2005年04月19日

ちよっと良い話

ちょっと、良いことが書いてあった本があったので、一部を紹介したいと思います。

渡部昇一教授の記憶の法則より抜粋

「記憶」と「年輪」は家庭円満の両輪親孝行と同じく結婚についても、かつては日本人に固有な思い入れのようなものがあったと思う。ところが昨今では、結婚よりも離婚について取り沙汰されることが多くなっている。

事実、離婚率は、1990年代に入って増加の傾向が著しく、最近では、年間約五万件にも達し、その後も増え続けている。成田離婚や箱崎離婚が当たり前になっているようなのである。単純計算すると、これはおよそ十分に一件の割合で離婚が起きていることになる。バツイチなどという言葉さえ生まれ、世は離婚花ざかりである。

だが、いくら離婚してみても、何度結婚してみても、結婚というものがどのようなものかはなかなかわからない。普通の物事は経験を積めば積むほど、その本質や実体がわかるものなのだが、こと結婚に関しては違うらしい。むしろ逆で、五回結婚した人よりは一回こっきりの人のほうがよくわかるのではないかと思う。

なぜ、そうなるのだろうか。それは、結婚生活というものが記憶の積み重ねで成り立つものだからではないかと思う。

私の家内は、髪にそろそろ白いものが混じり始め、しわくちゃとまではいかないにせよ、老婦人の雰囲気を十分に漂わせる年齢になってきている。けれども結婚した時の記念写真を見ると、今の姿形からは想像もできないくらい、ふっくらとしてういういしい乙女なのだ。すると、その当時から今に至るまでの、何十年もの時間の重みがひしひしと伝わってくるのである。さまざまな記憶がふつふつと湧いてくる。そして、この積み重ねを共有することこそが、結婚生活なのだと私は思う。

何回同棲しても、
また、結婚、離婚を繰り返しても、
このような時間の重みは得られない。

共有する時間も短く、
記憶も寸断されて、
積み重ねるものがなくなってしまうからだ。

私の知人の女性学者が、はからずもそのことを裏づけてくれた。彼女には子供が二人ほどいるらしいのだが、ある時、何気なく、過去のアルバムを整理し始めた。

子供たちがまだ小さい時分の写真を見ているうち、当時自分もまだ駆け出しの学者の卵で、子供と悪戦苦闘しながらとにもかくにもしゃにむに生きてきたその頃が思い出されて、涙が止まらなくなったというのである。

その話を聞いた時、そういえば私の家内も同じようなことをやっていたと思い至った。家内も子供たちのアルバムを見ながら、最初のうちは、「こんな顔している、あんな格好している」と笑っていたのだが、そのうち、「こんなにちっちゃな時もあったのね」とつぶやきながら、涙ぐんでいるのである。

三人の子供たちはみな成人して、私たちにはもう孫もいる。その孫と同じぐらいの年齢だった子供たちの姿をアルバムでたどるうちに、過去の記憶がどんどん蘇ってきて、思わず涙が出てきたのであろう。この思いの蓄積を共有できるのが、夫婦というものなのである。そこでは、過去の記憶とそれをたどってきた年輪とがぴったりと重なり合うのだ。

ここが、同棲などとは決定的に違うところだと思う。そして記憶と年輪とがかみ合った夫婦というのは、円満な家庭を築いてきたものなのである。気が合ったから一緒になって、嫌になったら止めてしまう、などといった安易な結びつきとは違うのだ。

例外もあるから全部が全部というわけではないのだが、私の知っている企業の経営者、とくに中小企業の経営者の多くは、景気がよくて儲けていた時分、女房とは別に、愛人といえる女性を身近に置くということが普通にあった。当時、彼らの多くは、古女房などより若いこの愛人のほうがよく尽くしてくれるなどと悦に入っていた。なかには、老後は彼女に面倒を見てもらうなどと宣言した人もいたくらいである。

だが、私の知っている限り、全部失敗している。やはり彼女たちは、男のほうに金や社長という肩書きがあるから愛人になっただけなのである。不景気になって会もままならなくなればそれまでである。ましてや、引退したあとの老後の世話など始めから念頭にはない。そういう素振りでも見せようものなら、すぐさまおさらばしてしまう。

これに対して、古女房たちはどうなのか。彼女たちは、社長たちがまだ若く、海のものとも山のものともつかない時分のことを知っている。多少の学歴と多少の財産がある程度で、その他何もないところからのし上がってきたとか、あるいは、そういうものも何もなく、ただ押しの強さと運を頼りに人生を切り開いてきたという、全くの下積み時代から知っているのだ。 知っているというよりも、苦しい時代を二人して乗り切ってきたといったほうがいい。それゆえ、二人の記憶が濃厚なのだ。過去からの記憶の重みを共に背負っているのである。

だから不景気でうまくいかなくなれぱなるほど、また、年を取れば取るほど、その時代の記憶が蘇ってくる。記憶の一つの法則に、昔のことはよく覚えているが最近のことは忘れやすいというのがある。こうして、古女房たちが復活するのである。

俳優の三船敏郎もそうだった。彼は離婚して若い女優と一緒になった。ところが、彼が、ぼけると、この若い奥さんは逃げてしまう。そして結局、昔馴れた最初の奥さんが彼の世話をすることになる。

これなどは非常に極端な例だとは思うのだが、やはり、老妻は重んずべしの典型的な例であろう。

昔習った『十八史略』の東漢光武帝のところに「貧賤ノ交ハリハ忘ルヘカラズ、糟糠(そうこう)ノ妻ハ堂ヨリ下サス」というのがあった。

「糟糠の妻」とは、貧乏でかすやぬかしか食うものがなかった頃の妻である。そういう妻は自分が偉くなって御殿に住むようになっても、側において大切にせよという意味である。
三船の話に戻ると、彼自身はぼけていてどう思っていたのかはわからないが、奥さんの側からしても、二人の若い頃の記憶が濃かったのだと思う。

三船が若い女をつくった時には、殺してやりたいくらい憎らしかったかもしれない。けれども、年がたつにつれて、若い頃の記憶が蘇ったのではないか。そこでの三船敏郎は、彼女にとってはいい男だった。

だから、捨てられるというひどい仕打ちを受けながらも、老後の世話をしたのではないか。三船にとってみれば、若い頃の自分の価値を記憶に残せたことが幸いしたといえるかもしれない。

結婚もそうなのだが、人生は記憶だと考えると多くのことが理解できる。自分の人生はいったい何なのだろうと考えてみても、要するに記憶の連続こそが人生なのであって、そのほかには考えようがないことに気づくのである。

遺産相続といった、一見、記憶とは関係ないようなことでも、人生を記憶という視点からとらえるとわりと簡単に説明がつく。

なぜ、親は子供に相続させたいのか。 たとえば、私のなけなしの財産を、今の時点で遺産相続させるとする。私にとって今、一番役立っている人物は誰かというと、家内をのぞけば、仕事上では秘書で、その他のことでは家政婦さんということになる。子供たちはどうかというと、これはみな独立した大人になっていて、今や昔のようにかわいらしくも何ともないし、今の私の役に立っているわけでもない。

これらの事情を考え合わせた時、では、役に立っている秘書と家政婦さんに遺産の一部でも相続させるかというと、決してそうはならない。どうしてなのか。それは、血がつながっているとかいないとかということではなく、私の中の記憶がつながっているかどうかの問題だからだ。記憶のレベルの問題なのである。

子供たちは、まだ赤ん坊のヨチョチ歩きの時から、だんだん大きくなって、どうにかこうにか小学校に入るようにまで育てた。そして、夏休みには山や海へ連れて行ってやった。さらに中学校の時はこうで、高校、大学の時はああで、という具合に、大きくなってきた記憶として子供は私の中に存在している。これに対して秘書や家政婦さんは、たかだかここ数年の記憶にしか過ぎない。記憶のレベルが低いのである。

だからこれらの人たちは、今どれだけ役に立っていても、私の遺産相続の対象とはならないのだ。外国では二、三十年も秘書をやってくれた人に財産を譲るということがあるようだが、これは、長く勤めれば「記憶の問題」となるからであろう。遺産を子供たちに相続させたいというのは、親としては普通の感情だろうが、その根底には、このように人生を記憶の連続としてとらえる考え方があると思う。

親のこの思いをいいことに、子供たちが親孝行しなくなった点については、前に述べた。いずれにせよ、子供たちは親にとって記憶のレベルが高い存在であることには違いない。だからこそ、私たちの中では価値があるのだ。

「忙しくてたいへんな時なのに、私のために」

が効く夫婦についても同じことがいえる。記憶の重みのある夫婦、つまり、記憶のレベルが高ければ高い夫婦ほどうまくいく。そういう点では、自分が輝いているうちに、いい記憶をつくることが夫婦円満の秘訣ということになる。つまり、男の立場からすれば、忙しく働いている時にこそ、無理して時間をつくり、女房のために尽くしてみるということだ。

何だかんだいいながらも、デレツとして暇をもてあましている時よりも、忙しく駆けずり回っている時のほうが、男は輝いて見えるものだ。そしてそういう時に、無理に時間をつくってカミさん孝行しておくと、これは彼女たちの記憶に残る。

「仕事が忙しくてたいへんな時なのに、私のために」

という感謝の気持ちが残るのだ。だから、ある程度は恩着せがましくやってもかまわないと思う。

「本来なら休めないところなのだが、お前もくたびれているだろうから、ちょっと旅行へでも行こうか」

というのである。なにも大仰なことでなくてもいい。海外旅行である必要もない。夏休みや正月の休みを利用して夫婦二人で温泉へ行くとか、国内のパック旅行へ行くという程度でかまわないのだ。ちょっと余裕があるならハワイ旅行もいいかもしれない。

要は、忙しくて本当に時間がないような時に旅行するということだ。"あの忙しがりやの亭主が""忙しい忙しいばかりの亭主が私のために……。というニュアンスが大切なのだ。

だからこれは、若い時分でなくてもかまわない。五十代になってからでもちっとも遅くはないのである。

覚えておいてほしい。女房から見れば、亭主が忙しがって働いている時が一番輝いて見えるのだ。この輝いて見える時に、いい記憶をつくっておくことが大切なのである。

よく、テレビや雑誌などで、退職後はカミさんに大々的なサービスをすることが、さも美しい夫婦愛のごとくに紹介されたりしている。それはそれで結構なことには違いないのだが、あまり意味はないということは知っておいてもいいだろう。

なぜなら一つには、いくら地位のあった人でも、退職して暇になってしまえば、女房から見れば輝きが薄れてしまうということ。そしてもう一つは、記憶の法則で、年を取れば取るほど、昔のことは思い出すけれども、最近の出来事は忘れてしまうからだ。

いくら大盤振る舞いして女房孝行しても、それが退職後の年を取ってからのことだと往々にして忘れられてしまい、記憶として残っていかない。これでは何にもならないのだ。だからこそ、記憶の重みとして残る、まだ若い時分にしておくことが大切なのだ。

しょっちゅうやる必要はないが、五年に一度とか、それぐらいの頻度でかまわないから、一週間ほどカミさんのために休みを取るのである。ただ、その際に注意しなければならないことは、旅行へ行くのなら奥さんの知らない土地か、あるいはそれほど詳しくない場所を選ぶことだ。とくに海外へ行くような場合には、カミさんが詳しいところだと、最初のうちはいいとしても、だんだん亭主が邪魔になってくる。せっかく休みを取って連れてきてやったつもりが、気がついてみたらあわれな〃濡れ落ち葉族。になっていたということにもなりかねない。

また、女房が英会話などのスクールなどに通っていたりして外国語がしゃべれる場合には、もっと要注意だろう。亭主がしゃべれなけれぱ、女房のお尻にくっついているより仕方がなくなる。外出するたびにうるさい存在になってしまい、結局はケンカするはめにもなりかねない。このようなことになるくらいなら、温泉にでも行ってゆっくりするほうがずっと効果的である。

「一番近い人」

だからこそ折り目正しくが鉄則夫婦円満のためのもう一つの方法は、相手に対しては礼儀正しくするということだ。私もあまり実行していないので、勧める資格はないかもしれないが、カミさんには他の誰よりも礼儀正しくしなければならない。あまりにも当たり前のこと過ぎて、まじめに考えたことなどないかもしれないが、夫婦にとって一番大切な人間は、当の相手以外の誰でもないのである。たとえば近所の人とトラブルが生じてケンカになったとしても、ある意味ではどうということはない。痛くもかゆくもない。嫌なら顔を合わせなけれぱすむからだ。

ところが、夫婦となるとそうはいかない。毎日顔を合わせなければならない。だから、ほんとうは礼儀正しく接して、大切にしなけれぱならないのである。このあたりのことを孔子は『論語』の中で、「夫婦別あり」といっているのである。夫婦といえども、折り目正しく接しなさいというわけだ。

頭ではわかっていても、実際にはこれがなかなかできない。けれども、夫婦円満のためには、時々でもいいからやさしさを見せ合うことが大切だと思う。それが礼節なのだ。たとえ心からやさしさを発揮できなくとも、その努力はする必要があるだろう。毎日ではくたびれるから、十日に一度ぐらいはお互いに大切にし合う。

そうすれば、長い問には、これが記憶として残っていくのである。記憶のもう一つの法則に、いいことだけは覚えているということがある。不愉快なことは忘れてしまうが、いい思い出は残るのだ。最近、熟年夫婦の離婚が多くなっているようだが、それもこれもみな、忙しさを口実に夫婦二人の良い思い出をつくってこなかったからではないだろうか。ちょっとしたやさしさでもかまわないから、たまには奥さんに見せることだ。若い頃からのその積み重ねが記憶として残り、それらを共有していくことにこそ、夫婦の意味がある。夫婦というのも人生と同じく、共有した記憶以外の何ものでもないのである。

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2005年07月10日

風のたより

『風のたより』

北軽井沢ブルーベリーYGHは、『風のたより』という旅の仲間が母体になってできた宿です。『風のたより』とは、「手紙を通じて心のふれあいを求める」ことをめざし、山に登ったり、歩くスキーをしたりと、外で体を使う活動をしているグループです。

hjkuu322.JPG

 一見すると遊び仲間のように見えますが、ちょっと違うかな?

 というのも「90歳になるまで親しい有人でいよう」という主旨があるからです。この主旨を達成するのは案外難しいものです。単なる遊び仲間では、とても無理があるからです。共同で社会的に意義のある活動をしていかないと、とても続きません。

hjkuu313.JPG

 だから、富士山を海抜0メートルから登ったり、東海道五十三次を駅伝したり、古いママチャリで東京〜大阪を走ったり、阪神大震災に救援に駆け付けたり、震災マニュアルを作ったり、手話を習ったり、肢体不自由な友人を山に連れて行ったり、貴重な自然の残る知床の自然調査をしたり、縦走ルートのない知床や佐渡島の探検をしたり、本を作ったりと、さまざまな活動を行なっています。

 と、偉そうな事を書いていますが、
決して敷居は高くありません。
 ぜひ1度遊びに来て下さい。

00aa106.jpg

http://www02.so-net.ne.jp/~kazehome/
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2005年07月16日

旅人的生活の方法

旅人的生活の方法

 スワヒリ世界では、特定の所用のための遠出のことをサファリといい、所用を伴わぬ遠出のことをテンベアと言って区別しています。これは私たちが「出張(所用)」と「旅行」とを区別しているのと同じです。どちらも空間的移動には違いありませんが、サファリとテンベアも、出張(所用)と旅行も、あきらかに違うことを私たちは知ってます。

uvkk1007.JPG

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2007年05月11日

日本愛妻家協会にかかわって 01

日本愛妻家協会のゆくえ 01

日本愛妻家協会というものがありますが、
その仕掛け人は、山名さんという博報堂の方です。

山名さんは、奥さんに逃げられた(離婚)ことにショックをうけ、
親友のキャンドルアーティストの小泉さんのもつ別荘で静養しました。
その別荘は、北軽井沢ブルーベリーYGHのある嬬恋村にありました。

嬬恋村は、「妻に恋する村」と書いて嬬恋村です。
ここで山名さんは立ち直り、日本愛妻家協会をたちあげ、
嬬恋村を日本愛妻家協会の聖地として認定したわけですが、
嬬恋村も呼応して、日本愛妻家協会聖地委員会を設立。
私が、広報部長として、ホームページなどを制作しました。

http://www.kazeno.info/aisai/

そしてキャベツ畑で奥さんに
「大好きだよ!」
と、叫んだりするイベントを次々と企画したりしました。
ここまでは、よかったのですが、

調子にのってる私の
脳天を砕いてしまう大事件が
起こってしまったのでした!


それは、何かといいますと・・・・・・。


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2008年02月06日

毒入り餃子事件に思う

毒入り餃子事件に思う

久々に業務用スーパーに行ってみたら
ペンションオーナーたちが血相をかかえていました。
なんでも中国製の冷凍食材に毒が入っているらしいとのことで
返品やら在庫確認におわれていました。

ほら、いわんこっちゃない。
だから中国製は・・・・。

それにしても、酷い話ですね。
おきてしまったことは仕方ないとしても
(仕方なくはないんだが)
その後の中国政府には、本当に頭に来ています。
もうちょっと、人の命を考えてほしいです。
これじゃ、医食同源どころか、殺食同源じゃないですか!

JTフーズにしても、Aコープにしても、
もう少し慎重に生産管理してくださいよ。
たのみますよ。

ちなみに中国製の食品による実害が、
世界中で大発生しているのは有名な話です。
しかし、日本では、何故かマスコミに出てきません。

アメリカ政府では、対抗策として
中国に所在する製造元を刑事犯として起訴してます。
見習いましょうよ。

この事件は、政治からきっぱりと切り離し、
司法の場に持ち込む方が、解決の近道ですよ。

日本国の刑法でも、国内で起きた傷害事件は
国外犯であっても罪を問うことができます
(刑法第三条の二)


事件性がある場合には、政府が表に出るよりも、
独立性が保障されている司法サイドに任せた方が賢明だと思います。



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2008年03月04日

キャベチュー(酎)発見

キャベ酎発見


ee001.JPG

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味はブランデーのような感じで
ほんのりキャベツの甘い香りがします。


つづく


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2008年03月12日

花粉症

さっき軽井沢で会食したのですが、
花粉で鼻じゅるじゅるになってしまいました。

ここで不思議なことは、
なんで軽井沢に花粉があって
北軽井沢に花粉が無いのかってこと。
まあ、まるっきり北軽井沢に無いということでは無いんですが
信じがたいくらい症状が和らぐことは確かです。
どうしてですかね?

杉が無いせいですかね?
やっぱり雪のせいかな?


ともかく、この時期は北軽井沢から出たくないですね。
と、思っていたら、
意外な伏兵が・・・・・。
東京からやってきた御客様が、
花粉をジャンジャン運んできました。

てな訳で、空気清浄機ふる稼働。
そしてウエットワイパーで掃除。

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2008年03月13日

明日はホワイトデー

明日はホワイトデー

明日はホワイトデーですが、
なんと
ホワイトデー公式サイト
というものがあるんです。

http://www.candy.or.jp/whiteday/index.html

しかも連絡先が

全国飴菓子工業協同組合 ホワイトデー委員会 事務局
株式会社 みやこ飴本舗内
〒183-0051 東京都府中市栄町3-28-12
TEL:042-363-2551 FAX:042-368-1200
担当者携帯 090-4938-2030

ということです。
で、なんで
全国飴菓子工業協同組合
かと言いますと、

「日本で一番古くから残っている文献で、キャンデーの起源を調べてみると、3月14日の前後3日ぐらいずれた日付になっているんですよ。旧暦の日付だから、ある程度のずれはあるわけですが、とにかく日本のキャンデーの誕生した日という意味があることがわかったのです」

という話らしいです。
さらに

「“愛する人にチョコレートをプレゼント”のキャッチフレーズで業界に定着したバレンタインデーに対応して、全国飴菓子業協同組合が「ホワイトデー(3月14日)はキャンデーの日」と決定したのが1978(昭和53)年6月のことでした。そして、80年3月には全飴協・関東部会が第1回のホワイトデー“愛にこたえるホワイトデー”を実施し、現在にいたっています」

「昭和44年ごろから、当時の全飴協の木戸脇太郎理事長が中心になって、組合参加の各メーカーとともに、「キャンデーの需要拡大をはかるには、どうしたらいいのか」ということで、いろいろな方法を模索していたんです。当時も、メーカーによっては、細々とホワイトデーのキャンペーンを行っているところもありましたが、単にバレンタインデーのお返しにチョコレートを返そうというくらいのレベルでした。しかし、結果的にはそれが我々に、「ホワイトデーキャンペーン」をはじめさせる、契機となったしだいでして‥‥。「バレンタインデーにチョコレートをもらって、同じ物を返すのも意味がなかろう。我々は、キャンデーが得意な分野なんだから、チョコレートではなくキャンデーを贈る日にしてみたらどうだ」というような意見が、組合内で出てきたんです」

という事らしい。


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2008年05月30日

久しぶりに東京に行って驚いたこと

久しぶりに東京に行って驚いたこと

★東京駅に1時間100円のコインロッカーがあった。

★東京駅にコインロッカーに荷物と金を入れて住所を入力する宅急便があった。

★東京駅にマイ私書箱(月2000円)があった。

★東京駅が改装中だった。

★東京駅で道が分からずにウロウロしてたら親切な外人が地下鉄丸ノ内線の改札まで連れて行ってくれた。

★丸ビルと新丸ビルが無くなっていた

★ゴム長靴を履いている人がいっぱいいた

★地下足袋のようなハイヒールを履いている人がいた

★やたらに大勢の修学旅行生がいた。
★修学旅行中の生徒たちに学校の先生らしき人が、
『男子は混んでる電車に乗るときはかならず吊革につかまりなさい』
と変な注意をしていた。

★なぜか野菜ジュースのスタンドに行列が出来ていた。
★試しに飲んでみたら生あたたかったので
『冷たくないじゃん』
と文句言ったら
『冷凍物ではなく生ですから』
と言われ、妙に納得して飲んでしまった。
そのうえ美味かったのでおかわりしてしまった。

★電車でパソコンのようなキーボード配列の携帯を使っている人がいた。

★吉野屋を貸し切って牛丼をかっくらっている女子高生をみてしまった。しかもビールのようなものを飲んでいた。

★携帯で自動販売機のジュースを買っている人を発見し、たまげてしまった。思わず、自分もやろうとしたが、わからなかった。

★携帯でワンセグテレビを見ようとしたら、アンテナを持ってくるのを忘れてしまったみれなかった。

★ユースホステルで韓国人に電子レンジの使い方を使い方を教えたら、すごく感謝された上に、レトルト御飯である『サトウの御飯』をとても美味しい御飯だとほめていた。どうして、おれが佐藤だとわかったのだろうか?

つづく

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2008年05月31日

東京に行って驚いたこと2

東京は暑かったねえ

というわけで久しぶりに東京に行って驚いたこと、ぱーと2です。

★秋葉原が自分の知ってる町ではなくなっていた。

★有楽町が一変し歩行者天国になっていた。

★中国人や、韓国人に、同じ国籍だと思われてしまい、わけのわからない言葉で話しかけられてしまった。

★電車の中で、小さなDVD画面で映画をみながら通勤している人がいた。

★就職1年生らしき人たちが、慣れないスーツ姿で、いっぱいウロウロしていた。

★国会議事堂に修学旅行生が大勢来ていたが、鹿児島の中学生が、津軽(?)の中学生とが、わけわからん言葉で喧嘩していた。
 いや、仲良く会話していたのかもしれない。
 どっちにしろ、言葉がわからない。

★月・火曜日は晴れていたが、水曜日に雨になり、急に涼しくなった。
 これほど雨に感謝したことはなかった。

★雨の水曜日、いつものように国会図書館に行くために国会議事堂の前を通りかかったら、例のごとく修学旅行生が大勢来ていて、しかも全員が傘を差しているので、道がふさがれて前進できなくなった。先生方も、添乗員さんも、道を空けるように交通整理しなかったために、私をふくめ、大勢のサラリーマンたちが立ち往生し、
『遅刻する』
と切れているサラリーマンまであらわれた。しかし、誰も修学旅行生には刃向かえなかった。

★国会図書館は、本を借りるカウンターと、コピーをとる場所が、100メートルくらいはなれていて、しかも、量によっては、300メートルくらいはなれている別の階のコピー室まで行かなければならない。おかげで私は、1日に何十キロも走り回るはめになるのであった。

★国会図書館は、本を借りるカウンターと、コピーをとる場所が、どうして、ここまで離れているのか謎である。ひょっとして、本を借りる人の健康を気づかっているかもしれないと考えた私は、万歩計を買ってきて、1日何歩あるくか調べてみた。すると、1万歩どころか2万歩くらい歩いていることがわかり、大笑いしてしまった。

つづく

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2008年09月11日

シャレになってないニュース 三笠フーズの衝撃

三笠フーズ、事故米転売、架空取引繰り返す

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080906-OYT1T00812.htm

 米粉加工会社「三笠フーズ」(大阪市北区)がカビ毒や残留農薬で汚染された「事故米」を食用に転売していた問題で、同社が佐賀県唐津市の仲介業者との間で事故米の架空取引を繰り返していたことが11日、佐賀県の調べで分かった。事故米を流通させる手口の一つとみられ、同県はこの仲介業者についても調べる。

************************************************************

以上、引用おわり。
いや〜世も末だねえ。
今回の汚染物質は、アフラトキシンですが、その危険性は、以下のとうり最強の毒物みたいです。

毒物     体重1kgあたり致死量
サリン      100mg  ガスの場合
メタミドホス   7.5mg   冷凍ギョウザ、三笠フーズ米
青酸カリ     4.4mg

アフラトキシン 0.0006mg 三笠フーズ米

自然界における 「最強の発がん性物質」 アフラトキシンB1
(0.0015ppm = 10億グラム中に1.5グラムの濃度で、100%発癌)
に汚染された毒米が、10年以上に渡って食用として転売されていました。


波紋は広がっているようです。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080906-OYT1T00812.htm

■事故米混入、芋焼酎9商品を店頭から撤去 (9月11日 22:46)
■全日空、中国製の革製品を「日本製」として販売 (9月11日 19:11)
■アサヒビールの焼酎に汚染米、「かのか」など65万本回収 (9月11日 12:34)
■ウナギ、国産と偽り卸す…銀座の「浜伸」など捜索 (9月11日 12:12)
■中国産タケノコ水煮を「国産」…大阪の業者 (9月11日 01:32)
■三笠フーズの汚染米、和菓子にも混入か (9月11日 00:36)
■事故米の転売、新たに2社で発覚…食用に流用の疑いも (9月10日 19:08)
■三笠フーズ、解雇で説明会「日本一モラルない会社で…」 (9月10日 14:36)
■汚染米取引、帳簿だけ…佐賀の仲介業者「三笠に頼まれた」 (9月10日 12:43)
■事故米、国検査時に「倉庫移動」隠ぺい工作…従業員が証言 (9月10日 03:12)
■事故米混入、芋焼酎9商品を店頭から撤去 (9月11日 22:46)
■アサヒビールの焼酎に汚染米、「かのか」など65万本回収 (9月11日 12:34)
■汚染米 今度は愛知 (9月11日)
■和菓子も混入か…三笠フーズ (9月11日)
■汚染米転用の告発2回、農水省見抜けず…酒造5社混入の可能性 (9月8日 14:44)

さらに衝撃的な話。

そして西日本を中心に流通していたと見られる汚染米ですが、西日本の肝臓癌死亡率は東日本と比べて非常に高いのですね。また、新潟や北海道などの米所は西日本と比べて約5%も低い。今回の汚染米が人体に与えた影響が懸念される・・・という衝撃。

http://ganjoho.ncc.go.jp/resources/graph_database/images/OSV1098_08_2005.jpg
http://ganjoho.ncc.go.jp/resources/graph_database/images/OSV1099_08_2005.jpg

こうなると殺人罪にあたりませんかね?

