2016年02月01日

お客様が、嫁さんの誕生日を祝ってくれました。

 先日、お客様が、うちの嫁さんの誕生日を祝ってくれました。

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 まず、大きな美味しい苺を4箱と、苺のワイン。
 これを差し入れてくれました。
 これがまた美味しかった。
 うちの息子は、 1人でバクバク食べていました。

 私も何個が食べたんですが、とても甘くて、まるで桃を食べてる感じがしました。マツコのナントカと言う番組で、苺の品種を紹介していましたが、そこで見たことのある苺でしたね。

 名前を失念してしまったのと、
 写真を撮り忘れてしまったのが、
 ちょっと残念です。


 苺ワインを飲んでしまったために、いい気分になってしまって、ブログでアップするための写真を撮り損ねてしまいました。

 その後、別のお客様が、わざわざうちの嫁さんのために誕生日ケーキを差し入れしてくれました。カフェ・ド・フルミエールで作ってもらったそうです。カフェ・ド・フルミエールというのは、北軽井沢の信号の所にあるスイーツの店で、そこのシェフはすごい腕前なのです。名前は市田裕司さん。本場フランスのル・コルドンブルーParisでディプロムを取得後、ピエールエルメParis本店で働いたという才能の持ち主。帰国後シェ松尾青山サロンでシェフパティシエを務めて2013年、北軽井沢にきています。

 無類の話し好きで、フランスでの修業時代の話は、ものすごく面白い。もちろんスイーツの話題も面白いんだけれど、フランスでのカルチャーショックの話は、かなり面白い。つい長い時間、話し込んでしまうんですよね。皆さんも一度、よってみてください。オフシーズンの今がチャンスです。とても気さくな人で、気軽に写真にも応じてくれます。

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 で、肝心の誕生日ケーキの箱を開いてみたら、この通りです。

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 重箱の形をしたケーキで、その名も
 ショコラアグリューム ジャポネスク

https://twitter.com/patissier_ichiy/status/693323774112890880/photo/1

 あまりに美しすぎてカットするのがもったいなくて… 。

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 しかし、やはりカットしなければ食べられないので、あえて16等分にカットしました。
 すると、 4層のケーキが見えてきます。

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 いろんなスポンジが味わえるのです。
 見えないところに手が込んでいる。
 流石はカフェ・ド・フルミエール。
 さすがは市田裕司さん。
 味も最高でした。
 デコレーションを豪華に飾るパティシエが多いですけれど、
 スポンジが最高に美味しいスイーツは少ないですからね。
 甘さ控えめの大人の味です。

 こういっちゃなんですが、北軽井沢にはもったいない人材。
 東京で勝負してほしいなぁと思うけれど、
 北軽井沢で、このレベルのものを作り続けて欲しい気もする。

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 それにしても、この店で、うちの家内のために誕生ケーキを作ってくれたお客さんも、なかなかお目が高いです。最高の選択肢でしたね。このレベルのものは、真似しようと思ったって、なかなか真似できるものではありませんから。それにしても美味しかった。もちろんうちの息子も、バクバク食べていました。ちなみに、今から2年前の家内の誕生日の時も、カフェ・ド・フルミエールでケーキを食べているんですよね。その時の画像がありますので紹介しておきます。

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カフェ・ド・フルミエール (Cafe de Fourmiliere)

群馬県吾妻郡長野原町北軽井沢1988-75 4WAY北軽井沢
TEL 027-982-1181

http://www.yuji-ichida.com/
http://kaze3.seesaa.net/article/386481406.html

 ところで、いつもなら、お茶会の時に、私がピザから餃子あたりを皆さんに振る舞うのですが、今回はやめました。イチゴとイチゴワインとお誕生日ケーキが、あまりに上品で美味しかったので、その余韻をピザ焼餃子なんかで消してしまいたくなかったからです。


つづく。

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2016年02月03日

浅間隠山スノーシュー登山

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 スノーシューを作って浅間隠山に行ってきました。この山は南斜面であるために、真冬でもいい気が少ない場所です。そのために家の宿はスノーシューツアーを今まで1回もやっていませんでした。しかし、直前に大雪が降ったためにスノーシューツアーができるのではないかと、確信し、急遽、この山に登ることにしました。参加メンバーも、かなり体力のある人たちばかりなので大丈夫だと思ったのですね。

 で、現地に着いてみたら凄い雪。

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 年末年始にスタッフの土井君がツアーを出していますけれど、その時は、雪はなくて登山靴で午前中に登山をすませ、つつじの湯で昼食を食べていますから、この雪の量には驚かされます。

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 しかし、登りはじめは、それほど積もってはなく、せいぜい膝までのレベル。
 50センチもなかったと思います。
 5合目まではたいして体力もつかっていません。

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 しかし、それ以降は、最大で80センチ以上のラッセルとなってしまい、お客様には、ちょっと申し訳なかったです。もちろん、他にも大勢の登山客が上っていたのですが、誰も道を知っているわけでもない上に、好んで苦行の先頭を進みたがる人もいませんでしたので、当然のことながら私はラッセルすることになります。私なら、この山は庭みたいなものですから。

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 急にゆき深くなるのは、急登がはじまる6号目から8合目まで。
 このへんは風の通り道でトレースも残らないし、
 テープもないので間違え安い場所です。

 気がついたら、後ろに大勢の登山客がゾロゾロ跡をついてきていたので、道を譲ったら、その人たちがみんな間違えてしまったので、また私が先頭をラッセル。この時に雪が腰までつかる苦行に。やはり道を譲らなければよかったです。ルートを間違えて笹藪にはいっていたのです。仕方がないので、稜線の正規のルートまでショートカットしました。で、間違えようがない場所まで誘導してから道を譲りました。私たちは、のんびり景色を楽しみたいのと、そんなに若くないので。

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そして頂上に到着。

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風なし。
日当たり良好。
眺めが最高。
飯がうまい。

浅間山がすばらしい。

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軽井沢方面は、雲海の下。
したがって、晴れているのは嬬恋村方面のみ。
こっちにして正解でした。

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鼻曲山も最高。

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榛名山も最高。

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谷川岳も見える。

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草津白根山もいい

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 この日は気温が高く雪も大変重かったために、久々に私も本気を出してしまいました。登山時間は、約3時間。豪雪のラッセルにしては、かなり早かったと思います。ちなみに下山には 1時間もかかっていません。

 まぁ苦労して登ったわけですが、その甲斐あって、すばらしい展望と素晴らしい眺めに癒されました。写真をみてください。すごい眺めですよね。この眺めは、金で買えない価値があります。この日は、風もないし、暖かかったし。

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 山頂で食べるご飯もとても惜しかったですが、やはりお腹が空きすぎたので、全員宿に帰ってから、うどんを食べました。ちょうど、前日に用意された嫁さんの誕生ケーキが残っていたので、それもみんなで食べましたね。下山後の甘いものは最高ですね。あと、全員汗びっしょりに登ったので、宿でシャワーを浴びてその後に解散。

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つづく。

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posted by マネージャー at 09:16| Comment(2) | TrackBack(0) | スノーシュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月05日

大河ドラマ「真田丸」を地元から語ってみる 6 真田丸4話解説

 やっと暇ができたので、真田丸4話の録画を昨日の夜に見ました。で、感想なんですが、一言で言うと目が点ですね。まず織田信長ですが、靴を履いて屋敷の中を闊歩する姿を見て、大爆笑してしまいました。後は明智光秀。見た瞬間大笑いです。こういう人をキャストにしちゃうんですねー。岩下尚史ですよ? 岩下尚史の明智光秀はありえないでしょ? シナリオライターは、絶対に受け狙いを狙っていると思います。そういう意味では、このドラマは成功しているのかもしれません。

 ところで、今回もフィクションがたくさん混ざっていましたね。

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 まず、武藤喜兵衛のことです。

 徳川家康は、真田昌幸に、かつて三方が原の戦いにて「武藤喜兵衛」と言う武将から手痛い目に会った言いますが、かって武藤喜兵衛であった真田昌幸は「存じませぬな」と、とぼけます。つまりドラマでは、真田昌幸つまり武藤喜兵衛は、三方が原の戦いで、猛将であったことになっていますが、これがフィクションです。

