2011年02月10日

ユースホステルは甦るのか?23

ユースホステルは甦るのか?23

 日本のユースホステル運動は、世界史に無いくらいな驚異的な速度で大きくなった。
 これは日本史上、他に類が無いくらいだった。
 ということは、あきらかに日本ユースホステル協会には、牙があった。
 そして、牙が大きくなっていった。
 マンモスやサーベルタイガーのように。

 と書くと
「団塊の世代があったからな」
「団塊、つまりベビーブーム世代がユースホステルを支えたんだよ」
「あと昔は類似施設がなかったからね」
と言い訳する関係者がいます。

 もう、そう言われると新参者の私は、ずっと黙ってしまうしかないのですが、ユースホステル業界しか見えない人ほど、そういう風に現象をとらえる傾向があります。

 これは実に残念なことです。
 そんな簡単な問題ではない。

 ユースホステルの栄枯衰退を青少年たちの数や、類似施設との競争のせいにしては何も見えなくなる。もっと検証してみた方がよい。皆さんも、ちょっと考えてみてください。ユースホステル業界に存在した大きな牙の正体は何であったのか?





 確かに団塊の世代とともにユースホステル業界は巨大化し、団塊の世代の終わりと共にユースホステル業界は、小さくなっている。しかし、一方、日本青年団・日本青年団協議会は、団塊の世代の時代になっても決して巨大化しなかった。どんどん小さくなっていった。

 日本ユースホステル協会が巨大化しているのに、
 日本青年団協議会は、大きくならなかった。
 だから人数(少子化)の問題ではない。

 つまり、団塊の世代の青少年たちは、
 青年団を生活の場に撰ばなかった。
 彼らの一部は、ユースホステルを撰んだ。

 つまり団塊の世代の人数が増えたから
 ユースホステル利用者が増えたのではない。
 団塊の世代の青少年たちは、
 それまであった青年団よりも
 新しくできたユースホステルに魅力を感じた。
 そう考えた方が自然です。


 そして、その魅力こそがサーベルタイガーの牙であると。





 青年団にも、かっては巨大な牙が存在した。機関誌は、百万部という日本最大の発行部数を誇っていた。しかし、ある時期に、その牙は、自らの成長を妨げてしまった。マンモスやサーベルタイガーの牙が大きくなりすぎた。そこに登場したのがユースホステルだった。そう考えた方が無理がない。とすると、日本青年団の衰退を理解することが日本ユースホステル運動の衰退を理解することに繋がる。

 昔の青年たちは、青年団に魅力を感じた。
 そこには若い力をぶつける場所があった。
 夜間講習会があり働きながら勉強できた。
 高価だった本が置いてある図書館もあった。
 悩みがあればみんなに相談できたし、男女交際の場所もあった。
 夜這いという特殊な世界もあった。
 祭りでは、大人をおしのけて村の主役になった。
 みんなで金を出し合いながら、交代で代表をお伊勢参りに出した。
 村の若者たちみんなで助け合い、お互いにいたわりあった。
 つまり青年団は、青年たちの生活の場であり、青年たちの青春そのものだった。

 しかし、その青年団も、戦後はふるいませんでした。戦後のベビーブームで生まれた団塊の世代たちは、そのような青年団から距離をおきはじめた。青年団に青春を預けようとはしなかった。かっての青年団の魅力が、団塊の世代の青少年たちには、
「うざい」
ものに見えた。

 青年団は、村を基盤としている。

 村を青年の力で変えていくというのが青年団に青春を預けた人たちの理想だった。しかし、団塊の世代たちは、村そのものをダサイと感じた。村という狭い世界を嫌って、未知の世界に飛び出していった。すすんで集団就職で上京し、村の親に仕送りするようになった。団塊の世代は、新しい世界に飛び込んでいくチャレンジャーだった。つまり、彼らが求めていた青春は、青年団が提供する青春とは別のものだった。むしろ正反対のベクトルをもっていたものだった。それは狭い世界にとらわれない自由な生き方だった。

 だから団塊の世代の青年たちは、村を基盤とした青年団でなく別のものを撰んだ。
 会社であったり、宗教であったり、政治活動であったりした。
 もちろんユースホステルを撰んだ者も多かった。

 ユースホステルは、脱イデオロギーな組織であり、組織としての目的も曖昧な自由な世界だった。だから自由を愛する団塊の世代は、ユースホステルに魅力を感じた。ユースホステルには、ルールさえ守れば、しがらみのない自由さがあった。気に入らない宿やグループは、自由に捨てることができた。





 そのくせ、ユースホステルの世界は孤独ではなかった。
 普通なら「自由」は、孤独を生む。
 村社会にありがちな「お節介」が無ければ「自由」になれる。
 しかし、その自由は孤独とセットなのです。

 田舎を捨てて、上京すれば自由を得られる。
 しかし、都会の孤独も襲ってくる。
 誰もかまってくれないコンクリートジャングル。
 いつしか孤独感が、こみあげてくる。

 しかし、日本のユースホステルには、「孤独」は無かった。
 横山祐吉氏の天才的な手腕で「孤独」という副作用を最低限に抑えた。
 グループ活動を盛んに導入したからです。
 (詳しくは、ユースホステルは甦るのか?13を参照すること)
http://kaze3.seesaa.net/article/182309283.html

 そのうえ御茶会(ミーティング)をユースホステルに採用した。
 歌も踊りも採用した。
 これによって「孤独」を感じさせない「自由」を旅人に提供した。

 こうして団塊の世代の青年たちは、盛んにグループ活動を行って自由を謳歌した。
 自由に一人で旅しても「孤独」とは無縁だった。
 ユースホステルという旅は、自由と平等の象徴だった。

 さらに、御茶会では、みんなで歌を歌ってダンスも踊った。
 孤独という副作用は、ますます少なくなっていった。

(皮肉なことに、この現象は、21世紀になって秋葉原で復活することになる)





 フォークソングとフォークダンスは、ユースホステルから広まった。最初はフォークダンスとは言わずにスクエアダンスと言いました。GHQの指導の下でアメリカ軍人の講師を招いて横山祐吉氏が日本青年団に積極的に取り入れたものでしたが、青年団では広まらずに、ユースホステルで広まりました。横山祐吉氏は、その普及活動の先兵だった。横山祐吉みずからスクエアダンスを若者たちに教えてまわった。日本ユースホステル協会の古い幹部は、横山祐吉に踊りを習った。

 それがいつしかフォークダンスとなり、ユースホステルでオリジナルな踊りに変質し、学校教育に取り入れられるようにもなりました。新米教師の多くは、ユースホステルのホステラーでした。やがて体育の授業で子供たちがフォークダンスを踊らされるようになり、音楽の教科書にかってのフォークソングが載るようにもなった。

 こうしてユースホステルを巨大化させる牙は、どんどん大きくなっていった。
 そして青年たちを青年団でなくユースホステルに集めることに成功した。
 ユースホステルは、団塊の世代の青少年たちに
「ユースホステルという別の青春」
 を提供した。
 団塊の世代たちは、その青春をいたく気に入ってしまった。
 これが日本ユースホステル運動のマンモスの牙となった。

 しかし、その牙は、ある時期から自らの生命を犯すようになるかもしれない。青少年に、別の青春が生まれることによって、ユースホステルは、青年団と同じような運命をたどるようになるかもしれない。では、別の青春とは何か?

つづく

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posted by マネージャー at 02:14| Comment(2) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
そっか、はやりすたりは雁行体系なのですかね。それにしても、掲載が午前様ですが、無理のないように。
Posted by よっし〜 at 2011年02月10日 09:29
まあ、回答なんて、あって無いようなものですが、
いろんな事が複雑怪奇にあわさっていますね
Posted by マネージャー at 2011年02月10日 20:43
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