「どこがダサいんだろう、アメリカやヨーロッパじゃ、奥さんに愛しているよって日常茶飯事のように言うんだよ」
「じゃあ、聞きますけれど、どうしてアメリカやヨーロッパの方を向かなければいけないんですか?」
「・・・・」
「いや、全て否定しているわけではないですよ、火山体験プログラムにも感心したし、その他のプログラムにも感動しています。ただ、今の若者には、キャベツ畑で、奥さんに『好きだよ』と大声で叫ぶといったストレートな表現は、どうかと思うんですよね。だって、今はツンデレの時代ですから」
「はあ?」
「ツンデレです」
「はあ?」
「ツンデレです」
「はあ?」
「ツンデレです」
「はあ?」
「ツ・ン・デ・レ」
「・・・・って何?」
「ツンデレのツンは、ツンツンするの意味です。デレは、デレデレすること」
「あのー、意味わかんないす」
「よーするに、人前ではツンツンしているくせに、2人きりになったらデレデレすることをツンデレと言います」
「それって、照れ隠しのこと?」
「違います」
「ええ?」
「照れ隠しで、ツンツンするのもアリなんですが、照れてなくても人前でツンツンします。でも、2人きりになったらデレデレすることをツンデレと言います。そのデレ方も、相手にツンを発しつつ、相手を困惑させるフェイントを使いつつも、超デレデレで相手を落とすのです」
「分からないです、おじさん何のことかサッパリ意味分からないです」
「それじゃ、もっと分かりやすく言いましょう」
「はい」
いつの間にか講師と生徒の立場が逆転していたのであった。
「キャベツ畑で、奥さんに『愛しているよ』と叫ぶストレートな表現は、西欧的でありストレートな方法です。しかし、このスタイルというのは、日本的ではありません。もののあわれが感じられないのです。ようするに萌えないんです」
「はあ?」
「ストレートすぎて短歌で言えば、万葉集的なんです。思春期に書いた青臭い詩集みたいなものです。下手くそな臭い学園ドラマみたいなものです。そこに萌えは存在しません。古今集や新古今集に存在する唯美的・情調的・幻想的・絵画的な、奥深き想像を可能とする甘いロマンチズムは存在しません」
「・・・・」
「つまり万葉集的なストレートな『好きだよ!』には、余韻がないんです。余韻がなければ萌えもない。だから、余韻をかきたてる愛の表現形態を求めていくと、ツンデレにたどりつくのです」
「・・・・」
「ふだんはツンツン。で、2人きりになると、ちょいとデレる。場合によっては、デレデレになる可能性もあるけれど、決してツンツンは放棄しない。あくまでもツンツンでフェイントをかけつつ、ここ一番の大勝負で超デレる。でもツンツンも残すことによって、余韻を残すのです」
深い。
よく分からんが、深いと思った私でした。
「それからツンとデレの落差も大切です」
「落差」
「よいツンデレには巨大な落差があります」
「はあ?」
つづく
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