2017年11月24日

霊の見える話 その6

霊の見える話 その6

 オタクに風当たりが強い世の中ですが、私の子供時代には「オタク」などという言葉はありませんでした。もちろん「マニア」という言葉はありましたが、マニアとして何かに熱中するには、まだ社会が貧しかったので、マニアは一部の人々の独占物でした。そういう時代では、人間がオタクになれず、山に入り込んで、昆虫や爬虫類や木の実や植物などに熱中したものでした。

 と、書くと、なにやら素晴らしい事のような錯覚をするかもしれませんが、それは現実を知らないのと一緒です。山に入り込んで、昆虫や爬虫類などに熱中するということは、人間との付き合いを学ぶ機会を失うということです。漫画やアニメなら、そこに人間が描かれていたりしますが、野鳥や爬虫類や石ころなどに熱中すると、人間が対象でないでないだけにやっかいです。というのも、私自身が、子どもの頃に、その罠に陥ったことがあるからです。

 実は私は、三〜五歳頃に地蔵や石仏や古い墓石などに熱中したことがありました。三〜五歳頃のことですから民俗学や歴史学から熱中したのではありません。単に古い石に熱中しただけです。もちろん村の老婆たちの伝説なども耳に入っていたかもしれませんが、それについては記憶にありません。

 ただ、言えることは、それによって、もの凄い人見知りになってしまっていたことです。人間が怖くなって、墓石やお地蔵さんの中に隠れるようになった。そして、そこで一人遊びする癖がつき、それが、野鳥や爬虫類や昆虫などに発展していき、人間からドンドン離れてしまい、そのために幼稚園や小学校で他人と馴染めずに孤立し、ますます人見知りしてしまうのです。

 おまけに親子関係も良くなかったので、山どころか一日神社の縁の下に隠れていたこともありました。神社の縁の下には、無数の蟻地獄があり、コウモリたちも眠っています。礎石には古文書が刻まれていたり、どういうわけか古い石仏らしきものが礎石だったりもします。

つづく


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2005年05月13日

北軽井沢ブルーベリーYGHツアーの御案内

YGHツアーの御案内

1.ブルーベリーツアーはどうやって行われるのか?

朝8時45分、ロビーに集合。
作戦会議開始
朝9時出発!
夕方3時頃にブルーベリーに戻る。
(途中解散&現地解散OK!)


00aa030.jpg


2.どこへ行くのか?

 基本的に参加者皆さんのご希望にそえるよう企画します。軽いハイキングから登山、名所観光、歴史ツアー、キャベツ畑ツアー、温泉ツアーなんでもあります。朝の作戦会議もあるのですが、それ以外に前日の夜のお茶会でブルーベリーのスタッフが皆さんと同席します。このとき積極的に参加し、ジャンジャン話を聞き出してください! 天候によって当初予定した場所が変わる事も多々ありますのでご了承ください。しかし、それは考え様によっては非常に面白いです! ツアーを作るのは皆さんです。逆にスタッフを乗せてしまえば皆さんの勝ち!! いろいろな条件に合った最高の場所へ皆さんを連れて行ってくれることでしょう!

10-24-027.JPG


3.雨天でもツアーは行うのか?

 やります! 天候に合った最高の場所を選びます。雨の日も楽しいツアーになる事間違いなし。雨なら雨が最高の場所があります。

4.飛び入り参加OKか?

 OKです!
 ツアー参加希望者は前もって宿泊予約の時伝えていただけると人数の関係上助かりますが、来て見て話を聞いてみてそれからツアーに参加するか決められても結構です。
 新緑の季節、花の季節、紅葉の季節、雪の季節、北軽井沢の大自然はいつも私達の目を驚かせてくれます。とても言葉だけでは表せない自然や人々の息遣いがここにはあります。そんなところが旅人の心を癒してくれます。ペアレントはじめ、スタッフ&ヘルパー全員皆さんの参加をお待ちしております。

indx-033.jpg


ボランティア団体協力による格安ツアー

保険600円+実費のみ(スノーシューツアーのみ全て込み3000円)

4月24日(日) 中山道・北国街道ハイクと温泉ツアー
4月29日(金)〜
5月5日(金) 新緑の浅間高原・ゴールデンウィークスペシャル
(1日だけの参加もOK)
5月8日(日) 北国街道とワイナリー見学ツアー
5月15日(日) 30万株のシャクナゲ園ツアー
5月22日(日) 高峰温泉ツアー
5月29日(日) バラギ湖畔花めぐりとバラギ温泉ツアー
6月5日(日) ハーブガーデン散策ツアー
6月12日(日) 花の百名山・根子岳ハイク
6月19日(日) 鹿沢温泉と世界最大のレンゲツツジ群落ツアー
6月26日(日) 湯ノ丸山・烏帽子岳ハイク

http://kaze3.cc/tour/tour.htm
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2005年07月20日

共○国って知ってますか?

共○国って知ってますか?

共○国って、御存知でしょうか?

説明するのが、ちょっと難しいので、下記のHPから説明文を抜粋して紹介すると

http://yh-kyowakoku.com/
http://sun.ap.teacup.com/inakataiken/2.html

 ユースホステルの総支配人が、「遊びの精神を持った国」という文化圏を「それなり」に設定し、「宿は国家なり」のユニークな運営により、「旅好き人間」を楽しく旅させる為に、日本国より独立(?)し、「ユースホステル共○国連合」のネット・ワークを組みました。

 この共○国連合加盟YHや友好国がどんどん増えています。共○国連合は現在 30ヶ国は全国に広がっています。YH共○国は「旅人を安全に支障なく旅行させる」為に、又「旅人に対して安らぎを与え、健康で楽しく過ごしてもらう」為に、努力を惜しまないホステル施設です。

s1-1-07.JPG


という事だそうです。実は、北軽井沢ブルーベリーYGHは、この共和国に加盟しています。昔は、MHFなる団体もあったのですが、今は、ほとんど活動してないようなので、私は共和国に加盟しました。

 実は、私が共○国に加盟しようと思った理由があります。共和国の会議に、オブザーバーで参加する機会をいただいた時、仲間の宿である『ペンション歩゚風里』さんも、ユースホステルでも何でもないのに、喜んで参加の御招待をうけ、さらに、友人と2人してゲストルームに泊めていただいたことがあったからです。そのオープンさ、排他性の無さに、本当に感銘を受けたものでした。

 こういう組織なら、きっと素晴らしい仲間であるに違いないと思って、友好国に入れていただいたわけですが、このブログも、存在を共和国の方々に教えていただいて、私も始めたしだいです。とにかく、共和国HP共和国ブログを御覧になってください。


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2005年07月21日

ユースホステル

ユースホステル

 ユースホステルは、ドイツで生まれた旅の宿ネットワークです。世界80カ国、5500のユースホステル(YH)があります。日本には北海道から沖縄まで約350のYHがあり、宿泊料金は日本の場合、1泊3,200円前後(2食付で5,000円程度)と大変経済的です(海外では、もっと安く宿泊できます)。また、会員になると、さまざまなメリットがあります。詳しくは入会のお勧めを御覧下さい。そして、もし興味がわきましたら、ぜひご御入会下さい。入会した場合、以下の施設で特典があります。

uvkk1018.JPG

 部屋は、男女別の相部屋で、1部屋が2人から8人ぐらい、2段ベッドやシングルベットの洋室(日本では畳部屋もあり)が基本となっております。寝具のシーツセットなどはセルフサービスでお願いしているところもあります。料金は安くても、食事やサービスは十分満足できるもので、経済的で、泊まり合わせた人同士が気軽にふれあえる旅の宿です。


uvkk1373.JPG

 ユースホステルを利用するには、会員証が必要です。各都道府県にあるユースホステル協会または最寄りのユースホステル案内所、全国のユースホステルにて、簡単な手続きで会員証が取得できます。


 この会員証は世界共通で、どこの国のユースホステルでも有効です。また、会員証によって国内・海外の観光施設等の割引を受けられるなどの特典もあります。

uvkk809.JPG

 そして、一人旅を歓迎するのがユースホステルです。女性の一人旅でも安心して泊まれます。すぐに同室者と友達になれ、一人旅のさみしさはありません。ユースホステルは、男女別の部屋に分かれていますが、個室料金を払えば家族やグループでの個室利用もできます。

 予約は90日前から受け付けています。宿泊するユースホステルにお電話ください。また海外のユースホステルも日本で予約できるシステムもあります。詳しくは、下記のHPを御覧下さい。

http://kaze3.com/gyh/index.html
http://www.jyh.or.jp/index2fr.html

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2007年06月11日

伝説の基地■ユースホステルのサイト発見

伝説の基地■ユースホステルのサイト発見しました。

http://www.k2f.jp/risiri/1977/index.html
http://www.k2f.jp/risiri/1990/index.html
http://www.k2f.jp/risiri/index.shtml

その名も、鴛泊ユースホステルのサイト。

念のために言っておきますが、
鴛泊ユースホステルは、もう滅びてて
存在していません。

この鴛泊ユースホステル。
桃岩ユースホステルより、クレージーでした。

ちなみに、ここの私の友人がヘルパーをやってて、
酔っぱらうと、こんな踊りを踊っていた。

♪かっこいい奴が 
 かっこいい奴が
 汽車でやって来た

 すがる女を振り切って 
 止める女を振り切って

 かっこいい奴が 
 かっこいい奴が 
 飛行機でやって来た♪


その基地外ぶりは、■■一歩すれすれで、
今から思えば、よく無事だったなと思います。


つづく

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posted by マネージャー at 05:22| Comment(0) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月19日

忍者

その昔、
08240002.JPG
こんな怪しい御客様が泊まったことがあります。
そうです!

忍者

なのです。

おどろくべきことは、
東京の自宅玄関から、
この姿で新幹線にのって
北軽井沢まで来たことです。
そして

08230005.JPG

こんなことや

08230007.JPG

こんなことをして、
他の御客様を驚かせていました。


08240002.JPG

いやはや笑えます。
結局、忍者さんは、
3泊して帰ったわけですが、
その3泊の間、無事にすむわけがなく、


驚愕の
大事件が
次々と発生するのです。


いったい
どんな事件がおきたのか!
ブルーベリーに何があったのか!
忍者は何をやらかしたのか?



つづく

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2007年09月21日

3泊した忍者

忍者は、3泊していきました。

08240002.JPG

しかし、いくらユースホステルとはいえ、
ドミトリー(相部屋)が基本とはいえ
こんなに怪しい御客様を
不特定多数の御客様と
同室にするが気が引けた私は
忍者さんに個室に入ってもらいました。
しかし、3泊のうち最終日の1泊だけは、
どうしても、個室を用意することが出来ず、
忍者さんにドミトリー(相部屋)に入ってもらうしかありませんでした。

そして1泊目、2泊目とすぎてしまい
(まあ、この間にも、色々な恐怖の事件はあったのですが)
いよいよ、最終日の3泊目になり、
忍者さんに、お部屋の移動をお願いし、
そして、忍者さんが使っていたお部屋を
掃除しようと入室してみると、

な!
なんと!
なんと!


部屋の中のベットが使われた形跡が無いのです。
バストイレも未使用のまま。
タオル歯ブラシなども未使用。
というか、
部屋を使った形跡がない!

驚いた私は、
忍者さんのところに走って聞きました。

08230005.JPG

「忍者さん、1泊目と2泊目、部屋で寝なかったでしょう? というか部屋を使ってないじゃないですか」
「ふっ、ばれちまったか」
「いったい、どこで寝たんですか?」
「忍者と言えば、屋根裏でしょう」
「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」

恐ろしい
恐ろしすぎる・・・・。

しかし、こんな事件は、
まだまだ序の口であり、
この後、北軽井沢ブルーベリーYGHは、

恐怖のどん底

に落ちることになるのである。

いったい、何がおきたのであろうか?
どんな恐怖があったのであろうか?


つづく

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posted by マネージャー at 16:41| Comment(1) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月22日

魔女になった忍者のその後

魔女になった忍者のその後です。

08240002.JPG

が、

08260022.JPG

に成ったわけですが、
そして、どうなったかと言いますと
当然のことながら、

魔女のままツアーに出かけました。

08260007.JPG

大勢の観光客がひしめく白根山の湯釜の前で、
しっかりとツアーの記念撮影をしていました。

ちなみに、この人主婦です。

学生ではありません。

つづく

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posted by マネージャー at 19:35| Comment(0) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月24日

朝起きたら忍者がいない?

つづいて忍者ネタです。
朝起きたら忍者さんが消えていました。

08240002.JPG

そして、どこをさがして見つかりませんでした。
そうです!
忍者さんは、
魔女に変身していたからです。

これは、ネタではありません。
実は、実話です。
(ジツワ、ジツワです)

08260022.JPG

つづく

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posted by マネージャー at 18:35| Comment(1) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月25日

忍者のツアー参加

08240002.JPG
忍者さんはツアーに参加しました。
残念ながらツアー記録には移っていません。
忍びの者は、めったに写真に写らないのです。

ツアーの行き先は、草津でした。
これがまずかった。
草津の観光客は、先を争って
忍者と握手し、
記念写真をとりました。

忍者さんは、観光客にモテモテでした。

08240002.JPG

忍者さんは、大いに喜んでいました。
しかし、翌日、軽井沢にツアー出かけたとき、
軽井沢では、草津での反応とは、大きくちがっていました。

軽井沢の人たちは、忍者さんを見ると、
バイキンでも見るように
白い目でジロリとにらみ
そそくさと逃げていきました。
軽井沢では、忍者さんは、完全に浮いていたのです。
忍者さんは

「軽井沢の奴らは冷たい!」
と絶叫していました。

(でも、まあ、普通の反応だと思うのだが・・・・・)

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posted by マネージャー at 04:55| Comment(3) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月11日

会議

会議

今日は、東京にある日本ユースホステル協会に行って
契約ユースホステルの会の会議に出てきましたが、
下界は、花粉が舞い散り障気の渦ですね。

こんなところに人間が
生きてることじたい
信じられないですよ。



花粉防止の薬を飲んだら会議中、
正直言って、眠くてたまらんかったです。
やっぱ、私には会議は向いてないようで、
どっちかといったら肉体派なんです。

もう花粉は、かんべんしてくれーってかんじです。


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2008年04月20日

ユースホステルと踊り

ユースホステルと踊りについて。

今はもう滅びちゃっていますが、
20年前くらいのユースホステルでは、

ミーティング

というものが必ずあって、
みんなで歌ったり踊ったりしたものでした。

今じゃ、そんなことやってる処は、
全国に1ヶ所しかありません。
桃岩ユースホステルだけです。

でも、昔は、全国の何処のユースホステルでも
踊っていたんです。

別府ユースホステル・斜里ユースホステルの円盤音頭
摩周湖ユースホステルのクワガタ踊り
襟裳岬ユースホステルのチビまる子ちゃん
そして・リンダリンダ
積丹ユースホステルの函館の女
清里ユースホステルのレナウン娘
高千穂ユースホステルのゴキブリ踊り
岩尾別ユースホステルの岬めぐり
利尻ユースホステルの「かっこいい奴が」
桃岩ユースホステルのフルコース

などなど。

まあ、今で言えば、ハルヒダンスみたいなものです。

さて、当時の雰囲気を伝える動画を発見しました。
御覧ください。






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2008年05月02日

ユースホステルの活用法1

ユースホステルの活用法1

 ここでは、北軽井沢ブルーベリーYGHに限定せずに、一般論としてのユースホステルの活用法を解説してみたいと思います。

 ユースホステルとは、主に一人旅の若い御客様を優先とした施設です。といっても、老人でも泊まれますし、団体の方でも泊まれます。民宿や旅館やペンションと変わりないと言えば、かわりないのですが、一部のサービスが、self-service(セルフサービス)となっているなど、一般の方にとっては、とまどわれることがあるのも確かです。

 そこで、ユースホステルの利用方法、
 楽しい活用方法を、
 宿主の立場からユーザーの皆さんに
 もう一度、説明してみようかと思います。


■ユースホステルの特色

 ユースホステルは、主に一人旅の御客様をターゲットとしていますから、あきらかに他の宿と違っている雰囲気をもっています。見知らぬ御客様どうしが、ふれあえるような
『仕掛け』
が用意されているのです。もちろん、それに気がつかなければ、分からないような小さな仕掛けですし、気がついたとしても無視することのできる空気のような仕掛けです。

 では、その仕掛けとは、どんな仕掛けなのでしょうか?
 いったい、何が仕掛けられているのでしょうか?


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2008年05月03日

ユースホステルの活用法2

ユースホステルの活用法2

続きですが、新しいブログを作ったので、
そちらに原稿を移転したいと思います。
サイトのアドレスは、

http://b-yh.seesaa.net/

です。

あたらしいブログも、宜しく御願いいたします。



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2008年05月26日

隅田川ユースホステル

今日は、隅田川ユースホステルに泊まっています。

つまり東京にきているのだ。

もちろん、覆面で。
で、ユースのパソコンを使ってブログを書いています。
ここは、きれいで良いユースだねえ。
設備もいいし、こじんまりしていい。
場所も、浅草橋の駅からすぐだし、
吉野家もそばにあるし。
なにより、スタッフの対応が良いです。
また、泊まりたくなった。
日本人がいないけど。
英語の練習になるし。

とにかく良いユースですよ。
でも、残念ながらパンフレットが無い。
デジカメもってくればよかった。

しかし、東京は暑い

暑い暑い暑い暑い暑い暑い 死ぬほど暑い

かんべんしてくれー
今日は、一日中、国会図書館で調べ物していたが、
この国会図書館が暑いんだわ
北軽井沢に帰りたいよう

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2008年05月29日

やっとかえってきたぜ!

やっとかえってきたぜ!

北軽井沢は、涼しいなあ。

てか、寒い!

隅田川ユースホステル、よかったですよ。
何がよかったかと言うと、
歩いて3分のところに

『やきとりバー』

があるんですよ!

それが、めちゃオシャレで、ショットバー風の店なのに
ヤキトリを食べさせてくれる。
いいでしょう。
そんでもって荒川を散策し、浅草寺までいっちゃいました。

ここはビジネスホテルみたいなところかと思いきや
ユースホステルの2階に談話室があり、
そこで国会図書館のコピーの整理をしていたら
韓国から来た4人組の女の子につかまり
日本語の練習させられた。
愛想がよくて、かわいかった。

スイス人とフランス人の男性につかまり
英語で四苦八苦したりしました。
彼らはでかかった。
日本人より骨が太いね。
だから身長のわりに巨大に見える。
彼らとは東京は熱いということで、大いに意見が一致した。
あと、外人旅行者たちは、ノートパソコンを必ずもってるね。

当然のことながら最年長者は私。
久々に若者たちとすごしてしまった。

翌日は、代々木ユースホステルに3連泊。
全室個室で、なんと3000円。
すごい安いですね。
しかも、事実上、門限無し。
机と椅子もあるので、国会図書館の資料整理の能率もあがりました。

ちなみに代々木ユースホステルのよいところは巨大浴場ですね。
浴場にエアコンが入ってて涼しいんです。


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2008年12月11日

昔、ユースホステルは出会い系だった1

この曲を知っている人はいます?

ギターを弾いて
酒呑んで、
女の話に涙して

外は星空、虫の声、

埋もれてしまった
悲しみなんか
酒の肴にしてしまおう
酒の肴にしてしまおう


いかにも1970年代ぽい歌ですよね。
もし知っていたとしたら、
貴方は、40歳以上のホステラーです。
だって、25年前に北海道のユースホステルで
流行った歌ですから。

しかも、作詞・作曲が
某ユースホステルのヘルパーさんたちでした。

当時のユースホステルのヘルパーやホステラーさんたちは、
どういう訳か、音楽好きな人が多くて、
ギター弾ける人がいっぱいいて、
それも、そこそこ上手くて、
そのうえ、自分で作詞作曲して、
それが、旅人の間で、
口コミで、流行したんですよね。

当時は、YouTubeもインターネットも無かったし、
携帯もワープロも無かった。
ユースホステルの口コミだけで、
全国に流行したんです。
考えてみれば、これは凄いことです。

つづく

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2009年01月27日

星マークについて1

星マーク検査がありました。

星マーク検査とは、ミシュランガイドのようにユースホステルの格付けを行う検査です。
前回は、2004年に行っていますから、わずか5年で見直しがされるわけです。

最高の星マークは、
★★★★
です。

最低は、

です。

★になると、日本ユースホステル協会から指導が入り、
★★以上になるように改善命令が出るのですが、
この改善命令を実行できずに何軒かのユースホステルが
契約解除にふみきっています。

この改革を見直すために、星マーク検査の見直しを行うべく
ホステル委員会が、北軽井沢ブルーベリーYGH に聞き取り調査に
やってきました。

おかげで京都で開催されていた
共和国会議に出られなかったのですが、
ホステル委員会の人たちに、お会いできたので、
私としては面白かったです。

ホステル委員会というのは、ユースホステルの
許認可権をもっている、お偉いさんたちなのですが、
どんな人たちがやってくるんだろうか?
とワクワク・ドキドキと、好奇心いっぱいで待っていましたら、
グリーンツーリズム研究をしている東洋大学教授と、
海外旅行関係の旅行作家にお会いすることになり、
『検査&採点』
という、採点される立場を忘れて旅談義をしてしまった。

相手が、大学教授の先生・旅行作家というのをスッカリ忘れて
自分が採点されているという事実をスッカリ忘れて
旅談義・ユースホステル談義をしてしまいましたよ。

これじゃ宿主失格ですね!

このシリーズ、つづく

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2009年01月28日

星マークについて2

星マーク検査2

宿主にとって星マークは、多ければ多いほど、御客様がおしかけます。
★よりは、★★★★の方が良いに決まっています。

じゃ、星が多ければ、それで良いのかというと、
そういうわけではないんですね。

もし、★でも、実態が★★★★レベルだと、どうなるか?
その存在がサプライズになるんです。

★だと思って予約してみると、
★★★★の待遇に感激してしまう。
感動が大きくなるのです。

その逆に★★★★の宿に予約して
★★★★の待遇を得たらどうなるか?
可も、不可もなく、
予想どうりの結果ということになります。

期待値が低ければ、御客様の感動は大きく、
宿のファンになる可能性がある。

しかし、期待値が低ければ、
そもそも御客様の予約が少ない。
でも、感動を与えてリピートさせる可能性は高くなる。
強力な口コミを産む可能性は高くなる。

つまり、どっちに転んでも市場原理によって
淘汰されていくものです。

だから、採点の結果は、あまり気にしてはだめで、
それよりも、星マークの数に合わせた
集客戦略をとることが、重要になります。

しかし、日本ユースホステル協会ににとっては、
そういうわけにはいかない。
悪い施設が増えれば、会員が減少するので、
施設のレベルを上げるために躍起にならざるをえないでしょうね。


まだ、つづく

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2009年01月29日

星マークについて3

利用者にとっての星マーク。

では、利用者にとっての星マークは、どういう意味があるでしょか?
北軽井沢ブルーベリーYGH で、アンケートをとったことがあります。
その結果

 利用1年目の人(初心者)−ありがたい/星の数で利用施設を決める
 ヘビーユーザー(上級者)−必要ない/信じない

という、しごく当然な結果がでました。
つまり、利用1年目の人(初心者)にとっては、
星の数が重大な情報源になるようです。

その結果、星の数が多いユースホステルは、
利用1年目の人(初心者)が
たくさんおしかける事になります。

逆に、星の数が少なくとも、頑張っているユースホステルには、
利用1年目の人(初心者)には避けられてしまう。
その代わりに、期待してない人が、たまたま泊まって感激し、
リピーターやヘビーユーザーが増え、
強力な援軍が誕生することになる。


その逆に、星の数が多くとも、手を抜いているユースホステルには、
利用1年目の人(初心者)は、殺到するが、彼らをがっかりさせてしまう。そして、ユースホステル利用者じたいが激減することになる。



まだまだ、つづく

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2009年01月30日

星マークについて4

星マーク判定の欠陥。

実は、星マーク判定には難しい問題があります。
調査票を見て、つくづく思いました。
まず、看板の有無について。



【1】看板について

国立公園内では、原則として看板は立てられないのです。
看板は指定業者の作ったもの以外立てられません。
(ちなみに、北軽井沢や嬬恋村には指定業者が存在していません)

色も指定されていて、文字の色さえ指定があります。
場所にも制限があります。それ以外は、違法看板になります。
違反看板は、土木事務所による強制撤去が待っています。

逆に言えば、その規制によって、景観は守られます。
しかし、看板の有無が、星マーク採点に影響を受けます。
で、点数を上げるために、無理に看板を設置すると
地域の景観を悪化させます。
看板を全国のユースホステルで
単一の採点基準にするのには、問題があるのです。



【2】エコに対する取り組みについて

エコに関する対応についても、賛否両論があるでしょう。

 エコに対する考えは、千差万別あります。
 それを書けば、1冊の本になります。
 思想の問題になるからです。
 だから、ここでは触れません。
 ここでは、もっと別の視点からエコを考えてみたいと思います。

 実は、エコに対する取り組みを優先するあまり、サービスがないがしろになったために、苦情が発生している宿がたくさんあります。というのも、エコを大義名分に、宿主が密かに、サービスを低下させることも充分可能だからです。このあたりは、ホステル委員会の人たちに説明したのですが、宿経営をした経験がない人たちに、きちんと理解できたか疑問です。

 この問題は、現役ホステラーである皆さんの方が、切実に体験されているのではないですか? エコを大義名分に、猛暑地域であってもエアコンが無い宿に激怒している御客様の苦情を何回聞いてきたことか。
 コインエアコンの存在に激怒している御客様も少なからずいます。すぐに電気を切られてしまう宿。ブレーカーまで落とされて、携帯の充電もできない宿。みんなエコを大義名分にしています。そして、それに激怒している御客様も存在しています。

