で、学生服・セーラー服の新入生の大半が、兄姉のいる家庭で、お下がりだったようです。つまり、私より世代が上になると、みんな学生服・セーラー服で入学式をしていたということになります。
その世代になると、就職試験も大学入学式も学生服だったと思います。さすがに私の世代では、そういうことはありません。逆に言うと、当時は卒業式に女の子にボタンをプレゼントする習慣がありません。学生服は大学の入学式にも就職試験にも使うからです。
私は、1961年生まれですが、この前後の生まれの場合、年度によってガラッと生活スタイルが代わってきます。1961年生まれだと、小学校の入学式では学生服が大半ですが、私の弟、つまり1964年生まれだと、小学校の入学式で学生服を着用する人は皆無になっています。
その逆に1955年生まれの小学校の入学式では、ほぼ全員が学生服&セーラー服だった思います。もちろん佐渡島での話です。で、その頃は卒業式も学生服でしたし、小学校時代も六年間学生服を着つづける人もいました。ついでにいうと、私より3年くらい年齢が上になると、中学校に入ると全員が坊主頭でした。それが廃止になって三年後に私が中学校に入学してます。
当然のことながら校則も細かく厳しかったのですが、死文化されておりほとんど守られてない状況でした。特に厳しかった所は、服装の項目でしたが、これには訳があります。江戸時代の日本では、年齢によって着るべきスタイルが厳密に決まっていたために、その名残が明治・大正期までのこっていて、その影響で服装のことが厳密になっていたそうです。これは、当時の校長先生に教わっています。
もちろん規則破りは、江戸時代も、明治・大正期も大量にいて、その破天荒さは、昭和時代の不良など、かわいいものだそうです。むしろ年々行儀が良くなってきていると、昭和50年頃の校長先生に聞いています。で、私の感想を言えば、平成時代の子供たちは、昭和時代より、もっと行儀がいいので、江戸期・明治大正の不良たちのスケールの大きさに唖然としますね。
つづく。
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