2019年04月14日

昭和40年代、とある小学校の話4 用務員さんの話

昭和40年代、とある小学校の話4 用務員さんの話

 私が生まれたのは、昭和三十六年の七月です。出身地は新潟県は佐渡島。小学校に入学しますと、そこには薪ストーブがありました。今のおしゃれな薪ストーブをイメージしてはいけません。素朴でボロボロなストーブで、火傷防止のフェンスさえありません。火力の調整もできず、ストーブ前は真夏より暑く、そこから離れると寒くてしょうがなかった。窓は隙間だらけの木製の窓で、すきま風は入り放題。

 当時、薪当番というものがあって、朝早くに学校に行って、用務員さんから薪をもらってきました。その薪は、太い針金でぐるぐると巻かれていました。その針金を分解して、新聞紙などの焚きつけて朝ストーブに火をつけるのでが、先生より上手に火をつげる一年生の子供がいました。

 ところで、学校が終わると友達の自宅に遊びに行くことになります。そして夕方五時のサイレンが鳴ると家に帰るのですが、たまに友達のお母さんが、風呂を沸かしていました。当時、ボイラーのようなハイカラな風呂釜がある家は少なくて、五右衛門風呂か、巨大な樽風呂がほとんどでした。樽風呂の方が多かった気もします。もちろん薪で風呂を沸かすのですが、薪といってもみかん箱を解体して作った薪です。または、どっかから拾ってきた板を燃やして樽風呂を沸かしていました。それが珍しくて、私は、ずっと見学をしていた。というのも、私の家は当時珍しいボイラー式の風呂釜だったのです。つまり新築の家に住んでいた。そのために薪で風呂を沸かす友人の家の風呂釜が珍しかった。

 それはともかく、 九月から一〇月ぐらいになりますと、小学校の校庭で、用務員さんが汗だくになって薪割りをする風景が見られるようになります。 三〇ぐらいある教室の薪ストーブの薪を蓄えなければいけないからです。それも莫大な量。年配の用務員さんが、上半身素っ裸になって、ねじりハチマキで、次から次と薪を割っていました。私と友人たちは、飽きもせずにずっと眺めていました。

 用務員さんは何時間も何時間も黙々と薪を割っていました。薪は、校舎の壁に次から次と積み上げられていきますが、何しろ凄い数ですので、校舎の壁をずらっと薪の壁が包み込むようになります。だから校舎の窓を開けますと、すぐそこに薪の束があるという具合です。

 ちなみに用務員さんは、とても優しい人でした。事情があって、私が泣きそうにながら学校に行くと、すぐに声をかけてくれて、心温まる対応をしてくれました。そういう用務員さんですから、みんなから好かれていたと思います。用務員さんには奥さんもいました。奥さんと一緒に学校に泊まり込んでいました。というか住んでいたと思います。毎日のように、夜の学校を見回っていました。私の父は、厳格な人間でしたので、私は何度も家を追い出されて街中を放浪したのですが、行き先は必ず小学校の縁の下でした。

 父親に殴られ蹴られ何度も追い出されているうちに、子供ながらに知恵がついてきます。家を追い出される時のために、学校の縁の下に、こっそり秘密基地を作っていました。当時は、段ボール箱のようなものはありませんので、用務員さんが割って束ねた薪をせっせと学校の縁の下に運び、それで椅子やらベットを作り、食料や現金や懐中電灯などを隠しておいていました。

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 小学校二年生位の子供が、そんな不審行動をするものですから、用務員さんが気がつかないわけがありません。縁の下で、いろいろ作業してるのを、用務員さんに見つかってしまいました。怒られるのかな?と、びくびくしていましたが、彼は何も言いませんでした。私は慌てて逃げ出しました。用務員さんが追いかけてくる事はありませんでした。けれど、これで秘密基地はおじゃんになってしまったと観念しました。

 しかしである、翌日、その秘密基地に行ってみると、何一つ撤去されてなかった。私が、作ったままそのままの状態で存在していたのです。すると、薪割りの音が聞こえてきました。私は縁の下から出てくると、用務員さんが、盛んに薪を割っていました。目と目が合いましたが、彼は黙々と薪をわっていた。私には何事もなかったように、作業を続けていたのです。今思い出してみると、非常に不思議な気がする。なぜ用務員さんが、何事もなかったようにスルーしてくれたんでしょうか? そして私が使ったために足りなくなった薪を、割り始めたんでしょうか? 今思えば不思議な事だらけです。

 ただ思い当たることがあるというすれば、私は、夜の小学校で、よく用務員さんにお世話になっていることです。父親が厳格でしたので、ランドセルに教科書が一冊でも欠けていますと、学校に取りに行ってこいと怒鳴られて、泣きながら何度も学校に取りに行ったことがあります。もちろん、玄関から入るのではなく、窓からこっそり学校に入り込みました。夜は暗いので電気をつけて自分の席の机の中をごそごそとやる。その度に、用務員さんが駆けつけてくるのです。それはそうでしょう。夜の学校で電気をつければ、そこだけ目立つのです。泥棒でも入ったかと、用務員さんが恐る恐る駆けつけてきます。しかしそこには、小学校一年生位の子供が泣きながら、落とし物やプリントを探しているのだから、そういうことが何度も何度も続けば顔見知りになってしまいます。しかし彼は、深入りはしてきませんでした。とても優しい人でしたけれど、ある程度の距離を保って見守ってくれていました。それが良かった。秘密基地のそのままにしてくれていました。今では考えられないことかもしれません。

 私は小学校三年生になった時、その用務員さんがいなくなりました。そして学校から薪が消えました。すべて石油ストーブになってしまったのです。日本はその頃から豊かになっていた気がします。ちょうど大阪万博が始まっていました。


つづく。

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posted by マネージャー at 18:23| Comment(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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