 何度も書いていますが武藤喜兵衛は、
 行政官(奉行)であり伝令(使い番)なんですよ。
 最前線で戦う武将ではないのですよ。

 そもそも真田昌幸は、武田の人質ですから、最前線で死なれてしまっては困るんですよ。だから武田信玄の、身の回りに置いたわけです。だから武藤喜兵衛は、勇猛果敢に戦う立場の人間ではなくて、司令官の命令を伝えたり、最前線の戦いぶりを確認したりする仕事をしたわけです。平和な時は、行政官として裁判官として調査官として、いろいろな揉め事や、福祉行政を実行する人間なんです。

 ここが重要なんです。

 ここで武田信玄についてちょっとした説明しておきます。武田信玄は、上杉謙信のように戦争が上手だったわけではなくて、行政の能力が高い人だったんです。部下の使い方が非常に上手い人でもありました。武田信玄のお父さんは、上杉謙信のように戦争が上手だったんです。けれど、行政能力に劣っていました。それを反面教師としていましたから武田信玄は、自分が家督になると行政に非常に力を入れます。

 まず、家来とよく話し合うようになります。そして、話し合いに話し合いを重ね、法治国家を作るわけです。多発する領地争いを収めて、国を豊かにしていくわけです。そのために人材もたくさん集めました。いろんな人たちをヘッドハンティングしたんですね。

 真田一族もヘッドハンティングされた1人です。
 ヘッドハンティングされた真田幸隆は、 2人の息子を人質として送ります。

  1人は真田昌幸(武藤喜兵衛)。
  1人は真田信尹(加津野信昌)。

 二人は、武藤氏と加津野氏の養子になって、それぞれ武藤喜兵衛。加津野信昌を名乗っています。そして常に武田信玄の側で働いているわけですが、武田信玄という男は、雑談が大好きなんです。織田信長みたいに、部下を上から目線で見ないんですよ。常に部下とお話をする。雑談をするのが武田信玄なんです。これがまた、部下に対する教育でもあったわけです。

 また武田信玄は、人を育てる天才でもありました。戦国武将と聞くと、誰も彼もが勇猛果敢なイメージがありますが、実は戦国時代でもビビリな人はたくさんいたんですね。武田信玄の部下にもそういう人は大勢いました。これが織田信長ならば、クビにしたかもしれません。 豊臣秀吉ならば降格処分にしたかもしれません。でも武田信玄は、ちょっと違っていたんです。ビビリな人に勇気をつけさせるために、いろいろサポートして手柄をつけさせてあげたりしているんです。武田信玄は、そうやって人を育てていって、武田軍団を強くしていたんですね。けして戦上手だったわけではないんです。

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 たとえば、海尻城に村上義清が攻め込んできたとき、海尻城の兵たちは、内応して城内に火を放ち、村上勢を二の丸、三の丸に引き入れてしまいます。夜中に不意を襲われた日向大和守は抵抗する間もなく落ちのびました。そこに応援のために出陣していた信玄がやってきて、逃げてきた日向大和守に出会います。日向大和守は馬から飛び下りて土下座しながら経緯をはなして処罰を待ちました。城を捨てて逃げてきたのですから切腹でもおかしくない状況です。しかし、信玄は

「危機に陥れば誰でも同じことをするものだ。不満であるはずがない。よくぞ無事で戻ってきた。さぞ無念だったろう」

とねぎらい、

「疲れているところをすまぬが、これより先陣を申しつける。わしの馬印を預けるゆえ、海尻城に取って返し、一功名あげてみせよ」

と逆に先陣の名誉を与え、小山田が守る本城へ向かわせましたのです。 主君の温情に感泣した日向大和守は奮起し、手勢を連れて海尻城にとってかえします。そして城が間近に迫ったとき、武田信玄の伝令がきて、信玄の言葉を伝えます。

「お前ならできる。勝利はまちがいない」

日向大和守は、獅子奮迅の活躍で海尻城から村上勢を追い払っています。こういう事実があると、こういうエピソードがあると調略もしやすいです。相手だって武田信玄になら寝返ってもいいという気になる。そのくらいに人材活用がうまかった。

 それらの信玄流人材活用術を、側で一部始終全部見ていたのが、真田昌幸(武藤喜兵衛)であり、 真田信尹(加津野信昌)だったりするんですね。この2人は、武田信玄学校の優秀な生徒として、武田信玄の遺伝子を受け継ぎました。そして武田の旗本として、武田信玄の参謀として大活躍する予定だったんです。ところが、とんでもないことが起きます。

 長篠の戦いです。

 天正3年(1575年)5月21日の長篠の戦いで武田軍は信長・家康の連合軍に惨敗します。3000丁の鉄砲で壊滅するわけです。その時に真田信綱・昌輝が討死します。真田家に跡継ぎがいなくなったわけです。そこで武藤喜兵衛こと真田昌幸は、武藤の養子から外れて真田の家督を相続するわけです。

 そして、真田の自分の領地で行政を行うわけですが、武田信玄流の行政を行うのですから部下からも領民からも非常に喜ばれるわけです。いろんな人たちと雑談をしながら人々の意見を取り入れて人材を育てていく。武田信玄流の行政をしっかりやっていくわけです。これが、最強の真田軍団が出来上がる素地になってくるわけです。

 話は飛びますが、後に真田幸村が大坂の陣で大活躍するわけですが、その時に真田幸村の部下は3,000人ぐらいいたとみられています。このたった3,000人が、もう少しで家康の首を取るところだったので天下を驚かしたわけですが、この3,000人の中に、真田系の武将は100人から150人だったと言われています。後は、烏合の衆だったんですね。しかし、バラバラだった3,000人の武士たちが、もう少しで家康の首を取るところまで行ったのは、真田幸村に武田信玄流の人材育成スタイルがあったからだと思います。そうでないと、あの短期間で、日本最強軍団ができる訳がないのです。

 ここで雑談を許してもらえれば、硫黄島の戦いで大活躍した栗林忠道中将も、真田軍団松代藩郷士の家に生まれています。そして、真田軍団の兵法の遺伝子を色濃く受け継いでいます。彼は、米軍に大打撃を与えたことで有名なのですが、当時の米軍が、硫黄島の捕虜尋問して驚いた事は、どんな下っ端の兵士たちも栗林忠道中将のことをよく知っていた。下っ端の兵士が栗林忠道中将と雑談もよくかわしていたらしいのですね。これを読んだとき、血は争えないなぁと思いました。栗林中将も真田軍団の遺伝子を色濃く受け継いでいるようです。

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 ここで結論みたいなものを述べますが、私が何が言いたいかと言うと、真田昌幸は諸葛孔明では無いということです。諸葛孔明ではなくて、武田信玄であったということです。真田軍団こそは武田信玄の遺伝子を濃厚に受け継いでいると言いましょう。けして、諸葛孔明・黒田官兵衛・竹中半兵衛では無いということです。

つづく。

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posted by マネージャー at 15:54| Comment(3) | TrackBack(0) | 真田丸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月06日

大河ドラマ「真田丸」を地元から語ってみる 7

 前回は、真田昌幸は諸葛孔明では無い。黒田官兵衛・竹中半兵衛では無い。諸葛孔明ではなくて、武田信玄であったということを述べました。真田昌幸は、武田信玄の遺伝子を濃厚に受け継いでいると言いました。では、武田信玄とはどういう人間であったのか?について、真田丸の5話が始まる前に、少し解説しておきたいと思います。

 これは以前にも話したことなんですが、武田信玄と言うのは、戦国時代には珍しいインテリだったんですね。どうしてかというと、血筋がスーパーサラブレットだったんです。下手したら足利将軍なんかよりもずっと血筋がいい。だから鎌倉幕府には警戒されていたくらいです。そういう血筋なので、幼い頃から教育を受けています。もちろん禅宗の坊さん達から儒教などの古典教育をしっかり受けています。当時の僧たちは、今で言う大学教授みたいなもので、政治経済歴史古典なんでもたしなんでいましたので、武田信玄は山梨県の田舎にいながらも、その情報収集力は京都にいるのと全く変わらなかったようです。

 有名な風林火山の旗印も、心頭滅却すれば火もまた涼しと叫んで、織田信長に焼かれてしまった快川紹喜が書いて与えたものだと言われています。ちなみに風林火山とは、孫子の言葉からとった文句でもあります。孫子の本質は戦わずして勝つことにありますので、武田信玄の兵法は、無駄な死者を出さないことに集中していました。

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 まぁそんな事はどうでもいいんですが、ここで注目したいのは、武田信玄が、戦国大名には珍しい教養人だったということです。要するにエリートだったんですね。幼い頃から帝王学を学び、中国の古典、儒教などを学ぶことによって、人に気遣いをする様に訓練をし、さらに和歌、絵画、蹴鞠まで嗜みました。

