2018年03月01日

息子を連れて佐渡島へ 6 佐渡と登山・日本のシルマン中村謙

息子を連れて佐渡島へ 6佐渡と登山・日本のシルマン中村謙

 翌日、息子と嫁さんと三人で妙見山に登りに来ました。まず白雲台まで車で行きます。この白雲台には、その昔、白雲荘という国民宿舎があったのですが、今は壊されてしまってもうありません。私は子供の頃、親に連れられて白雲荘の展望デッキから、佐渡全体を眺めました。望遠鏡で自宅を見たりしました。

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 ただ子供の頃は、白雲荘という国民宿舎にいったい誰が泊まるんだろう?と不思議に思っていたものですが、今ならわかります。眺めはいいし、高山植物は豊富にあるし、大佐渡山脈縦走の出発点として絶好の場所だったからです。現に、昔は白雲荘という国民宿舎があって、多くの登山家が縦走のためのベース基地として重宝していました。

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http://sadokoi.com/blog/?p=1568 より借用

 昭和三十年代から四十年代の登山ガイドブックにも、人気コースとして詳細に説明文が載っています。と、こう書くと佐渡島の住人は驚かれるかもしれません。しかし知らぬは佐渡島民ばかりで、戦前から昭和三十年代にかけては、大佐渡山脈の縦走路は、多くの登山家たちで賑わっていたんです。

 これは元島民の私も全然知らなかったし、佐渡の地元民も知らないと思います。しかし、昭和三十年代の登山家たちにとっては、有名なコースで、白雲荘という国民宿舎からドンテン山の大佐渡ロッジまでのコースを多くの人たちが歩いていました。昭和四十年頃の白雲荘行きの終バスは、金沢発十六時五十五分で、朝、東京から電車で出発しても白雲荘宿泊に間に合うようになっていました。

 この白雲荘からドンテン山の大佐渡ロッジまでは、七時間三十分のコースで紹介されていますが、私も三回ほど縦走していますが、そんなものです。ちなみに昭和四十一年における白雲荘の宿泊料金は、二食付き千円です。消費者物価指数でみると、昭和四十年の一万円は平成二十八年の約四万円に相当する計算になりますから、現在の物価でいうと二食付き四千円。ずいぶん安かったようです。

https://www.boj.or.jp/announcements/education/oshiete/history/j12.htm/

 当時の登山家に愛された理由もわかります。
 では、このルートを誰が全国に紹介したかというと、
 中村謙(加茂鹿之助)という偉大な登山家でした。

 中村謙は、私が最も尊敬する登山家であり
 忘れ去られつつある登山家です。

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 百名山ブームのおかげで、百名山の深田久弥・花の百名山の田中澄江を知らぬ登山家はモグリと言われる時代になってしまいましたが、いったいどれだけの人が、中村謙(加茂鹿之助)を知っているでしょうか? 彼こそは、全国津々浦々まで登山道を調査発表した開拓者なのです。

 彼を一言で言うと、日本のリヒャルト・シルマンです。昭和の松浦武四郎と言ってもいい。登山ルートをひたすら調べまくって『山と渓谷』『岳人』『新ハイキング』『ハイカー』『山と高原』『榾木』『日本山岳会会報』などの登山冊子に、昭和十年頃から発表しまくったひとで、いわゆる日本の大衆登山を牽引し続けた人です。しかし忘れ去られて誰にも知られてない。ネットで検索しても全く出てこない。せいぜいペンネームの加茂鹿之助の名前がでてくるだけです。昔なら中村謙の名を知らないのは「もぐり」というほど有名だった人なのに、今ではネットにもでてこない。もちろん私も知らなかった。

 私が、この人を知ったのは偶然です。

 知床探検の準備作業で、松浦武四郎に興味をもった私は、三重県の松浦武四郎記念館の学芸員だった武馬さんという人に知り合い、その人の紹介で、見知らぬ人から大昔の登山本をいただいたことから大昔(戦前から昭和四十年頃)の登山本を三百冊ほど読む機会があり、そこで中村謙という人を知りました。

 彼は、明治三十年に新潟県高田市に生まれ、東京外国語大学英文科を卒業し、伊藤忠に勤めた後、群馬県桐生中学校に勤めた後、東京府立第一商業学校で教員を続けつつ、同校山岳部の顧問をやりつつ、日本中の山という山を登りまくって、調査した登山道を昭和五年頃から発表しまくっています。

 そのうえ都立興亜商業学校・日本橋女子商業学校の校長にも就任しており、戦後は極東空軍資材司令部で働き、その後は警察予備隊米国顧問団特殊翻訳官として働いています。その後には京北学園高等学校教員として活躍しながら、多くの著作本を出しています。

 また、東京中等学校山岳連盟会長・全日本徒歩連盟理事・日本山岳会会報編集委員・東京都キャンプ協会顧問といった登山関係に関する無数の役職にもついており、各地の観光協会の理事や顧問にもついており、山に関することに一生を捧げた人でもあります。

 彼は昭和九年に出した『東京付近の山』をはじめとして、毎年何冊も登山ガイドを出し続けます。途中、病気で右手が使えなくなるという事態になりますが、左手で渾身の力を振り絞って書いています。最終作ともいえる昭和四十四年の『ふるさとの山』四百二十二ページを出したときは、七十二歳でした。これ以降の著作がないのは、足を痛めて外出ができなくなったためです。また、ヤマケイの『登山地図帳』・昭文社の『エリアマップ』『山と高原地図シリーズ』などの登山マップなどの制作にもかかわっています。こちらも昭和四十四年まで作り続けています。

 さて、中村謙渾身の大作である『山小屋の旅(昭和四十一年)・ベスト200コース』には、佐渡島が5コースも大きく取り上げられています。

@金北山から金剛山
A虫崎から外海府
B沢崎めぐり
C岩首から水津
D妙宣寺から真野宮

このうち登山道は@だけで、ABCDは、海岸歩きです。今でこそ道路がありますが、昭和四十一年頃は、道路が無く、岩から岩を飛び乗るように海岸を歩くしかなかったと言います。そういう場所の地元民の交通手段は、船でした。もちろん海が荒れれば、船は使えませんから山道を使います。なので昔の佐渡は、山道(登山道)がよく整備されてて、それが佐渡の里山の特徴であったわけです。

 さらにいうと、A虫崎から外海府も人気のコースでした。で、このコース沿いに昭和40年10月に一軒のユースホステルがオープンしました。外海府ユースホステルです。もちろん若者たちが押し寄せました。その中の旅人に新潟市からやってきた一人の美しい女性がいました。それが今の外海府ユースホステルのマネージャーです。これについては、また後日書きます。

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 私たちは、妙見山に登りました。この山には、息子が2歳の頃にも登っているのですが、二歳児の頃はヨチヨチ歩きでした。しかとし4歳ともなると、親より速く歩きます。というか息子の奴は、先頭で無いと機嫌が悪くなる。親より速く歩こうとする。そして徒競走になるのですが、こっちは息子の写真を正面から撮りたいから負けられないのですが、そうすると機嫌が悪くなるので困ったものです。

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 それにしても妙見山は、何度来ても素晴らしいところです。これで自衛隊の基地が無かったらもっといいんですけれど、北朝鮮からミサイルが飛んでくるわけですかすら仕方ないですね。佐渡に来たら絶対に訪れたい絶景ポイントです。つつじが多いので、花の季節は美しいこと間違いないでしょう。

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つづく。

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posted by マネージャー at 17:55| Comment(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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