2018年04月29日

動物たちに注意

 ゴールデンウイークが、はじまりましたが、あいかわらず軽井沢は、渋滞しているようです。東京方面から北軽井沢にこられる皆さんは、軽井沢ではなく、国道406号を使って二度上峠経由で来られた方が無難です。

 今年のゴールデンウイークの北軽井沢の特色は、温暖化のために、2週間も早く新緑をむかえています。北軽井沢には、桜も咲いていますし、シャクナゲも咲きつつあります。そのために動物たちが活発に活動しています。イノシシ・カモシカ・猿・タヌキ・鹿たちが、道路に飛び出て交通事故となる例があるようです。こんなことで連休中に事故をおこすのも馬鹿馬鹿しいので、車で来られる方は、動物たちに充分に注意してください。特に夜は、鹿・タヌキに御注意ください。タヌキは、進行方向に逃げます。鹿は、当たりやのように横切ります。つい先日も、上信越自動車道の横川と碓氷軽井沢の間でシカとの衝突事故があったようです。

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 ちなみに、今年のゴールデンウイークは、北軽井沢でカモシカに出会える可能性が高いかもしれません。私は、すでに何度か出会っています。山の斜面を注視すると、運が良ければ発見できます。


つづく。

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posted by マネージャー at 04:47| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月05日

水害に強い宿を作ってみた

 ひさしぶりにブログを更新します。

 今日辺りから8月20日頃までは、軽井沢は檄混みです。
 軽井沢経由でこられる御客様は、はやめの移動を心がけた方が無難だと思います。

 あと、なかなかブログに書き込めなくて申し訳ありませんでした。実は、3ヶ月前くらいから体調を崩して、ブログどころではなくなっていました。体調を崩した原因は、一人で建物の南面400坪にわたる土壌改良を行ったためです。

 実は、1年前の今頃、北軽井沢は何週間も豪雨にやられ、玄関前に池のような水たまりができるほどでした。

 私は、送迎の御客様がぬれないように、なるべく玄関前に車をつけて御客様を降ろしていたんですが、御客様の中に、過去に交通事故にあわれて、平衡感覚をつかみにくい方がおりまして、車から降りる時に、池になってしまっている水たまりを飛び越えようとして着地に失敗し、靱帯を損傷する事件がおきたのです。もちろん病院に搬送し、いろいろ手を尽くしましたが、お盆時期であったこともあって、できることも少ないのですね。

 あと、こういう時のためにかけておいた保険も役に立たないんですよ。宿側に責任がないかぎり保険はおりない。車から降りるという行動で倒れた怪我は施設賠償保険の範囲外なんです。

 しかし、かといって同じような事件は二度と起こしたくない。となれば、土壌を改良して、どんな豪雨でも玄関前の庭が水没しないようにするしかない。というわけで、玄関前を掘ってみたら50センチくらいは、泥濘で水はけが悪いのですが、それより下は、軽石と砂で水はけが良い。つまり浅間山側の庭400坪の庭全てを50センチほど掘って、その土を捨てて、そこに砂利を埋めれば水はけが改善することがわかりました。

 といっても砂利は高いので、40センチまでは、火山弾・火砕流の岩でうめるべく、あちこちからかき集めました。火山弾・火砕流は、気泡があるので軽くて運びやすい上に水をすいます。これを車にのせて、毎日のように石材を集めました。そして土を掘っては、それらを埋め、仕上げに10トントラック10台分の石材を買ってきて、そのうえに敷き詰めました。それを平らにならすのに一苦労。ひたすら人力で行った結果、56歳にして筋肉がもりもりになりました。

 5月から作業をはじめて、終わったのが7月末。その間、何度か集中豪雨がやってきましたが、全く水たまりができません。私が身体を壊したのは、この作業のせいです。5杯飯をくらい、アイスを1日に5個ほどたべても、夕方になると、身体の震えが止まらなくなる。カロリー不足で熱が出る。登山の時の症状が出る。体重も88キロから80キロまで減ってしまいました。食べまくっているのに8キロ減。

 作業は、朝4時から10時まで。10時から16時までは暑くてやってられないので、ひたすら車で石材集め。そして16時から19時に蚊取り線香をたいて、また作業再開。業者を使うと300万かかるといわれたので、ひたすら私の人力での作業を行いました。なので7月中頃まで御客様を減らして、ブログもフェイスブックも一才書き込みをやめ、宣伝になる行為は極力控えていました。

 それやこれやで7月末になって作業が完了。
 3ヶ月の土方作業が終わりました。
 庭の花壇も大半を潰して、木も伐採。
 代わりに水害に負けない庭となりました。
 もう、どんな洪水にも負けません。

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 今は体調がもどり、体重も82キロにもどりました。

 ちなみにネット環境も改善。
 他にも、いろいろ改善してあります。
 それについては、また後日。


つづく。

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posted by マネージャー at 16:10| Comment(2) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月28日

雪かきをする3歳児

 2月28日。今日で息子は、 3歳11ヶ月になりました。早いものであと1ヶ月で4歳になります。最近は、このブログの更新もサボってきましたが、これもまたすべて息子とのふれあいを何よりも優先してきたためです。思えば、 3歳児になった息子と毎日が真剣勝負でした。息子が誕生したころに、諸先輩方たちに、よく言われたのが、「3歳児ぐらいが1番かわいい」という言葉でしたが、当時は、その意味がさっぱりわからなかったものです。でも今ならわかります。 2歳児までは、子犬が可愛いという意味での可愛さだったんですが、 3歳児になると、確かにそういう可愛さは少なくなりますが、日々成長していく姿が見られます。それに感動してしまうのです。

 私が料理を作っていると、じーっと見ています。しばらくすると見てるだけではなくて、料理の真似事をします。タマネギの皮をむいたり、とうもろこしの皮をむいたりします。食器も洗うようになりましたし、洗った食器を拭くようにもなりました。はっきり言って邪魔ではあるのですが、邪険にするわけにもいきません。

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 あれは息子が2歳になったばかりの頃でした。油性マジックペンで壁に落書きをしたことがあったのです。当然のことながら私は激怒しました。そして息子は二度と油性マジックペンを持たなくなりました。ところがです。これが後々まで、悪い影響を残したのです。鉛筆や色鉛筆で、お絵かきをしない子供になってしまったんです。 3歳になって幼稚園に入って、みんなでお絵かきをする時も、息子だけクレヨンや色鉛筆を持ちたがらないんですね。これは私が、壁の落書きを強く叱ったために起きた現象だと思われます。

 どんな野生動物も、子供の頃に強く叱られると、叱られたことに対して非常に警戒心を持ちます。そのように、なってないと、すぐに天敵に殺されてしまうからです。これを進化的適応と言います。親にきつく叱られると、脳の1部が縮小して警戒心が強くなります。叱られない場合は、脳が発達して好奇心が強くなります。しかし警戒心がなくて好奇心ばかりが強くなれば、あっという間に天敵に殺されてしまいます。そういう意味では、人間の子供は、文明と大人たちに守られているので、警戒心よりも好奇心の方が発達する環境にありますから、他の動物に比べて脳が大きく育つ環境下にあるわけです。

 にもかかわらず、必要以上に厳しく子供に接してしまうと、好奇心が育たず、警戒心ばかりが強くなってしまい脳が萎縮してしまいます。その代表的な失敗例が、私が行った「壁に落書きした息子を強く叱った」行為による影響と思われる息子のお絵かき拒絶です。

 こういう結果になる事は、知識として知っていたし、さんざん勉強してわかっていたにもかかわらず、私はやってしまいました。客室が油性マジックペンで汚されたり、 30万円以上もするソファーを落書きされてしまったりして、頭に血が上っていちど激怒してしまいました。

 その後遺症は、想像を絶します。
 息子は積極的に絵や字をかかなくなってしまった。

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 そのような苦い経験があったので、 3歳児の息子が、親の真似をしだしたら、できるだけそれを褒めるようにしました。一緒に料理を作ったり、一緒に掃除をしたり、一緒にベッドメイクをしたり、一緒に雪かきをしました。もちろん邪魔ではあるのですが、決して邪険にはしません。できないのです。そんな事したら、警戒心を持ってしまい二度と雪かきをしなくなるでしょう。

 こういう事は、私たち人間よりも野生動物の方がよく分かっているようです。山猫・ライオン・ヒョウ・狼といった動物たちが、子育てしているときに彼らは滅多に子供たちを叱りません。じゃれて噛み付いてきても我慢しています。そこで叱ってしまったら、狩りのできない出来損ないの子供になってしまうからです。叱る時は、よく考えて叱っています。そして叱られた子供は、警戒心を持って、間違いを犯さないようにします。そうしないと、天敵に殺されてしまうからです。

 もちろん野生動物の子供たちも親を見て学習します。見よう見まねで狩りを覚えていきます。これは人間の3歳児でも一緒のようで、息子は本当に親の真似をします。お客さんが帰って掃除を始めると、後追いのように、親の後ろにくっついてきて、親のやることを見ています。そして見よう見まねでゴミを集めたりベッドメイクをします。正直言って邪魔でしょうがないのですが、根気強く教えていけば、ある程度できるようになってきます。そのうちに
「料理をしたい」
と言い出します。とはいうものの、お客さんの料理に参加させるわけにはいきませんから、まかない料理を一緒に作ったり、おやつを一緒に作ったりします。そして、料理の取り分けも「自分でやる」と言い出して、最後には、私たち親の分まで、取り分けるようになって、親の皿にいたるまで自分で盛り付けるようになります。しかも公平に盛りつけるようになってきた。

 こういう事は、 2歳児の頃にはなかった。 2歳児の頃はすべてが受け身でした。肉は切ってもらわないと食べなかったし、食事も取り分けてもらわないと食べようとしませんでした。でも3歳児になると、大人たちをじっと観察するようになり、積極的に大人の真似をするようになりました。そして、すべて自分でやるようになり、料理の取り分けや、盛りつけまでしたがるようになる。

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 もちろん親のお手伝いをするようになってきている。
 親が働いていると、それを手伝おうとする。
 何か役立ちたがってがんばり出す。
 こうなると本当に可愛いものです。
 子犬が可愛いという意味でのかわいさではなくて、
 日々成長していく姿が、頼もしく見えるかわいさです。

 話は変わりますが、今年は大変な異常気象です。 2月の半ばに春一番が吹くと思えば、翌日には氷点下15度まで寒くなることもあります。 1週間前の北軽井沢は、 5月とも思えるような暖かい日が続き、雨さえも降り続けました。当然のことながら雪解け水が庭一面を覆ったのですが、その後、すぐに寒気に見舞われてしまい、玄関から駐車情までスケートリンク上のように凍ってしまいました。その結果、つるんつるんになってしまって、危なくてしょうがない。愛犬コロさえ滑って転んでしまうくらいですから、お客さんの出入りも非常な危険な状態になってしまいました。

 まずいことに週末には、4歳から1歳の幼児たちが10人近く泊まりに来ることになっていました。小さな幼児たちが、つるんつるんに凍ってしまってスケートリンクのようになっている駐車場や玄関前で転んで怪我されても困るので、スケートリンクのような駐車場の氷をツルハシで砕き、それを手押し車に乗せて森の中に捨てる作業を5日間かけて行っていました。

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 そこに息子が幼稚園から帰ってくるわけですが、息子は家に入ろうとはせずに私の真似をします。私がツルハシで砕いた氷の塊を手押し車に乗せてくれます。そして一緒に手押し車を押しながら森の中に氷のかけらを捨てに行きます。幼児連れのお客さんのために、 3歳の息子が、黙々と雪かきをしたり氷を運んだりするわけです。それも毎日です。

 ありがたかった。
 目頭が熱くなるほどうれしかった。
 と同時に、本当にいとおしくなってしまった。

 しかし、息子は道徳心があって親の手伝いをしているわけではないんですよね。楽しそうに遊んでるだけなんですよね。本能に従って親の真似をしているだけなんです。ミラーニューロン(ものまね細胞)が働いて真似をしたくなってしまう。2歳児から3歳児にはそういうところがあるんです。私はそういう性質を利用して、息子に小学校低学年の漢字を全部覚えさせています。ひらがのもカタカナも九九も都道府県も覚えさせています。といっても勉強させているわけではありません。お風呂場で、私が漢字のポスターを読み上げると、息子が真似をする。ただそれだけの事をしているだけなんです。

 つまり、黙々と雪かきをしたり氷を運んだりする行為も、息子にとっては遊びの1部でしかないわけです。親の真似が、子供にとっての遊びの1部なわけです。もちろん今日も、私がツルハシで砕いた大きな氷を手押し車にのせて、せっせと森に捨てていました。楽しそうに捨てていました。幸せというものがあるとしたら、その瞬間を一緒に親子で共有している時間かもしれません。いや、全てが終わってスヤスヤ眠っている息子の寝顔をながめている瞬間かもしれません。



つづく。

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posted by マネージャー at 22:34| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月22日

重度障害者・上原一浩氏が、三百名山を制覇したことで群馬テレビに出演します。

 重度障害者・上原一浩氏が、三百名山を制覇したことで群馬テレビに出演します。

 障害者・上原一浩氏が、10月16日の日曜日に三百名山を無事、登り切りました。前日は、北軽井沢ブルーベリーYGHで前夜祭を行いました。上原一浩の病気は腎不全。二日に一回は、透析をうけなければ死んでしまいます。現に彼のお兄さんは幼くして死んでいます。

 その彼が、三百名山の全山登山を完了しました。これは凄いことです。三百名山の中には、ふつうなら一週間かけないと登れない山があるんです。けれど彼は二日に一回は、透析をうけなければならない。ちなみに透析を受けられる病院は、都市部にしかありません。

 例えば、日高のカムイエクウチカウシ山になると、途中、長い沢を渡渉しなければなりません。しかも、その沢は、すぐに増水するんです。もし帰りに増水したら上原一浩は透析を受けられない。死ぬしかないんです。しかもアプローチが半端なく長い。ふつうなら山中二泊の三日間の行程の山なんです。よく登ったと思いますよ。

 そして三百名山の最後に残った浅間隠山。
 参加者は、大人9名・子供6名。
 最年少は、生後8ヶ月。
 四歳・三歳・二歳が一人づつです。

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この時の様子をマスコミに私がプレスリリースしたわけですが、これが10月26日の上毛新聞に載りました。

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新聞掲載記事全文「透析治療受ける安中・上原さん三百名山を制覇」

 病気のため19歳の時から透析治療を続けている、鍼灸師の上原一浩さん(52)=安中市磯部=が今月、浅間隠山に登頂し、日本三百名山を制覇した。週末に治療の合間を縫って登山を続け、25年かけて達成した。「仲間がいたからできたこと。各地の病院の協力にも感謝したい。病気があっても、行けないところはなかった」と話している。
 透析治療の間隔を55時間以上空けることができないため、登山の前後に最寄りの病院で透析を受けるようにしても丸2日しか時間を取れない。20時間以上休まずに歩き続け、通常なら4泊5日の旅程を2日で踏破したこともある。登山道へのルートが未整備だったり、交通手段が船便頼みの離島など、時間や天候に気をもむ旅が少なくなかったという。
 上原さんは農大二高時代に全国高校駅伝に出場するなど陸上選手として活躍。大学1年の時の箱根駅伝の予選前日に、ネフローゼ症候群による腎臓機能の低下が深刻化したため医師に出場を止められた。翌年には透析が必要な状況になった。
 教員として働きながら山登りを始め、1997年に日本百名山をすべて登頂した。しばらく山から遠ざかっていたが、2005年ごろに本格的に再開。サークル仲間に協力してもらい、今月16日に三百名山で唯一登っていなかった浅間隠山の頂上で横断幕を掲げた。
 次の目標はぐんまマラソンのフルマラソンで3時間40分を切ること。「地元妙義山の鎖場で鍛えられたから、どんなことも苦しく感じない」と新たな挑戦にも前向きだ。
(以上、上毛新聞の掲載記事)
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 これを見た群馬テレビより、当宿に連絡が入り、群馬テレビが上原一浩氏を取り上げることになりました。
放送は、12月2日金曜日の夜8時からです。群馬テレビを見られる方は、ぜひ御視聴ください。



つづく。

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posted by マネージャー at 18:25| Comment(6) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月02日

最近、家電が壊れやすくなった

 ゴールデンウィークも前半が終わって後半です。今日は、夕食をお作りしない日なので、一息ついてブログを書いています。ちなみに今年のゴールデンウィークは、天気とカレンダーに恵まれたせいか、御客様が多かったです。息つく間もないくらいに忙しい毎日です。

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 と、ここまで書くと、なにやら景気の良い話になるんですが、実は違うんですよね。実は、ゴールデンウィークの2日前に300リットルの冷凍庫(ストッカー)が壊れたんです。いつもならマイナス25度をさす冷凍庫が、マイナス12度ぐらいになっている。
「ヤバイ!」
と青ざめました。300リットル分の食材が駄目になる。ゴールデンウィークがヤバイ。なので、かたっぱしから電気屋に電話して、120リットルの冷凍庫(ストッカー)を3個確保して、そのうちの2個をその日のうちに車で運びました。あとの1個は通販です。

 どうして300リットルを1個にしなかったかというと、安全保障のためです。

 もちろん300リットル1個の方が安いし、電気代もかかりません。しかし、その1個が壊れたら大変な事になる。けれど3個同時に壊れることは滅多に無いので、あえて3個にしました。オフシーズンは、1個だけ使って、あとの2個は電源を切っちゃえばいいことですしね。

 で、なんとかゴールデンウィークの前に冷凍庫の問題を解決したら、ゴールデンウィーク初日に衣類乾燥機が壊れてしまった。もちろん、衣類乾燥機は安全保障のために2個置いてありましたありましたから、当面は一個だけ使いつつ、新しい乾燥機をAmazonで、注文しました。

 Amazonは、偉大ですねえ。
 翌日に新しい乾燥機が届きました。

 前置きは、これくらいにして本題に入ります。最近、家電が壊れやすくなったですよね。これが一般家庭なら問題ないですが、宿屋となると大問題なんです。北軽井沢は、本当に辺鄙なところですから、ゴールデンウィーク中に家電が壊れたら、どうにもならなくなるんです。

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 だから宿屋は、壊れにくい国産品を選んで買っています。しかし、それでも壊れやすくなった。で、今回、冷凍庫を買おうとしたら、大半のメーカーが中国・韓国なんですよ。国産品が非常に少ない。国産であっても、工場は中国にあったりする。

 これじゃ壊れることを前提に買わなければならない。そうなると、巨大なものを1個でなく、小さなものを3個にして、万が一、一個が壊れても回るようにしなければなりません。めんどくさいったら、ありゃしません。

 掃除機も2個。
 洗濯機も2台。
 冷蔵庫も2台。

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 たいていのものが、うちには2つあります。もちろん、それ以上あるものもあります。ルンバは4台。パソコンは5台。車は3台。除雪機も3台。工具箱にいたっては6個もあります。全て複数以上そろえて、緊急時に備えてますけれど、悲しいかな、これが役に立つんです。必ず、ゴールデンウィークとか、御盆・正月に何かが壊れるんです。

 そのために、こちらも知恵を絞るようになりました。

 今回買った冷凍庫は、3温度に切り替えられるやつなんです。切り替えスイッチを押すことによって、冷蔵庫にも、チルドにもなるやつです。だから冷蔵庫が壊れても、使ってない冷凍庫の切り替えスイッチを押して、冷蔵庫に変えられるようになる。そういう冷凍庫があったので、それを手に入れました。緊急事態のときに、食材を守るためには、このくらいの保険が必要になってきますね。


つづく。

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posted by マネージャー at 17:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月05日

エイプリルフール 登山靴と湿潤治療について

とんでもない4月1日のエイプリルフール

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 久しぶりに大河ドラマを地元から語ってみます。しばらくブログを更新できなくてすいませんでした。とにかく3月は忙しくて、ブログもツイッターもFacebookも何もいじれなかったです。実は今日初めて息子が保育所に入るんですよね。で、色々忙しかったです。特に4月1日のエイプリルフールの時は、大変でした。

 家内が愛犬コロと息子を連れて散歩に行って、 2人とも近くの川に落っこちちゃったんです。息子は、 3歳0ヶ月とは言え、非常に体が頑丈なので、泣きながらも自力で道路に戻り、わんわん泣いていたわけですが、うちの家内は一瞬気を失ったみたいです。しかし息子がわんわん泣くものですから、それで正気に戻ったらしく、なんとか道路に這い上がって血まみれになって、私に救援の電話をかけできました。しかし頭が朦朧としてるせいか、トンチンカンな場所を教えたために、私が教えられた場所に駆けつけても、それらしい人影は見つかりません。

変だなぁ?

と思っていたら、あらぬ方向から息子の泣き声が聞こえてきたので、そちらのほうに向かったら全身血まみれの家内と、わんわん泣きながらもピンピンしている息子が、少しずつ動いていました。

ああ、こいつは歯を折ったな。
下手したら鼻の骨も折れてるかもしれない

 そう思った私は、救急車を呼ぼうとしたんですが、うちの嫁さんは断固拒否するのです。しかも自分で病院に行こうとしています。もう呆れてものが言えませんが、とりあえず私が病院に連れて行くことにしました。

 話がずれますが、うちの嫁さんはいつもこうです。融通がきかないというか頑固というか、こういうことでは決して救急車を呼ぼうとしません。妊娠している時も、妊婦用の駐車スペースに止めようとしません。私は大丈夫だからと言って、外を優先刺そうとしますが、それこそ迷惑なんですよね。妊婦は妊婦用の駐車スペースに止めなければ、一般の人はもっと遠くの駐車スペースに止めなければいけないのはさっぱりわからないらしい。

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 こういう性格だからよく交通事故も起こします。その事故のおこし方が非常にバカバカしいおこし方です。信号機の前の停止線を1メートルぐらい超えてしまうと、馬鹿正直にルールを守ろうとしてバックして、よそ様の車にぶつけたりするのです。こういうルールバカなところが、うちの嫁さんにはあります。もし学校の同級生だとしたら、確実に委員長タイプの人であり、私の敵であったでしょう。小学生時代だったら、絶対に男の子に嫌われていたと思います。まぁそんなことはどうでもいいんですが。

 幸い、事故のあった日は、金曜日なので今日泊まるはずのお客さんのチェックインは、 20時以降なので、時間はたっぷりありました。まず嫁さんに服を着替えさせて、私は息子をお風呂場に連れて行って、シャワーを浴びさせ、怪我をしているかどうか点検しながらの服を着替えさせました。どうやら息子にケガは無いようです。体が柔らかいせいか、倒れ方が良かったのか、息子はあまり怪我をしない人間なんですよね。いちど階段の上から転がり落ちたこともありましたが、ピンピンしていました。もちろん病院には連れて行きましたが、なんともなかったです。

 とりあえず、助手席にチャイルドシートを取り付けようとすると、もう既に嫁さんの方が後部座席にチャイルドシートを取り付けていました。私は後部座席を倒して、嫁さんが寝られるようにしようと思っていたのですが、こういう時でも、息子のチャイルドシートを後部座席に付けて、自分が助手席に座ろうとするのがうちの嫁さんの悪い癖です。優先順位がわかってないんですよね。必ずルールを守ろうとするんですよ。ここで争っても仕方がないので、嫁さんを助手席に座らせて、病院に向かう途中に、状況を聞こうとしたんですが、鼻や口周りがひどいことになっていて喋ることができないわけです。

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 息子の入園式の準備に、保護者様の服を準備したり、色々していたのに、これはさぞかし無念だろうなあと思いつつ、とりあえず西吾妻福祉病院という大きな病院に連れて行きました。もちろん急患です。で、お医者さん三人と看護婦さん五人くらいで、手術というか処置を行ったわけですが、これが3時間くらいかかっています。ただし、運良く歯も鼻の骨も折れてなかったようで、その辺だけは安心しました。

 こういう時に、息子がおとなしい性格でよかったなぁとつくづく思いましたね。西吾妻福祉病院で3時間もおとなしく待つことができたわけですから大したものです。私のほうも、本を1冊読みきることができましたから、息子には感謝です。というか、丈夫な体に育ってくれた息子に感謝です。もし川に落ちた時に、息子も一緒に気を失っていたら、もっと大事になっていたでしょうし、私も2人を発見することができなかったかもしれません。息子が自力で這い上がってわんわん泣いたから、その声で見つけることができたわけなんですよね。

 ところで今回の事故で、 1つ教訓があります。このような事故が起きた原因に、安物の登山靴がありました。嫁さんは、非常に安い登山靴(2000円くらい)をSPORTS DEPOで買ったんですが、これが良くなかったようです。買ってすぐに、金具が取れて靴紐がうまくしばれなかったようです。しかも、取れてない方の金具に、もう片方の靴の靴紐が引っかかって、それで倒れたようなんですね。ご存知の通り登山靴の金具というのは、非常に出っ張っています。つまり何かを仕掛けやすくなっているわけです。それでも靴紐がきちんと縛ってあれば、問題ないのですが、片方の金具が取れてしまって、片方の金具だけが残っている状態だと、何かをひっかけやすいままになっていて、非常に危険なわけです。今回はそれが仇となったようです。

 もう絶対に安い登山靴は買わない。
 仮に買ったとしても、金具が1個でも取れたら廃棄する。
 そういうことに決めました。
 まぁこれは、高い登山靴でも一緒なんですけれどね。

 安物買いの銭失いとはよく言ったものです。そもそも登山靴は、安全のために履くわけですから、安全を脅かすような状態になったら履く意味がありませんね。そういう場合はさっさと捨てて、新しいものを買うか、修理に出すのが正解かもしれません。変な登山靴を吐くぐらいだったら、スニーカーの方がよほど安全かもしれません。みなさんもよくよく気をつけてください。

 ところで嫁さんのほうの状態ですが、実は非常に経過が良好です。あのあと歯医者さんにも行って、診療してもらいましたが、 歯は仮に抜けたとしても、すぐに手当てをすればくっつくらしいんですよね。うちの家内の場合は、抜けてないし神経も通っているようなので大丈夫でした。西吾妻福祉病院も、ホームページで書いてある通り治療方針が湿潤治療であったことも幸いして経過は非常に良好です。 4月9日に、こども園の正式な入園式があるのですが、なんとか出られそうです。

 湿潤治療というのは素晴らしい治療ですね。
 治り方が圧倒的に早いです。
 大げさでなく、 2倍ぐらい早いのではないでしょうか。
 おまけに、痕も付きにくい気がします。

 こういう事故は起きた場合、湿潤治療をとっている病院に駆け込むのが1番かもしれませんね。そういう意味で、結果論になりますが救急車を呼ばなかったのは正解かもしれません。湿潤治療をとっている病院に連れて行くことができたわけですから。みなさんも、近くの病院が湿潤治療をとっているかどうかをいちど調べてみた方が良いと思います。万が一の時に、どの病院に駆け込むべきか、じっくりと調べておけば、後々後悔をしないですみますからね。このブログを読んでる近所の人たちも、いちど調べてみておいてください。湿潤治療を知らない人は、これもインターネットで調べてみてください。

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 ただ、申し訳なかったのは、 4月1日から4月3日にかけてお泊まりになったお客様です。あの時は黙っていましたが、私も家内も、こういうわけで、お茶会などに顔を出せなかったので申し訳ないことをしました。また直前に予約を入れてきた何人かのお客様も、お断りしてしまって申し訳なかったです。


つづく。

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2016年02月22日

旅先で怪我をしたり病気になった場合への対処

 つい先日の土曜日は、 2月だというのに台風のような天気となり、北軽井沢大雨でした。これで2週連続の大雨です。異常気象もここまでくると悲しくなりますね。しかも、 2週連続で、うちの宿は満室でした。つまり、それだけ大雨に泣いたお客さんが多かったというわけです。ただし、日曜日だけは、すごいいい天気だったので、無事にスノーシューツアーが行えたのはよかったです。今回は4名のお客様が、参加してくれました。皆さん、とても楽しんでいただけたので、ほっとしています。

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 それはともかくとして、昨日一昨日のお客様の中には、せっかくの旅行中に怪我をされた方がいらっしゃいました。 1組はスキーで怪我を、もう1組は玄関で滑ってケガをされました。さいわいなことに結局怪我自体は、二組とも大したことではなかったのでよかったです。で、今回気づいたことがありましたので、旅をする皆様にお知らせしたいと思いました。

 まず、旅行中に怪我をした場合、1番必要なものは保険証です。あと加入している保険証書ですね。宿が入っている施設賠償保険は、宿主に過失がない限り支払われる事はまずありません。他の保険も、なかなか支払われにくい状態です。ただし、比較的支払われやすい保険もあります。旅行傷害保険・傷害保険・生命保険・自動車保険です。これらの保険に入っている方は、保険ナンバーと担当者の連絡先を書いたメモを必ず持っていくことです。

 仮に、それらの保険に入ってなかったとしても、まだ諦める事はありません。皆さんが入会しているキャッシュカードの特典を調べてみてください。国内旅行傷害保険の特約が付いている可能性あります。特にゴールドカードをお持ちの方は、ほぼ100%ついていると思われますので、ぜひ調べておいて、緊急時の時に役立ててください。年会費無料でも補償が付帯しているカード(イオンSuicaカードなど)もありますから、そういうカードに入会するのも手だと思います。

参考サイト
http://guesthouse-hostel.com/for-backpacker-recommend-creditcard-list/
http://www.woshiru.com/creditcard/mokuteki/kokunai_ryokou/futaihoken.html
http://creditcard-kingdom.net/hikaku-kokunairyoko.html

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 その際に気を付けなければならない事は、カードで電車の切符などを購入しているかどうかです。カード会社によっても違いますが、多くのところは旅行にカード決済をしていると、補償の対象になるケースが多いからです。もちろんホテルや旅館など宿泊施設での事故は、予約時やチェックインでクレジットカードにて宿泊料金を支払っていれば補償の対象となります。

 もちろん本人の過失によるケガは対象外となりますのでご注意ください。そういう意味では、最強の保険は、傷害保険・生命保険かもしれません。県民共済・国民共済などの、医療費を優先するタイプに入っておくのが、いちばんいいです。そして、保険証書の番号と、コールセンターの電話番号控えてたびに出たほうがいいです。

 ところで今回のことで、私も1つ勉強したことがあります。吾妻郡の救急指定病院というのは、当番制だったんですね。救急指定病院なら、すべての病院が救急患者を受け入れるわけではなく、今月はA病院。来月はB病院と言うように、交代で行っているんですね。それによって、病院と、お医者さんの負担を減らしているわけです。なるほどなぁと思いました。逆に言うと、自分の判断で救急指定病院に連れて行っても受け付けてもらえないケースもありますので、非常の時は救急車を呼ぶという選択肢をとった方が良いかもしれませんね。

 また、 119番に電話すると受け付けるのは、高崎市の救命センターなんです。嬬恋村の消防署に電話が行くわけでは無いわけです。高崎市にある中央がコントロールしているわけです。だから地元民にわかりやすいように説明しても無駄なんですよ。これもとても勉強になりました。

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 あと関係ありませんが、 今朝、2歳児の息子も階段から落ちてしまいました。頭に大きなたんこぶを作っただけでケロリとしていましたが、すぐさま軽井沢病院に連れて行きましたが、やはり「この病院には専門医がいないので、一日様子を見て、容体が悪化したら専門病院に行ってください」と言われてしまいました。

 まぁそう言われるのは、あらかじめ分かってはいたんですけどね。
 いろんなお母さんたちに、こういう結果になるよと、教えてもらっていましたから。
 とはいうものの、万が一のことがありますから、連れて行かないわけにはいきません。

 ちなみに病院の先生からは、今後の対処方法を印刷されてある紙切れを渡されました。そこには、今後このような症状が出たら、脳外科のある病院に行きなさいとか、このような症状が出たらどこそこに来なさいといったことが書いてありました。これは非常にありがたかったです。

 それにしても階段については何か対策を考えないといけませんね。
 階段の下に衝撃吸収のマットでも置こうかと思っています。


つづく。

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2015年12月27日

ももいろクローバーZのファンからのメール

 このブログで、ももクロの軽井沢コンサートについて、ちょっとばかり記事を書いたのですが、反響がすごくてビビリました。朝起きてみたら、ブログのアクセス数が、すごい数になっていたうえに、ブログランキングに、急激にアップしていました。おまけに宿関係者からメールまでいただき、驚いています。宿屋のオーナーさんの中にも、ホテルで勤務している観光業者の中にも、ファン(モノノフ)の方がいたんですねえ。びっくりです。

 まあ、よくよく考えてみたら観光関係者の中に、ファンがいてもおかしくないわけですから、同業者からメールを頂いても不思議なことはなにもないんですけれどね、それにしても凄いですね。うちの観光協会でもウインターフェスティバルなどのイベントで、アイドルや有名ミュージシャンで集客したんこともあったんですが、レベルが違いますね。だからイベントが成立したんでしょうね。

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 だって地元民からしたら12月末に、厳冬の軽井沢スノーパークでライブするなんて、狂気の沙汰にしか思えないですから。それを成功させたこと自体、すごいです。あそこは良く知っていますけれど、北斜面で日光があたりにくくて、寒さが身にしみる場所なんですよね。業者の皆さんも、ほんとうにお疲れ様でしたと言いたいです。ファンの人たちもお疲れ様でした。でも、一番大変だったのは、ももいろクローバーZたちかなあ? 風邪をひいてないといいけれど。


つづく。

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2015年12月25日

ももクロの軽井沢コンサートについて宿屋が語ってみる

 今朝、ももいろクローバーZのコンサートのスタッフというか、関係者さんを見送りました。実は、この三日間ずっとももいろクローバーZのコンサートが、軽井沢スノーパークであったんですよね。多分他のペンションさんたちの所にも泊まっている人たちが多いかと思いますが、ここ4日間ぐらい、軽井沢と北軽井沢は、ももいろクローバーZ大旋風が吹き荒れていました。 国道146号線は、軽井沢からの送迎バスが、ひっきりなしに走っていました。もちろんオフシーズンですから、この時期に国道146号線が渋滞することなんてありえないのですが、送迎バスだけで渋滞すると言う凄いことが起こっています。

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 今回のコンサートでは、自家用車では会場に入れないことになっています。送迎バスでないと、入場できないのですね。地元民ならわかるかと思いますが、国道146号線から軽井沢スノーパークに入る道路を全面封鎖していて、地元民もそこには入れないのです。もちろん、私なら登山道を利用して入ろうと思えば入れますが、ファンではありませんので、そんな気はさらさらありません。というか、ももいろクローバーZなるものを、つい最近までよく知らなかったんです。これは私だけではなくて、北軽井沢の観光関係者も、芸能関係に疎いですので、みんな知らなかったと思います。

 ところが今回のコンサートで、その凄さを思い知らされました。最初に、ものすごい人数のファンが、半年前のある日の深夜に、楽天などを通じて軽井沢や北軽井沢中の宿泊施設を全て押さえてしまったのです。何だ?何が起きたんだ?と、最初は、わけわからない状態でした。なにしろこの時期は、オフシーズンです。今までは、こんなことがありませんでしたので、何が起きたんだとパニック状態です。必死になって調べてみたら、どうやら、ももいろクローバーZのコンサートが、軽井沢スノーパークであるらしい…ということがわかりました。

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 しかし、困ったことに、イベントの詳細が、何も決まってなかったんですよね。ああ、これは全部キャンセルになるなぁと、覚悟しました。こういったイベントは、ほとんどの場合、旅行会社とのタイアップになっていますので、そこと関係してない宿に泊まっても、チケットが入手できない可能性が大きいのです。だから、早まって御客様が宿をおさえて予約をしても意味がないんですよね。

 しかしなかなかお客さんはキャンセルしてくれません。それで、クリスマスに泊まりたがっている一般のお客さんを入れられなくて、本当に困ったのですが、もうこの際ですから、今年の12月は、と言うより今年のクリスマス前後は、全て休館にして息子と嫁さんと家族だけで楽しいクリスマスを送ろうと決意しました。ですので、うちの宿のホームページの予約情報に、ずらりと休館中の文字を入れたわけです。

 案の定、クリスマスが近づくにつれて、ももいろクローバーZのファンのお客さんはキャンセルしていきました。 最終的には1組を除いて全てキャンセルです。その1組も無断キャンセルです。まぁこうなることは、わかっていたんですよね。だから今年のクリスマスの集客はあきらめたんです。勉強になりました。だからじゃらんnetや楽天を通しての早期の予約の場合は、カード決済しか受け付けないように設定をし直しました。



 しかし捨てるか神あれば、拾う神ありです。ファンのお客さんがキャンセルしますと、コンサートに関係する業者さんの予約が入ってきました。ありがたかったですねえ。そのせいもあって業者さんたちを密かに応援していました。また、はたから見ても、コンサート関係の業者さんの仕事は本当に大変そうでした。私も嫁さんも密かに業者さんを応援していました。

 と同時に、ももいろクローバーZのみなさんも本当に大変なのではないかとも思いました。いち宿屋の人間として外から見てみますと、コンサートというのは、始まる前が1番大変なんですね。この寒い中を夜通し頑張っている状況を知ってしまいますと、本当にお疲れ様としか言いようがありません。

 まぁそんな話はどうでもいいとして、すごく前置きが長くなりましたが、 今回、衝撃的だったのは、ももいろクローバーZの凄さです。これだけの人間を集めてしまう集客力というのは、本当にすごいことなんですよね。あんな寒いところに、よくお客さんを集めたものです。ファンの人たちも、ただただスゴイと言うしかありません。軽井沢スノーパークの夕方で寒さに震えながら、 三日間もコンサートに参加する気力が凄いです。彼らのことを「モノノフ」というらしいですが、まさに武士(もののふ)ですね。

 で、こんなにすごいにもかかわらず、どうしてNHKはももいろクローバーZを、紅白から落としたのかと。わけがわからないです。これはありえないでしょ。別に私は、ももいろクローバーZのファンではありません。だから私には資格があると思いますが、これだけの人気グループを紅白に入れないというのは、紅白にとっての自殺行為に思えてなりません。そう考えますと、今回の紅白落選事件はNHKの意向というより事務所の意向だったのかもしれませんが、どっちが真相なのかは、部外者の私たちには、わからないことなんでしょうねぇ。

 それにしても、ももいろクローバーZ、おそるべし!


つづく。

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2015年12月13日

宿のマネージャーは、目撃者

 もう今年も終わりに近づきつつありますが、 2015年は嬉しいことがたくさんありました。これは息子が生まれたことと大きく関係していると思われることなのですが、何年も前に宿泊してくれたお客さんが、お子さんを連れて再び泊まってくれたことです。当時は学生さんだったのに、今や立派なお母さんになっているんですね。恥ずかしながら、私は気づきませんでした。なにしろ昔泊まって頂いた時は、学生さんだったので、子連れのお母さんで泊まりに来るというイメージが今一つピンとこなかったんですよね。

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 で、面白かったのは、
「家族が多いですね。昔は学生ばっかりだったのに。あ、うちも家族だった…」
と言っていたことです。

 そうなんですよね、 10年前によく泊まっていた学生さん達が、今やお母さんやお父さんになっているんですね。そういえば、昔ヘルパーをやっていた女の子も、娘さんを連れて泊まりに来てくれました。お母さんそっくりの可愛らしい娘さんでした。今年は、こういうパターンが多くなりました。私がブログに、子育て日記みたいなものを書いているから、こう言うお客さんが増えたのでしょうかね?

 あれは何年ぐらい前でしょうか?
 毎週のように、うちに泊まりに来るお客さんがいました。
 年間にして、70泊ぐらいしていたでしょうか?

 休みさえあれば、しょっちゅう泊まりにきて、うちのツアーに参加していました。当時は、うちも毎週のようにツアーを出していたので、いろんな秘境に連れて行ったり、遠くまで温泉に入りに行ったりしていました。それだけ何度も訪れてしまえば、やがて行くところがなくなってしまいます。何年か経ったところで、別の宿に行きだしたのか、他の趣味に興味を持ったのか、その後音沙汰がなくなってしまいました。まぁ音沙汰がないといっても、年に1回か2回位は泊まりにきていたんですけれどね。

 で、最近久しぶりに電話がかかってきて、予約が入ったんですよね。 2人分の予約でした。そして昨日久しぶりに再会したわけです。彼は可愛らしい彼女を連れていました。それを見たら、自分のことのように嬉しくなりましたねぇ。宿屋のくせにハイテンションになってしまいましたねぇ。当然のことながら、夜は祝杯です。というか夜遅くまで、いろんな話で盛り上がってしまいました。こういうことがあるから、宿屋はやめられません。

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 危機で、いろんな旅の話で盛り上がったのですが、ちょっと気になったことがいました。彼はバスできたんです。昔はく車で遊びに来たんですが、今は車を持ってないとのこと。北軽井沢交通手段がないと不便なところなんですよね。

「ところで○○さん、明日の予定はどうなってますか? 」
「アウトレットでも行こうかと思ってます」
「ああ、そうか」

 そうかそうだった。
 ○○さんは、軽井沢を1度も観光したことがなかったんだった。

 いつも東京からうちの宿に一直線できて、うちの宿に泊まっては、うちのツアーに参加していたから、いわゆる観光地巡りはいちどもしたことがなかったんですよ。年間に70泊ぐらいしていたにもかかわらず、観光地には1度も行ってなかったんです。だから彼女連れの今回が、初めての軽井沢観光になるんですよね。

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 思えば、そういうパターンのお客さんが過去にも大勢いました。よく遊びに来ていて、しばらく顔を見ないなあと思っていたら、突然、彼女連れで挨拶にやってきて紹介してくれて、初めて軽井沢や北軽井沢を観光する。そういうパターンのお客さんが過去にも大勢いました。そしてまた何年か音沙汰がなくなって、突然、嫁さんと子供を連れてやってきて、おもちゃ王国に遊びに行く。そういうパターンもありました。そういうパターンになるお客さんを何回か体験しています。

 宿屋は、多くのお客さんの人生の一瞬を見ることが多い。宿屋の人間は、旅を楽しんだお客さんたちの思い出の目撃者です。だから、お客さんの子供さんが大きくなった時、目撃証言者としての思い出を、出してあげることができるのかもしれません。いずれそういう時は来るのかなと思っています。先日、小学生のお子さんを残して亡くなってしまったお客さん多いましたが、そのお子さんにも、ひとつの記憶を将来何か残してあげられる時が来るのかもしれません。もちろんないかもしれない。 ひとつ言えることは、楽しい思い出に対する目撃者になれるということは、これは結構ゆかいなことなんですよね。

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つづく。

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2015年12月07日

また一つ、星は流れたり

 友人が亡くなった。癌だった。元々は、うちの御客様だった人だが、ここ1年間は、御客様ではなく友人としておつきあいさせてもらった。御客様のいない日に北軽井沢にやってきた。忙しくなければ、私は何度か軽井沢・または峰の茶屋まで友人を迎えに行った。

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 彼は東京大学・ケンブリッジ大学を出て、外務省に入り、アメリカのシアトル領事、ニューヨーク領事と活躍した人が、亡くなってしまった。惜しい。悔しい。彼の死は、今後の日本の国益を左右するほど大きいのだが、そんなことはどうでもいい。悔しいのは、彼に小学6年生の息子がいたことである。

 彼は、この1年間、北軽井沢ブルーベリーYGHにきては、子供の話ばかりしていた。本物の親バカだった。ミクシーでも、Facebookでも、親バカぶりを発揮していた。しかし、悲しいかな、彼は自分の息子と面会できないのだ。別に離婚しているわけではない。別居していて会えないのだ。その原因は述べない。話したどころで、誰も信じないくらいに奇想天外だからだ。

 それはともかく最愛の息子に会えない。その愚痴を1年にわたって聞かされた。そのたびに私は心を痛めた。なぜならば、この人には時間が無かったからだ。癌だったのである。しかも治療費が無かった。外務省のキャリアにもかかわらず治療費に苦労していた。

 何かしてあげたかったが、私には、どうにもできなかった。私がしたことといえば毎回、夜遅くまで話をきいてあげて、食事には、おかゆなど特別なものを作った。胃癌だったので、食べられるものが極端にすくなく、食べては吐いたりしていて、アミノバイタルのゼリーしか食べられない事が多かった。

 彼は、よく携帯メールを送ってきた。1時間に10通きたこともある。嫁さんは「恋人みたいだね」と笑っていたが、私は返事を書けなかった。携帯で文字を打つことが苦手だったので、返事はパソコンで返した。悪いことをしてしまった。もっとメールすればよかっさたが、子育てと接客におわれて邪険にしたこともあった。今思うと、なんで、もっと返事しなかったのだろう?と悔しくてならない。

 彼の死は、Facebookを通して知った。
 世界中から死を悼む書き込みと
 生前の写真が貼られていた。

 それらの写真に、子供たちと楽しそうに遊ぶ写真が何枚も貼られていた。じつは、うちの息子とも、よく遊んでいた。最初は、子供好きなのかなと思っていたのだが、すぐに違うことが分かった。自分の息子のことを、いつも考えていたのだ。それだけに私の心は痛かった。

 こういうことがあると、つくづく健康が第一だと言う気がする。東京大学・ケンブリッジ大学・外務省・領事というコースで出世しても健康を害しては何にもならないからだ。

 そもそも彼が胃癌になる予兆はあったのだ。一時期ストレスで胃潰瘍になり、げっそり痩せていたからだ。なので、彼は健康には人一倍気をつかっていたし、健康診断も欠かさずうけていた。いわゆる健康オタクだった。

 なのに胃癌になってしまっていてリンパ腺に転移していた。どんなに気をつけていても、ストレスから解放されない限り、健康にはなれなかったかもしれない。皆さんもストレスには気をつけていただきたい。まわりに「やさしい世界」をもってほしい。

 ただ、今となっては、いろいろと聞かされたおもしろい話は、信頼できる旅仲間たちに語り継ぎたいと思っている。シアトル時代の話や、いろんな旅の話や、四国時代話や・・・・。そして、いつか・・・。

 
つづく。

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2015年11月21日

高原野菜を作っている農家さんを見学してきました

 先日、農家さんの家に見学に行きました。

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 北軽井沢も嬬恋村も高原野菜を売りにしているところなので、農家さんの実態をもっと勉強しなければならないなあと思っていたのですが、うちの若い御客さんが、農家のところにお嫁にはいったので、そのお祝いもかねて農地の見学にいってきました。

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 農家といっても、若い頃からユースホステルを使って世界中を旅した人で、その後、長野県の川上村で3年間レタス農家でバイトしたあとに、一念発起し、跡継ぎのいない農家から畑を借りて新規で農業をはじめた人が旦那さんです。お嫁さんは、都内にある日本最高峰のホテルマンだった人で、うちの宿の常連さんでした。この二人が結婚したわけです。

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 で、どうして私が農家や農業の研究をしているかというと、うちの御客さんに農家さんが多いんですよね。もちろん最初は分からなかったです。軽井沢に遊びに来る御客さんや、おもちゃ王国に家族で来る御客さんばかりだと思っていました。また、登山客だとも思っていました。実際、そのとおりなんですけれどね。宿帳の職業欄にも「会社員」とか「公務員」と書いてあるし。

 しかし、よくよく話を聞いてみると農家さんなんですよ。登山やってる人が農家だったり、ファミリーの御客さんでも、おじいちゃんたちだけは畑をやってたりする。「会社員」や「公務員」であっても農家さんであることが多いんです。だから食事にだす野菜のことをよく知っている。で、どうして嬬恋村なんかに遊びに来たかというと、もちろん目当ての一つが軽井沢のアウトレットだったり、おもちゃ王国だったり、登山だったりするわけですが、もう一つ別の目的があったりする。

 そえです!
 嬬恋村の農地の見学も、
 目的の一つだったりする。

 それを知ってから「うっかり下手なことは言えないなあ」と思ったわけです。なので機会があれば多くの農家さんの見学に行くことにしているのです。

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 これが畑です。
 いい土です。
 大根なんかは、2歳の息子でもスポッと抜ける。
 力が全くいらない。

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 これは種苗育成につかうハウス。

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 畑には、自家用野菜が。で、白マルチ(白いビニール)なのが不思議で質問してみたら、土の温度を下げるために白マルチを使っているらしい。

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 ネギをみせてもらいました。
 素晴らしいネギです。
 で、感動のあまり写真にとったら、いただいてしまった。

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 その他に、ピーマンやら、白菜やら、大根までもらってしまいました。ピーマンなんか、香りがすごくて、部屋においといたら、部屋中にピーマンの甘い香りがたちこめましたね。すごいですよ。キャベツも自家用の物を包丁できって、まんなかを生かじりしたんですけれど、甘い。

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 あんまり甘くて美味しいので、2歳半の息子が食べ始めました。

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 子育てしているお母さんなら分かると思いますが、こんな幼児が食べるわけですから、驚異的なおいしさなのが分かるかと思います。一般的に行って2歳児は、こういう青い野菜を嫌がりますから。で、キャベツの芯の近くが甘いんですよ。それも中がスカスカの方が甘い。甘いんだけれど、出荷するときに目方をかせぐために、もうすこし成長させて、中をぎっしりに出して市場にだす。だから店に並ぶ物との甘さが違ってくる。どうりでスーパーのキャベツと、朝取りの羽生田農園のキャベツのおいしさが違うと思った。

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 それにしても農業というのは奥が深い。とれたてと店頭にならぶ野菜に、これほどの差があるとは。どうりで遠くから高原野菜を食べに来る御客さんがいるはずです。外国産なんか食べられませんよ。TPPだろうが、なんだろうが関係ない。これからも私は高原野菜にこだわり続けます。



つづく。

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2015年07月18日

昭和とは? 缶詰の時代

 未来予測ほど難しいものはない。過去に予測した未来はことごとく外れている。藤子不二雄のドラエモンもしかりである。ドラエモンは、私が小学校3年生の時にはじまっているが、その頃に考えられた未来は、なんでも自動でやってくれる便利な世界だった。掃除洗濯も自動。料理もボタン一つで自動で完成。そんな未来が漫画で描かれていた。そして、私が中学生の頃に、そんな兆候が見られたのである。

 その兆候とは、自動販売機である。

 いろんな自販機が登場してきたのだ。ハンバーグ、うどん、カレー、たこ焼き、パンなどの自販機が現れて、24時間営業している自販機だけの無人の店が登場した。これこそ未来の先取りであると思った。しかし、それらの店は、21世紀にはいって大半がつぶれている。自販機は未来型の店舗では無かった。あれは昭和の遺物であり、昭和の香りがするノスタルジックな世界となってしまっている。

 21世紀は、自動でなんでもやってくれる時代にはなってない。自販機は普及するどころか減ってきている。では、自販機の代わりに何が普及したかというと、コンビニである。Amazonである。つまり自動という便利機能は、未来を変えなかった。社会を変えたのは、コンビニやAmazonという存在であった。

 20世紀でありがちな未来予測として、コンピューターに管理されるとか、コンピューターが何でもやってくれるという予測も外れてしまった。我々はコンピューターに管理されてない。むしろコンピューターを使いこなして遊んでいるし、そもそもコンピューターは万能では無い。せいぜい人類に紙が登場したくらいのインパクトぐらいしかない。別にコンピューターだなくても普通に生きていける。

 また、格差社会を予測する人も多かったが、これも笑止だろう。昭和30年代や昭和40年代の田舎(佐渡島あたり)の生活水準を想えば、平成時代の貧乏なんて屁みたいなものだろう。今は、いくら貧乏であっても家の壁紙に少年ジャンプの紙を使うことも無いだろうし、トイレの紙に新聞紙を使うことも無いだろう。冬のさなかに小便を桶にして、大便を離れの小屋にしにいく。ウンチをしているとハエが尻に張り付いてくることなど想像も出来まい。ミカン箱を解体して作った薪で湧かす樽の風呂や、五右衛門風呂だって今では郷土資料館でしかみることができなくなったけれど、昭和40年前後の佐渡島では普通に見られた風景だった。

 ワーキングプアという言葉もあるが、それを言うなら昔の方が圧倒的にプアだろう。しかし昔なら何とかなった。昔は家賃が安かった。昭和55年頃、東京池袋駅から徒歩10分の距離で3畳一間が8500円だった。もちろん風呂は無いし、トイレも共同である。電話は誰も持って無くて、ピンク電話を大家さんか管理人さんがつないでくれた。だから携帯代もかからないし、生活費も安かった。もちろん旅行費用も安かった。急行列車をつかえば、プラス500円で旅行が出来たし、それさえ使わずに自転車で旅行する人も多かったのである。安宿も多かったし、駅で寝る人も多かった。

 逆に無かったのがコンビニだった。
 昔は、田舎では18時をすぎると店が閉まった。
 病気の時にお見舞いに持って行くものは、缶詰だった。
 コンビニが無かった時代に重宝したのが缶詰だったのである。
 もちろん、旅先にも山にも持って行ったものである。

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つづく。

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2015年07月15日

駐車場のラインを引き直し、50センチ増やして、巾3メートルにした

 ひさしぶりに御客様が途絶えたので昨日一昨日と、2日かけてワックスを塗った。ついでに駐車場のラインを引き直した。前は、巾250センチだったのだが、今回は思い切って300センチまで拡張し、2台ぶんを減らした。それでも10台は駐車できる。(前は12台)

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 裏の駐車場と合わせれば、18台は駐車できる。

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 どうして、最初から、こうしなかったんだろうか? うちの定員は、19名なのだ。われながら馬鹿だったと反省した。巾3メートルなら、6メートル道路の片側車線と変わりない。前より格段と車庫入れが楽になるはずである。駐車しやすいというのも、御客様にとって重要なポイントなはずだから、今後はもっと御客様のストレスが減るだろう。

 あと、ラインを白ロープからトラロープに変えた。見栄えが悪くなるが、これで見やすくなるはずだ。
これは知り合いの大工さんの意見を採用した。大工さん曰く、駐車場は、見栄えよりも安全を第一にすべきということ。なるほどと思った。本当なら駐車場にライトをつけるべきなのだが、なにしろ広いために、全てに設置するのが難しい。とりあえず、3個くらい自動点灯ledライトをつけようかと思っている。

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つづく。

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2015年07月05日

鉄道に詳しい人から聞いた話を紹介 新幹線の安全について

うちの宿には、鉄道に詳しい人がよく泊まります。近くに吾妻線があるからなのか? どういう理由なのかはわかりませんが、とにかく鉄道に詳しい人がお客様にいらっしゃる。そのお客様から聞いた話を今回は紹介したいと思います。

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6月30日、新横浜−小田原間を走行中の東海道新幹線「のぞみ225号」の先頭車両で、男が焼身自殺を図り、男を含め2人死亡、26人が重軽傷を負う「列車火災事故」が起きましたが、今回の事件について、マスコミは「新幹線の安全神話が崩壊した」と批判しているようですけれども、鉄道に詳しい御客様から聞いた話では、全く違うようなので紹介しておきます。



今回の事件と、よく比較されているのは、2003年2月18日、韓国大邱地下鉄です。同じく自殺志願者の男が車内で飲料用ペットボトルの中のガソリンを振り撒いて放火した事件がありましたが、その時は192人が死亡、148人が負傷する大惨事となる事件になりました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%82%B1%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E6%94%BE%E7%81%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6

によると

『放火された車両は難燃材を用いて製造されていたが、高熱で融解する材質が使われており、特に窓ガラスの支持等に使用されていたゴム材が溶けて部品が脱落し、火炎が編成全体に行き渡る結果となった。』

とあります。つまり、韓国の列車は難燃材を使っていたにもかかわらず190人の人が死亡したわけです。それに対して、新幹線の場合は、自殺者以外に死んだ人はたったの1人です。

 では、なぜ新幹線が、おなじような事件で火災をコントロールできたかというと、構造、機能上やむをえないものを除き、不燃性の材料を使用することになっているためとか。もちろんやむえず難燃性のものを使うケースもあるけれど、できるだけその使用量を少なくするとともに、できるだけ極難燃性のものを使うようにしているためということです。

 宿屋をやっているために難燃性というものが存在することは知っていました。けれど極難燃性というものが存在していること自体知らなかったですね。要するに難燃性のものにもランクというものがあって、ガソリンや灯油をばらまいても燃えない物を新幹線では使っているわけです。だから可燃性の油を撒かれ火を点けられたにも関わらず車両に燃え広がることなく、消火後、自走して車庫に戻ることができたのだそうです。ある意味、今回の事件は、新幹線とその運転手さんの素晴らしさが証明されたようなものだと言っていたのがワタシ的にはかなり印象的な話でした。

つづく。

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2015年06月20日

女子は恐ろしい

 女子は恐ろしい。
 これは結婚してからわかった。

 その昔、私が高校生だった頃に統一劇場という劇団が、新潟県にやってきたことがある。それを学校全体で見ることになった。題名は結婚と言う題名で脚本はフーテンの寅さんの山田洋次だった。山田洋次の脚本だから、非常にワンパターンなドラマである。

 校長先生の娘と、マグロ漁船の船員が、結婚しようとするのだが、校長先生はそれを許さない。もちろん校長先生の親族一同も許さない。マグロ漁船の船乗りなんかに娘をやれないと言うのである。しかし、2人は家族の反対親戚の反対も押し切って結婚しようとする。それを家族や親戚が嫌がらせをしたり嫌味を言ったりするのだ。結局校長先生は、自分の間違いを認めて 2人の結婚を祝福することになる。家族や親戚の人たちも、さっきまで言ってた嫌味を忘れて、みんなで祝福してしまう。そーゆーハッピーエンドな、典型的なよくあるホームドラマであった。

 さて、この典型的なホームドラマのような芝居を高校時代に私は見ることを強要されたのだが、芝居を見ている途中に、すごいことが起きてしまった。意地悪な親戚が、主人公やヒロインをいじめるたびに、客席の高校生たちが、
「ひっこめババア」
「ふざけんなよ」
と、怒鳴るのである。完全に感情移入していた。

 もちろん芝居も脚本もうまくできていたのだが、傑作というほどでもない。よくあるホームドラマなのだ。しかし、男たちはそのホームドラマに感情移入して、つい怒鳴ってしまったのだ。この話を思い出して嫁さんにしたときに、嫁さんは全く逆のことを言い出した。

 嫁さんは女子校に通っていた。やはり演劇を学校で見に行ったらしい。そしてクライマックスのところで、それこそお涙頂戴のクライマックスのところで、全校生徒たちがゲラゲラ笑ってしまったらしい。芝居が甘かったのか下手だったのかは知らないが、私が体験した男子高校生たちの態度とあまりにも違うので驚いてしまった。

 他にそんなようなネタはないのかと聞いてみたら、出るわ出るわたくさん出てきた。

 嫁さんが子供の頃に、走行中の自動車にタッチするのが流行ったらしい。考えるだけでも恐ろしいことなのだが、走行中の自動車にタッチして遊んでいたらしい。そういうことを館林の女の子はやっていたらしい。そして、彼女が通っていた女子校では、通学路で自動車を無理矢理停止させてヒッチハイクして学校に登校するのが流行っていたらしい。恐ろしいことをするものである。

 もちろん校長先生にバレて全面禁止になってしまった。
 その理由がまた凄い。
 たまたまヒッチハイクした車が校長先生の車だったのである。

 他にも恐ろしい話はいっぱいあるが、このブログを若い男性が読んでいないとも限らないので、若い人の夢を壊すのは申し訳ないのでこのぐらいでやめておく。
 
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つづく。

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2015年06月18日

一昨日、鼻曲山の登山道を整備していたら

 一昨日、鼻曲山の登山道を整備していた。メンバーは2人である。国境平から登る登山道は、木が何本も倒れて登山道を遮断しており、途中から笹の籔がひどくなっていて、登山者が登りにくくなっていたからだ。ところが、作業の途中に電話がじゃんじゃん入ってきていた。運悪く作業メンバーの1人が、観光協会の携帯電話を持っていた。その観光協会に、いろいろなマスコミから電話がかかってきたのである。用件は浅間山の噴火の事である。もちろん噴火したことなど知る訳がない。

 私たちは鼻曲山の登山道にたわけだが、全く知らなかった。しかし電話はじゃんじゃんかかってくる。そのために、 1人が全く仕事ができない状態になってしまった。 2人でいちにちの作業を行う予定だったのだが、 1人しか作業ができないために、全く仕事にならない。おまけに電話をかけてきたマスコミ関係者は、いろいろと誘導質問をしてくるが、そもそも噴火したことさえ知らないのだから、答えられないのにしつこい。巧に回答を誘導してくるが、答えようがないので役場に電話をしてくれと言うしかないのである。

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 ここで思い出すのが2004年の噴火の時のことだ。あの時はマスコミたちにさんざんやられてしまった。高感度カメラで撮影された画像を何度もテレビに流された。火口そばの所をzoom upされて撮影されたものを流した。しかも、流される事に色を着色されて、次第に激しい噴火のように映像を改ざんされていった。

 これに何度か抗議した結果、高感度カメラで撮影してますというテロップが入るようになったが、あの映像のおかげで、全国の友人や親戚から浅間山近辺の住民たちは全滅したのではないかと思われてしまった。

 しかしそんなことはないのである。浅間山の火口周辺4 kmに民家も道路もないのだ。そこが御岳山や白根山と違うところだ。登山道の入口でさえ4キロ以上離れている。一般的に言って4キロ以上離れていれば、安全なのだ。そして4キロ以内に民家や道路はないのである。現在浅間山はレベル2である。火口周辺の規制があるだけだ。入山規制はされていない。そういう状態なのである。しかし、その日は何軒もキャンセルが入ってしまった。マスコミがあれだけ騒いだら、そういう人も出てくるだろう。残念だが仕方がない。

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 しつこいようだが私の過去の書き込みをここに紹介しておく。
 これを読んでくれれば、浅間山麓のことがよくわかると思う。

 http://kaze3.seesaa.net/article/406229611.html

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 御嶽山の噴火によって半径4キロ以内は入山禁止となった。ここがポイントなのだ。半径から4キロ離れていれば、火山はたいして怖くないのである。あれだけ噴火しても半径4キロの外なら安全なのだ。なので、吾妻山や浅間山などもレベル3になると半径4キロの立ち入りは禁止になる。

 ところがである。どこもかしこも半径4キロというふうにはいかないのだ。具体的に言うと桜島。桜島の半径4キロ以内に何があるのか? 桜島がスッポリはいっちゃうのだ。鹿児島市は、ぎりぎりセーフ。で、今の桜島の噴火警戒レベル3なのである。ここに半径4キロを適用したらパニックになるだろう。もちろん、そんなことできるわけがない。だいいち鹿児島の人間は、桜島の噴火と共生してきた歴史がある。余計なお世話だろう。口永良部島や阿蘇山だとさらにパニックになる。一回地図を開いてみてほしい。

 じゃあ浅間山は?

 幸いにも半径4キロ以内に民家は無い。生活道路も、ほとんどない。だからレベル3になっても何もかわらないのである。住民も観光客も何の心配も無い。しかし、そうはいかなかった。2004年の噴火では、ストロンボリ式噴火にもかかわらず風評被害で観光客はバタッとこなくなった。だから風評被害は怖いけれど、火山は怖くない。噴火しても4キロ以内に民家は無い。5キロ以内にもほとんどない。あっても別荘が多少ある程度である。

 草津白根山はどうだろう?

 もう絶望である。もし草津白根山がレベル3になったら、御愁傷様というしかない。半径4キロの中には、万座どころか草津温泉の中心街もスッポリ入っている。だから、この夏は、草津町民は生きた心地がしなかっただろう。もちろん志賀高原もそうであるが、風向きを考えたら東側にある草津町民の心臓はバクバクものであったと思う。さいわい、草津白根山は首の皮1枚でレベル2にふみとどまったが、レベル3に近いレベル2だったと思う。さいわい9月になってから火山性地震がパッタリとまった。まだ油断はできないが、このままいけば、レベル1の安全水準になる日も遠くないだろう。

 さて、ここで気が付いた人もいると思う。レベル3になっても大して影響の無い地域と、そうではない地域があることに。

 では、御嶽山はどうなのだろうか?

 半径4キロ以内に、山小屋はもちろんのこと、ロープウエイやら温泉やらスキー場やらキャンプ場やら旅館ペンション民宿など、いろんなものがワンサカある。つまり御嶽山が噴火すると自動的に被害がおきやすい地域なのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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 長い前置きはここまでとして、本題に入る。実は今回の噴火は、浅間高原の自然にとって悪いことでは無いのだ。少々の火山灰が浅間高原に降り注いだことによって、高山植物が元気になるからである。そして元気になって花が豊作になるからである。 pH値が酸性の火山灰が広く降り注ぐことによって、つつじ科の植物が元気になる。そしてれんげツツジや、シャクナゲが美しい花を咲かせてくれる可能性が高くなった。来年の浅間高原は花が豊作になる可能性が高い。特に浅間園や火山博物館や鬼押し出し園の花が美しくなる可能性が高い。

 あと飲料水にとっても悪い話ではありません。嬬恋村の水道は、地下水だが、過去にpH値が酸性の火山灰が広く降り注いた事によって、無菌状態の水源となっている。ほぼ塩素が必要ない状態で蛇口から出てきている。これだって浅間の恵みだと思う。

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 また、浅間山特有の植生も少しではあるが元気になる可能性もある。詳しい事は書けないが、浅間山には固有の植物があるみたいなのだ。残念ながら、植物学者があまりに熱心に調べてくれないために、地元の素人の山岳関係者が少しずつ調査をしている。そして固有種の可能性のある植物が、少しずつ発見されている。そーゆー希少動植物が元気になる可能性がある。そこまで大げさな話では無いにしても、時々噴火してくれれば、カラマツやゴヨウマツが枯れてくれて、代わりにつつじ科の高山植物が繁栄してくれれば、浅間山本来の植生が戻ってくれるからである。そうなれば、また美しい浅間高原が戻ってくれるかもしれない。しかし、そのようなことになるには、毎日のように小規模の噴火が必要になってくる。なのでマスコミさえ騒がなければ、こういう噴火は大歓迎なのだ。

 浅間山はレベル2である。
 火口周辺しか立ち入り規制は無い。
 なので私も毎日、愛犬コロを連れて登っている。
 昨日も、素晴らしい展望を独り占めできて楽しむことができた。

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つづく。

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2015年05月26日

小学校教育の今と昔

 いつだったか、うちの宿に小さな子供さんから手紙が届いた。小学校3年生になったばかりの女の子の手紙だった。なのに、大人の書く文よりも、わかりやすく素晴らしいものだった。私が小学校3年生の頃を考えたら、とてもではないが、このような文章は書けなかったと思う。季節の挨拶から入って、きちんと起承転結になってたのである。そして、何よりも手紙の中に愛情があふれていた。こういう手紙は、教養ある大人にも書くことができるものではないと思った。

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 それから1年後、東京都中野区の小学校教育研究会国語科研究部が発行する冊子が、お父さんから送られてきた。女の子の手紙が、小学校の補助テキストに掲載されたのである。どうやら、今の小学校では、手紙を書くと言う授業があったらしい。その授業の一環で、うちの宿に、手紙が送られてきたらしいのだ。そして、家に送られてきた手紙の出来栄えが良かったため、テキストに掲載されたらしい。

 これは、かなり良い教育システムでは無いだろうか?

 手紙を送るという作業は、子供たちの文章能力を鍛えるだけでは無い。子供たちに楽しかった思い出をもう一度記憶の奥から引きずり出して、日常の嫌なことや忘れたい事をリセットしてくれると思う。また、いろいろなものに対する感謝の気持ちを人に伝える訓練にもなると思う。他にも色々な副次的な効果があると思う。自分の体験を文字にするということは、論理的な思考を鍛える意味でも非常に重要なことである。会話能力も磨かれると思う。体験を文章にするという作業は、かなり高度な知的作業なのである。

 話は変わるが、お父さんからもらった文集を読んでみた。そして驚いた。うちの宿に手紙を書いてくれた女の子に限らず、掲載されている文章の大半が、大人顔負けのものばかりだったからである。昔の子供たちは、こんなに文章がうまくなかったと思う。もっとへたくそだったと思うし、どこかで聞いたことあるようなレトリックばかりを使っていたような気がする。つまり教科書を手本に字面を変えただけの文章が多かった気がする。今の子供たちの方が、文章レベルは上な気がする。 

 しかしよく考えてみたら、昔はインターネットのようなものはなかった。とはいうものの、小学校3年生が日常的にメールを打っているわけでは無い。その点においては、昔も今も変わりはないと思う。しかし、今の子供たちの方が文章が上手に見えて仕方ないのはなぜだろう? 上手なものばかりが文集に掲載されているからだろうか?

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 話は変わるが、今の学校教育になくて、昔の学校教育に合ったものに、話し方教室というものがある。みんなの前で、演説や落語や歌を歌うなどの人前で話をする授業である。これが、最近の小中学校では行われてないらしい。

 また、私よりだいぶ年上の人たちの学校教育で存在したのが、生活綴方教室(ありのままの実際を文章にすること)であった。これは、私の世代にはもう存在しなくなっていた。私よりはるか年上の世代で流行した教育だったようである。

 そういえば、私の子供の頃は、夏休みの研究発表というものもあった。しかし、実際に研究発表している子供たちは、それほど多くはなく、いつも常連組が発表していた。たいていは、親が教師であるケースが多かった。教師である親が息子や娘の指導していたことが多かったのだ。そもそも、小学校1年生や2年生位で、大人の科学者のように研究発表を自発的にするわけがない。大抵は、大人達の指導が入るのである。しかし、最初のきっかけはそうであっても、徐々に、科学好きになっていくケースは出てくる。そして、子供のくせに本物の学者のようになってしまうこともある。私の友人にそういう奴がいた。

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 同級生のK君が、そーゆー人間の代表だった。彼のお父さんは、私が通っていた小学校の先生で、K君は、お父さんと同じ小学校に通っていたことになる。まぁそんな事はどうでもいいとして、彼は何度も研究を行い、夏休みが終わると研究発表という物をやっていた。最初は、またやってるなぁと思って見ていた。もちろん背後に先生であるお父さんがついているのは承知の上である。私の母親も、小学校の教師だったので、だいたい事情は分かっている。こういう研究発表は、背後に大人(それも教職の親)が必ず存在するのである。

 ところが、何年か経つうちに、彼の科学好きは本物になっていった。彼の研究発表も、だんだん玄人じみてきていた。それは子供心によくわかった。そのうち発表さえしなくなり、研究だけを続けていた。ある日彼は、黒いガラスで太陽を覗いていた。夏休みはもう終わっていたのに、しきりにノートに記録していた。

 何をやってるんだい?

 と尋ねたら、太陽の黒点を観察していると答えた。そして、大学ノートの記録を見せてくれた。私はこの頃、航空機のエンジンと構造に熱中していた頃なので、お互いに、科学談義に花が咲いた。昭和30年代に生まれた子供たちには、そういう科学好きのところがあったのかもしれない。

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 当時は、学研の科学と学習をみんな取っていた。学校が、それらの雑誌を積極的に子供たちに進めていたのである。そのために学研の科学を購読している男子が多く、みんな、 その付録で遊んでいたのである。今の子供達よりも、科学好きな男の子が多かったのかもしれない。

 話がそれた。

 私とK君は、その後、お互い同じ高校に進学したが、ほとんど話をすることがなくなってしまった。何を思ったのかK君は、高校の演劇部に入ってしまった。もう科学は、やめてしまったのかと私は思いこんで、少し距離をとってしまったのだ。しかし、あとから聞いた話によると、演劇部に入った後でも、毎日のように太陽の黒点を観察していたらしい。そして彼の頭は、日に日に薄くなっていった。

 1年後、彼は短い命を閉じてしまった。
 癌だった。

 この病気は、今でこそ治る病気になってきている。数年前に甥っ子(10歳くらい)が遊びに来たとき、甥に髪の毛が無かった。食事の時間になってもそして客室から出てこなかった。放射線治療をしていた。今は、ふさふさしている。健康体そのものである。が、今から35年以上前は、医学は今より劣っていたようだ。良い治療が無かった。

 冬の寒い時期に、「さむいなあ」コタツに入りながら眠るようにK君は亡くなったらしい。その日の彼も黒点を観察していたのだろうか? あれから35年経つが、今私が日本の演劇史を調べなおしていることを考えてみると、何か運命のようなものを感じてしまう。 35年前の私は、そんなものには全く興味がなかったからだ。ところが今の私は、演劇史の調査をしつつも、毎日のように御客様を星空観察に連れていっているのだから。

 


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2015年05月24日

アレルギー除去食を作るのは、本当に難しい

 何故か今週末は、子連れファミリーで満室となってしまった。下は5ヶ月から、上は10歳くらいまでで、1歳児・2歳児・3歳児・4歳児・5歳児・年長さんと、全ての学年が揃っていた。これだけ揃っていて、驚くほど館内が静かだったわけは、親御さんの教育が良かったのもあるだろうけれど、ほとんど女の子だったのもあるかもしれない。うちの息子は、10歳の女の子に静かに遊んで貰っていた。こういうお姉ちゃんがいたら良かったと思うくらいだ。英語圏の御家族もいた。国際色があったのであるが、子供に国境は無い。楽しく遊んでいたようだ。

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 ただ、お父さんがシーフードアレルギーだった。鰹だし、昆布だしでもダメだという。まあ、なんとかなるだろうと思ったら、これが以外に難しかった。まず、ほとんどのドレッシングに魚のエキスが入っていた。各種ソースにも魚介のエキスが入っている。炊き込み御飯などの得意のレシピも封印された。しかし、子供たちの大好きな卵料理は作りたいので、出汁巻きの代わりに、スペイン風オムレツに挑戦したのだが、ふだん使ってないオリーブオイルを使ったり、出汁の代わりにコンソメを使うと、いつもと卵の焼き具合が変わってくるので面食らった。

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 それにしても、日常使う食材に、これほどシーフードエキスが入っているとは思わなかった。うちは洋食を作っているようで、基本的な味のベースが和食だったことに気がついた。というか、御客さんの好みを研究しているうちに、そうなってしまった。コンソメースープにしても、醤油を1滴たらすだけで、日本人好みの味に変わる。しかしこれは正統派なものではない。

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 まあ、そんなことはどうでもいい。料理から出汁を含むシーフードをのぞくことが、いかに難しいか?ということである。逆に言うと、のぞいたものが洋食になるのだ。ドイツやフランスで大衆的な料理を食べると、なにか物足りなかったのは、そこだったのだ。彼らの料理には出汁が入って無く、塩が味付けのメインなのである。だから、うまみの少ない洋食に日本人は違和感を感じるのだろう。逆に言うと、うまみにアレルギーをおこす西欧人も多いのかもしれない。いずれにしても今回は勉強になった。アレルギー除去食を作るのは、本当に難しいものである。

つづく。

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2015年05月21日

登山道と道路の清掃活動

 ここのところ、いい天気が続いている。そのせいか新緑も一段と美しくなってきた。それを確かめるために、朝5時ぐらいに起きて浅間山の9号目まで登ってみた。登ってみて驚いたのだが、残雪はほぼ無いと言っても良い。やはり今年は暖かい。

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 ところで、私はこの時期に、北軽井沢付近の山の登山道の清掃行っている。うちのお客さんの多くは、ハイキングや登山を趣味としている人たちである。そういう人たちをスタッフの土井くんが自然ガイドをしながら案内をしている。つまり、この付近の山のお世話になっているわけだ。だから恩返しに10年くらい前から登山道の整備をしているのである。

 これはかなり孤独な作業なのだが、実際に登山道の整備をしていると、整備しているのは私1人でないことがわかった。いろいろな山岳会や、志のある多くの人たちが整備しているのである。例えば浅間隠山は、私が知っているだけで3人ぐらいの人がいる。そのうちの1人は、山岳会に属してるわけでもないのに、 10数年も1人だけで笹を刈っていた。

 もちろん1日で終わるわけがない。毎年10日から2週間以上の日数をかけて、整備をしていた。そこが終わると、次に赤城山に行って登山道を整備するのだそうだ。終わるといっても、彼が整備するのは7号目くらいまでである。そこから先は、私が整備していた。

 ただし、最近はさぼり気味である。子供が生まれたからだ。それでも一昨年は、 1年間に20日くらい登山道を整備していたのだが、去年は4日ぐらいにまで減ってしまった。それも小浅間山しか整備しなくなってしまった。子育てが忙しくて、登山道の整備ボランティアまで手が回らないのである。あと、自分の息子が行ける山を優先するようになったということもある。真ダニの関係で藪のある山に赤ちゃんは連れて行けないからだ。

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 しかし今年は観光協会が、もっと積極的にバックアップしてくれることになった。人数を集めてくれるらしいのだ。もちろん全く集まらないかもしれない。だとしても私1人で出発するので何の問題もない。今までもそうしていたのだから。ただ今までと違うところは、ある程度の予算の裏付けがついたところだ。自腹だった草刈り機のガソリン代とか、ゴミ袋代などが支給される可能性が出てきた。本当なら、とてもありがたいことである。なので浅間高原シャクナゲ祭りが終わったら早速、動きたいと思っている。

 話は変わるが、宿屋をやって驚いた事は、道路清掃を主にやっているのが、観光関係者であるということだ。観光で外からやってきた人たちが、ゴミを道路に投げ捨てる。その後始末をするのは観光協会なのである。観光協会と言うと、何やら大きな団体のように思えるかもしれないが、その実態はペンションやレストランのオーナーたちの50軒ぐらいの父ちゃんたちである。彼らが集まって道路清掃をやるのだ。

 もちろん私も出かける。しかし、出席率はそれほど高くは無い。だから役場の職員とか、消防団とかも出てきて清掃を行う。そして、道路をきれいにするのだが、ここで問題が出てくる。そういう団体が清掃する区域は、群馬県内部に限られてしまうのだ。

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 つまり、中軽井沢から群馬県と長野県の県境までは掃除が出来ないのだ。
 そのために、その区間にゴミがとても多いのである。
 群馬県よりも長野県側の方が圧倒的にゴミが多いのはそういう理由である。

 しかし、その区間にゴミを落とす観光客の人たちは、長野県を通過して群馬県にやってくるお客さんなのだ。軽井沢の観光協会としてみたら、群馬県が掃除すべきだろうという話になってしまう。もちろん私たちもそう思っているのだが、群馬県側の自治体が関わっている清掃事業だと長野県まで手が出せない状態なのだ。

 ただ、観光関係者としては、そんな事は言ってられない。いくら長野県側であっても、北軽井沢に来る玄関口が、ゴミだらけでは恥ずかしい。とてもじゃないが見て見ぬふりはできない。なので、登山道の整備にかこつけて、せめて小浅間山周辺の道路清掃だけでも、目立つようなゴミを片付けてしまおうと思っている。

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 また、浅間牧場や六里ヶ原休憩所に放置されているゴミも気になる。ゴミといってもたいしたものはないのだが、タバコの吸い殻が気になる。あそこは、小さなお子さんを芝生で遊ばせる人たちが多い。もし乳幼児が誤ってタバコの吸い殻を口に入れたら大変なことになる。なのでタバコの吸殻を無造作に捨てる人を見ると、無性に腹が立ってくる。

 別に注意はしないけれど、昨日は、若い観光客がぽいと捨てられた吸殻をすぐに拾った。嫌そうな顔をされてしまったが、タバコの吸い殻は他のゴミと違って毒性が高いことをわかってもらいたい。野生動物が食べないとも限らないのだ。釧路湿原では、原因不明で死んでしまったツルの胃袋からタバコの吸い殻がでてきた事例もある。これだけは本当にやめてもらいたい。 


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posted by マネージャー at 23:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月16日

香典豆知識

 まず最初に関係ないことから。
 今日、蔵王山に噴火警報が公表された。
 去年の御岳噴火こともあるので、気をつけてほしい。

http://www.jma.go.jp/jp/volcano/forecast_02_20150413133028.html

 レベル3(入山規制) 3月31日の御嶽山以来の警報である。
 火口から1.2kmの範囲は警戒してほしい。

 それはともかくとして、近いうちに嫁さんの父親の23回忌がある。嫁さんは、あたふたと準備をしている。香典袋を探したり、あまり使ったことのない喪服や革靴を探したりしている。なにしろ北軽井沢の田舎に住んでいるものだから、普段から革靴など履いたたことがない。どこに片付けたか分からなくて探し回っている。ふだんはゴム長靴か登山靴以外はいたことがないからだ。ちなみに、嫁さんの実家は曹洞宗である。群馬は曹洞宗がやたらと多い。

 私の祖母が死んだ時は、真言宗であった。佐渡島にある小比叡と言うお寺のお坊さんが葬式を行った。小比叡というのは、比叡山のミニバージョンという意味らしいが、比叡山は天台宗だったはずだ。なぜ小比叡なのに真言宗なのか謎である。

 まぁそんな事はどうでもいいとして、祖母が死んだときに初めて真言宗の葬式を体験したわけだが、目が点になるような葬式だった。何人もの僧侶がやってきて、声明(しょうみょう)という歌を聞かされた。お経を謡曲のように歌うのであるが、さながら日本版ウィーン中年合唱団のような感じである。その上、葬式に来ていた人たちみんなで何やら怪しい踊りを踊っていたのにも目が点になったものである。その後、お坊さんが、いろいろな呪いみたいなことを、事あるごとにやっていた。いかにも密教という感じであった。

 それから比べると曹洞宗のお葬式は、かなり簡素である。密教のような怪しさもないし、お経も素人の耳で聞き取れるようにハキハキと上げている。そして僧侶の話がうまいし面白い。おまけに、 1人1人に色々な言葉をかける。例えて言うならば真言宗がカトリックだとすると、曹洞宗はプロテスタントのような雰囲気がある。


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 長い前置きはこのくらいにして、香典について話したい。事の起こりは嫁さんが、香典にいくら包むかという疑問から、インターネットで調べたことから始まる。そして、香典についての豆知識を得た。そして私に語りかけた。

「お供え物は、お供えした後にお墓から持ち帰らなければいけないの知っていた?」
「カラスが食べちゃうからね」
「それもあるけれど、仏様は香りしか食べられないらしいよ。だから香典も『香り』と言う文字を使うんだって。仏様には香りを食べてもらって、お供えは、お墓から持ち帰るのが礼儀なんだって」

 嫁さんはインターネットの豆知識を披露した。
 なので私もお返しに自分の知ってる話を披露した。
 私の豆知識は、ネットではなく本から得たものである。

「昔はね、お墓にお供え物を置いて帰ったんだよ。そのまま持ち帰らなかった。これは群馬県の話なんだけれどね」
「どうして?」
「お墓のあたりには、食うや食わずの子供たちや、子供を背負って放浪している女の人たちが、こっそり隠れていたんだ。そしてお供え物をいただいて命をつないでいたらしい。だから明治大正の頃は、お供え物を持ち帰らなかった」
「お供えをとった人に仏罰は?」
「ないない。喜捨だから。仏様には香りを差し上げたのでそれでおしまい。残ったお供え物は、貧しい人に持っていってもらうことによって、善を積み重ねることができるので、これはこれでいい。群馬県の昔の農家には、そういう風習があった。昔は福祉施設がなかったから、このように貧しい人にお布施をしたわけさ」
「うーん」
「場合によっては、お墓でお祈りしてる時に、我慢が出来なくて、お墓の後ろから手が出てきて、お供え物とっていく人もいたらしいけれど、それも黙認していた」
「・・・」
「でもそういう人たちは、人様から物乞いをしたくない。いわゆる少しばかりのプライドのある人たちなんだよね。顔を隠してこっそりお供え物をもらうわけだから。もっと困っていた人たちは、直接、 1軒1軒家を回って物乞いをした」
「・・・」
「そういう場合は、どの家でも必ずなにがしかのお布施をした。恥を忍んで家を回るのはよほどのことだと察したわけだ。つまり、当時の日本人は、よほどのことがない限り、そういうことをしなかった。よほどの事だったから喜んで布施をした。むしろ布施行として喜んでやった。あと、お布施は、すぐに食べられるものをあげた。お金をあげても、昔の事だから、コンビニで食料を買うこともできない。店なんかなかったからね。かといって、お米をあげても、生で食べるわけにもいかない。だから、握り飯とか、お菓子をあげたりした」
「・・・」
「これが平成時代なると、生活保護を受けられずに餓死する人がニュースになったりしているのに、ベンツに乗って生活保護を不正にもらっている人たちもいる。お供え物もカラスが食べ散らかすから持ち帰らなければならなくなった。」

つづく。

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2015年04月11日

タコ料理と御飯

 群馬県と香川県にはある共通したものがある。雨が降らないことだ。当然のことながら農家の人たちは米ではなく麦を作る。で、うどんをよく食べるのだ。これは香川県でも一緒である。群馬も香川も、うどんが名物である事は一緒なのだが、 1つ違うところがある。香川県民は、外食でうどんを食べる。群馬県民は、自分の家でうどんを作って食べる。群馬県出身の嫁さんに聞いてみたら、おばあちゃんの家に遊びに行くと、うどんを打っていたらしい。うどんは自家製のものを食べる。それが群馬県の特色だったらしい。しかし、そういう風習は、今はもう廃れているかもしれない。自分の家でうどんを打つ家庭は、もうほとんど無いのではないだろうか?

 私の出身地は新潟県であるが、確かに子供の頃には、自分の家で笹団子を作っていた。しかし、昭和50年くらいになると、笹団子は、お店で買うものであって、自分の家で作る事はもうなかった。だから私の弟は、自宅で作った笹団子を食べた記憶を持ってないだろう。

 話は変わるが、うちは宿屋なので全国からお客さんがやってくる。そしてお茶会で、食べ物の話になることが多い。で、時々お客さん同士で論争になったりするのだが、その中で香川県のネタがある。香川県は、日本でいちばん外食率が高いらしい。つまりうどん屋で、うどんを食べる。しかも、いなり寿司と一緒に食べるらしい。いなり寿司とうどんであるから、炭水化物のコラボである。そのためか、糖尿病になる確率が全国ナンバーワンなのだそうだ。

 それを聞いた、他の地方のお客さんは、いなり寿司とうどんを一緒に食べるのはおかしいと言う。しかしここで香川県民は、反論をする。たこやき定食みたいなものだと。そうなのだ、大阪には、お好み焼き定食とか、たこやき定食とか、焼きそば定食というものがある。あれだってダブル炭水化物である。糖尿病になってくれと言わんばかりのメニューである。

 たこやき定食はありえない。
 お好み焼き定食はありえない。

 と、誰もが思うだろうが、ところがどっこい、そうでは無いのだ。大阪府民にとっては、たこやきは、タコ料理なのだそうだ。つまりたこやき定食とは、タコ料理をご飯と一緒に食べるのであって、ご飯をおかずにご飯を食べてるのではないらしい。お好み焼きも、キャベツと豚肉の料理の1種であって、ご飯をおかずにご飯を食べてるのではないらしい。なるほどと感心してしまった。

 この話を嫁さんに言ってみた。すると、焼きそば定食は、群馬県ではあり得るらしい。焼きそばも野菜炒めの変化形らしい。つまり綿の入った野菜炒めをおかずにご飯を食べているのだそうだ。それはありえんだろうと思ったが、反論するのはやめた。なにしろ嫁さんは、麦茶に砂糖を入れる派なのだ。それが群馬県館林では当たり前だったらしい。私にしてみたら、無茶苦茶なことに思えるのだが、麦茶に砂糖を入れる地域は結構あるのである。

 まぁ、人の好みはそれぞれだし、目玉焼きをお客さんに出すときには、醤油とソースを両方出している。しかし、たまにケチャップを使いたいというお客さんや、粉チーズは無いのかというお客さんや、タバスコは無いのかというお客さんもいる。そうなのだ。目玉焼きには、いろいろな流派があるのだ。人によっては、卵の黄身を固く焼いて欲しい人もいるし、あれが半熟なのがいいと言う人もいる。ひっくり返して焼いて欲しいと言う人だっている。だから最近は目玉焼きを出す事はなくなってしまった。だし巻きか、オムレツか、キッシュを出すようになってしまった。それでも、だし巻きにソースをかける人がいるのに驚いたけど。


つづく。

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2015年04月10日

薪ストーブと用務員さん

 私が生まれたのは、昭和36年の7月である。出身地は新潟県は佐渡島。小学校に入学すると、そこには薪ストーブがあった。当時、薪当番というものがあって、朝早くに学校に行って、用務員さんから薪をもらってきた。その薪は、太い針金でぐるぐると巻かれていた。その針金を分解して、新聞紙などの焚きつけて朝ストーブに火をつけるのである。

 ところで、学校が終わると友達の自宅に遊びに行くことになる。そして夕方5時のサイレンが鳴ると家に帰るのだが、たまに友達のお母さんが、風呂を沸かしていた。当時、ボイラーのようなハイカラな風呂釜がある家は少なくて、五右衛門風呂か、巨大な樽風呂がほとんどだった。樽風呂の方が多かった気もする。もちろん薪で風呂を沸かすのだが、薪といってもみかん箱を解体して作った薪である。または、どっかから拾ってきた板を燃やして樽風呂を沸かしていた。それが珍しくて、私は、ずっと見学をしていた。というのも、私の家は当時珍しいボイラー式の風呂釜だったのである。つまり新築の家に住んでいたのだ。そのために薪で風呂を沸かす友人の家の風呂釜が珍しかったんだと思う。

 それはともかく、 9月から10月ぐらいになると、小学校の校庭で、用務員さんが汗だくになって薪割りをする風景が見られるようになる。 30ぐらいある教室の薪ストーブの薪を蓄えなければいけないからである。それはもう莫大な量である。それを、年配の用務員さんが、上半身素っ裸になって、ねじりハチマキで、次から次えと薪を割っていた。子供心に私と、その友人たちは、飽きもせずにずっと眺めていた。用務員さんは何時間も何時間も黙々と薪を割っていた。薪は、校舎の壁に次から次えと積み上げられていくが、何しろ凄い数なので、校舎の壁をずらっと薪の壁が包み込むようになる。だから校舎の窓を開けると、すぐそこに薪の束があるという具合である。

 ちなみに用務員さんは、とても優しい人だった。事情があって、私が泣きそうにながら学校に行くと、すぐに声をかけてくれて、心温まる対応をしてくれた。そういう用務員さんだから、みんなから好かれていたと思う。用務員さんには奥さんもいた。奥さんと一緒に学校に泊まり込んでいた。というか住んでいたと思う。毎日のように、夜の学校を見回っていた。私の父は、厳格な人間だったので、私は何度も家を追い出されて街中を放浪したのであるが、行き先は必ず小学校の縁の下だった。

 父親に殴られ蹴られ何度も追い出されているうちに、子供ながらに知恵がついてくる。家を追い出される時のために、学校の縁の下に、こっそり秘密基地を作っていた。当時は、段ボール箱のようなものはないので、用務員さんが割って束ねた薪をせっせと学校の縁の下に運び、それで椅子やらベットを作り、食料や現金や懐中電灯などを隠しておいていた。

 小学校2年生位の子供が、そんな不審行動をするものだから、用務員さんが気がつかないわけがない。縁の下で、いろいろ作業してるのを、用務員さんに見つかってしまった。怒られるのかな?と、びくびくしていたが、彼は何も言わなかった。私は慌てて逃げ出した。用務員さんが追いかけてくる事はなかった。けれど、これで秘密基地はおじゃんになってしまったと観念した。

 しかしである、翌日、その秘密基地に行ってみると、何一つ撤去されてなかった。私が、作ったままそのままの状態で存在していたのだ。すると、薪割りの音が聞こえてきた。私は縁の下から出てくると、用務員さんが、盛んに薪を割っていた。目と目が合ったが、彼は黙々と薪終わっていた。私には何事もなかったように、作業を続けていたのである。今思い出してみると、非常に不思議な気がする。なぜ用務員さんが、何事もなかったようにスルーしてくれたんだろうか? そして私が使ったために足りなくなった薪を、割り始めたんだろうか? 今思えば不思議な事だらけである。

 ただ思い当たることがあるというすれば、私は、夜の小学校で、よく用務員さんにお世話になっていることだ。父親が厳格だったので、ランドセルに教科書が1冊でも欠けていると、学校に取りに行ってこいと怒鳴られて、泣きながら何度も学校に取りに行ったことがある。もちろん、玄関から入るのではなく、窓からこっそり学校に入り込んだ。夜は暗いので電気をつけて自分の席の机の中をごそごそとやる。その度に、用務員さんが駆けつけてくるのである。それはそうだろう。夜の学校で電気をつければ、そこだけ目立つのだ。泥棒でも入ったかもしれないと、用務員さんが恐る恐る駆けつけてくる。しかしそこには、小学校1年生位の子供が泣きながら、落とし物やプリントを探しているのだから、そういうことが何度も何度も続けば顔見知りになってしまう。しかし彼は、深入りはしてこなかった。とても優しい人だったけれど、ある程度の距離を保って見守ってくれていた。それが良かった。秘密基地のそのままにしてくれていた。今では考えられないことかもしれない。

 私は小学校3年生になった時、
 その用務員さんがいなくなった。
 そして学校から薪が消えた。
 すべて石油ストーブになってしまったのである。
 日本はその頃から豊かになっていた気がする。
 ちょうど大阪万博が始まっていた。

つづく。

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2015年04月08日

今年のシャクナゲについて

 今朝、起きてみたら一面が真っ白なので驚いた。4月の雪である。お客さんの予約が入ってなくて良かったと心から思った。心配なのはシャクナゲ園である。つぼみが成長した時に雪は積もると、つぼみが枯れてしまうのだ。まだ4月だから大丈夫だとは思うのだが、心配は心配である。 1番最悪なのは、ゴールデンウィーク直前に雪が降ることである。そうなったら目も当てられない。シャクナゲ園のシャクナゲは全滅する可能性があるからだ。

 もちろん全滅しないシャクナゲもある。それは天然のシャクナゲである。天然のシャクナゲは、山の林の中に存在する。したがって息が降っても、カラマツやゴヨウマツの枝などに雪がブロックされるので、つぼみが枯れる事は無いのだ。しかし、人工的に作ったシャクナゲ園は、カラマツやゴヨウマツの木を伐採してしまっているので、雪が降ったらつぼみが全滅してしまうしかない。自然災害に弱いのである。

 しかし、安心してもらいたい。もしそのような事態があっても、少しばかりシャクナゲを歩いて標高を稼げは、そこには天然のシャクナゲがある。そこに行けば、美しいシャクナゲを見ることができるのだ。よく、シャクナゲのピークはいつ頃ですか?と言う問い合わせがあるが、実際はそんなものはない。クローンであるソメイヨシノではあるまいし、個体や種類によってシャクナゲの開花時期が違うのであるから、ピークなどというものは存在しないのだ。

 それにシャクナゲ園自体が、 200メートル以上の標高差があるために、標高によってピークはまったく違ってくる。もちろん、周りの木の影によって変わってくる日照時間の有無によっても開花が違ってくる。北斜面か南斜面か、東斜面か西斜面かによっても違ってくる。だから地元のガイドさんか、宿屋のオーナーに聞けば、その辺は詳しく教えてくれるだろう。

 また、シャクナゲが群生しているところは、シャクナゲ園だけでは無い。鬼押し出し溶岩の終点あたりには、天然の白山シャクナゲの群生がある。面積的に言えばシャクナゲ園以上の広大なところに分布しているが、地味な白山シャクナゲであるために、嬬恋村では誰もプッシュしていない。当然のことながら、どの観光ガイドにも掲載してないし、観光協会や、嬬恋村観光商工課も観光地としては紹介していない。

 桟敷山の山麓にも巨大なシャクナゲ群生地がある。ここには地味な白山シャクナゲではなくて、きれいな東シャクナゲが大量にある。しかしここも、どの観光ガイドにも紹介されてない。もちろん嬬恋村も観光協会も紹介していない。地元民でさえ知らない人は多いだろう。ここはいわく付きの場所で、もう少しで太陽光発電のために壊滅するかもしれない地域だった。あと1歩のところで、貴重な自然が破壊されるところだった。なんとか開発を阻止できたので、私はほっとしている。

 それはともかく、このシャクナゲ群生地が、なぜ全く紹介されないのか不思議に思ったことがあった。しかし何度か私が調査のために通ってみたら、その理由が分かった気がした。クマの巣がたくさん見られたからだ。おそらく湯ノ丸山に出没するクマたちは、普段はこの辺あたりを餌場にしているのだろう。この辺を散策したい人たちは、ガイド付きで散策することをお勧めする。

 他にもシャクナゲの群生地はたくさんある。ここに書いても良いが、多くは私有地であるので、私有地でないところを1つだけ紹介しておく。高峰山と黒斑山の裏コースである。あそこは東シャクナゲの群生地があるが、嬬恋村で最も遅くまで見ることのできるシャクナゲの群生地である。年度によっても違うが、 7月上旬に見られる群生地は、あの辺あたりだけかもしれない。

 これは手前味噌になるが、シャクナゲの群生地の情報を知りたい人は、うちの宿に泊まるといいかもしれない。毎日のように山に登る宿屋は、嬬恋村では私ぐらいのものだ。昔は、ペンションモチモチの木の奥さんや嬬恋高原クラブのご夫妻が、よく登っていて、山で出会うこともあったのだが、両方とも宿を閉めてしまった。最近は、山の中で出会う地元の宿のオーナーさんが、めっきり減ってしまっている。ちょっと残念だが、それでもたまに山の中でペンションオーナーさんと出会うこともあるから、ひょっとしたら、私の他にも山に詳しい人はいるのかもしれない。


つづく。

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2015年04月06日

災い転じて福となす

 事実は小説より奇なりと言うけれど、まさにその通りである。この仕事をしていると、お客さんや、観光関係の仲間たちの壮絶な人生に胸を痛めることが多い。残念ながら私には、密かに応援することぐらいしかできないが、ポジティブで前向きな人であれば、どんな困難があっても、必ず乗り越えられるのではないかと思っている。

 それはともかく今日は、用事があったので、軽井沢から妙義山方面に向かって車を走らした。妙義山の麓は桜が満開だった。思わずキュンとなってしまった。人はなぜ満開の桜を見ると心がキュンとなってしまうのだろう? 桜の木の塊を見ると、たいてい小学校か中学校がある。学校があるところには、桜の木が多いのだ。江戸時代から明治時代初期にかけての昔は、出版物は桜の版木で行っている。そのために学校のそばには多くの桜の木を植林したという。印刷によく使われるる桜の木を売って学校の機材を調達したと言う話を、地元の郷土史家に聞いたことがある。資金調達のために植えられた桜なのかもしれないが、その桜のために、入学式で多くの桜の花を見かけるようになってしまった。昔は今よりも寒かったために、桜が咲くのは今よりずっと遅かった。入学式シーズンに桜が咲いていたとのことである。そう言われてみれば、私が子供の頃、桜の咲くのはもっと遅かったような気がする。

 ちなみにうちの嫁さんは、群馬県は館林の生まれなのだが、その館林の教育史を調べたことがある。すると面白いことがわかった。明治時代の群馬県は、全国的に見ても裕福な農家が多かったらしい。そのために多くの東北の子供たちが、口べらしのために出稼ぎにやってきた。年齢は10歳から12歳位の子供たちだったらしい。多くは子守として雇われていた。子守をする代わりに、食事を与えられるのである。給料は、食事だけだったらしい。まるで朝ドラの「おしん」みたいな話だが、実はそれほど酷い状況でもなかったらしい。子守は、農業よりも仕事的には楽だったのだ。東北に残された子供たちの方が、不運だったらしい。というのは、 20歳を越える前に腰が曲がって、冬には温泉治療をしなければ、腰が治らないくらいだったらしい。

 ところで、群馬県に出稼ぎにやってきた東北の子供たちを、群馬県の人たちは「奥州っ子」と言ったらしい。 10歳位の彼らは、学校の外で子守をしていたらしい。学校の中に入らずに学校の外で子守をしていたのだ。すると、小学校の先生たちは、わざわざ窓側のほうの黒板を使って授業していたらしい。つまり外で子守をしている「奥州っ子」たちに、見えるように授業したとのことである。すると「奥州っ子」たちは、棒を使って地面に一生懸命文字を書いて練習したりしたらしい。時期的に言うと明治時代末期の頃の状況である。というのも、そのような記録が偶然にも残っていたのだ。それらの記録を読むと、朝ドラの「おしん」に対する印象がまったく違ってくるから面白い。朝ドラの「おしん」というのは、まさに群馬県における「奥州っ子」たちにそっくりであるが、その「奥州っ子」たちにも、なんだかんだと周りの大人達は暖かい心遣いをしているのが面白い。

 ちなみに群馬県の農家が、東北の農家よりも裕福だった理由の1つに養蚕が盛んだったことも挙げられるだろう。明治時代は日本の絹糸が世界を席巻した時代であった。その原因ははっきりしている。絹糸の大生産地であった中国が太平天国の乱などの長い戦乱のために、壊滅的な状態になっていたのである。そのために日本の絹糸は世界中に売れまくったのだ。ある意味日本は運がよかったとも言えるかもしれない。

 もう一つ運が良いといえば、天明3年の浅間山の大噴火も、結果として群馬県に幸運をもたらしたらしい。あの大噴火によって、群馬県の農家は大災害を受け、桑畑くらいでしか生き延びることが難しくなったということを地元の郷土史家に聞いている。それが結果として明治維新後、群馬県の農家を豊かにしたとの事だった。まさに災い転じて福となすを言葉通りに実行したことになる。世の中、何が幸いするかわからないものだ。


つづく。

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2015年04月05日

一病息災

 先日、昔ヘルパーをやっていた知り合いに結婚したという報告を受けた。こう言ってはなんだが嬉しかった。こういう話は、何回聞いてもワクワクする。よかったなあと思う。と同時に、心の底でほっとした。その人は、実はお医者さんになったばかりなのだが、新人の医者というのは、ものすごく忙しく、勉強することも多いと聞いている。だから、うかうかしていると、すぐに歳をとってしまうから、気がついたら孤独でいるということも多いと聞いていたから心から良かったと思った。もちろん勉強も頑張ってほしいし、腕を磨いてもらいたいと思うけれど、自分の人生も大切にしてもらいたいとも思っている。

 と書くと、何やら奇麗事のようなことを言っているように思えるかもしれないけれど、わたしは宿屋である。他人様より少しばかり、人々の人生を見ることの多い職場なのだ。他の人たちよりも、人様の幸せというものに、敏感になってしまうところがあるのである。

 ここから話を変える。健康についてである。宿屋をやっていると、闘病している人たちとも、お話をする機会が多い。その度に、なんとかならないのかなぁ?と神様に祈ることも多いのである。今年は、事務所の前に小さな小さな神棚を作った。そして、そこに碓氷峠の熊野神社のお札を置いてある。別に信心深い訳ではないが、どちらかというと宗教には無関心であり、無宗教に近い人間ではあるのだが、胸が痛くなるようなお話を聞くと、自然と何かに祈らざる得ないことがあるのだ。だから今年は神棚を作ったのである。

 まぁ、そんな事はどうでもいい。闘病してる人たちと出会うたびに、自分には何もできないことにイラついてくる。そのための神棚なのだが、それはともかくとして、世の中のお医者さんたちに、頑張って勉強してくれよと、自分なりにエールを送っている。実は、神様に祈っているのではなくて、研究室や現場で頑張っているお医者さんに祈っているのかもしれない。どうひっくり返しても、自分にはこれしかできないのだ。

 医学の進歩は、お医者さんや科学者たちに任せるとして、私達に出来る事がある。少しでも病気にかからないように、健康を保つことなのだ。それは長生きすれば、癌になる確率が高くなるだろうけれど、いまは医学の進歩が早いので、少しでも歳月が経てば、治らないものも治るようになるかもしれない。

 うちの近所に、寿命があと数年であることを宣告された友人がいるが、その友人は数年どころか20年生きている。そしてぴんぴんしている。とても死にそうな感じでは無い。しかし、 2日にいっぺんは透析をしないと生きていけない体ではある。にもかかわらずすごい健康体に見える。いまは300名山を目指して頑張っているところだ。彼が病気を宣告された時は、数年後に死んでくらいの医学水準だったのに、彼が健康を維持している間にいつの間にか医学が進歩したのだろうと思う。これも彼が、健康に対して真剣に向き合ったからなのかもしれない。

 それにしても、健康というのは空気と水に似ている。空気も水もそれがなければ人間は生きていけないのだが、誰もが空気や水をありがたいと思わない。当たり前すぎて、ありがたみがわからないのだ。健康もそれに似ている。だから健康そのものの人の方が、大きな病気にかかりやすいと聞く。無病息災よりも、一病息災とはよく言ったものだ。 1つくらい病気を持ってた方が、健康に気遣うので長生きするということだが、それはよくわかる。フーテンの寅さんの渥美清も、若い頃に肺結核をやったために、健康に気遣うようになり、長生きをした事は有名であった。もし若い頃に灯を消しなければ、さすがの彼も無理な暴飲暴食で寿命縮めていたかもしれない。


つづく。

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2015年03月24日

佐渡島 金井温泉金北の里について

 まず最初にお礼を申しあげたい。嬬恋村において、これ以上太陽光発電が増える事はなさそうな状況だ。首の皮1枚で、嬬恋村の自然は守られようとしています。 これもひとえに皆様のご助言と、ご支援のおかげです。本当にありがとうございました。

 少しばかりの固定資産税を目当てに、これ以上の嬬恋村の自然が破壊されることがあってはならない。それは役場の人たちも、議員さんたちも、村長も充分分かっていることだろうと思います。ただ、今はどの自治体でも赤字予算でアップアップしている状況ですから、そういうおいしい話があれば、飛びつきたいのはわかります。しかし、ここはひとつ冷静になって考えていただきたい。いちど壊された自然や景観は、二度と元に戻らないのである。貴重な自然遺産を、大切に大切に守っていただきたい。

 前置きはこのくらいにして、今日は温泉について語りたい。
 新潟県は佐渡島に金井温泉金北の里というものがある。
 知る人ぞ知る名泉である。

http://care-net.biz/15/sado-shakyo/onsen03.php

 場所は佐渡島のど真ん中にある。島を観光するには非常に便利な場所である。宿泊することもできる。値段は2,000円からと格安で、設備はすこぶる良い。交通の便も良く民宿やホテルや旅館の半分ぐらいの値段で泊まれると言う驚異的な宿泊施設である。だから、そこを知っている人は、何度もリピートする。

 リピートする理由は、リーズナブルなことも理由の1つなのだが、それだけでは無い。温泉の泉質が良いのだ。佐渡島唯一の強塩泉。塩分が強くて殺菌作用もあり、湯冷めもしにくく、温泉の比重が高いために疲労回復にも良いときている。いちどでも温泉につかったことがある人ならわかると思うが、疲れの取れ具合がまるで違う。

 私はその昔、何度か大佐渡山脈を縦走したことがあるが、下山したら真っ先に、この温泉につかりにいったものである。今はどうか知らないが、昔は大佐渡山脈に、登山道などはなかった。せいぜい相川からドンテン山くらいまでしか道がなかったので、ドンテン山から北の果て鷲崎灯台までは、薮漕ぎをしながら縦走した。非常に体力を消耗し、体中ヘトヘトになったものだが、その疲れを癒してくれる温泉は、いつも金井温泉金北の里だった。

 温泉に入ると、大きなガラス窓から大佐渡山脈が見える。夕日を浴びた大佐渡山脈は、それはもう美しい。絶景の一言である。佐渡で1番美しい大佐渡山脈が見られるのは、この金井温泉金北の里だけかもしれない。春の大佐渡山脈も美しいが、紅葉の時期の大佐渡山脈は、さらに美しい。夕焼けに染まるその山姿を温泉につかりながら眺める。こんな贅沢が、他にあるのだろうか? 全国、どこを探しても、これほど素晴らしいロケーションを眺められる温泉は、そんなに多くは無い。このことを佐渡島民は知っているのだろうか?

 実は、佐渡島は、日本中の登山家にとって、非常に注目されているところである。天然杉のことももちろんだが、高山植物の豊富さや、すばらしい景観は、登山愛好家たちに急速に口コミで広がりつつある。私は、彼らが佐渡島の山が、知床や屋久島にも匹敵するほどの素晴らしいところでは無いだろうか?と囁いているのを何度も耳にした。そして、それを耳にするたびに、大佐渡山脈を下山したら、金井温泉金北の里に行きなさいとアドバイスしていた。

 私のアドバイスを聞いた登山家たちは、金井温泉金北の里の温泉につかって疲れを癒し、素晴らしい大佐渡山脈にうっとりしたという。そういう報告を何度もいただいた。やはりあの温泉を紹介して良かったと心から思った。しかし、その温泉が、閉鎖の危機にあるということを聞いた。

 冗談では無い。
 あの温泉だけは、閉鎖してはいけない。
 あの美しい大佐渡山脈を見ながら入れる温泉他には無いのだから。
 全国の登山家の皆さんのためにも、ぜひ存続をお願いしたい。

 もし宿泊客が少なくて困っているのなら日本ユースホステル協会と契約してユースホステルの仲間になっていもらいたい。そうなれば正々堂々と私どもの宿から御客様に推薦できるので検討してみてはいかがだろうか?

金井温泉保養センター 金北の里
新潟県佐渡市中興乙2822-1
営業10:00〜22:00
祝日営業、翌日休み
料金大人:大人:500円 子供:子供:250円
0259-63-6511

宿泊料金
宿泊人数 (1人あたり)
1名様   3,000円
2名様   2,500円
3名様   2,200円
4名様   2,000円
(入浴料は別途、小人半額)

※チェックイン /午後4時
※チェックアウト/午前10時
※小人(小学生)は半額
※自炊室使用可能


つづく。

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2015年03月04日

なぜか川島和子のスキャットを聴きたくなった

 歳をとると数字が分からなくなる。具体的に言うと、今日が何日なのかがわからない。自分が何歳なのかもわからない。もちろん時計やケータイを見れば今日が何日か分かるし、計算すれば自分が何歳ともわかる。しかし、そんなめんどくさい事に興味がなくなってしまうのだ。現に今年が、平成何年なのか、ついさっきまで知りもしなかった。いや厳密に言うと、ぼんやりとは知っていたのだろうけれど、あまり気にならなかったのだろう。しかし、もうすぐ税務署に申告するにあたって、今年が平成何年なのかが、目の前にどーんと見えてきた。なんと今年は平成27年なのだ。元号が昭和から平成になって27年も経ってしまったのだ。

 驚いてしまった。
 27年である。

 27年といえば、戦争が終わってから27年経った昭和47年に、うちの嫁さんが生まれている。つまりうちの嫁さんが生まれた27年前、日本は焼け野原だった。広島と長崎には原爆も落ちているのである。その27年後にうちの嫁さんが生まれている。そのぐらいの期間が、昭和から平成になって過ぎているのだ。

 そう思うと無性に川島和子のスキャットを聴きたくなってしまった。川島和子といっても、かなりのアニメオタクでもない限りその名を知る人は居ないだろう。しかし、この人の声は人間国宝にしても良いと思っている。由紀さおりと川島和子のスキャットは、日本が世界に誇れる芸術作品だと思ってる。騙されたと思って、ちょっと聞いて欲しい。今は誰でも簡単にYouTubeで聞けるので聴いてみてほしい。



 YouTubeをご覧になった方ならば、ご存知かと思うが、宇宙戦艦ヤマトのop曲である。この作品は昭和49年にできた作品で、私はリアルタイムで見ていた。そして衝撃を受けた。 YouTubeの画像を見てもわかる通り、まず地球が焦土となっていた。海の水は蒸発して、放射能に汚染されて、あと1年で人類が滅亡するというそういう設定のアニメだった。こういうアニメは当時なかったのだ。だから衝撃を受けた。この衝撃は、現代人にはちょっと分かりづらいかもしれない。なにしろ戦争が終わってから29年しか経ってなかったのだ。たった29年前に、日本中が焼け野原になった。そういう時代背景があったのだ。29年が長いと感じられる人がいるかもしれないが、今年が平成27年であることを考えてみてほしい。 29年は決して長くないのだ。

 ちなみに私は戦争が終わって16年後に生まれている。

私が小学校の時に、よく行くおもちゃ屋さんがあった。そこで皆と駄菓子を食べて遊んだものだったのだが、そのおもちゃ屋さんのご主人が、空母瑞鶴の乗員だったのだ。だからそこで軍艦のプラモデルを買うと、そこの親父さんが昔の海軍の話をよくしてくれた。それがまた面白くて、それが聞きたくて、安いプラモデルをよく買ったものである。

 中学校の時の社会の○田先生は、特攻隊の生き残りだった。この先生からは、戦争の事は何一つ聞き出せなかったが、いつもバカっぽい話ばかりするこの先生が大好きだった。そういう人たちが周りにゴロゴロといる環境の中で、宇宙戦艦ヤマトは放映されたのである。

 オープニングの川島和子のスキャットと廃墟になってしまった地球を見た瞬間、これは太平洋戦争のパロディーだとすぐわかった。あれは終戦間際の日本の姿だった。そう思わざるを得なかった。そしてアニメのほうも本編が進むにつれて、太平洋戦争の逆パロディが次々と再現されていった。戦史を知っていたら誰でも簡単にわかるようにできていた。ただ残念なことに、あまりの低視聴率のために、半分で打ち切られてしまった。宇宙戦艦ヤマトの人気が出るのは、それから数年後の再放送の時からである。昭和49年の時点では、裏番組のアルプスの少女ハイジに完全に負けていた。宇宙戦艦ヤマトを見ていたのはほんの少数だったと思う。を

 しかしである。じわりじわりと後で人気が出てきたのだ。特にレコードが売れた。もちろん川島和子のスキャットも話題となった。この曲を作った宮川さんは、白鳥の湖のop曲のようなイメージでのスキャットを入れたらしい。そう言われてみれば、なんとなく似ているが、白鳥の湖よりも、もっともっと悲劇的な感じがするのは、そこに、いちど焼け野原になった日本を見ているものの凄みを感じるのだ。



 宮川さんは、このヤマトで名をなしたといってもいいかもしれない。それ以前の曲と全く違うからだ。それ以前は流行歌やクレージーキャッツのあっと驚くタメ五郎あたりを作曲していたのである。あまりの違いに驚き呆れるしかないのだが、私は宮川さんのライフワークはヤマトだと思っている。

ちなみにヤマトの主題歌を歌ってる佐々木さんのお母さんを私は個人的に知っている。何度も一緒に食事をしている。彼女は日本で数少ない女性起業家として有名な方であるのだが、なぜかテレビには出てこないので、いちど本人に聞いてみたことがあるのだが、息子と私は別ですと言っていた。息子関連で、マスコミには出たくない人だったらしい。今生きていれば、かなりのおとしのはずだが、どうしているものやら。私は最後にお会いしたのは、今から20年前だったが、その頃せっせとシナリオ書いていたけれど、今も書いておられるのだろうか?

話が飛んだので、もう一度話を戻す。

中学生の頃、私は、小遣いを叩いて宮川さんの宇宙戦艦ヤマト交響曲のテープを買った。そして川島和子のスキャットを何度も繰り返して聴いたものだ。しかし残念ながら、まだアニメブームはやってきてなかった。それが訪れるのはその数年後のことである。ちょうど私が高校生になった頃だった。

やっと宇宙戦艦ヤマトブームが起きた時、さぁこれから宇宙戦艦ヤマトの話ができるなぁと思っていたら、新しいファンたちと会話が合わなくて困ってしまった。新しいファンたちは、戦史を全く知らないのだ。いわゆる純粋なアニメファンだったと思う。声優人気もその頃から始まったと思う。だから全く土台が違っていた。なので、私は宇宙戦艦ヤマトは、第1期しか見てない。続編以降は、全く見てなかったりする。続編以降は、あれはまったく別の物語なのだ。あれを宇宙戦艦ヤマトだとは私は思っていない。



つづく。

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2015年03月01日

おでんとカツ丼

 新潟から東京に上京した頃、何に一番衝撃を受けたかと言うと、屋台で食べたおでんのちくわぶである。新潟にはちくわぶなるものはない。そもそも、全国どこにもちくわぶなるものはない。いやなかったと言うべきか。最近は、スーパーなどで真空パックが得られるようになっているので、軽井沢でもちくわぶは見られるようになった。しかし、今から三十年前は、東京にしかなかったように思う。ちくわぶだけでは無い。大きなタコの足が串刺しになって屋台で売っていたのも驚いた。何から何まで違っていたのに驚いた。

 しかし何年か東京に住んでいると、東京のおでんが当たり前になってくる。その上で大阪に行ったら、大阪のおでんが全く違う味なので衝撃を受けた。串に刺して煮込んである牛すじを見た衝撃を私は忘れられない。というか、大阪のおでんと東京のおでんは全く違う存在である。同じジャンルとはとても思えない。そうそう、静岡おでんにも触れておかなければいけない。あれも全く違うジャンルである。 三つとも同じおでんと言うカテゴリーに入れていいか迷うところだ。

 ところで、昔、根岸の公園の辺りに、とても美味しいおでんの屋台があった。ものすごく味が染み込んでいるのである。あまりに美味しいので、親父さんにどうやって作るのか聞いてみた。当時二十歳ぐらいの若造だった私に、親父さんは、親切に教えてくれた。どうせ田舎者に真似ができるとは思っていなかったようだ。実際、羽根のできるレシピではなかった。なにしろ二十四時間近くかけて煮込むのであるから真似のしようがない。しかも沸騰させてはいけないというのだからなおさらである。

 まあそんな事はどうでもいいとして、その屋台にはちくわぶがなかった。東京のおでん屋のくせに、ちくわぶがなかったのだ。不思議に思って聞いてみると、その屋台のおやじさんは北関東の人だった。北関東ではちくわぶを食べないらしい。今日嫁さんにそれを確認してみたら、やはり群馬県ではちくわぶは食べなかったらしい。どうやらあれは、関東でも食べる地域は限定されているようだ。

 そういえば、東京に上京してもう一つ驚いたことがある。カツ丼である。東京のカツ丼は、カツ丼のくせに卵でとじてあるのだ。新潟ではそうでは無い。いや、厳密に言うと最近も新潟では、とんかつを卵でとじてあるのが増えてきているが、昔はそうではなかった。ご飯にとんかつが残っていたのである。といっても、ソースカツ丼では無い。キャベツの千切りも乗ってない。とんかつには、天つゆが染み込んでいる。

 あと椎名誠が、佐渡島にやってきたとき、カツ丼を注文すると、卵でとじてなかったのに怒り狂ったのは有名である。だから私は、椎名誠をあまり尊敬する気にはなれないのだが、実はうちの嫁さんは椎名誠のファンである。いつだったか椎名誠の講演会が近所で会った時、そそくさと出かけていって、ファンレターか何かを渡したらしい。椎名誠のほうも、大したもので、嫁さんのほうにお返事が返ってきた。もちろん印刷されたものであるが、はがきの隅っこに、椎名誠のサインらしきものが肉質で書いてあったらしい。さすがは、大ベストセラー作家だけの事はある。女性ファンが多いだけのことはある。

 そんな事はどうでもいいのだが、要するに、その昔は、カツ丼といえば必ずとんかつを卵でとじると言うものしか認められなかったのだ。このカツ丼は卵でとじてないと椎名誠が怒り狂うと、全国の女性ファンたちが一斉にそうだそうだとうなずいた時代があったのだ。全国の女性ファンが椎名誠に右へならえをした時代があったのだ。その都度佐渡島のカツ丼は肩身の狭い思いをしたものだ。しかしそんなことはお構いなく、私は佐渡汽船に乗るたびに船の中の食堂で、卵でとじてない、あのカツ丼を注文した。そして椎名誠のファンの視線から隠れるようにカツ丼をかっ食らったものだ。

 ところが、最近はちょっと様子が違ってきている。秘密のケンミンshowというテレビ番組が視聴率をとっていることからわかるように、卵でとじてないカツ丼といった、非常にローカルな食事がテレビで紹介されて、視聴者に大うけされる時代になってしまった。椎名誠とその親衛隊軍団が、一斉に佐渡島の活動を攻撃していた時代とはえらい違いである。今は文明よりも文化の時代なのだ。グローバルよりもローカルを楽しむ時代なのだ。

 昔は、たった一人のアイドルに何百万というファンが集中したものだが、今はそうでは無い。グローバルなアイドルの時代では無い。地方のローカルのアイドルに人々の目線は移り変わっている。ありきたりのカツ丼よりも、ちょっと変わったカツ丼の方が人々の注目になる時代になってきている。やっと多様性を認め合う時代になってきているのかもしれない。 


つづく。

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2015年02月10日

2014年を振り返って

 冬は、お金にならないことで最も忙しい時期である。確定申告があるからだ。この1カ月間、帳簿やデーターベースの整理で本当に忙しい。おまけに雪かきである。今年はが多いために何度も雪かきをする羽目になってしまった。

 それはともかく今年はお客様が多かった。そのために売り上げも例年よりは多かったのだが、去年の大雪の災害で物置小屋が2つつぶれてしまったこともあって修繕費も多かった。また、お客さんが多かったのに気をよくして、分不相応な設備投資をしてしまった。そのために赤字になってしまいそうな気配がある。

 まぁそんな事はどうでもいいのだが、今年1年のデータを調べてみたら、売り上げの大半が新規のお客様であったことに驚いている。

 うちの宿は、北軽井沢という場所柄もあって、連泊するお客さんも多く、その上に年に何度も来られるリピーターさんも多い。なので、ユースホステルの会員率が異常に高い宿である。非会員の御客様がほとんどないと言う非常に珍しいユースホステルであった。ところがである。今年は新規のお客様が大量にお泊まりになるようになったので、ユースホステルの会員の比率が激減した。今まで9割近くが会員であったのに、それが6割ぐらいまでに減ってしまった。

 もちろんそれでも、他のユースホステルに比べれば圧倒的に会員のお客様が多いのであるが、そのお客様は何連泊もするリピーターさんであったりするので、延べ人数は多くても、実数は少ないのである。延べ人数で6割であっても、実数では3割から4割ぐらいでは無いだろうか?

 とはいうものの、新規のお客様が増えるということは、宿主としては大変うれしいことである。自分としては、何か特別なことをした訳では無いのだが、どういうわけか新しいお客様が増えてしまった。その上、この新規のお客様もすでにリピーターになりつつある。何度も何度も泊まりに来てくれているのだ。いったいどういうことなのだろう? と不思議に思っていたら、ある新規のお客様が、あることで非常に喜んで帰っていってくれたので原因が分かってしまった。

 そのお客さんは、小さなお子さんを連れていたのだが、そのお子さんが、リピーターのお客さんのお子さんと仲良くなって、宿の庭先で雪遊びをしたり、一緒にゲームをしたりしていたのだ。またお母さんやお子さんが、お茶会にも出てきて、リピーターさんの差し入れを食べて楽しんでくれていたららしい。何の事は無い。新規のお客さんが増えた原因は、リピーターさんたちの心遣いだったりしたわけだ。

 そういえば思い当たることがあった。じゃらん・楽天などの口コミサイトで五つ星などの高い評価をくれるお客様のほとんどは、お茶会に出てきて、リピーターさんたちと楽しい会話をしているお客様ばかりなのである。また、星空温泉ツアーに参加して、私の星空案内を楽しんでくれた人たちに高い評価をしてもらっている。

 逆に、部屋に閉じこもって出てこないお客様からは高い評価は得られてないのだ。また、食事を摂ってないお客様にも、あまり高い評価を得られてない。というか、リピートしてくれない。お茶会や、ツアーに参加しなくとも、食事をとってくれたお客様は、またリピートしてくれる。しかし素泊まりのお客様は、あまりリピートしてくれないのだ。

 この結果を考えてみると、うちの宿の最大の弱点は、お茶会や星空案内や温泉ツアーなどに参加してないお客様に、そして食事をとってくれないお客様に、いかに満足してもらえるかという点である。ここをなんとか改善していかなければならないと思った。

 食事にも、お茶会にも、ツアーにも興味がなく、
 ただ泊まるだけを目的としたお客様に
 満足していただけるためには、何が必要なのだろうか?

 実はそういうお客様も多いのである。ただ睡眠するために来るだけのお客様も確かにいるからだ。部屋に閉じこもって勉強しているお客様もいる。読書するために泊まりに来るお客様もいる。これはすごいなぁと思ったのは、森の中でヨガをしに来たお客様もいた。そういうお客様は、特別な食事しか食べないし、水さえ自分で持ってくる。そして、なるべく他の人を避けるように部屋に閉じこもっている。

 北軽井沢という土地柄は、そういうお客様を寄せつける何かがあるのである。うちはそういうお客様に喜んでもらえる何かが足りないのかもしれない。今年は、そういうお客様に対してもっと真面目に取り組んでみようかなと思っている。

つづく。

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posted by マネージャー at 21:45| Comment(5) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする