2017年03月18日

幼稚園と保育所について 2

幼稚園と保育所について 2

 2017年3月17日(金曜日)、息子は幼稚園の年少組を卒業しました。息子の誕生日は三月二十六日なので、三歳のまま年少組を卒業しています。赤ちゃんに毛の生えたくらいの頃に幼稚園に入り、この一年間幼稚園の授業についていくのが本当に大変だったようです。

 入園当時は会話能力がなくて他のお子さんたちとコミュニケーションがとれず、みんなが遊んでいても、そばでニコニコ見ているばかりでした。おまけに体格差もありました。息子は、三歳児健診では三月生まれの中でずば抜けて大きかったのですが、幼稚園に入ると小さいほうになります。

 他の三月生まれのお子さんたちは別の幼稚園に通っていますから。どうしても体が小さい。もちろん運動神経も発展途上で、最初は一人で自分のことができませんでした。だからこそ担任の先生は、ハラハラしたんだと思います。私が、幼稚園を休ませて、百名山に連れて行ったりすると、クレームがくる。せっかく幼稚園でできるようになったことも、忘れてしまってできなくなってしまうからです。

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 前置きはこのくらいにして本題に入ります。
 前回は、中村正直(まさなお)について。

 中村正直は、1832年に生まれています。ドイツのフレーベルが世界初の幼稚園を作ったのが1940年ですから、その八年前になります。幕臣の彼は、昌平坂学問所で佐藤一斎に儒学を、桂川甫周に蘭学を、箕作奎吾に英語を習って、慶応二年(1866)にイギリスに留学しました。しかしその二年後に明治維新が起きたために帰国。スマイルズの『Self Help(自助論)』を翻訳して『西国立志編』を出版しました。

 この『西国立志編』に当時の知識階級は、衝撃を受けました。この本は、西洋の論語と言われたもので、この本によって、ヨーロッパ人がどうして優れているかということを、初めて日本人は知りえたからです。

 それまでは、西洋列強は、単に科学技術に優れているから、その武力で世界を征服できた。貿易で富を稼いだからその財力で世界を征服できた。・・・と思っていたわけです。しかし、そうではないことが、『自助論(西国立志編)』で分かってしまったのです。西洋にも、論語に匹敵するようなものがあって、その精神によって、ヨーロッパ文明は世界を制圧したんだということがわかったたわけです。

 では、自助論(西国立志編)とはどんな本かというと、自己啓発本に当たります。「天は自ら助くる者を助く」という名分によって明治の青年たちを奮い立たせました。また法律や社会システムの限界を語ります。例えば「酔っ払いを禁止する」といった法律を作ったとしても、その法律で酔っ払いが減るという事は無いと言います。「国民の質が国家の質」という原則を多くの事例を持って語られています。みんなが品性を磨き、自己啓発をしていけば、成功者が生まれてくる。それを具体的に実話を一つ一つ紹介していくのが自助論(西国立志編)です。

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 しかも、よくもこれだけの成功例を集めたものだというくらい成功者たちの人生が紹介されています。それらを読んでいくと、現代人の私たちでさえ腹の底から力が湧いてきます。ましてや、自己啓発本が少なかった幕末維新の頃の知識人たちにとっては、金槌で頭を殴られたぐらいの衝撃があったでしょ。多くの若者が、寝食を忘れてこの本に熱中し大志をもちました。そして自助論に影響を受けた人たちが、幼稚園教育を推進することになります。もちろん翻訳者である中村正直もです。
 
「人間の自由を重んじ、その習慣の形成は第二の天性である。したがって幼少の時からの良い習慣を自然と身につけさせることが必要である」

 スマイルズは、習慣が大事だと言い切ります。だから小さい頃から良い習慣を身につけさせなければいけない。そう説いていますが、これは当時の知識人にとっては耳の痛いところでもありました。そこが当時の日本の弱点でもあったからです。日本の子供たちの多くは、悪い習慣に染まっていたからです。これでは西洋列強に後れをとってしまう。だからこそ翻訳者の中村正直は、子供たちに良い習慣をつけさせなければいけないと思って行動に移します。

 明治7年東京女子師範学校の校長に中村正直が就任すると、 すぐに幼児教育計画を立てて明治9年に日本初の幼稚園を創設しました。主任保母にはフレーベル直伝と言われるドイツ人松野クララ夫人を迎え、日本人保母に藤田東湖の姪である豊田芙雄が就任します。豊田芙雄もまた、自助論に感動した口であり、中村正直の同志でもありました。彼女が書いた『保母の栞』を読むと、それがよく分かります。最初の二行だけ紹介します。

「幼稚園とは何か。多くの幼い子供たちを集めて健康と幸福を保ち、良い習慣を与えて子供たちに最も楽しみを得させるために導く一つの楽しい園宴である」

 文中に「良い習慣を与えて」とある通り、よい習慣を与えることによって、もう一つの天性を伸ばそうと言っているわけです。良い習慣を与えることによって、人は勤勉になり、努力家になり、結果として成功者になります。そうやったできた国民の質が国家の質となる。その結果、なんとか西洋列強に対抗できると、当時の知識階級の人たちは考えたわけです。

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 明治12年には大阪でも府立模範幼稚園が設立されます。その設立主旨には「(略)世の母親が真の保育法を知らず、したがって、家にある幼児は悪戯飽食が習慣となって心身の健康を損なっている者が多い(略)」とあります。ここにも習慣と言う言葉が出てきています。やはり自助論の影響があります。

 では、設立当初の幼稚園は、どのように運営されていたかというと、フレーベルが考案した恩物という二十種類の遊具で遊びを教えたり、歌を歌わせたり、遊戯をさせたりしながら良い習慣を育てることが中心でした。これは理にかなっています。ライオンでも狼でも、子供には遊ばせながら忍耐強く教育をさせます。幼稚園では子供を遊ばせながら良い習慣を身につけさせるのが当初の目的なので、非常に理にかなった行為だといえます。

 しかしこの方法は、本家ドイツでも批判の対象になっています。幼稚園が遊戯学校になっているのが良くないというのです。幼児に勉強を教えたい家庭は、全く勉強教えない幼稚園を嫌っていました。そういう家庭では、幼児を幼児学校に入学させていました。

 そもそもドイツでは、子供の教育は家庭が行うべきだという考えが主流でした。ドイツは職人の国ですから、親の背中を見せることこそが、子供にとっていちばん良いという考えがあったのです。これもまた理にかなっています。そのとおりでしょう。また、ヨーロッパは一般的に階級差の大きいところですから、富裕層は家庭教師を雇って自分の好む教育をしていました。それを奪われることを嫌ったということがあるのかもしれません。

 これは、日本でも同じような批判があったようです。大阪府立模範幼稚園では、親たちの希望に押されて、幼稚園で文字を教えたりもしています。このように親の希望によって、フレーベルの考案した幼稚園というより、幼児学校になっている幼稚園も増えてきました。

(ただし、私に言わせれば、現代では色々な遊具が発達し文字を使って遊ぶことも可能であるから、遊びながら結果として勉強している方法も不可能ではありません。要するに当時は、遊びと勉強は別物だと考えられたために批判されたのだと思います)

 その結果、明治二十六年頃、文部省普通学務局長は「日本の幼稚園は読み書き算を教える小学校予備校となっており、課業を与えて目に見える成果を期待する傾向が強い」とあきれています。本来、幼稚園は下層の子弟の家庭教育を代替する施設であり、悪い習慣を断ち切るために創られているのに、日本の幼稚園では、家庭教育を代替する必要のない中上流層の子弟がほとんどであり、それが日本の幼稚園教育のあり方を誤らせ児童の心身の発達を傷害していると言うのです。つまり幼稚園は、本来の目的を達成してないと文部省さえに認めるようになっていました。

 そこで登場したのが子守学校です。

 子守学校とは、子守りを命じられた少女たちに義務教育を受けさせる上に、彼らが連れてきた幼い子たちも保育教育を行う学校のことです。明治生まれの私の祖母は、義務教育を受けていないために文字が読めませんでしたが、幼い頃から子守りをさせられためです。ちなみにうちの祖母は末っ子です。弟や妹はいません。けれど子守りとして働かされていたわけです。そういう人たちに義務教育の機会を与え、さらに子守りされている幼児にも保育の機会を与えるというのが子守学校です。

 明治8年、堺県では寄付金集め、子守学校開設。
 明治9年、大阪府でも子守学校を開設。
 明治10年、群馬県が保児教育所(子守学校)の必要性を文部省に訴える。

(松下村塾を運営していた楫取素彦が、群馬県県令となって明治十年に「群馬県学則」を制定し、小学校の他に女児小学、村落学校、工女余暇学校、変則夜学校の設置が規定して、就学率アップをはかった。その結果、明治十四年には、全国一位の就学率となり、文部省第九年報に「就学生徒の多いことは他に視察の県とかけはなれていること、更に学校の内部に注意すれば本県の学事は非難するところがない」等が述べられている。保児教育所(子守学校)の存在が大きかったと思われる。その結果、明治時代の群馬県は、日本一の教育県になっていた)

 明治12年、山形県で児護学校(子守学校)を開設。
 明治12年、教育令15条・17条によって、子守学校に法的根拠をもたせる。
 明治13年、全国の都道府県に子守学校が設置されはじめる。
 明治16年、茨城県猿島郡小山村に渡辺嘉重が子守学校開設。
 明治17年、渡辺嘉重が、子守り学校のバイブルである『子守教育法』を出版。
 その後、子守学校は全国に普及し、全国に318校に増加。

 最初私は、子守学校は保育所の原型かと思っていましたが、渡辺嘉重の『子守教育法』を読んでみたら、どうもそうではありません。渡辺嘉重が目指したところは、子守に追われて学校教育を受けられない子供たちに、読み書きを教えると言うよりも、子守たちの悪い習慣を断ち切り、できるだけ良い習慣を見つけることが目的とされています。

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 子守学校は勉強の場ではなく、楽しい場所だと思わせ、なるべく良い習慣をつけさせることが大切だと言うのです。ようするに渡辺嘉重が目指したのは、子守学校と言う幼稚園だった可能性があります。彼もまた、自助論によって啓蒙されたひとりであり、その著書に
「習慣の形成は第二の天性である。したがって幼少の時からの良い習慣を自然と身につけさせることが必要である」
と、自助論の言葉を引用して、良い習慣をつけさせることの重要性を説いてます。ここで渡辺嘉重の『子守教育法』の一部を紹介してみたいと思います。

「子守をしているものの風習を見ると、多くは勝手気ままで下品である。例えば野原のバラようなもので、取るべきものがない。その姿を見ると、髪はヨモギのようにボロボロ、顔は垢だらけで、着物が臭く、人をして近づくのもはばかられる。また、していることを尋ねてみると、人の庭から花や果物を取ったり、猥雑な歌ったり、酷いものは道に出てウロウロして馬車に害を与え通行人を囃し立てたり罵るなど、挙動の粗暴、卑しい言葉遣いは実に見るに忍びないものがある。今このような悪い行いを正すには、主に学科の習得よりも、かえって心に感動を与えるような話を聞かせて、人の子なんや言葉遣いは慎まなければならないことを説いて教え、天性の心に変えるようにしなければならない 」

「子守学校は上述したように生徒は皆ヨモギのような髪、垢だらけ、衣服は油垢と赤ん坊の大小便で汚れ、また、赤ん坊を抱くので、その悪臭には耐えられないものがある。ことに換気を良くしないと、たちまち悪臭に悩まされて生徒の学習意欲を注ぎ、怠慢にし、頭痛、めまいを引き起こし、甚だしいときには、流行の伝染病を招きかねない。教師は、深く注意して、時々窓を開閉して換気を図らなければならない」

 どうでしょうか?

 これが子守学校のバイブルとなった渡辺嘉重の『子守教育法』の一部です。現代の我々にしてみたら、信じがたいことですが、これが明治十年代の現実だったと思います。だからこそ、自助論を読んだ知識人たちは、早急に子供たちに良い習慣を与えなければいけないと思ったわけです。

 この話をある親御さん達に聞かせた時に「渡辺嘉重は、子守に対して偏見を持ってないか?」という質問をもらったことがあります。残念ながら違うと思います。なぜならば渡辺嘉重その人も、子守をしながら、こっそりと寺子屋の授業を盗み見て育っているからです。つまり、子守たちのことを一番よく分かっているのが渡辺嘉重でした。

 だからこそ子守学校では、勉強を教えるというよりも品格と良い習慣をつけさせることを重視したのです。たとえ勉強ができなくても良い習慣さえ身に付ければ、自助論にあるように成功者となりうるからです。そういう意味では、子守学校も幼稚園の発展形だと考えても良いのかもしれません。

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 話は変わりますが私は新潟県の出身です。
 新潟県には幼稚園がほとんどなくて保育所ばかりです。
 群馬県はその逆で保育所がなくて幼稚園ばかりです。

 どうしてだろうと不思議に思っていたのですが、その理由が幼稚園と保育所を調べることによってやっと判りました。日本最初の保育所は新潟県で生まれているのです。新潟県生まれで保育所育ちの私が、なんとなく幼稚園を嫌がったのには、それなりの訳があったことに気が付きました。そして私の子育ての原点についてもわかった気がしました。

 さて、今回も長くなったので、続きは次回に回そうと思います。


つづく。

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posted by マネージャー at 09:48| Comment(0) | TrackBack(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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