 こんな武田信玄は、 21歳で父親を追放して、家督を継いでから、すぐに行ったのは土木工事です。戦争ではなく、土木工事行っているんですね。これがいわゆる信玄堤です。これは家督を継いでから19年もかけて完成しています。もちろんそのメンテナンスも抜かりありません。メンテナンスをする農民たちには税金を免除して、これに従事させています。

 さらに、すごいことには鉱山の開発を行いました。もちろん金鉱石を精錬するためには燃料が必要です。その燃料は、もちろん樹木です。金銀がが掘られるたびに、次々と山が禿山になっていきますが、その禿山も段々畑や田んぼにして、農業生産力を拡大してしまいました。

 また、道路の建設や、通信手段としての狼煙台も盛んに設置しています。もちろん狼煙台は、嬬恋村にも跡地が残っています。有名なのは、桟敷山の狼煙台です。

 福祉施設も大量につくりました。その一つが温泉です。山梨県には、信玄の隠し湯なるものはたくさんありますが、群馬県にもたくさんあります。その中でも有名なのが、伊香保温泉です。これについては後で解説してみたいと思います。その上、商業を奨励し、付加価値の高い農作物を作らせました。

 とにかく武田信玄という男は、自分の国のGNPを増やし続けました。どのくらい増えたかというと、平安時代には、たったの1万石しかなかった甲州 の石高が、太閤検地の頃には、22万石に増えています。22倍に増えているんです。これが隣の長野県になると、平安時代には15万石で、太閤検地の頃には、40万石です。だいたい2.5倍ぐらいしか増えていません。他の国々でもにたようなもんです。同じ山国の飛騨なんかは、平安時代も太閤検地の頃も同じ3万石ちょっとです。これを考えると、武田信玄の開発力が、いかに凄かったか分かるかと思います。

 だから甲斐の領民たちが、武田信玄を崇拝する気持ちはよくわかります。領主が交代しただけで、あっという間に豊かになったわけですから、尊敬しない領民が居る訳がないのです。おまけに武田信玄は、甲州法度で法治国家を作り上げ、領民に不平不満がないようにしています。その上、戦争になっても、できるだけ自分のところには犠牲のないように、謀略を中心とした方法で領土を拡大しています。

 雑談も大好きで、家来に気配りをし、常に家来や領民の言葉に耳を傾けたわけですから、これほど心地よい上司もないかもしれません。その信玄の側で、一部始終見ていた男が、真田昌幸であり、武田信玄のエッセンスをことごとく自分のものにしていたわけです。


つづく。

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2016年02月07日

らーめん福栄

 軽井沢・プリンスショッピングプラザのイーストに美味しいラーメン屋ができたと聞いて行ってきました。

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 信州産小麦(全粒粉入り)を使用した店内自家製麺(うどんのような太麺)に、信州味噌発祥の安養寺味噌に八種類の野菜をじっくり煮込んだまろやかなスープが売りだとのこと。味は、味噌・醤油・塩の3種類だけ。もちろん3種類みんな頼んだのですが、むしろ味噌より塩の方が美味しかったかもしれません。お店は、おしゃれで、子供も入りやすいです。

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これが味噌ラーメン。
950円は高いと思いましたが、このボリュームなら仕方がありません。
ステーキ並みのチャーシューですから。
いや、ラーメンにステーキが入っているといった方が正解か。

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〒389-0102長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢 軽井沢・プリンスショッピングプラザ内 イースト
電話番号 0267-41-2101
アクセス 北陸新幹線軽井沢駅南口から徒歩3分
営業時間 10:00〜19:00

つづく。

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2016年02月09日

雪山を登る2歳児

 今日は、朝から雪が降っていましたが、息子連れて浅間牧場を1周してきました。息子も2歳10ヶ月になります。明日は、保育所の入園説明会です。本当は私も参加したかったのですが、どうせお母さんばっかりで、私が言っては肩身が狭い思いをするので留守番です。私がやれる事は、息子を毎日山に連れて行ことです。よほどの吹雪でなければ、息子を連れて山歩きをしています。

これは息子が生後6カ月ごろから、出来る限り毎日続けてきました。もちろん息子が歩けない0歳から1歳までの頃は、おんぶしながら山に登っていました。北軽井沢の冬は、マイナス10度ぐらいになりますから、その条件下で登山をした0歳児、 1歳児は、日本ひろしといえども、うちの息子ぐらいなのではないでしょうか?

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 今うちの息子は、 2歳10ヶ月ですから、もうおんぶすることはあまりありません。時々肩車することはありますが、できるだけ自分の足で歩かせています。というか、肩車を嫌がるんですね。できるだけ自分で歩こうとする。だから逆に言うと、なかなか前進できないいますが、根気よく見守りながら上っています。その様子をFacebookにアップしておきました。 2歳児を雪山に毎日のように散策していると、他の人に説明してもなかなか信じてもらえないので、 Facebookに写真をアップしておきました。その画像は下記のアドレスをクリックすると出てきます。

https://www.facebook.com/media/set/?set=a.1167471219944778.1073741936.565569696801603&type=3

 まぁそんな事はどうでもいいとして、息子を雪山に散策させてみて、気がついたことがあります。まるっきり前に進めないですよね。雪さえ降ってなければ、簡単に登れるコースでも、いったん雪は降ると、すぐにバランスを崩して何度も何度も倒れてしまいます。砂利道でも、雪のない道を歩く能力と、息のある道を歩く能力では、まったく違うみたいなのです。すべては転んで、何度も何度も倒れてしまいます。不思議ですね。

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 これは、雪道にスノーシューの足跡と長靴の足跡の2つがあるためです。スノーシューの足跡はあまり沈みません。けれど長靴の足跡は、時々何十センチも雪の底に沈んでいる足跡がついていることがあります。つまり、そこのところが落とし穴のようになっているわけです。これが2歳児の息子にとっては、非常に歩きにくいわけです。大量の落とし穴のある道を歩いているわけですから、何度も何度も足を踏み外して倒れてしまいます。その都度、雪まみれになり、冷たい氷が顔に刺さったりしますから、 2歳児にとっては、地獄の3丁目みたいなものなんでしょう。倒れては泣きわめくことが何度もありました。

 もちろん抱き起こしたりはしません。

 泣こうが喚こうが、自分の力で立たせます。そして、スタスタと置いていきますから、息子は泣きながら必死になって私を追いかけてきます。これを何度か繰り返しているうちに、少しずつ雪道を歩けるようになってきました。しかし、まだ普通の道を歩くようにはいかないようです。どうやら普通の道を歩く能力と、雪道を歩く能力は全く違うものらしいです。落とし穴のある道と、平坦な道では歩き方が全く違うわけですからね。しかし、これも何回か繰り返しているうちに、雪道を歩くノウハウを掴み取ることができるのではないかと思ってます。幸い、雪のおかげで転んでも怪我をしにくいですから。

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 ここで本題に入ろうと思いますが、うちの息子も、ようやくトイレトレーニングがうまくいきつつあります。おしっこをしたくなると、自分でおまるを持ってくるからです。ただし、自分でズボンを脱いだりはできませんので、そこは親のサポートが必要になってきます。保育園では、オムツが禁止らしいので、トイレトレーニングを完成させるまでには、あと2ヶ月しかありません。遅いですよね。

 私の子供の頃と比較しても遅いです。私は、かなり早くから自分でトイレに行けるようになっていました。オムツは早くから卒業しています。保育所に入るかなり前から、離れの便所にトイレに1人で行っています。しかも、ぼっとん便所です。離れですから、暗闇の中を一旦家の外に出て、掘っ建て小屋の便器も何もない板の間の隙からウンチをしたものです。

 これは別に珍しいことではなくて、昭和30年代の田舎では普通に見られた光景だと思います。みんなそれぞれに、トイレトレーニングが早く終わっていたと思います。保育所の年小組の子どもたちにもオムツをしてる幼児なんか聞いたことがありません。

 しかし、うちの息子は、なかなかオムツが取れません。これは、紙オムツの性能が良すぎるためなんでしょうね。幼児にとっても、親にとっても、紙おむつはとても便利です。だからなかなか取れないのかもしれません。これではまずいと思った私は、とにかく自分でズボンを脱いだりできるようにすることと、ひとりでトイレができるように訓練を今まで以上にしています。

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 息子は、山に登ったり、鉄棒にぶら下がったり、野原を走ったりするのは十分にやってきましたが、自分ひとりでトイレをする訓練が疎かだったために、その能力がどうしても劣ってしまいました。親として非常に反省している次第です。また、会話能力も他人様より劣っているようです。親が、空気を読みまくって先に手を出してしまうために、子供が言葉を使って意思表示する必要はあまりなかったためだと思われます。これも本当に反省しています。

 ただ1つだけ良かった事は、非常に優しい子になりつつあることです。

 公園なんかに息子を連れて行くと、自分より小さな子供を見つけると、すごく可愛がるんですよね。よちよち歩きの子供を、息子なりにサポートしてあげたりするのです。滑り台を滑る自分より小さな幼児がいると、手を叩いて喜んでいます。息子は小さな子供が大好きみたいなのです。まるで、女の子みたいですが、これも心当たりがあります。親や、お客さんの真似をしてるんですね。

 家に泊まるお客さんが、息子を散々可愛がるわけですが、お客さんの息子を可愛がるが可愛がるほど、それと同じ事を、公園の小さな幼児や赤ちゃんたちにするんですよ。お客さんが、我が息子を手を叩いて褒め上げると、息子も翌日、公園で小さなお子さんを手を叩いて褒めるのです。まったく同じ事を自分もするわけです。この光景を何度も何度も目撃した私は、本当に頭を抱えました。

 父親が、母親が、またはお客さんが息子にしたことと同じことを、息子が真似をして小さな幼児にするわけですから、やはり子供というものは可愛いがらなければダメなんですね。

 もちろん、甘やかしてばかりではまずいかと思いますが、可愛がる時は可愛いがらないと、その子供に優しさは宿らないわけです。私は息子を可愛がっれば、息子も、他所の小さな赤ちゃんたちを可愛がるわけですから。

 さてここで、雪山登山のことに話を戻します。

 息子が雪山で、すべては転んで、何度も何度も倒れてしまっていることは前にも述べました。もちろん私はすぐに抱き起こしたりはしません。泣こうが喚こうが、自分の力で立たせます。そして、スタスタと置いていきますから、息子は泣きながら必死になって私を追いかけてきます。最初から最後まで、このような厳しい態度を息子にとり続けてしまったら、息子はきっと冷たい人間に成ってしまう。そんな気が最近してきました。

 もちろん、厳しい態度も必要かと思いますが、それはある程度のところまでで止めておいて、最後には抱きかかえて、甘えさせてあげたり、甘いものをあげたりしています。そして、雪の中に倒れても自力で立ち上がったら大げさに褒めるようにしました。もちろんご褒美もあげています。そのせいか、最近の息子は、毎日、雪山を歩きたがるようになってきています。

「おでかけする?」

と尋ねると、大喜びで長靴を履きにくのです。今日も、吹雪の中の浅間牧場を、家族3人で歩きました。何度も倒れましたが、少しずつ雪に慣れてきているようです。



つづく。

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2016年02月11日

嫁さんが保育所の入園説明会に行ってきて、すごく慌てているところです

 嫁さんが2歳10ヶ月の息子を連れて、保育所の入園説明会に行ってきました。で、今、すごく慌てているところです。私たちは、息子を保育所に入れるつもりだったんですが、どうやら息子を通うところは、保育所ではなくて「こども園」という名前の幼稚園だったようです。嬬恋村には、昔、幼稚園が3つと保育所が1つありました。それが合併して、今では幼稚園が1つとこども園が1つになっています。

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 で、こども園なんですが、これは保育所と幼稚園が合併してできたことになっていますが、入園のしおりをよく読んでみたら、ほぼ幼稚園なんです。午前中は幼稚園。午後からは、働いているお母さんのための預かり保育も、やっているというシステムなんですね。だから、入園説明会でも、幼稚園の入園説明会だったんです。こっちは保育所に入るんだとばかり思っていたので、これには驚きました。

 ちなみに、うちの嫁さんは群馬県出身で、幼稚園に通っていたそうです。私は新潟県佐渡島の出身で、保育所に通っていました。というか、佐渡島には幼稚園がほとんどなかったんですよね。だからみんな保育所通いです。逆に、嫁さんが生まれた群馬県館林には保育所がなかったようです。だからほぼ全員が幼稚園だったようです。変だなぁと思った私はインターネットで調べてみたら、群馬県は幼稚園だらけで保育所が圧倒的に少ないですよね。だから嬬恋村では、幼稚園3カ所に対して保育所が1カ所しかなかったんですね。これが軽井沢町になると、保育所が3カ所で幼稚園が1カ所なんです。これも早速インターネットで調べてみたら、長野県は圧倒的に保育所が多い県でした。もちろん新潟県も圧倒的に保育所が多い県です。

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 各都道府県によって、保育所が圧倒的に多い県と、幼稚園が圧倒的に多い県があるのは非常に面白いです。長野県や新潟県は、福利厚生施設として保育所をじゃんじゃん作ったのでしょう。 自営業者である農家や漁師が多い長野県や新潟県にとって、保育所の存在は欠かせなかったものかもしれません。これが群馬県になると、保育所よりも教育施設である幼稚園を優先して作っています。だから群馬県には幼稚園が大量にあって、それを補うように民間の託児所も大量にあります。

 北軽井沢にだって託児所があるぐらいですから、前橋あたりにいくと託児所だらけです。ところが、これが軽井沢になるとなかなか見つからないんですよね。全くないわけではないんですが、ホテルやスキー場がサービスでやってたりするものだったりします。要するに保育所が大量にあるので需要がないんだと思います。そう考えると、長野県や新潟県は働くお母さんを優先しているわけで、それに対して群馬県は、子供の教育を優先して幼稚園を量産したのかもしれませんね。

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 話がだいぶずれてしまいましたが、嬬恋村の「こども園」についてです。こども園が、ほぼ幼稚園であることは、すでに述べました。もらった入園のしおりそのものが、幼稚園のものでした。当然のことながら、すごく厳しい内容になっています。入園グッズをすべて手作りで作らなければならないし、洋服から下着から持ち物に至るまで全てに名前と指定されたロゴを縫いつけなければいけません。

 どうしてロゴをつけなければいけないかというと、ひらがなが読めない子供がいるからです。うちの息子は、ひらがなが読めるんですが、全員が読めるとは限りませんからね。だから各人にロゴが割り当てられるわけです。うちの息子は「どんぐり」のロゴになりました。これを下着から洋服。入園カバンや制服や上履きなんかにもすべて縫いつけることになるわけですが、うちの嫁さんはその作業の多さに悲鳴をあげています。ミシンも必要なので、早速インターネットで上等なものを注文をしました。もちろん、少しでも嫁さんの負担が軽くなるようにです。インターネットで、どんぐりのアップリケがないか一応探してを見ましたが、これがないんですよね。やはり自作するしかないようです。でもまぁ、どんぐりでよかったです。これがライオンだったらと思うと背筋が凍りますよね。

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 ちなみに私は、保育所育ちです。というか、私が生まれた家は、保育所を併設している曹洞宗のお寺(正法寺)でした。今でも佐渡島に立派に存在しています。うちの親はそのお寺の養子だったんですね。この保育所に1年間通ったんですが、もちろん保育所ですから、託児所に毛の生えたようなものなので、嬬恋村のこども園のようなめんどくさいルールはありません。今は事情は変わっているかもしれませんが昔はなかったです。もちろん夜の7時まで延長保育があります。働くお母さんにとっては、非常にありがたい制度です。で、うちの親がお寺の養子から外れて旧姓に戻り、別のところに引っ越して、新しい保育所に入り直したんですが、やはり嬬恋村のこども園のようなめんどくさいルールはありませんでした。もちろん今は少し事情が変わっているかもしれませんけれど。

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 めんどくさいといえば、こども園(幼稚園)には、家庭訪問があるんですね。これには驚きました。保育所しか経験したことのない私にとっては衝撃でした。やはり幼稚園というのは、いわゆる教育施設なんでしょうね。さすが文部省管轄だけの事はあります。

 話は変わりますが、同級生に幼稚園出身者がいましたが、その幼稚園出身者と話をして衝撃的だった事は、幼稚園には1ヶ月の夏休みがあったことですね。小学校と同じだったんです。けれど保育所には夏休みは、なかったんですよ。あってもお盆の時期だけだった気がします。あと、昔の保育所では卒園する頃には、ひらがなやカタカナはもちろんのこと、自分の名前を漢字で書くレベルまで文字が書けるようになってました。ところが、幼稚園出身者の話を聞いてみると、小学校に入ってから生まれて初めて文字を覚えたという話でした。これには驚きました。

 じゃあ幼稚園で何やってたんだよ?

と、質問したのですが、あまり記憶になかったようです。幼稚園出身の嫁さんにも聞いてみても、それは同じでした。要するに、幼稚園に入る時間が短すぎてあまり記憶にないみたいなのです。これが保育所になると、日々の大半が保育所にていることになるので、保育所での記憶ははっきりと残ります。時間が長すぎるので、さんざん遊んだ後は、やることもあまりないので、ぬりえをしたり、絵本を読んだり、歌を歌ったり、楽器を練習したり、文字を覚えたり、昼寝をしたり、あらゆることをプログラムに入れないと、時間が余っちゃうんですね。だから、知らないうちに文字を覚えたりもしたんだと思います。

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 これは逆説的になりますが、当時の保育所は、教育施設でなかったために、子供たちは幼稚園よりも早くに文字を覚えたんだと思います。むしろ幼稚園は、教育施設であったために、文部省の指導に従って、文字を学習する機会がなかったのかもしれません。もちろん文字は、小学校に入ってから学んでも決して遅くは無いので、幼稚園のスタイルで問題ないといえば、問題ありませんけれどね。



つづく。

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2016年02月12日

幼稚園の厳しいルールを考えてみる

 嫁さんが2歳10ヶ月の息子を連れて、保育所の入園説明会に行ってきて、今、すごく慌てているところです。私たちは、息子を保育所に入れるつもりだったんですが、どうやら息子を通うところは、保育所ではなくて「こども園」という名前の幼稚園だったようです。当然のことながら、すごく厳しい内容になっています。例えば、駐車場に車を入れるときには、身分証明書を提示しなければならなかったり、駐車場では必ず子供と手をつないでいなければならなかったり、厳しいルールがいくつもあります。

 もちろん私自身、スーパーの駐車場でも銀行の駐車場でも必ず息子と手をつないでいますので、こんな事はいちいち言われなくても自分で実行しますが、改めてルールとして強制されてみますと、これはこれで衝撃を受けるわけです。

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 あと、カバンとかの入園グッズをすべて手作りで作らなければなりませんし、既製品は禁止されているんです。そのうえ洋服から下着から持ち物に至るまで全てに名前と指定されたロゴを縫いつけなければいけません。ひらがなが読めない子供がいるからです。幼稚園ではオムツが禁止ですので、パンツもズボンも洋服も大量に用意しなければいけませんから、それにも名前とロゴをつけなければいけません。

 女の子とか、男の子でも私のように7月生まれとかなら、トイレトレーニングは終わって余裕で自らトイレに行けるんでしょうけれど、うちの息子は3月28日生まれです。 2歳児にとっての数ヶ月の差というものは、とても大きいですよね。3月28日生まれにとって自分ひとりでズボンを脱いでトイレに行く事は非常に大変なんですよ。

 しかし、ぼやいていても仕方ありませんので、これから大量の下着や洋服を用意して、それらにロゴと名前をつけるべく、自作の座布団や布団や鞄を作るべく、早速買い物に行ってきました。というか、嫁さんの買い物に付き合わされました。

 もちろん嬬恋村なんかに、そういった布地屋さんなどあるわけがありませんので、長野県の佐久平の方まで買いに行きます。嬬恋村では、買い物といえば、佐久平か上田です。長野県に行くのです。この辺あたり(嬬恋村や北軽井沢)は真田の一族を先祖に持つ人たちが多いものですから、みんな長野県の方に心が向いているんです。いわゆる群馬県民ぽくはないんです。

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 たとえば群馬県民にとって山といえば赤城山なんですが、ここらでは浅間山です。しかし群馬県民にとって浅間山というのは、長野県に県境を接しているので身近な山ではないんですよね。むしろ他所(長野県)の山という感じです。

 群馬県民にとっての親しみのある山は、
 赤城山であり
 榛名山であり
 妙義山なんです。
 いわゆる上毛三山というわけですね。

 しかし嬬恋村あたりでは、浅間山なんですよ。
 なぜならば、買い物は浅間山の脇を通って長野県に買いに行くからです。
 四六時中、浅間山を見て移動してるんです。

 小さな子連れのお母さんは、長野県の方に、子供を連れて買い物に行きます。なぜならば、そちらの方が暖かく雪が少ないからです。そして群馬県側には近場にないショッピングモールがあるのも理由の1つです。冬は雪は降って吹雪になり、時にはマイナス10度ぐらいまで気温が下がりますから、とてもじゃないですが子供を連れて外で遊ぶわけにはいきません。

 かといって、児童館の中だけでは、引きこもっているのと同じなので、長野県の上田市とか佐久市の暖かいショッピングモールの中を散歩させたりして、小さいお子さんの運動不足を補うわけですね。

 私のように、浅間牧場や小浅間山といったところに息子を連れて歩き回るお父さんやお母さんは、いないんですよ。まあ当たり前と言えば、当たり前ですけどね。

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 おっと話が、脱線しすぎました。

 長野県の佐久平のショッピングモールの布地屋さんまで、息子の手造り用品を作るべく、布地なんかを買いに行った話です。というか、それに付き合わされた話です。うちの嫁さんが、あーでもない、こーでもないと、パニくりながら布地を選んでいますと、早速、パニくっている別のお母さんが、続々と登場してきました。

 そのお母さんは、布地屋さんに、幼稚園の入園案内書を渡して、カバンやら座布団やらを一式全てのハンドメイド品を発注していました。業者さんも手慣れてもので「かわいく作ってください」という抽象的な要望を上手にあしらっていました。

 ああ、そういう手があったんですね。
 そうだよなぁ。
 働くお母さんが、
 いちいち作ってなんかいられないよな。
 それにしても入園案内書をそのまま渡してしまうのかあ。

 考えてみたら昨日は祝日(2月11日)だったんですね。働くお母さんも、たまのお休みの日だったために、布地屋さんに、入園グッズを業者に手作り発注する日でもあったわけです。だから、パニくっていたお母さんたちが、ショッピングモールの布地屋さんに駆け込んでくる日でもあったわけです。人事ながら
「大変だなぁ」
と、遠目で見ていました。

 で、面白いことには、この日は2歳児や3歳児を連れたお父さんが、ホームセンターで大量にうろうろしているいたんですね。

「ははあーん、みんな我が家と一緒か」

と、思って笑ってしまいました。

 お母さんたちは、お父さんに子供を預けて、みんなショッピングモールの布地屋さんに突入していたわけです。しかしながらお父さんも子供を抱えて布地屋さんにいてもやることがない、ホームセンターあたりに出かけて、車の工具とか、日曜大工の用品なんかを物色しているわけです。当然のことながら、同じ位の歳の幼児たちが、ホームセンターでうろちょろしています。

 もちろん子供のことですから、すぐに仲良くなります。
 で、通路走り回ったりするので、迷惑この上ないです。
 それに危険なので、早速、息子を注意しておとなしくさせました。
 その時にあることを発見しました。

 うちの息子は、こういう時に聞き分けがいいんですけれど、他のお子さんは必ずしもそうでもないんですね。ジャイアンみたいなのが、必ずいるわけです。駐車場でも親の手を振り払って、駆け出すお子さんがいるわけです。

 他人事なんですが、見ていてハラハラして心臓に悪いです。これじゃあ幼稚園のルールが厳しくなるわけです。「駐車場では必ず子供と手をつなぐ」などと言うばかばかしいルールができる訳ですね。

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 あのルールは、子供を守るルールというよりも、やんちゃな子どもから、他の人を守るルールだったのかもしれません。どんなに、交通事故に気をつけていても、当たり屋のような、やんちゃな子どもさんというのもやはりいるわけですから、やはりありがたいルールだったんですね。




つづく。

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2016年02月15日

大河ドラマ「真田丸」を地元から語ってみる 9

 ブラタモリ沼田編、面白かったですね。軽井沢編よりも余程面白かったです。冒頭にタモリが、河岸段丘のことに触れていましたが、実は私も地質オタクとして沼田の河岸段丘を何度も見に行っているんです。あと、歴史オタクとしても沼田には何度も足を運んでいます。沼田の図書館は何十回と通っているんですよ。日本ユースホステル史を調べるためです。実は、日本ユースホステル協会を作った横山祐吉氏は、沼田藩の士族だったんです。

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 沼田藩といえば、大河ドラマの真田丸にでてくる真田信幸が始祖に当たりますが、実はその沼田藩は、少々めんどくさいことになっているんですよね。1600年の関ヶ原の戦いで東軍についた真田信幸は、負けた父親(真田昌幸)の上田領も領土としてもらい、沼田と合わせ9万5千石の上田藩となります。しかし、1622年に、真田信幸は松代藩13万石へ加増移封となります。ただし、沼田領は引き続き真田領のままでした。ここまでは、問題ないんですが、この後に少々めんどくさいことになります。

 真田信幸には、 2人の子供はいまして、
 長男が真田信吉。
 次男が真田信政なんです。

 で、長男(信吉)には沼田藩3万石を継がせました。
 で、次男(信政)には松代藩10万石を継がせました。

 と、このように書くと何か差別があるように感じられますが、実は両者にはそんなに差はありません。沼田藩といっても、領地は吾妻郡と沼田地域の広大な面積を占めており、群馬県の3分の1ぐらいの広さを持っています。実質の石高は、9万石ぐらいだと言われています。

 逆に言えば、9万石なのに3万石の表記であるから、その分の役目が少なくてすみますので、その方がお得なのです。しかも、領地が吾妻郡と沼田ですから、いわゆる海野氏の勢力範囲であり真田軍団の中心的な地域でありますから、どうせもらうなら沼田藩3万石の方が、圧倒的に美味しいのです。だからこそ、長男(信吉)には沼田藩3万石を継がせたのではないかと思います。

 話わかりますが、真田信幸は、ものすごい長寿でした。 93歳まで生きていたというから、江戸時代にギネスブックがあれば、間違いなく世界1番の長寿だったと思います。その真田信幸は、松代藩の藩主でしたから、本家は自動的に松代藩ということになります。つまり次男の真田信政の方が、本家ということになりました。で、真田信幸が、 93歳で亡くなりますと、沼田藩と松代藩で本家争いをします。いわゆるお家騒動が始まるわけです。

 ちなみに長男真田信吉の子供は、真田信直(信幸の孫)といいます。彼は、信幸の長男信吉の子であることを理由としてと幕府に訴え出て松代藩の本家相続の撤回を求めましたが、幕府の回答は、沼田領は松代藩から分離独立。信直を藩主として正式に沼田藩として独立します。怒った真田信直は10万石の松代藩に対抗するため、寛文2年(1662年)に検地を行って、表高3万石に対して実高14万4000石の幕府に報告しました。その上、沼田城を修築して巨大で豪華な天守閣を立て、江戸藩邸も松代藩邸以上のものに改造したために、領民は重税を強いられ、あわよくば第二の島原の乱が起きそうな雰囲気にまでなってしまったといいます。

 それが原因で沼田藩は、お取りつぶしというか改易となり、 信直は山形藩奥平家に、長男の信音は赤穂藩浅野家に、次男の武藤源三郎信秋(母は正室松姫)は郡上藩遠藤常春に、三男の栗本外記直堅・四男の辰之助は上田藩仙石家にお預けとなりました。

 この後、沼田藩は、本田家、黒田家、土岐家と続いて幕末に至ります。ただし、吾妻郡に関しては、幕府領となって、幕末まで続きます。嬬恋村は沼田藩から逃れて幕府領のまま明治維新を迎えています。ここまでは、歴史の本などでよく書かれている歴史ですが、ここから先は、地元の老人たちから聞かされた話です。

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 嬬恋村は、なんだかんだと言って真田の親戚が多い地域なんですが、沼田藩に対しては、非常に恨みがあるようです。真田信直のやった政治は、本当に酷いもので、嬬恋村の農民たちは、その後何百年も恨めしく思っていたようでした。で、その悪代官の代表が鎌原氏でした。

 もともと鎌原氏は、真田幸隆や真田昌幸の先陣として大活躍した嬬恋村の一族ですが、真田家が松代藩と沼田藩に分かれた時に沼田藩につき、沼田藩の悪政を手助けする側になりました。そのために鎌原氏は地元民に長年にわたって恨まれることになり、つい最近まで鎌原氏の墓がなかったくらいです。人々からどのような悪さをされるか分からなかったからです。鎌原氏は、年貢を払えない農民を水牢に入れるなどの拷問で苦しめました。怨嗟の声はちまたに広がりました。どうでも良いことですが、吾妻郡には水牢が多いんですよね。現在でも残っています。

 ちなみに鎌原氏は、途中で真田家から養子を迎えています。真田幸隆の弟です。つまり、鎌原氏も真田一門なんですね。で、嬬恋村が幕府領となった後も、幕府の代官としてこの地(鎌原観音堂付近)に残ります。そして関所の役人か何かをしながら生きながらえるわけですが、今から200年前に天明の大噴火がおこり、鎌原村は壊滅するわけです。そして鎌原村を再建するときに、身分というものをほぼ廃止するわけです。これについてはまた別の機会に述べたいと思います。

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 さて沼田ですが、土岐氏が代わりに統治をするわけですが、元々いた地侍たちは、土岐氏に仕えます。その中に横山氏がいました。これが日本ユースホステル協会を作ったよ横山祐吉氏のご先祖になります。これについても別の機会に述べたいと思います。

つづく。

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posted by マネージャー at 21:08| Comment(5) | TrackBack(0) | 真田丸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月17日

浅間園散策と何事にもメリットデメリットがあるという話

 浅間園を散策してきました。
 もう雪はないのかなーと思ったんですが、かなりの残雪があります。
 やはりスノーシューが必要です。

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 2歳10ヶ月の息子を一緒に連れて散策したのは、嫁さんの邪魔をさせないためです。うちの嫁さんは、慣れない手つきでミシンと格闘中です。4月から息子が、こども園に通うために、カバンや座布団等作らなければいけません。上履きにも下着にも名前とドングリのロゴを作らないといけません。驚いたのは、クレヨンの一つ一つに名前とロゴを受けなければいけないことですね。

 というわけで、朝から晩まで嫁さんは四苦八苦しているのですが、それを息子が邪魔するわけです。仕方がないので、私が小浅間山とか、浅間牧場とか、浅間園に連れて行って、さんざん疲れさせて早めに寝かせつけています。おかげで息子は骨太です。競輪選手のような太ももです。

 話が、かわりますが、冬の浅間園は、なかなか眺めが良いです。そんなにアップダウンがありませんので、小さな子連れの人でも楽に散策できます。もちろんお菓子も持っていきますが、私はマーブルチョコを息子に持たせています。 といってもチョコの筒には、10個くらいしかチョコを入れていません。そして100メートル歩くごとに御褒美として 1個ずつあげています。息子もそれを楽しみにしているようです。何より、マーブルチョコの筒が、小さな子供には手に持ちやすいんですね。それと、筒をふると音がするのも気に入ってるようです。

 ちなみに、私が生まれたのは1961年で、マーブルチョコが誕生したのも1961年です。マーブルチョコには、いろいろな色がついていますが、私は子供の頃は好きな色から食べて、嫌いな色(私の場合は紫)を最後まで残していたものです。そしていよいよ嫌いな色ばかりになると、口の中で嫌いな色だけを溶かし、真っ白にしてからいったん筒の中に戻し、そして白い色のマーブルチョコを少しずつ食べたりしました。

 今はどうなんだろう?と思いつつ、息子を観察したら、やはり好きな色があるらしく、それから食べているようです。最後には、チョコレート色のマーブルチョコばかり残っていました。そうなると、チョコレートは食べずに、筒を盛んに振ってみて、音ばかり楽しんで、浅間園を楽しそうに散歩していました。

 話が大きく外れましたが、浅間園も浅間牧場も、風さえなければ子連れで歩くのに最適な場所です。そのうち雪も溶けるでしょうから、そうなったら小さなお子さんを持つご家族は、親子で散歩すると良いかもしれません。もちろんおもちゃ王国も子供さんは大喜びしますけれど、せっかく自然の中にきたのですから、浅間園や浅間牧場をぜひ散策してほしいものです。

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 それはともかくとして、最近ようやく息子がズボンとパンツを1人で脱ぐことができるようになりました。 2歳10ヶ月ですから、他の子供さんに比べると、かなり成長は遅いですが、これが個性というものなのでしょう。そういえば、まだ言葉を自由に操れません。同じ頃に生まれた女の子なんかは、 1歳0ヶ月で言葉を話しているわけですから、かなり遅いですよね。そんなに遅いのに、絵本は読めるのです。声を出してすらすらと絵本を読んでいるんですよ。なのに、会話はできない。

 変だなぁ?
 おかしいなぁ?
 どうして会話が出来ないのに、絵本は読めるんだろう?

 と、不思議に思っていたのですが、最近ようやく理由がわかりました。息子は絵本を読んでいるのではなくて、読み聞かせていた絵本の内容を暗記していて、それを九官鳥のように真似して語りながら絵本のページをめくっていたようです。別に文字を読んで絵本をめくっていたのではなかったです。といっても、文字そのものは読めますから、暗記した内容忘れると、文字で確認して思い出しているようです。だから一見すると、すらすらと絵本を読んでいるように見えるわけですね。でも実際は、読んでいるわけではなくて、親の読み聞かせを真似して喋っているだけです。

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 ところでまだ会話が出来ない息子ですが、親の言葉はほぼ理解しているみたいなんですね。わがままを言ってきた時に、ゆっくり説明してあげると納得するからです。ゆっくり説明さえすれば、すごく聞き分けが良くなってきています。

 もともと手がかからない子供で、いやいや期もほとんどなかったので助かっていますが、最近は以前に比べてもっと空気を読むようになりました。成長が早くて、会話のできる他の同級生のお子さんよりも空気を読めるので、ひょっとしたら、まだ会話ができないでいることに原因があるのかもしれません。他人様より会話能力が劣っているために、空気を読む力が他のお子さんよりも発達しているのかもしれません。そう思うと、どのような成長状態においても、メリットとデメリットがあるんだなぁと改めて思いました。


つづく。

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posted by マネージャー at 05:39| Comment(0) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月20日

手のかかる子と、手のかからない子

 昨日嫁さんのやつが、こども園に入園手続きに行ってきました。で、つくづく大変だなぁと思ってしまったのは、お母さんたちには、いろいろ役員とかがあって、ものすごく大変だということです。何人もお子さんのいるお母さんから聞いた話では、小学校なんかよりも、よほど大変だということです。

1番驚いたのは、入園してすぐに1日中預かってくれるのかと思いきや、そうでは無いということです。最初の数ヶ月間は、 1時間とか2時間という短時間しか預かってくれないんですね。これは無茶苦茶ですよ。うちは自営業なので、都合がつくのですが、サラリーマンとして働いてるお母さんは、どうしたらいいんでしょうかね?

  そもそもこども園というのは、幼稚園に毛が生えたようなもので、保育所とは根本的に違うのかもしれません。だから仕事を休めないお母さんは、どうしても託児所に預けるようになるのかもしれません。家の隣に、働いているお母さんがいますが、こども園に子供を連れて行っているのはお父さんです。たまたまお父さんの仕事が、電気関係のお仕事で、時間に融通が付きやすいので、送り迎えをできる訳ですが、そうでなかったら預ける事は出来なかったと思います。だから待機児童というのが生まれるんでしょうね。待機児童といっても、託児所に預けるわけでしょうけれど。

 もし、保育所に入園した後に、お母さんが就職活動ができるのであれば問題ないのですが、実際は入園できません。働いてないと入園できないのです。でも働いていたら、入園して間もない間、 1時間だけ預けて、また引き取りに行くなんて芸当はできないはずです。これでどうやったら、お母さんが仕事できるんでしょうか? 根本的に何かおかしい気がします。だから群馬県には託児所が多いのかなぁと思います。少なくとも私は子供の頃の新潟県には、そのような不便なシステムは無かったですから。

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 まぁそんな事はどうでもいいとして、うちの嫁さんのやつは、すっかりミシンの虜になってしまったようです。着られなくなった服なんかを分解して再利用しはじめました。客は壊れても、小さくなった服の着を分解して、まだ着られる服のこなれたチャックと入れ替えたりしています。入園前に手作りの座布団や鞄を制作することを、強制されて、当初は不平不満が多かったようですが、今では楽しそうにミシンを扱っています。変われば変わるものですね。

 そういえば、こども園から雑巾を作って寄付するように言われてるのですが、それも楽しそうに作り始めているようです。幸か不幸か、宿屋のうちには使えなくなったタオルがたくさんありますので、雑巾の1つや2つはいくらでも寄付できます。

 で、思ったのですが、ちょうど1年前に、大量の高品質の毛布を廃棄というか、某所に寄付したのですが、考えてみたら、あれはこども園に寄付すればよかったなぁと思いました。宿屋には、雑巾に乗りそうなタオルとか、子供用のブランコとか、もう使わなくなったようなものがたくさんあるので、こども園の事情によっては、これからも寄付できるものがあるかもしれません。例えば、うちには除雪機があるので、本当に困った時は雪かきの手伝いとかも場合によってはできるかもしれません。もっとも除雪機ぐらい、こども園に設置してあるでしょうけれど。

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 話わかりますが、うちの息子は、なんだかんだと言って、こども園が気に入ったようです。知らない小さな子供たちと、何の違和感もなく仲良くなれるようなんですね。これはある程度予想はついていました。スーパーに買い物に行った時も、ホームセンターに買い物に行った時も、知らないことすぐに仲良くなってしまうからです。全く人見知りをしないんですね。

 おそらくこれは、うちが宿屋であることと、無関係ではないと思われます。毎日毎日、いろんな人たちがやってくる宿屋ですから、知らない人に対して免疫ができているのだと思います。しかし、将来もそうであるかはわかりません。私は息子に対して厳しく接してしまえば、徐々に人見知りになってしまうでしょう。そうでなければ、今のままオープンな性格のまま推移する可能性もあります。

 あと、うちの息子は、もともと手がかからない子であったので、あまり親を困らっすような事をしないんですよね。だからあまり厳しくする必要性もなかったのです。だから、人見知りになることもなかったのかもしれません。あまりクズったり、わがままを言ったりせずに、いつもニコニコして他の幼児たちと楽しく遊べるみたいです。特に小さいことか、大人しい女の子が好きみたいで、もうすでに紳士ぶりをみせています。全くもって手がかからない子です。

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 そういえば、子供には、手のかかる子と、手のかからない子がいますが、宿屋をやっていると面白い証言を聞く機会があります。 手のかからない子供というのは、お母さんが働いてるケース・または自営業のケースが多いのです。

「うちの子は手がかからなかった」

というお母さんは、たいてい働いているんです。ほんとに手間かからなかったのかどうかは、実際見ているわけでではないので、わかりませんが、そう証言しているお母さんの大半は共稼か自営業なんですよ。そして子供さんは、保育所に通っているんです。幼稚園ではありません。

 これは保育所のおかげなのか、
 お母さんが働いてるから子供が空気を読んでいるのか、
 どちらが原因なのかわかりませんが、
 きっと両方が原因なんでしょうね。


つづく。

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posted by マネージャー at 07:45| Comment(10) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月22日

旅先で怪我をしたり病気になった場合への対処

 つい先日の土曜日は、 2月だというのに台風のような天気となり、北軽井沢大雨でした。これで2週連続の大雨です。異常気象もここまでくると悲しくなりますね。しかも、 2週連続で、うちの宿は満室でした。つまり、それだけ大雨に泣いたお客さんが多かったというわけです。ただし、日曜日だけは、すごいいい天気だったので、無事にスノーシューツアーが行えたのはよかったです。今回は4名のお客様が、参加してくれました。皆さん、とても楽しんでいただけたので、ほっとしています。

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 それはともかくとして、昨日一昨日のお客様の中には、せっかくの旅行中に怪我をされた方がいらっしゃいました。 1組はスキーで怪我を、もう1組は玄関で滑ってケガをされました。さいわいなことに結局怪我自体は、二組とも大したことではなかったのでよかったです。で、今回気づいたことがありましたので、旅をする皆様にお知らせしたいと思いました。

 まず、旅行中に怪我をした場合、1番必要なものは保険証です。あと加入している保険証書ですね。宿が入っている施設賠償保険は、宿主に過失がない限り支払われる事はまずありません。他の保険も、なかなか支払われにくい状態です。ただし、比較的支払われやすい保険もあります。旅行傷害保険・傷害保険・生命保険・自動車保険です。これらの保険に入っている方は、保険ナンバーと担当者の連絡先を書いたメモを必ず持っていくことです。

 仮に、それらの保険に入ってなかったとしても、まだ諦める事はありません。皆さんが入会しているキャッシュカードの特典を調べてみてください。国内旅行傷害保険の特約が付いている可能性あります。特にゴールドカードをお持ちの方は、ほぼ100%ついていると思われますので、ぜひ調べておいて、緊急時の時に役立ててください。年会費無料でも補償が付帯しているカード(イオンSuicaカードなど)もありますから、そういうカードに入会するのも手だと思います。

参考サイト
http://guesthouse-hostel.com/for-backpacker-recommend-creditcard-list/
http://www.woshiru.com/creditcard/mokuteki/kokunai_ryokou/futaihoken.html
http://creditcard-kingdom.net/hikaku-kokunairyoko.html

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 その際に気を付けなければならない事は、カードで電車の切符などを購入しているかどうかです。カード会社によっても違いますが、多くのところは旅行にカード決済をしていると、補償の対象になるケースが多いからです。もちろんホテルや旅館など宿泊施設での事故は、予約時やチェックインでクレジットカードにて宿泊料金を支払っていれば補償の対象となります。

 もちろん本人の過失によるケガは対象外となりますのでご注意ください。そういう意味では、最強の保険は、傷害保険・生命保険かもしれません。県民共済・国民共済などの、医療費を優先するタイプに入っておくのが、いちばんいいです。そして、保険証書の番号と、コールセンターの電話番号控えてたびに出たほうがいいです。

 ところで今回のことで、私も1つ勉強したことがあります。吾妻郡の救急指定病院というのは、当番制だったんですね。救急指定病院なら、すべての病院が救急患者を受け入れるわけではなく、今月はA病院。来月はB病院と言うように、交代で行っているんですね。それによって、病院と、お医者さんの負担を減らしているわけです。なるほどなぁと思いました。逆に言うと、自分の判断で救急指定病院に連れて行っても受け付けてもらえないケースもありますので、非常の時は救急車を呼ぶという選択肢をとった方が良いかもしれませんね。

 また、 119番に電話すると受け付けるのは、高崎市の救命センターなんです。嬬恋村の消防署に電話が行くわけでは無いわけです。高崎市にある中央がコントロールしているわけです。だから地元民にわかりやすいように説明しても無駄なんですよ。これもとても勉強になりました。

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 あと関係ありませんが、 今朝、2歳児の息子も階段から落ちてしまいました。頭に大きなたんこぶを作っただけでケロリとしていましたが、すぐさま軽井沢病院に連れて行きましたが、やはり「この病院には専門医がいないので、一日様子を見て、容体が悪化したら専門病院に行ってください」と言われてしまいました。

 まぁそう言われるのは、あらかじめ分かってはいたんですけどね。
 いろんなお母さんたちに、こういう結果になるよと、教えてもらっていましたから。
 とはいうものの、万が一のことがありますから、連れて行かないわけにはいきません。

 ちなみに病院の先生からは、今後の対処方法を印刷されてある紙切れを渡されました。そこには、今後このような症状が出たら、脳外科のある病院に行きなさいとか、このような症状が出たらどこそこに来なさいといったことが書いてありました。これは非常にありがたかったです。

 それにしても階段については何か対策を考えないといけませんね。
 階段の下に衝撃吸収のマットでも置こうかと思っています。


つづく。

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posted by マネージャー at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月25日

僕だけがいない街・梶浦由記・冨田勲

 2月から3月にかけて、この時期は確定申告のために自営業者は大忙し。もちろんうちも例外ではありません。にもかかわらず息子が4月からこども園に入ることになったので、その準備として、毎日が大忙しです。下着を大量に揃えて、名前やドングリのロゴをつけたり、布団や布団カバーをそろえたり、手作りのカバンやら雑巾やらを作ったり、嫁さんの仕事は大忙しです。当然のことながら、息子の面倒は私がみることになるのですが、どういうわけか今月に限ってはお客様が例年よりも多いんです。毎日、御客様がいたりします。

 そんな時に、役に立つのはインターネット先生です。うちの嫁さんが、縫い物に四苦八苦しているときに、インターネットで調べると、縫い物のコツというか、裁縫の基本を教えてくれるサイトがたくさんあるんです。うちの嫁さんはそれを見て、どんどん裁縫の技を磨いていったようです。で、その裁縫の基本を教えてくれるサイトというのが、コスプレ関係のサイトなんですね。コスプレを趣味にしてる人たちは、自分でいろいろコスチュームを作っているみたいです。そういえば、うちの宿にもコスプレ関係者から宿泊の問い合わせが来るようになりました。今のところ問い合わせだけで、実際に宿泊したケースはありませんが、いつか泊まりにきてくれるのではないかと、ワクワクドキドキしています。

 ちなみに、北軽井沢の別荘オーナーの話では、コスプレ関係者は、すごいお得意様らしいです。別荘の貸切でお泊まりになるコスプレ関係者も多いようです。あの軽井沢グリーンプラザホテルの支配人の話では、グリーンプラザホテルでも何組ものコスプレ関係者がお泊まりになっているみたいですね。

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 それはともかくとして、最近面白いなぁと思って見ているアニメがあります。

「僕だけがいない街」

です。映画化されるのと、前評判が高かったので、最初から見ていたんですが、ぐいぐい引き込まれるように見てしまう自分がいました。で、見ているうちにデジャブ(既視感)を感じました。この作品は、どこかでいちど、過去に見たような気がしてならなかったんです。それが証拠に、ラストの結末まで途中で気がついてしまったのですね。タイトルを見て気がついてしまいました。

 とはいうものの、普通の人ならタイトルだけで、ラストの結末が分かる訳がないです。にもかかわらず、私に予想がついてしまったのは、過去に似たような作品を見た気がするからです。それが気になって、過去の記憶をずっと辿っていったら、思い出しました。昔、 NHKの少年ドラマシリーズでやっていた、 SF作品の中に、似たような話があったんですよね。だから分かってしまったんだと思います。

 しかしです。それを割り引いても「僕だけがいない街」は、素晴らしい作品です。原作の事は知りませんが、よく作りこまれた作品だと思いました。で、エンディングテーマ曲を聴いたら、癖のある曲だったので調べてみたところ梶浦由記でした。

 梶浦由記とは泣かせますね。
 何を隠そう私は梶浦由記の大ファンなんです
 梶浦由記を知らない人もいると思いますので、
 念のために、どんな曲を作る人か紹介します。
 歴史マニアだったら、この曲は絶対聞いたことがあるはずです。



 そうです。 NHKの歴史ドキュメンタリーー番組である
 歴史秘話ヒストリアのオープニングテーマ曲です。

 歌っているのはKalafina(カラフィナ)というグループで、梶浦由記プロデュースによる日本の女性3人組ヴォーカルユニットで、もともとは劇場版アニメ『空(カラ)の境界』主題歌プロジェクトのために結成されたユニットで、空(カラ)の境界だから、Kalafina(カラフィナ)というグループ名なんですね。ちなみに劇場版アニメ『空(カラ)の境界』主題歌を紹介してみると、こんな感じです。



 それにしてもKalafina(カラフィナ)の歌唱力が凄すぎます。
 しかし、もっと凄いのは梶浦由記の音楽ですよ。
 これなんかは梶浦由記の代表作です。


 
 魔法少女まどか☆マギカです。
 まさに梶浦由記ワールド。
 このほかにNHKで言うと朝ドラの「花子とアン」の音楽も梶浦由記です。
 BGMでしたけれど、良かったですね。

 それにしても今年のNHKの大河ドラマに、どうして梶浦由記を起用しなかったんでしょうかね? 歴史オタクとアニメオタクとゲームオタクはリンクしてますから、梶浦由記を起用していたら、大河ドラマの視聴率ももっとすごいことになっていたと思うと非常に残念です。

 今から40年も前の大河ドラマには、アニメ音楽を作っていた冨田勲を起用しているわけですから、その頃の大河ドラマのプロデューサーはすごかったと思います。

大河ドラマ第1作:花の生涯(1963年)冨田勲
大河ドラマ第7作:天と地と(1969年)冨田勲
大河ドラマ第10作:新・平家物語(1972年)冨田勲
大河ドラマ第12作:勝海舟(1974年)冨田勲

 当時の冨田勲はアニメ音楽の巨匠でしたからね。「ビッグX」とか「ジャングル大帝」とか「リボンの騎士」とか、当時の冨田勲は、すごい曲を作っています。特に「キャプテンウルトラ」の「宇宙のマーチ」は、最高傑作かもしれません。それを紹介します。



あと私が個人的に大好きなのが、冨田勲の新日本紀行です。



これは何回聞いても感動します。昔のNHKは、冨田勲を起用することによって、すごい作品を後世に残したんですよね。先見の明があったと思います。なので、今のNHKも冒険してよいと思います。梶浦由記を起用するくらいのことをして良いと思いますね。かってのNHKは、冨田勲を大胆に起用して名曲を後世に残したわけなんですから、梶浦由記を起用することぐらいのことはできると思うんですけど。


つづく。

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posted by マネージャー at 20:53| Comment(4) | TrackBack(0) | 真田丸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする