い蛍光灯を買ってましたが、いまじゃ一番高いやつしか買わなくなってしまった。安いのは7000時間しかもたないからです。高いのは、1万5000時間もつ。しかし、値段は3倍する。つまり、時間単位で値段を割ってみても、安いやつの方がコストは低い。しかし、安いのは買いたくないのが本音です。取り替える手間が多くなるのと、ゴミが出るためです。ゴミは減らしたい。特に水銀を使用している蛍光灯は、大量に捨てたくない。環境に悪いですからね。


 そういう私も昔は、安物買いをして痛い目にあってます。
 韓国製のテレビを8台買ったのですが、
 1年以内に7台が壊れ、
 7台分のリサイクル料金を払うはめになってしまった。
 保障期間は1年でしたが、結局、保障はしてくれなかった。
 なのでテレビは全て国産しか買ってません。


つづく

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posted by マネージャー at 23:42| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月10日

刷り込み1

 刷り込み。
 宿屋をはじめた人間には、ある種の刷り込みがはいっている事が多い。


 その昔、民宿をやっていた友人の厨房にお邪魔したとき、
「アッ」
と驚いたことがありました。

 皿の大半がプラスチックやアクリルだったからです。
 さらに、その人の得意料理が和食だったので、余計に驚いてしまった。
 まな板も包丁も立派な物を持っているし、
 こだわってダシをとる人なのに、皿がプラスチック。
 ひとことで言って

「ありえない」

しかも食堂が蛍光灯だった。これも

「ありえない」

 だから、さんざん忠告したのですが、頑固な彼は私の忠告を聞かなかったんです。
 そして気がついたら廃業してました。
 しかし、どうして皿がプラスチックで平気だったのだろう?
 どうして食堂が蛍光灯で平気だったのだろう?
 という疑問は、ずっと心に引っかかったまま年月がたちました。

 で、ラーメン屋を開業した別の友人のところに御祝いに行って、また驚いてしまった。
 丼とコップがプラスチックだったからです。
 あんまり驚いたので、ちょっと考えてみました。
 皿がプラスチックで平気な、二人の友人の共通点はなんだろう?と。

 で思い当たったことは、二人ともチェーン店の居酒屋に勤めていたことです。
 チェーン店の居酒屋には大した皿はありません。
 そもそも大した料理もない。
 チェーン店の居酒屋の基本は、不味くない料理を出すことにあります。
 加工も本部がやっていて、店では盛りつけるのが大半の仕事になる。
 皿だって壊れにくいものを使うからプラスチックの皿もあったりする。
 1枚五千円の皿を使うことは絶対無い。
 百円ショップの皿が中心になる。


 つまり最初に働いた店のスタイルが、刷り込まれているということ。
 本人は気がついてないけれど、刷り込まれている。


 そう考えると私も刷り込まれていることに気がつきました。
 私の調理経験は、そこそこ高級な割烹と、魚河岸のマグロ屋です。
 出汁巻き卵だけで千円もする店がスタートだったので、
 プラスチックの皿は、絶対にありえない。
 食堂の蛍光灯もありえない。

 私は、食器と照明が、料理の味を変えてしまうことを、これでもかといういくらいに学んでいるから、メインの皿が五千円以下ということはありません。ニッコー・ナルミ・ノリタケなどのブランド物を必ず使っています。そうしないと御客様に失礼だという、そういう刷り込みをされている。また、味も変わってくるという刷り込みをうけている。


 まあ、そんなことは良いとして、それを考えると、うちの宿に一つ問題があることに気がつきました。うちの嫁さんです。うちの嫁さんは、調理場で働いたことが無い。そのために彼女は、私の作法を刷り込まれている。つまり、私という限界があったということですね。

「こりゃいかん」

と思った私は、慌てて嫁さんを高級料理店に連れて行くことにした。
まず嫁さんに高級料理を食べさせて、学ぶことからスタートしないとと思ったんです。


つづく

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タグ:刷り込み
posted by マネージャー at 23:55| Comment(2) | TrackBack(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月11日

雨天なのでシルマンウォークは、中止して、お馬鹿なツアーやってきました1

雨天なのでシルマンウォークは、中止して、お馬鹿なツアーやってきました。
なんと!
日本海で、贅沢三昧のグルメ旅。
吉川鮮魚店の巻。


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たまには、息をぬかないとね。
自分への御褒美も必要です。
あと、こういう食事は、みんなと食べるのが美味しいですから。


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まずはビールで、きゅっと!
これが、お馬鹿なツアーの基本。

今回は、被災地の茨城から2人の参加。
そして名古屋と浜松からも!やってきてくれました。


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で、登場しました!
日本海の鮮魚たちが!


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すごい盛りに一斉に撮影タイム!


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あとは、お馬鹿になって食べるだけ!


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つづく

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posted by マネージャー at 22:26| Comment(2) | TrackBack(0) | お馬鹿な話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月12日

雨天なのでシルマンウォークは、中止して、お馬鹿なツアーやってきました2

加賀の井酒造

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加賀の井酒造は、新潟では有名で糸魚川市にあります。
創業が1650年(慶安3年)。
新潟県最古の酒蔵として知られています。

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北陸街道と呼ばれる加賀(金沢)から江戸に至る約480キロにおよぶ街道の中で、特に新潟県内の富山との県境あたりから七尾市高田町までについては、参勤交代の際におもに加賀藩とその支藩であった大聖寺藩、富山藩の藩主が往来していたため『加賀街道』と呼ばれるようになり、その街道沿いの町である糸魚川は本陣としての役割を果たすようになっていきました。

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参勤交代のために加賀藩の本陣が小林家に置かれた際に、前田利常公は献上された酒を気に入り、酒造りを家業とする小林家に対し、『加賀』の二文字の使用を許したとされており、『越後(新潟)』であるにもかかわらず、ここから『加賀の井』という商号が生まれることになったといいます。

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小林家では歴代の本陣をつとめ、また、町年寄といった重職にも就き、さまざまな町政にもかかわっていきました。糸魚川本陣には、1782年(天明2年)以降、『加州三候』と呼ばれる加賀藩、大聖寺藩、富山藩の宿泊記録が残っており、また、本陣で醸造された酒『加賀の井』が、たびたびこれらの藩に献上され、藩主または家老の献立にも用いられていたと記されています。そのため、小林家では古くから優れた品質の酒造りに熱心に取り組んできました。 明治になって以後、廃藩置県によって大名という身分ではなくなった後も、前田家との江戸時代から長きにわたるつながりは続き、加賀の井の酒を愛した前田家の方々へ毎年のように酒が献上されました。

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蔵元名 : 加賀の井酒造株式会社
所在地 : 〒941-0061 新潟県糸魚川市大町2-3-5
電話番号 : 025-552-0047(代)
FAX番号 : 025-552-4482


つづく

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posted by マネージャー at 08:37| Comment(2) | TrackBack(0) | お馬鹿な話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする