2017年04月02日

幼稚園と保育所について 4

 ここで子守で育てられた私の体験を述べたいと思います。前に、子守は保母さんに似ていると言いましたが、少しだけ違っています。保母さんは「先生」と呼ばれるのに対して、子守は「おばちゃん」です。

 この違いはとても大きくて、先生に対しては、ある程度壁があるのに対し、子守の「おばちゃん」に対しては壁がありません。また、母親とも違っていて、親ほど厳しくもなく、かといって完璧に甘えられるというわけでもありません。強いて言えば、大人の遊び相手に近いかもしれません。

 例えば掃除とか、後片付けとか、一緒に共同作業していても、仕事している気持ちはこれっぽっちもありません。三歳児にとっては、遊びの延長上でしかありません。服を着替えるのにしても、どこかに出かけるにしても、やはり遊びの延長です。そのうえ子守の人は、農作業や内職で何だかんだと目まぐるしいために、それをじっと観察する機会も恵まれていて、その観察が子供にとっては素晴らしい娯楽だったりします。もちろん最終的には手伝ったりするんですが、そのお手伝いも娯楽もいいところです。

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 そういう環境から、保育園に毎日通うようになってしまうと、保育園の遊びも大して面白いとは思わないんですよね。最初の頃は、 なんだか暇で一日中ぼーっとしていました。保育園での遊び方がわからなかったんです。積み木や、おもちゃで遊ぶやり方がわからなかったんです。

 つまり、幼児は遊び方を教えてもらわないと遊べないわけです。おもちゃをポンと与えても、それで遊べるとは限らないんです。周りの人が、それを使って遊んでるのを見て、初めて遊び方がわかるわけです。

 これって、子守が作業しているのを観察して、子供が真似するのとまるで同じなんです。つまり、子供にとっては、遊びと仕事と勉強の区別がないんです。これはライオンでも狼でも一緒で、彼らは遊びながら狩りの学習をしています。つまり遊びと勉強と仕事がイコールになっている。

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 私は仕事で超有名進学校の子供たちを連れて自然ガイドに出かけたりするのですが、偏差値七十位の彼らも、やはり遊びと勉強が一緒になっている。ガリ勉してるわけではなく純粋に勉強を楽しんでいる。遊びと勉強がイコールだったりする。そう考えると、幼稚園・保育園・子守の中で、どれが一番、遊びと勉強と仕事をしたかというと、圧倒的に子守時代です。私が子守にお世話になってる時、一番遊んでいたし仕事も勉強もしていた気がします。

 それに気がついた時、あることを思い出しました。東京は池袋に存在した「児童の村小学校」のことです。
実は私は日本ユースホステル協会の歴史を調べていまして、初代会長であった下中弥三郎についてかなり調べたことがあります。下中弥三郎と言う人は、百科事典で有名な平凡社を創設した人で、もともと小学校の先生です。この下中弥三郎が、野口援太郎、為藤五郎、志垣寛という四人を集めて、教育制度の改革ではなく、教育方法の改革をしなければならないと考え、児童の村小学校という事業を始めました。

 教育制度ではなく、教育方法の改革です。

 で、どのような教育方法をとったかというと、児童を束縛しない教育方法です。まず池袋に児童の村小学校を作って、子供たちを集め、教科書もなければ時間割もない自由奔放な授業を始めました。結果から言うと、その学校は資金不足でつぶれてしまうわけですが、そこの卒業生の大半は、大学教授・研究者・企業家・有名人などになって後に大活躍することになります。

 もちろん例外もいますが、その例外も大半が戦争や病気で亡くなった人たちです。つまり戦争や病気で死ななかった人たちは、残らず知識人として活躍するという驚異的な成果を残しています。そのために、萩の松下村塾や、北軽井沢の法政大学村と並んで、教育の三大聖地とまで呼ぶ人もいるくらいに有名になっています。

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 では、児童の村小学校が、どのような授業を行ってていたかというと、これが非常にユニークで、学校の隣にある広い野原で遊ばせるだけ。それも半年くらいずっと授業無しで野口援太郎校長が遊ばせている。それはもう他の先生は焦ります。これでいいのか?と。

 遊んでいるうちに子供たちは、色々な道具を出してくれとか言ってくるので道具を出してあげたり手伝ったりします。そうやって子供たちは遊んでばかりいるのですが、さすがに何人かの先生は
「これはおかしい。これは間違ってませんか?」
「もう我慢できない、家に帰りたい」
と、焦り出します。
 しかし校長の野口先生は、辛抱強く「大丈夫。黙って見ていなさい」と説得します。そして不安に思いながらも、子供たちのやることを見ていると、大きな穴を掘ったり、みんなで家を建てたりします。秘密基地ですね。もちろん一人では、そんなことはできませんから、みんなで共同作業で作ります。共同作業を通して人間関係を学んでいきます。

 あと秘密基地の小屋を建設するにしても、子供のやることですから、すぐ壊れてしまう。そこで初めて校長先生が、物理学の基本や数学の基本を教えるわけですが、何度も失敗している子供たちは、こんどこそ成功させようと、かなり真剣に聞いてくれます。こうして勉強教えるわけですが、ここまで来るのに六ヶ月ぐらいかかっています。気が遠くなるほどの遠回りです。

 まあこれは、 三年生とか四年生に対する授業なんですか、もっと小さい一年生ぐらいになると、さらに破天荒な授業になります。先生が帽子をかぶって、オーバーを着て、靴を履いて、新聞紙を敷いてその上に立っている。そして、
「こういう格好をするのには、お金ならどれくらいかかるか?」
「・・・」
「一つ一つの値段はどのくらいのものか?」
と質問していくわけですが、児童はポカーンですよ。そこで、まず帽子を取って帽子の説明をしながら、これはいくらいくらで買ったと説明するわけです。その次に靴はいくらだ、靴下はいくらで、という風に全部先生が一つ一つ脱いでいくわけです。それで最後にはパンツ一丁になる。

 もう大爆笑です。

 で、このパンツがいくらだと、全部身につけているものを黒板に書いていくわけです。そしてそれらを合計して、いくらになったかということを勉強させるわけですが、これは算数の勉強でもあり、社会科の勉強でもあるわけです。このように、学科のすべてを一緒くたにして勉強する。これが児童の村小学校が行った革新的な教育方法でした。

 時間割は二つしかありません。
 教師の時間と
 子供の時間です。

 午前中は教師の時間。ここでは、読書・計算・観察・作業をやります。先生が教える時間です。午後は子供の時間。つまり子供たちが自分たちの生活を切り開いく時間。秘密基地を作ってみたり、本を作ったりする時間です。

 そして、毎日「明日の時間配分はどうする?」ということを先生と子供たちが話し合って時間配分を決めます。当然のことながら子供たちは、もっと子供の時間が欲しいと言ってきますから、それならば先生も「これだけのことを君たちに教えたいんだよ」といって、子供たちと交渉します。

 子供たちは、一生懸命やったら、時間をくれるのか?と聞いてきますから、明日はこのくらい勉強ができていたら残りの時間は自由に使っていいよと言う。これで交渉成立です。

 子供たちにしてみれば、秘密基地を作ったりするのに子供の時間が欲しいですから、家に帰って密かに勉強をして、先生の時間を短縮させようとします。ちょっと勉強が遅れている子がいたら、みんなで教えてしまう。その結果、はやくに勉強が終わって、子供の時間が増えていく。楽しい時間が増えていく。そこにはイジメも存在しないし、引きこもりもいない。そのうえ結果として、子供たちは勉強ができるようになっていく。

 ここまで説明したら、もう私の言いたいことは、おわかりと思います。児童の村小学校がやっていたことは、ライオンや狼と同じ教育です。ライオンは、子供たちに遊びながら狩りを教えている。それを児童の村小学校で行っていた。決して勉強を強制させることは無かった。

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 児童の村小学校を設立させた下中弥三郎にしろ野口援太郎にしろ、為藤五郎・志垣寛にしろ明治初期の生まれです。
 野口援太郎にいたっては、明治元年生まれですから江戸時代から続いた若衆組(青年団)の雰囲気を詳しく知っていたと思います。だから若衆組の雰囲気をふまえて、このような教育スタイルを始めた可能性が高いと思う。

 逆に、明治後半生まれの若い先生なんかは、若衆組(青年団)の雰囲気がわからないから、子供を放置しているように見える野口援太郎校長のやってることにハラハラして、
「これはおかしい。これは間違ってませんか?」
「もう我慢できない、家に帰りたい」
と校長に抗議している。

 若衆組の雰囲気を知らないから
「これは駄目だ」
と絶望するんです。


つづく。

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2017年04月04日

幼稚園と保育所について 5

 児童の村小学校を設立させた下中弥三郎にしろ野口援太郎にしろ、為藤五郎・志垣寛にしろ明治初期の生まれです。
 野口援太郎にいたっては、明治元年生まれですから江戸時代から続いた若衆組(青年団)の雰囲気を詳しく知っていたと思います。だから若衆組の雰囲気をふまえて、このような教育スタイルを始めた可能性が高いと思う。
 逆に、明治後半生まれの若い先生なんかは、若衆組(青年団)の雰囲気がわからないから、子供を放置しているように見える野口援太郎校長のやってることにハラハラして、
「これはおかしい。これは間違ってませんか?」
「もう我慢できない、家に帰りたい」
と校長に抗議している。

 若衆組の雰囲気を知らないから
「これは駄目だ」
と絶望するんです。

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 ここで若衆組を説明しておきます。

 若衆組とは、江戸時代から続いた日本の伝統的な青年教育システムで、
 青年が青年を教育するスタイルです。
 薩摩の郷中組みたいなものです。
 その若衆組には大人は入れません。
 あくまでも自主的に自分たちで学ぶのが若衆組のスタイル。
 もちろん講師として大人を呼ぶことはあります。
 しかし、その人選を決めるのは若衆組。
 これが日本の伝統的な姿なんですね。

 児童の村小学校は、その伝統的・土俗的な若衆組ぽいものを復活させたわけですが、じゃあ、それ以前の小学校教育は、どういう教育だったかというと、ヨーロッパ流だった。それも列強諸国の教育スタイルを翻訳したものだった。それに限界を感じた教育の世紀社が、教育方法を実験的に変えてみたら、それが実は、かなり土俗的なスタイルになってしまった。それが児童の村小学校になります。

 池袋の児童の村小学校の校長先生は、野口援太郎です。
 この野口援太郎は、
『本来、遊びと勉強と仕事に区別はない』
と言って、児童の村小学校の教育方法を始めています。

 しかし、この方法は、子守の老婆に育てられた私にとっては、なじみのある方法でした。子守と一緒に内職や作業をしていた幼児の頃の私は、その作業を仕事とも勉強とも思ってない。遊んでいると思っていた。
 その経験をふまえて私は、二歳から三歳の息子に、漢字や九九を教えたり、ベットメイクをさせたり、料理させたり、食器洗いをさせたり、床掃除をさせているけれど、うちの息子は、勉強しているとか、仕事をしていると思ってないと思います。本人は楽しく遊んでいるつもりでいるはずです。

 また私のうっすらとした記憶をたどっても、子守の人を先生だと思ったことはない。ましてや親と認識したこともない。どちらかというと遊び相手なんですよ。実際、暇があれば遊び相手になったわけだし、親ほどキツく叱られるわけでもない。むしろ甘やかしてくれて、よく遊んでくれる都合のいい存在です。

 けれど、四六時中遊んでくれるわけではなくて、内職などの作業をする。それを、私はジーッと眺めて、最終的には真似をするわけですが、それだって幼児にしてみれば、遊びの延長です。延長でありながら、勉強・仕事をしているわけですが、幼児には、それらの区別はない。つまり児童の村小学校の野口援太郎先生の言ってることと同じなんですよ。
『本来、遊びと勉強と仕事に区別はない』
ということなんです。

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 私が、幼稚園を嫌って、ひたすら保育所に入れようとしていたのは、私にそういう背景があったからなんです。もちろん保育所に入れたとしても、皆勤賞を取らせるつもりは毛頭ありませんでした。むしろ遠慮なく保育所を休ませて、一緒に仕事をしたり、山に登りに行ったりするつもりでした。

 その計画が狂ったのは、嬬恋村に唯一あった保育所が幼稚園と合併して、子供園になったためです。前にも言いましたように、子供園になってしまったら、午前中は強制的に幼稚園です。午後から保育所になっているわけですが、たったの三時間だけです。正直言って、がっかりしたものです。

 ところが私の想定外のことが起こってしまう。息子の担任の先生が、とても熱心な先生だったんです。厳しくて、優しくて、誰よりも子供たちのことを考える聖人のような先生でした。

 私は五十五歳ですが、 五十五年生きていて、これだけ素晴らしい先生には出会ったことがない。そのくらいにできた先生でした。車で迎えに行くと、その日に起きたことを事細かく報告し、色々な注意点を見つけてくれて、服装の改造までアドバイスしてくれる。それが、あまりにも熱心だったために、報告が細かすぎて、嫁さんがちょっと引いたぐらいです。けれどアドバイスは、非常に的確でなるほどと思えるようなことばかり。先生のノウハウの豊かさに驚いたものです。

 私は子供園をどんどん休ませるつもりでいました。出席日数の半分ぐらいは休ませて、息子と一緒に山に登ったり、たびに出かけたりしようと思ってました。幼稚園は、そのついででいいやと思っていたんです。けれど先生が熱心ために、ちょっと休めなくなりました。先生は、実際の親よりも息子のことをよく見ていて、息子が自分でなんでもできるように指導してくれ、息子に礼儀を教えてくれました。