もう、安ければ良いという考えは捨てた方が良いかもしれませんね。
安全が一番ですよ。



つづく

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2009年11月06日

マレーシアで逮捕の女、拘置施設に移送

まず、ニュースの引用を。


マレーシアで逮捕の女、拘置施設に移送

http://news.tbs.co.jp/20091103/newseye/tbs_newseye4274400.html

 マレーシアの空港で、末端価格3300万円相当の覚せい剤を隠し持っていたとして逮捕された日本人の女が3日、拘置施設に移送されました。
 身柄を移送されたのは、覚せい剤4.7キロをスーツケースの底に隠して持ち込もうとしていたとして、先月30日、マレーシアの税関当局に逮捕された元看護師、竹内真理子容疑者です。
 調べに対し、「荷物は預かったものだ」と供述しているという竹内容疑者は、日本にいる母親に電話をし「こんなことになってごめんなさい」と、涙を流しながら謝っていたということです。
 竹内容疑者は、今年だけでもドバイやマレーシアなどを何度も行き来していて、現地当局は竹内容疑者が大掛かりな麻薬密売ルートの中での運び役だったとみて調べています。

 薬物犯罪に厳しいマレーシアで有罪となれば、死刑判決を受ける可能性もあります。
(03日19:15)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

これは、事実だとしたら死刑になる可能性があります。
で、なぜ、このニュースをとりあげたかと言いますと、
日本人に知ってもらいたい事実があるからです。


なぜ、マレーシアでは
麻薬の持ち込みで死刑になるのか?
という点です。


これは、知っておいて良い。
いや、絶対に知ってないといけないことです。
マレーシアの歴史を。

 戦前のマレーシアは、イギリス植民地であり、マレーシア人たちは、ゴム林の巨大農園で奴隷のように働かされていました。そのうえ麻薬漬けにされていました。一日の仕事が終わるとマレーシア人たちは、賃金をはたいて英国人の管理の下、中国人たちから阿片を買います。彼らのくゆらす阿片の煙と独特の臭いが夕闇の中に漂いました。しかし、太平洋戦争がはじまり、プリンスオブウエールズなどのイギリス戦艦二隻が沈められ、シンガポールも陥落し、白人様が血相を変えて逃げ出していきました。マレーシアはそのとき一変しました。

 そして独立。

 しかし、マレーシアの阿片中毒患者は十万を超え、経済は中国人が握っていました。ゴム林も錫鉱山もロンドンにいる英国人が所有し利益を吸い上げていました。マレーシアはまず国庫の大方を注ぎ込んで英国人からプランテーションの所有権を買い戻し、阿片密売者にはどしどし死刑を宣告しました。

 そしてマレーシアは、マレー人のもの、中国人は遠慮してもらうと。でもただ出て行けとは言いませんでした。彼らに領土の一部シンガポールをそっくり与えたのです。こうしてマレーシアから麻薬を撲滅させていったのです。

 マレーシアにとって、麻薬くらい憎いものはありません。
 私たち日本人は、まず、そのへんを理解した上で、マレーシア旅行に出かける必要があります。
 彼らに敬意をはらうなら絶対に薬物に手をだしてはならないし、運び屋になってもいけないのです。

 しかし、日本人の信用につけ込んで、運び屋として利用しようとする、甘い罠が存在することも確かなのです。どっちにしろ、外国で麻薬に手を出す危険は避けた方が良い。

untitled.jpg

つづく。

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posted by マネージャー at 00:45| Comment(2) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月10日

ベトナム旅行

JALが、大赤字で倒産するかもしれないとのこと。
はたして政府は、支援するのかどうか?
JALで、思い出したのは、戦前の

日泰定期航空機松風号不時着の原因判明

についてです。

 昭和13年頃、日本は九七式重爆を改造した旅客機MC20を主力機にしてアジアをネットする航空路を作ろうと近隣諸国に働きかけました。しかしフィリピンもベトナムもどこも欧米諸国が支配する植民地で、それぞれの宗主国は日本機の乗り入れを頑なに拒絶しました。

 黄色人種が製造した飛行機が乗り入れたら、白人の権威が色あせて植民地支配も揺らいでしまう、というのが拒絶の理由でした。しかし、例外がありました。植民地になってない「タイ」でした。そして、昭和15年にバンコクへの就航が実現しました。

 しかし、フランスが嫌がらせをしました。
 仏印上空の飛行を認めず、
 日本機はインドシナ半島を大きく迂回するルートを強いられたのです。

 ところが第二次大戦が始まり、ドイツの支配下に入った仏印政府は渋々日本の上空通過と乗り入れを認めました。こうして大日本航空の松風号がハノイ経由バンコク行きの第一便として飛ぶことになりましたが、その機体は、帰り道にベトナムのはハノイを離陸直後に墜落してしまいました。原因は何者かが燃料タンクに水を入れ、エンジンが停止したためだったと言います。同機は仏軍基地ジアラム空港を使っていました。機体に近寄れるのはフランス人だけで、彼らの犯行でした。仏印進駐には、こういう背景があったのですが、戦後世代の私たちには、知られされずにいます。

 しかし当時の日本は事を荒立てませんでした。
 何一つ。

 そして、仏印進駐。

 仏印進駐というと、日本が仏印を占領したかのように思う人がいますが、実は違います。主権は、フランス政府にあり、日本軍は、駐留しただけでした。いわゆる在日米軍基地みたいなものです。実はフランス人の仏印支配は、昭和20年の終戦まぎわまで続きます。

 フランス政府は、ベトナム人の弾圧し続け、ベトナム人を入れる監獄建設ラッシュが続いていました。サイゴン最大のチーファ監獄が完成したのは昭和18年でした。街や村には人頭税やら出産税やらを取り立てる華僑の徴税吏が駐在し、政府直営の阿片専売所も置かれ、その売り上げがハノイに集められていました。

で、この頃、ハノイ周辺は歴史的な洪水に見舞われ飢餓が発生。

日本軍は大釜を出して人々に粥を振舞い、昭和20年3月31日に日本軍がクーデター(明号作戦)を起こしてフランス人を行政から追い出し、クーデターのあと日本軍は仏印政府が貯め込んだ米を放出したのです。そしてまたたくまにフランス軍を撃破した日本軍に、多くのベトナム人が歓喜したのです。

ベトナムに旅行する人は、このへんの事を知っておくとよいでしょう。



つづく。

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posted by マネージャー at 11:53| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月03日

6ヶ月ダイエット実験結果に思うこと

6ヶ月ダイエット実験結果に思うこと。

 半年前に生死にかかわる210の高血圧で、運動とダイエットを決断。
 それから6ヶ月がたちました。

 結論からいって10キロの減量に成功しています。

 半年前に95キロから96キロ以上あった体重が、今は、85キロ以下に減りました。しかし、宿を始める前の私の体重は70キロ(身長180センチ)。これだけ痩せても、宿を始める前より15キロも太っています。まだまだデブですね。

 まあ、そんなこと、どうでも良いのですが、
 今日の話題は、どんなダイエットが一番、効果があったか?
 というテーマです。

 実は、一番急激に体重が落ちたのが、ダイエットをはじめて1ヶ月から2ヶ月の時でした。95キロから、いきなり90キロまでの減量に成功したのです。去年の12月頃のことです。あまりにも急激な痩せように、このままいくと半年で25キロくらい痩せるんじゃないか?と楽観したほどです。

 で、どんなダイエットで1ヶ月に5キロも痩せたかと言いますと、ウォーキングでした。雪がチラホラ降っていて山に登れない季節であり、かといってスノーシューもできない状態だったので、ウォーキングしかできなかったのです。
「ウォーキングじゃ、たいしてダイエットにならないかな」
と思ってはじめたウォーキングが、結果として一番ダイエットになったのは皮肉なことでした。

 次にスノーシューでダイエットを行いました。今年の1月から3月にかけて、スノーシューでダイエットをはじめたのです。それもツアーコースのラッセル(除雪)というキツイ仕事つきでスノーシューダイエットをはじめました。おまけに、重いスノーシューを装着してのダイエットです。

 この時、スノーシューでラッセルすると1日3000カロリーくらい消費するので、もっと急激にダイエットが進むと信じていました。ところが、体重はいっこうに減りませんでした。不思議なことに冬の3ヶ月間の間、89キロ前後で推移していたのです。

「変だなあ? どうして体重が減らないんだろう?」
「ウォーキングよりも、確実にカロリーを消費しているのに」
「ウォーキングの2倍はカロリーを使っているのに」

 ただし、血圧は下がり続けました。210もあった血圧は、スノーシューをやった日は、130くらいまで下がったのですから、体調は本当によくなった。けれど、どういう訳か体重は減らなかったのです。

「変だなあ? 何故だろう?」

 実は、この疑問の回答は、嫁さんが出してくれました。なにをかくそう、うちの嫁さんは、結婚以来、体重が増えていません。その嫁さんが、ある日、青ざめた顔でこう言ってきたのです。

「体重増えてないのに、昔のジーンズがはけなくなっている」
「なるほど、そういうことか!」

 逆に私は、昔のジーンズをはいてみました。

「はける! 昔のジーンズがはけるようになっている!」

 体重は減って無くても昔のジーンズがはけるようになっていたのです。つまり、毎日スノーシューでツアーコースのルートのラッセルをやることによって、筋肉が増えていき、その結果、体重も増えていった。そのために脂肪が減っていたにもかかわらず、体重が落ちてなかったんですね。

 逆にウォーキングでは、筋肉がつきようがないので、脂肪だけが燃焼されるので、体重は急激に落ちるということになる。スノーシューだと、筋肉がつくので、脂肪は燃焼されても新しい筋肉も増えるので体重も増える。結果として、プラスマイナスゼロになる。

 そう考えた私は、スノーシューの季節が終わった4月・5月と、軽いハイキング中心のメニューにしたのです。荷物も極力減らして、軽めの登山にし、雨の日は自宅で静養することにしました。すると、また体重が減り出しました。5月下旬に85キロまで体重が減ったのです。

 ここで結論です。
 体重を減らすには、軽めの登山の方が良い?

 しかし、疑問もわきます。

 本当に軽めの登山の方が良いのか?
 ヘビーな登山をして、筋肉を増量して代謝を増やした方が良くないか?

 どっちが良いのかは、分かりませんね。
 どちらも一長一短がありますから。

 ただ、どちらの方法でも、血圧だけは確実に減りますから、身体にいいことだけは確かですね。

 今の私の悩みは、お腹が出ていることです。登山やウォーキングやスノーシューのおかげで、手足の贅肉は無くなりましたが、胴回りの贅肉だけは、まだまだ改善の余地がありそうです。できれば、今年度中に、つまり、あと6ヶ月で改善していきたいと考えています。はたして6ヶ月で、あと10キロも痩せられるのでしょうか?


つづく。

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posted by マネージャー at 01:59| Comment(4) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月09日

北軽井沢ブルーベリーYGH10周年 1

明日は北軽井沢ブルーベリーYGHオープン10周年記念です。

オープンして10年たちました。
といっても、オープン当初はペンションでした。
ユースホステルになったのは、その半年後のことです。

開業開始は、7月1日でしたが、
御客様が入ったのは、7月の北軽井沢マラソンの前日でした。
つまり、最初の御客様は、北軽井沢マラソンの御客様でした。

御客様は、2人。
目の見えない御夫婦でした。
奥さんは音楽家。
御主人はマラソンランナーで、パラリンピックで上位入賞するほどの人でした。
盲導犬とともに、やってきて、北軽井沢ブルーベリーYGHにお泊まりになりました。

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実は、それより前に、別の方が予約をいれてきたのですが、断ってしまった。麻雀客の団体様だったからです。
麻雀客の団体様の貸し切りは、金になる。
酒を沢山飲んでくれる。
でも、断ってしまった。
で、北軽井沢マラソンに出るために宿をさがしていた、目の見えない御夫婦を迎えることになったのです。

お金は、喉から手が出るほど欲しかったけれど、あえて、お断りし、目の見えない御夫婦を記念すべき第一号の御客様として、お泊まりいただいたのです。
ちなみに、この記念すべき第一号の御客様は、名前は出しませんが、御夫婦共に、いまではスッカリ有名人です。テレビや雑紙によくでてくる方になっています。これは宿主として、とても嬉しいですね。その方の、その後の御活躍を知る度に、
「この方を第一号の御客様に撰んで良かった」
と思いました。その後も、良い御客様に恵まれたことから、この方が、北軽井沢ブルーベリーYGHに幸運を運んでくれたのだなあと、本気で思っています。

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というわけで、北軽井沢マラソンは、北軽井沢ブルーベリーYGHにとって、とても大切な思い出のイベントでもあったのです。だから北軽井沢ブルーベリーYGHは、マラソンの御客様を大切にしてきたのです。しかし、今年の北軽井沢マラソンは中止。10周年記念に、特別の企画を計画していたのが、残念ながら流れてしまった。でも、気をとりなおして、ブログに、このエピソードを書くことにしました。


明日と明後日、晴れると良いなあ。


つづく

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posted by マネージャー at 22:23| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月09日

安物を買わなくなってしまった理由

掃除機

 640wの掃除機を買いました。
 世界最強の吸引力をもつやつです。
 畳を持ち上げるほど強力な製品。
 メーカーは、モーターの日立。

 なぜ、こうも強力なやつを買ったかと言いますと、ベットマット・ソファーのダニを吸うためなんです。本当は、ウォーター掃除機が欲しかったのですが、高くて手が出なかった。それに最近は、吸引ゴミ袋が進化してハウスダストをガッチリ受け止めるようになったので、むかしほどハウスダストが漏れることが無くなったこともあります。

 ダニを退治する方法は、いろいろありますが、実は掃除機が一番確実。実験結果では、ゼロになるまで吸い取ってくれることが分かっています。布団乾燥機や天日干しでは、5割くらいしか効果が無いのに、掃除機では一瞬ですがダニがゼロになる。そのためには、強力な掃除機が必要なんですね。

 ちなみにうちの掃除機は、これで7代目。いろいろ経験した結果、掃除機は600w以上のパワーが無いとダニは駆除できないことが分かりました。安い掃除機だとモーターも5年くらいで性能が悪くなります。特に紙パックの交換を渋ると性能が悪くなる。だから、うちは値段が高くても最高機種のものを買うようにしています。でないと、掃除機がゴミになってしまう。





 ところで宿をやってると、だんだんと安物買いをしなくなりますね。
 昔は、安いリケンラップなんかを買っていたんですが、
 今じゃ高くてもサランラップしか使っていません。
 使い勝手が悪いからです。
 百円ショップのやつも買わなくなってしまった。

 安物は、料理を駄目にしてしまうことがあるのと、料理の能率を落としてしまうことがあるからです。あと、百円ショップのやつは、せいぜい二十メートルしか無いので、取り替える手間や在庫の置き場確保が面倒なので、百メートルあるサランラップしか買いたく無くなってしまいました。





 これは、蛍光灯なんかにも言えることで、オープン当初は、一番安い蛍光灯を買ってましたが、いまじゃ一番高いやつしか買わなくなってしまった。安いのは7000時間しかもたないからです。高いのは、1万5000時間もつ。しかし、値段は3倍する。つまり、時間単位で値段を割ってみても、安いやつの方がコストは低い。しかし、安いのは買いたくないのが本音です。取り替える手間が多くなるのと、ゴミが出るためです。ゴミは減らしたい。特に水銀を使用している蛍光灯は、大量に捨てたくない。環境に悪いですからね。


 そういう私も昔は、安物買いをして痛い目にあってます。
 韓国製のテレビを8台買ったのですが、
 1年以内に7台が壊れ、
 7台分のリサイクル料金を払うはめになってしまった。
 保障期間は1年でしたが、結局、保障はしてくれなかった。
 なのでテレビは全て国産しか買ってません。


つづく

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posted by マネージャー at 23:42| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月26日

マレーシアで、3万人が日本の盆踊り

2011年7月16日(土)、3万5000人もの世界最大の盆踊りが開催されました。
これほどの人間が集まることはマレーシアではないということです。

マレーシアは親日国です。理由は、日本が独立のきっかけを作ってくれたため。
イギリスと華僑から麻薬づけにされたマレーシア人は、
そこから縁を切るためにシンガポールを分離独立させました。






こちらはマニラの盆踊り




実は、この盆踊り、かなり海外に普及しているようです、
下の盆踊りサイトをごらんください。
http://www.bonodori.net/kaigai/101.htm

特に盆踊りを開催している場所が集中していたのが、「ハワイ」「カリフォルニア」「ブラジル」の3地域。
日系移民たちが伝えたんですね。
この他に戦後、海外に進出した企業の社員とその家族を中心に、邦人社会の年中行事として盆踊りが開催されるケースも数多く見られます。



これはハワイの盆踊り
なぜかマツケンサンバ



こちらはドイツ
なぜかフランクフルト音頭



ブラジルの盆踊り?
もう、ここまでくると...orz




ちなみに私は、佐渡出身。
体育の授業で佐渡おけさを踊らされました。
しかし、あれは「佐渡島民」には違和感のあるおどり。
佐渡島民とは関係なく、東京あたりではやった踊り。
佐渡で、伝統的に踊ってきたものと別物だったのです。
しかし、体育の授業で踊らされました。
「馬鹿馬鹿しい」
と思っていたのですが、島からでた時に役立ちました。
東京で、佐渡出身と聞いた会社の上司が、佐渡おけさを踊れと言ってきた。
かろうじて、踊れた私は、恥をかかずにすみました。



つづく

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posted by マネージャー at 09:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月01日

現場の知恵は素晴らしい 会社のトップは無能だった?

興味深い事例があったので紹介します。

http://labaq.com/archives/51688308.html より引用です

 チューブが入らず空っぽの箱ができてしまうのは生産ラインに問題があり、タイミングなどを調整しても100%箱に入るようにデザインするのは困難を伴いました。

 工場にいるエンジニアは手がいっぱいであったので、会社のCEO(最高経営責任者)は経営陣を集め、外部からエンジニアを雇い新しいプロジェクトを立ち上げることにしました。通常行なわれるように、予算、プロジェクト・スポンサー、6ヶ月の計画と800万ドル(約5億円)をかけて、質の高いプロジェクトを実施したのです。
 これによって空っぽの箱ができるたびに重量不足を検知してベルが鳴り、光で知らせるシステムが構築されました。そのたびに生産ラインをストップさせ、人の手で空箱は捨てられます。その後ボタンを押して再びラインが動き出します。

 問題が解決するようになってから、しばらくたったある日のこと。
 CEOがその後のプロジェクトの様子を確認しにきました。

 客からのクレームは減っており、市場での売上は伸び、使った金額分の成果が出ていると満足しました。次にどれくらいの空箱が出ているかを示す表を調べてみたところ、3週間にたった一つもなかったのです。報告書に間違いがあるのではないかとエンジニアたちに尋ねてみると、それが正しい報告数値だと答えが返ってきました。実際にコンベアベルトに載っているもので、空の箱はないと言うのです。

 疑問を抱いたCEOは工場まで足を運び、
 ラインの現場を自分の目で確認することにしました。

 すると検知する場所の1.2メートル手前に20ドル(約1500円)ほどの扇風機が置かれており、空の箱を吹き飛ばしてはゴミ箱に入れていたのです。説明を求めると、作業員の一人が答えました。

「ああ、それはベルが鳴るたびにいちいち来るのが面倒だったので、そこに置いたんですよ」

会社が800万ドルの資金と手間をかけて解決したものよりも、普通の作業員がたったの20ドルで、はるかに合理的な解決をしてしまったという例です。実際はこれほどドラマチックではなくとも、似たようなことは企業ではよくあるのかもしれません。ここから得られる教訓は

「簡単な解決法を知りたい場合は、怠け者に聞け」

と言ったところでしょうか

−−−−−−−−−−−−−−−−−以上、引用終わり


笑っちゃいました。
北軽井沢ブルーベリーYGHをオープンしてからも、
にたような事が何度もありました。

「すいませーん爪切り貸してください」
「すいませーん綿棒を貸してください」
「すいませーんタオルを貸してください」
「すいませーんバンソウコウはないですか?」
「すいませーん生理用品の予備は無いですか?」

対応が、めんどくさいと思った私は、全室に置きました。
おかげで、御客さんから、こういう問い合わせは減りました。
しかし、まだ全て解決はしてない。

「すいませーん天気予報はどうでしょう?」
「すいませーんインターネットやりたいんですが」

パソコンを2台設置しましたよ!
そしたら御客さんからの質問が減って大助かり!
御客さんへのサービスというよりも、自分の労働を減らしたい!
という、怠け者のマネージャーの知恵です。



 こういう事は、他でも、よくあるんですよねw
 実は、私も何度も経験しています。
 大昔、ガラス清掃会社にいたときです。
 ロープをはって、降りる時に、いちいち、もやい結びで結んでいるのが馬鹿馬鹿しいので、会社のマニュアルを無視して、こっそり登山用カラビナを使って仕事をしたんです。当然のことながら2倍のスピードになりますから、みんなより速く仕事を終えて休んで本を読んでいた。

 それに怒った上司は、カラビナ使用禁止した。
 馬鹿馬鹿しいので、私は、その会社を辞めました。
 次の会社(ガラス清掃会社)でも、同じようなことが起きました。

 その次の会社(ガラス清掃会社)では、逆にカラビナを採用することになり、私は社長に言われて、登山ショップへカラビナを大量に買いに行かされました。その会社の利益は、どんどんあがっていきました。トップの姿勢次第で、業績は、まったく違ってくるのです。



こんなこともありました。
NTTの下請けで働いていたときのことです。
某工事で現調(工事図面を作ること)をしていたときのことです。
どう考えても工程表どうりに図面を作ると、時間も予算もかかるのがわかった。
でも、そうやれという。
理由は、計算上資材費が安くなるかららしい。
しかし、それは嘘。逆に高くなるのがわかっちゃない。
工事をやったことがない人間が机上の計算をすると、とんでもないことになることが多いのです。

仕方ないので、図面を二つ作ってしまった。
提出用と現場用です。
これで何千万も工事費が浮くからです。
もちろん、ゆとりある工事となり、欠点を重点的にチェックできた。
検査員は、欠点の検査しかしないので、これでOKとなり、
素晴らしい工事とのお褒めのことばまでいただいたものです。



つづく

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posted by マネージャー at 12:22| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月31日

とても感心した話

ある御客様が、うちに泊まりに来る前に事故をおこしてしまった。
その時、たまたま通りかかった人に助けられたんです。
助けてくれたのは、4人です。
2人は、地元民(農家)。
2人は、通行人だったらしい。
そこまでは、よくある話でした。
私が感心したのは、その後の話です。

助けられた後に、北軽井沢ブルーベリーYGHに泊まった、うちの御客様です。
その御客様が、助けてくれた4人に、御礼をするために、
何も手がかり無しに4人を探し出し、
全員に御礼をしたことです。

地元の農家の人は、探せば分かったかもしれませんが、
通行人まで探し当てて、御礼をしたのは凄いと思いました。
なにせ、それを探し出すために、北軽井沢にやってきたわけですから。
本当に感心しました。
日本も、まだまだ捨てたものではないです。
こういう御客様に出す料理には、つい力が入りますね。



つづく

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posted by マネージャー at 23:29| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月15日

「べらぼうめえ」と、夏目友人帳の世界

嫁さんがサーカスを見たいと言い出した。
ディズニーランドでやてる、シルク・ドゥ・ソレイユとかいうサーカスを見たいらしい。

しかし、私には興味がわかない。
シルク・ドゥ・ソレイユも、
キダムも、
サルティンバンコも、
さっぱり興味がわかない。
「きれいすぎる」からです。
サーカス特有の、おどろおどろしさが無い。





実は、私は子供の頃、サーカスをたくさんみています。
といっても、空中ブランコとか、ゾウの玉乗りを見たわけでは無い。
もっと、ドロドロしたサーカスでした。

巨大なニシキヘビを出して、芸をさせるわけでもなく、ニワトリ1羽ごとを食べさせたりする。それだけの、今から思うとかなりショボイサーカスでした。
助手には、手足の無い女性が出てくる。
そして、その彼女を紹介して、同情をひきつつ募金を募ったりする。
公務員の初任給が3万円だった時代に、1万円の寄付する人もいっぱいいました。
もっとも、何人かはサクラだったでしょうが。

母親が、私に百円玉を握らせ、
「寄付しておいで」
と言われました。まだ、4歳くらいの私は、百円玉を握って壇上にかけあがると、私と背丈が同じくらいの小人さんが、シルクハットをぬいで受取り、私の深々とお辞儀をしました。
サーカスの団長は、何本もの針と糸を口に入れ、針に糸を通して見せました。

怪しかった。
今思えば、かなり怪しかった。
まさにフリークスの世界だった。
念のために、フリークスを知らない人のために、この画像を貼っておきます。
昭和7年の映画ですが、昭和30年代の日本にも、こういう人たちが、いっぱいいて、サーカスというか見世物小屋で働いていました。





ある日のこと、このようなオドロオドロしいサーカスの人と、仲良くなったことがありました。
彼は、こっそり楽屋に入れてくれました。
そして、みんなから可愛がってもらったのです。
その時の衝撃は、大きかった。
大きな髭の生えている女性に抱かれたりした。
「僕もサーカスに入りたい」
と言ったのですが、大きくなったらねと言われました。

面白いことに、彼らの多くは新潟県人で、佐渡島出身者もいました。
当時は不思議に思ったものですが、実は、戦前までは新潟出身の芸人が多かった。
それが駄目になったのは、戦後にできた『児童福祉法』のせいだったらしい。
戦前の新潟では、間引きを行う代わりに、軽業師に売られる子供たちが多かったらしい。
そして、才能ある子供たちは、世界中に散っていったとのこと。
新潟では子供をしつけるときに
『サーカスに売るよ』
という言葉を使っていました。
そのくらい売られていく子供たちが多かったのかもしれません。
そのために古いフィルムに写っている軽業師の動画の多くが日本人だったりします。
これは世界最古の軽業師の動画です。





これらの軽業師たちの技は、大道具を必要としません。
身体一つで芸をみせます。
私が子供の頃に見たサーカスというか見世物小屋も同じです。
大きなテントは必要で無く、小さなテントの中で、オドロオドロしい芸をみせていました。
決して、派手な芸ではないのですが、アングラかげんがよかった。

話は変わりますが
『べらぼーめえ』
という言葉を知っていますか?

江戸時代の初期に『べら坊』という子供が見世物で大流行した。
全身真っ黒、頭が尖り、眼はまん丸で赤く、あごが猿のような男が、見世物小屋で大人気になったらしい。
「そんな奴がいるもんか!」
という意味の言葉が
「べらぼうめえ」
という意味の言葉として定着したらしい。

見世物小屋のオドロオドロしい芸は、まさに
「べらぼうめえ」
であり
「そんなものあるはずがない」
なのですが、

あるはずもない世界を信じたい心は、私の中にあった。
で、子供の頃に

「ゲゲゲの鬼太郎」
「河童の三平」
「妖怪人間ベム」
「怪奇大作戦」
「ウルトラQ」

といった番組に熱中しました。
山に登ったり、森に入ったりもしました。
今でも私は、山好きで、年に300回くらい登っています。


この癖は、大人になっても消えませんね。
こういう類いのアニメがあると熱中してみてしまう。

「ひぐらしの鳴く頃に」
「蟲師」
「屍鬼」

などという作品が大好きです。
特に気に入ってるのが
「夏目友人帳」
です。この作品は、とてもいい。
音楽も素晴らしい。
したの動画は、BGMです。
素晴らしい曲なので、一度聞いてみて下さい。





ストーリーは、いたって単純で異能の力をもつ故に孤独になった少年が、妖怪たちと交流する話です。
「星の王子様」
と少し似ていますが、「星の王子様」と違うところは、フリークスの世界を扱っています。
よーするに「気味の悪い世界」です。

しかし、妖怪という気味の悪い世界と、主人公の夏目には共通点があります。
それは「孤独」です。
主人公の夏目には、妖怪が見えるために「嘘つき」にされ、孤独になってしまう。
つまり、夏目には、いつも孤独の中にいた。

しかし、フリークスの内にいれば、孤独でも何でも無い。
人間世界では、孤独な夏目でも、
妖怪の世界では、孤独では無いのです。





思えば、子供の頃、見世物小屋の楽屋で、私が感じたのは、そういうフリークスの内にある、ある種の温かさだったのかもしれません。世間から孤立しているように見える見世物小屋のフリークスたちは、かれらの世界の中では、とても居心地が良い。

それを見たから私は「僕もサーカスに入りたい」と言ったのかもしれない。
だから私は、親に「サーカスに売るぞ」と脅されても嬉しそうにしていました。
私には、フリークスの世界に少しも抵抗を感じなかった。



つづく

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posted by マネージャー at 19:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする