2015年03月01日

おでんとカツ丼

 新潟から東京に上京した頃、何に一番衝撃を受けたかと言うと、屋台で食べたおでんのちくわぶである。新潟にはちくわぶなるものはない。そもそも、全国どこにもちくわぶなるものはない。いやなかったと言うべきか。最近は、スーパーなどで真空パックが得られるようになっているので、軽井沢でもちくわぶは見られるようになった。しかし、今から三十年前は、東京にしかなかったように思う。ちくわぶだけでは無い。大きなタコの足が串刺しになって屋台で売っていたのも驚いた。何から何まで違っていたのに驚いた。

 しかし何年か東京に住んでいると、東京のおでんが当たり前になってくる。その上で大阪に行ったら、大阪のおでんが全く違う味なので衝撃を受けた。串に刺して煮込んである牛すじを見た衝撃を私は忘れられない。というか、大阪のおでんと東京のおでんは全く違う存在である。同じジャンルとはとても思えない。そうそう、静岡おでんにも触れておかなければいけない。あれも全く違うジャンルである。 三つとも同じおでんと言うカテゴリーに入れていいか迷うところだ。

 ところで、昔、根岸の公園の辺りに、とても美味しいおでんの屋台があった。ものすごく味が染み込んでいるのである。あまりに美味しいので、親父さんにどうやって作るのか聞いてみた。当時二十歳ぐらいの若造だった私に、親父さんは、親切に教えてくれた。どうせ田舎者に真似ができるとは思っていなかったようだ。実際、羽根のできるレシピではなかった。なにしろ二十四時間近くかけて煮込むのであるから真似のしようがない。しかも沸騰させてはいけないというのだからなおさらである。

 まあそんな事はどうでもいいとして、その屋台にはちくわぶがなかった。東京のおでん屋のくせに、ちくわぶがなかったのだ。不思議に思って聞いてみると、その屋台のおやじさんは北関東の人だった。北関東ではちくわぶを食べないらしい。今日嫁さんにそれを確認してみたら、やはり群馬県ではちくわぶは食べなかったらしい。どうやらあれは、関東でも食べる地域は限定されているようだ。

 そういえば、東京に上京してもう一つ驚いたことがある。カツ丼である。東京のカツ丼は、カツ丼のくせに卵でとじてあるのだ。新潟ではそうでは無い。いや、厳密に言うと最近も新潟では、とんかつを卵でとじてあるのが増えてきているが、昔はそうではなかった。ご飯にとんかつが残っていたのである。といっても、ソースカツ丼では無い。キャベツの千切りも乗ってない。とんかつには、天つゆが染み込んでいる。

 あと椎名誠が、佐渡島にやってきたとき、カツ丼を注文すると、卵でとじてなかったのに怒り狂ったのは有名である。だから私は、椎名誠をあまり尊敬する気にはなれないのだが、実はうちの嫁さんは椎名誠のファンである。いつだったか椎名誠の講演会が近所で会った時、そそくさと出かけていって、ファンレターか何かを渡したらしい。椎名誠のほうも、大したもので、嫁さんのほうにお返事が返ってきた。もちろん印刷されたものであるが、はがきの隅っこに、椎名誠のサインらしきものが肉質で書いてあったらしい。さすがは、大ベストセラー作家だけの事はある。女性ファンが多いだけのことはある。

 そんな事はどうでもいいのだが、要するに、その昔は、カツ丼といえば必ずとんかつを卵でとじると言うものしか認められなかったのだ。このカツ丼は卵でとじてないと椎名誠が怒り狂うと、全国の女性ファンたちが一斉にそうだそうだとうなずいた時代があったのだ。全国の女性ファンが椎名誠に右へならえをした時代があったのだ。その都度佐渡島のカツ丼は肩身の狭い思いをしたものだ。しかしそんなことはお構いなく、私は佐渡汽船に乗るたびに船の中の食堂で、卵でとじてない、あのカツ丼を注文した。そして椎名誠のファンの視線から隠れるようにカツ丼をかっ食らったものだ。

 ところが、最近はちょっと様子が違ってきている。秘密のケンミンshowというテレビ番組が視聴率をとっていることからわかるように、卵でとじてないカツ丼といった、非常にローカルな食事がテレビで紹介されて、視聴者に大うけされる時代になってしまった。椎名誠とその親衛隊軍団が、一斉に佐渡島の活動を攻撃していた時代とはえらい違いである。今は文明よりも文化の時代なのだ。グローバルよりもローカルを楽しむ時代なのだ。

 昔は、たった一人のアイドルに何百万というファンが集中したものだが、今はそうでは無い。グローバルなアイドルの時代では無い。地方のローカルのアイドルに人々の目線は移り変わっている。ありきたりのカツ丼よりも、ちょっと変わったカツ丼の方が人々の注目になる時代になってきている。やっと多様性を認め合う時代になってきているのかもしれない。 


つづく。

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2015年03月02日

トラップ

 今日は、嫁さんが留守にしていたので、久しぶりに息子と1日中留守番をしていた。おかげで1歳11ヶ月になる息子の新しい面をたくさん発見できた。まず息子は、私をトラップにかけようとしてきた。幼児用のおせんべいを私におねだりしてくるのだが、私はその都度1枚ずつ渡していた。息子は、おせんべいをもらうと嬉しそうにどこかに走っていった。そして、 3分ぐらい経つと、トコトコと舞い戻ってきて、また幼児用のおせんべいをねだるのである。ずいぶん早く食べたなぁと、また1枚渡すと、嬉しそうにおせんべいを持っていって走り去っていく。そして3分後に、またおせんべいをねだりに来るのだ。どうも食べるのが早いなぁと不思議に思って、息子の後をつけていったら、秘密の場所に大量のおせんべいが隠してあった。

 ついこの間までは、煩悩の塊で、渡されたものを片っ端から口に入れていたのだが、もうそういう時期は過ぎってしまったらしい。親からおせんべいをもらって、密かにどこかに隠しておくという知恵を身につけてしまったようだ。こうなると、ますます油断は出来なくなってくる。だんだん狡賢くなって来ているからだ。

 最近は、ちょっと目を離すと、私のパソコンをいじり、せっかく書き込んだ文章を全て台無しにするようなことも増えてきた。昔は何にでも好奇心剥き出しして、いろんな物を触りまくっていたものだが、今は親が触るものに興味が集中してきている。それだけに油断がならない。綿棒を見つけると、自分の耳に入れようとする。もう息子の前では耳かきをするのやめようと思った。昔は、テレビのリモコン装置を携帯電話のように自分の耳にあてていたものだが、今はそういうことはしない。テレビのリモコン装置はテレビの前に置いたままにする。それは本当にありがたいことなのだが、今は、本物の電話の受話器を見つけて、それで何か話しかけようとするわけだから、本当に始末に負えない。

 息子の知能が少しずつ上がってきているというのは嬉しいのだが、そのためにハラハラドキドキする事が増えてしまった。今日は勝手に靴下を見つけ出し、それを足の指先に被せ、長靴を履いて外に出ようとしていた。幸い玄関のドアの開け方を知らなかったので、事なきを得たのだが、いずれひとりで外に出られるようになるのは時間の問題かもしれない。

 少なくとも、テラスや窓の鍵は自分で開けられるようになってきている。だから、玄関のドアもいつか自分で開けられるようになる時期がやってくるだろう。こうなると心配が絶えないかもしれない。

 ただ、楽しみな事は、雪は溶けた頃に息子と一緒に山に登れる時がやってくることだ。息子はマイナス10度の寒い雪道でも散歩が大好きなので、新緑の登山もきっと気に入るに違いない。春になったら、山に連れて行って、森の中を歩き、免疫力をたくさんつけてあげようと思っている。


つづく。

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2015年03月03日

16年大河『真田丸』

NHKは18日、2016年度の大河ドラマ『真田丸』(三谷幸喜脚本)の主演に俳優の堺雅人を起用したことを公式サイトで発表した。戦国時代屈指の英雄として知られる人気武将・真田信繁(真田幸村)を演じる堺は、「いまはまず、なによりも、三谷幸喜さんの脚本をたのしみにしています」と期待を寄せ、「皆さまとともに戦国時代を旅することを心待ちにしています」とコメントしている。

http://www.oricon.co.jp/news/2038761/full/ より

 というわけで、2016年の大河ドラマは「真田丸」に決まったらしい。主演の真田幸村は堺雅人ということだが、視聴率を撮ろうと思ったら、まあそんなところなのかもしれない。しかし、真田幸村を主人公にしたストーリーの何処が面白いのだろうか? 私ならその父親である真田昌幸を主人公にする。

>戦国時代屈指の英雄として知られる真田幸村

と、言っている本人は、本当に戦国時代を知っているのだろうか? 大阪夏の陣冬の陣も、もし真田昌幸が生きていたら、もうちょっと違った様相を見せていた気がする。昌幸なら、ひょっとしたら徳川に勝っていた可能性があると思う。もし昌幸ならば、淀殿にしても大野にしても蔑ろにはできなかっただろうから、かなり自由に戦闘ができたと思う。そうなると、徳川軍団もあれほど簡単に大阪城を包囲できたかどうか疑問である。昌幸が大阪城を包囲されるまで何もしなかったわけがない。包囲されてから行動を起こしても遅いのだ。

 たとえ包囲できたとしても、過去の昌幸の戦法からすると、徳川軍を外堀から城の中に誘いこんで全滅させることなど訳がなかっただろう。現にそうやって、徳川軍を2回も全滅させているのだ。第一次上田合戦では、徳川軍は1300人の死者を出している。それに対して真田軍の死者はたったの40名である。第二次上田合戦になるともっと酷い。10倍の徳川最強軍団を相手に負け知らずだった。たった200人の奇襲で大将の徳川秀忠が小諸へ逃げるという不様な状態だった。

 だから大河ドラマを作るならば、幸村ではなく昌幸でないとおかしいのだ。なのにどうして幸村なのだろうか? やはり悲劇のヒーローが日本人好みなので幸村が主人公の大河ドラマになってしまうのだろうか?

 もし、昌幸が大阪の陣に生きていたら、どのような戦術をとっただろうか? 非常に興味があるところだ。昌幸は戦略の名人である。その戦略に則った戦術を駆使する名人でもあった。しかし、昌幸の天才たる所以は、戦略でもなく戦術でもなく、彼の政略である。

 彼は政略の天才なのだ。
 彼の政略の能力は家康をはるかに上回る。

 だから昌幸が、大阪城に入ったらどのような政略を行ったか、非常に興味のあるところだ。合戦が起きる前に、必ず何か手を打っているはずである。そして大阪城を包囲させない何かを仕掛けているはずである。例えば、数万の兵を率いて江戸へ進撃していったらどうなっただろうか? もちろん城攻め等は一切ナシだ。 3回ぐらい合戦行って華々しく勝利をし、西国大名に工作を仕掛けつつ悠々と大阪城に戻ってきたらどうなっただろうか?

 仮に大阪城が包囲されたとしても、城の外に昌幸なら得意とした遊撃隊を配置しただろう。第一次上田合戦でも、第二次上田合戦でも、それで徳川軍は崩壊しているのだ。だから大阪城の外に遊撃隊を置いて、そして包囲軍を次々と撹乱したかもしれない。そうなると徳川軍もかなり危うかったと思う。なにしろ包囲している徳川軍の大半は、豊臣恩顧の大名たちが多かったのだから、それらに手を付けずに、徳川譜代大名だけを遊撃して壊滅させていたら、どうなったか分からないはずだ。

 現に圧倒的な力を誇る秀吉軍団に対して、徳川家康も善戦して和睦を勝ち取っている。このくらいのことは昌幸ならできたはずである。逆に言うと、家康は昌幸が死んだ後に本気で大阪城を責める気になったのかもしれない。


つづく。

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posted by マネージャー at 19:29| Comment(5) | TrackBack(0) | ニュース・時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月04日

なぜか川島和子のスキャットを聴きたくなった

 歳をとると数字が分からなくなる。具体的に言うと、今日が何日なのかがわからない。自分が何歳なのかもわからない。もちろん時計やケータイを見れば今日が何日か分かるし、計算すれば自分が何歳ともわかる。しかし、そんなめんどくさい事に興味がなくなってしまうのだ。現に今年が、平成何年なのか、ついさっきまで知りもしなかった。いや厳密に言うと、ぼんやりとは知っていたのだろうけれど、あまり気にならなかったのだろう。しかし、もうすぐ税務署に申告するにあたって、今年が平成何年なのかが、目の前にどーんと見えてきた。なんと今年は平成27年なのだ。元号が昭和から平成になって27年も経ってしまったのだ。

 驚いてしまった。
 27年である。

 27年といえば、戦争が終わってから27年経った昭和47年に、うちの嫁さんが生まれている。つまりうちの嫁さんが生まれた27年前、日本は焼け野原だった。広島と長崎には原爆も落ちているのである。その27年後にうちの嫁さんが生まれている。そのぐらいの期間が、昭和から平成になって過ぎているのだ。

 そう思うと無性に川島和子のスキャットを聴きたくなってしまった。川島和子といっても、かなりのアニメオタクでもない限りその名を知る人は居ないだろう。しかし、この人の声は人間国宝にしても良いと思っている。由紀さおりと川島和子のスキャットは、日本が世界に誇れる芸術作品だと思ってる。騙されたと思って、ちょっと聞いて欲しい。今は誰でも簡単にYouTubeで聞けるので聴いてみてほしい。



 YouTubeをご覧になった方ならば、ご存知かと思うが、宇宙戦艦ヤマトのop曲である。この作品は昭和49年にできた作品で、私はリアルタイムで見ていた。そして衝撃を受けた。 YouTubeの画像を見てもわかる通り、まず地球が焦土となっていた。海の水は蒸発して、放射能に汚染されて、あと1年で人類が滅亡するというそういう設定のアニメだった。こういうアニメは当時なかったのだ。だから衝撃を受けた。この衝撃は、現代人にはちょっと分かりづらいかもしれない。なにしろ戦争が終わってから29年しか経ってなかったのだ。たった29年前に、日本中が焼け野原になった。そういう時代背景があったのだ。29年が長いと感じられる人がいるかもしれないが、今年が平成27年であることを考えてみてほしい。 29年は決して長くないのだ。

 ちなみに私は戦争が終わって16年後に生まれている。

私が小学校の時に、よく行くおもちゃ屋さんがあった。そこで皆と駄菓子を食べて遊んだものだったのだが、そのおもちゃ屋さんのご主人が、空母瑞鶴の乗員だったのだ。だからそこで軍艦のプラモデルを買うと、そこの親父さんが昔の海軍の話をよくしてくれた。それがまた面白くて、それが聞きたくて、安いプラモデルをよく買ったものである。

 中学校の時の社会の○田先生は、特攻隊の生き残りだった。この先生からは、戦争の事は何一つ聞き出せなかったが、いつもバカっぽい話ばかりするこの先生が大好きだった。そういう人たちが周りにゴロゴロといる環境の中で、宇宙戦艦ヤマトは放映されたのである。

 オープニングの川島和子のスキャットと廃墟になってしまった地球を見た瞬間、これは太平洋戦争のパロディーだとすぐわかった。あれは終戦間際の日本の姿だった。そう思わざるを得なかった。そしてアニメのほうも本編が進むにつれて、太平洋戦争の逆パロディが次々と再現されていった。戦史を知っていたら誰でも簡単にわかるようにできていた。ただ残念なことに、あまりの低視聴率のために、半分で打ち切られてしまった。宇宙戦艦ヤマトの人気が出るのは、それから数年後の再放送の時からである。昭和49年の時点では、裏番組のアルプスの少女ハイジに完全に負けていた。宇宙戦艦ヤマトを見ていたのはほんの少数だったと思う。を

 しかしである。じわりじわりと後で人気が出てきたのだ。特にレコードが売れた。もちろん川島和子のスキャットも話題となった。この曲を作った宮川さんは、白鳥の湖のop曲のようなイメージでのスキャットを入れたらしい。そう言われてみれば、なんとなく似ているが、白鳥の湖よりも、もっともっと悲劇的な感じがするのは、そこに、いちど焼け野原になった日本を見ているものの凄みを感じるのだ。



 宮川さんは、このヤマトで名をなしたといってもいいかもしれない。それ以前の曲と全く違うからだ。それ以前は流行歌やクレージーキャッツのあっと驚くタメ五郎あたりを作曲していたのである。あまりの違いに驚き呆れるしかないのだが、私は宮川さんのライフワークはヤマトだと思っている。

ちなみにヤマトの主題歌を歌ってる佐々木さんのお母さんを私は個人的に知っている。何度も一緒に食事をしている。彼女は日本で数少ない女性起業家として有名な方であるのだが、なぜかテレビには出てこないので、いちど本人に聞いてみたことがあるのだが、息子と私は別ですと言っていた。息子関連で、マスコミには出たくない人だったらしい。今生きていれば、かなりのおとしのはずだが、どうしているものやら。私は最後にお会いしたのは、今から20年前だったが、その頃せっせとシナリオ書いていたけれど、今も書いておられるのだろうか?

話が飛んだので、もう一度話を戻す。

中学生の頃、私は、小遣いを叩いて宮川さんの宇宙戦艦ヤマト交響曲のテープを買った。そして川島和子のスキャットを何度も繰り返して聴いたものだ。しかし残念ながら、まだアニメブームはやってきてなかった。それが訪れるのはその数年後のことである。ちょうど私が高校生になった頃だった。

やっと宇宙戦艦ヤマトブームが起きた時、さぁこれから宇宙戦艦ヤマトの話ができるなぁと思っていたら、新しいファンたちと会話が合わなくて困ってしまった。新しいファンたちは、戦史を全く知らないのだ。いわゆる純粋なアニメファンだったと思う。声優人気もその頃から始まったと思う。だから全く土台が違っていた。なので、私は宇宙戦艦ヤマトは、第1期しか見てない。続編以降は、全く見てなかったりする。続編以降は、あれはまったく別の物語なのだ。あれを宇宙戦艦ヤマトだとは私は思っていない。



つづく。

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2015年03月05日

2月21日の湯の丸山スノーシューハイキングの報告

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2月21日の湯の丸山スノーシューハイキングの報告です。

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今回は、一人を除いて全て初参加者なので楽なコースというわけで湯の丸山です。

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いいお天気でよかったですね。

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つづく。

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2015年03月06日

2月22日の小浅間山スノーシューツアー

2月22日の小浅間山スノーシューツアー報告。

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雪が降っていたので危険を避けて手軽な小浅間山にしたわけですが、実は、小浅間山はとても素晴らしい山。やりようによっては小浅間山くらい楽しいスノーシューツアーはありません。というのもフィールドサインがいっぱいあるからです。もし雪が降ってなかったら動物たちの足跡がいっぱい残っていたはずです。

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キツツキ。これはまだ新しいですね。
つい先ほど突いたばかりのようです。

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ウサギですが、これも新しい。
雪降るさなかの足跡ですから、やはり新しいものです。
3分くらい前でしょうか?

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これはカモシカの食事の後です。
餌にこまっているようです。

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頂上までもう少し

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毎年、参加される御家族さんがおられるんですが、ちょっと見ないあいだにお子さんが大きくなって驚きますね。1年ぶりに再会したせいだからなのか、大きくなったなあ・・・と驚きますね。うちの息子も、こんなふうに成長するんだろうか? こういう変化をみられるのも宿屋の人間の役得みたいなものです。

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帰りはソリで

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いいですねえ。下の写真。
うちも、はやく、こんな風に息子と遊んでみたい。

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つづく。

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2015年03月08日

高峰山スノーシューツアー報告

高峰山スノーシューツアー報告
残念ながら青空はなし。
なのでソリを楽しみました。

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今年は雪が多い年です。
大雪の去年より多いかも。

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稜線はこんなかんじ。

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頂上です。

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つづく。

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2015年03月09日

日本YH史外伝 5 マイフェアレディ

日本YH史外伝5

 日本ユースホステル協会を設立した横山祐吉は、若い頃、若月紫蘭の新劇研究所に通っていた。何故新劇だったろう?それがわからなかった。そこで私は、国会図書館に通って新劇について多少なりとも調べてみた。そして大筋を理解した上で、ブックオフやAmazonで片っ端から新劇関係の資料というか本を買いあさった。ありがたいことに、かなり貴重な資料が、 1円ぐらいから買うことができる。もちろん書き込みや、劣化の激しい本ばかりではあるが、単なる資料なのでそんな事は気にならない。とにかく資料集めまくり、それがかなり重要なものであったら、何万円しても状態のいい本を再び買い直すから問題ないのだ。

 そんな状態であるので、一階にある3人部屋(12畳)は、私の臨時の書斎となって、新劇の本が山積みになっている状態である。そこには嫁さんは入ってこない。入ってくるのは1歳児の息子だけだ。息子は盛んに新劇の資料を振り回して遊んでいる。本当に困ったものである。

 まぁそんな事はどうでもいいとして、珍しく私の書斎に嫁さんが入ってきた。こういう事は、1年に何度もない。本当に珍しいことではあった。そして何を考えたのか、山積みになった新劇の本をじーっと見ていた。嫁さんは、根本的には、こういう書物には全く縁のない人間である。どちらかというと、ハリーポッターとか、指輪物語みたいな本を読むタイプなのだ。それが何を思ったか、じーっと山積みになった資料をみてつぶやいた。

「これは、大学時代にやったなぁ」
「はぁ?」

 よくよく聞いてみたら、うちの嫁さんは大学で劇芸術と言う物を専攻していたらしい。そういえばそういう話を、結婚前に聞いたことがあったような気もする。山積みされた新劇の資料の中には、彼女が教科書に使ったであろう本もあったらしい。

 これはいいなと思った私は、いろいろ質問してみたが、何も出てこなかった。大学で学んだものは、すっかり消えてしまったらしい。一体4年間で何を学んだのだろうと、不思議に思ったのだが、よくよく考えてみたら、そういうものかもしれない。勉強というものは、自分で自らやろうとしなければ身に付かないものなのだ。外から強制された勉強は、すぐに頭から消え去ってしまうものなのだ。

 これは私も同じである。

 受験勉強などで得た知識は、すぐに忘れてしまう。資格試験で一夜漬けで勉強した知識も頭に残ってない。逆に絶対に忘れることのできない知識というものは、興味があったことか、体でたたき込まれた体験を伴う知識である。

 長い前置きはここまでとして、本題に入る。

 日本ユースホステル協会を設立した横山祐吉は、若い頃、若月紫蘭の新劇研究所に通っていた。何故新劇だったろう?それがわからなかった。そこで私は、新劇について多少なりとも調べてみたら、戸板康二と言う作家が、日本にもマイフェアレディがあったと、発言していたのを見つけ、なるほどなと思った。横山祐吉も、ミュージカルマイフェアレディの主人公のように人生が変わってしまったのだなと思った。



 マイフェアレディというのは、有名なミュージカルである。主演はオードリーヘップバーンで、社会の底辺で暮らしていた発音が無茶苦茶な女性を、言葉を上品に話せるように改造することによって、王女様のような人々に仕立てて、世間を欺くという物語である。この映画の面白いところは、底辺の人々が、徐々に上品な言葉を覚えていくうちに、人格まで変わっていくことである。言葉が変わるだけで、底辺の女性が少しずつ高貴な女性の人格に変化していくのだ。

 その指導をするのは、言語学の教授なのであるが、いつしか底辺の女性はその教授に恋をする。もちろん教授も女性に恋をするのだ。これがミュージカル映画のマイフェアレディの大まかなあらすじである。この映画の見所は、主人公の女性に上品な言葉を教えることによって、人格や身のこなしを含めて何もかもが変わってしまうというところである。

 まさに、こういう事件が過去の日本にもあったのである。そーゆー女性がいたのである。その女性の名前は小林正子。別の名を松井須磨子という。日本初の新劇女優であった。中山晋平が作曲した、あのカチューシャの唄を歌った人でもある。



 松井須磨子が生まれたところは松代である。真田藩士の家柄で、いわゆる旧家であった。そこの9人兄弟の末っ子として生まれている。裕福な旧家の生まれなので何不自由なく育ち、お嬢様として育てられている可能性が高い。おそらく皆に可愛がられていたと思われる。しかし16歳の時に父にしなれた。父は臨終の間際に東京に出なさいと言った。それに従った松井須磨子は、 2番目の姉の家に身を寄せ、戸板裁縫女学校に通った。そして卒業すると同時に千葉県木更津で割烹旅館を経営しているところに嫁いだ。

 ところがである。彼女は、はにかみ屋で声が出なかった。ろくに挨拶ができなかったのだ。これは旅館の女将として致命的であった。おまけに大女であった。顔も美人からほど遠かった。その上、ろくに口がきけない上に、挨拶などの行儀作法もてんで駄目であった。

 旧家の 9人兄弟の末っ子という立場で、甘やかされて育ったせいか、何一つ接客ができなかったのである。18歳まで甘やかされて世間を知らずに生きてきたのだ。そんな娘がいきなり旅館の女将になったとしてもうまくいくわけがない。自信喪失して鬱になるのも無理はないだろう。彼女は、生理が来ると布団に寝込んだ。それを舅が嫌った。その結果半年も待たずに離縁され木更津の旅館を去り東京の榊病院に入院した。そこで知り合ったのが前沢誠助である。松井須磨子は、 4年後にその前沢誠助と結婚するのだが、 そのきっかけが芝居であった。

 前沢誠助は巌谷小波の門下生であった。巌谷小波は、おとぎ話の開祖みたいな人なのだが、その門下生がおとぎ芝居の演劇をやっていた。そこにやってきたのが松井須磨子である。なぜか彼女は女優になりたがっていた。ところが松井須磨子は初対面の挨拶も出来なければ、ろくに口もきけない。美人と言うわけでもなく鼻ペチャでむしろ人並み以下だった。おまけに顔も体も大きく、動きはがさつで、全く落ち着きがなかった。その上教養もなかった。

 女優としては、とても成功するとは思えなかったのである。

 そんな彼女が、唯一武器にできる物と言ったら、女性と言う武器である。といっても、社交的なわけでもなく、大して美人というわけでもないので、果たして武器になったかどうかはわからない。

 しかし、現実世界は、理屈通りには動かない。
 この挨拶もできない松井須磨子を嫁にする物好きな男がいた。
 前沢誠助である。

 何がどこを気に入ったのか、彼が彼女にデレデレになり、自分のコネをフル活用して松井須磨子を女優にするのである。

 まず坪内逍遥の文芸協会の演劇研究所に研究生として入所させた。おそらくそこしか入るところがなかったと思われる。どんなドサ回りの劇団であっても、挨拶もできない器量の悪い大女に仕事がなかったと思う。しかし坪内逍遥は、彼女の入所を認めた。理由は簡単で、でかいからである。同期に3人の女性がいたが、 3人ともでかかった。みんな170センチぐらいあったといわれる。



 この文芸協会に講師として存在していたのが、東儀鉄笛であり、島村抱月であった。
 東儀鉄笛は、いわゆる明るいスケベで、よく下ネタを言っては人を笑わせる。
 それに対して島村抱月はむっつりスケベであったらしい。

 松井須磨子は、もともとは不器用な人間だったので、とにかく一生懸命演技の勉強した。と言うより前沢誠助のコネクションで、いろいろ家庭教師をつけて頑張った。当時、最新技術であった整形手術も前沢誠助の援助でしている。前沢誠助は、ありとあらゆる力を使って松井須磨子に尽くした。そして松井須磨子は、文芸協会の島村抱月や坪内逍遥に認められるようになる。つまり、マイフェアレディの日本版がそこにあったのだ。

 しかし事実は小説より奇なりである。
 いや、事実はミュージカル映画より奇なりである。

 この物語は、マイフェアレディのようにハッピーエンドでは終わらなかった。松井須磨子は、そこまで尽くしてくれた前沢誠助をいとも簡単に捨ててしまうのである。そして、次のパトロンを探し求めるのだ。最初は坪内逍遥に甘い声をかけたようだが、倫理に厳格な坪内逍遥にそんなものが通用する訳がない。明るいスケベの東儀鉄笛にも何か仕掛けたようだが、京都人である海千山千の東儀鉄笛に通用する訳がない。

 最後に残ったのがむっつりスケベの島村抱月である。もちろん妻子がいる。小さな子供たちもいて、あのカチューシャの唄やゴンドラの唄を作曲した中山晋平が書生として、島村抱月の子供の子守をしていたのである。その島村抱月を松井須磨子は公私ともに何かと頼るようになった。依存するようになった。

 松井須磨子は依存症の病気を持っていた。 17歳で旅館の嫁になって捨てられてしまった女である。それがトラウマになったのだろうか? 何かに捨てられまいと、怯えるように、常に誰かに依存するようになっていた。最初は前沢誠助に依存していた。そしてマイフェアレディのように女優としてデビューする。すると前沢誠助のことはケロリと忘れてしまって、島村抱月に依存してしまった。いつも全方位に顔を向けて、依存すべき人間を探しているような女性だった。だから、島村抱月でなくてもよかったのかもしれない。しかし、島村抱月は、自分に依存してくる松井須磨子を支えてしまったのだ。そして不倫関係が成立してしまうのである。

 中山晋平は、それに苦しんだ。
 島村抱月の子供たちが悲しんでいる姿にを苦しんだ。
 それを師匠である島村抱月に何度も訴えたが、だめだった。

 中山晋平がのちに童謡作家として数々の名作を残すのは、この時の苦しみがあったからである。そう思うと、彼が作曲した砂山やシャボン玉を聞いてみると、心にズシリとくるものがある。



 それはともかく、マイフェアレディのような物語はこれ1つでは無い。日本ユースホステル協会を作った横山祐吉にも同じような体験があったのである。彼も芸事で大化けした体験が何度もあったのだ。最初は弁論であった。無口でろくに挨拶もできず、人と口がきけない横山祐吉を大きく変えたのは麻生中学校の弁論部であった。彼はその弁論部で、先輩たちから弁論を鍛えられ、弁論大会で代表に選ばれている。その時に毛虫が蝶々に変化する快感を覚えたのだ。

 次は音楽であった。横山祐吉の音楽の才能を開花させた男は、目の見えない視覚障害者であった。目が見えないにもかかわらずピアノを弾く友人に音楽の才能を開花させられた。ここでもマイフェアレディのような奇跡が起きた。毛虫が蝶々に変化した。そして東京上野音楽学校の声楽科に1発で入学している。

 そして次は新劇であった。もちろんここでもマイフェアレディのような奇跡が起きている。というかもうすでに奇跡とは言えない。弁論部で鍛えた声、声楽科で鍛えた声、それらの才能が、台本の朗読で人々を驚かしている。ここでは最初から蝶々であったかもしれない。ただ不思議なことに、横山祐吉は、毛虫を蝶々に変えてくれた恩人の名前を後世に残してない。

 ただ一ついえることは、松井須磨子ほどでは無いにしても、少しばかり人に依存するようなところがある。それは彼のその後の人生を見るとよくわかるのだ。 そして依存すべき人々に全て先立たれてしまうと、彼は振るわなくなるのだ。


つづく。

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2015年03月10日

ゴールデンウィークの悩み

 今日は、中之条の税務署に申告に行ってきた。ついでに前橋にも出かけてきた。そして驚いた。暖かいのである。春なのである。北軽井沢は、依然として氷点下の気候で冬真っ盛りなのに、中之条や前橋は春なのである。このギャップに驚きあきれてしまった。これが同じ群馬県なのかと、呆然とするばかりである。当然のことながら、春の準備をしてなかった。前橋あたりで花粉が飛んでいるとは夢にも思ってなかった。それでえらい目に遭ってしまった。もちろん北軽井沢に帰ってから、衣服を全部洗濯して、花粉を洗い流し、鼻炎薬を飲んだ。

 それにしても、今年の北軽井沢の雪の量は、どうしてこんなに多いのだろう? 去年はとんでもない大雪にやられてしまったが、今年はその去年より雪が多いかもしれない。少しずつ降っているために、今年は豪雪というイメージは無いのだが、合計したら去年よりも積雪量が多いのではないだろうか?

 今年の天気図もちょっとおかしい。毎週のように2つ玉の低気圧が日本列島を通過している。これでは冬山は荒れる一方である。山に雪に覆われる一方である。今年に関して言えば、山に雪が少ないなんていうことはなさそうだ。しかし、だからといって例年より寒いということでは無い。むしろ暖かい。だから雪崩も少々心配である。

 前置きはここまで、本題に入る。

 そろそろゴールデンウィークの予約が入ってきている。日程によってはすでに満室の日もある。もちろんツアーも行う予定である。そこで少しばかり困ったことになった。今年は残雪が多そうなので、ゴールデンウィークのツアーの計画が立てにくいのだ。湯ノ丸高原や鹿沢あたりの山は、おそらく登ることはできないであろう。可能性があるのは、小浅間山や鼻曲山や浅間隠山ぐらいだろうけれど、そこも状況によっては難しいかもしれない。

 かといってこんでいるゴールデンウィークに遠方に出かけるわけにもいかない。そうなると、本当に近場のハイキングとか、アプトの道とか、温泉になってしまうかもしれない。私個人としては、中山晋平記念館や高野辰之記念館あたりを散策するのも面白いかなーと思うのだが、まぁこれはプロ向きすぎるだろう。「故郷」「朧月夜」などの唱歌を生み出した高野辰之や、それらの唱歌に対抗して『シャボン玉』『てるてる坊主』『証城寺の狸囃子』『背くらべ』といった童謡を生み出した中野晋平に興味ある人がいるとも思えないし、そもそも博物館巡りみたいな行事は、うちの宿らしくない様な気もする。

 やはりここは、浅間牧場のような緑がいっぱいある所をのんびり歩くのが正解なのかもしれない。雪がなければ三笠ホテルから白糸の滝まで歩いてもいいし、天気が良ければ、牧場をのんびり歩いてもいいのかもしれない。


つづく。

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2015年03月11日

ダウンジャケットの汚れ

 嫁さんが、ダウンジャケットを洗濯機で洗うと言ってきた。昔なら、お馬鹿な嫁だなぁと、説教のひとつもしたものだが、 50歳を超える歳になるとそんな気は全く起こらない。むしろ、ダウンジャケットを水で洗うと、どのような結果になるのか、そっちの方が気になる。もちろん無惨な結果になるのは分かっているが、それがどの程度なのかが気になってしまう。モノを大切にする心よりも、科学的な好奇心の方が上回ってしまうのだ。
 どうせ汚れたダウンジャケットだ。捨てたと思って洗ってみるのも面白いかなーと思ってしまった。面白い結果が現れたら、ビフォーアフターを画像でこのブログに紹介したいと思う。果たしてどのような結果が出るのだろうか?

 それはともかく、うちにはドライクリーニングの洗濯機がある。つまり水を使わないでダウンジャケットが洗濯できるのだ。布団カバーや羽毛布団などは、それで洗濯をしている。これで大半の汚れは落ちるのだが、汗汚れだけはどうしてもドライクリーニングでは落ちないので、年に1回ぐらいは布団カバーをウエットクリーニングをしている。もちろん羽毛の部分は、ドライクリーニングしかしてない。

 布団は、ある意味簡単だ。羽毛部分と布団カバーが完璧に分かれているからだ。だから羽毛をドライクリーニングにして、布団カバーをウエットクリーニングにすることができる。しかし、ダウンジャケットはそうはいかない。何度もドライクリーニングを行ったが、汗汚れは完璧には取れない。だから私は、黒いダウンジャケットしか買わないようにしている。
 しかし嫁さんは、よせばいいのにピンクのダウンジャケットを買ってしまった。当然のことながら、毎日きていれば汗汚れもついてくる。最初はドライクリーニングで、汚れがどんどん落ちていたのだが、ドライクリーニングの最大の弱点は汗汚れなので、だんだん汚れが落ちなくなってしまった。絶望した嫁さんは、ダウンジャケットを水洗いで洗う事を決断したのである。

 それにしても、なぜダウンジャケットは、羽毛を布団のように、カバーと羽毛を分離できないのだろうか? そういう機能があれば、多少値が張っても売れるのではないだろうか? この辺はメーカーの皆さんに、ぜひ商品化していただきたいと思っている。
 また、絶対汚れないダウンジャケットとか、洗濯機で洗えるダウンジャケットができたとすれば、これも商品として売れるような気がする。技術的には難しくないはずだ。ゴアテックスのような素材で羽毛を包むだけで良いはずだし、布団カバーと羽毛のように分離するというのも手だと思う。

 ただし、ユニクロで販売してるような安っぽいダウンジャケットは、コストがかかってしまうので不可能だろう。あれは使い捨てにするしかないのだと思う。むしろ、羽毛の代わりに何か新しい新素材を使って、洗えるダウンジャケットもどきを製品化するしかないかもしれない。


つづく。

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posted by マネージャー at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 2013以降 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月12日

日本YH史外伝 5 マイフェアレディ+ α

日本YH史外伝 5 マイフェアレディ+ α

みわぼーさん、レスを書こうと思ったら長くて書ききれなかったので本文に書きました。



>お陰様で、昨夏、岸田家の別荘、拝見できました!

そういえばそうでしたね。去年家に泊まりに来た時に、ゼンリンの地図を渡して解説していましたっけ。すっかり忘れていました。北軽井沢の大学村は、解説がなければ何の変哲もない別荘地なのですが、解説さえあれば、ものすごく興味深いところなんですよね。あそこから幾人もの人材が生まれた理由がわかるような気がします。


>いやはや、めぐり合わせとは不思議なものです。

 本当にそうですね。私も新劇を研究するとは思っても見なかったです。実は私の友人には劇団関係者がたくさんいて、ギリでチケットを買う羽目が多く、年間に何十回も変な劇を見させられることが多かったものですから、一時期うんざりしていたことも多かったです。だからチケットだけ買って見に行かないことも多かったんですが、そうすると相手が怒ってしまうので、めんどくさいなぁと思いつつも花束を持って出かけたものです。今から思えば芝居が終わった後に、何人も知り合いが花束を持って見に来ているのが、ステータスだったんでしょうね。そんな自分が、ユースホステルの歴史を勉強するために、今では新劇の勉強してるわけですから世の中というのは不思議なものです。

 実は、最近歌舞伎とか浄瑠璃とかに非常に興味がありまして、これが見たくて見たくてたまりません。というのも新劇を研究する上で、歌舞伎と浄瑠璃は絶対に欠かせないものなのですね。もちろん謡いや三味線なんかも避けて通れません。これを無視すると新劇の研究は全く分からなくなり不毛なものになりますね。幸い最近は、 YouTubeと言う非常に便利なものもありますので、おおよそどんなものかがわかるのがありがたいです。しかし、実物が見たい。いちどでいいから歌舞伎座に行ってみたい。

 考えてみたら、私が贔屓にしていた俳優というのは、もともと歌舞伎役者だった人間が多かったです。遠山の金さんで有名な中村梅之助とか、その息子さんは歌舞伎役者でした。中村系統の役者で言えば、中村玉緒とか万屋錦之介なんてのもいますね。

 市川海老蔵といえば、今の人にとっては、あの暴力事件の市川海老蔵なんでしょうが、私にとっての市川海老蔵は、そのお父さんです。そのお父さんが、昔、市川海老蔵と言う名前で宮本武蔵の主役をやっていました。私はそのドラマに感動して、佐渡島の山で山籠もりをして木刀を作ったり、剣道部を作ったりしたものです。

 それはともかくとして、歌舞伎役者として超有名人の中に、新劇関係とユースホステル関係に深く関わった人がいます。 2代目市川猿之助です。この人は、日本の新劇に多大なる貢献をした人でもありますが、映画俳優としても有名で、のちに日本ユースホステル協会を設立する中山正男の映画『続馬喰一代』の主役を演じているからです。

 ちなみに彼は、明治42年に二代目市川左團次の主宰する自由劇場に参加。その後欧米に留学して最新の舞台芸術を学び大正九年には春秋座を主宰。その後は二代目左團次一座に入り、大活躍します。水谷八重子などとも共演しています。



 その孫がスーパー歌舞伎で有名な3代目猿之助ですが、元宝塚歌劇団で女優の浜木綿子と結婚してすぐに離婚しています。その時に生まれたのが『半沢直樹』や『ルーズベルトゲーム』や『流星ワゴン』で素晴らしい演技をしている香川照之です。実は日曜劇場『流星ワゴン』の香川照之は大好きでして、嫁さんと息子と一緒に見ています。香川照之は、ものすごいいい演技をしていますよ。香川照之は、いい役者ですね。





>それから、戸板女子! そうですよね。
>戸板先生の一族の方が運営されていたんですね!

本来は山口という名前だったのですが、母方の祖母で戸板裁縫女学校の創立者である戸板関子の養子となっています。その戸板裁縫女学校に松井須磨子が、入学していました。


>坪内逍遥の文芸協会から派生した芸術座の島村抱月・松井須磨子があり、
>ドイツ表現主義の演劇を上演した築地小劇場の小山内薫、土方与志、それから、

私は劇芸術を本格的に勉強しないのでドイツとかロシアとかイギリスとかの影響については、よくわからないのですが、文芸協会は素人を役者にすることに心血を注いでいます。したがって演技の勉強だけではなくて、一般教養とか英語を非常によく勉強してるわけです。小山内薫は、その逆なんですね。歌舞伎役者を素人にしようとした。歌舞伎役者はご存知の通り一般教養なんてものがないわけです。伝統的な修行の積み重ねの上に成り立っているわけです。これを壊そうとした。この辺が面白いのですが、話が長くなるので今日はここまでということでご勘弁を。



つづく。

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posted by マネージャー at 10:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本ユースホステル運動史の周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北軽井沢ラーメンミルク味

 今日、テレビで群馬県が紹介されていた。なんでも群馬県の美肌ランキングが全国最下位だったらしい。その理由は、空気が乾燥していて、から風が強く、年間降水量も少なく、紫外線も強いのが原因らしい。おまけに静電気の発生率も全国でトップクラスだったとのこと。うちの嫁さんはテレビを見ながら、そうだよその通りだよ。と、うなずいていた。

 確かにその通りなのである。群馬県は年間を通して雨が少ない。つまり乾燥しているのだ。そのせいか麦の産地となっている。いつだったか、嫁さんの実家にお邪魔した時に、田んぼがなんだか変だなぁと思っていたら、田んぼではなく麦畑だった。雨が少ないために、米ではなく麦を作っているのである。だから群馬県は、小麦の産地であり、うどんの名所でもある。

 似たような県に香川県がある。あそこも年間降水量が少なくて、小麦の産地であり、うどんの名所でもある。だから香川県といえば讃岐うどんである。ただし、群馬県と香川県ではちょっと違うところがあるのだ。香川県民は、うどんを外で食べる。外食でうどんを食べるのだ。それに対して群馬県には、そういう文化はなくて、うどんは家の中で食べるのだ。うどんを自宅で作り、自宅で食べるらしい。だからうどんの産地の割にはうどん屋は少ない。

 そこが不思議だった。

 しかし、今日テレビを見てなんとなく分かってしまった。から風がすごくて、土煙が舞い飛ぶ群馬県では、たかがうどんを食べるために外食に行く文化は育たなかったのかもしれない。風と闘いながら、砂埃と闘いながら、外食に行くぐらいだったら、自宅でうどんを打った方が良かったのかもしれない。

 ただし、群馬県にはうどん屋は少ないのだが、ラーメン屋は多い。群馬県はラーメン王国なのだ。うどんは自宅で打てるが、ラーメンの麺は自宅では打てない。だから、外食にラーメン屋に行く文化が育ったのかもしれない。からっ風で冷えた体をラーメンは温めてくれるから、ラーメン屋が多くなったのかもしれない。

 ただし、群馬のラーメンは、ちょっと要注意である。地域によっては、麺が柔らかいからだ。特に佐野ラーメン系統は要注意である。固い麺を飲む私としては、それがちょっと残念である。あと、変わったラーメンを出すところが多いのにも気をつけた方が良い。オンリーワンにこだわるあまり、王道から外れてしまったようなラーメンも多いからである。

 ただし、話の種には、そういうラーメンも面白いかもしれない。長野原草津口駅の近くに溶岩ラーメンというラーメンを食べさせる店がある。味はまぁ普通なのだが、ちょっと変わったラーメンだ。真っ赤に焼いた石を、ラーメンの丼の中に入れて出して来るのだ。焼けた石がラーメンどんぶりに入っているわけだから、真っ赤なスープの中から、溶岩がブクブクと泡立つように気泡が出てくる。まさに浅間山の火口のような姿をしたラーメンであった。

あと北軽ラーメンミルク味という不思議なラーメンもある。これが意外にまずくない。かなり不思議な事だが、悪くは無いのだ。むしろ美味しい。ただし、私はオーソドックスな味を好む人間なので、私の好みからは外れてしまう。やはり私は、鹿沢のけんちゃんラーメンの塩ラーメン大盛り500円が好きだ。

ただし、旅先で珍しい物を味わう気分ならば、これはこれでアリだと思う。
ミルク味のラーメンなんて、北軽井沢か札幌時計台前ぐらいにしかないだろうから。


つづく。

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posted by マネージャー at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 2013以降 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月13日

北軽井沢マラソンとキャベツマラソンの日程が確定

今年も北軽井沢マラソンが行われることになった。
日程は、6月21日(日)である。
受付開始は、3月16日(月)。
申込締切は、5月31日(月)。
ただし先着順で、定員になりしだい締め切られる。

実は定員が少ない。
  ハーフマラソンで、たったの800名である。
  6.5qで、300名。
  3qで、100名。
なので、出場を希望される方は、早めに申し込んだ方が良いと思う。

あと第7回 嬬恋高原キャベツマラソンの日程も確定した。
7月12日である。
種目は、『ハーフ』『10q』『5q』『2q』
問い合わせは、嬬恋村観光商工課(0279-96-1515)に


ちなみに北軽井沢ブルーベリーYGHは、北軽井沢マラソンとキャベツマラソン参加者を応援している。
興味ある方は、下記サイトをご覧ください。



◆北軽井沢マラソン http://kaze3.cc/01-12.htm
  1.朝食は、5時45分頃までには食べられるようにします
  2.食事はマラソン食をお作りしています
  3.全室バストイレ付きです
  4.前日には、星空温泉ツアーを行っています
  5.会場まで2qの近さです
  6.希望者には会場まで車で送ります(帰りは自力で帰ってください。2qです)
  7.北軽井沢マラソン参加者にかぎり、チェックアウトを14時まで延ばせます

◆キャベツマラソン http://kaze3.cc/01-11.htm
1.朝食は、5時45分頃までには食べられるようにします
2.食事はマラソン食をお作りしています
3.参加費500円のキャッシュバックがあります
4.全室バストイレ付きです
5.前日には、星空温泉ツアーを行っています
6.キャベツマラソン参加者にかぎり、チェックアウトを14時まで延ばせます。
7.会場までの送迎は、嬬恋村観光商工課が巡回バスで行う予定です。万が一、村の巡回バスがでない場合は、車などの交通手段の無い方を優先に7名までは、北軽井沢ブルーベリーYGHで行いますのでご安心ください。(ただし、定員が7名までなので、交通手段の無い方が優先にになります)




つづく。

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posted by マネージャー at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 業務連絡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月14日

日本における幼児死亡率の低さ

 日本における幼児死亡率の低さは、とても低い。これが日本人の平均寿命を伸ばしている原因でもある。その理由は、自分に息子が生まれるまでわからなかった。今ならわかる。日本の赤ちゃんは、自治体の見えざる手に守られているのだ。

 2週間ぐらい前に、息子の2歳児健診があった。といってもまだ息子は1歳11カ月なのだが、 2月生まれと3月生まれの赤ちゃんたちが、勢揃いして検診を受けるのである。ちなみに、子供が産まれると3ヶ月検診、 6ヶ月検診、 1歳児検診、 1歳6ヶ月検診、 2歳児健診とめじろ押しである。その他にも予防接種や歯の検診などがある。これらのイベントに何らかの理由で参加しないと、村役場から担当者が訪ねてくる。そして、 2か月後に検診を受けるように注意されるのである。ここまで子供に手厚くなっている。子供が虐待されていないかどうか調べるためだろうと言われている。

 ちなみに、検診の時に、何度か子供と引き離されて、母親だけで離乳食の作り方とか、そういった講義を受けることもある。その時は、他の職員さん達に子供を預けるのだが、おそらくそのときに、赤ちゃんが虐待されているかどうかチェックされていると思われる。そういうのは、ぷんぷんと空気で伝わってくるので、否応でもわかってしまう。

 とにかく日本では、子供たちが自治体から守られているのがよくわかる。これは子供を授かってみると本当によくわかる。母子手帳が発行されると、役場の職員の方が自宅まで訪ねてこられた。そして、夫婦で講習にきませんかと誘いに来られた。わざわざ、妊婦のところまで訪ねてこられるなんて、うちの嫁さんが妊娠するまで考えもしなかった。本当に至れり尽くせりだった。

 出産直後、うちの嫁さんが、ちょっと鬱っぽくなったことがあった。その時も、保健婦さんたちが真剣に悩みを聞いてくれた。そしてお医者さんに掛け合って、睡眠導入剤などの薬をもらってきてくれた。その方は、見るからに癒し系の人で、嫁さんの話を聞いてくれるだけで、嫁さんの体調が良くなっていくではないかと思えることだった。電話でのサポートもあったし、いろいろな団体さんを紹介もしてくれた。

 そういえば、赤ちゃんの検診の時に、看護学校からの実習生の人たちが来ていて、盛んに赤ちゃんを抱っこしたりあやしたりもしていた。未来の保健婦さんだろうか? それとも以来の助産婦さんだろうか? そーゆー若手に、現場を体験させてあげるシステムも完璧に見えた。

 妊婦さんやお母さんは、いろいろな割引があるのも初めて知った。関東地方限定かもしれないが、赤ちゃんの医療費は一切かからないのも驚いた。病院に行っても、 1円もかからないのだ。だから金がなくて病院に行けないという事は無い。おまけに児童手当ももらえる。これを学資保険に積み立てると300万近くになって大学の学費になるというのも知って驚いたものだ。

 とここまで書いて、思い出すことがある。今から25年位前に世界中を放浪したことがあったのだが、こんなに子供に手厚い国は、世界中どこにもなかったと思う。試しにインターネットで調べてみたら、新生児の死亡率の低さは世界第一位だった。乳幼児の死亡率の低さは世界第3位である。やはり、かなり死亡率は低い。

 ところがである、 1歳から4歳までの幼児死亡率となると、世界で21番目という低さになってしまう。先進国14カ国の中では、アメリカに次いで下から2番目なのだ。これはあまり褒められたことでは無い。幼児虐待が問題となっているからだろうか? それとも小児科の先生が激減しているからだろうか? 死亡原因の統計を見てみると、不慮の事故と先天奇形が多いようだ。そして心疾患や肺炎で死亡するケースも多い。先天奇形や心疾患はともかくとして、不慮の事故と肺炎だけは気をつけたいと思った。

 さて、息子の2歳児健診の結果である。

 一言で言うと、太り気味であった。この頃の男の子の平均体重は、 12キロらしいのだが、うちの息子は14キロもあった(身長は88センチ)。明らかに食べ過ぎなのである。おそらくお客さんと一緒においしいものたべすぎたのだろう。そこで思い切ってミルクを減らし、水を飲ませるようにした。すると、恐ろしいことに、どんどんスリムになっていく。出っ張っていたお腹が、数日で、どんどん凹んでいくのだ。これには呆れかえってしまった。

 あと面白いのは、スリムになると、運動量が増えるのである。ロビーを走り回るようになったり、 NHK教育放送の幼児番組の体操を見せると盛んに飛んだり跳ねたりする。エネルギーを爆発させるようになってしまった。ますます手に負えなくなってきたが、これが本来の子供の姿なんだろうなぁと、半ば諦めている。

しかし、面白いもので、お客さんが入る週末などは非常におとなしい。こっちが忙しいと、かなりおとなしくなるのがありがたい。しかし、お客さんがいなかったりすると、何となくそれが息子にもわかるらしく、やたらと欲求が多くなるのだ。こーゆーところも、知恵がついてきた証拠なのかもしれない。


つづく。

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posted by マネージャー at 16:48| Comment(4) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月15日

黒斑山にスノーシューツアー

こんかいは、経験者がいたので黒斑山にスノーシューツアーです。
すごい晴天で、絶景の連続。
富士山は、もちろん、
北アルプスや、志賀高原に、谷川岳、八ヶ岳、蓼科まで。
いつか浅間山にもチャレンジしてみたいものです。

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つづく。

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posted by マネージャー at 22:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 浅間山・黒斑山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月16日

次期NHK大河『真田丸』のキャストは?

次期NHK大河『真田丸』のキャストは?

下記のニュースによると、次期NHK大河『真田丸』のキャストが内定しつつあるらしい。

http://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/a/ar-AA9MlbH#page=2

 真田昌幸役には草刈正雄、
 兄の真田信之役には大泉洋、
 豊臣秀吉には小日向文世、
 淀君には竹内結子、
 茶々役には鈴木京香、

 昌幸に草刈正雄というのは、ちょっと苦笑してしまった。これは大河ドラマのオールドファンに対するサービスなのかもしれない。しかし、正直なところあまり似合ってないと思う。一癖も二癖もあるような人を配役した方がいいのではないだろうか? でもまぁ、ファンサービスと考えたら、これはこれでアリなのかもしれない。問題は真田信之の大泉洋である。どういう考えで、こうなったのだろうか?

 まあいい。
 ケチをつけるのはやめよう。
 温かく見守っていこうと思う。

 それよりも興味があるのは、毛利勝永の役を誰がやるか?である。こっちのほうに興味が出てくる。というのも大阪方の最強軍団が、何を隠そう毛利勝永であるからだ。彼の軍団は、真田軍団よりも大活躍している。というか、彼の活躍で下手したら家康の首はなかったのだ。歴史オタク達や、筋金入りの歴女たちは、真田幸村ではなく、圧倒的に毛利勝永のファンなのである。それほどすごい武将である。なにしろ16の大名たちを次から次えと敗走させ、ちぎっては投げちぎっては投げの大活躍。はっきり言って、彼を主人公にして大河ドラマを作った方が良いのではないかという言うぐらい、すごい武将なのだ。

 それだけでは無い。負け戦に絶望する真田幸村を慰め励まし、自ら殿を務めて迫りくる敵を尻目に悠々と退却している。最後の決戦でも、もし真田幸村の軍が、先に壊滅していなければ、徳川軍はかなり酷いことになっていたはずだ。本当のヒーローは毛利勝永のはずなのだが、その勝永を誰が演じるのか? 本編でどのように登場するのか? そこが興味深いところである。毛利勝永と真田幸村のコンビ、二人の配役が釣り合ってないと、真田丸は面白くなくなるのだ。真田幸村は界雅人に決定済みなのだから、毛利勝永は一体誰が演じるのだろう? 香川照之? 及川 光博?


つづく。

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posted by マネージャー at 23:29| Comment(7) | TrackBack(0) | ニュース・時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月17日

日本YH史外伝 6 脱歌舞伎

 今日は、 4月ぐらいの陽気だったために雪がどんどん溶けていっいった。といっても、もともとすごい量の雪が積もっていたために、雪が溶けるといっても限界がある。今年は明らかに雪の量が多いのだ。去年、ものすごい大雪が降ったが、あの時よりも雪の量は多いのではないだろうか? というわけで、今週末に、今期最後のスノーシューツアーが行われる予定である。積雪の量に関しては問題なさそうなので安心している。なにしろあの小浅間山や黒斑山でさえ南斜面に大量の雪は残っているからだ。

 前置きはこのくらいにして本題に入る。

 とんねるずなどが使う業界用語として逆さ読みがある。例えば、素人のことをトーシロと逆さに言ってみる。うまいをマイウと、逆さに言ってみる。これを逆さ読みという。これなどはテレビの業界用語だと思われているが、実はこのような逆さ読みは江戸時代から伝わる隠語であるのだ。たとえば、売れなくなった役者や歌手が地方巡業することをドサ回りというけれど、これも逆さ読みである。

 話は変わるが、私は新潟県は佐渡島に生まれた。佐渡島には能舞台が多い。大町桂月の句に 「鶯や 十戸の村の 能舞台」という佐渡を呼んだ句があるが、それほど能舞台の多いところである。文化芸能が盛んであったのだ。なので全国からいろいろな芸能人が佐渡にやってきた。なにしろ金が大量にとれるし、天領なので年貢は低い。だから金払いもいいから大勢の芸能人が荒稼ぎした。そこから荒稼ぎする場所として佐渡に行く事をドサ回りといった。佐渡を逆さに呼んだのである。いわゆる業界用語=隠語である。

 ここで出雲阿国(いずもおくに)と言う歩き巫女がでてくる。出雲大社の寄付金を集めるために全国を放浪する女性芸能人である。いろんな地方に出張し、そこで出雲の御神楽を見せる。今で言えばオランダの飾窓のようなものである。御神楽で歩き巫女、いわゆる女性の姿を人々に披露する。そして夜は、金を積んだ男のもとに行き一夜を過ごすのである。そうやってお金をどんどん稼ぐのだが、ある程度お金が貯まってくると、もう売春のようなことをしなくてもよくなる。なにしろ金を持っているので、故郷に錦を飾りたいというか、文化の中心地で自分たちの芸を見せびらかしたいと思ったわけだ。そこで京都に現れて、豪華絢爛な衣装を着飾って、ものすごい派手な御神楽を見せるわけである。

 それがどんな状態だったかと言うと、これが不思議なことに全く同じような映画が北軽井沢大舞台に作られていた。高峰秀子主演の「カルメン故郷に帰る」である。カルメンという踊り子が故郷の北軽井沢に錦を飾ろうと帰るのであるが、そこで芸術と称するストリップショーをやるわけだ。それを親族や校長先生などが恥じるわけだが、地元の人たちは大喜びで拍手喝采すると言う映画である。これと同じことが、京都で起きたのだ。出雲阿国と言う歩き巫女が、派手な衣装を着て京都でえげつない踊りをしたのである。

 歌舞伎はここから生まれたのだ。

 しかし、まもなく出雲阿国の女歌舞伎は幕府によって、風紀を乱すということで禁止されることになる。売春と芝居が表裏一体になっているので、当然といえば当然である。歌舞伎が男たちだけで演じられているのは、そういう背景があったからである。

 さて歌舞伎であるが、江戸時代では芝居と言われていた。つまり大衆の娯楽であった。ところが、江戸時代は260年の長きにわたって続いていく。そして大衆の娯楽であった芝居も次第に古典となっていき、通が好む伝統芸能となっていく。年輪を刻むうちに技術と芸術が磨かれて行って、徐々に難解になっていくのだ。そして今の歌舞伎に至るわけだが、明治維新のあとに西洋の演劇に接することによって衝撃を受けた。あまりにも歌舞伎と違っていたからだ。

 そこで、脱歌舞伎運動が始まる。坪内逍遥の文芸協会は、素人を役者にすることによって脱歌舞伎を目指した。 2代目左団次は、その逆で歌舞伎役者を素人にする方向で、脱歌舞伎を目指した。若月紫蘭の新劇研究所はどうかというと、どちらかというと坪内逍遥の文芸協会に近い。

 ところがである。いろいろな人たちが脱歌舞伎を目指したのだが、まったくもって脱歌舞伎になってなかったのだ。たとえば坪内逍遥は、 9代目団十郎を理想とした演劇を目指していた。脱歌舞伎なのに、9代目団十郎をお手本にしてるわけだから脱歌舞伎もへったくれもない。

 当然のことながら若月紫蘭も似たようなものである。彼の新劇研究所の講義などは、まず姿勢から入っていった。姿勢を正して、台本を高く腕に持ち、それを朗々と読み上げるのである。リアリティーもへったくれもない。腹に力を入れて、大声で台詞を言うのであるから、やはり歌舞伎の延長線上にあったようなものだ。それにずっと不満を抱いていた人がいた。天笠貞という小学校の教員である。後の横山祐吉の奥さんになる人であった。



つづく。

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2015年03月18日

元伊豆臼井YH・修善寺YHペアレントの高梨和夫さんがお亡くなりになってしまった

 いつだったか、嫁さんがダウンジャケットを水で洗った事をこのブログに書いた。一般的に言ってダウンジャケットを水で洗う事はしない。水洗いができないのがダウンなのだ。昔なら、嫁さんがダウンを水で洗うのを止めたものだが、この年になると、水で洗ったらどうなるかという好奇心が強くなってしまい、黙って見ていた。その結果が分かったのでここに報告する。結論から言うと、見た目は全く問題ないように見える。もちろん、本来の防寒性能が落ちているかどうかはわからない。ただ見た目で言うならば、水洗い前と水洗い後では全く変化が見られない。後は防寒性能を確認したかったのだが、残念なことに北軽井沢は、だんだん暖かくなっている。なので本当のところはどうかわからない。

 まぁそんな事はどうでもいいとして、昨日今日と嫁さんと息子が実家の館林に里帰りしていたので、久々に愛犬コロを連れて10キロ近く散歩をした。そして帰ってからメールを確認していたら、日本ユースホステル協会から訃報の連絡が入っていた。

 元伊豆臼井YH・修善寺YHペアレントの高梨和夫さんが、平成27年3月8日(日)午後12時17分、入院先の伊豆長岡の病院にて誤嚥性肺炎外傷性小腸損傷のため逝去された(享年84)とのことであった。葬儀、告別式は近親者のみにて執り行われたとの事。後日関係者による“偲ぶ会”が開催される予定であるらしい。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。

 高梨さんは、伝説的なペアレントである。ユースホステルのペアレントというのは、癖のある人が多い。見方も多ければ敵も多いというタイプの人が多い。そういう中で、高梨さんの悪口を言う人を聞いたことがない。誰からも慕われる人格者である。かといって、極端に親切だとか優しいということではなく、飄々として空気のような存在である。言葉を静かに語り、癖を感じさせない老子のような人であった。

 実は私は、この高梨さんに2回しか会ってない。 1回目は修善寺ユースホステルで開かれたペアレント教室で、一緒にホスティングの実習を行っている。その時は、伝説的なペアレントであった事を知らなかったために、誰だろうこのおじさんはと、思っていた。その頃の高梨さんは、日本ユースホステル協会を退職され、修善寺ユースホステルの近所で、鍼灸師として第二の人生を送っていた。たまたま、修善寺ユースのペアレント教室に遊びにきていた時に、私と出会っていたのだ。ただ、私はその人がどんな人物かわからなかったので、ろくに会話を交わしていない。けれど、高梨さんの印象だけは、いつまでも心に残っていた。

 その10年後、私は日本ユースホステル協会を設立した横山祐吉氏を調べていた。調べていくうちに、高梨和夫と言う人間に合わなければならなくなった。高梨さんは、横山祐吉氏をよく知っているのである。私は、 2泊3日の予定で伊豆の修善寺に向かった。そして高梨さんにお会いした。お会いした時に、修善寺ユースのペアレント教室で1度会ったことがあることを思い出した。

 私は高梨さんが、自費出版していた高梨さんの詩集を持っていた。『死んでたまるか、生きろ』という詩集であった。その本のあとがきには、壮絶な彼の人生が書かれてある。それにサインをしてた高梨さんの姿が懐かしい。無口な高梨さんは、横山祐吉氏のことをいろいろ話してくれた。ぽつりぽつりと、断片的なことではあったが、なんでも知っていた。高梨さんと横山さんは大変仲が良かったようだ。横山さんは、時々高梨さんのところにやってきては、鍼灸の治療をお願いしていたようなのである。だから色々なことを高梨さんは知る立場にあったのである。

 その高梨さんがお亡くなりになったと聞いて、私は愕然としてしまった。また1つ日本ユースホステル史を調べる手がかりを失ってしまったのだ。もう時間との競争である。歴史の証言者たちは次々となくなりつつある。時よ止まれと叫びたい。


つづく。

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2015年03月19日

日本YH史外伝 7 歌舞伎と新劇

日本YH史外伝 7 歌舞伎と新劇

 映画芸術を学ぶものは、まず最初にソ連の映画監督であるプドフキンから始まる。そして次にエイゼンシュタインを学ぶことになる。理由は、プドフキンが世界で初めて映画の文法を発見し、エイゼンシュタインがそれを完成させたからである。

 映画というものが世界に登場した時、そこに人間の言語と同じような文法があると思った。ちなみに当時映画には音声はなかった。音がなくて映像だけだった。映像のカットを組み合わせることによって、新しい言語ができるのではないかと考えられたのだ。これをモンタージュ理論という。

 例えば何か考えている人がいるとする。その次のカットに死体を組み合わせれば、殺人を考えてるように見える。死体の代わりにご馳走を持ってくれば、お腹が空いた人のように見えてしまう。つまりカットとカットを組み痩せることによって、新しい意味を作ることができる。これがモンタージュ理論である。

 そしてこのモンタージュ理論は、革命が成立したソ連において生まれた。そしてそのモンタージュ理論の究極の完成形が大正14年に制作された戦艦ポチョムキンである。この戦艦ポチョムキンを見ると、誰もが社会主義に目覚めてしまうというメッセージ性を持った映画であった。しかも、その映画には俳優がいなかった。その辺にいる一般市民を使って戦艦ポチョムキンを作り、世界中の国家が上映禁止にしなければならなくなるほどの最高傑作が出来上がったのである。1本の映画が世界中に革命を起こしかねないほどの強烈なメッセージ性を持つ映画を作ってしまったのである。



 もちろん世界中の映画監督にも衝撃を与え、ヒッチコックなどの監督にも影響を与えた。もちろん日本でも同じである。多くの映画青年たちは、モンタージュ理論と戦艦ポチョムキンに熱狂した。私もその1人である。ところで、映画理論にはもう一つの流れがある。フォトジェニック理論である。これはモンタージュ理論と正反対の理論であるが、ここでは述べない。

 モンタージュ理論の特色は、役者さえも小道具にしてしまうところである。大切なのはメッセージであって、役者はそのメッセージを伝える単なる小道具として使われることが多い。だからエイゼンシュタインは、プロの俳優ではなく一般市民たちを採用することが多かった。にもかかわらず、プロの役者たちよりも一般市民の方が輝いていた。その輝きは、役者の演技力によるものではなく、巧みなカット割りによるものであった。それは後のヒッチコックなどにも影響を与えている。

 ではこのモンタージュ理論の究極の反対側に何があったかというと、ドイツ表現主義である。映画で言うとカリガリ博士などが該当する。

 古くから西欧では、写実にデッサンすることを目標としていた。とことんリアルに近づこうとしていたのだ。ところが写真機や映画が発明されると、絵画においてリアルに描くことの意味を失ってしまった。そこで生まれたのが表現主義である。

 表現主義を大雑把に言うと、リアルさを無視して感情に訴えかけて作る芸術である。メッセージよりも感情に訴えかける表現方法である。



 さて、長い前置きはここまでとして歌舞伎の話をしたい。大雑把に言って歌舞伎は、モンタージュ理論の戦艦ポチョムキンと全く違う時空にある。どちらかというとドイツ表現主義のカリガリ博士に近い。歌舞伎を見に来るお客さんたちは、ストーリーやメッセージを求めてない。歌舞伎役者の表現(演技)を見に来るのだ。弁当食べながら、酒を飲みながら、役者の表現をている。

 そもそも歌舞伎は、ストーリーの全てを演じない。
 すべてではなくて、盛り上がるところ、
 つまりクライマックスのいくつかを演じるのだ。
 大雑把に言うと、映画の予告編の規模の大きいものをいくつか見ているようなものなのだ。

 しかも、お客さんは、あらかじめストーリーを知っている。
 結末を知っているのに見に来る。
 というか、そういうお客さんを相手に歌舞伎を演じている。

 これがヒッチコックだったらどうだろう。推理ものだったり、シックスセンスやスティングのような映画だったらどうだろう。最初からきちんとストーリーを追っていかなければ、つまらないと思う。

 しかし、忠臣蔵や水戸黄門だったら、途中のストーリーを飛ばして見ても問題ない。どうせ、結末もあらすじも知っている。視聴者がこだわるのは、ストーリーではなくて役者の演技なのだ。どのように大石内蔵助を演じるかという点に興味が集中する。そのように、江戸時代の演劇は成熟していた。

 これが、明治大正になったところで簡単に変わるものではなかった。しかし坪内逍遥や2代目左団次は一生懸命変えようとしていた。けれど、なかなか変わらなかった。だから、若月紫蘭の新劇研究所でも、なかなか歌舞伎の影響を抜けきる事は出来なかったようだ。リアルを目指していたくせに、自らの教養に邪魔されてリアルになりきれなかった。歌舞伎は、歴史を重ねた奥の深い教養の上に成り立っているのである。

 それに対してソ連映画は、過去の教養を断ち切る形で成立した。ソ連は出来立てホヤホヤの若い国だった。だから簡単に教養を断ち切れたのだろう。彼らは映画の中に言語のようなものを見つけ、その言語を持ってメッセージお伝えようとした。いわゆるプロパガンダとしての映画作りを目指したのである。

 余談になるが、ソ連映画の戦艦ポチョムキンを最も高く評価したのは、ナチスのヒットラーだと言われている。ナチスにも、このような映画が必要だと思ったヒットラーは、ベルリンオリンピックの記録映画として、民族の祭典を制作した。ところが完成してみると、その映画は、戦艦ポチョムキンとは真逆の方法で作られていたから皮肉である。ドイツ映画界のドイツ的教養が、邪魔をしていたのかもしれない。

 日本だってそうだ。さんざんモンタージュ理論を学んでいるくせに、何度も何度も忠臣蔵を作ってしまう。日本国民はストーリーも結末もしているのに、それを見に行く。フーテンの寅さんだって同じだろう。あれだけのマンネリを48回も作り上げてしまっているのだ。けれど日本人はマンネリが好きだというわけでは無い。そうではなくて渥美清の表現(演技)を見に行っているのだ。決して寅さんのストーリーを見に行ってるのではないと思う。

 しかもである。寅さん映画を見る人たちや、歌舞伎を見る人たちの中には、少なからず眠ってしまう人達がいるらしい。半分以上は寝ていて盛り上がってるときに起き上がる人もいると関係者から聞いている。この辺が非常に面白いところでもある。

つづく。

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posted by マネージャー at 23:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本ユースホステル運動史の周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月21日

オフシーズン

 どういうわけか今年は雪が多い。これは北軽井沢に限らず全国的に雪が多いらしい。これでますます、ゴールデンウィークのツアーが難しくなった。やはり平地をハイキングするしかないのだろうか? でもまぁ、あと1ヶ月あるので、その間に急激に暖かくなって、山から雪が消えるのかもしれない。去年の大雪の時もそうだった。今年も何とかそうなってもらいたいものだ。

 それはそうと、昨日、一昨日と天気が良かったので、愛犬コロと息子を連れて軽井沢の公園に遊びに行った。軽井沢は、子供と犬の多いところである。昼間から子連れの親子が、大勢公園にやってきている。平日なのに親子が多いのは、自営業者が多いからである。軽井沢の自営業者にとって11月から4月まではオフシーズン。だから一生懸命に子供とコミュニケーションをとっている。ゴールデンウィーク以降から、 9月の連休までは、そういうことが全くできないからだ。子供たちの休日は、親たちの1番忙しい時だからである。

 なので3月の平日の公園は、子供たちと遊ぶ親たちでいっぱいだ。その風景を見ていると何か和むものがある。親たちは自分の子どもの相手を一生懸命している。これだけ子供に集中している親というのは、外ではめったに見かけないものだ。ゴールデンウィークまで、あと1ヶ月だ。あと1ヶ月したら、子供の面倒など見られなくなってしまう。だから今のうちに遊んでいるのかもしれない。

 話は変わるが、先日、お客さんから嬉しいお知らせが届いた。結婚のお話であった。数日後に、家に挨拶に来るとの事である。これだから宿屋はやめられない。他人様のことではあるが、幸せな報告は、聞いていて気持ちがいい。こいつは春からき縁起がいいと叫びたくなる。宿屋をやっていると、こういう話をたくさん聞けるので、これも役得というのだろうか?

 15年間宿屋をやっていると、いろいろあった。毎年送られてくる年賀状を見るだけで楽しいものだ。赤ちゃんが生まれましたから、子供たちの大きくなっていく様などは、次々と時代の移り変わりを感じさせてくれる。商売柄、パソコンの中には数々の画像データがいっぱいあるが、オフシーズンにそれらを眺めるのも、また楽しい。もうそろそろオフシーズンが終わりつつあるが、忙しくなる前に、去年1年間に撮りだめた写真集を見ながら、エネルギーを蓄えなければと思っている。

つづく。

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