2020年03月15日

台風19号で被害をうけた嬬恋村 その4 明暗を分けた八ッ場ダム

 奥穂高・前穂高経由の縦走を断念してザイテングラート経由で下山。高速道路を使い、上田インター経由で嬬恋村に帰ってみると、役場と観光協会の活躍で、嬬恋村の被害状況が判明しつつありました。

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 吾妻線は、がけ崩れで復旧の見込みなし。
 崖そのものが水分を含んでいるので、
 二次災害の可能性があるので復旧工事ができないという。

 吾妻川沿いのそばにあった国道一四四号線の一部は、河川の濁流に削られて道路は消失。大きく蛇行していた吾妻川の一部は直線になり、川の流れそのものが変わってしまいました。道路そのものが全て削られているので国道一四四号線の復旧の見込みは立っていません。直線となった吾妻川の一部は、町の中を寸断し家屋敷を流しました。

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 最も被害が大きかった所は、鳥居峠方面から流れてくる吾妻川と鹿沢方面からの湯尻川が合流した所です。水量を増した吾妻川は、蛇行しつつ下流に流れていたのですが、川が溢れて直線的に進むようになり、町中(田代)の住宅や倉庫、車両などを流失させたのです。

 悲惨なのは新鹿沢温泉地区。累計五メートル近い豪雨によって温泉旅館の一階が土砂で埋まって床上浸水。道路は寸断され、橋は落ち、住民は孤立して移動できない状態でした。

 この惨状にもかかわらず県や国の支援は遅々として進まず、災害対策救助法が適用されたのは、一週間後の十月十九日。復興法に基づく非常災害に指定されたのは十一月一日。さらに国道一四四号線の復旧工事を国直轄で実施決定されたの十一月八日。 JR東日本が、吾妻川早期復旧を決めたのも十一月八日。

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 これが早いのか遅いのかを他に比較のしようがありませんので私にはわかりませんが、こんなに時間がかかったのは、道路が寸断され被害の全貌の把握が遅かったからかもしれません。

 この被害によって嬬恋村は激変しつつあります。村内のイベントは全て中止。社会福祉協議会は、映画・講演会・福祉事業など全てを中止してボランティア受付と指示に全力を注いでいます。商工会のイベントなども中止。小中学校の文化祭も中止です。教育予算が大幅に減額されたからです。

 スクールバスも二便だったものが一便に縮小。低学年は、五年生六年生たちの授業が終わるまで学校で待機することになりました。そのうえ他路線と合併してバスの台数までも減らされ、バスへの搭乗時間も増えています。

 教育委員会が主催していた数々のイベントも予算カットで中止。代わりに他の市町村のイベントを紹介してますが、もちろん遠すぎて行けない。その結果、子供たちの楽しみだった村独自の課外授業が無くなりました。年に二回やっている陸上フェスティバルや各種のイベントも中止。これも予算カットが原因でしょう。というか役場の職員が、復旧で忙しくてやってられない。

 嬬恋村の図書館も閉鎖されて県の復旧本部に。
 息子たちは残念がっていましたが、仕方ありません。
 教育予算よりも、交通インフラの整備が優先されるべきですから。

 ところで、こういう状況下で災害支援寄付が届いています。姉妹都市提携している所や、過去に関係のあった市町村六箇所から百五十万の寄付が届きました。今まで姉妹都市にどんな意味があるんだろうと思っていましたが、こういう時のための姉妹都市だったんですね。またふるさと納税サイトから二百三十七件三百三十九万の災害支援の寄付が届いています。ふるさと納税サイトには、こういう使い道もあった。

 この状況を、ブログやFacebookで、これらの真実を拡散するべきなのでしょうが、観光協会の役員をやってる者としては、それはできない。これから冬のスキー客の集客をしなければならない新鹿沢温泉地区に御客様の予約がこなくなるからです(現在は復旧してスキー場も営業している)。

 当時の新鹿沢は、道路の寸断はもちろんのこと、多くの旅館が床下浸水し、どうにもならなくなっている。早急に新鹿沢温泉地区の復旧を行わないと、風評被害によって新鹿沢温泉地区のスキーシーズンの予約はゼロになってしまう。なので全力を挙げて新鹿沢温泉地区の復旧工事を行わないとならない。そして風評被害を防ぐ必要があった。

 ちなみに現在、新鹿沢地区は、完全ではないものの、ほとんど復旧しています。
 村民の悲願だった吾妻線も2月21日、やっと開通しました。
 大前駅には、多くの鉄道ファンが訪れ、駅ノートに記念に書き込んでくれました。
 ありがたいことです。




 私も連日、北軽井沢付近の道路復旧に出かけましたが、幸いなことに、機械力を持った不動産屋・工務店・農家のパワーによって一週間ぐらいで台風以前の状態に戻っています。そして、周りが徐々に落ち着いてくると、被害のあった地域と、被害のなかった地域の差が、明確に見えてきました。

 一言で言うと、八ッ場ダムの上流は壊滅。
 八ッ場ダムの下流は全く被害なし。

 もともと私は八ッ場ダムの工事については、反対の立場だったのですが、今回の台風で考えが正反対になりました。

 台風の直前に完成した八ッ場ダムでは、試験湛水を始めていました。普通なら三ヶ月から四ヶ月かけてダムが満水になる所、台風19号によってアッという間に満杯になってしまった。満杯になった八ッ場ダム。台風直後に実際にダムの様子を見たのですが、泥水と流木とゴミの吐きだめで湖面が真っ黒でした。あの風景を見たら、吾妻川がどんなにすごいことになっていたのか簡単に想像できます。八ッ場ダムの建設反対運動をしてきた「八ッ場あしたの会」は、公式サイト上で八ッ場ダムがなかったとしても利根川が氾濫することはなかったと主張していますが、嬬恋村からの視点から言わせてもらうと「何言ってるんだ?」となります。

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 このダムがなかったら、嬬恋村より下流の吾妻川沿いの市町村は大壊滅していたはず。このダムがあったからこそ、長野原・吾妻町・原町・中之条・東吾妻・渋川などの下流の市町村が無事だった。被害は嬬恋村だけですんだのです。もしダムが無くて、長野原以下の下流の市町村が被害をうけ、これらの交通インフラが壊滅していたら復旧工事は何十年もかかっていたはず。というのも下流地域には吾妻川に合流する河川が大量にあり、もしダムが無いまま合流していたら大惨事になっていたはずだからです。現に吾妻川は、江戸時代から昭和時代まで何度も大洪水がおきている。

 幸いなことに八ッ場ダムの建設のおかげで、新しい交通インフラが完成していており、しかも道路の大半がトンネルであり、山の中を通っているために、台風の被害を受けずにすんでいる。もし、古い交通インフラのままだったら、吾妻線も国道一四四号も何十キロにあたって削りとられていた可能性が高く、これを復旧させるのはほぼ不可能だったでしょう。大半がトンネルである新道路や線路があったからこそ、交通インフラが大丈夫だったことを建設反対運動グループたちや、専門家たちは、どう考えているのか?

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橋詰さんのFacebookから借用(2019/10/13)

 もちろんダム一つで洪水を防げるわけはなく、ダム頼みの水害防止には限界があるのも事実です。嫁さんの実家・館林市の渡良瀬遊水地は、台風十九号の雨で約一・六億立方メートルの洪水をためたといいます。下野新聞によれば最大貯留量の九十五パーセントに達していたと言います。

 立命館大学・高橋学教授によれば、荒川や江戸川にしろ、東京の下町は危険水位まで達していた。もし利根川上流からもう少し水が流れてきていたら、東京の下町をほとんど水没させた。デッドラインぎりぎりの所まで水が来ていたことで、八ッ場ダムの果たした役割は重要と八ッ場ダムを評価しています。そのうえで高橋教授は、以前であれば、八ッ場ダムはなくても大丈夫だった。関東平野に水田が広がっていて、水田そのものに十センチ水がたまれば、八ッ場ダムの水ぐらい簡単にクリアできる。ところが、水田やため池がどんどん無くなっていき住宅地がどんどんできていっていると言っています。つまり、昔は水田が巨大なダムに匹敵する効果を持っていた。それが宅地になってしまった。そのために危険は大きくなってきていると言う。

 国交省関東地方整備局によると、伊勢崎市八斗島での氾濫危険水位は四・八メートル。そこで最高水位の四・〇七メートルを記録している。一方、上流のダム群は計一億四千五百万立方メートルの水をためている。整備局が試算した結果、七ダムがなければ八斗島の水位は一メートル上昇して五・〇七メートルとなり、氾濫危険水位を超えていたという報告もあります。

 下流域では、荒川と隅田川を分ける岩淵水門が、増水した荒川から隅田川への水の浸入を防ぐために閉門。この岩淵水門では、避難判断水位を大幅に超え、氾濫危険水位まで約五十センチの所へと迫っていました。そして、江戸川区民四三万二千人を対象に避難勧告が出されました。

 明治四十三年に東京だけで約百五十万人が被災する大惨事になった東京大水害がおきてしまいます。明治政府が偉かったのは、その直後に荒川放水路(荒川)の開削事業に着手。二十年かけて昭和五年に完成させています。金八先生が土手を歩いていた荒川は、川では無くて洪水を防ぐための放水路だったのでした。

 それでも昭和二十二年のカスリーン台風で、荒川上流部で氾濫し、利根川が決壊して死者・行方不明者一九三〇人を出しています。江戸川区は、大半が海水面以下の地帯で、一番高い所でも標高一・六メートルという恐ろしい地域。つまり江戸川区をはじめとする下町は、簡単に壊滅してしまう可能性がある地域です。

 これを防ぐために行政は、三段構えの対策をとっている。まず、上流域はダム群(八ッ場ダムなど)で防ぐ。中流域は遊水池群(渡良瀬遊水池など)で水を吸収する。下流域は、放水路(荒川)で守るという役割分担による洪水調節の方針が確立している。今回の台風では、これらの役割分担によって、ギリギリ氾濫を防ぐことができた。東京の下町は守られた。と、専門家である土屋信行氏が述べていますが、大したものです。行政も意外にしっかり対策をしている。感心もしました。

 しかし、それらの視点は、あくまでも首都圏からの視点です。吾妻川沿いの住民である私から言わせてもらえれば、ダムの前後で無事だった市町村と、甚大な被害を受けてしまった嬬恋村との明暗があまりにもありすぎるという点を指摘する専門家たちが、少なすぎることが気になります。

 嬬恋村はとんでもないことになってしまってる。にもかかわらず、ダムの下流の市町村は安全そのものだった。これをもうちょっと学者やマスコミは言ってもいいのではないか? しかし、いつまでたっても、そういう話が出てこないという事は、案外、学者もマスコミも、きちんと現場検証をしてないのかなと、勘ぐりをしたくなります。

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 最後に軽井沢について。北アルプスの山小屋で軽井沢のペンションオナーたちと一緒になり、夕食をいただきました。で長野県の状況を伺ったわけですが、軽井沢は停電が何日も続いて大変だったそうです。停電になれば冷凍食品が壊滅するからです。しかし群馬側には大規模停電はおこらず、嬬恋村にも大した停電はなかったので、冷凍庫もボイラーも大丈夫だった。これも八ッ場ダムのおかげだったかもしれません。

 台風で北軽井沢ブルーベリーYGHに被害はなかったとしても、長期の停電が起きていたら、うちの宿は大変なことになっていました。4つの冷蔵庫冷凍庫が停電によって食材が壊滅していたら、泣くに泣けなかったと思います。そういう意味でも八ッ場ダムには感謝しかありません。長年、反対ばかり言ってて申し訳なかったと思っています。

 それはともかく、台風の次は、新型コロナウイルスですからね。今日、6歳の息子と「しりとり」をしながら登山をしていた時、息子が「し」のところで大声で「新型コロナウイルス」と叫んでいました。6歳の子供のしりとりゲームに「新型コロナウイルス」という単語がでるようになってしまったとは・・・・。


つづく。

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posted by マネージャー at 16:14| Comment(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする