2019年04月13日

昭和40年代、とある小学校の話3 教頭先生の話

昭和40年代、とある小学校の話3 教頭先生の話

 今から五十年前、私が小学生の頃に新しい教頭先生が赴任してくると、突然、教育スタイルが変わりました。それまで担任の先生が担当していた図工・音楽を教頭先生が教えるようになりました。この教頭先生は、背が高く筋骨隆々で運動神経もよく、走ればサラブレ等のように早く、プールに入ればイルカのように泳ぎ、声を発すれば雷ように轟き、背筋がピンとして足が長く、そして頭がはげていました。

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 この教頭先生は、それまでの影の薄かった教頭先生と違って、やたらとはりきっていました。朝には全校生徒が体育館に集り全校集会を行うことになり、しかもその全校集会は、いつも長引いて、毎日二〜三人の子供たちが貧血で倒れ、保健室に連れて行かれました。それでも毎日はりきって全校集会で演説する教頭先生でした。六百人もいる子供たちは体育館で、教頭先生の決めた今月の目標を声を出して読み上げたものです。

 こうなると、 六年生はもとより、二年生ぐらいの低学年の子どもたちでさえ、学校の教育スタイルがガラリと変わったことを認識します。それに対する感想は人それぞれだと思いますが、大方の子供たちは『めんどくさい人が教頭先生になったなぁ』と言う感じだと思います。なにしろ突然授業中に教頭先生が入ってきて、授業の見学をするわけですから、こういう先生にあだ名ニックネームがつかないわけがありません。

 ハゲ頭先生とか、ツル先生とか、といったニックネームがガンガン生まれます。普通ニックネームは一つなんですが、この教頭先生に限って無限大に増殖していきました。そしていくら増殖しても新しいニックネームが生まれても誰もが教頭先生のことだとわかります。

 もちろんハゲ頭の先生は他にもいっぱいいましたが、他のハゲ頭の先生にはニックネームがつきません。単なるハゲではダメなんです。光り輝いてないとニックネームがつくことありません。そういう意味では、この教頭先生は、常に光り輝いていました。その行動力と、その強引さと、その理想に燃える教育熱心さに輝いていた。これが子供たちにとってまぶしかった。

 この教頭先生は、スポーツ万能で長身。プールでは、すばらしい泳ぎをみせますが、なぜかこの先生だけは規則で決められている水泳帽をしない。髪の毛がないのでする必要が無いんでしょうが、そのせいで太陽を良く反射する。

 教頭先生は、ピアノもプロなみに弾くので音楽教師にもなり、美術教師にもなりました。それまで担任の先生が担当していた図工の授業は、教頭先生が受け持つことになりました。そして図工の時間になると、意気揚々と出現し、図工の時間だというのに例によって演説から始まります。その日は、イメージについて教頭先生は語りました。いかにイメージを持つか、そのイメージが大切だと言うのです。それを延々と語った後に教頭先生は仰いました。

「ではみなさん、私に対するイメージを一人一人聞かせてください」

だれも答えません。

「何でもいいんですよ、どんな些細なことでもいいから教頭先生のイメージを語ってください」
「・・・・」
「じゃあはじから言ってもらおうか、◆◆君、君はどんなイメージを持ってかい?」
「それ言ったら先生が怒るから」
「怒らないよ」
「絶対怒るもん」
「どうして先生が怒ると思うの? 怒らないから」
「いやいや絶対に怒ると思う」
「怒らないよ」
「絶対に怒らない? 」
「怒らない怒らない」
「絶対に? 」
「約束します」
「じゃぁいいます」
「・・・・」
「ハゲ頭」

 教室は一気に大爆笑と重なりました。
 教頭先生は微動だにせず次の児童を指名しました。

「フラッシュ」

 その次も大爆笑。
 次の児童もイメージを語りますが、どれもこれもが大爆笑。

「太陽」
「反射鏡」
「まぶしい」
「電球」
「つるっぱげ」

 教室は次々と爆笑の渦となって授業になりませんでした。子供は残酷です。教頭先生は苦笑いしながらも少し寂しそうな顔をしていました。そして私のクラスの図工の時間は、再び担任の先生が受け持つようになりました。私も頭が薄くなってきています。あの教頭先生に、今頃になって親近感がわいてきています。

つづく。

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posted by マネージャー at 15:38| Comment(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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