2015年06月20日

女子は恐ろしい

 女子は恐ろしい。
 これは結婚してからわかった。

 その昔、私が高校生だった頃に統一劇場という劇団が、新潟県にやってきたことがある。それを学校全体で見ることになった。題名は結婚と言う題名で脚本はフーテンの寅さんの山田洋次だった。山田洋次の脚本だから、非常にワンパターンなドラマである。

 校長先生の娘と、マグロ漁船の船員が、結婚しようとするのだが、校長先生はそれを許さない。もちろん校長先生の親族一同も許さない。マグロ漁船の船乗りなんかに娘をやれないと言うのである。しかし、2人は家族の反対親戚の反対も押し切って結婚しようとする。それを家族や親戚が嫌がらせをしたり嫌味を言ったりするのだ。結局校長先生は、自分の間違いを認めて 2人の結婚を祝福することになる。家族や親戚の人たちも、さっきまで言ってた嫌味を忘れて、みんなで祝福してしまう。そーゆーハッピーエンドな、典型的なよくあるホームドラマであった。

 さて、この典型的なホームドラマのような芝居を高校時代に私は見ることを強要されたのだが、芝居を見ている途中に、すごいことが起きてしまった。意地悪な親戚が、主人公やヒロインをいじめるたびに、客席の高校生たちが、
「ひっこめババア」
「ふざけんなよ」
と、怒鳴るのである。完全に感情移入していた。

 もちろん芝居も脚本もうまくできていたのだが、傑作というほどでもない。よくあるホームドラマなのだ。しかし、男たちはそのホームドラマに感情移入して、つい怒鳴ってしまったのだ。この話を思い出して嫁さんにしたときに、嫁さんは全く逆のことを言い出した。

 嫁さんは女子校に通っていた。やはり演劇を学校で見に行ったらしい。そしてクライマックスのところで、それこそお涙頂戴のクライマックスのところで、全校生徒たちがゲラゲラ笑ってしまったらしい。芝居が甘かったのか下手だったのかは知らないが、私が体験した男子高校生たちの態度とあまりにも違うので驚いてしまった。

 他にそんなようなネタはないのかと聞いてみたら、出るわ出るわたくさん出てきた。

 嫁さんが子供の頃に、走行中の自動車にタッチするのが流行ったらしい。考えるだけでも恐ろしいことなのだが、走行中の自動車にタッチして遊んでいたらしい。そういうことを館林の女の子はやっていたらしい。そして、彼女が通っていた女子校では、通学路で自動車を無理矢理停止させてヒッチハイクして学校に登校するのが流行っていたらしい。恐ろしいことをするものである。

 もちろん校長先生にバレて全面禁止になってしまった。
 その理由がまた凄い。
 たまたまヒッチハイクした車が校長先生の車だったのである。

 他にも恐ろしい話はいっぱいあるが、このブログを若い男性が読んでいないとも限らないので、若い人の夢を壊すのは申し訳ないのでこのぐらいでやめておく。
 
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つづく。

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2015年06月18日

一昨日、鼻曲山の登山道を整備していたら

 一昨日、鼻曲山の登山道を整備していた。メンバーは2人である。国境平から登る登山道は、木が何本も倒れて登山道を遮断しており、途中から笹の籔がひどくなっていて、登山者が登りにくくなっていたからだ。ところが、作業の途中に電話がじゃんじゃん入ってきていた。運悪く作業メンバーの1人が、観光協会の携帯電話を持っていた。その観光協会に、いろいろなマスコミから電話がかかってきたのである。用件は浅間山の噴火の事である。もちろん噴火したことなど知る訳がない。

 私たちは鼻曲山の登山道にたわけだが、全く知らなかった。しかし電話はじゃんじゃんかかってくる。そのために、 1人が全く仕事ができない状態になってしまった。 2人でいちにちの作業を行う予定だったのだが、 1人しか作業ができないために、全く仕事にならない。おまけに電話をかけてきたマスコミ関係者は、いろいろと誘導質問をしてくるが、そもそも噴火したことさえ知らないのだから、答えられないのにしつこい。巧に回答を誘導してくるが、答えようがないので役場に電話をしてくれと言うしかないのである。

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 ここで思い出すのが2004年の噴火の時のことだ。あの時はマスコミたちにさんざんやられてしまった。高感度カメラで撮影された画像を何度もテレビに流された。火口そばの所をzoom upされて撮影されたものを流した。しかも、流される事に色を着色されて、次第に激しい噴火のように映像を改ざんされていった。

 これに何度か抗議した結果、高感度カメラで撮影してますというテロップが入るようになったが、あの映像のおかげで、全国の友人や親戚から浅間山近辺の住民たちは全滅したのではないかと思われてしまった。

 しかしそんなことはないのである。浅間山の火口周辺4 kmに民家も道路もないのだ。そこが御岳山や白根山と違うところだ。登山道の入口でさえ4キロ以上離れている。一般的に言って4キロ以上離れていれば、安全なのだ。そして4キロ以内に民家や道路はないのである。現在浅間山はレベル2である。火口周辺の規制があるだけだ。入山規制はされていない。そういう状態なのである。しかし、その日は何軒もキャンセルが入ってしまった。マスコミがあれだけ騒いだら、そういう人も出てくるだろう。残念だが仕方がない。

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 しつこいようだが私の過去の書き込みをここに紹介しておく。
 これを読んでくれれば、浅間山麓のことがよくわかると思う。

 http://kaze3.seesaa.net/article/406229611.html

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 御嶽山の噴火によって半径4キロ以内は入山禁止となった。ここがポイントなのだ。半径から4キロ離れていれば、火山はたいして怖くないのである。あれだけ噴火しても半径4キロの外なら安全なのだ。なので、吾妻山や浅間山などもレベル3になると半径4キロの立ち入りは禁止になる。

 ところがである。どこもかしこも半径4キロというふうにはいかないのだ。具体的に言うと桜島。桜島の半径4キロ以内に何があるのか? 桜島がスッポリはいっちゃうのだ。鹿児島市は、ぎりぎりセーフ。で、今の桜島の噴火警戒レベル3なのである。ここに半径4キロを適用したらパニックになるだろう。もちろん、そんなことできるわけがない。だいいち鹿児島の人間は、桜島の噴火と共生してきた歴史がある。余計なお世話だろう。口永良部島や阿蘇山だとさらにパニックになる。一回地図を開いてみてほしい。

 じゃあ浅間山は?

 幸いにも半径4キロ以内に民家は無い。生活道路も、ほとんどない。だからレベル3になっても何もかわらないのである。住民も観光客も何の心配も無い。しかし、そうはいかなかった。2004年の噴火では、ストロンボリ式噴火にもかかわらず風評被害で観光客はバタッとこなくなった。だから風評被害は怖いけれど、火山は怖くない。噴火しても4キロ以内に民家は無い。5キロ以内にもほとんどない。あっても別荘が多少ある程度である。

 草津白根山はどうだろう?

 もう絶望である。もし草津白根山がレベル3になったら、御愁傷様というしかない。半径4キロの中には、万座どころか草津温泉の中心街もスッポリ入っている。だから、この夏は、草津町民は生きた心地がしなかっただろう。もちろん志賀高原もそうであるが、風向きを考えたら東側にある草津町民の心臓はバクバクものであったと思う。さいわい、草津白根山は首の皮1枚でレベル2にふみとどまったが、レベル3に近いレベル2だったと思う。さいわい9月になってから火山性地震がパッタリとまった。まだ油断はできないが、このままいけば、レベル1の安全水準になる日も遠くないだろう。

 さて、ここで気が付いた人もいると思う。レベル3になっても大して影響の無い地域と、そうではない地域があることに。

 では、御嶽山はどうなのだろうか?

 半径4キロ以内に、山小屋はもちろんのこと、ロープウエイやら温泉やらスキー場やらキャンプ場やら旅館ペンション民宿など、いろんなものがワンサカある。つまり御嶽山が噴火すると自動的に被害がおきやすい地域なのだ。

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 長い前置きはここまでとして、本題に入る。実は今回の噴火は、浅間高原の自然にとって悪いことでは無いのだ。少々の火山灰が浅間高原に降り注いだことによって、高山植物が元気になるからである。そして元気になって花が豊作になるからである。 pH値が酸性の火山灰が広く降り注ぐことによって、つつじ科の植物が元気になる。そしてれんげツツジや、シャクナゲが美しい花を咲かせてくれる可能性が高くなった。来年の浅間高原は花が豊作になる可能性が高い。特に浅間園や火山博物館や鬼押し出し園の花が美しくなる可能性が高い。

 あと飲料水にとっても悪い話ではありません。嬬恋村の水道は、地下水だが、過去にpH値が酸性の火山灰が広く降り注いた事によって、無菌状態の水源となっている。ほぼ塩素が必要ない状態で蛇口から出てきている。これだって浅間の恵みだと思う。

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 また、浅間山特有の植生も少しではあるが元気になる可能性もある。詳しい事は書けないが、浅間山には固有の植物があるみたいなのだ。残念ながら、植物学者があまりに熱心に調べてくれないために、地元の素人の山岳関係者が少しずつ調査をしている。そして固有種の可能性のある植物が、少しずつ発見されている。そーゆー希少動植物が元気になる可能性がある。そこまで大げさな話では無いにしても、時々噴火してくれれば、カラマツやゴヨウマツが枯れてくれて、代わりにつつじ科の高山植物が繁栄してくれれば、浅間山本来の植生が戻ってくれるからである。そうなれば、また美しい浅間高原が戻ってくれるかもしれない。しかし、そのようなことになるには、毎日のように小規模の噴火が必要になってくる。なのでマスコミさえ騒がなければ、こういう噴火は大歓迎なのだ。

 浅間山はレベル2である。
 火口周辺しか立ち入り規制は無い。
 なので私も毎日、愛犬コロを連れて登っている。
 昨日も、素晴らしい展望を独り占めできて楽しむことができた。

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つづく。

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2015年05月26日

小学校教育の今と昔

 いつだったか、うちの宿に小さな子供さんから手紙が届いた。小学校3年生になったばかりの女の子の手紙だった。なのに、大人の書く文よりも、わかりやすく素晴らしいものだった。私が小学校3年生の頃を考えたら、とてもではないが、このような文章は書けなかったと思う。季節の挨拶から入って、きちんと起承転結になってたのである。そして、何よりも手紙の中に愛情があふれていた。こういう手紙は、教養ある大人にも書くことができるものではないと思った。

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 それから1年後、東京都中野区の小学校教育研究会国語科研究部が発行する冊子が、お父さんから送られてきた。女の子の手紙が、小学校の補助テキストに掲載されたのである。どうやら、今の小学校では、手紙を書くと言う授業があったらしい。その授業の一環で、うちの宿に、手紙が送られてきたらしいのだ。そして、家に送られてきた手紙の出来栄えが良かったため、テキストに掲載されたらしい。

 これは、かなり良い教育システムでは無いだろうか?

 手紙を送るという作業は、子供たちの文章能力を鍛えるだけでは無い。子供たちに楽しかった思い出をもう一度記憶の奥から引きずり出して、日常の嫌なことや忘れたい事をリセットしてくれると思う。また、いろいろなものに対する感謝の気持ちを人に伝える訓練にもなると思う。他にも色々な副次的な効果があると思う。自分の体験を文字にするということは、論理的な思考を鍛える意味でも非常に重要なことである。会話能力も磨かれると思う。体験を文章にするという作業は、かなり高度な知的作業なのである。

 話は変わるが、お父さんからもらった文集を読んでみた。そして驚いた。うちの宿に手紙を書いてくれた女の子に限らず、掲載されている文章の大半が、大人顔負けのものばかりだったからである。昔の子供たちは、こんなに文章がうまくなかったと思う。もっとへたくそだったと思うし、どこかで聞いたことあるようなレトリックばかりを使っていたような気がする。つまり教科書を手本に字面を変えただけの文章が多かった気がする。今の子供たちの方が、文章レベルは上な気がする。 

 しかしよく考えてみたら、昔はインターネットのようなものはなかった。とはいうものの、小学校3年生が日常的にメールを打っているわけでは無い。その点においては、昔も今も変わりはないと思う。しかし、今の子供たちの方が文章が上手に見えて仕方ないのはなぜだろう? 上手なものばかりが文集に掲載されているからだろうか?

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 話は変わるが、今の学校教育になくて、昔の学校教育に合ったものに、話し方教室というものがある。みんなの前で、演説や落語や歌を歌うなどの人前で話をする授業である。これが、最近の小中学校では行われてないらしい。

 また、私よりだいぶ年上の人たちの学校教育で存在したのが、生活綴方教室(ありのままの実際を文章にすること)であった。これは、私の世代にはもう存在しなくなっていた。私よりはるか年上の世代で流行した教育だったようである。

 そういえば、私の子供の頃は、夏休みの研究発表というものもあった。しかし、実際に研究発表している子供たちは、それほど多くはなく、いつも常連組が発表していた。たいていは、親が教師であるケースが多かった。教師である親が息子や娘の指導していたことが多かったのだ。そもそも、小学校1年生や2年生位で、大人の科学者のように研究発表を自発的にするわけがない。大抵は、大人達の指導が入るのである。しかし、最初のきっかけはそうであっても、徐々に、科学好きになっていくケースは出てくる。そして、子供のくせに本物の学者のようになってしまうこともある。私の友人にそういう奴がいた。

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 同級生のK君が、そーゆー人間の代表だった。彼のお父さんは、私が通っていた小学校の先生で、K君は、お父さんと同じ小学校に通っていたことになる。まぁそんな事はどうでもいいとして、彼は何度も研究を行い、夏休みが終わると研究発表という物をやっていた。最初は、またやってるなぁと思って見ていた。もちろん背後に先生であるお父さんがついているのは承知の上である。私の母親も、小学校の教師だったので、だいたい事情は分かっている。こういう研究発表は、背後に大人(それも教職の親)が必ず存在するのである。

 ところが、何年か経つうちに、彼の科学好きは本物になっていった。彼の研究発表も、だんだん玄人じみてきていた。それは子供心によくわかった。そのうち発表さえしなくなり、研究だけを続けていた。ある日彼は、黒いガラスで太陽を覗いていた。夏休みはもう終わっていたのに、しきりにノートに記録していた。

 何をやってるんだい?

 と尋ねたら、太陽の黒点を観察していると答えた。そして、大学ノートの記録を見せてくれた。私はこの頃、航空機のエンジンと構造に熱中していた頃なので、お互いに、科学談義に花が咲いた。昭和30年代に生まれた子供たちには、そういう科学好きのところがあったのかもしれない。

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 当時は、学研の科学と学習をみんな取っていた。学校が、それらの雑誌を積極的に子供たちに進めていたのである。そのために学研の科学を購読している男子が多く、みんな、 その付録で遊んでいたのである。今の子供達よりも、科学好きな男の子が多かったのかもしれない。

 話がそれた。

 私とK君は、その後、お互い同じ高校に進学したが、ほとんど話をすることがなくなってしまった。何を思ったのかK君は、高校の演劇部に入ってしまった。もう科学は、やめてしまったのかと私は思いこんで、少し距離をとってしまったのだ。しかし、あとから聞いた話によると、演劇部に入った後でも、毎日のように太陽の黒点を観察していたらしい。そして彼の頭は、日に日に薄くなっていった。

 1年後、彼は短い命を閉じてしまった。
 癌だった。

 この病気は、今でこそ治る病気になってきている。数年前に甥っ子(10歳くらい)が遊びに来たとき、甥に髪の毛が無かった。食事の時間になってもそして客室から出てこなかった。放射線治療をしていた。今は、ふさふさしている。健康体そのものである。が、今から35年以上前は、医学は今より劣っていたようだ。良い治療が無かった。

 冬の寒い時期に、「さむいなあ」コタツに入りながら眠るようにK君は亡くなったらしい。その日の彼も黒点を観察していたのだろうか? あれから35年経つが、今私が日本の演劇史を調べなおしていることを考えてみると、何か運命のようなものを感じてしまう。 35年前の私は、そんなものには全く興味がなかったからだ。ところが今の私は、演劇史の調査をしつつも、毎日のように御客様を星空観察に連れていっているのだから。

 


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2015年05月24日

アレルギー除去食を作るのは、本当に難しい

 何故か今週末は、子連れファミリーで満室となってしまった。下は5ヶ月から、上は10歳くらいまでで、1歳児・2歳児・3歳児・4歳児・5歳児・年長さんと、全ての学年が揃っていた。これだけ揃っていて、驚くほど館内が静かだったわけは、親御さんの教育が良かったのもあるだろうけれど、ほとんど女の子だったのもあるかもしれない。うちの息子は、10歳の女の子に静かに遊んで貰っていた。こういうお姉ちゃんがいたら良かったと思うくらいだ。英語圏の御家族もいた。国際色があったのであるが、子供に国境は無い。楽しく遊んでいたようだ。

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 ただ、お父さんがシーフードアレルギーだった。鰹だし、昆布だしでもダメだという。まあ、なんとかなるだろうと思ったら、これが以外に難しかった。まず、ほとんどのドレッシングに魚のエキスが入っていた。各種ソースにも魚介のエキスが入っている。炊き込み御飯などの得意のレシピも封印された。しかし、子供たちの大好きな卵料理は作りたいので、出汁巻きの代わりに、スペイン風オムレツに挑戦したのだが、ふだん使ってないオリーブオイルを使ったり、出汁の代わりにコンソメを使うと、いつもと卵の焼き具合が変わってくるので面食らった。

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 それにしても、日常使う食材に、これほどシーフードエキスが入っているとは思わなかった。うちは洋食を作っているようで、基本的な味のベースが和食だったことに気がついた。というか、御客さんの好みを研究しているうちに、そうなってしまった。コンソメースープにしても、醤油を1滴たらすだけで、日本人好みの味に変わる。しかしこれは正統派なものではない。

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 まあ、そんなことはどうでもいい。料理から出汁を含むシーフードをのぞくことが、いかに難しいか?ということである。逆に言うと、のぞいたものが洋食になるのだ。ドイツやフランスで大衆的な料理を食べると、なにか物足りなかったのは、そこだったのだ。彼らの料理には出汁が入って無く、塩が味付けのメインなのである。だから、うまみの少ない洋食に日本人は違和感を感じるのだろう。逆に言うと、うまみにアレルギーをおこす西欧人も多いのかもしれない。いずれにしても今回は勉強になった。アレルギー除去食を作るのは、本当に難しいものである。

つづく。

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2015年05月21日

登山道と道路の清掃活動

 ここのところ、いい天気が続いている。そのせいか新緑も一段と美しくなってきた。それを確かめるために、朝5時ぐらいに起きて浅間山の9号目まで登ってみた。登ってみて驚いたのだが、残雪はほぼ無いと言っても良い。やはり今年は暖かい。

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 ところで、私はこの時期に、北軽井沢付近の山の登山道の清掃行っている。うちのお客さんの多くは、ハイキングや登山を趣味としている人たちである。そういう人たちをスタッフの土井くんが自然ガイドをしながら案内をしている。つまり、この付近の山のお世話になっているわけだ。だから恩返しに10年くらい前から登山道の整備をしているのである。

 これはかなり孤独な作業なのだが、実際に登山道の整備をしていると、整備しているのは私1人でないことがわかった。いろいろな山岳会や、志のある多くの人たちが整備しているのである。例えば浅間隠山は、私が知っているだけで3人ぐらいの人がいる。そのうちの1人は、山岳会に属してるわけでもないのに、 10数年も1人だけで笹を刈っていた。

 もちろん1日で終わるわけがない。毎年10日から2週間以上の日数をかけて、整備をしていた。そこが終わると、次に赤城山に行って登山道を整備するのだそうだ。終わるといっても、彼が整備するのは7号目くらいまでである。そこから先は、私が整備していた。

 ただし、最近はさぼり気味である。子供が生まれたからだ。それでも一昨年は、 1年間に20日くらい登山道を整備していたのだが、去年は4日ぐらいにまで減ってしまった。それも小浅間山しか整備しなくなってしまった。子育てが忙しくて、登山道の整備ボランティアまで手が回らないのである。あと、自分の息子が行ける山を優先するようになったということもある。真ダニの関係で藪のある山に赤ちゃんは連れて行けないからだ。

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 しかし今年は観光協会が、もっと積極的にバックアップしてくれることになった。人数を集めてくれるらしいのだ。もちろん全く集まらないかもしれない。だとしても私1人で出発するので何の問題もない。今までもそうしていたのだから。ただ今までと違うところは、ある程度の予算の裏付けがついたところだ。自腹だった草刈り機のガソリン代とか、ゴミ袋代などが支給される可能性が出てきた。本当なら、とてもありがたいことである。なので浅間高原シャクナゲ祭りが終わったら早速、動きたいと思っている。

 話は変わるが、宿屋をやって驚いた事は、道路清掃を主にやっているのが、観光関係者であるということだ。観光で外からやってきた人たちが、ゴミを道路に投げ捨てる。その後始末をするのは観光協会なのである。観光協会と言うと、何やら大きな団体のように思えるかもしれないが、その実態はペンションやレストランのオーナーたちの50軒ぐらいの父ちゃんたちである。彼らが集まって道路清掃をやるのだ。

 もちろん私も出かける。しかし、出席率はそれほど高くは無い。だから役場の職員とか、消防団とかも出てきて清掃を行う。そして、道路をきれいにするのだが、ここで問題が出てくる。そういう団体が清掃する区域は、群馬県内部に限られてしまうのだ。

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 つまり、中軽井沢から群馬県と長野県の県境までは掃除が出来ないのだ。
 そのために、その区間にゴミがとても多いのである。
 群馬県よりも長野県側の方が圧倒的にゴミが多いのはそういう理由である。

 しかし、その区間にゴミを落とす観光客の人たちは、長野県を通過して群馬県にやってくるお客さんなのだ。軽井沢の観光協会としてみたら、群馬県が掃除すべきだろうという話になってしまう。もちろん私たちもそう思っているのだが、群馬県側の自治体が関わっている清掃事業だと長野県まで手が出せない状態なのだ。

 ただ、観光関係者としては、そんな事は言ってられない。いくら長野県側であっても、北軽井沢に来る玄関口が、ゴミだらけでは恥ずかしい。とてもじゃないが見て見ぬふりはできない。なので、登山道の整備にかこつけて、せめて小浅間山周辺の道路清掃だけでも、目立つようなゴミを片付けてしまおうと思っている。

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 また、浅間牧場や六里ヶ原休憩所に放置されているゴミも気になる。ゴミといってもたいしたものはないのだが、タバコの吸い殻が気になる。あそこは、小さなお子さんを芝生で遊ばせる人たちが多い。もし乳幼児が誤ってタバコの吸い殻を口に入れたら大変なことになる。なのでタバコの吸殻を無造作に捨てる人を見ると、無性に腹が立ってくる。

 別に注意はしないけれど、昨日は、若い観光客がぽいと捨てられた吸殻をすぐに拾った。嫌そうな顔をされてしまったが、タバコの吸い殻は他のゴミと違って毒性が高いことをわかってもらいたい。野生動物が食べないとも限らないのだ。釧路湿原では、原因不明で死んでしまったツルの胃袋からタバコの吸い殻がでてきた事例もある。これだけは本当にやめてもらいたい。 


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2015年04月16日

香典豆知識

 まず最初に関係ないことから。
 今日、蔵王山に噴火警報が公表された。
 去年の御岳噴火こともあるので、気をつけてほしい。

http://www.jma.go.jp/jp/volcano/forecast_02_20150413133028.html

 レベル3(入山規制) 3月31日の御嶽山以来の警報である。
 火口から1.2kmの範囲は警戒してほしい。

 それはともかくとして、近いうちに嫁さんの父親の23回忌がある。嫁さんは、あたふたと準備をしている。香典袋を探したり、あまり使ったことのない喪服や革靴を探したりしている。なにしろ北軽井沢の田舎に住んでいるものだから、普段から革靴など履いたたことがない。どこに片付けたか分からなくて探し回っている。ふだんはゴム長靴か登山靴以外はいたことがないからだ。ちなみに、嫁さんの実家は曹洞宗である。群馬は曹洞宗がやたらと多い。

 私の祖母が死んだ時は、真言宗であった。佐渡島にある小比叡と言うお寺のお坊さんが葬式を行った。小比叡というのは、比叡山のミニバージョンという意味らしいが、比叡山は天台宗だったはずだ。なぜ小比叡なのに真言宗なのか謎である。

 まぁそんな事はどうでもいいとして、祖母が死んだときに初めて真言宗の葬式を体験したわけだが、目が点になるような葬式だった。何人もの僧侶がやってきて、声明(しょうみょう)という歌を聞かされた。お経を謡曲のように歌うのであるが、さながら日本版ウィーン中年合唱団のような感じである。その上、葬式に来ていた人たちみんなで何やら怪しい踊りを踊っていたのにも目が点になったものである。その後、お坊さんが、いろいろな呪いみたいなことを、事あるごとにやっていた。いかにも密教という感じであった。

 それから比べると曹洞宗のお葬式は、かなり簡素である。密教のような怪しさもないし、お経も素人の耳で聞き取れるようにハキハキと上げている。そして僧侶の話がうまいし面白い。おまけに、 1人1人に色々な言葉をかける。例えて言うならば真言宗がカトリックだとすると、曹洞宗はプロテスタントのような雰囲気がある。


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 長い前置きはこのくらいにして、香典について話したい。事の起こりは嫁さんが、香典にいくら包むかという疑問から、インターネットで調べたことから始まる。そして、香典についての豆知識を得た。そして私に語りかけた。

「お供え物は、お供えした後にお墓から持ち帰らなければいけないの知っていた?」
「カラスが食べちゃうからね」
「それもあるけれど、仏様は香りしか食べられないらしいよ。だから香典も『香り』と言う文字を使うんだって。仏様には香りを食べてもらって、お供えは、お墓から持ち帰るのが礼儀なんだって」

 嫁さんはインターネットの豆知識を披露した。
 なので私もお返しに自分の知ってる話を披露した。
 私の豆知識は、ネットではなく本から得たものである。

「昔はね、お墓にお供え物を置いて帰ったんだよ。そのまま持ち帰らなかった。これは群馬県の話なんだけれどね」
「どうして?」
「お墓のあたりには、食うや食わずの子供たちや、子供を背負って放浪している女の人たちが、こっそり隠れていたんだ。そしてお供え物をいただいて命をつないでいたらしい。だから明治大正の頃は、お供え物を持ち帰らなかった」
「お供えをとった人に仏罰は?」
「ないない。喜捨だから。仏様には香りを差し上げたのでそれでおしまい。残ったお供え物は、貧しい人に持っていってもらうことによって、善を積み重ねることができるので、これはこれでいい。群馬県の昔の農家には、そういう風習があった。昔は福祉施設がなかったから、このように貧しい人にお布施をしたわけさ」
「うーん」
「場合によっては、お墓でお祈りしてる時に、我慢が出来なくて、お墓の後ろから手が出てきて、お供え物とっていく人もいたらしいけれど、それも黙認していた」
「・・・」
「でもそういう人たちは、人様から物乞いをしたくない。いわゆる少しばかりのプライドのある人たちなんだよね。顔を隠してこっそりお供え物をもらうわけだから。もっと困っていた人たちは、直接、 1軒1軒家を回って物乞いをした」
「・・・」
「そういう場合は、どの家でも必ずなにがしかのお布施をした。恥を忍んで家を回るのはよほどのことだと察したわけだ。つまり、当時の日本人は、よほどのことがない限り、そういうことをしなかった。よほどの事だったから喜んで布施をした。むしろ布施行として喜んでやった。あと、お布施は、すぐに食べられるものをあげた。お金をあげても、昔の事だから、コンビニで食料を買うこともできない。店なんかなかったからね。かといって、お米をあげても、生で食べるわけにもいかない。だから、握り飯とか、お菓子をあげたりした」
「・・・」
「これが平成時代なると、生活保護を受けられずに餓死する人がニュースになったりしているのに、ベンツに乗って生活保護を不正にもらっている人たちもいる。お供え物もカラスが食べ散らかすから持ち帰らなければならなくなった。」

つづく。

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2015年04月11日

タコ料理と御飯

 群馬県と香川県にはある共通したものがある。雨が降らないことだ。当然のことながら農家の人たちは米ではなく麦を作る。で、うどんをよく食べるのだ。これは香川県でも一緒である。群馬も香川も、うどんが名物である事は一緒なのだが、 1つ違うところがある。香川県民は、外食でうどんを食べる。群馬県民は、自分の家でうどんを作って食べる。群馬県出身の嫁さんに聞いてみたら、おばあちゃんの家に遊びに行くと、うどんを打っていたらしい。うどんは自家製のものを食べる。それが群馬県の特色だったらしい。しかし、そういう風習は、今はもう廃れているかもしれない。自分の家でうどんを打つ家庭は、もうほとんど無いのではないだろうか?

 私の出身地は新潟県であるが、確かに子供の頃には、自分の家で笹団子を作っていた。しかし、昭和50年くらいになると、笹団子は、お店で買うものであって、自分の家で作る事はもうなかった。だから私の弟は、自宅で作った笹団子を食べた記憶を持ってないだろう。

 話は変わるが、うちは宿屋なので全国からお客さんがやってくる。そしてお茶会で、食べ物の話になることが多い。で、時々お客さん同士で論争になったりするのだが、その中で香川県のネタがある。香川県は、日本でいちばん外食率が高いらしい。つまりうどん屋で、うどんを食べる。しかも、いなり寿司と一緒に食べるらしい。いなり寿司とうどんであるから、炭水化物のコラボである。そのためか、糖尿病になる確率が全国ナンバーワンなのだそうだ。

 それを聞いた、他の地方のお客さんは、いなり寿司とうどんを一緒に食べるのはおかしいと言う。しかしここで香川県民は、反論をする。たこやき定食みたいなものだと。そうなのだ、大阪には、お好み焼き定食とか、たこやき定食とか、焼きそば定食というものがある。あれだってダブル炭水化物である。糖尿病になってくれと言わんばかりのメニューである。

 たこやき定食はありえない。
 お好み焼き定食はありえない。

 と、誰もが思うだろうが、ところがどっこい、そうでは無いのだ。大阪府民にとっては、たこやきは、タコ料理なのだそうだ。つまりたこやき定食とは、タコ料理をご飯と一緒に食べるのであって、ご飯をおかずにご飯を食べてるのではないらしい。お好み焼きも、キャベツと豚肉の料理の1種であって、ご飯をおかずにご飯を食べてるのではないらしい。なるほどと感心してしまった。

 この話を嫁さんに言ってみた。すると、焼きそば定食は、群馬県ではあり得るらしい。焼きそばも野菜炒めの変化形らしい。つまり綿の入った野菜炒めをおかずにご飯を食べているのだそうだ。それはありえんだろうと思ったが、反論するのはやめた。なにしろ嫁さんは、麦茶に砂糖を入れる派なのだ。それが群馬県館林では当たり前だったらしい。私にしてみたら、無茶苦茶なことに思えるのだが、麦茶に砂糖を入れる地域は結構あるのである。

 まぁ、人の好みはそれぞれだし、目玉焼きをお客さんに出すときには、醤油とソースを両方出している。しかし、たまにケチャップを使いたいというお客さんや、粉チーズは無いのかというお客さんや、タバスコは無いのかというお客さんもいる。そうなのだ。目玉焼きには、いろいろな流派があるのだ。人によっては、卵の黄身を固く焼いて欲しい人もいるし、あれが半熟なのがいいと言う人もいる。ひっくり返して焼いて欲しいと言う人だっている。だから最近は目玉焼きを出す事はなくなってしまった。だし巻きか、オムレツか、キッシュを出すようになってしまった。それでも、だし巻きにソースをかける人がいるのに驚いたけど。


つづく。

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2015年04月10日

薪ストーブと用務員さん

 私が生まれたのは、昭和36年の7月である。出身地は新潟県は佐渡島。小学校に入学すると、そこには薪ストーブがあった。当時、薪当番というものがあって、朝早くに学校に行って、用務員さんから薪をもらってきた。その薪は、太い針金でぐるぐると巻かれていた。その針金を分解して、新聞紙などの焚きつけて朝ストーブに火をつけるのである。

 ところで、学校が終わると友達の自宅に遊びに行くことになる。そして夕方5時のサイレンが鳴ると家に帰るのだが、たまに友達のお母さんが、風呂を沸かしていた。当時、ボイラーのようなハイカラな風呂釜がある家は少なくて、五右衛門風呂か、巨大な樽風呂がほとんどだった。樽風呂の方が多かった気もする。もちろん薪で風呂を沸かすのだが、薪といってもみかん箱を解体して作った薪である。または、どっかから拾ってきた板を燃やして樽風呂を沸かしていた。それが珍しくて、私は、ずっと見学をしていた。というのも、私の家は当時珍しいボイラー式の風呂釜だったのである。つまり新築の家に住んでいたのだ。そのために薪で風呂を沸かす友人の家の風呂釜が珍しかったんだと思う。

 それはともかく、 9月から10月ぐらいになると、小学校の校庭で、用務員さんが汗だくになって薪割りをする風景が見られるようになる。 30ぐらいある教室の薪ストーブの薪を蓄えなければいけないからである。それはもう莫大な量である。それを、年配の用務員さんが、上半身素っ裸になって、ねじりハチマキで、次から次えと薪を割っていた。子供心に私と、その友人たちは、飽きもせずにずっと眺めていた。用務員さんは何時間も何時間も黙々と薪を割っていた。薪は、校舎の壁に次から次えと積み上げられていくが、何しろ凄い数なので、校舎の壁をずらっと薪の壁が包み込むようになる。だから校舎の窓を開けると、すぐそこに薪の束があるという具合である。

 ちなみに用務員さんは、とても優しい人だった。事情があって、私が泣きそうにながら学校に行くと、すぐに声をかけてくれて、心温まる対応をしてくれた。そういう用務員さんだから、みんなから好かれていたと思う。用務員さんには奥さんもいた。奥さんと一緒に学校に泊まり込んでいた。というか住んでいたと思う。毎日のように、夜の学校を見回っていた。私の父は、厳格な人間だったので、私は何度も家を追い出されて街中を放浪したのであるが、行き先は必ず小学校の縁の下だった。

 父親に殴られ蹴られ何度も追い出されているうちに、子供ながらに知恵がついてくる。家を追い出される時のために、学校の縁の下に、こっそり秘密基地を作っていた。当時は、段ボール箱のようなものはないので、用務員さんが割って束ねた薪をせっせと学校の縁の下に運び、それで椅子やらベットを作り、食料や現金や懐中電灯などを隠しておいていた。

 小学校2年生位の子供が、そんな不審行動をするものだから、用務員さんが気がつかないわけがない。縁の下で、いろいろ作業してるのを、用務員さんに見つかってしまった。怒られるのかな?と、びくびくしていたが、彼は何も言わなかった。私は慌てて逃げ出した。用務員さんが追いかけてくる事はなかった。けれど、これで秘密基地はおじゃんになってしまったと観念した。

 しかしである、翌日、その秘密基地に行ってみると、何一つ撤去されてなかった。私が、作ったままそのままの状態で存在していたのだ。すると、薪割りの音が聞こえてきた。私は縁の下から出てくると、用務員さんが、盛んに薪を割っていた。目と目が合ったが、彼は黙々と薪終わっていた。私には何事もなかったように、作業を続けていたのである。今思い出してみると、非常に不思議な気がする。なぜ用務員さんが、何事もなかったようにスルーしてくれたんだろうか? そして私が使ったために足りなくなった薪を、割り始めたんだろうか? 今思えば不思議な事だらけである。

 ただ思い当たることがあるというすれば、私は、夜の小学校で、よく用務員さんにお世話になっていることだ。父親が厳格だったので、ランドセルに教科書が1冊でも欠けていると、学校に取りに行ってこいと怒鳴られて、泣きながら何度も学校に取りに行ったことがある。もちろん、玄関から入るのではなく、窓からこっそり学校に入り込んだ。夜は暗いので電気をつけて自分の席の机の中をごそごそとやる。その度に、用務員さんが駆けつけてくるのである。それはそうだろう。夜の学校で電気をつければ、そこだけ目立つのだ。泥棒でも入ったかもしれないと、用務員さんが恐る恐る駆けつけてくる。しかしそこには、小学校1年生位の子供が泣きながら、落とし物やプリントを探しているのだから、そういうことが何度も何度も続けば顔見知りになってしまう。しかし彼は、深入りはしてこなかった。とても優しい人だったけれど、ある程度の距離を保って見守ってくれていた。それが良かった。秘密基地のそのままにしてくれていた。今では考えられないことかもしれない。

 私は小学校3年生になった時、
 その用務員さんがいなくなった。
 そして学校から薪が消えた。
 すべて石油ストーブになってしまったのである。
 日本はその頃から豊かになっていた気がする。
 ちょうど大阪万博が始まっていた。

つづく。

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2015年04月08日

今年のシャクナゲについて

 今朝、起きてみたら一面が真っ白なので驚いた。4月の雪である。お客さんの予約が入ってなくて良かったと心から思った。心配なのはシャクナゲ園である。つぼみが成長した時に雪は積もると、つぼみが枯れてしまうのだ。まだ4月だから大丈夫だとは思うのだが、心配は心配である。 1番最悪なのは、ゴールデンウィーク直前に雪が降ることである。そうなったら目も当てられない。シャクナゲ園のシャクナゲは全滅する可能性があるからだ。

 もちろん全滅しないシャクナゲもある。それは天然のシャクナゲである。天然のシャクナゲは、山の林の中に存在する。したがって息が降っても、カラマツやゴヨウマツの枝などに雪がブロックされるので、つぼみが枯れる事は無いのだ。しかし、人工的に作ったシャクナゲ園は、カラマツやゴヨウマツの木を伐採してしまっているので、雪が降ったらつぼみが全滅してしまうしかない。自然災害に弱いのである。

 しかし、安心してもらいたい。もしそのような事態があっても、少しばかりシャクナゲを歩いて標高を稼げは、そこには天然のシャクナゲがある。そこに行けば、美しいシャクナゲを見ることができるのだ。よく、シャクナゲのピークはいつ頃ですか?と言う問い合わせがあるが、実際はそんなものはない。クローンであるソメイヨシノではあるまいし、個体や種類によってシャクナゲの開花時期が違うのであるから、ピークなどというものは存在しないのだ。

 それにシャクナゲ園自体が、 200メートル以上の標高差があるために、標高によってピークはまったく違ってくる。もちろん、周りの木の影によって変わってくる日照時間の有無によっても開花が違ってくる。北斜面か南斜面か、東斜面か西斜面かによっても違ってくる。だから地元のガイドさんか、宿屋のオーナーに聞けば、その辺は詳しく教えてくれるだろう。

 また、シャクナゲが群生しているところは、シャクナゲ園だけでは無い。鬼押し出し溶岩の終点あたりには、天然の白山シャクナゲの群生がある。面積的に言えばシャクナゲ園以上の広大なところに分布しているが、地味な白山シャクナゲであるために、嬬恋村では誰もプッシュしていない。当然のことながら、どの観光ガイドにも掲載してないし、観光協会や、嬬恋村観光商工課も観光地としては紹介していない。

 桟敷山の山麓にも巨大なシャクナゲ群生地がある。ここには地味な白山シャクナゲではなくて、きれいな東シャクナゲが大量にある。しかしここも、どの観光ガイドにも紹介されてない。もちろん嬬恋村も観光協会も紹介していない。地元民でさえ知らない人は多いだろう。ここはいわく付きの場所で、もう少しで太陽光発電のために壊滅するかもしれない地域だった。あと1歩のところで、貴重な自然が破壊されるところだった。なんとか開発を阻止できたので、私はほっとしている。

 それはともかく、このシャクナゲ群生地が、なぜ全く紹介されないのか不思議に思ったことがあった。しかし何度か私が調査のために通ってみたら、その理由が分かった気がした。クマの巣がたくさん見られたからだ。おそらく湯ノ丸山に出没するクマたちは、普段はこの辺あたりを餌場にしているのだろう。この辺を散策したい人たちは、ガイド付きで散策することをお勧めする。

 他にもシャクナゲの群生地はたくさんある。ここに書いても良いが、多くは私有地であるので、私有地でないところを1つだけ紹介しておく。高峰山と黒斑山の裏コースである。あそこは東シャクナゲの群生地があるが、嬬恋村で最も遅くまで見ることのできるシャクナゲの群生地である。年度によっても違うが、 7月上旬に見られる群生地は、あの辺あたりだけかもしれない。

 これは手前味噌になるが、シャクナゲの群生地の情報を知りたい人は、うちの宿に泊まるといいかもしれない。毎日のように山に登る宿屋は、嬬恋村では私ぐらいのものだ。昔は、ペンションモチモチの木の奥さんや嬬恋高原クラブのご夫妻が、よく登っていて、山で出会うこともあったのだが、両方とも宿を閉めてしまった。最近は、山の中で出会う地元の宿のオーナーさんが、めっきり減ってしまっている。ちょっと残念だが、それでもたまに山の中でペンションオーナーさんと出会うこともあるから、ひょっとしたら、私の他にも山に詳しい人はいるのかもしれない。


つづく。

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2015年04月06日

災い転じて福となす

 事実は小説より奇なりと言うけれど、まさにその通りである。この仕事をしていると、お客さんや、観光関係の仲間たちの壮絶な人生に胸を痛めることが多い。残念ながら私には、密かに応援することぐらいしかできないが、ポジティブで前向きな人であれば、どんな困難があっても、必ず乗り越えられるのではないかと思っている。

 それはともかく今日は、用事があったので、軽井沢から妙義山方面に向かって車を走らした。妙義山の麓は桜が満開だった。思わずキュンとなってしまった。人はなぜ満開の桜を見ると心がキュンとなってしまうのだろう? 桜の木の塊を見ると、たいてい小学校か中学校がある。学校があるところには、桜の木が多いのだ。江戸時代から明治時代初期にかけての昔は、出版物は桜の版木で行っている。そのために学校のそばには多くの桜の木を植林したという。印刷によく使われるる桜の木を売って学校の機材を調達したと言う話を、地元の郷土史家に聞いたことがある。資金調達のために植えられた桜なのかもしれないが、その桜のために、入学式で多くの桜の花を見かけるようになってしまった。昔は今よりも寒かったために、桜が咲くのは今よりずっと遅かった。入学式シーズンに桜が咲いていたとのことである。そう言われてみれば、私が子供の頃、桜の咲くのはもっと遅かったような気がする。

 ちなみにうちの嫁さんは、群馬県は館林の生まれなのだが、その館林の教育史を調べたことがある。すると面白いことがわかった。明治時代の群馬県は、全国的に見ても裕福な農家が多かったらしい。そのために多くの東北の子供たちが、口べらしのために出稼ぎにやってきた。年齢は10歳から12歳位の子供たちだったらしい。多くは子守として雇われていた。子守をする代わりに、食事を与えられるのである。給料は、食事だけだったらしい。まるで朝ドラの「おしん」みたいな話だが、実はそれほど酷い状況でもなかったらしい。子守は、農業よりも仕事的には楽だったのだ。東北に残された子供たちの方が、不運だったらしい。というのは、 20歳を越える前に腰が曲がって、冬には温泉治療をしなければ、腰が治らないくらいだったらしい。

 ところで、群馬県に出稼ぎにやってきた東北の子供たちを、群馬県の人たちは「奥州っ子」と言ったらしい。 10歳位の彼らは、学校の外で子守をしていたらしい。学校の中に入らずに学校の外で子守をしていたのだ。すると、小学校の先生たちは、わざわざ窓側のほうの黒板を使って授業していたらしい。つまり外で子守をしている「奥州っ子」たちに、見えるように授業したとのことである。すると「奥州っ子」たちは、棒を使って地面に一生懸命文字を書いて練習したりしたらしい。時期的に言うと明治時代末期の頃の状況である。というのも、そのような記録が偶然にも残っていたのだ。それらの記録を読むと、朝ドラの「おしん」に対する印象がまったく違ってくるから面白い。朝ドラの「おしん」というのは、まさに群馬県における「奥州っ子」たちにそっくりであるが、その「奥州っ子」たちにも、なんだかんだと周りの大人達は暖かい心遣いをしているのが面白い。

 ちなみに群馬県の農家が、東北の農家よりも裕福だった理由の1つに養蚕が盛んだったことも挙げられるだろう。明治時代は日本の絹糸が世界を席巻した時代であった。その原因ははっきりしている。絹糸の大生産地であった中国が太平天国の乱などの長い戦乱のために、壊滅的な状態になっていたのである。そのために日本の絹糸は世界中に売れまくったのだ。ある意味日本は運がよかったとも言えるかもしれない。

 もう一つ運が良いといえば、天明3年の浅間山の大噴火も、結果として群馬県に幸運をもたらしたらしい。あの大噴火によって、群馬県の農家は大災害を受け、桑畑くらいでしか生き延びることが難しくなったということを地元の郷土史家に聞いている。それが結果として明治維新後、群馬県の農家を豊かにしたとの事だった。まさに災い転じて福となすを言葉通りに実行したことになる。世の中、何が幸いするかわからないものだ。


つづく。

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posted by マネージャー at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月05日

一病息災

 先日、昔ヘルパーをやっていた知り合いに結婚したという報告を受けた。こう言ってはなんだが嬉しかった。こういう話は、何回聞いてもワクワクする。よかったなあと思う。と同時に、心の底でほっとした。その人は、実はお医者さんになったばかりなのだが、新人の医者というのは、ものすごく忙しく、勉強することも多いと聞いている。だから、うかうかしていると、すぐに歳をとってしまうから、気がついたら孤独でいるということも多いと聞いていたから心から良かったと思った。もちろん勉強も頑張ってほしいし、腕を磨いてもらいたいと思うけれど、自分の人生も大切にしてもらいたいとも思っている。

 と書くと、何やら奇麗事のようなことを言っているように思えるかもしれないけれど、わたしは宿屋である。他人様より少しばかり、人々の人生を見ることの多い職場なのだ。他の人たちよりも、人様の幸せというものに、敏感になってしまうところがあるのである。

 ここから話を変える。健康についてである。宿屋をやっていると、闘病している人たちとも、お話をする機会が多い。その度に、なんとかならないのかなぁ?と神様に祈ることも多いのである。今年は、事務所の前に小さな小さな神棚を作った。そして、そこに碓氷峠の熊野神社のお札を置いてある。別に信心深い訳ではないが、どちらかというと宗教には無関心であり、無宗教に近い人間ではあるのだが、胸が痛くなるようなお話を聞くと、自然と何かに祈らざる得ないことがあるのだ。だから今年は神棚を作ったのである。

 まぁ、そんな事はどうでもいい。闘病してる人たちと出会うたびに、自分には何もできないことにイラついてくる。そのための神棚なのだが、それはともかくとして、世の中のお医者さんたちに、頑張って勉強してくれよと、自分なりにエールを送っている。実は、神様に祈っているのではなくて、研究室や現場で頑張っているお医者さんに祈っているのかもしれない。どうひっくり返しても、自分にはこれしかできないのだ。

 医学の進歩は、お医者さんや科学者たちに任せるとして、私達に出来る事がある。少しでも病気にかからないように、健康を保つことなのだ。それは長生きすれば、癌になる確率が高くなるだろうけれど、いまは医学の進歩が早いので、少しでも歳月が経てば、治らないものも治るようになるかもしれない。

 うちの近所に、寿命があと数年であることを宣告された友人がいるが、その友人は数年どころか20年生きている。そしてぴんぴんしている。とても死にそうな感じでは無い。しかし、 2日にいっぺんは透析をしないと生きていけない体ではある。にもかかわらずすごい健康体に見える。いまは300名山を目指して頑張っているところだ。彼が病気を宣告された時は、数年後に死んでくらいの医学水準だったのに、彼が健康を維持している間にいつの間にか医学が進歩したのだろうと思う。これも彼が、健康に対して真剣に向き合ったからなのかもしれない。

 それにしても、健康というのは空気と水に似ている。空気も水もそれがなければ人間は生きていけないのだが、誰もが空気や水をありがたいと思わない。当たり前すぎて、ありがたみがわからないのだ。健康もそれに似ている。だから健康そのものの人の方が、大きな病気にかかりやすいと聞く。無病息災よりも、一病息災とはよく言ったものだ。 1つくらい病気を持ってた方が、健康に気遣うので長生きするということだが、それはよくわかる。フーテンの寅さんの渥美清も、若い頃に肺結核をやったために、健康に気遣うようになり、長生きをした事は有名であった。もし若い頃に灯を消しなければ、さすがの彼も無理な暴飲暴食で寿命縮めていたかもしれない。


つづく。

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2015年03月24日

佐渡島 金井温泉金北の里について

 まず最初にお礼を申しあげたい。嬬恋村において、これ以上太陽光発電が増える事はなさそうな状況だ。首の皮1枚で、嬬恋村の自然は守られようとしています。 これもひとえに皆様のご助言と、ご支援のおかげです。本当にありがとうございました。

 少しばかりの固定資産税を目当てに、これ以上の嬬恋村の自然が破壊されることがあってはならない。それは役場の人たちも、議員さんたちも、村長も充分分かっていることだろうと思います。ただ、今はどの自治体でも赤字予算でアップアップしている状況ですから、そういうおいしい話があれば、飛びつきたいのはわかります。しかし、ここはひとつ冷静になって考えていただきたい。いちど壊された自然や景観は、二度と元に戻らないのである。貴重な自然遺産を、大切に大切に守っていただきたい。

