その兆候とは、自動販売機である。
いろんな自販機が登場してきたのだ。ハンバーグ、うどん、カレー、たこ焼き、パンなどの自販機が現れて、24時間営業している自販機だけの無人の店が登場した。これこそ未来の先取りであると思った。しかし、それらの店は、21世紀にはいって大半がつぶれている。自販機は未来型の店舗では無かった。あれは昭和の遺物であり、昭和の香りがするノスタルジックな世界となってしまっている。
21世紀は、自動でなんでもやってくれる時代にはなってない。自販機は普及するどころか減ってきている。では、自販機の代わりに何が普及したかというと、コンビニである。Amazonである。つまり自動という便利機能は、未来を変えなかった。社会を変えたのは、コンビニやAmazonという存在であった。
20世紀でありがちな未来予測として、コンピューターに管理されるとか、コンピューターが何でもやってくれるという予測も外れてしまった。我々はコンピューターに管理されてない。むしろコンピューターを使いこなして遊んでいるし、そもそもコンピューターは万能では無い。せいぜい人類に紙が登場したくらいのインパクトぐらいしかない。別にコンピューターだなくても普通に生きていける。
また、格差社会を予測する人も多かったが、これも笑止だろう。昭和30年代や昭和40年代の田舎(佐渡島あたり)の生活水準を想えば、平成時代の貧乏なんて屁みたいなものだろう。今は、いくら貧乏であっても家の壁紙に少年ジャンプの紙を使うことも無いだろうし、トイレの紙に新聞紙を使うことも無いだろう。冬のさなかに小便を桶にして、大便を離れの小屋にしにいく。ウンチをしているとハエが尻に張り付いてくることなど想像も出来まい。ミカン箱を解体して作った薪で湧かす樽の風呂や、五右衛門風呂だって今では郷土資料館でしかみることができなくなったけれど、昭和40年前後の佐渡島では普通に見られた風景だった。
ワーキングプアという言葉もあるが、それを言うなら昔の方が圧倒的にプアだろう。しかし昔なら何とかなった。昔は家賃が安かった。昭和55年頃、東京池袋駅から徒歩10分の距離で3畳一間が8500円だった。もちろん風呂は無いし、トイレも共同である。電話は誰も持って無くて、ピンク電話を大家さんか管理人さんがつないでくれた。だから携帯代もかからないし、生活費も安かった。もちろん旅行費用も安かった。急行列車をつかえば、プラス500円で旅行が出来たし、それさえ使わずに自転車で旅行する人も多かったのである。安宿も多かったし、駅で寝る人も多かった。
逆に無かったのがコンビニだった。
昔は、田舎では18時をすぎると店が閉まった。
病気の時にお見舞いに持って行くものは、缶詰だった。
コンビニが無かった時代に重宝したのが缶詰だったのである。
もちろん、旅先にも山にも持って行ったものである。
つづく。
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でも買って食べたけれど、なんともなかったw
気が付いたのは、食べたあとだった....orz