2018年10月03日

幼児に対する道徳教育について その4『自分のことを自分でやれる子供』

 五歳くらいになると、自分の事は自分でするようになります。服を脱いだらきちんとたたむし、風呂に入るときなら洗濯機に入れてくれる。風呂から上がったら、自分でタンスから服を探して勝手に着ます。

 これは朝起きるときも寝るときも、自分でパジャマに着替えますし、パジャマから洋服に着替えます。つまり着替えに関しては、もう親の手はいらない。

 と、こう言う話をお客さんに言いますと、
「そうそう! そうだよね!」
というお客さんと
「うちは全然駄目」
というお客さんがいたので「変だな?」と不思議に思っていたんですが、最近、やっとその差の理由が分かりました。

 きちんと子供用のタンスがあるかないかの違いなんです。そして、そのタンスに「ズボン・下着・靴下」といった文字が書いてあれば、普通の五歳児であれば、たいていのお子さんは自分で勝手に着替える事ができるようになるんです。たとえ親が教えなくても、着替える事ができる。現に私は教えていません。教えなくても必ずできるようになる。もちろん「ズボン・下着・靴下」といった文字を覚えさせる事が前提ですが、幼稚園さえ行っていれば五歳児なら平仮名くらいは読めるでしょうから、不可能では無い。

 で、教えてもないのに、どうして、それができるようになるか?という点ですが、幼稚園で、その基礎を教えていたんですよね。幼稚園には、下駄箱もあればロッカーもある。そこに名前が書いてあって、自分の物は自分でしまうように躾けられている。だから自分のタンスを作ってあげて、衣類の名前を書いてあげれば勝手に自分でコーディネートして着替えてくれるんです。女の子だと四歳児くらいから、それができる子もいる。うちの息子は、成長が遅れ気味なので、五歳になったばかりで、やっとできるようになった。

 だから親は、子供用タンスに洗濯物済みの衣類をそこに入れるだけで良い。いや、それさえも自分でやりたがるのが五歳児ですから、余裕があれば、自分の洗濯物は自分でたたんで入れるようにしむければ、やるようになるはずです。

 とにかく五歳児は、なんでも自分でやりたがりますね。なので、親がその気にさえなれば、なんでも自分で、できるようになる。これに気がついたのが、息子が五歳になってまもなくのことでした。

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 きっかけは、嫁さんが「息抜きに東京に行きたい」と言い出したことです。それは、そうだと思った私は、毎年・東京で行なわれている日本ユースホステル協会の研修会(一泊二日)に、嫁さんを出席させることにしました。たまには息子から離れて息抜きも必要だと思ってのことです。

 しかし、そのためには、息子の物が仕舞ってある場所を教えて貰わなければならない。具体的に言うと五歳の息子の衣類が置いてある場所が分からないので、息子用のタンスに「ズボン・下着・靴下」といったタックシールを貼って貰ったのです。そのタックシールは、あくまでも私に分からせるためのシールだったのですが、そのシールは、息子にとっても便利な目印だったんですね。

 そのうえ、そのタンスは小さな三段のタンスで、息子の衣類しか入ってなかったために、息子にしてみたら「自分のタンス」という意識になる。で、その自分のタンスの中にある衣類は、自分が自由に着て良いものであると思い込んだわけです。そうなると幼稚園で行なわれている教育が、家庭でも再現される。つまり、自分のことは自分でやるようになるわけです。自分で洋服をコーディネートして着替えるようになるし、風呂から上がったら勝手に着替えるようになる。

 今まで私は、幼稚園で何を教えているのか、よく分かってなかったために、それを家庭で活用できてなかったんです。そのために息子が五歳になるまで、幼稚園で教わったことを、家庭で応用するなんて発想が全くなかった。もし、もっと早く気がついていたら、四歳くらいから、自分の事は自分でするようになったはずです。というのも、「四歳の頃から自分の事は自分でするようになった」と証言する人が、うちのお客さんの中にはいたからです。それを聞いたときは
「しまった!」
と地団駄を踏んだものです。

 では、私が子供の頃はどうだったかと言うと、自分が幼児の頃はやってなかった。朝起きたら枕元に着替えがおいてあったので五歳で自立どころか、十二歳くらいになるまでやれてなかった。これは時代もあったと思います。私が生まれた時代(昭和三十年代)は、子供がタンスをいじる風習が今ほどなかったからです。どの家庭でも子供の衣類は、親か祖母が用意していた。いつも枕元に着替えが置いてあったために、風呂から上がると着替えが置いてあったために、自分の衣類が何処にしまってあるのか、中学生になるまで分からなかった。

 もちろん子供用タンスなんてなかった。昔は今ほどタンスは安くなかったし、タンスに「ズボン・下着・靴下」といった文字を書く事もなかった。タンスは高級品だったし、当時は簡単にはがせるタックシールもなかった。セロハンテープだって高級品だった。セロテープがあっても、タンスにテープを貼る発想がなかった。そもそも当時の女性(母親・祖母)は、今よりずっと働き者で、世話焼だったので、子供は甘えようと思えば、とことん甘えられた。

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 そう考えると、時代や風習や豊かさが子供に与える影響も大きい気がします。私より十歳ほど年齢が上(昭和二十年代)になると、これが逆になってしまう。『佐賀のがばいばあちゃん』で有名な漫才師・島田洋七さんは、八歳で祖母に預けられ、その初日からカマドで飯炊きをさせられています。八歳の子供が、電気炊飯器ではなく、薪を燃やしてカマドで飯炊きをさせられるわけですが、それを毎日やっています。世の中が貧しいと、逆に自分のことは自分でやらないと生活がなりたたない。貧しければ、枕元に着替えを置く暇がない。

 それ以前に親を手伝わなければならない。川に流れる風呂の水をくむのも、裏の畑に水をまくのも八歳の島田少年がやっている。風呂だと五十杯。畑だと十五杯。それを毎日やっている。しかし、島田少年は、それを強制されてやっているわけではない。ここで『がばいばあちゃんの笑顔でいきんしゃい・島田洋七著』の中の文章を紹介したいと思います。

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 これも別に、やれと言われたわけではないが、おばあちゃんが、何も用事があるのに、何十台も持ってお風呂とは、間を往復しているみたら、
「あ、それを俺がやるよ」
ってなる普通じゃないだろうか。
 すっかり日課だったから、飯を炊いても水をくんでも
「ようやった」
と褒められる事もないし、お駄賃をもらえる事もなかったけれど、自分は偉いなぁって思った事もなかった。
 手伝いしない子供に「褒めてやらせよう」みたいな話があるが、それは何か違うなぁと俺は思う。
 親が何かをやっていたら、子供は興味を持ってやってくる。その時にできるかな?とやらせてみて、やり遂げられたら、その後の仕事にしてしまえばいいのだ。

『がばいばあちゃんの笑顔でいきんしゃい・島田洋七著・徳間文庫・37〜38ページより』
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 島田洋七氏は、「褒めてやらせよう」というのは少し違うと言っている。私も同感です。褒めなくとも、子供は勝手に、自分のことは自分でするんですよね。ある条件がそろえばです。問題は、その条件です。その条件こそが幼稚園教育・幼児教育の要諦(最も大切なところ)なんですよね。

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 それを日本で最初に指摘したのが、日本幼稚園教育の父である中村正直です。そうです。自助論を翻訳した中村正直です。では、中村正直は、なんと言ったかと・・・・また長くなるので、続きは後日にします。

つづく。

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posted by マネージャー at 20:22| Comment(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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