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 同級生とトラブルがあっても、息子の何がいけないのかを、言葉でわかりやすく教えてくれました。何しろ息子は三月二十六日生まれで成長が遅かったために、幼稚園に入ってからもしばらくは会話能力はなかったんです。会話ができない息子に対して、ルールや礼儀や道徳を教えるわけですから、簡単ではありません。苦労したと思います。

 天気の良い日は、午前中でに息子を早退させて浅間山などに連れて行っててたんですが、早めに幼稚園に息子を迎えに行って、先生の授業風景をこっそり見ていると、これがまた素晴らしい。小さな子供たちが嬉しそうに歌を歌ったり踊ったりしている。とても楽しそうだったので「幼稚園の授業も子供たちにとっては遊びなんだ」と言うことがよくわかりました。決して子供たちが勉強してると言う感じではなかった。これじゃ児童の村小学校と変らないと思ったくらいです。

 にもかかわらず担任の先生は、幼児を甘やかしてない。行儀の悪い子には、上手に注意して行儀をよくさせています。それが、私の力量ではできないレベルだったので余計に感心しました。幼稚園は、みんなこういうものなのか、それとも担任の先生が特別なだけなのかは、わかりませんが、かなり高いレベルの幼児教育・集団保育をしていたことは確かです。

 もちろん嬬恋村は少子化が進んでるために、一クラス十三名という恵まれた環境もあったかもしれません。元小学校の改装した贅沢な施設だったのも子供たちによい影響を与えていたのかもしれませんし、午前中という短い授業だったからこそ、集中して子供たちの面倒を見ることができた。というのもあるかもしれません。

 これが長時間幼児を預かる保育園だとしたら、これほど贅沢な教育をしてくれなかったかもしれません。また、一クラス六十名といった託児所だったら、これほど繊細で手の込んだ幼児教育は絶対に無理だったはずです。

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 そう考えると幼稚園は幼稚園なりに、非常に良い面があったのだなぁと感心した次第です。いずれにしても、うちの息子は恵まれた幼稚園と、恵まれた担任の先生のおかげで、随分得をしたという気がします。



つづく。

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posted by マネージャー at 06:09| Comment(0) | TrackBack(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月10日

上田城の桜は満開

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上田城の桜は満開ですね。
家族で桜を楽しみました。

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実は、この城の植生が、おもしろいんです。
下の写真を見てください。
サルスベリの木から、接ぎ木されたように、楓の枝が生えています。

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そして下の写真をみてください。

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これはムクロジ。
樹皮が泡立つために
昔は、石けん代わりに使っていました。
地面をさがすと、ムクロジの実が落ちています。
これは羽子板の玉に使われます。

数珠のルーツでもあります。
「もし、煩悩・業苦を滅し去ろうと欲するなら、ムクロジの実、百八個を貫き通して輪を作り、それを常に持って行住坐臥に渡って一心に佛法僧三宝の名を唱えてムクロジの実を一つ繰り、また唱えて実を一つ繰るということを繰り返しなさい。そのようにするならば、煩悩・業苦が消滅し功徳が得られるであろう」とお釈迦様が説かれています。

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コタツ付の屋台もあります。
ここで飲むビールがうまいんですよ。

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私は、焼き鳥を買って、それでビールを買いに行っているすきに、息子に焼き鳥全部たべられちゃったです。
でも120円の紫芋のおやきはは、最高にうまかったです。

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真田幸村と才蔵と記念撮影したんですが、息子が怖がって大泣きしました。このお祭りは、毎年、見学に行ってるんですが、今年は、過去最高の混雑。やはり真田丸の影響は強かったです。幸村と写真を撮るにも大行列。けれど待ち時間は苦になりません。
「どこから来でござるか?」
「嬬恋でござるか? それは遠路はるばる大変でござったな」
「今日は、父上母上と一緒でござるな?」
などと、いろいろおもしろい話をしてくれますから。聞いてて飽きません。

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乗馬体験は、たったの500円。
とても安いです。
もちろん鎧もつけられます。

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ちなみに鎧のコスプレは無料です。

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つづく。

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posted by マネージャー at 22:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 上田市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月11日

北軽井沢は大雪です。

北軽井沢は大雪です。
今日、または明日に車で来られる御客様は、雪対策してください。すでに夏タイヤに変えてしまっている方は、必ずチェーンを持ってきてください。心配な方は、とりあえず宿まで電話してください。


つづく。

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posted by マネージャー at 12:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 業務連絡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする