2018年10月08日

幼児に対する道徳教育について その5『良い習慣』

 つづきです。

 島田洋七氏は、「褒めてやらせよう」というのは少し違うと言っている。私も同感です。褒めなくとも、子供は勝手に、自分のことは自分でするんですよね。ある条件がそろえばです。問題は、その条件です。その条件こそが幼稚園教育・幼児教育の要諦(最も大切なところ)なんですよね。

 それを日本で最初に指摘したのが、日本幼稚園教育の父である中村正直です。
 そうです。自助論を翻訳した中村正直です。
 では、中村正直は、なんと言ったかと、
「よい習慣をつけるのが、幼児教育の要諦」
と言ったんです。

 ちなみに日本における近代教育の始まりは、明治五年八月公布の「学制」により開始されていますが、そこには最初から「幼稚園構想」がありました。なぜ文部省に最初から幼稚園構想があったのか?

 明治五年に文部省が「学制」を公布する一年前。つまり明治四年に、当時の日本人をことごとく震撼させる本が中村正直より出版されているからです。『self help』です。これを中村正直が翻訳した『西国立志編(スマイルズ著・中村正直訳)』。

 この本によって当時の日本人は愕然としました。

 それまでは、西洋列強は、単に科学技術に優れているから、その武力で世界を征服できた。貿易で富を稼いだからその財力で世界を征服できた。・・・と思っていたわけです。しかし、そうではないことが、『自助論(西国立志編)』によって分かってしまった。

 ヨーロッパが強大になった理由は、彼らの方法で品性を磨くことによってヨーロッパ諸国が出来上がったということに気づかされたわけです。だから、自助論を西洋の論語と称したわけです。

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 例えば「酔っ払いを禁止する」といった法律を作ったとしても、その法律で酔っ払いが減るという事は無いと言います。「国民の質が国家の質」という原則を多くの事例を持って語られています。みんなが品性を磨き、自己啓発をしていけば、成功者が生まれてくる。
 
「人間の自由を重んじ、その習慣の形成は第二の天性である。したがって幼少の時からの良い習慣を自然と身につけさせることが必要である」

 スマイルズは、習慣が大事だと言い切ります。だから小さい頃から良い習慣を身につけさせなければいけない。そう説いていますが、これは当時の知識人にとっては耳の痛いところでもありました。そこが当時の日本の弱点でもあったからです。日本の子供たちの多くは、悪い習慣に染まっていたからです。これでは西洋列強に後れをとってしまう。

 で、明治政府は、幼稚園に目をつけたわけです。もちろん中村正直も、子供たちに良い習慣をつけさせなければいけないと思って行動に移します。

 明治7年東京女子師範学校の校長に中村正直が就任すると、 すぐに幼児教育計画を立てて明治9年に日本初の幼稚園を創設しました。主任保母にはフレーベル直伝と言われるドイツ人松野クララ夫人を迎え、日本人保母に藤田東湖の姪である豊田芙雄が就任します。豊田芙雄もまた、自助論に感動した口であり、中村正直の同志でもありました。彼女が書いた『保母の栞』を読むと、それがよく分かります。最初の二行だけ紹介します。

「幼稚園とは何か。多くの幼い子供たちを集めて健康と幸福を保ち、良い習慣を与えて子供たちに最も楽しみを得させるために導く一つの楽しい園宴である」

 文中に「良い習慣を与えて」とある通り、よい習慣を与えることによって、もう一つの天性を伸ばそうと言っているわけです。良い習慣を与えることによって、人は勤勉になり、努力家になり、結果として成功者になります。そうやったできた国民の質が国家の質となる。その結果、なんとか西洋列強に対抗できると、当時の知識階級の人たちは考えたわけです。

 つまり本来幼稚園とは、「子供たちに良い習慣をつけさせる場所」だったわけです。勉強・運動・人格の育成のための場所ではなく、ただひたすらに『良い習慣』をつけさせるのが目的だったんですね。だから成績は悪くても良い。運動ができなくてもよい。それらの優劣は全く問題ではないわけです。『良い習慣づくり』が、問題なわけです。

 もちろん良い習慣の中には、勉強もあるかもしれないし、運動もあるかもしれない。遊びもあるかもしれない。それらを含めて習慣化することが大切なんですよね。歯を磨く習慣とか、挨拶をする習慣とか、時間を守る習慣とか、ラジオ体操をする習慣とか、本を読む習慣とか、ペットに餌を与える習慣とか、字を書く習慣とか、人助けをする習慣とか、あらゆる習慣を身につけさせることが、幼児教育の要諦(最も大切なところ)であると、豊田芙雄や中村正直は、言っているんです。

 そして『良い習慣』さえ身につけさせてしまえば、親は何もしなくても、子供たちは勝手に成長して大物になっていく。それが西洋諸国が強大化していった本質だと言うのです。

 難しい話は、ここでおしまいにします。
 五歳になった息子の話です。

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 うちの息子は、三月末の生まれと言うこともあって、非常に成長が遅かったです。ゲスな言葉で言えば、知能が低めということになります。そのために幼稚園で何をやるにしても他の人よりワンテンポ遅れています。行動もノロノロしていて、運動神経も最低レベルであるために、年少組の先生からも、年中組の先生からも、年長組の先生からも、落ちこぼれぎみであると、何度も聞かされています。で、幼稚園から紹介された二人の専門の先生(作業療法士・発達心理)に特別指導をうけたりしました。

 普通の親なら、ここで焦るべきなんでしょうが、全く私が焦らなかった理由は、幼稚園では『良い習慣』さえ身につけてくれればよいと思っているからです。そして園から帰ったら必ず、ハイキングにいくという習慣。本を読むという習慣。柔軟運動・スクワット・腹筋・腕立てをするという習慣。お客さんに挨拶をするという習慣。そういう習慣さえ少しずつ身につけていれば、なんとかなる気がする。

 それに成長が遅いというのも、全くのデメリットでもないんですよね。成長が遅いがためのメリットもある。一番のメリットは、『良い習慣』をつくりやすいこと。まだ固まってないので、『良い習慣』をつくるのが楽なんです。

 もちろん、それだけじゃない。例えば、好き嫌いがない。食べ物の好き嫌いはもとより、勉強を嫌ったりもしない。そのためにいろんなことを暗記する力があったりするし読書量も多い。五歳児なのに、三歳〜四歳児なみに何でも吸収します。警戒心も薄いので、見知らぬ公園で初めて会った人とすぐに友達になれてしまう。

 そのうえ幼稚園では女の子に可愛がられているらしい。女の子からしたら、出来の悪い弟が同級生にいるようなものらしく、いろいろ面倒をみてもらっているようです。

 実は息子は、空手教室に通っているのですが、あまりにも技のかけかたが下手なので、少しばかり私が指導したりするのですが、それをやると、息子の同級生の女の子が
「タケル君を叱らないで!」
と文句をいってきます。息子を叱ったりすると、息子の同級生の女の子が、私のほっぺたをつねることもあります。どうやら息子の奴は、同級生の女の子の母性本能をくすぐるらしい。もちろん同級生の男の子も、息子をさかんにフォローする人がいます。息子の奴は、いろんな人たちに支えられている。というか、友達に恵まれているらしい。しかも、その友達というのは、仲良く遊ぶ友達ではなくて、遠くから息子を見守っている保護者的な友達だったりする。担任の先生曰く、息子の奴は、ふだんは特定の友人とうまく遊べないでいるらしいからです。どうやら他の子供たちに比べて、幼すぎるから・・・です。



つづく。

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幼児に対する道徳教育について その4『良い習慣』

 つづきです。

 島田洋七氏は、「褒めてやらせよう」というのは少し違うと言っている。私も同感です。褒めなくとも、子供は勝手に、自分のことは自分でするんですよね。ある条件がそろえばです。問題は、その条件です。その条件こそが幼稚園教育・幼児教育の要諦(最も大切なところ)なんですよね。

 それを日本で最初に指摘したのが、日本幼稚園教育の父である中村正直です。
 そうです。自助論を翻訳した中村正直です。
 では、中村正直は、なんと言ったかと、
「よい習慣をつけるのが、幼児教育の要諦」
と言ったんです。

 ちなみに日本における近代教育の始まりは、明治五年八月公布の「学制」により開始されていますが、そこには最初から「幼稚園構想」がありました。なぜ文部省に最初から幼稚園構想があったのか?

 明治五年に文部省が「学制」を公布する一年前。つまり明治四年に、当時の日本人をことごとく震撼させる本が中村正直より出版されているからです。『self help』です。これを中村正直が翻訳した『西国立志編(スマイルズ著・中村正直訳)』。

 この本によって当時の日本人は愕然としました。

 それまでは、西洋列強は、単に科学技術に優れているから、その武力で世界を征服できた。貿易で富を稼いだからその財力で世界を征服できた。・・・と思っていたわけです。しかし、そうではないことが、『自助論(西国立志編)』によって分かってしまった。

 ヨーロッパが強大になった理由は、彼らの方法で品性を磨くことによってヨーロッパ諸国が出来上がったということに気づかされたわけです。だから、自助論を西洋の論語と称したわけです。

lif1801080028-p4.jpg

 例えば「酔っ払いを禁止する」といった法律を作ったとしても、その法律で酔っ払いが減るという事は無いと言います。「国民の質が国家の質」という原則を多くの事例を持って語られています。みんなが品性を磨き、自己啓発をしていけば、成功者が生まれてくる。
 
「人間の自由を重んじ、その習慣の形成は第二の天性である。したがって幼少の時からの良い習慣を自然と身につけさせることが必要である」

 スマイルズは、習慣が大事だと言い切ります。だから小さい頃から良い習慣を身につけさせなければいけない。そう説いていますが、これは当時の知識人にとっては耳の痛いところでもありました。そこが当時の日本の弱点でもあったからです。日本の子供たちの多くは、悪い習慣に染まっていたからです。これでは西洋列強に後れをとってしまう。

 で、明治政府は、幼稚園に目をつけたわけです。もちろん中村正直も、子供たちに良い習慣をつけさせなければいけないと思って行動に移します。

 明治7年東京女子師範学校の校長に中村正直が就任すると、 すぐに幼児教育計画を立てて明治9年に日本初の幼稚園を創設しました。主任保母にはフレーベル直伝と言われるドイツ人松野クララ夫人を迎え、日本人保母に藤田東湖の姪である豊田芙雄が就任します。豊田芙雄もまた、自助論に感動した口であり、中村正直の同志でもありました。彼女が書いた『保母の栞』を読むと、それがよく分かります。最初の二行だけ紹介します。

「幼稚園とは何か。多くの幼い子供たちを集めて健康と幸福を保ち、良い習慣を与えて子供たちに最も楽しみを得させるために導く一つの楽しい園宴である」

 文中に「良い習慣を与えて」とある通り、よい習慣を与えることによって、もう一つの天性を伸ばそうと言っているわけです。良い習慣を与えることによって、人は勤勉になり、努力家になり、結果として成功者になります。そうやったできた国民の質が国家の質となる。その結果、なんとか西洋列強に対抗できると、当時の知識階級の人たちは考えたわけです。

 つまり本来幼稚園とは、「子供たちに良い習慣をつけさせる場所」だったわけです。勉強・運動・人格の育成のための場所ではなく、ただひたすらに『良い習慣』をつけさせるのが目的だったんですね。だから成績は悪くても良い。運動ができなくてもよい。それらの優劣は全く問題ではないわけです。『良い習慣づくり』が、問題なわけです。

 もちろん良い習慣の中には、勉強もあるかもしれないし、運動もあるかもしれない。遊びもあるかもしれない。それらを含めて習慣化することが大切なんですよね。歯を磨く習慣とか、挨拶をする習慣とか、時間を守る習慣とか、ラジオ体操をする習慣とか、本を読む習慣とか、ペットに餌を与える習慣とか、字を書く習慣とか、人助けをする習慣とか、あらゆる習慣を身につけさせることが、幼児教育の要諦(最も大切なところ)であると、豊田芙雄や中村正直は、言っているんです。

 そして『良い習慣』さえ身につけさせてしまえば、親は何もしなくても、子供たちは勝手に成長して大物になっていく。それが西洋諸国が強大化していった本質だと言うのです。

 難しい話は、ここでおしまいにします。
 五歳になった息子の話です。

10-09-46.JPG

 うちの息子は、三月末の生まれと言うこともあって、非常に成長が遅かったです。ゲスな言葉で言えば、知能が低めということになります。そのために幼稚園で何をやるにしても他の人よりワンテンポ遅れています。行動もノロノロしていて、運動神経も最低レベルであるために、年少組の先生からも、年中組の先生からも、年長組の先生からも、落ちこぼれぎみであると、何度も聞かされています。で、幼稚園から紹介された二人の専門の先生(作業療法士・発達心理)に特別指導をうけたりしました。

 普通の親なら、ここで焦るべきなんでしょうが、全く私が焦らなかった理由は、幼稚園では『良い習慣』さえ身につけてくれればよいと思っているからです。そして園から帰ったら必ず、ハイキングにいくという習慣。本を読むという習慣。柔軟運動・スクワット・腹筋・腕立てをするという習慣。お客さんに挨拶をするという習慣。そういう習慣さえ少しずつ身につけていれば、なんとかなる気がする。

 それに成長が遅いというのも、全くのデメリットでもないんですよね。成長が遅いがためのメリットもある。一番のメリットは、『良い習慣』をつくりやすいこと。まだ固まってないので、『良い習慣』をつくるのが楽なんです。

 もちろん、それだけじゃない。例えば、好き嫌いがない。食べ物の好き嫌いはもとより、勉強を嫌ったりもしない。そのためにいろんなことを暗記する力があったりするし読書量も多い。五歳児なのに、三歳〜四歳児なみに何でも吸収します。警戒心も薄いので、見知らぬ公園で初めて会った人とすぐに友達になれてしまう。

 そのうえ幼稚園では女の子に可愛がられているらしい。女の子からしたら、出来の悪い弟が同級生にいるようなものらしく、いろいろ面倒をみてもらっているようです。

 実は息子は、空手教室に通っているのですが、あまりにも技のかけかたが下手なので、少しばかり私が指導したりするのですが、それをやると、息子の同級生の女の子が
「タケル君を叱らないで!」
と文句をいってきます。息子を叱ったりすると、息子の同級生の女の子が、私のほっぺたをつねることもあります。どうやら息子の奴は、同級生の女の子の母性本能をくすぐるらしい。もちろん同級生の男の子も、息子をさかんにフォローする人がいます。息子の奴は、いろんな人たちに支えられている。というか、友達に恵まれているらしい。しかも、その友達というのは、仲良く遊ぶ友達ではなくて、遠くから息子を見守っている保護者的な友達だったりする。担任の先生曰く、息子の奴は、ふだんは特定の友人とうまく遊べないでいるらしいからです。どうやら他の子供たちに比べて、幼すぎるから・・・です。



つづく。

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2018年10月03日

幼児に対する道徳教育について その4『自分のことを自分でやれる子供』

 五歳くらいになると、自分の事は自分でするようになります。服を脱いだらきちんとたたむし、風呂に入るときなら洗濯機に入れてくれる。風呂から上がったら、自分でタンスから服を探して勝手に着ます。

 これは朝起きるときも寝るときも、自分でパジャマに着替えますし、パジャマから洋服に着替えます。つまり着替えに関しては、もう親の手はいらない。

 と、こう言う話をお客さんに言いますと、
「そうそう! そうだよね!」
というお客さんと
「うちは全然駄目」
というお客さんがいたので「変だな?」と不思議に思っていたんですが、最近、やっとその差の理由が分かりました。

 きちんと子供用のタンスがあるかないかの違いなんです。そして、そのタンスに「ズボン・下着・靴下」といった文字が書いてあれば、普通の五歳児であれば、たいていのお子さんは自分で勝手に着替える事ができるようになるんです。たとえ親が教えなくても、着替える事ができる。現に私は教えていません。教えなくても必ずできるようになる。もちろん「ズボン・下着・靴下」といった文字を覚えさせる事が前提ですが、幼稚園さえ行っていれば五歳児なら平仮名くらいは読めるでしょうから、不可能では無い。

 で、教えてもないのに、どうして、それができるようになるか?という点ですが、幼稚園で、その基礎を教えていたんですよね。幼稚園には、下駄箱もあればロッカーもある。そこに名前が書いてあって、自分の物は自分でしまうように躾けられている。だから自分のタンスを作ってあげて、衣類の名前を書いてあげれば勝手に自分でコーディネートして着替えてくれるんです。女の子だと四歳児くらいから、それができる子もいる。うちの息子は、成長が遅れ気味なので、五歳になったばかりで、やっとできるようになった。

 だから親は、子供用タンスに洗濯物済みの衣類をそこに入れるだけで良い。いや、それさえも自分でやりたがるのが五歳児ですから、余裕があれば、自分の洗濯物は自分でたたんで入れるようにしむければ、やるようになるはずです。

 とにかく五歳児は、なんでも自分でやりたがりますね。なので、親がその気にさえなれば、なんでも自分で、できるようになる。これに気がついたのが、息子が五歳になってまもなくのことでした。

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 きっかけは、嫁さんが「息抜きに東京に行きたい」と言い出したことです。それは、そうだと思った私は、毎年・東京で行なわれている日本ユースホステル協会の研修会(一泊二日)に、嫁さんを出席させることにしました。たまには息子から離れて息抜きも必要だと思ってのことです。

 しかし、そのためには、息子の物が仕舞ってある場所を教えて貰わなければならない。具体的に言うと五歳の息子の衣類が置いてある場所が分からないので、息子用のタンスに「ズボン・下着・靴下」といったタックシールを貼って貰ったのです。そのタックシールは、あくまでも私に分からせるためのシールだったのですが、そのシールは、息子にとっても便利な目印だったんですね。

 そのうえ、そのタンスは小さな三段のタンスで、息子の衣類しか入ってなかったために、息子にしてみたら「自分のタンス」という意識になる。で、その自分のタンスの中にある衣類は、自分が自由に着て良いものであると思い込んだわけです。そうなると幼稚園で行なわれている教育が、家庭でも再現される。つまり、自分のことは自分でやるようになるわけです。自分で洋服をコーディネートして着替えるようになるし、風呂から上がったら勝手に着替えるようになる。

 今まで私は、幼稚園で何を教えているのか、よく分かってなかったために、それを家庭で活用できてなかったんです。そのために息子が五歳になるまで、幼稚園で教わったことを、家庭で応用するなんて発想が全くなかった。もし、もっと早く気がついていたら、四歳くらいから、自分の事は自分でするようになったはずです。というのも、「四歳の頃から自分の事は自分でするようになった」と証言する人が、うちのお客さんの中にはいたからです。それを聞いたときは
「しまった!」
と地団駄を踏んだものです。

 では、私が子供の頃はどうだったかと言うと、自分が幼児の頃はやってなかった。朝起きたら枕元に着替えがおいてあったので五歳で自立どころか、十二歳くらいになるまでやれてなかった。これは時代もあったと思います。私が生まれた時代(昭和三十年代)は、子供がタンスをいじる風習が今ほどなかったからです。どの家庭でも子供の衣類は、親か祖母が用意していた。いつも枕元に着替えが置いてあったために、風呂から上がると着替えが置いてあったために、自分の衣類が何処にしまってあるのか、中学生になるまで分からなかった。

 もちろん子供用タンスなんてなかった。昔は今ほどタンスは安くなかったし、タンスに「ズボン・下着・靴下」といった文字を書く事もなかった。タンスは高級品だったし、当時は簡単にはがせるタックシールもなかった。セロハンテープだって高級品だった。セロテープがあっても、タンスにテープを貼る発想がなかった。そもそも当時の女性(母親・祖母)は、今よりずっと働き者で、世話焼だったので、子供は甘えようと思えば、とことん甘えられた。

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 そう考えると、時代や風習や豊かさが子供に与える影響も大きい気がします。私より十歳ほど年齢が上(昭和二十年代)になると、これが逆になってしまう。『佐賀のがばいばあちゃん』で有名な漫才師・島田洋七さんは、八歳で祖母に預けられ、その初日からカマドで飯炊きをさせられています。八歳の子供が、電気炊飯器ではなく、薪を燃やしてカマドで飯炊きをさせられるわけですが、それを毎日やっています。世の中が貧しいと、逆に自分のことは自分でやらないと生活がなりたたない。貧しければ、枕元に着替えを置く暇がない。

 それ以前に親を手伝わなければならない。川に流れる風呂の水をくむのも、裏の畑に水をまくのも八歳の島田少年がやっている。風呂だと五十杯。畑だと十五杯。それを毎日やっている。しかし、島田少年は、それを強制されてやっているわけではない。ここで『がばいばあちゃんの笑顔でいきんしゃい・島田洋七著』の中の文章を紹介したいと思います。

**********************************
 これも別に、やれと言われたわけではないが、おばあちゃんが、何も用事があるのに、何十台も持ってお風呂とは、間を往復しているみたら、
「あ、それを俺がやるよ」
ってなる普通じゃないだろうか。
 すっかり日課だったから、飯を炊いても水をくんでも
「ようやった」
と褒められる事もないし、お駄賃をもらえる事もなかったけれど、自分は偉いなぁって思った事もなかった。
 手伝いしない子供に「褒めてやらせよう」みたいな話があるが、それは何か違うなぁと俺は思う。
 親が何かをやっていたら、子供は興味を持ってやってくる。その時にできるかな?とやらせてみて、やり遂げられたら、その後の仕事にしてしまえばいいのだ。

『がばいばあちゃんの笑顔でいきんしゃい・島田洋七著・徳間文庫・37〜38ページより』
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 島田洋七氏は、「褒めてやらせよう」というのは少し違うと言っている。私も同感です。褒めなくとも、子供は勝手に、自分のことは自分でするんですよね。ある条件がそろえばです。問題は、その条件です。その条件こそが幼稚園教育・幼児教育の要諦(最も大切なところ)なんですよね。

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 それを日本で最初に指摘したのが、日本幼稚園教育の父である中村正直です。そうです。自助論を翻訳した中村正直です。では、中村正直は、なんと言ったかと・・・・また長くなるので、続きは後日にします。

つづく。

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posted by マネージャー at 20:22| Comment(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月01日

幼児に対する道徳教育について その3『ホスピタリティ』

 今年は台風が多かったですね。そのうえ、まだ台風24号が来ると言うですから本当に困ったものです。けれど、どういうわけか北軽井沢は、台風の影響が少なくて、夏の間はずっと晴れていました。おかげでお客さんは大喜びです。うちのお客さんは、小さな子供さんを連れたファミリーが多いので、庭にはたくさんの遊具があります。子供さんに外で遊んでいただくためです。

 そうでないと、宿の中で小さなお子さんがドタバタ走り回り、他のお客様にご迷惑をかけたりするからです。廊下を走らないでくださいと言う張り紙をしてくださいと、お客様から注意された事もあるんですが、例に貼ってみても無駄でした。ドタバタ走り回るお子さんというのは、まだ小さくて文字が読めないんですよね。

 これでは困ると思ったので、 400坪ほどある庭にたくさんの遊具を置いて、息子をけしかけて、お客さんのお子さんたちと遊ばせるようにしました。最初は恥ずかしがっていた息子も、だんだんとコツを覚えて、お客さんのお子さんたちとすぐに良くなるようになり、外で遊ぶようになりました。おかげで、館内でドタバタ子供たちが暴れる事が減り、ほっと一息です。

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 話が変わりますが、息子のやつが五歳になって六ヶ月になります。 五歳児ともなりますと、それ以前と全く違いますね。まるで天使のようです。外見のかわいさは、三歳児や四歳児にかないませんが、五歳児には別の意味のかわいさがあります。

 まず、聞き分けが良くなります。親が怒ったり注意したりする必要がなくなります。多少反抗したとしても言い聞かせれば、簡単に納得してくれます。

 それから他人を思いやれるようになります。夏のある日、私が昼寝から目覚めますと、息子がそばにいて麦茶を差し出したりします。相手を思いやれるようになってきている。お客さんに御菓子をもらうと、独り占めせずに、他の子供たちにも分けてあげますし、親にも分配するようになりました。正直言って、御菓子なんか食べたくないのですが、教育のために無理に食べるようにしています。

 そして夏休みに、お客さんが、うちの宿にチェックインしている時、
「麦茶にしますか? 冷たいお水にしますか?」
と接客の真似事もするようになりました。私が忙しいですと、代わりに宿帳を差し出して、住所と名前を書いてくださいと、ご案内するようにもなりましたし、お客さんに館内の案内もするようになりました。五歳児に接客されたお客さんは、かなり驚いていました。

 また、お客さんの中に自分より小さなお子さんがいたら、本の読み聞かせをしてあげたりします。息子のやつは二歳になるまえに平仮名や片仮名を覚えましたので、今では絵本をすらすらと読めるようになっています。なので、お客さんの中に小さなお子さんがいますと、絵本を読んであげています。

 その姿があまりにも微笑ましいので、何度かこっそりを写真に撮りました。 三歳四歳の子供たちが、 五歳の息子の周りにずらりと集まって、息子の絵本の読み聞かせに静かに聴いている姿は、本当に可愛いものです。そして癒やされます。

 また、夜はお客さんに花火を持っていったり、お茶菓子を出したりもします。自分のおもちゃを差し出したり、シールをあげたりするようにもなりました。息子が、こんな調子ですから、 三か月もしないうちに、再びリピーターとして泊まりにきてくれるお客さんも、かなりの数になってきました。

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 実は、息子ができると、そのようになるという事は、多くの(宿屋の)諸先輩方から聞かされていました。佐渡島のユースホステルの奥さんや、子育て終わった近所のペンションオーナーに、親が一生懸命宿屋をやっていると子供はとても優しい子になるよと言われてました。

 北軽井沢には、アルバイトに小学校の非常勤教員をしつつペンションもやっている方もいるんですが、その方も、宿屋と農家のお子さんは思いやりの多い優しい子供が多いと言っていて。そのうちに息子さんが最強の営業ツールになるよ・・・と言われていたのですが、最初は半信半疑でした。

 が、今ならわかります。

 小さな子供は、徹底して親の真似をします。
 それはこのブログにもくどいぐらいに書いてきました。
  http://kaze3.seesaa.net/category/25476231-1.html

 例えば私が嫁さんを怒鳴ったりすると、息子も母親を怒鳴ったりする。逆に優しくすると、息子も優しく接するようになる。なので、極力夫婦喧嘩はやめて、できるだけお客さんに対するホスピタリティを上げる事に専念する。そうすると、息子のやつは、接客している親の姿を知らず知らずのうちに真似しているんですね。接客している親の真似をしつつ、相手に対する思いやりや、ホスピタリティの精神が身についてくる。つまり、親の後ろ姿を見せるだけでいい。自動的に思いやりがもてるようになるんですよね。

 別に特別な道徳教育のしなくても、親の後ろ姿だけでいいわけですから、そんな楽な事ありません。ファミリーのお客さんに、できるだけの事をしてあげるだけで、それが息子に対する最強の道徳教育になるわけですから、宿屋というのは、子供の道徳教育には、最高の環境かもしれませんね。

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 それだけじゃない。五歳くらいになると、自分の事は自分でするようになります。服を脱いだらきちんとたたむし、風呂に入るときなら洗濯機に入れてくれる。風呂から上がったら、自分でタンスから服を探して勝手に着ます。

 これは朝起きるときも寝るときも、自分でパジャマに着替えますし、パジャマから洋服に着替えます。つまり着替えに関しては、もう親の手はいらないんです。

 と、こう言う話をお客さんに言いますと、
「そうそう! そうだよね!」
というお客さんと
「うちは全然駄目」
というお客さんがいたので「変だな?」と不思議に思っていたんですが、最近、やっとその差の理由が分かりました。ほんのちょっとの環境の差で、明暗がでることに気がつきました。タンスの差です。信じられないかもしれませんが、タンスの差で自分の事は自分でするようになるんですよ。たかが、タンスの違いで大きく違ってくる。文章が長くなったので、続きは、後日で。


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つづく。

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