 しかし、今の世の中、そんなことをしていたら、ますますユースホステルの会員数は減っていくでしょうね。エコは、御客様に強制するものではなく、御客様みずからが、自発的に行うものでなくてはなりません。宿側は、その選択肢を与えるのが本当だと思います。

 例えば、北軽井沢ブルーベリーYGH では、割り箸をやめて、塗り箸にシフトしていますが、希望者に割り箸も出しています。選択できるようになっています。しかし、結果として誰も割り箸を使いません。これは強制ではなく、選択の結果です。

 使い捨て、歯ブラシも置いてあります。
 しかし、ホームページには、こう書いてあります。

「使い捨ての歯ブラシを使うのは、環境問題を配慮して嫌だという人もいるかもしれません。そういう方は、ぜひ、御自分の歯ブラシをお持ちください。北軽井沢ブルーベリーYGHとしては、どちらを選ぶかの選択肢は、お客さまの判断にお任せしたいと思います」
http://www.kaze3.cc/13-style-kodawari/style3-unei-06-amenity.htm

 そのために大半の方は、使い捨て歯ブラシを使いません。別に強制しているわけではありませんが自分の歯ブラシを使っています。

 あくまでも環境問題への配慮は、御客様自身にまかせる。
 そして、御客様がすすんで配慮してしまうように
 もっていくことが大切だと私は、考えています。


まだまだ、つづく

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posted by マネージャー at 06:33| Comment(2) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月31日

星マークについて5

星マークについて、つづきです。
今度は、星マーク採点表への評価です。
採点表の良いところを述べます。

【3】インターネット

 北軽井沢ブルーベリーYGHは、日本で最もインターネットに力を入れているユースホステルです。ホームページの数からいっても、観光案内の数からいっても、複数の独自の予約システムを構築していることからも、複数の異なるサーバーを使用していることからも、他にぬきんでていると思います。

 実は、これも、星マークの採点対象になります。

 これなんかは、一見、施設の上下と関係ないかと思いますが、実は重大な意味をもっています。おそらく御客様の利便性の問題を考えて採点基準にしたのでしょう。

 しかし、北軽井沢ブルーベリーYGH が、インターネットに力を入れている理由は、別の処にあります。何のことはない。私の耳がよく聞こえないからと、私自身が愛想が悪くて御客様に誤解をあたえるからです。よーするに
「欠点隠し」
のための方便なんですね。

 とはいうものの、ホームページなどでの情報提供は、どのユースホステルも、どんどんやるべきではないでしょうか? そういうい意味では、この部分が採点基準になることは賛成です。理由は、

1.御客様の利便のためと、
2.宿主の負担軽減のためです。

 1.は分かるとして、2.の意味を説明します。

 ユースホステルは、一人旅が多いために、御客様の質問の数も、問い合わせの数も格段に多くなっています。これがペンションなら客室数の問い合わせのみですが、ユースホステルの場合は、ベット数の問い合わせになります。北軽井沢ブルーベリーYGH を例にたとえると、19ベット分の問い合わせがきます。ペンションなら7室分の問い合わせでおわるのに。

 そうなると、問い合わせの多さに、業務に支障ができるのです。天ぷらを揚げているときに「すいませーん」と聞いてくる人が激増してしまう。そのために、つい、イライラしてしまう。ゆとりをもった接客をするなら、この問い合わせをへらさなけれぱならない。質問を減らさなければならない。

 となると、水際防御しかない!

 つまり、御客様が、問い合わせをしなくてもすむように、ホームページやパンフレットなどで質問事項を全部、答えてあげるのが一番なのです。そうしておけば、天ぷらを揚げているときに電話がきても、
「詳しくはホームページを御覧ください」
で逃げられます。

 アメニティの充実も、インターネット環境も同じ理由でなされています。忙しい時に「■■貸してください」と言われてイライラするくらいなら最初から客室に置いた方がよい。天気の質問をされるくらいならインターネット環境を設置して、御客様みずから調査できるようにした方が、宿主の負担が減るのです。しかもサービスの向上に繋がる。


 ところで話は、変わりますが、問い合わせの電話は、不思議なことに、一番忙しいときに、一番大量にかかってきます。なぜなんでしょうか? 連休で満室で、20人分の食事を作り上げて、さあ、これから御客様に食事のアナウンスをするぞ、というときに大量にかかってくる。逆に、こっちが暇なときには、かかってこないのです。

 不思議です。


まだまだ、つづく

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posted by マネージャー at 11:58| Comment(2) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月21日

ユースホステルの役割

アーノルドさんに親切な
北軽井沢ブルーベリーYGHの御客様をみて
思い出したことがあります。
あるエビソートについてです。

以下は、実話です。

 1958年。昭和33年4月。
 オーストラリアから二人の青年が日本へやってきました。
 東京で最初に訪ねたのは日本ユースホステル協会。
 英語の話せる部員が応対して、すぐ日本青年館へ案内。
 その夜は日本の会員が付き添って東京見物などをさせたといいます。

 日本式生活になじんでいない彼らは食事の時、入浴の時、いろいろな場面で、トンチンカンなことをしました。石鹸をつけたまま入浴しようとしたのをとめられたり、箸が持てないで手づかみで料理を食べようとしたのを教えてやったり、日本のホステラーたちがみんな親切にしてあげたのです。

 東京を離れて関西旅行をする時も、心もとないこの旅行者のために道案内役をかってでたホステラーもいました。また支部から支部へ連絡して、それこそホスピタリティー親切にもてなすようにと心を配ったのです。

 彼らが二ヵ月の日本旅行で、何を見て、何を感じたか。
 神戸の港から帰国する時、日本のホステラーたちに
 手を強く振って彼らは約束しました。

「日本という国は、こんな親切な人々の住んでいる国とは思わなかった。毎日毎日の温かいもてなしが私たちの胸にいっぱいたまっている。この日本人の親切心を大きな土産にして故国に帰ります。来年はわが国のメルボルンでオリンピックが開かれる。日本の選手もたくさんこられるでしょう。しかしオーストラリアでは、反日感情が強いので、オーストラリアが、どんな気持ちで日本選手団を迎えるか、あまり期待しないでほしい。ただ、私たち二人だけは必ず日の丸の旗をもって歓迎します」

と、いってオーストラリアへ船で帰りました。

 そして翌年。
 日本選手団がメルボルンに着いた時、
 二本の日の丸だけでなく何千本という日の丸の旗が、
 オーストラリア人によって強く振られていました。
 それは日本のユースホステルで受けた親切を
 青年たちによって語り伝えた反応だったのです。

 この話は、年輩ユースホステルマネージャーなら、たいていの人が知っている話です。昔のユースホステルには、こういうエピソードが、たくさんあったのです。はたして、今のユースホステルには、こんな美談が、いくつ残っているのでしょうか? こんな過去は、もはや夢物語なのでしょうか?

つづく

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posted by マネージャー at 01:58| Comment(2) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月25日

明日は、ユースホステル百歳の誕生日!

明日は、
ユースホステル百歳の誕生日!
ケーキを作って待ってます。
みんなで御祝いしましょう!


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ユースホステルが誕生してから、
明日で、ちょうど100年になります。

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リヒャルト・シルマンが、
100年前の8月26日に
ユースホステルを思いついたのでした。

schirrmann-003.jpg

つづく。

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2009年08月26日

リヒャルト・シルマンデー

今日は、シルマンデーです。
今日は、ユースホステル百歳の誕生日!


 リヒァルト・シルマンは、1874年5月15日に生まれました。
 父は、教師でした。彼は、学校で遊びながら大きくなりました。

schi-004.jpg

 17歳の時、ケーニスベルクの近くにある師範学校に通いました。そして、1892年、修学旅行に出発しました。生まれて初めて『山』を見たシルマンは、感激のあまりに、地面に手をあててみたり、岩が本当に石からできているのかと岩肌をたたいたりしました。

 シルマンの生まれた東プロシアには山が無かったのです。そんな青年たちが山を見たときのショックといったらありません。島育ちの私も、生まれて初めて北アルプスを歩いたときに受けたショックがありますから、シルマンの気持ちはわかります。

 シルマンたちは、この徒歩旅行にうけたショックを引きずりました。彼らの人生観は、旅行前と全く変わってしまったのです。もう息苦しい教室の授業には戻れなかったのです。不平不満の声があがり、学生の間に広がり卒業を直前に、デモになり、シルマンは、放校処分になってしまったのです。

 しかし、そんなシルマンに手をさしのべた先生もいました。地理の先生でした。その先生は、シルマンに家庭教師の口を斡旋し、ドレベナウの地主(貴族)の家庭教師になることができました。そしてシルマンは、10人の子供の面倒をみることになり、学習計画の作成も全くの彼の自由にまかされたのです。

 シルマンは、特別なカリキュラムを組みました。家の馬車に乗って遠足にでかけ、歌を歌ったりしました。それは、まるで映画『サウンドオブミュージカル』のような世界で、教師にとってのパラダイスでした。よき時代のドイツには、こんな家庭が、あちこちに存在していました。子供たちに家庭教師を雇い、家庭教師は、子供たちを歌と遠足で、のびのびと育てていたのです。こういう環境が存在する国に、ワンダーフォーゲルとユースホステル運動が生まれ発達したことは、偶然ではありません。

 シルマンは、教員資格の勉強をコツコツと行いました。
 そして、一年後(1895年.明治27年)。教員認可試験に合格。

 シルマンは、マスリアの小学校の先生に任命されました。人びとはスラブ方言を使っていました。生徒60人中、ドイツ語を話すのはわずか4人。全く言葉が通じないのです。

 そこでシルマンは、郊外に出て、子供たちと一緒に遊び、歌をうたい、あるいは郊外の散歩につれだし、ある時は、ドイツ語の授業、ある時は算数の授業を行いました。

 自然物の全てが教材であり、
 全てが教科書であり、
 全てが教室でした。

 こうやってシルマンは、森と湖に恵まれた広大なこの土地に、3年間すごした後、さらに3年間ケーニスベルク近辺の小学校で教師をしました。そして、窮屈な教室から野外へ子供たちをつれだしました。教室では得られない自然の歴史、地理を学びました。これをシルマンは、『移動学校(ワンデルンデ・シュール)』と呼びました。そして、この移動学校から、ユースホステル運動が誕生するのです。

 1901年。シルマン、27歳。
 彼は、ルール地方の中心地ゲルゼンキルヒュンで教職につきました。

 シルマンは、公害の巣窟である都市にすむ子供たちに、ラインを流れる機械の部品のように学校という工場で量産されつつある子供たちに、ワンデルンデ・シュールを実行したいと願ったのです。そして、町からほんの2〜3キロ離れたウェストファリアンの丘まで子供たちを遠足につれていきました。幼ない子供たちの瞳は輝き、よろこびのあまり歓声をあげました。

「わあッ、魚だ」
「ほんと、生きた魚だよ!」

 なんと、ルールの子供たちたちは、これまで生きた魚を見る機会さえ、めったになかったのです。これが明治36年のドイツのルール工業地帯の現状でした。

 1903年。シルマンは、アルテナの学校に転勤しました。

 アルテナは、樹木の豊かな清々しい町でした。今までいたルール工業地帯の都市とは大違いでした。しかし、このような恵まれた環境に住みながら、町から一歩も踏み出したことのない子供が多かったことには驚かされました。
 どんなに緑の豊かな地方においても、産業革命と近代化の進んだドイツでは、子供たちが自然のフィールドで遊ぶということは起こりにくかったようです。
 そして、それは、今日の日本でも同じかもしれません。緑豊かな田舎に住んでいる日本の子供たちでも、自然のなかで遊ぶ子供たちは少なく、むしろ家から一歩も出ないでパソコンゲームばかりしている子供たちが多かったりします。つまり、当時のドイツも、現在の日本も同じようなものであるのかもしれません。

 シルマンは、ドイツの田舎町で、ワンデルンデ・シュールを実施することにしました。

「こんもり繁ったぶな林で歌をうたう方が、教室に閉じこもったままの勉強より二倍もすばらしい。地理や自然の歴史の勉強は、こんなふうに田園地方を探索することで十分だった。それにまた、子供たちのよろこびようは大へんなものでした」
(シルマン談)

 けれど、一つ問題がありました。

当時は、適当な宿泊施設が無かったのです。

 そのためシルマンは、宿泊所の確保に四苦八苦しました。
 あちこちに無料の宿泊施設の提供を求めて手紙を書きました。

「納屋でかまいませんから子供たちに貸してくれませんか?」

 1909年の夏、シルマンは、アルテナを始点にライン川沿いにアーヘンの丘陵地帯を抜ける8泊徒歩旅行を計画しました。

 第一日目、一行は納屋に泊りました。そこは、とても快適で、農家の主人の親切な心くばりで毛布までも用意され、プラムに新鮮なミルクまで出されたのでした。

 第二日目。8月26日。

 一行は、風雨の激しい最中、ブレール・バリィにたどりつきまとた。そしてシルマンは、農家に納屋を利用させてくれるよう頼みましたが、その家の主人は、協力をことわりました。それでもどうにかこうにか、ワラを少しだけもらえないかとたのみ、わずかばかりのワラを携えながら、シルマンと子供たちは、村の学校をたずね、ようやく先生の奥さんの許可を得て、そこに泊ることができました。

 嵐は、一晩中続きました。雷鳴、稲光、強風、豪雨、雲とそれはさながらこの世の最後を思わせるほどでした。もし、村の学校の奥さんに断られていたら、シルマンと子供たちはどうなっていたでしょうか? まさにシルマンの旅は『冒険』そのものでした。

「こんな事は繰り返されてはならない」

 子供たちが眠っている間、シルマンの脳裏に稲妻が走りました。
 そして天空にも稲妻が走っていました。

「そうだ、ドイツ国中の学校が、休暇中、宿舎(ホステル)として提供されれば、こんな危険な目にあわなくてすむ。学校を利用すれば、子供たちのために、安全で簡素で格安な『ユース・ホステル』を作れる! そうだ、ユースホステルを作ろう! ドイツ中の学校に呼びかけて、全国にユースホステルを作るんだ!」

1909年。アーヘンへの旅行第二日目の8月26日の夜。
ブレール・バリィで宿泊所の欠乏に気付いたその日こそ、
ユース・ホステル運動が誕生したのです。


8月26日は、そんなシルマンを忍ぶ、
シルマンデー(ユースホステルの日)として、
ユースホステルの創始者リヒァルト・シルマンを
記念する日となっています。


そして、今日が、ちょうど100年目なんですよ!

schirrmann-001.jpg

リヒャルト・シルマンを詳しく知りたい人は、
下記サイトをごらんください。

http://www.shiruman.net/


つづく。

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posted by マネージャー at 11:50| Comment(3) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月28日

日本ユースホステル史の源流8

日本ユースホステル史の源流8

つづきです。

 明治十八年七月二十日。
 鹿島城の隣の武家屋敷に男の子が生まれました。
 田澤義鋪(たざわよしはる)と名付けられました。

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 田澤義鋪の父、義陳(よしのぶ)は、藩主鍋島直彬に仕えて、明治維新を体験した人でした。鹿島藩の禄高はサバをよんで二万石。実質八千石の小藩であり何度も取りつぶされそうになった藩でしたが、藩政改革により逆転ホームラン。つまり、九州一の富裕藩に変貌し、軍事力をたかめて、庶民を豊かにし、その余勢をかって、佐幕気味だった佐賀本藩の藩論を勤王倒幕に誘導し、薩長土肥連合軍をつくりあげ、一挙に倒幕をはたしました。

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 しかし、この逆転ホームランは、六歳の藩主・鍋島直彬を英才教育し、その人徳をもって藩のパワーを巨大化させるという信じがたいホームランでした。明治政府は、天皇の側近に奉仕して常時補佐する、侍補という官をつくり、人格識見ともにすぐれた人物八人を任命しましたが、真っ先に鍋島直彬を任命しました。鍋島直彬の人徳が、いかに優れていたかが分かるというものです。


 鹿島藩の維新での功績は、佐賀本藩の藩論を勤王にひっくりかえしたことであるし、戊辰戦争での活躍もめざましいものがありましたが、明治政府は、鍋島直彬に、その人徳見識をたよりにしたという点がユニークなところです。そして明治二十年ころ、アメリカ人が、福沢諭吉に、日本の代表的紳士三人の選定をたのんだとき、福沢がまっさきにあげたのは、鍋島直彬でした。

 この鍋島直彬は、維新後、ほとんどの華族が郷里を捨て、東京に移り住んだ中で、鹿島に住みつづけ、地方の文化と産業のために尽しました。そして私財を投じ、郷土の少年たちの中から人材を養成し続けました。鹿城会を設置し、経済的に恵まれない子弟の育成に力を注ぎました。

 その鍋島直彬が、田澤義鋪に目をつけたのです。


つづく。

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posted by マネージャー at 23:45| Comment(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月06日

日本ユースホステル協会・家山理事長御逝去

日本ユースホステル協会・家山理事長御逝去


今日、1月6日早朝、
日本ユースホステル協会理事長の家山さんが
お亡くなりになりました。
謹んで、お悔やみを申し上げます。



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 癌だったそうです。
 あまりに急な、あまりに早い死でした。
 まだまだ働き盛りだったのに。

 現職理事長が、任期中に、お亡くなりになるのは、本当に悔しいことです。志なかばで、天に召されるのは、不本意であったかもしれませんが、今は、ただ、安らかに成仏されることを祈ります。

 葬儀は、1月9日。
 金沢で行われるそうです。

 私も葬式に駆けつけたいところですが、あいにくの連休。
 動けません。

 リヒャルト・シルマン伝の推薦文を書いてくれた家山理事長、
 ほんとうにありがとうございました。
 家山理事長のおかげで、
 日本ユースホステル協会の資料を自由に見ることができました。
 おかげで、日本ユースホステル史の本が書けそうです。
 本ができあがったらお墓にもって参ります。

合掌。


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平成22年1月6日
関係各位
      訃報

日本ユースホステル協会理事長 家山勉儀には、病気療養中のところ肺がんのため、1月6日(水)午前8時20分に逝去いたしましたのでご通知申し上げます。(享年75)ここに生前のご交誼を深謝し、謹んでお知らせ申し上げます。なお、葬儀等は家山家及び本協会の合同葬として下記のとおり執り行いますのでお知らせいたします。

1.通夜:1月 8日(金) 19:00から
2.葬儀:1月 9日(土) 10:00から11:00
3.会場:オークス・セレモニーホール金沢
  TEL:076−253−1194
  FAX:076−251−9944

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posted by マネージャー at 19:44| Comment(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月26日

お見舞い

 ユースホステル関係の恩人が、重病と聞いて、すっ飛んで、お見舞いに行ってきました。本当なら花でも買って持っていくところなのですが、なにせ重体とのことなので、水沢観音に寄り道し、病気平癒の願をかけ、御札と御守りを買いました。

「一番大きい、おふだください」
「これが一番大きいものです」
「大きい方が、御利益ありますよね」
「御利益なら護摩を御願いした方が」
「時間かかります?」
「すこし」
「じゃあ、これでいいです」

IMG_3662.JPG

と病院に御札と御守りを持ってかけつけてみると、そこには痩せ細った恩人が酸素マスクに点滴をうけて寝ていました。なんというか、胸が詰まりました。元気だった姿を知ってるだけに、やりきれない気持ちになりました。

 そのうち、恩人が、さかんに私に話しかけようとしてくれるのですが、酸素マスクをはずして、かえって病態を悪化させかねないような状態だったので、そうそうに退散せざるをえなかったのです。

 病室には、御親族の方が、交代で番をしていました。私が、訪れたときは、優しそうな姪御さんがおられ恩人の手を握らせていただきました。こんな事なら、もっと早く見舞いにくればよかったと、悔しくてなりませんでした。だって元気満々で、一時は、病気が治ったと思ってましたから。

 実は、この恩人の伝記を書くつもりでいました。恩人は、その昔、群馬県の観光関係の総トップ的存在であり、皇后陛下ともおしりあいであり、北軽井沢や、軽井沢とも深く関わり合いのある人でした。今いちど元気な姿となって、昔の話を聞かせてほしい。

 みなさん。
 みなさんも、健康には気をつけてください。
 金よりも、仕事よりも、健康です。
 健康が一番です。



つづく。

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posted by マネージャー at 03:22| Comment(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月16日

巨星墜つ1 河野功先生を悼む

巨星墜つ!

 群馬県ユースホステル協会を立ち上げた河野功先生が、
 本日、13時頃に、お亡くなりになりました。

 17日(水)18時から、つや
 18日(木)12時30分から告別式です。
     会場は、メモリード前橋典礼会館



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 河野功先生は、群馬県ユースホステル協会を立ち上げた人ではありますが、それだけの人ではありません。群馬県の観光公社をたちあげ、群馬県の観光開発を大きくすすめた張本人でもあります。

その河野功先生は、軽井沢とも縁のある方でした。終戦後、間もない頃に三笠ホテルのプールで監視員のアルバイトをしたり、軽井沢の観光関係で働いたりしたと聞いています。軽井沢のことは、何から何まで知っていました。私より詳しかったです。その後、日本工業新聞社の記者になり、そして群馬県の観光公社で働きますが、県営ゴルフ場を大量につくり、群馬県のドル箱にしたものでした。

 日本ユースホステル協会の理事も務めました。有名なアドベンチャー集団DOの前身である「ガキ大将スクール」を群馬県ユースホステル協会で立ち上げ、毎年、何千人という子供たちをユースホステルに入会させ、そして、多くの青少年たちを育成させました。これがアドベンチャー集団DOになり、群馬県ユースホステル協会の事務所になっています。

 ちなみに群馬県には、全盛期には、17ヶ所のユースホステルを群馬県に設置しています。現在、ユースホステルを廃業し、ホテルやペンションに転向した施設も多いのですが、それらのオーナーにユースホステルの話をすると、みんな目を輝かせて
「河野さんは元気か?」
「河野さんには、御世話になったんだよ!」
と私に話しかけてきます。あらためて河野功先生の偉大さを知ったものです。

 また、長野県ユースホステル協会でトラブルがあった時、河野功先生が積極的に仲介に動いて感謝されたこととも、長野県ユースホステル協会の関係者からよく耳にしています。某役員の方が
「河野さんは、すばらしい人だ」
「私の恩人だ」
と私にしみじみ語っていました。


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 私がユースホステルを申請するとき、私はまず、河野功先生の面接をうけました。河野功先生は「まず人間をみたい」と言ってきました。施設を見に来たのは、その後でした。

 そして、日本ユースホステル協会の小俣さんが施設検査にやってきて、3日後に、ユースホステルの認可がおりました。異例のスピード認可だったと思います。おそらく3日で認可が下りたのは、北軽井沢ブルーベリーYGHが初めてだったでしょう。当時は、驚きましたが、あとで、河野功先生の根回しがあったことを知って、
「なるほど、そうだったのか」
と感謝したものです。


 このように河野功先生は、これでもか!というくらいに、私どもを贔屓してくださいました。河野功先生のおかげで、日本ユースホステル協会で、のびのびとやってこれました。背後にいつも河野功先生が、あたたかく見守ってくれていました。河野功先生のもとでないと、こんなに自由にユースホステル活動ができたかどうか疑問です。


Ph-002.jpg


 河野功先生は、リベラルな人でした。
 権力が嫌いでした。
 部下を思いやる優しい人でした。
 そのくせ、茶目っ気があり、
 酒とカラオケが大好きでした。
 四国河野水軍の末裔らしく、豪快な人でした。


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 そんな河野功先生は、私を群馬県異業種交流会に入れていただきました。ここでは、いろいろな業界の諸先輩方々にお会いできました。そして、いろいろな勉強をさせていただきました。群馬県知事選挙の応援活動もさせていただきました。今となっては懐かしい思い出です。

 かえすがえすも残念なことは、河野功先生の伝記が書けなかったことです。河野功先生は、ほんとうに面白い人生をおくっておられ、その一生は、波瀾万丈であり、抱腹絶倒な生き様なのですが、それを記録に残せなかったのが残念でなりません。



河野功 プロフィール

 日本ユースホステル協会が創立して間もない頃に群馬県YH協会を創設する。その後、各地のユースホステルのマネージャーをへて県営観光開発公社で取締役として活躍し、群馬県営の観光施設を次々と立ち上げ、群馬県の観光に多大な功績を残す。バブル崩壊後は、膨大な赤字を処理するために、自らの首を切ることによってリストラを決行。県知事ほか大勢の人たちの慰留も断って野に下った。

 柔にして立、剛にして塞、簡にして廉。その人徳は、野に下った無冠の河野氏を世間は放置せず、県知事は、氏を特別表彰して、勇退を惜しみ、また、氏を慕う多くの人々が、自主的に氏のもとに集まって、梁山泊のごとき様相をしめし、氏を慕う者たちによって異業種交流会『きずな』をたちあげるにいたった。また、群馬県ユースホステル協会においては、各種の活動を精力的に行い、何度も日本ユースホステル協会から表彰される。


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追伸
告別式では、受付などの下働きをやらせていただきます。



つづく。

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2010年02月17日

河野功先生を悼む2

河野功先生が生前に、私たちユースホステルマネージャーに熱く語っていたことを紹介したいと思います。群馬県ユースホステル協会理事長が、世界に向けてインターネットにて発進していたユースホステル運動論です。

http://kaze3.com/gyh/5-mam/kouno1.htm より紹介します。
2002年に谷川岳ラズベリーユースホステル曽原マネージャーが、
インタビューした時の内容です。

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曽原

 今日は、河野さんのユースホステル運動論を聞かせていただけたらと思います。今後、私たちマネージャーは、ユースホステル運動をどのように考えていけばよいのでしょうか? そのへんのところをズバリ本音で聞かせて頂ければと思います。

河野
 
 あの、ちょっとね、エキスだけちょっとお話しておきますがね・・・・その、三位一体(協会・指導者や施設・会員)という意味を、ちょっと解説しておきますとね。

 まず協会。

 地域協会を含めて、協会とは、ユースホステルの会員になる機会を、できるだけ提供するという事。会員になるためのユースホステルの情報を皆さんに提供すること。これが大きな仕事なんですよ。協会というのはいわゆるPR、ユースホステルを知らしめる、情報発信の場所と考えます。

 そして指導者。

 リーダーを育てるという事、ユースホステル運動のリーダーとは、現場を預かるペアレント、ユースホステルを経営するマネージャーが最大の指導者だと思っております。

 マネージャーは、運動の最大の実践者であると同時に、指導者であるという事。こういう風に理解しております。ですから、ユースホステルというのは施設的にも、ある程度、会員が望むような施設をユースホステルのスピリットに基づいて拡充していきたい。また、拡充してほしい。

 もう一つはペアレントの見識、が兼ね備わってきますと、その両輪が、ユースホステル運動の姿が、キッチリ見えてくると思います。そういう意味で、施設の重大性というのがあるわけです。

 会員というのはどういうものか。
 旅の手法、方法というのは、ありふれるほどある。

 その中で、ハートいわゆるホスピタリティを中心にした仲間意識のようなものもあるし、連帯感もあるし、そういうものを、うんと大事にしていただける旅を好む人たちのよりどころ、それがユースホステル運動に詰まっているような気がします。

 ユースホステルには、物質的には若干、時には、不足するかもしれませんけれど、全体の旅を通じた充足感というのはうんとあると思います。今回の旅行で、あそこで、ああいう人たちと会って、それが、モノより心にズシンと来る。

 見返りみたいなものね、それがこのユースホステル運動の本旨なんだなと思っていただければ、私たちは携わっている人間として、満足そのものですよね。それが、三位一体の仕組みだと思っております。


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曽原

 なるほど、協会・現場・会員を三位一体としているわけですね。


河野

 そこで、どうしてユースホステルは会員制なんだろう?
 という問題が一つあります。

 あまり触れたくないんですけれども、触れておかなければならないと思います。組織というのは何においても、お金が無ければ運営していけない、ホスピタリティ、ボランティアだけでは成り立たない部分ありますよね。その部分を、どこでどういう風に捻出したらいいのでしょうと、それから、無から、有を生じさせていくには、やっぱりある程度必要なお金だってあるわけで、例えば直営ユースホステルだってそうですよね。

 あれは、最終的に補助金や色々いただいていますけれども、
 基本的には皆さんの納める会費がああいう形になって現れています。

 ユースホステルは、日本には350くらいありますが、世界には74ヶ国が加盟しています。日本では12万人。世界では、320万人の会員、仲間がいます。そして全世界に4000のネットワークがあるわけです。それを利用して世界的な、国際的なネットワークのたびをする、そういう規模の団体は、ユースホステルしかないわけです。だから、これを大事にしないといけませんので、ここだけを見てもらっても、大変な存在なんです。

 このネットワークをうまく活用しながら、
 世界中を、若い人たちに見てもらいたいですね。
 それが私どもの一番望む所なんですね。

 で、先ほどの問題で、なぜ、会員制かといいますと、ある程度、負担能力というか、自分の小遣いを我慢すれば、学生さんだって、一年間の会費くらいは払えるでしょうと、ちょっと負担してよと、それで、自分のホスピタリティの一貫でもあると同時に、もう一つは、仲間意識というかね、それともう一つは
「俺たちが参加している」
という自意識が生まれてくるだろうと。

 そのために応分の負担をしてくださいと。

 ところが、子供がいるよね、少年会員。

 その子供たちは、まだお小遣いももらえない世代ですから、この世代、つまり少年会員がどうしても伸びてないんですよね。本来は少年会員にターゲットをもたなきゃいけませんので、これをどうしたらいいかってんで、正直言って私は、日本協会の中に、少年会員を無料にしたらどうでしょう?

 これは、際限なく無料ということではなく、ユースホステルの門を叩いてくれた人は、会費貰わなくてもいいじゃないかと。そうして子供たちがだんだん少年から青年になり、成人になった暁には、正規なメンバーになっていただくとして、いま、子供たちが門を叩いてくれたら、それは無料にして会員と同じようなと同じような待遇をしたらどうだろうと、言うふうに私は運動の方向を考えて、リードしているといったら語弊があるかもしれませんけれども・・・・思い上がりがありますが、私はそういう事を、提唱し始めています。

 私は、近い将来、それが、実を結ぶんじゃないかな?
 と思っております。
 ま、そんな事を、今日は伝えたくてしょうがなかったですね。

 それはね、ユースホステル運動に携わる私たちを、うんと勇気付ける方向なんですよ。なぜかって言うとね、我々が協会の運営の為に、運営費を生み出すために、会員を増やしてる、というふうに受け取られかねないような風潮、世相の中でね、そうじゃないんだと、時代を担う少年たちに夢を持ってほしいと、夢がユースホステルでは叶うんだよと、いうことを教えてあげたい。


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曽原

 小学生は無料入会というアイデアが実現したら素晴らしいことですね。ガキ大将スクールを設立し、日本で最も大勢の少年会員を河野さんならではのお考えですね。


河野

 それからもう一つ、今、学校がご承知のように、荒れ放題。これは教育の批判じゃないけれども、やっぱり、荒れてますよね。中学生がナイフで人を刺したとか、小学校のイジメだとかね。本当の意味の本当の勇気を、真の勇気をもてる、運動というのがこのユースホステルのなかにあるわけです。

 こういうものを、是非、世の中に知っていただき、参加していただくために、我々がやらなければならないもの一つとして、ユースホステルの運動があります。ユースホステルに行けば、それを自分で体感できるわけです。

 で、いま、なんか、会員になってください、といいますと、勢力の拡大かと言う風な見方をされがちですので、それを、やっぱり、どこかで、本当の心を知ってほしいですと、いま、私が申し上げているような、方向なんですね。

 ですから、是非、夢を、地域の協会の関係者、あるいはユースホステル関係者、先輩、現役、そういう自信を持って、今度ユースホステルいってみませんか?と隣の子供たちに声掛けられるような、運動にしていきたいですねと、それが一つの、ターゲットに置いている部分です。それを是非知っていただきたいのです。
 
 それからそれをね、教育関係者だとか、世のお母さん方とかに、ユースホステルを使って人間形成の手段として役立ててもらいたいと、こんな社会的意義を、私は考えています。

 と言っても私たちは教育者だとか何とか、そういうことじゃなく、運動というのはそうあるべきだと、世の中の人たちに訴えたい、また、そういう意味で、ユースホステルの仲間に、元気付けてあげる、そういう方向へ、とにかく今だって潜在しているわけですから、それを掘り起こして、原点に戻れるような、原点に戻って、自分が運動体の一人であると、意識してほしい。ま、そんなことが、わたしは夢として持っております。今日はそんな話ができればと思って・・・・、三位一体とは、そんなふうに考えていたんです。


曽原

 今日は、貴重なお話、ありがとうございました。


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聞き手・谷川岳ラズベリーユースホステルマネージャー 曽原正俊

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つづく。

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2010年02月18日

河野功先生の告別式

 群馬県ユースホステル協会を立ち上げた河野功先生の告別式が、無事終了しました。弔電をくださいました関係者の皆さん、遠路はるばる御出席いただきました関係者の皆様、また、お通夜に来られました関係者の皆様。日本ユースホステル協会様。ありがとうございました。また、忙しい中、御出席いただきました、衆議院議員中曽根弘文様。ありがとうございました。

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http://www.hiro-nakasone.com/index.html

 さて、報告です。
 当日の北軽井沢の風景です。
 スノーシュー日和だなあと思いつつ、北軽井沢を後にしました。

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 これが告別式の風景。
 大勢の人たちが御出席されました。

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 祭壇です。

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 河野功先生。

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 福田元総理と河野功先生。
 現日本ユースホステル協会会長でもあります。

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 森元総理と河野功先生。
 前日本ユースホステル協会でもあります。

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 このように多くの議員の先生方とご親交がありました。

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 話はそれますが、このように、日本ユースホステル協会は、自由民主党と繋がりがあります。その理由は、自由民主党が積極的に日本ユースホステル協会に金を出してきたからです。

 例をあげますと、岸総理。

 日本ユースホステル協会が、国際ユースホステル会議を開いたとき、金がありませんでした。金を工面できなかったのです。そのために外国の要人たちが泊まっているホテル代も出せなかった。そこで中山正男副会長は、時の総理大臣、岸信介に土下座してたのみに行ったのです。

 もちろん政府が出せるわけがない。

 予算というものは、国会の審議によって決められるわけですから、総理大臣といえども出せない。しかし、岸総理は、「ここで日本が恥をかくわけにはいかない」と、官房長官に命じて、内閣官房費から資金援助しました。こうして日本ユースホステル協会は、息をつぎました。

 また、こんなこともありました。
 佐藤栄作総理の時代のことです。

 日本ユースホステル協会の顧問をやっていた大宅壮一氏と、中山正男副会長が、青年の船を企画しましたが、資金難で企画倒れになりそうになりました。そこで二人が、佐藤栄作総理大臣に、明治100年祭の企画として、政府に青年の船を造らせるように働きかけました。そして佐藤栄作総理の英断で、それが実現し、団長に日本ユースホステル協会の横山祐吉理事長が就任するのです。また、これを後押ししてくれた人の中に、福田赳夫元総理がいます。そして、その息子さんである福田康夫元総理大臣が、現日本ユースホステル協会の会長をやっています。

 このようにユースホステル協会と自民党は、深い繋がりがあるわけですが民主党が政権をとるに至って、現在ユースホステル協会は苦境にたたされています。見事に事業仕分けされてしまいました。やんばダムと一緒です。ユースホステルよりも、子共手当なのです。まあ、これ以上は、政治の話になるので差し控えましょう。


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 弔辞は、4人の方が読まれました。
 私の涙腺は、壊れっぱなしでした。


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 御出席されたユースホステル関係者の皆さん、
 本当にありがとうございました。

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 ちなみに群馬県ユースホステル協会は、関係者の努力によって
 なんとか存続の方向でおちつきました。
 私としては、ホッと一息です。


つづく。

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2010年02月20日

河野功先生を悼む3

河野功先生を悼む3
 
 最後に河野功先生が県営観光開発公社で活躍したことについてのお話です。本当は、伝記を書いて本にしたかったのですが、先立たれては、あきらめざるをえません。

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 県営観光開発公社という名前を聞いて、たいていの人は、ピンとくると思いますが、よーするに群馬県の役人の天下り用特殊法人です。ですから、現在は県営観光開発公社は存在していません。しかし、この特殊法人で、じゃんじゃん実績をあげて、税金を吸い上げるどころか、税収に寄与したのが河野功先生でした。こういう特殊法人は、ちょっと珍しいのではないでしょうか?

 河野功先生は、この県営観光開発公社で、最終的に常務取締役にまでのぼりましたが、彼は天下った役人ではなく、平から入った一兵卒でした。その一兵卒が、県営観光開発公社のトップになったのですから、信じがたいことです。凄い実績をあげたためなのです。

 その実績について、ちょっとお話をしてみましょう。
 まず河野功先生とユースホステルの出会いです。
 昭和28年のことです。
 赤城山に、ボロボロの山小屋みたいなロッジがありました。
 青雲荘といいます。
 これが群馬県の第1号ユースホステルでした。
 (昭和43年に廃業しています)
 ちなみに第2号ユースホステルは、水上にある土合山の家です。
 (山屋には有名な宿で、現存しています)
 こちらも、当時は、ボロボロの山小屋みたいなロッジでした。

 当時、赤城山には、ほとんど建物が無く、ボロボロの青雲荘ぐらいでした。そこがユースホステルに加盟したわけですが、河野功先生は、たまたま、そこに泊まることによって、かなりの衝撃を受けました。皿を洗い、布団をたたみ、部屋掃除をしている青年たちが、見返りに格安で泊まっている。そして歌を歌い、ハイキングなどをしている。健康的で素晴らしい活動をしている。聞けば、ユースホステル運動であるという。
「これは素晴らしい」
と感激した河野功先生は、日刊工業新聞社を退職し、赤城山青雲荘で働き始めました。



 この赤城山青雲荘の経営母体は、群馬県観光開発公社でした。群馬県の天下り先であり、税金のかかるという噂の特殊法人であったのです。その特殊法人で河野功先生は、めきめきと頭角をあらわしました。ユースホステル赤城山青雲荘は、施設がボロボロだけに特色を出すしかありませんでした。なにせマイナス20度も気温が下がる真冬に、ろくな暖房もなく、風呂板は、凍り付いて、湯を流さないと歩くこともできないほど、今では、考えられないボロ宿でした。

 交通の便も悪かったし、スキー場もろくになかった。それどころか民家も売店も無かった。そんな立地にあった赤城山青雲荘に大勢の人を呼ぶために、スケートとワカサギ釣りで売り出しました。当時は、スキーはブルジョワでないとできなかった。けれどスケートワカサギ釣りは、貧乏人にもチャンスはあったのです。ユースホステルを使う貧乏人には、ぴったりの企画だった。若い人たちが、赤城山青雲荘にワンサカおしかけました。

 河野功先生は、この若い人たちに何かサービスしたいと思いました。しかし金はない。で、どうしたかといいますと、農家から大量の柿を仕入れてきて、それを凍らせてとっておいた。冷蔵庫はいらなかった。天然の万年雪があった。それを冬に、柿シャーベットとして、ホステラーに出しました。これが好評でした。

 さらに河野功先生は、友人を動員した。遊び友達は大勢いましたから、いろんな人たちがやってきてサポートしました。そして、群馬県ユースホステル協会を立ち上げました。県の社会教育課、体育課、観光課、前橋グループなどが中心となって、関係各団体を集め、昭和34年9月20日に設立総会を開き、県営観光開発公社内において事務局を開きました。そして、次々と県内の宿泊施設をユースホステルとして認可していきました。

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 長野原町に、艮山荘農園YH(現ペンション・上の写真)・萩原YH(現萩原建設)が設立。嬬恋村に、高峯高原ロッジ(高峰温泉)・ヤマタ旅館(バラギ温泉・体育館付で150名収容の旅館)・豊国館(万座温泉)などがユースホステルとなりました。これらは今でも旅館やペンションとして残っています。

 そして六合村にも、尻焼き温泉として有名な関晴館がユースホステルになりました。高崎観音の慈眼院も、伊香保温泉も、妙義山の玉屋旅館もユースホステルになりました。

 さらに、榛名山にも三軒、草津にも二軒、水上に三軒、奥日光・菅沼にも、尾瀬にもユースホステルができました。そして、県内に18軒のユースホステルができあがり、会員数は9000人を超えるほどにもなりました。

 興味深いことは、これらのユースホステルの大半は、後に有名旅館やペンションとして大きく羽ばたいていることです。つまりユースホステルによって資金をかせぎ、その資金をもってワンステップ上の経営形態になったところが多いことです。なかでも高峯高原ロッジ(高峰温泉)などは、今でもユースホステルぽさが残っており、ネイチャーウォッチングを武器として、自然ガイドに力を入れており、その経営形態をもって多くの御客様を集客しています。

 これは群馬県観光開発公社も同様でした。

 ユースホステルの勢いを利用して業績をあげ、国民宿舎・キャンプ場・県営ゴルフ場を次々と建設していきました。嬬恋村にも、バラギ湖に群馬県立バラギ高原青少年野外活動センターを設立し、独自のフォークダンスをつくり、ダンス音楽を作ってレコードまでだしました。その施設は、当時のキャンパーに絶賛されています。残念ながら数年前に閉鎖されてしまいましたが。

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つづく。

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2010年02月22日

河野功先生を悼む4(最終回)

河野功先生を悼む4(最終回)

 つづきです。

 群馬県ユースホステルは、河野功先生の努力によって会員9000人、18ユースホステルという急成長を達成しました。県内最大の青少年団体となったのです。昭和39年と昭和42年には、ラリーを開催し、尾瀬に数百人の若者を集めました。この尾瀬ホステリングは定例化されていきました。

 昭和41年には榛名高原でラリーを行いました。この時は、高崎経済大学の大活躍によって、大成功をおさめ、ユースホステル新聞群馬版も発行されるようになりました。
 
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 ただし、暗い要因も見え始めていました。昭和47年をピークに、ユースホステルの会員が減少し始めたことです。これは、群馬県にかぎったことではなく、日本全国でみられた共通の現象でしたが、この原因に、高校生グループ連合会の廃止があります。

 どういう訳か、日本ユースホステル協会は、文部省の指導を受けて高校生のユースホステル活動をやめさせてしまった。これはユースホステルにかぎらず、政治活動も含まれており、現代でも日本の法律では、高校生の政治活動はできないことになっている。ユースホステル協会は、そのアオリを喰ったかたちになるのですが、これがユースホステル運動衰退の第一原因になったのです。

 ユースホステル運動が日本で急速に発展した理由の第一は、高校生の活動にありました。当時は、高校生の旅行などは贅沢なものとして世間から白い目で見られていました。その高校生に『一人旅は教育の一環である』と囁き、金のない高校生たちに格安の宿を提供したのがユースホステルであり、歩きやサイクリングで旅をしなさいとすすめたのがユースホステル運動でした。

 当時の高校生たちは、これに飛びついたのです。そして高校生たちが、やがて大学生や社会人になった後もユースホステルを使い続けたんですね。これを日本ユースホステル協会は、文部省の指導の下に廃止してしまった。具体的に言うと高校生グループ連合会を廃止してしまった。で、ユースホステルの会員数が激減しはじめたのです。これは、当時、高校生だった高校生グループ連合会の人たちから聞いたはなしです。

 しかし、河野功先生をはじめとする群馬県ユースホステル協会の人たちは、これを指をくわえて黙ってみてませんでした。

 昭和五十五年の春、東京都ユースホステル協会と組んで「わんぱく大作戦」と呼ぶイベントを実施しました。東京都協会の少年会員百名が榛名湖に招待し、群馬県ユースホステル協会の少年会員百名が、それを迎えたのです。そして新しい陣取り合戦をくりひろげ、青空の下、歓声を上げ、楽しみを分ち合いました。

 このイベントを皮切りに、アドベンチャー集団DOを設立。
 小学生を対象に「遊び」をテーマにした各種イベントを企画し実施したのです。
 その企画力、行動力は当時のマスコミにも取り上げられたほど新鮮で、しかもユニークなものでした。

 群馬の秘境と云われる多野郡上野村の鐘乳洞探検を試み、子供達に勇気と夢を与え話題を呼びました。少年リーダーとともに「何かをする集いの会」を開き遊びの少年塾(後のガキ大将スクール)を形作って行きました。

 昭和五十六年七月は、これらの経験を基として群馬県観光課が主催する観光宣伝事業をバックアップ。千七百人の「わんぱく大作戦」を榛名湖で実施、大成功を収めました。

 昭和五十七年の夏は、利根川を手作りのイカダで下る「チャレンジ・オブ・トネ」を実施。

 さらに上野村で第一回の「がき大将スクール」の構想が持ち上がりました。

 主催者をどうするか論議がありましたが、結局群馬県ユースホステル協会は支援団体となる事で「アドベンチャー集団DO」がすべての責任を持ちスタートする事となりました。

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 昭和五十八年までの実績は未だ趣旨が徹底されず低調でしたが、翌五十九年には参加者が千人を超え、これにならって本県の少年会員が大きく伸び、協会創立以来の九百二十二人を記録して、本部より表彰を受けました。

 昭和六十年夏、日航ジャンボ機の御巣鷹山墜落事故が当スクールのフィールド周辺で発生、これに伴い同スクールイベントが中止を余儀なくされ、以来数年の間その影響を受け低調でしたが、平成に年号が変わった年より同事業も回復、本年十年目には千三百人ほどの参加者を得ています。

 この間冬期間の榛名ユースホステルさらには草津高原ユースホステルを拠点としウインタースクール等を開催、地域イベント作りのリーダー役としてユースホステルの存在をアピールしてきました。

 さらに日本ウォーキング協会と提携し、「全国自然歩道を歩く大会」、さらに県単事業として「赤城に向かって一斉に歩こう大会」などを実施しました。



 また、群馬県ラリーを開催し、
 大勢のユースホステル関係者を集めました。

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 会場は、嬬恋村にあるホテルグリーンプラザ軽井沢です。
 バラギ湖にある群馬県立バラギ高原青少年野外活動センターでも、
 そのときは大々的なイベントを行っています。

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つづく。

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アドベンチャー集団Do!
代表者黛徳男
設立昭和56(1981)年3月
所在地〒370-3348
群馬県高崎市榛名湖町854

電話027-320-5003
FAX027-374-9292
公式サイト
http://gakidai.com/
E-maildo@gakidai.com
スタッフ専従4名非常勤3名キャンプリーダー40名
キャンプフィールド群馬県:旧群馬郡榛名町・多野郡神流町
吾妻郡草津町
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2010年03月03日

日本ユースホステル協会・新理事長に水野事務局長が就任

日本ユースホステル協会・新理事長に水野事務局長が就任

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 去る2月24日(水)開催の理事会において互選の結果、
 水野宰氏が選任されて同日就任しました。

 水野新理事長は、昭和39年に家山理事長と同期に日本ユースホステル協会に入り、一時期定年退職の期間もありましたが、家山前理事長からの要請により嘱託として平成19年7月から事務局長としてやってきましたが、今回、新理事長になりました。

 ユースホステル業界は、事業仕分けにより苦しい立場にありますが、新理事長のもとに各自の努力によって、この難局を乗り越えて行くしかありません。

 さて、日本ユースホステル協会の事業計画が、先日、発表されたのですが、その中にユースホステル運動の本来的目的に沿って、自然の中での子供体験や国際性を活かしたプログラムの提供を行うこととするとあります。

 それから「じゃらん」や「楽天」を通じて「宿泊」を販売しているユースホステルも多いですが、今後は「宿泊」をメインにするのではなく、各YHで行っている「プログラム」をサイトで販売し、併せて宿泊してもらうという計画もあるようです。新しい日本ユースホステル協会の動向にちょっと注目しています。

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つづく。

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2010年05月13日

日本ユースホステル協会のマネージャー研修会

5月13日と14日は、日本ユースホステル協会のマネージャー研修会。
去年は嫁さんが参加しましたが、今年は私が久々に参加します。

場所は代々木ユースホステル

 このユースホステルは、事業仕分けで、もうすぐ無くなってしまう可能性のあるユースホステルです。子ども手当の犠牲になったわけですが、なんとかならないかなあ。今回で泊まりおさめになるのかなあ。

 現在、ユースホステル運動は、民主党の事業仕分けなどの、さまざまな逆風に曝されていますが、
「こんなことで負けてたまるか!」
と思いますね。

 たとえ他のマネージャーがあきらめても。私だけでも、なんとかして、それを切り開いていきたいと考えています。ユースホステル側も、もう他をあてにするのは無理がある。そういう時代ですから。その第一弾として、ペンションを売却して北軽井沢ブルーベリーYGHの設備投資を大規模に行いました。そして野鳥の森を北軽井沢ブルーベリーYGHの庭につくり、たくさんの野鳥たちをあつめつつあります。

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 第二弾は、ユースホステル運動の本の出版です。
 毎年少しづつ合計10冊の本を出す予定です。
 ドイツから持ち帰った貴重な資料も
 大勢の御客様の力を借りて翻訳中です。

 第三弾は、巨大ホームページの設置です。
 ユースホステルを慣れ親しんでもらうための
 ホームページの設置です。
 これは、うちのユースホステルの宣伝でなくて、
 うち以外のユースホステルに対する賢い利用方法です。

 他にも色々とありますが、それは徐々にやっていきます。
 日本のユースホステル運動の原点を作った田澤義鋪&下村湖人は、
 かって、このように叫びました。

「虚空に矢を射る」

 まさに、そんな気分です。
 では、いってきます。

つづく。

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posted by マネージャー at 05:59| Comment(6) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月25日

ユースホステルから日本中に広がった歌の伝説

ユースホステルから日本中に広がった歌の伝説


 1960年代の終わり頃のことです。
 大勢の若者がユースホステルを使って旅をしていました。
 若者たちは、旅先でよく歌いました。
 ユースホステルのミーティングで、夜の語らいで、よく歌いました。
 1960年代は、歌の時代でもありました。

 レコードは高価であり、カセットテープも、ラジオも、テレビも高価でした。楽器も安くはなかった。だから人々は、歌を愛したのかもしれません。フォークソングが若者の心をとらえたのも、この時代です。特にユースホステルを使って旅する人たちは、歌を好みました。歌を聴き、自らも歌いました。

 これは日本だけの現象ではなく、ユースホステル運動の本家ドイツでも同じであり、ユースホステル運動を創設したリヒャルト・シルマンも、歌をこよなく愛した一人でした。ヨーロッパのユースホステルでも若者たちは、よく歌ったものでした。

 ところで、1960年代末に、北海道のユースホステルで、
 こんな歌が流行しました。



 ♪白い花ゆれる あの人の胸に
 ♪いとしい人の 口づけにゆれる




 実は、皆さんが良く知っている曲なのですが、
 誰が作った曲か誰も知らなかった。
 作詞も作曲も誰なのか分からない。
 その誰が作った曲かわからない歌が
 全国のユースホステルに広まっていた。

 あまりに旅人の心を揺さぶる曲であったために、
 旅人たちが好んで口ずさむようになったのでした。
 その歌は、いつしか北海道の歌声喫茶や、
 温泉宿に泊まる旅人の間でも歌われるようになりました。

 当時、ユースホステルは、
 いまでいうインターネットのようなものでした。


 その歌を旅先で偶然にも知ったミュージシャンがいました。
 日本を代表するフォークグループ
『赤い鳥』後藤悦治郎です。
 赤い鳥といっても若い人にはピンとこないかもしれませんが、代表作の

「翼をください」
「竹田の子守唄」

を知らない人はいないでしょう。




http://www.youtube.com/watch?v=7in5rpYU584


日本を一世風靡したグループであり、解散後に

『紙風船』
『ハイ・ファイ・セット』
『ハミング・バード』

に3分割されて、それぞれ

「冬が来る前に」
「卒業写真(荒井由実の作詞・作曲)」
「さだまさしのプロデュース・編曲」

と、その後の日本音楽会をひっぱってきたグループでした。

http://www.youtube.com/watch?v=stL-KPx5MNQ&feature=PlayList&p=A1032B0E9946C70B&playnext_from=PL&index=0&playnext=1




 そのグループでギターをやっていた後藤悦治郎が、
 北海道の帯広の奥地、然別湖にある
 山田温泉ユースホステルで旅人たちが歌っていた無名の歌に感動し、
 レコード化し、これが大ヒットしたのです。

 その曲名は後で述べるとして、この歌を作った人は、
 中林三恵さん
 という無名の群馬県の人でした。


 中林三恵さんは、群馬県太田市の人で高校時代に散歩しながら自作の歌をつくりました。その後、群馬大学に進学。1964年秋に大学で「クラブ対抗コーラス大会」が行われ、その大会で中林三恵さんの所属する美術部で、そのを歌ったところ、その曲が群馬大学の学生の間に広まりました。

 そして、その歌は、ユースホステルを使って旅する群馬大学の学生さんによって数年後には北海道の然別湖にある山田温泉ユースホステルにたどり着きます。ひょつとするとユースホステルが、広めた歌の第一号かもしれません。その歌の名は、
「赤い花白い花」
です。

 下の動画をクリックして聞いてみてください。
 感動します。じわーっときます。





 どうですか?
 いい歌ですよねえ。

 実は、歌ってるのは「赤い鳥」の人たちではありません。
 やまがたすみこさんです。

 若い人は知らないでしょうが、やまがたすみこさんは、大杉久美子さんとともに日本の女性歌手の中でも5本の指に入るくらい歌が上手な人だと思いますが、その人が歌うと、本当に心に沁み入ります。


 私は、高校時代に、この歌を聴いて、この美声にメロメロになって、血眼になってレコードなんかを探したのですが、マイナー歌手だったためか田舎の佐渡島にあるわけがなく、インターネットも無かった時代でしたので、いつしか諦めてしまっていました。

 記憶から消えてしまっていたのです。

 それから12年後の1990年。私が、29歳になったときにユースホステルを使って北海道を旅していたときに、然別湖近くの温泉旅館(菅野温泉)で「赤い花白い花」を口ずさむ当時50歳くらいの人と出会いました。メロディーは一緒でしたが、歌詞は、私の知っているのとは、ちょっと違っていました。

「赤い花白い花ですね」
「良く知ってるね、昔、この近くにユースホステルがあって、そこで歌っていたんだよ」
「なんというユースホステルですか?」
「山田温泉ユースホステル」
「ふーーん」

 私は、久しぶりに「やまがたすみこ」さんを思い出し、あの美声を聞きたいと思いながら冬の夜空に輝く満点の星たちを眺めていました。そして、赤い花白い花を50すぎのオヤジさんと合唱していたのです。その日の夜は、歌を歌うことが、こんなにも嬉しいことであることを思い出した夜でした。

 さて「やまがたすみこ」さんとは、どんな人でしょうか?
 ありがたいことに今は、インターネット時代。
 顔も拝めますし、曲も聴けます。
 いい時代になりました。





林寛子とも一緒に歌っています。
「この広い野原いっぱい」ですね。
歌唱力が全然違います。





「この広い野原いっぱい」のカバーもしています。
しみじみと聞き惚れてしまいます。





 で、私が一番好きな歌です。
 NHKのみんなの歌が始まると
 テレビの前に走って聞きました。
 私が中学3年生の頃です。






 この後、結婚してメディアから消えていきますが、
 天才歌手がいるとしたら彼女のことでしょう。
 その彼女が歌う「赤い花白い花」は、まさに名曲でした。



 話しが大きくそれましたが、「赤い花白い花」を作った中林三恵さんは、現在も群馬県にお住まいです。そして北軽井沢にも来られるようで、北軽井沢の歌も何曲か作られています。例えば、こんな歌詞です。

http://www.d6.dion.ne.jp/~nkbmie/poem56.htm 二度上げ峠

 いつか、中林三恵さんにお会いできれば。そして、やまがたすみこさんにも、お会いしたいなあ。まあ、無理だろうけれど。でも、いつか然別湖にある山田温泉ユースホステルの跡地にも訪れてみたいというのが私の夢なのです。

http://505060.blog12.fc2.com/blog-entry-210.html
http://www.h-fukuhara.jp/yamada.html

つづく。

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2010年12月11日

天草ユースホステルのペアレント辻田政志さんの死を悼む

天草ユースホステルのペアレント辻田政志さんの死を悼む

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 本日、天草ユースホステル(休館中)のペアレント辻田政志さん(享年58歳)が12月6日にご逝去されたとの訃報が届きましたので、お知らせ申し上げます。謹んでお悔やみ申し上げますと共に、故人のご冥福をお祈り致します。

 辻田政志さんの思いで。

 この人ほど個性的なペアレントはいなかったでしょう。一言で言えばダジャレキング。いやダジャレエンペラー、ダジャレカイゼルか。3分に一回はダジャレを言って前進から力を無くしてしまう。しかも絶対零度クラスのスーパーフリーザーダジャレ。くる御客様くる御客様を次々と凍らせていました。そしてユースホステル館内を南極点にしていました。ユースホステルにシロクマやペンギンがいたとしても、カチンカチンに凍っていたに違いありません。

 そのスーパーダジャレが楽しくて、私は、天草ユースホステルがいっぺんで大好きになり、数多くの御客様に天草ユースホステルを紹介してきました。私ほど天草ユースホステルに人間を送り込んだ人もいなかったでしょう。

「九州に行くの? じゃ天草ユースホステルに行きなよ!」
「施設が良いの?」
「良くない。一つ星だし」
「料理がよいの?」
「それほどでもない」
「立地がよいの?」
「うーん」
「じゃ、なんで勧めるの?」
「そりゃ、身も凍るダジャレの連発を聞くためさ! 南国天草で南極の寒さを体験するためよ!」
「はあ?」

 ユースホステルの楽しみは、施設や料理だけではありません。マネージャーの個性を楽しむところに醍醐味があります。ユースホステルのマネージャーには変人が多いのです。その中でも、最もユニークだったのが、天草ユースホステルのペアレント辻田政志さんです。人なつっこくて、ダジャレ好きで、息するよりダジャレの回数が多い人なんて、世の中にそうそういません。

 おまけにペアレントさんは、地震研究家。それもきわもの研究家。科学的な研究ではなく、雲とか動物で地震予知を行う変人でした。話し始めたら1時間でも2時間でも地震と予知を語り始め、内容がキワモノそのもの。それも殆ど当たったことがないというありさま。しかし、それがいいのですよ。私は、そのキワモノぶりが、たまらなく好きだった。

 だから私に騙されて天草ユースホステルに泊まった人はみんな喜んで報告に来ました。そして

「すごいマネージャーさんでした」
「天然記念物的存在ですね」
「あの人は、天草の人間国宝として売り出すべきですよ」
「パワフルなマネージャーだったなあ」
「なんか生きる勇気がわいてきました。もう少しで凍死するところだったけれど」

と大喜びして帰ってきました。みんな九州で一番思いで深かったのが天草ユースホステルでのマネージャーさんとの対話だったと言っていました。

 ユースホステルを使った旅は、こういう観光旅行にない面白さとスリルがあるからやめられません。しかし、その 天草ユースホステルが、休館と聞いたので心配していたのですが、御病気だったのでしょうか?

 それにしても辻田政志さんがお亡くなりになったとは・・・・・・orz
 惜しい人を日本ユースホステル界は失ってしまった。
 残念ですね。




つづく

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2010年12月28日

インターネットとユースホステル1

インターネットとユースホステル。

 いまでこそ盛んなインターネットですが、日本に普及しはじめたのは、阪神大震災ののあった1995年。たかが15年前のことです。しかも、常時接続のブロードバンド化が始まったのは、2000年頃で、一般に普及しはじめたのは、2003年頃でした。それまではインターネットなんかは、無いのも一緒でした。

 で、インターネットの普及と共に、衰退していったものがあります。
 ユースホステルです。
 インターネットとユースホステルには、何らかの競合関係があったのです。

 インターネットが登場する前までは、ユースホステルがインターネットの代わりをしていた時代がありました。ユースホステルは出会い系であり、情報の発信源であり、存在そのものがインターネットでもありました。巨大な口コミサイトであったのです。





 それが証拠にユースホステルくらい栄枯盛衰(えいこせいすい)の激しい業種はありませんでした。日本有数の人気ユースホステルが、たった3年くらいで閑古鳥が鳴くなんてことは、普通にありえました。ユースホステルのネットワークそのものが巨大な口コミサイトであったために、少しでも宿が手を抜くと、アッというまに悪口が広まり御客さんが消えてしまうのです。そのぐらいユースホステルの口コミは凄かったのです。

 各種の観光ガイドの本にしても、ユースホステルが制作したようなものです。古本をさがしてみれば一目瞭然です。昔のガイドブックには、今の1割も情報が載っていないのです。しかし、ユースホステルの御客さんが、観光地を発掘し、ユースホステルの関係者が本にして広めたのです。それをバックアップしたのがヤマケイだったりします。






 しかし、それよりもユースホステル新聞の影響が凄かった。

 ユースホステル新聞とは、昔、日本ユースホステル協会が発行していた新聞なのですが、これがただものではなかった。毎月3回も発行していたのです。と、書くと
「あれ?」
と思う人もいるかもしれません。

 ユースホステル新聞を知っている古いユースホステルの会員の皆さんは、
「俺の所には、毎月1回しか送られてこなかった」
と不思議に思うでしょう。

 でも、違うのです。
 ユースホステル新聞は、毎月3回発行されていました。

・1日に会員版
・11日にPR版
・21日に内報版

と、3回発行されていて、会員(ホステラー)の皆さんは、毎月1日に発行される会員版しか見る機会がなかったのですね。ところがユースホステル関係者は、11日に発行されるPR版や、21日に内報版も見るチャンスがあったのです。

 PR版には、ユースホステル業界のことや、新しく設置されたユースホステルについての情報が載っていました。この誌面で私たちユースホステルマネージャーは、ユースホステル業界について幅広く知ることが出来ました。

 内報版には、日本ユースホステル協会の状況や、ユースホステルの理念や、海外の情報や、トラブルの事例や、御客さんの生々しいクレームなどが掲載されていました。他所には見せることの出来ない関係者限定でみる極秘メモなんかもあったりしました。会長や理事長の講演の要旨なども載っていたりしました。

 これら3種類の新聞によって、私たちユースホステルマネージャーは、全国のユースホステル業界状況を逐一知ることができ、御客さんの口コミと合わせて大きな情報網をもっていたのです。しかし、残念なことにユースホステル新聞は、全て廃止になります。ユースホステル新聞への補助金が認められなくなってしまったからです。

 で、かわりにオフィシャル雑紙の「とらいべる」が発行されることになりました。カラーグラビアたっぷりの「とらいべる」なら補助金が出やすいのですね。実際、「とらいべる」は素晴らしい雑紙なのですが、残念なことは、ユースホステル新聞PR版・ユースホステル新聞内報版が全廃されてしまったことです。これによって一種の口コミネットを形成していたユースホステルの武器の一つが封印されてしまったのです。





つづく。

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2010年12月29日

インターネットとユースホステル2

インターネットとユースホステル2

 ユースホステル新聞は、ただものではなかった。
 ユースホステル新聞は、毎月3回発行されていました。

 会員版・PR版・内報版

と、3回発行されていて、ユースホステル関係者は、PR版や、内報版も見るチャンスがあったのです。

 PR版には、ユースホステル業界のことや、新しく設置されたユースホステルについての情報が載っていました。内報版には、日本ユースホステル協会の状況や、ユースホステルの理念や、海外の情報や、トラブルの事例や、御客さんの生々しいクレームなどが掲載されていました。他所には見せることの出来ない関係者限定でみる極秘メモなんかもあったりしました。会長や理事長の講演の要旨なども載っていたりしました。

 これら3種類の新聞によって、私たちユースホステルマネージャーは、全国のユースホステル業界状況を逐一知ることができ、御客さんの口コミと合わせて大きな情報網をもっていたのです。しかし、残念なことにユースホステル新聞は、全て廃止になります。ユースホステル新聞への補助金が認められなくなってしまったからです。

 では、ユースホステル新聞の内報版とは、どういうものであったのか?
 それが『もの凄い新聞』だったのです。
 私は、過去の内報版を読む機会があったのですが、
 目から何度も鱗が落ちたものです。

 2000年以降に流行った最新のマーケッティング理論が、1970年頃にユースホステル新聞内報版に書かれてある。かってのユースホステル新聞は、信じられないほど中身が濃かったのです。昭和40年代に日本ユースホステル協会が、一人勝ちするのも無理ないな。これならありえると思ってしまう。それほどまでに内容のあるユースホステル新聞(内報版)を作っていた時期があった。内報版は、これを読める立場にあるか、無いかによって、あきらかに経営者としての差がつくたぐいの情報誌でした。

 しかし、当時のユースホステルマネージャーたちは、その内報版を真面目に読んでいたでしょうか?
 真面目に読んでいなかった可能性がある。
「へん、ふざけやがって」
「上は、何もわかっちゃいない」
「現場の苦労も知らないで」
と無視していたユースホステルマネージャーが多かったかもしれない。いや、それ以前に、書いてある内容に全く興味が持てなかったかも知れない。というのも、狭い誌面のために、書いてある内容の多くが簡潔すぎて不親切な文になっているからです。





 今回は、そんなユースホステル新聞内報版の一部を紹介してみましょう。

 1970年11月号の内報版です。
 見出しは、こうなっています。

 全国ユースホステル広報担当者会議。
 10月21日−23日甲府ユースホステル
 31都道府県から36名集めて開催

 ユースホステル運動の発展めざし広報活動の推進策を検討。全国ユースホステル協会広報担当者会議は10月21〜23日の二泊三日にわたり、山梨県甲府ユースホステルを会場に、31都道府県から36名の広報担当者を集めて開催された。(略)

 記事には、2泊3日のスケジュールが細かくかかれてあります。初日は、日本ユースホステル協会を創設した横山祐吉理事長の講義がありました。その講義の内容が、すごいのです。ユースホステル新聞には、要旨しか書いてありませんが、要旨であるのに中身が濃いのですね。ちょっと紹介してみましょう。



横山祐吉講義要旨

 ユースホステル運動のPRは、人間関係の結びつきのある会員仲間を対象として働きかける、すなわち「クチコミ」が最も効果的です。その一方で、難しいと言われるPRは、無関心な者を説得する方法です。PRにはこの二つの異った要素を考えて行われなければなりません。

 ユースホステルは若人の生活の場です。
 この生活に密着したPR活動でないと効果が上がらない、
 若人の人生観と離れてPRはありません。


 PRは人生であると考えてもいいです。

 PRすることによって青少年の生活を豊かにする。
 青少年の生活を変えていく。
 考え方を変えていく。
 よい環境を作っていく。
 それがPRの目的です。

 そのためにはPR担当者は、常に勉強し、想像力を豊かにしていくことが大切で、詩・文学・絵画・社会観など、あらゆる知識を身につけていなければなりません。その教養によって、はじめて、人の心をつかむ適切なPRができることになるのだと思います。(以下・略)





 どうして、横山祐吉氏は、このような事を言ったか?
 実は、彼の師匠である田澤義鋪・熊谷辰治郎・下村湖人の影響がある。
 田澤義鋪・熊谷辰治郎・下村湖人を知るものなら
 横山祐吉氏の意図はすぐにわかる。
 人間の徳をもって世の中を変えていこうというのが、3人の思想ですから。

 しかし、この講義を受けた広報関係者たちは「ぽかーん」と聞いていた可能性がある。「わけの分からんことを言うなあ」と思っていた可能性がある。というのも、横山祐吉氏は、自らの思想の背景を少しも説明したことがないひとだから。だから
「PRは人生であると考えてもいいです」
という彼の発言の意味が受講者に正確に伝わったかどうか疑問なのです。






 しかし、日本ユースホステル協会は、2日目に凄い講師を招待しています。
 博報堂のPR本部の次長・佐藤彰講師です。
 この佐藤彰講師が、PRとは何であるかを分かりやすく解説しています。
 講義要旨の一部を紹介しましょう。





佐藤講師の講演要旨

 PR(Public Relation)のことばは、一九世紀ごろアメリカから起こりました。その頃のアメリカは資本主義の爛熟期を迎え、企業の伸び悩みで、この批判、反省のなかから生まれました。それまでは企業内だけに目を向けていたものが、外部にも目を向ける必要に迫られていました。すなわち消費者の利益をも考え合わせることでPRが重視されるようになりました。

 PRは思想の革命ともいえるわけです。

 PR以前にプロパガンダということばがよく使われました。一八世紀ごろの西欧においてキリスト布教に河いられたことばで、その後戦争宣伝にも使われるようになり、歴史的背景によって、そのことばの意味するところもちがってきました。プロパガンダは、宣伝者の意図するところに相手を導くことが目的で、その手段のためには、誇張・欺瞞(ぎまん)・虚偽の介入も止むを得ないものとされていました。

(著者注−プロパガンダを翻訳すると『宣伝』になる。宣伝とはプロパガンダのことである)

 しかし、プロパガンダに対しPRは
 企業の自己修正のため生まれた宣伝方法
 ですので、
 相手側の利益を度外視することは許されていません。

 とかく一般には、このプロパガンダとPRを混同して使われ勝ちですが、
 その意義は全くちがっていることを理解してほしいのです。

 コミュニケーションの様式からみた場合、従来の宣伝は一方的でしたが、
 PRは二方向的であるといえます。(以下・略)





 佐藤講師は、このあとPRの方法論を説明していますが、
 方法論については、すでに前日に横山祐吉氏が答えをだしています。

「PRは人生であると考えてもいいです(横山祐吉談)」

 つまり、ユースホステル運動とは、自らの人生をもって
 青少年の生活を豊かにする。
 青少年の生活を変えていく。
 考え方を変えていく。
 よい環境を作っていく。
 それがユースホステル運動の目的であると!

 博報堂の佐藤講師は、
「PRとは、企業の自己修正のため生まれた宣伝方法である」
と言いました。

 ならばユースホステル関係者による自己修正とは何であったのか?



つづく。

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2010年12月30日

インターネットとユースホステル3

インターネットとユースホステル3

 19世紀まではプロパガンダということばがよく使われました。
 いわゆる宣伝のことです。
 (プロパガンダを訳すと『宣伝』になる)

 しかし、過度な宣伝の弊害に気がついた欧米諸国は
 企業の自己修正のため生まれた宣伝方法、
 つまりPR(広報)を発見します。
 このPR(広報)は、一種の革命思想でした。

 PRとは、相手に行動させるための仕組みでなく、
 自分を修正するための宣伝がPRであり
 それによって、相手を感動させるのがPRなのです。

 では、ユースホステル運動におけるPRとは何か?
 日本ユースホステル協会を創設した横山祐吉氏は、

「PRは人生であると考えてもいいです(横山祐吉談)」

 と言いました。つまり、ユースホステル運動とは、自らの人生をもって青少年の生活を豊かにする。青少年の生活を変えていく。考え方を変えていく。よい環境を作っていく。それがユースホステル運動の目的であると、1970年の10月21日に言い切ったのでした。

 もう一回言います。
 1970年の10月21日に言ったのです。

 2010年に言ったのなら、私は別に驚きはしません。そんなこと「当たり前」だからです。しかし、1970年といえば、宿という入れ物を作り、宣伝広告をうてば黙ってでも御客さんがジャンジャンやってきた高度経済成長期ですから。旅行会社と提携し、観光バスを走らせれば、御客さんは殺到したのが1970年でした。そういう時代に「PRは人生であると考えてもいいです(横山祐吉談)」と言って、

「PR担当者は、常に勉強し、想像力を豊かにしていくことが大切で、詩・文学・絵画・社会観など、あらゆる知識を身につけていなければなりません。その教養によって、はじめて、人の心をつかむ適切なPRができることになるのだと思います」

と語った横山祐吉氏の先見の明には、感服せざるをえません。横山祐吉氏は、ユースホステル関係者に変化を求めていたのですね。そして、その変化は人に言われてやるのではなく自らが勉強して体得せよと言っているのです。





 ここで私の体験を述べます。

 北軽井沢ブルーベリーYGHが、日本ユースホステル協会とユースホステル契約を結びユースホステルになった時、年に1回のマネージャー研修会なるものに強制参加させられることになりました。で、何をするかと言いますと、マネージャーどうしが話し合うのです。まあ、それは良いとして、マネージャーどうしが話し合って、有意義な意見がいっぱい出たとします。それで終わるんです。貴重な意見は、本部で実行されるわけではない。どこかで反映されるわけでもない。

 つまり何も変わらない。
 言いっぱなしになる。
 まず、これに驚きました。

 新人マネージャーになればなるほど、ここに不満が爆発していました。みゆきのユースホステルのペアレントさんなんかは、その急先鋒だったと思います。他の新人マネージャーさんたちも、似たり寄ったりでしたし、私も同じく不満でした。で、先輩マネージャーらに
「前からこうなんですか?」
と聞きました。すると
「私が知る限り二十年前からですが、創設以来の伝統でしょう」
と聞いてガックリきたことがあります。

 ところが、創設以来どころか、もっと大昔からそうであったことを知って驚きました。大正時代からの伝統だったのです。日本青年団の伝統でした。横山祐吉氏は、日本青年団の事務局長であり、田澤義鋪・下村湖人・熊谷辰治郎の弟子だったのです。そして、日本青年団を創設した田澤義鋪は、トップダウンを嫌い、下から変えていくことを推奨する人だった。





 しかも田澤義鋪は、本人は自覚してないでしょうが、世界で初めてPRを発明して実践した人でした。自分を修正するための宣伝を発明し実行したのです。具体的に何をしたかと言いますと、青年たちと一緒に暮らして講習会を行い、自分を変え青年たちを変えていった。そして青年たちの団体をつくり大きくしていった。つまり身体をはったPR活動をして、青年団を拡大していったのです。もちろん本人は無自覚でしょうが。

 それを横山祐吉氏は、よく知っていました。だから

「ユースホステルは若人の生活の場です。
 この生活に密着したPR活動でないと効果が上がらない、
 若人の人生観と離れてPRはありません」

 と講演したのです。
 そして

「PRは人生であると考えてもいいです」

 と断言したのですね。

 つまり、上から組織を変えていっては駄目だというのが日本青年団から日本ユースホステル協会に受け継がれていった精神だったわけです。田澤義鋪の系統の思想とは、個人個人が自主的に改革していく。自助の精神で生きていく。そして下から上を支えていく。決してトップダウンではない。むしろトップは御神輿でいいとさえ思っている。そういう日本青年団の精神が、日本ユースホステル協会の屋台骨になっていった。少なくとも横山祐吉氏は、そのつもりでいた。ところが横山祐吉氏は、それを下の者に分かりやすく説明せずに死んでしまった。もしかしたら、わざと説明しなかったのかもしれない。とにかく、下の者に何も言わなかった。

 でも、たまにボカして言うこともあった。
 ユースホステル新聞の内報版に書いてあったりした。
 その一つが
「PRは人生であると考えてもいいです」
という言葉だったりします。

 ここから先は、私たちユースホステルマネージャーが考えるべきことですが、私たちユースホステルはベットを売ることだけを考えては駄目だということです。それでは、ペンションやホテルと何ら変わることがない。これではユースホステルのPRはうまくいかない。

 高度経済成長時代の1970年。
 当時のユースホステルは、若人の生活の場でした。
 当時の学生たちは、田舎から上京して淋しかった。
 情報が少なくて、どっちを見て良いかわからなかった。
 だからサークルに入ったり旅に出たりした。

 旅に出ると、そこには情報があり仲間がいた。
 多くの人生があり、未来があり、過去があった。
 旅は、一種のインターネットでした。

 これは幕末の頃から変わってなかった。維新の志士たちは、全員旅人でしたが、旅というインターネットによって情報を入手していたからこそ、明治維新で主導権を握れたわけです。彼らにとっては、旅は人生でもありました。もちろん明治維新後も旅を続けました。維新の元勲たちは、維新を成功させた後も、日本を留守にして全世界に旅立ちました。いわゆる遣欧使節団です。こういう政府は、世界に一つしかありません。革命後、首脳部全員が旅に出かけるなんて聞いたことがありません。





 しかし、時代が変わって2010年12月30日。
 インターネットの普及によって
 世界は劇的にかわりつつあります。

 良くも悪くもユースホステルが、インターネットであった時代は終わり、逆にユースホステル関係者がインターネットを使って情報発信していく時代になりました。もし、横山祐吉氏が、この時代をみたら何と言ったでしょうか? きっと、こう言ったに違いありません。

「インターネットで自らの人生を語れ」
「インターネットで若者と語りかけなさい」


と。





つづく。

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