2020年02月27日

2月14日に思うこと。その6 スケート部に入った息子

 私は息子にスケート部に入りたいかどうか聞いてみました。すると「入りたい」と。スケート部の顧問の先生が、とても優しいから入りたいと言いう。そのときは、きっと優しい先生なんだろうなぁ・・・と思っていました。ところが優しいどころか、昭和のスポ根アニメを思わせるような厳しい先生だった。

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 この先生に限らず、うちの息子は、小学校の先生を優しいといいます。担任の先生も、すごく優しいと言い将来は小学校の先生になりたいと言い出しました。こんなことは初めてです。子供園の時は、先生になりたいとか、先生が優しいとか、そんなことは一度も話していません。けれど小学校に入った途端に、小学校の先生になりたいと言い出した。いったい、どんなに優しい先生なんだろう?と思い、空手教室などで一緒に練習している、二年生は三年生に話を聞いてみたら、真逆の反応が返ってきます。小学校で一番厳しい先生だというのです。それも一人や二人ではありません。多くの子供たちがそう言い放つのです。

 あれ?
 息子の言う話と全く逆だな?

で、思い出したわけです。息子が、顧問の先生がとても優しいからスケート部に入りたいと言う理由です。息子が優しいと思っている顧問の先生はとても厳しい方です。子供たちに厳しく接している。特に礼儀作法を徹底させている。スケートリンクに上がる時、リンクにお辞儀をさせているし、ふざけたことをしようものなら、すごい雷が落ちてくる。まるで巨人の星に出てくる星一徹のような厳しい先生なのです。その厳しさといったら空手教室よりもキックボクシング教室よりもはるかに厳しい。その厳しい先生を息子は誰よりも優しいと思っているのです。最初は、

 変だなぁ?

と思ったのですが、よくよく観察してみると、何ということはなかった。小学校の先生は、子供たち一人一人の個性に合わせて指導している。大人の一歩手前まで成長している六年生には厳しいけれど、スケートを始めたばかりの一年生に対しては、とても優しく接している。特にうちの息子は成長が遅れているので、なおさら優しく丁寧に接してくれている。それに対して息子は感動してる。スケートの先生が優しいと感じている。

 これは息子の担任の先生にしても一緒で、三月末生まれで成長が遅れ気味の息子に対して、とてもよく面倒を見てくれている。それを息子は微妙に感じ取っている。それで担任の先生が優しいと感動している。小学校の先生になりたいと言い始めている。で、息子が徐々に成長してきて、みんなに追いついてくると、担任の先生はそれなりに厳しくなったようで、
「先生が、前より厳しくなった」
と私に相談してくるようになりました。
「あーなるほど」
と思いましたね。先生は、子供の成長の度合いに合わせて指導しているんだと。すごくきめ細かく見てくれているんだなあと。

 こういう指導があると、親の教育がしやすい。うちの宿にはファミリーの御家族がいっぱい来ますが、小さい子には小さい子たちにもわかるように優しく指導してあげて、大きい子たちには、一緒に小さい子たちの手本になるように行動するようにする。そういうことが必要だということが、すでに小学校で体験しているわけですから、非常にありがたい。というか、小学校の教師が、一人一人の個性に合わせて、そこまで細かく見てくれているのか・・・と感動さえ覚えます。担任の先生にしても、スケート部の先生にしても、教育のプロはすごいですね。

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 まあそんなことはどうでもいいとして、スケート部の先生が、厳しく指導してくれるおかげで、スケート部の部長(六年生)の人徳が磨かれており、うちの息子は、あんな先輩になりたいと感銘を受けていています。

 小学校で一番大好きで、尊敬している人は、スケート部の部長さんだと言い切ります。あんな優しくて、すばらしい人はいないというのです。そのうえ将来は、ああいう先輩になりたいと、言い切っている。

 私が息子をスケート部に入れさせた理由は、体育の授業で息子に恥をかかせないためです。息子は成長が遅いので、運動の方もいまいちです。なので運動神経を必要とする、スキーやスケートを幼稚園時代からやらせていました。その延長でスケート部に入れたのですが、これには、うちの嫁さんも大反対。スケート部に入ると親の仕事が増えて大変だからです。

 毎日のように子供たちを車に乗せて、軽井沢のスケートセンターまで交代で送迎しなければいけない。五十キロもある凍結した山道を走らなければいけない。子供たちの急な病気や怪我(けが)に対処しなければいけない。つまり何人かが子供たちを見張ってないといけない。その上、何万円もするスケート靴を用意しなければいけない。スピードスケートのウェアも必要になってくる。おまけにスケート大会に参加する場合、場所取りやら何やらで、朝四時から出発する必要性も出てきたりする。

 ものすごく手間と金がかかる。
 だから半端な気持ちではスケート部には入れない。
 なので嫁さんは大反対!

 現に、そういう理由で、入部した後にすぐに退部する子供たちも多かった。親がそこまで手をかけることができないからです。そんなに大変なのに、入部させる親がいるわけですが、大抵の場合は、親がスケート選手だった例です。普通なら気軽に入部させるわけにはいかない。

 しかしそれを押し切って、私は入部させた。

 で、あんなにスケート部に入れるのを嫌がっていた嫁さんは、いざ息子がスケート部で少しずつ成長していくと、スケート部にはまってしまった。スケート部で親の行うボランティア作業は、私が全てやるつもりだったんですが、私が行ったのは、一回ぐらいで、あとは全部嫁さんがするようになっていた。

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 話は変わりますが、台風十九号の影響で、じゃらんや楽天で、復興割りクーポンというもの発行することになりました。これを使えば、宿泊費の半額で泊まれるクーポンです。このクーポンは、それほど人気がなかったのか、いつまでたっても売れ残っていたので、私たちが勉強のために使うことにしました。クーポンの期限は、二月二十八日(金)までです。で、二月二十八日に万座温泉聚楽に泊まることにしました。で、クーポンを使って予約したわけです。

 ところが、二月二十八日(金)に、スケート部の反省会という食事会を行うことになった。ダブルブッキングになったわけです。私は、最初に決まっていた万座温泉宿泊を優先するつもりでしたが、嫁さんは、スケート部の食事会を優先したいと言う。あれほどスケート部を嫌っていたくせに、スケート部の反省会(食事会・六年生のお別れ会)に出たいと言う。そこで大げんかになりました。

 観光協会の理事をやっている私としては、万座温泉の宿泊をキャンセルしたくない。そもそも、そっちの方が先なので、そっちを選ぶべきだと私は強硬に主張。しかし嫁さんの方は、スケート部の方を優先したいと言う。あれだけ嫌っていたのに、スケート部に思い入れが入っていました。というわけで夫婦の議論は、ずっと平行線だったので、息子の意見を参考にしようと、色々聞いてみたら、息子は万座温泉に泊まりたいと言う。けれどスケート部の部長(六年生)さんをとても尊敬しているという。あんな先輩になりたいとも言っている。

 仕方ないだと思った私は、万座温泉のホテル聚楽に、理由を言って、宿泊日程を二週間前の二月十四日(金曜日)のバレンタインデーに変更してもらえないかとお願いしました。ホテル側は快く変更のお願いを聞いてくれました。バレンタインデーですから、本当なら、お客さんがいっぱい来る日だろうし、価格設定も違っているはずなのに、快くOKしてくれたホテル側には感謝しかありません。

 心の中で「ありがとう」と思った私は、ホテル聚楽では、お酒などにをしこたま注文してお金落とすことにし、ホテルも、このブログで宣伝しようと決意しました。この時の宿泊については、後日、このブログにアップするとして、こうしてスケート部の食事会議参加できるようになったのです。その食事会は、本来なら明日、ホテルグリーンプラザで行うはずでした。


 ところが、コロナウイルス騒動で、イベント自粛のお達しがあった。
 息子は、尊敬する六年生の部長さんのお祝いができなくなったのを残念がっていました。


つづく。

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2020年02月19日

2月14日に思うこと。その5 ヘルパーさんたち

 二十年前に宿屋、つまりユースホステルをオープンしてしばらく経った時に、ヘルパーをしたいと言う問い合わせがありました。ヘルパーというのは、介護ヘルパーのことではなくて、ユースホステル(宿屋)でボランティアをする人たちのことです。それをヘルパーと言っていました。何を隠そう私も、釧路牧場ユースホステルと言うユースホステルで、二年間・二シーズンに渡ってヘルパーをしたことがあります。もちろんボランティアですから、給料はありません。交通費みたいなものが少しばかり出るだけです。ただし、従業員ではありませんから、お客さんと 一緒にお茶を飲んだり、時には遊びに行ってかけたり、 ヘルパー同士で夜遅く酒を飲んだりして楽しんだりします。

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 ヘルパーの仕事は、かなりの重労働でしたが、それなりに楽しかった と思います。何しろ釧路牧場ユースホステルは、七十人ぶんのベッドがあります。そのベッドメイク や食事を三人のヘルパーでやっていました。想像を絶する重労働で四時間睡眠でしたが楽しかった。お客さんに観光案内をしたり、写真を撮ってあげたり、連泊するお客さんのベッドに手紙とチョコレートを置いたりして、ちょっとした親切をするだけで、えらく感謝されたことが楽しくて楽しくてたまらなかった。 そんな思い出が、蘇(よみがえ)ってきた。

「ヘルパーをしたいんですが」
「いいですよ」

というわけで、ヘルパーをしたいという人が現れますと、私はどんどん採用していきました。その結果、下手したらお客さんよりもヘルパーさんの方が人数が多いという状況にまでなってしまいました。当時のことを知るお客さんは、今でも懐かしそうに語ります。

「オープンしてから四〜五年は、ヘルパーばかりいったよね」
「今日は、宿泊者がおおいなあと思ったら、自分を除いて全員がヘルパーだったこともあったなあ」
「あの頃は、この宿に泊まると、平日でも十人ぐらいの若い人たちがいて、自分若い人たちに人気のある宿なんだなあと思っていたら、そのうちお客さんは四人しかいなくて、あとの六人はヘルパーだった」

 そうです。片っ端からヘルパーを採用していてしまったために、 お客さんよりもヘルパーの方が数が多いということが多くなった。もちろん赤字です。私は、ヘルパーさんに、お客さんと同じメニューを、お客さんと一緒に食べさせていましたので、 赤字も赤字。大赤字。

 その上、ヘルパーさんたちに、お客さんと一緒に遊んで来いとか、 お茶会でお客さんと楽しい会話してきなさいと言っていました。お茶会には、酒・ジュース・茶菓子を必ず出していましたし、人数が多ければ、餃子・お好み焼き・ピザ・にんにく揚げ・ローストビーフなんかも出していました。誕生日の人がいれば、ケーキを焼いたりもしていました。今思えば、我ながら本当によくやったと思います。 どうしてあんなことが十数年も続けることができたんだろう?と不思議に思います。

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 まあそんなことは、どうでもいいとして、ヘルパーさんの話です。うちの宿には、多くの若い人たちが、ヘルパーとして働いてくれました。昔は、ユースホステルの他に、ティンカーベルという名前のペンションも経営していましたので、そちらの方のヘルパーさんも含めれば、かなりの数が、私の宿で働いたことになります。ほとんどが若い人たちで、大学生・高校生・中学生がメインです。最高齢で言うと七十歳のヘルパーさんもいましたけれど、大半は若い人たち。社会人の方もいますが、二十代前半がほとんど。

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 面白いのは、ヘルパーになった人たちの大半が高学歴であり、頭の切れる人でした。旧帝国大学・有名私大・国立大学の出身の人たちが多かった。医学部に絞っても四人もいました。でなくとも有名進学高校の出身でした。いわゆる進学校で落ちこぼれたパターンであって、元IQ が高すぎた弊害の人たち。知能指数が高いために、中学校時代に勉強せずとも高成績だったために、努力するという癖を身につけることができなくて、高校に入って落ちこぼれたパターンです。

 そういう人たちは、学歴がないとは言っても、非常に頭が良い。何でもかんでもすぐ覚えてしまう。料理も接客もすぐにマスターして、一流どころになれる素質を見せてしまう。要するに器用なんです。大して努力をしなくても何でもそつなくできる。そういう人たちが世間に存在していた。

 で、中学校も卒業してないのに天文学者になった人や、ライターや絵本作家として成功した人もいる。工務店・エステ・飲食の経営者としてバリバリ活躍している人もいる。彼らは学歴がないと言っても、切れ者なので、それぞれの道で成功している。

 長い前置きになりました。
 ここから本題に入ります。

 息子が生まれる時に、中学生時代に宮本武蔵を読んで感動して以来、一度も神仏に乗ったことのない私が、生まれて初めて神仏に祈りました。どういうふうに神仏に祈ったかと言うと、
「健康な子供をください。勉強も運動もできなくていいです。健康でさえあれば何もいりません。勉強・運動は、親の私がやります。私がサポートします。だから五体満足で健康な子供が生まれてくることをお願いいたします」
と祈りました。

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 この願いはかないました。生まれた息子は健康そのものでした。病気らしい病気をすることがなく、インフルエンザにかかっても一晩寝ると治ってしまいました。私は息子が〇歳児の頃から背中に背負って一緒に山に登っています。-十度の冬山にも一緒に登っています。 そんな環境下でも寒いとも言わずにキッキャとはしゃぎながら一緒に登山をしていました。

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 神仏は、私の願いをかなえてくれました。完璧にかなえてくれましたので、勉強も運動もいまひとつでした。と言うか、成長が非常に遅かった。周りの同級生たちができることを息子ができないのです。一言で言うとどんくさい。不器用。

 それでも私は気にしてなかったのですが、子供園(幼稚園と保育園が合体したもの)の先生たちは、成長の遅さを指摘しました。年少組・年中組・年長組。どの学年の時の担任の先生も、成長が遅すぎると言います。そして、発達心理学の先生に見てもらうように言われます。それは渡りに船なので、専門の先生に診てもらったら
「問題なし」
と言われてしまいます。しかし、現場で息子を見ている幼稚園の先生にしてみれば、問題ありだと言います。息子は、三月二十六日生まれなので発達が遅れているのではないかと質問してみたのですが、それを加味しても遅れているという。三月末に生まれたにしても、遅れ過ぎているという判断なのです。

 そこで発達心理学の先生に知能検査をしてもらったわけですが、実際検査をしてみたら、 IQ は非常に高かった。うちの息子は、よく忘れ物をしますので、ワーキングメモリーが人より低いと予想していたんですが、知能検査でワーキングメモリは百二十以上。その他の数値も非常に高かった。

 あれ?

と思ったのは、 発達心理学の先生よりも私だった。 どうやら成長の遅さと、知能指数には関連性がなかった。他の人にできることが、息子にできない。そういうどんくささ、つまり人様よりワンテンポ遅れるところと、知能指数は関係なかった。これはどういうことなんだろうか?

 そこで思い出したのが、過去にうちの宿でボランティアをしていたヘルパーたちのことです。彼らの大半は高学歴なので知能指数は高かった。しかし、その中に、テキパキとやれる人たちと、どんくさい人たちがいた。器用な人たちと不器用な人たちがいました。

 もちろんコツコツと上達していく努力の人たちもいましたけれど、瞬時に理解して何でもこなせる天才肌の人たちもいました。そういう天才たちは、料理人になっても、学者になっても、経営者になっても、何になっても成功しそうな気がしたし、実際に成功している・・・。

 それらとは、真逆で息子のやつは成長が遅い。幼稚園の先生から、ワンテンポ遅れる。みんなができることできない。忘れ物ばかりする。三月生まれという点を差し引いても、非常に成長が遅い。そう言われてきました。実際、親の目から見てもスローペースだし、小学校で宿題のプリントをよく忘れる。教科書も忘れたし、水筒も忘れる。上着もどこかに忘れてしまう。筆箱に入っている筆記用具も毎日のように全部なくなってしまう。とにかく物忘れがひどい。

 その上ことばもゆっくりしている。会話のテンポが非常に遅い。だから、一学年下の子供たちと遊ぶと丁度いい会話ペースになる。いや、一学年下の子供たちの方が、もっとベラベラと喋れます。下手したら、二学年したの子供たちと丁度いい会話のペースになります。小学一年生の息子が、年中組の幼稚園生と会話すると丁度いいぐらいになって見える。それを心配してか、小学校の担任の先生は、ことばの教室に入ることを家庭訪問の時に勧めてくれました。

 ことばの教室とは、言語障害のある子供向けの特別支援学級のことで、言語障害のある子供のサポートをしてくれる教室です。ことばの教室に出席する間は、学校の授業はお休みになります。 担任の先生は、それを心配していましたが、うちの息子は勉強に対する理解だけは早い。通信教育で有名なチャレンジ一年生の教材が届きますと、一日で全部終わらせてしまう。なので、赤ペン先生の添削の手紙に、
「今回もたけるくんが全国で一番です」
と添削の回答が、満点で返ってきます。夏休みの宿題も一日で終わらせてしまいます。なので、勉強が遅れることだけは全く心配してません。

 ただ、会話のテンポが遅い。作業のテンポが遅い。忘れ物が多い。身の回りのことができてない。テキパキと動けない。要するにどんくさいんです。 どう見ても IQ が高いようには見えません。

 しかし、知能検査をすると非常に高い数値が出てくる。しかもその検査は、去年の今頃、インフルエンザで一週間寝込んでいた頃に受けている。体調的には決して万全ではあなかったし、本来なら六歳で受けるべき検査を、幼稚園の卒園式などの関係で五歳十ヶ月で受けている。試験結果は悪く出るべきところ、逆に高い数値が出ている。これはどういうことなんだろう?

 で、思い出したのが、息子が生まれる時に神仏に祈ったことでした。 天は、健康をくださった。「あとは自分でどうにかしなさい!」ということではないか・・・と思うしかなかった。なので、小学校入学と同時に、ことばの教室をはじめとして、空手・キックボクシング・陸上・縄跳び・各種の球技・スキーを習わせました。

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 小学校入学すると、小学校にスケート部があると聞いて、そこにも入部させました。嫁さんは嫌がって反対していましたが私が押し切った。どんくさい息子が、体育の授業で悲しい思いをしないですむように、スケート部で鍛えてもらおうと思った。そして、ちょつとでも滑れるようになれれば、ラッキーだと思っていた。



つづく。

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2020年02月18日

2月14日に思うこと。その4 宿屋(ユースホステル)のオーナーは、無数の人生の目撃者

 息子が生まれてから、最初に心がけたのが、道徳教育でした。
 具体的に言うと、五歳までは、健康と道徳教育に重点を置いたのです。
 五歳からは、道徳教育から運動の方に重点を置くようにしている。
 徳育から体育にシフトしていった。
 いずれは勉強の方も力を入れるつもりですが、
 それはまだまだ先でいいと思っています。


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 こう思うようになったのは、宿を始めてしばらくたってからです。うちの宿はもともとユースホステルからスタートしています。オープンしてから数年間は、お茶会というものを積極的に行っており、お客様と深夜の二時ぐらいまで一緒に酒を酌み交わしました。お客さんが一人しかいなくても、いや、一人しかいないときならなおさら、さしで杯を交わしていました。

 話は変わりますが、ユースホステルのヘビーユーザーには、 高学歴の人たちが多い。具体的に言うと、旧帝国大学出身の人たちが多いです。東京大学・京都大学をはじめとして、早稲田大学・慶応大学・上智大学といった超難関大学出身の人たちが、数多くユースホステルを使っています。そういう人たちの比率が圧倒的に多い。日本の人口比率において、圧倒的に数が少ないはずの高学歴の人種たちが、ユースホステルを利用する比率がとても高いのです。

 もちろん、うちの宿にもそういう人たちがたくさん泊まりにきます。その中には、某官僚だったり、裁判官だったり、外交官だったり、商社マンだったり、金融関係者だったり、教育者だったり、マスコミ関係者だったり、研究職の人たちだったり、いろんな人たちが泊まりに来ます。もちろん彼らは、自分の職種を秘密にしています。秘密にして、みんなと一緒に週末の登山ツアーなんかに参加している。楽しそうに一人旅で行ってきて、うちの宿のツアーに参加して、他のお客さんと仲良くなり、ワイワイやっているわけです。


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 まあそれはそれでいいんですが、そういう人たちが、ある日突然、オフシーズンの平日に泊まりにやってくる 。オフシーズンの平日だから、他にお客さんはいない。なので、お茶会は私と二人っきりになり、酒を酌み交わすようになる。当然のことながら、深夜の二時から三時まで話をするようになる。そうなると話もだんだん深刻になっていく 。深刻な人生相談に変わっていく・・・・。私はそんな彼らの悩みを何時間も聞かされてしまう。そういうケースが少なからずありました。

 彼ら高学歴な人たちの中には、子供の頃から知育ばかりやらされたために、対人スキルが不足して社会に出てから失敗してしまう人がいる。それで深刻な悩みを抱えてしまう人がいる。衝撃だったのは、そういう人たちの中に自殺者もいたことです。自殺にはシーズンというものがあって、だいたい三月に多い。特に金融機関に多いらしい。思えば私の友人にも、父親に自殺されてしまった人がいたけれど、やはり三月でした。なので三月のお茶会に、そういう話題がチラホラと出てきたり。お茶会に参加するメンバーによっては、こんな深刻な話も、話題になったりします。

 二十年前は、日本社会もまだまだ終身雇用制でしたので、 頑張って勉強して一流企業や難関公務員になっても、人間関係で失敗したら、即脱落者なってしまうケースが多かった。にもかかわらず、その現実を知っている人たちは少なかった。少ないからこそ、実際に社会に出てみて愕然(がくぜん)とする人たちが少なからずいた。そういう人たちは、悩みに悩んだ挙げ句、平日休暇を取って、ふらりと北に向かう。
 で、いつのまにか北軽井沢にやってきたりする。

 で、うちの宿に泊まって、深夜の二時まで私と酒を飲むことになります。こういうことがどんどん増えていきました。オフシーズンの平日だというのに毎日のように、そういう人たちの相手をする羽目になります。そして私は、私は次第に体を壊してしまいます。なので酒を飲むのやめてしまった。お茶会も夜の十一時でやめてしまいました。


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 まあそんなことはどうでもいいとして、このような体験を通して、どんなに勉強ができたとしても、終身雇用の多い日本の社会においては、一度でも人間関係に失敗すると、絶望的な未来があるという現実を知らされました。二十年近く勉強ばかりしても、社会人になって、ちょっとした人間のトラブルで、全てが台無しになってしまう可能性があるのが、現実だけれど、それを理解している大学生や高校生はあまりない。これは私たち大人の責任も大きい。勉強さえすれば、人生が薔薇(ばら)色だというのは、とんでもない都市伝説であることは、 目の見えている大人はわかっているはずです。少なくとも、真面目にお客さんに対応してきた宿屋(ユースホステル)のオーナーならわかっている。それを私たち大人は、あまり伝えてない気がする。

 また話は変わりますが、宿屋を二十年ほど続けていると、たくさんのお客さんに出会います。そして元気そうだったお客さんの死を知ることになる。癌(がん)で死ぬ人もいれば、突然死で亡くなった人たちも少なからずいる。そういうことを繰り返して体験していくと、健康がいかに重要なのかが身をもって知らされてしまう。

 特に結婚して、生まれたばかりの子供が何人かいて、これから子育てをしなければいけないという時に死んでしまった人ケースに出会ったり、その逆に、一粒種の子供が高校を卒業して、大学に進学してさあこれからだという時に、子供が原因不明の突然死になってしまって愕然(がくぜん)としている親御さんたちの苦悩に立ち会ったりすると、健康というものが、どんなに貴重であるか、どんなに大切なものであるか、思い知らされるわけです。

 また逆に、生まれた子供に障害があるケースも多々みてきた。障害と言っても、体の一部が不自由なケースの場合は、親御さんもそれほど苦労してるようには見えませんでした。もちろん見えてないだけで、水面下では大変な苦労をしているんだと思いますが、それが外部の人間には分かりづらい。


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 けれど、自閉症だったり、多動児だったり、アスペルガーだったりのケースは、一瞬にして親御さんの苦労がわかってしまう。というか、我々で宿屋の人間が、サポートしづらい。例えばアレルギーのお子さんだったら、作る食事を注意するといったサポートができるわけだけれど、お子さんが多動児だった場合は、本当に難しい。空気を読めないために他のお客さんに迷惑をかける可能性が非常に高いからです。水遊びが暴走して、他のお客さんを水浸しにしたりする。そういうハプニングを避けるために、宿屋としては臨戦態勢にならざるを得ない。

 困ったことには、一般のお客様には、躾(しつけ)のできてない子供と、多動児の違いがわからないことです。医者は『多動児に対して怒ってはいけない』と言いますから、御両親もその指示に従います。その結果、宿の中において、とんでもないことが起きたりする。宿屋の私たちには覚悟はできていても、他のお客さんには理解できないし、そういうものでもない。だから本当に宿屋としては苦労する。ピリピリする。神経をすり減らす。だから専門書を読んだりして勉強せざるをえない。その結果、宿屋は、そういう事に詳しくなってくる。悲しいかな詳しくなってくる。

 また、ユースホステルのヘビーユーザーに高学歴の人たちが多いためか、価格帯が安いためか、離婚して独り身になった親御さんが、子供を連れてくるケースも多々あります。そういうケースで普通の人たちが想像するのは離婚したシングルマザーが子供を連れてくるケースだと思いますが、実際にはその逆のケースも多い。

 離婚したためにふだんは子供たちに会えないお父さんが、子供を連れて北軽井沢に遊びに来るケースが少なからずある。長年宿をやっていると何となくわかってくる。で、気をつけて見ていると、子供たちの何げない言葉に、お父さんが目頭を押さえているのよく見かける。何とかしてあげたいが、昔はどうしようもなかった。宿屋ができることなんか、たかが知れているし、するべきでもない。何かしてあげたいけれど、何もしてやれないジレンマに長年悩んでいた。

 ところが、五十歳を過ぎて子供を授かると、 自分にも何かできるんではないかと、閃(ひらめ)いてしまった。そういったお父さんたちが一番喜ぶことは、子供たちが自宅に帰りたくないというくらい楽しんでくれることです。そのために、うちの息子を散々けしかけました。
「あの子たちと遊んできな」
と、散々けしかけた 。


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 また、百万円以上かけてせっかく作った庭の樹を伐採し、五年がかりで製造した花壇を撤去して、十トンダンプ 二十台分の砂利を敷いて屋外遊具を大量に設置し、大量のおもちゃを買い、千冊の絵本を買いそろえました。すると
「帰りたくない」
とか
「お父さん、また、ここに来ようね」
と言うお子さんの声が多くなり、それに対してお父さんが涙している姿を見ることができるようになってきた。長年の私の悩みが、やっとかなうようになったのです。

 話がそれました。

 宿屋をやる。それもユースホステルを運営する。そういうことを二十年間続けていると、いろんな人たちの人生を見てしまうことになる。場合によっては人生に立ち会ったり、関わったりしてしまう。人間の生死にも立ち会ったりするわけで、いやが応でも巻き込まれてしまうことがある。その都度、貴重な教訓を頂いてきた。なので、この貴重な体験を、私の息子に生かさない手はなかった。どうしても健康・徳育・体育を重要視せざるを得なかったし、その方針に基づいて、散々子育てをしてきました。で、万事うまくいったかと言うと、そういうわけでもなかった。いろいろと落とし穴があった。




つづく。

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2020年02月16日

2月14日に思うこと。その3 テレビを見ない子供の副作用?

 子育てをして分かってきたことは、子供は親の真似をするということです。これについては、このブログでも散々書いてきたので、いちいち書きませんが、子供は本当に親の真似をします。例外があるとしたら、次男次女以下の子供たち。次男三男あるいは次女三女の場合は、親に対してよりも長男長女の真似をする傾向があるかもしれない。けれど、一人っ子や長男長女の場合は、親を徹底的に真似してしまう。

 それで、気がついたことですが、私も嫁さんは、ほとんどテレビを見ない。と言うか、北軽井沢で宿屋 やっていると見ることができない。難視聴地域なので、そもそもテレビの電波が届かない。新聞も届かない。なので、 そういうものに縁がなかった。

 しかし、政府の補助によって無料で巨大なアンテナが設置されるようになり、数年前から電波が届くようになり、やっとテレビが見れるようになった。しかし、長年の間、テレビから遠ざかっていたために 、テレビを見ようと言う気が起こらない。もちろんテレビも映画も大好きです。だけど、あまり見る気が起きない。と言うか、宿屋をやっていると、午後3時から午後11時まで仕事づくめなので、テレビを見る暇がない。そんな生活を長年送ってきた上に、子供が生まれたわけですから、息子もそれに影響されて全くテレビを未来ライフスタイルを作ってしまった。そのため、息子にはテレビや映画に対する免疫がなかった。

 で、5歳の時にインフルエンザにかかって、一週間引きこもり生活を続けた時、散々見させられた 映画にはまってしまったわけです。そして、ドラえもんの漫画・ドラえもんの学習漫画をむさぼるように読むようになってしまった。 その上、宿の備品としておいてある1000冊近い絵本や児童書をまでも貪るように読むようになってしまった。

 実はこれも、親の真似です。私も嫁さんも、暇さえあれば本ばかり読んでいるタイプで、相当な読書家なので、それを真似している可能性が高い。実は我が家のトイレには、日曜大工で作った自家製の本棚があります。トイレは読書の場所でもあるし、 暇さえあれば読書をしています。それを息子が一歳の頃から真似していた。字も読めないのに 私が借りてきた本を逆さに持って本を読む真似をしていました。そのせいか、文字を覚えるのが本当に早かった。2歳になる前に、ひらがな・カタカナ・アルファベットをマスターし、3歳ぐらいには簡単な漢字も読めるようになっていました。

 で、4歳ぐらいからは、毎週のように家族で軽井沢図書館に行って本を何十冊も借りてきました。 軽井沢図書館には、1万冊以上の絵本があり、4歳でも図書カードを作れ、その上一回で十冊まで借りられる。 読書愛好家にとっては最高の環境だったために、息子の読書好きと、テレビに関する無関心は、さらに増大されました。

 と、ここまで書くと、何やらいいことずくめのように思えて行きますが、そんな単純なものではありません。副作用が出てくるのです。子供がテレビを見ないと、どうなるか? 人間関係に関してぎこちなくなる。 戦闘的でなくなってしまう。

 例えば、仮面ライダー・ゴレンジャー・ウルトラマン・プリキュアといったヒーローヒロインものを知らないわけですから、戦うということを知らない。これには参りました。どういうふうに参ったかと言うと、 息子のやつを空手教室やキックボクシングジムに連れて行っても、少しも上手くならないのです。何のために練習するのかさっぱり分からない。仕方がないので、 YouTube で 空手の試合なんかを見せるわけですが、今ひとつピンと来てないわけです。

 まあそれは、息子が運動音痴であるということが原因でなくもないんですが、それだけではない。それが証拠に、短距離や長距離を教えると、どんどん早くなっていく。最初は200 M 走るのに1分20秒もかかっていたのに、1ヶ月教えるだけで、50秒で走れるようになっている。幼稚園の頃の徒競走では、誰よりも遅かったのにマラソン大会を走っても上位を狙えるようになってきた。スキーをやらせてみても、ワンシーズンで4回ぐらい滑らせるだけで、結構滑れるようになっている 。自転車に至っては、たった5分で乗れるようになってしまった。小学校に入ってからスケート部に入部させて、スピードスケートをやらせたわけですが、なんだかんだで早く滑れるようになってきた。前にも書きましたが村の大会で1位、吾妻郡の大会でほぼ同着に近い2位でゴールしている。

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 息子にとって、陸上・スキー・スケート・自転車といった競技はわかりやすい。スピードを競うという競技はわかりやすいんです。その逆にわかりにくいのが、空手とキックボクシングです。試合があるわけでもなく、スピードを競うわけでもない。なので息子にとっては非常にわかりにくい。そのために上達しようという意欲が今一つ湧いてこない。 なにしろ仮面ライダーにもウルトラマンにも戦隊物にも全く縁のない人生だったので、強くなろうと言う発想がない。

 そういう状況下において、ドラえもんにはまってしまったために、
『強いやつ = ジャイアン = 悪いやつ 』
というイメージを持ってしまって、ますます空手に身が入らなくなってしまった。そして男らしいと言う世界から、どんどん遠ざかっていくのです 。

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 私はその逆でした。子供の頃、テレビをジャンジャンみていました。今思い出してみると、私がテレビ好きだった理由は、親がテレビばかり見ていたからです。昭和36年生まれの私の世代は、 親も子供も含めて、テレビばかり見る世代でした。家族で一緒にテレビを見ていた。ご飯を食べてる間、テレビがついていたし、茶の間にもテレビがついていた。家族みんなでテレビを見ていた。もちろん各家庭によって番組は違っていたけれど、みんなでテレビをみていた。

 なので私は、3歳ぐらいから鉄腕アトムをサンダーバードを親と一緒に見ていたし、ポパイというアメリカアニメから始まって、宇宙エース・流星仮面・ワンダースリーといったヒーローアニメや、ウルトラマン・マグマ大使・赤影といったヒーロー特撮ものを4歳くらいから親と一緒に夢中になってみていた。なので、保育園では、相撲チャンバラをはじめとして格闘技ぽい遊びを毎日していた。

 しかし、うちの息子には、それがないのです。
 ないために、 ちょっとおかしな感じになってきている。
 覇気がない。
 競争心がない。
 逆に言うと、誰とでも仲良くなる。
 極端に優しいところがある。
 泊まりに来たお客さんのお子さんに対して、 非常にサービスシーンがある。
 ありすぎて、困ったことをやらかしてしまう。



つづく。

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posted by マネージャー at 23:57| Comment(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月15日

2月14日に思うこと。その2 去年の2月14日、息子に確変がおきてしまった!

 あれは、去年の2月14日のことです。
 息子が幼稚園の年長さんだった時です。
 息子は、バレンタインデーの当日にインフルエンザにかかってしまいました。
 健康だけがとりえの息子も幼稚園でインフルエンザをうつされてしまった。
 病院で検査した結果、インフルエンザが確定してしまった。

 しかし、生まれながらにして健康で頑丈な息子は、いつものごとく一晩でケロリと直ってしまった。しかし、インフルエンザとなると1週間隔離しなければならない。ケロリと直ってしまっても、部屋から出すわけにはいかないし、親・お客さんにインフルエンザをうつすわけにもいかない。

 仕方がないので、1週間にわたって個室に隔離して歴代のドラえもんの映画を30本ほど見せまくりました。すると、息子のやつはドラえもんにはまってしまった。

 実は、息子のやつは、ほとんどテレビを見ません。ゲームもしません。親の私がテレビを見ないものですから息子も見ないのです。息子が唯一テレビを見る時は、幼稚園のビデオ鑑賞の時だけでした。幼稚園で見せられるジブリ・ディズニー・トムとジェリーだけだったのです。つまりテレビとほとんど縁のない人生だった。

 それがインフルエンザにかかり、1週間ほど個室に隔離され、暇つぶしにドラえもんの映画を30本ほど見させられたものですから、その衝撃といったらなかったようです。ドラえもんは、テレビシリーズと映画では全く違っています。ドラえもんの映画は質が高いのです。幼児が見たら感動するような作りになっている。そういう映画を見てはまってしまった。

 なのでさらに、ヤフオクで、ドラえもんの漫画や、テレビアニメを購入して、1週間にわたって見せまくりました。漫画は、百冊以上ありましたが、むさぼるように読んでいました。難しい漢字がたくさんあったのですが、ルビがあったので、意味がわからないということはなかったようです。部屋の中からドラえもんの漫画に笑い転げる息子の声が響いてきました。

 で、治癒してからも、ドラえもんの漫画を読み続けるようになり、しまいには、ドラえもんの学習漫画まで読むようになり、ドラえもんの算数おもしろ攻略シリーズの足し算引き算、かけ算わり算、文章題、グラフ、分数・小数、面積・体積などや、ドラえもんの国語おもしろ攻略シリーズの漢字、文法、表現、四字熟語、作文など から、ドラえもんの社会科おもしろ攻略シリーズの都道府県、政治、日本史、世界史、地図、白地図など 。ドラえもんの理科おもしろ攻略シリーズの生物、天体、力・電気・音・光、自由研究、理科実験など 。

 約百近くの難しい学習漫画まで読むようになりました。

 中には、楽典を教えるような漫画・漢和辞典のドラえもん学習漫画までありましたが、そういうものまで読んでしまう。中身を理解しているとは、とても思えないのだけれど、やはり読んでしまう。何度も何度も繰り返し読んでしまう。

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 トイレの中でも読み、風呂に入る前の脱衣場でも読み、親より早く起きて読み、学校から帰って読む。車で移動中でも読む。とにかく読みまくるので読書力がアップする。夏休みの宿題に『400ページ以上の読書』というのがありましたが、30日間で277冊8252ページという読書をやってのけ、冬休みにも同様の宿題が出ると、15日間に6909ページも読んでしまった。しかも100ページもある児童書を1日に何冊も読むようになってしまった。

 これはマズイ!

 と思った私は、ブレーキをかけるべく、いろいろな手段をとったのですが、なかなかうまくいかない。眠ったように見せて、こっそり起き上がり、親の見てないところで読書をしだす。そのために夜更かしして朝、起きられないのです。なので寝室から本を撤去して電気のブレーカーを切って強制的に寝かせようとしたり、いろいろ手をつくすのですが、息子も悪知恵が働いて、いろいろ逃げ道を探すようになる。あきらかに読書中毒になってしまっているのです。

 これはマズイ!
 何とかしなければならない!



つづく。

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posted by マネージャー at 23:37| Comment(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月14日

2月14日に思うこと。その1 神仏は尊し神仏を頼まず。

 今から40年ほど前、私が中学校2年生になった頃、宮本武蔵という本に感銘を受けたことがありました。宮本武蔵は、神仏は尊し、されど神仏を頼まず。 そういう人なんです。なので、私はずっとそういう考えで生きてきました。神社仏閣に行って、お参りをすることはしますが、 それらを頼りにしたことはあまりありません。そんな私も、50過ぎて子供を授かった時だけは、神仏 に祈りました。

 ただし、分不相応なお祈りはしていません。冷水を30杯ほど浴び、息子の健康と五体満足で生まれてくることだけを祈りました。 勉強も運動もできなくていい。ただ健康でありさえすればそれだけでいい。勉強も運動も、全て親が面倒を見る。ただ健康に生まれてくれれば、それ以上は望まない。神仏にそのように誓ったのです。

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 おかげで、息子は健康そのものに生まれ育ちました。一歳の頃から-10°の冬山に一緒に登っても風邪一つ引きませんでした。インフルエンザにかかっても、ピンピンしていて 、薬を飲まずに一晩も寝れば平熱になってしまうほど健康に育ったのです。

 もちろん、その代償も 得ています。成長が遅く、人様よりも勉強や運動を苦手としています。しかし、それは神様にお願いする時に、約束したことですから、それは想定内です。健康でありさえすれば、運動も勉強もできなくていいと神様に誓っているわけですから、想定内も想定内。なので何の問題もありません。

 やはり神様というのは、存在しているのかもしれません。私は息子が生まれるまでは、神仏を真面目に信仰していませんでした。でも今は、神だか仏だかわかりませんが、 何者かわかりませんが、ありがたいものが、存在してるような気がしてなりません。天なのか、神仏なのか分かりませんが、私の願いを聞き入れて、息子に健康なからだをプレゼントしてくれたことは大いに感謝しています。その代わり、運動も勉強もできなくていいという交換条件も、しっかり聞き入れてくれました。

 でもそれはそれでいい。
 勉強の才能も運動の才能もいらない。
 そういうものは自分で身につけるものですから。
 むしろ、才能がなければ、 努力しなければいけない。
 努力すると言う生活習慣が着く。
 そっちの方がいい。

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 なので親としてできることは、徹底して行なってきました。3月26日生まれという非常に不利な時期に生まれたにも関わらず、道徳教育も、勉強も、運動も、なんとかみんなに追いつくようにサポートしてきました。幼稚園ではいつも徒競走でビリだった息子も、マラソン大会では上位に食い込めるようになり、 スピードスケートの大会では、村で1位。吾妻郡では0.1秒差で2位。スキーもそこそこ滑れるようになり、空手もキックボクシングもそれなりに 上達してきました。



つづく。

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