 前置きはこのくらいにして、今日は温泉について語りたい。
 新潟県は佐渡島に金井温泉金北の里というものがある。
 知る人ぞ知る名泉である。

http://care-net.biz/15/sado-shakyo/onsen03.php

 場所は佐渡島のど真ん中にある。島を観光するには非常に便利な場所である。宿泊することもできる。値段は2,000円からと格安で、設備はすこぶる良い。交通の便も良く民宿やホテルや旅館の半分ぐらいの値段で泊まれると言う驚異的な宿泊施設である。だから、そこを知っている人は、何度もリピートする。

 リピートする理由は、リーズナブルなことも理由の1つなのだが、それだけでは無い。温泉の泉質が良いのだ。佐渡島唯一の強塩泉。塩分が強くて殺菌作用もあり、湯冷めもしにくく、温泉の比重が高いために疲労回復にも良いときている。いちどでも温泉につかったことがある人ならわかると思うが、疲れの取れ具合がまるで違う。

 私はその昔、何度か大佐渡山脈を縦走したことがあるが、下山したら真っ先に、この温泉につかりにいったものである。今はどうか知らないが、昔は大佐渡山脈に、登山道などはなかった。せいぜい相川からドンテン山くらいまでしか道がなかったので、ドンテン山から北の果て鷲崎灯台までは、薮漕ぎをしながら縦走した。非常に体力を消耗し、体中ヘトヘトになったものだが、その疲れを癒してくれる温泉は、いつも金井温泉金北の里だった。

 温泉に入ると、大きなガラス窓から大佐渡山脈が見える。夕日を浴びた大佐渡山脈は、それはもう美しい。絶景の一言である。佐渡で1番美しい大佐渡山脈が見られるのは、この金井温泉金北の里だけかもしれない。春の大佐渡山脈も美しいが、紅葉の時期の大佐渡山脈は、さらに美しい。夕焼けに染まるその山姿を温泉につかりながら眺める。こんな贅沢が、他にあるのだろうか? 全国、どこを探しても、これほど素晴らしいロケーションを眺められる温泉は、そんなに多くは無い。このことを佐渡島民は知っているのだろうか?

 実は、佐渡島は、日本中の登山家にとって、非常に注目されているところである。天然杉のことももちろんだが、高山植物の豊富さや、すばらしい景観は、登山愛好家たちに急速に口コミで広がりつつある。私は、彼らが佐渡島の山が、知床や屋久島にも匹敵するほどの素晴らしいところでは無いだろうか?と囁いているのを何度も耳にした。そして、それを耳にするたびに、大佐渡山脈を下山したら、金井温泉金北の里に行きなさいとアドバイスしていた。

 私のアドバイスを聞いた登山家たちは、金井温泉金北の里の温泉につかって疲れを癒し、素晴らしい大佐渡山脈にうっとりしたという。そういう報告を何度もいただいた。やはりあの温泉を紹介して良かったと心から思った。しかし、その温泉が、閉鎖の危機にあるということを聞いた。

 冗談では無い。
 あの温泉だけは、閉鎖してはいけない。
 あの美しい大佐渡山脈を見ながら入れる温泉他には無いのだから。
 全国の登山家の皆さんのためにも、ぜひ存続をお願いしたい。

 もし宿泊客が少なくて困っているのなら日本ユースホステル協会と契約してユースホステルの仲間になっていもらいたい。そうなれば正々堂々と私どもの宿から御客様に推薦できるので検討してみてはいかがだろうか?

金井温泉保養センター 金北の里
新潟県佐渡市中興乙2822-1
営業10:00〜22:00
祝日営業、翌日休み
料金大人:大人:500円 子供:子供:250円
0259-63-6511

宿泊料金
宿泊人数 (1人あたり)
1名様   3,000円
2名様   2,500円
3名様   2,200円
4名様   2,000円
(入浴料は別途、小人半額)

※チェックイン /午後4時
※チェックアウト/午前10時
※小人(小学生)は半額
※自炊室使用可能


つづく。

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2015年03月04日

なぜか川島和子のスキャットを聴きたくなった

 歳をとると数字が分からなくなる。具体的に言うと、今日が何日なのかがわからない。自分が何歳なのかもわからない。もちろん時計やケータイを見れば今日が何日か分かるし、計算すれば自分が何歳ともわかる。しかし、そんなめんどくさい事に興味がなくなってしまうのだ。現に今年が、平成何年なのか、ついさっきまで知りもしなかった。いや厳密に言うと、ぼんやりとは知っていたのだろうけれど、あまり気にならなかったのだろう。しかし、もうすぐ税務署に申告するにあたって、今年が平成何年なのかが、目の前にどーんと見えてきた。なんと今年は平成27年なのだ。元号が昭和から平成になって27年も経ってしまったのだ。

 驚いてしまった。
 27年である。

 27年といえば、戦争が終わってから27年経った昭和47年に、うちの嫁さんが生まれている。つまりうちの嫁さんが生まれた27年前、日本は焼け野原だった。広島と長崎には原爆も落ちているのである。その27年後にうちの嫁さんが生まれている。そのぐらいの期間が、昭和から平成になって過ぎているのだ。

 そう思うと無性に川島和子のスキャットを聴きたくなってしまった。川島和子といっても、かなりのアニメオタクでもない限りその名を知る人は居ないだろう。しかし、この人の声は人間国宝にしても良いと思っている。由紀さおりと川島和子のスキャットは、日本が世界に誇れる芸術作品だと思ってる。騙されたと思って、ちょっと聞いて欲しい。今は誰でも簡単にYouTubeで聞けるので聴いてみてほしい。



 YouTubeをご覧になった方ならば、ご存知かと思うが、宇宙戦艦ヤマトのop曲である。この作品は昭和49年にできた作品で、私はリアルタイムで見ていた。そして衝撃を受けた。 YouTubeの画像を見てもわかる通り、まず地球が焦土となっていた。海の水は蒸発して、放射能に汚染されて、あと1年で人類が滅亡するというそういう設定のアニメだった。こういうアニメは当時なかったのだ。だから衝撃を受けた。この衝撃は、現代人にはちょっと分かりづらいかもしれない。なにしろ戦争が終わってから29年しか経ってなかったのだ。たった29年前に、日本中が焼け野原になった。そういう時代背景があったのだ。29年が長いと感じられる人がいるかもしれないが、今年が平成27年であることを考えてみてほしい。 29年は決して長くないのだ。

 ちなみに私は戦争が終わって16年後に生まれている。

私が小学校の時に、よく行くおもちゃ屋さんがあった。そこで皆と駄菓子を食べて遊んだものだったのだが、そのおもちゃ屋さんのご主人が、空母瑞鶴の乗員だったのだ。だからそこで軍艦のプラモデルを買うと、そこの親父さんが昔の海軍の話をよくしてくれた。それがまた面白くて、それが聞きたくて、安いプラモデルをよく買ったものである。

 中学校の時の社会の○田先生は、特攻隊の生き残りだった。この先生からは、戦争の事は何一つ聞き出せなかったが、いつもバカっぽい話ばかりするこの先生が大好きだった。そういう人たちが周りにゴロゴロといる環境の中で、宇宙戦艦ヤマトは放映されたのである。

 オープニングの川島和子のスキャットと廃墟になってしまった地球を見た瞬間、これは太平洋戦争のパロディーだとすぐわかった。あれは終戦間際の日本の姿だった。そう思わざるを得なかった。そしてアニメのほうも本編が進むにつれて、太平洋戦争の逆パロディが次々と再現されていった。戦史を知っていたら誰でも簡単にわかるようにできていた。ただ残念なことに、あまりの低視聴率のために、半分で打ち切られてしまった。宇宙戦艦ヤマトの人気が出るのは、それから数年後の再放送の時からである。昭和49年の時点では、裏番組のアルプスの少女ハイジに完全に負けていた。宇宙戦艦ヤマトを見ていたのはほんの少数だったと思う。を

 しかしである。じわりじわりと後で人気が出てきたのだ。特にレコードが売れた。もちろん川島和子のスキャットも話題となった。この曲を作った宮川さんは、白鳥の湖のop曲のようなイメージでのスキャットを入れたらしい。そう言われてみれば、なんとなく似ているが、白鳥の湖よりも、もっともっと悲劇的な感じがするのは、そこに、いちど焼け野原になった日本を見ているものの凄みを感じるのだ。



 宮川さんは、このヤマトで名をなしたといってもいいかもしれない。それ以前の曲と全く違うからだ。それ以前は流行歌やクレージーキャッツのあっと驚くタメ五郎あたりを作曲していたのである。あまりの違いに驚き呆れるしかないのだが、私は宮川さんのライフワークはヤマトだと思っている。

ちなみにヤマトの主題歌を歌ってる佐々木さんのお母さんを私は個人的に知っている。何度も一緒に食事をしている。彼女は日本で数少ない女性起業家として有名な方であるのだが、なぜかテレビには出てこないので、いちど本人に聞いてみたことがあるのだが、息子と私は別ですと言っていた。息子関連で、マスコミには出たくない人だったらしい。今生きていれば、かなりのおとしのはずだが、どうしているものやら。私は最後にお会いしたのは、今から20年前だったが、その頃せっせとシナリオ書いていたけれど、今も書いておられるのだろうか?

話が飛んだので、もう一度話を戻す。

中学生の頃、私は、小遣いを叩いて宮川さんの宇宙戦艦ヤマト交響曲のテープを買った。そして川島和子のスキャットを何度も繰り返して聴いたものだ。しかし残念ながら、まだアニメブームはやってきてなかった。それが訪れるのはその数年後のことである。ちょうど私が高校生になった頃だった。

やっと宇宙戦艦ヤマトブームが起きた時、さぁこれから宇宙戦艦ヤマトの話ができるなぁと思っていたら、新しいファンたちと会話が合わなくて困ってしまった。新しいファンたちは、戦史を全く知らないのだ。いわゆる純粋なアニメファンだったと思う。声優人気もその頃から始まったと思う。だから全く土台が違っていた。なので、私は宇宙戦艦ヤマトは、第1期しか見てない。続編以降は、全く見てなかったりする。続編以降は、あれはまったく別の物語なのだ。あれを宇宙戦艦ヤマトだとは私は思っていない。



つづく。

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2015年03月01日

おでんとカツ丼

 新潟から東京に上京した頃、何に一番衝撃を受けたかと言うと、屋台で食べたおでんのちくわぶである。新潟にはちくわぶなるものはない。そもそも、全国どこにもちくわぶなるものはない。いやなかったと言うべきか。最近は、スーパーなどで真空パックが得られるようになっているので、軽井沢でもちくわぶは見られるようになった。しかし、今から三十年前は、東京にしかなかったように思う。ちくわぶだけでは無い。大きなタコの足が串刺しになって屋台で売っていたのも驚いた。何から何まで違っていたのに驚いた。

 しかし何年か東京に住んでいると、東京のおでんが当たり前になってくる。その上で大阪に行ったら、大阪のおでんが全く違う味なので衝撃を受けた。串に刺して煮込んである牛すじを見た衝撃を私は忘れられない。というか、大阪のおでんと東京のおでんは全く違う存在である。同じジャンルとはとても思えない。そうそう、静岡おでんにも触れておかなければいけない。あれも全く違うジャンルである。 三つとも同じおでんと言うカテゴリーに入れていいか迷うところだ。

 ところで、昔、根岸の公園の辺りに、とても美味しいおでんの屋台があった。ものすごく味が染み込んでいるのである。あまりに美味しいので、親父さんにどうやって作るのか聞いてみた。当時二十歳ぐらいの若造だった私に、親父さんは、親切に教えてくれた。どうせ田舎者に真似ができるとは思っていなかったようだ。実際、羽根のできるレシピではなかった。なにしろ二十四時間近くかけて煮込むのであるから真似のしようがない。しかも沸騰させてはいけないというのだからなおさらである。

 まあそんな事はどうでもいいとして、その屋台にはちくわぶがなかった。東京のおでん屋のくせに、ちくわぶがなかったのだ。不思議に思って聞いてみると、その屋台のおやじさんは北関東の人だった。北関東ではちくわぶを食べないらしい。今日嫁さんにそれを確認してみたら、やはり群馬県ではちくわぶは食べなかったらしい。どうやらあれは、関東でも食べる地域は限定されているようだ。

 そういえば、東京に上京してもう一つ驚いたことがある。カツ丼である。東京のカツ丼は、カツ丼のくせに卵でとじてあるのだ。新潟ではそうでは無い。いや、厳密に言うと最近も新潟では、とんかつを卵でとじてあるのが増えてきているが、昔はそうではなかった。ご飯にとんかつが残っていたのである。といっても、ソースカツ丼では無い。キャベツの千切りも乗ってない。とんかつには、天つゆが染み込んでいる。

 あと椎名誠が、佐渡島にやってきたとき、カツ丼を注文すると、卵でとじてなかったのに怒り狂ったのは有名である。だから私は、椎名誠をあまり尊敬する気にはなれないのだが、実はうちの嫁さんは椎名誠のファンである。いつだったか椎名誠の講演会が近所で会った時、そそくさと出かけていって、ファンレターか何かを渡したらしい。椎名誠のほうも、大したもので、嫁さんのほうにお返事が返ってきた。もちろん印刷されたものであるが、はがきの隅っこに、椎名誠のサインらしきものが肉質で書いてあったらしい。さすがは、大ベストセラー作家だけの事はある。女性ファンが多いだけのことはある。

 そんな事はどうでもいいのだが、要するに、その昔は、カツ丼といえば必ずとんかつを卵でとじると言うものしか認められなかったのだ。このカツ丼は卵でとじてないと椎名誠が怒り狂うと、全国の女性ファンたちが一斉にそうだそうだとうなずいた時代があったのだ。全国の女性ファンが椎名誠に右へならえをした時代があったのだ。その都度佐渡島のカツ丼は肩身の狭い思いをしたものだ。しかしそんなことはお構いなく、私は佐渡汽船に乗るたびに船の中の食堂で、卵でとじてない、あのカツ丼を注文した。そして椎名誠のファンの視線から隠れるようにカツ丼をかっ食らったものだ。

 ところが、最近はちょっと様子が違ってきている。秘密のケンミンshowというテレビ番組が視聴率をとっていることからわかるように、卵でとじてないカツ丼といった、非常にローカルな食事がテレビで紹介されて、視聴者に大うけされる時代になってしまった。椎名誠とその親衛隊軍団が、一斉に佐渡島の活動を攻撃していた時代とはえらい違いである。今は文明よりも文化の時代なのだ。グローバルよりもローカルを楽しむ時代なのだ。

 昔は、たった一人のアイドルに何百万というファンが集中したものだが、今はそうでは無い。グローバルなアイドルの時代では無い。地方のローカルのアイドルに人々の目線は移り変わっている。ありきたりのカツ丼よりも、ちょっと変わったカツ丼の方が人々の注目になる時代になってきている。やっと多様性を認め合う時代になってきているのかもしれない。 


つづく。

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2015年02月10日

2014年を振り返って

 冬は、お金にならないことで最も忙しい時期である。確定申告があるからだ。この1カ月間、帳簿やデーターベースの整理で本当に忙しい。おまけに雪かきである。今年はが多いために何度も雪かきをする羽目になってしまった。

 それはともかく今年はお客様が多かった。そのために売り上げも例年よりは多かったのだが、去年の大雪の災害で物置小屋が2つつぶれてしまったこともあって修繕費も多かった。また、お客さんが多かったのに気をよくして、分不相応な設備投資をしてしまった。そのために赤字になってしまいそうな気配がある。

 まぁそんな事はどうでもいいのだが、今年1年のデータを調べてみたら、売り上げの大半が新規のお客様であったことに驚いている。

 うちの宿は、北軽井沢という場所柄もあって、連泊するお客さんも多く、その上に年に何度も来られるリピーターさんも多い。なので、ユースホステルの会員率が異常に高い宿である。非会員の御客様がほとんどないと言う非常に珍しいユースホステルであった。ところがである。今年は新規のお客様が大量にお泊まりになるようになったので、ユースホステルの会員の比率が激減した。今まで9割近くが会員であったのに、それが6割ぐらいまでに減ってしまった。

 もちろんそれでも、他のユースホステルに比べれば圧倒的に会員のお客様が多いのであるが、そのお客様は何連泊もするリピーターさんであったりするので、延べ人数は多くても、実数は少ないのである。延べ人数で6割であっても、実数では3割から4割ぐらいでは無いだろうか?

 とはいうものの、新規のお客様が増えるということは、宿主としては大変うれしいことである。自分としては、何か特別なことをした訳では無いのだが、どういうわけか新しいお客様が増えてしまった。その上、この新規のお客様もすでにリピーターになりつつある。何度も何度も泊まりに来てくれているのだ。いったいどういうことなのだろう? と不思議に思っていたら、ある新規のお客様が、あることで非常に喜んで帰っていってくれたので原因が分かってしまった。

 そのお客さんは、小さなお子さんを連れていたのだが、そのお子さんが、リピーターのお客さんのお子さんと仲良くなって、宿の庭先で雪遊びをしたり、一緒にゲームをしたりしていたのだ。またお母さんやお子さんが、お茶会にも出てきて、リピーターさんの差し入れを食べて楽しんでくれていたららしい。何の事は無い。新規のお客さんが増えた原因は、リピーターさんたちの心遣いだったりしたわけだ。

 そういえば思い当たることがあった。じゃらん・楽天などの口コミサイトで五つ星などの高い評価をくれるお客様のほとんどは、お茶会に出てきて、リピーターさんたちと楽しい会話をしているお客様ばかりなのである。また、星空温泉ツアーに参加して、私の星空案内を楽しんでくれた人たちに高い評価をしてもらっている。

 逆に、部屋に閉じこもって出てこないお客様からは高い評価は得られてないのだ。また、食事を摂ってないお客様にも、あまり高い評価を得られてない。というか、リピートしてくれない。お茶会や、ツアーに参加しなくとも、食事をとってくれたお客様は、またリピートしてくれる。しかし素泊まりのお客様は、あまりリピートしてくれないのだ。

 この結果を考えてみると、うちの宿の最大の弱点は、お茶会や星空案内や温泉ツアーなどに参加してないお客様に、そして食事をとってくれないお客様に、いかに満足してもらえるかという点である。ここをなんとか改善していかなければならないと思った。

 食事にも、お茶会にも、ツアーにも興味がなく、
 ただ泊まるだけを目的としたお客様に
 満足していただけるためには、何が必要なのだろうか?

 実はそういうお客様も多いのである。ただ睡眠するために来るだけのお客様も確かにいるからだ。部屋に閉じこもって勉強しているお客様もいる。読書するために泊まりに来るお客様もいる。これはすごいなぁと思ったのは、森の中でヨガをしに来たお客様もいた。そういうお客様は、特別な食事しか食べないし、水さえ自分で持ってくる。そして、なるべく他の人を避けるように部屋に閉じこもっている。

 北軽井沢という土地柄は、そういうお客様を寄せつける何かがあるのである。うちはそういうお客様に喜んでもらえる何かが足りないのかもしれない。今年は、そういうお客様に対してもっと真面目に取り組んでみようかなと思っている。

つづく。

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posted by マネージャー at 21:45| Comment(5) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月03日

薬代

 ウインターフェスティバルも、無事、盛況のまま終わったようだ。・・・ようだと書いたのは、体調を壊して片付けのボランティアに出られなかったので、イベントの実態を皆さんら聞くことが出来なかったからだ。

 体調を崩したといっても、たいしたことではない。酷いめまいで起きれなかっただけである。念のために病院にいってみたら脳神経科−内科−耳鼻科と回されてしまい、検査ずくめにされてしまい、結局、なんでもないということになってしまった。もちろん1週間分の薬ももらったが、先生曰く
「たいして効く薬では無い」
とのこと。

「では、安静にしているべきでしょうか?」
「逆です。むしろ動いた方が良い。動くことによって血流が良くなり、身体がバランスをとるようになり、めまいも治癒することがおおい」
「へえー、そんなものですか?」

 結局、大事をとって一日寝ていたのがよくなかったらしい。で、今日は雪かきで汗を流したわけだが、するとケロリとめまいが直ってしまった。

 それはともかくとして、ここから本題にはいる。治療費のことである。いろいろ検査をしたために、保険証があっても治療費が高額だった。その逆に薬代がべらぼうに安かった。3種類の薬、一週間分が600円なのだ。そのうちの1種類は、薬屋でよくみかけるトラベルミンである。これが14錠で200円くらいなのだ。ふつうの薬局で買ったら、この値段では買えない。

 薬代が、これほど安くなったのは、院外薬局の普及のせいだろうか?

 群馬県では、一般的に院外薬局で処方してもらうのが普通で、そのために誰もが「お薬手帳」というものを持っている。これを薬局に提出すると、過去に現在に、どんな薬を使っているかが分かって、場合によっては医師の処方と別の薬をでしてくれる。医師より薬剤師の方が強いのだ。おまけに、お薬手帳には、ジェネリックの希望の有無のシールが貼られており、患者が希望すれば、医師の処方とはちがう安い薬に換えてもらえるのだ。

 もちろん健康保険によって患者の負担が減らされているというのもある。だから薬屋で薬を買うよりも、病院で処方してもらった方が、圧倒的に安いのだ。また、最近の病院では、総合診療科という科があるために、一人の医師に複数の薬を処方してもらえるために、安い医療費で、格安に他種類の薬を手に入れることもできる。湿布薬などは、自分で薬屋にいくよりも、病院で処方してもらったほうが、初診料を考えても、その方が安いのだ。
 
 しかしである。そのために自治体の負担は大きくなりすぎてはないだろうか? と思って、某公務員に聞いてみたら
「そうです」
と返ってきた。そして、こうも言ってきた。

「だからジェネリック希望にしてもらえるとありがたいです」

つづく。

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2014年12月23日

言霊

 今日は、天皇誕生日である。息子とささやかなお祝いをした。なぜならば、息子の名前は大昔の皇室、ヤマトタケルから取っているからである。ヤマトタケルは、浦賀水道で妻をなくしました。そのために、関東から去る時に、吾妻やと、 3回叫んで別れを惜しんだと言います。その謂れから、この地方を吾妻郡と言われています。そして妻に恋する村と書いて、嬬恋村という村が生まれました。うちの息子は、その伝説から名前をいただいております。決して、どこかの俳優の名前からもらったわけではありません。

 そんな事はどうでもいいとして、そもそもタケルという名前は、日本最古の名前です。最古でありながら、古くもなく新しくもなくいく世代にわたって滅びなかった名前でもあります。音読みではなく訓読みの名前です。もちろん訓読みですから、ヤマト言葉です。実は、戦後にやまと言葉だけで、作詞された歌謡曲が大量生産されました。 1つはフォークソングです。もう一つは演歌です。両者はまったく似て非なるものですが、歌詞のほとんどが大和言葉という共通点があります。だから、非常に日本人の心にしみいる曲が大量生産されました。

 では戦前はどうだったのかというと、意外に大和言葉は使われてないのですね。唱歌にしても軍歌にしても校歌にしても音読みの漢語を使っているのですね。戦後に横文字を使って歌謡曲を大量失生産したケースと非常によく似ている。で、そういう曲を今振り返ってみると、今ひとつ親しみがもてない。その時代ならいいのだろうけれど、時代が過ぎ去ってしまうと、ちょっと堅苦しかったり、感情移入がしにくくなったりしています。

 そんな中で、今でも日本人の心にしみる曲というものがあります。童謡です。不思議なことに童謡は、大和言葉だけで書かれており、しかも大正時代に作られたものが今でもほとんど歌われています。有名な童謡の大半が、大正時代から昭和初期にかけて作られたものばかりであることに驚かされます。

 そこで思い出すのが、小学校の時の音楽の授業です。小学校6年生の時に滝廉太郎について学びました。そして代表作の箱根八里、花、荒城の月の3曲をレコードで聞かされ、どれが1番好きなのかアンケートを取らされたのです。その時、私は箱根8里を選びました。しかし、それは少数派で、当時の小学校6年生の大半は、花を選んでいます。

 実は、箱根8里も、荒城の月も、唱歌なんですね。にもかかわらず、これを選ぶ子供たちはいなかったわけです。それに対して、花は、組歌『四季』の1部なんです。普通なら子供たちは、唱歌を選びそうなものですが、そうではなくて組歌『四季』 の花を選んだわけです。で、花の歌詞を改めて調べてみたら、やはりやまと言葉ばかりでした。逆に箱根八里も、荒城の月も漢語ばかりなんです。しかし、花の方は、大和言葉ばかり。ちょっと歌詞を紹介してみましょう。

 春のうららの 隅田川
 のぼりくだりの 船人が
 櫂のしづくも 花と散る
 ながめを何に たとふべき

 散りゆく桜の花びらと、逆光に光れ水しぶきの雫を重ねていますね。起承転結のお手本のような歌詞です。頼山陽も真っ青の起承転結です。ちなみに頼山陽は、起承転結の極意を、このような文章にして、説明したそうです。

大阪本町 糸屋の娘
姉は十六 妹が十四
諸国大名は 弓矢で殺す
糸屋の娘は 目で殺す

 このような起承転結を使った技法は、もともとは漢詩の技法です。漢詩の技法でありながら、文章そのものがやまと言葉で書かれてある限り、日本人の心を深く捉えて離しませんから不思議です。逆に漢詩の技法を使ってなくて、序急破の技法を使ったとしても、ヤマト言葉が少なかったりすると、何やら難しく聞こえてきますから不思議です。難しくかっこよく聞こえるかもしれないけれど、言霊は感じないわけです。

 そう考えてみると、いくら外国産のレトリックを使っても言霊には影響しないということになります。単語さえ、ヤマト言葉で語られていれば、どのようなレトリックやどのような文法でも問題は無い。ということになりますね。そう考えると、なぜ日本人が、あれほど簡単に中国文明を取り入れることができたのか?  なぜあれほど簡単に西洋文明を取り入れることができるようになったのか?  それに対する答えも見えてくるのかもしれませんね。

つづく。

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2014年12月19日

snsについて

 先日、近くの貸し別荘のオーナーが遊びに来た。初対面であったが、私のブログをよく読んでくれているらしく、いろいろ話が弾んだ。そのオーナーの本業は画家。そういう人は北軽井沢にたくさん住んでいる。現に、うちの宿から10メートルもいかないところに、陶芸家が店を出している。ペンションオーナーにも、絵描きの人がたくさんいて、その作品のひとつが群馬銀行嬬恋支店なんかに飾られていたりする。やたら飛行機が大好きなペンションオーナーもいた。歴史オタクのペンションオーナーもいる。実は、北軽井沢や嬬恋村の観光関係者には、そういう裏の顔があったりする。単なる宿屋というのは少なくて、何かしら自分の世界を持っている人が多い。

 まぁそんな事はどうでもいいとして、遊びにきてくれた貸し別荘オーナーとインターネットの話になった。ブログやFacebookの話である。実は私は、 Facebookやmixiが苦手である。最近は1年以上、 Facebookの更新をしてないことに気がついた。どうして苦手かというと、そこに強制性を感じてしまうからである。また、読んでる人にご迷惑をかけてしまってはないだろうかと気になってしまうことがあって、どうしても億劫になってしまうからである。

 その点ブログはいい。ひっそりと書き逃げができる。読んでる人も誰が読んでいるかわからないところがいい。この文章だって誰に読ませている?といった、ターゲットを意識しなくても良い。ひょっとしたら誰も読んでないかもしれないというのが良いのだ。ところが、 FacebookやmixiなどのSNSだとそうはいかない。友達とか、いいねボタンとかがあって、確実に誰かを意識してしまう。あと、読んでくれた人のSNSにご挨拶に行かねばならぬという、重苦しい義理関係ができてしまう。そのために気が重くなってしまうのだ。

 1年以上も前に、私は初めてFacebookをやり始めた。始めた理由は、商売のためである。これからの時代はFacebookはできないとダメかもしれないと言う宣伝に乗せられて始めてしまった。しかし、数ヶ月ほどやってみて、これは違うなと言うことが分かってしまった。

Facebookは、商売というよりも小さな友達のグループの親睦に使うのに適している。もちろん口コミなどの商売に使えない事はないが、それをやるには、図太い心臓が必要そうだ。私のようにノミの心臓持ってる人間には、とてもじゃないが使いこなせない。記事を書くたびに、 SNSの友達に情報が到着するとなると、相手に迷惑が掛かってるかもしれないと言う気分になってしまう。ましてや、いいねボタンなんかをされてしまった日には、また手を煩わせてしまったなと落ち込んでしまう。本当に本心でいいねボタンを押してくれるんなら話は別なのだが。

 これがブログやホームページとなると、誰が読んでるとかさっぱりわからない。そもそも誰も読んでないかもしれない。私はひっそり、誰も読まないようなサイトに書き込んでるだけなのかもしれない。そのほうが気が楽である。

 実はこのブログも、最初は商売のために始めていた。だから初期の頃は、盛んにトラックバックなんかをやって読み手を増やそうとしていたが、 1年後にはやめてしまった。今はもう日記がわりにブログを書いている。写真や当日何があったかを記録として残している。そしてその記録は、過去の開花情報や、過去の気象情報を調べるときに役立てたり、ホームページを作るときにデーターとして重宝している。

 塵も積もれば山となる。

 昔のものはよく言ったものだ。私が書いているこのblogの情報料は相当なものになっている。ブログを始める前はNIFTYのソフトを使ってマネージャー日記を書いていた。それも含めれば10年以上のデーター量になってしまった。それを全部、デジタル情報として残せたのは大きかった。

 ところが、 Facebookだとそれらのデータが残せないのだ。過去の書き込みはどんどんどんどん埋もれてしまって、情報が死んでしまう。情報を整理して、別のホームページに整理し直せばいいのだろうが、これがまたややこしい。 Facebookには、いろんなアプリケーションがついていたりして、そっくりそのまま他のホームページにしにくいのである。これは致命的である。

 もし、私が商売の道具として使うのであれば何の問題もないのだが、日記として記録し、それを過去データーとして他に役立てようとした場合、 Facebookほど役に立たないものはないのだ。その点シーサーブログは最高である。何が最高かというと、ブログを自分の好きな形に改造できるからである。だから私は、過去データーを利用しやすいように改造してある。お客さんが読みやすいかどうかは二の次である。

 逆に言うと、お客さん自身も私の過去データーを利用しやすいかもしれない。まぁそれは、私にも言えることであって、私が利用しやすいブログが、世の中にはごまんとある。このブログは使えるなぁ。このブログはいろいろ利用させてもらおう。そういうブログは大量にある。しかし、 Facebookにはそういうものはあまりないのだ。どちらかというと、 Facebookは今旬の情報を提供してくれるものが多い。過去の情報を調べようとする場合は、圧倒的にブログを読ませていただいている。

 そういう意味で、 Facebookは商業利用に向いているのだろう。
 ブログは日記に向いているのだと思う。

 サークルか何かの活動をサポートする場合は、 Facebookの方が良いかもしれない。個人的な備忘録は、ブログの方が向いてるのかもしれない。あとアクティブで活発的な人は、 Facebookが向いているのかもしれない。あたしのように小心者で、人様のご迷惑をいちいち気にする人間にとっては、ブログの方が気が楽でいい。ひょっとしたら誰にも読まれてないかもしれないが、そっちの方が、ほら読みなさいよと強制するような仕掛けがあるよりも、むしろ誰にも気兼ねせずに書き込みができて良いと思ってるぐらいなので、私は断然ブログの方が使いやすい。

 ただし、某テレビ局の情報によれば、ブログをやる人はFacebookをやる人の10分の1もいないらしい。ブログは、このインターネットの時代においては、圧倒的に少数派のようだ。世の中は、 Facebookの天下になりつつあるらしい。それが本当か嘘かはとりあえず置いといて、個人的にはほっとしたことも確かだ。個人的な備忘録のつもりでブログを始めているわけなので、世の中がFacebookに向かいつつあるのが、ある意味こっちの願ったりでもある。


つづく。

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2014年12月17日

サプリメントと食事

 今日も外は雪だった。本当なら朝早く起きて雪かきをするべきなんだろうが、声が出なくて倒れてしまった。喉風邪である。きっと乾燥してるからだろう。生まれて初めてのど飴のトローチを舐める羽目になった。こんなもの喉風邪に効くもんか、と思っていたが、 6時間ぐらい寝込んだら不思議なことに体調が戻ってきた。声も出るようになり、巨大な痰も出てきた。あれだけ喉がカラカラなのに、どこにあったんだろうかという巨大な痰だった。おそらくこの痰が、病原菌の侵入を防いでくれていたのだろう。しかし、それも限界になって喉が腫れたのだろうと思う。

 それはともかく、風邪をひくと食欲がなくなる。これは自己防衛本能であることはわかっている。胃腸に血液がいかないようにして、その分病原菌と戦うためのエネルギーを確保するためである。こういう場合、ありがたいのはサプリメントである。胃腸の負担を最小限に減らしながら、必要な栄養素をすべて吸収できるからである。もちろんサプリメントばかり飲んでいるのは体にはよくない。しかし体が病気しているときは、大変ありがたい。

 長い前置きを書いてしまったが、せっかく病気して体を動かせない状態になったのだから、読書をすることにした。普段インターネットで情報ばかり集めているので、たまに行う読書は頭のようになる。インターネットがサプリメントなら、読書はフルコースの食事のようだ。

 もし最小限の栄養をとるだけならサプリメントだけで困らないように、単なる情報収集を行うならばインターネットだけで困りはしない。しかし、インターネットばかりやっていると、頭が不健康になってくる。やはり読書必要だ。なぜならば、読書はスローペースで情報を仕入れるために、頭の中から発想やひらめきをどんどん出していく効果があるからだ。その意味で読書は、情報収集する道具ではなくて、頭を整理する道具でもある。情報から何かを汲み取る力を持っているのは、圧倒的に読書の方である。

 これに散歩が加わったら最強である。やはり読書だけではダメで、散歩をプラスするともっと偉大な力を発揮する。いろんなことが見えてきたりするのである。実は、この散歩の力を最初に見抜いたのは、ギリシア人であった。ギリシア人は散歩をすると頭が冴えてくることに気づいて、散歩をとても重要視していた。そして散歩しながら考える人達の事を逍遥学派と言うようになった。坪内逍遥は、この逍遥学派から逍遥の文字をいただいている。

 ちなみにフーテンの寅さんの第2作目では、寅さんの恩師がでてくるが、その恩師の名前は坪内先生だった。坪内散歩である。何の事は無い、フーテンの寅さんの監督である山田洋次は、坪内逍遥をもじって、坪内散歩先生と名づけたのである。実を言うと、私はこのフーテンの寅さんの第2作が、寅さんシリーズの最高傑作であると思っている。興味のある方はぜひ見ていただきたい。寅さんシリーズで最も笑える、そして最も感動的な作品なのだ。

 まぁそんな事はどうでもいいとして、この坪内逍遥は、日本に新劇を紹介したことで有名な人である。日本新劇の開祖的な人間である。そして坪内逍遥の弟子たちの中から、偉大な演出家や俳優たちがでてきた。それが大正時代に花開くことになる。いわゆる新劇ブームが起きるのだ。そして海外の劇団の公演が次々と興行され、ものすごい人気となるのである。

 そのすごさというのは、今日の映画やテレビなどの比では無い。俳優のなかには3,000円の月給をもらう人たちもいた。当時の一般的なサラリーマンの100倍の給料である。記録によると大正7年には、 分かっているだけで653万人のお客さんが劇場に足を運んだと言われている。実際はもっと多いだろう。浅草公園の吾妻座では1日あったり2,476人を集客し、年間90万人の入場者を記録している。

 こうなると、当時の小説家、例えば夏目漱石などは吹けば飛ぶような存在である。新劇関係者の方が、よほど儲かっているしステータスも高かった。今ではその立場が逆転しているから面白い。ただ、このようなブームを迎えていながら、新劇は徐々に衰退していく。小説のほうはそうでは無い。どんどん発展していくのだ。ここが面白い。

 原因はいろいろあるだろうが、その一つに、新劇関係者が散歩をしなくなってきたことがあるかもしれない。この頃の新劇は、坪内逍遥の手を離れ、全く別の進化を遂げていた。それが何らかの影響をもたらしたのかもしれない。

 いろいろぐだぐだと書いてしまったが、読書と散歩をこよなく愛する者としては、それが残念でならない。読書も散歩も1種の禅であると思う。これに星を見るを加えても良い。山にぼる事を加えても良い。海を眺める事を加えても良い。これは全て1種の禅である。これらは、一見無駄に見えることのように思えるが、実は無駄では無い。それらの行為によって脳が活性化するのだ。そして心と体が健康になっていくのである。それに気がついた古代ギリシア人は、凄いものだなぁと思う。

つづく。

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2014年12月16日

自然の脅威

 実は昨日から嫁さんが息子を連れて里帰りをしている。それなのに今日は、本格的な大雪となった。午後3時頃には15センチぐらい積もっていた。こんなに早く大雪になるのは、開業以来初めてかもしれない。北軽井沢は、本来雪の少ないところである。降ったとしても、 12月末か1月初めの頃が多い。それが12月中旬にもう大雪となってしまった。

 もちろん、愛犬コロの犬小屋も雪まみれになっている。まだまだ冬支度の作業が残っているのに、困ったものだ。今年こそ、ユニットバスにサーモスタット付きのシャワーを取り付けたかったのだが、この大雪で水道の元栓が開閉しにくくなって、作業を中断せざるを得なくなった。大急ぎで、ホームセンターに向かって犬小屋用の屋根を作るために、構造用合板を買いにいかねばならなくなったからである。

 ホームセンターに到着してみると、除雪用のスコップなどがみんな売り切れていた。やはりあの天気図を見てびびっているのだろうなぁと思ってしまった。買い物が終わって、台車で資材を車に運ぼうとしたら、台車が雪で動かなかった。仕方がないので、一つ一つ手で運ばざるを得なかった。こういうことが起こりうるので私は、物置やバックヤードを必要以上大きくとっている。すべての備品の在庫を多めに抱えている。北軽井沢は、いつ陸の孤島にならんとも限らないので、いろんなものを大量に抱えて準備しておかなければならないのだ。

 それにしても、地球温暖化というのは本当なのだろうか? むしろ地球は寒冷下に向かっているのではないだろうか? 寒冷化に向かう初期の頃は、気象の変動が激しく、急激な温暖化が起こりうると言われている。それなのではないだろうか? 一体温暖化なのか寒冷化なのか、どっちなのだろう?

 そんな事を考えながら、やはり今日も愛犬コロと朝晩の散歩行った。雪は愛犬コロの胸ぐらいまで積もっているので、さすがに歩きにくいかと思いきや、こんな大雪でも大喜びで飛び回っていた。散歩コースの途中には、最近できたばかりの巨大な太陽光発電所がある。もちろん大量の雪に埋もれていた。おそらく数日後には、ガチガチに凍りついて3月ごろまで行に埋もれてしまうような感じだ。

 結局、太陽光発電は北軽井沢や嬬恋村には向かないのではないだろうか? こんなに雪で埋もれてしまっては、発電どころではないだろう。ましてや、桟敷山の周辺なんて、最盛期には2メートルぐらい積もることもあるのだ。そんなところの木を伐採して太陽光発電をするなんて、常識で考えればうまくいかない事はわかりきったことである。

sss0956.JPG

 そもそも、地図の等高線を見てもわかる通り、かなり傾斜のある地域だ。鉄砲水も出るし、雪解け水で泥濘になる場所だってある。うちの宿の目の前にある村道だって、春先は泥濘になるのである。太陽光発電が無事に済むとはとても思えない。木を切れば、山は崩れやすくなるのだ。自然を甘く見ると、後で酷いしっぺ返しを受けるかもしれない。

 そんな事を考えているうちに、嫁さんのことが心配になってきたので、ケータイに電話をかけてみた。里帰りした実家から北軽井沢に帰る途中で、車の運転中だった。そして、電話で買い物の事を言っていた。やっぱりそうか、この雪を甘く見ている。

「買い物なんかしなくていいから、安全運転で早めに帰ってきなさい。どっちにしろ、道路は雪で超ノロノロ運転になるはず。そうなれば、時間がどんどん過ぎて、雪はどんどん増えるに違いない。下手したら帰れなくなる恐れもあるので、とにかく寄り道しないで早く来なさい」

 そう言って電話を切った。
 予想は的中した。
 やはり雪道は大渋滞していたようだ。
 明日はきっと、去年の大雪の時に買った除雪機が大活躍するだろう。

つづく。

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2014年11月26日

高原野菜

この季節になると御客様は、業者さんの方が多くなる。
業者さんといっても工事関係者は少ない。
カメラマン・営業マン・ライター・人形劇団・仕入れ業者といった人たちである。

もちろん、全員がユースホステルの会員である。
で、非常に腰が低い。
最初は、どうして腰が低いのか?と不思議だったが、今の私には分かる。
商売をやっていたら腰が低くなるのが癖になるのだ。
中にはフーテンの寅さんみたいな人もいる。
もちろん腰が低い。

で、気がついてしまった。
自分が古い友人を整理してしまっている事実に。

宿屋をはじめる前に、クレーマーみたいな真似をして商品をせしめる友人がいたが、いつのまにか年賀状のやりとりをやめていた。いろんな店で傲岸不遜で俺は客だと踏ん反り返る友人とも気がついたら縁が切れていた。
いざ自分が客商売をやってみると、以前は気にならなかった友人の欠点が、気になってきたのだと思う。一緒にいるとストレスを感じるようになったのかもしれない。この歳になると、いつも心静かに生きていきたいと思うようになってきた。

そういう意味で北軽井沢という土地は最高である。
誰とも、適度な距離をたもちつつ、自然の中で延び延びと生きていける。
新聞も来ないし、テレビの映りも悪い。
変な人間関係にも関わらなくて良い。
浮き世の義理も最小限で生きていけるし、やろうと思えば仙人のように暮らすのも夢では無い。

先日、近所のペンションオーナーと、スーパーで立ち話した。
そのオーナーは、こういった。

「あと4年で借金が終わるんだよね。終わったら食事提供をやめて楽に暮らそうと思っている」

この人は、癌で半年入院したことのある人だった。
言葉に人生の重みがのしかかっていた。
今はペンションをやりながら農家で働いている。
時々、野菜なんかをうちに分けてくれる。
その野菜を切っているときに、

「この野菜は、胃を半分切った人だ汗水垂らしてて働いて作った野菜なのだ」

と思いつつ、鍋に入れ

「おいしくなれ! もっと美味しくなれ!」

と念をいれて作っている。
そして鍋が、御客さんの胃の中に入り、からっぽになった時、
御客さんが全て平らげたとき、
つくづく、ああ良かったと思ってしまう。

「美味しかったですよ」

と御世辞をいってくれる御客さんは、たいていは業者さんである。
たとえ御世辞でも嬉しい。
野菜たちも、喜んでいるだろう。

つづく。

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2014年11月02日

キラキラネームと名前

 キラキラネームが流行っている。
 嬬恋村も例外では無い。
 わが息子は、そんな流行とは関係なく
 古事記の倭健(ヤマトタケル)からタケル(健)と名付けた。
 日本最古にちかい名前である。

 話しは変わるが中学時代の数学の先生の名前が、佐治兵衛という名前だった。かなり老齢で、明治生まれだったと記憶している。明治時代には、○○兵衛とか、◇◇右衛門とか、△△左衛門といった名前をつけるのがブームだった。これらは朝廷の官職名である。以前は、勝手に名乗ることが許されなかったが、明治維新後に子供に名付けるのがブームになった。

「オラは、朝廷の直臣であるぞ」

というモチベーションで名付けられた。

 それまでは、身分の低い百姓であったが、明治維新後に朝廷の直臣になることで、元大名の子弟とも対等であるという気概をもって名付けたのである。それが明治維新のもつ本質だった。つまり、○○兵衛とか、◇◇右衛門とか、△△左衛門というのは、明治時代のキラキラネームであった。なんのことはないキラキラネームは、昔からあったのである。

 もちろん大正時代にもキラキラネームはあった。女性の名前に「子」をつけるスタイルである。これは大正時代のキラキラネームである。うちの嫁さんも「子」がついている。智子である。しかしキラキラネームはいずれ廃れる。現代に佐治兵衛または智子と名付ける親は少ないであろう。しかし、タケルをつける親は細々ながら何百年と続くであろう。流行はうつろいやすい。何れ廃れて錆びていく。

 ここから本題にはいる。

 嫁さんの名前は、智子であることは既に述べた。問題は、私の名前が「智(さとし)」であることである。夫婦の名前が、智と智子なのだ。もちろん発音上は全く違うので日常生活に問題は無い。ややっこしいのはメールを出すときである。

 予約メールには、嫁さんが返事を返している。メールアドレスには、佐藤智子という名前がついている。で、マネージャーの私の名前が佐藤智なので、

「マネージャーさんは、ネットおかまをやってるんですか?」

と聞かれることが度々ある。

 ネットおかまとは、男のくせに、女の名前を語って、インターネット上に書き込む人のことである。女の名前を語ると、それだけレスがもらいやすいからである。

 以前、某ペンション組合のメーリングリストに、友人の女性ペンションマネージャーと一緒に加入したことがあったが、女性ペンションマネージャーには、30も40もレスがつくのに、私には全くレスがつかなかった。女性であるかどうかで、これほどまでに待遇が違うと、かえって清々しいもので、当然のことながらロム専門になる。だからレスが欲しい人は、女性に化ける。つまりネットおかまになるわけだ。

 しかし私は、ネットおかまではない。
 ネットおかまになる理由が無い。
 佐藤智子は、私の嫁であって佐藤智と別人格である。

 おまけに、返信メールのフッタに、このブログのアドレスが書いてあるので、このブログを嫁さんが書いてあると思い込んでいる御客様もいる。また、嫁さんが御客様にメールの返事をかくと「なんで佐藤智でなくて佐藤智子なんですか?」という人もいる。「子は変換ミス?」という勘違いしてくれるひともいる。まったく、ややっこしいと言ったらありゃしないので、最近は自らを佐藤智とよばずに「マネージャー」というようにしている。


つづく。

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2014年10月31日

沖田艦長「古傷が痛む」

日曜日は回復しそうなのですが、土曜日の北軽井沢の天気がいまいち。
それでもキャンセルせずに来てくれる御客様には感謝である。
なので、今回はいつも以上に料理に力を入れたい。
もっとも、私がそういう性格であることは、リピーターの皆さんが、
よく御存知のことと思いますが。

話しは変わるが、うちの嫁さんが歩く天気予報となりつつある。
雨が近づくと「古傷が痛む」と、まるで宇宙戦艦大和の
沖田艦長のようなセリフをいうようになってきた。

「はて? 何の古傷だろう?」

と不思議に思っていたが、どうやら1年半前に切った帝王切開の傷が痛むらしい。
ああ、なるほど。
帝王切開した女性は、みんな歩く天気予報と化しているのか!
これは、新鮮な発見である。

ところで日本人が医者に通う率は、年14回である。
イギリスが5回、ドイツが7回なので世界でも最も医者に通う民族でもある。
ところが人口10万人当たりの医師の数は190人で、ドイツの330人に比べて、はるかに少ない。
特に産婦人科・小児科の医師が少ない。
これは息子が生まれてはじめて知ったことである。

では、江戸時代ではどうだったかというと、
1820年頃の江戸では、人口10万人当たり250人もいた。
18世紀はじめの奈良では、人口10万人当たり445人もいたという記録さえある。
(診療報酬の歴史・青柳清一)

まあ、そんな与太話しは、どうでもいいとして、
問題は産婦人科・小児科の医師が少ないということだ。
倍増させよとは言わない。
せめて江戸時代並みにしてほしいものだ。
江戸時代では、各藩の医師たちが無医村に巡回診療させていた。
現代は、そのレベルに達しているだろうか?

しかし、これに関しては我々患者側にも責任がある。
もちろん私にもだ。
もし息子が病気したら、近くの診療所よりも、
遠くの大病院に連れて行こうと思っていた。

ところが、御客様の息子さんが病気にかかり、
嬬恋村診療所に連れて行ったら、
そこの小児科の先生が天才的な医師で、
漢方を使って、劇的に病気を治してしまった。

東京の大病院の大先生にも治せなかった病気を
チョチョイノチョイと治してしまったである。

なんと嬬恋村の診療所には、ゴットハンドをもつ小児科医がいたのだ。
地方だからと言って馬鹿にしてはいけない。
地方にこそ埋もれたドクターXがいるのかもしれない。


つづく。

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2014年10月30日

癒やされる方言

 ここのところ晴天続きで星もよく見える。
 その結果、御客様の旅行に対する満足度もあがるので助かっている。
 今日も御客様の感激の声を聞いた。

「中軽井沢の紅葉が素晴らしかった」
「碓氷湖の紅葉が素晴らしかった」

 前にも述べたが、今年の紅葉は息が長い。なかなか霜が降りないために、散りそうで散らないのである。逆にカラマツは、かなり早く早めに紅葉してきている。

 話しは変わるが、毎年、秋に泊まりに来て下さる東北の老夫婦から予約があったが、あいにく、その日は満室だった。御客様の方も残念そうだったが、私の方も残念であった。私たち夫婦が、毎年お会いするのを楽しみにしていたからである。そういう御客様は何人もいるが、ここから先は、ちょっと書きにくい。

 私が会いたかった理由は、もちろん素晴らしい御客様であることも理由の一つなのだが、もう一つ理由がある。その御客様が、完全無欠の秋田弁を話してくれるから会って久しぶりに秋田弁を聞きたかったのだ。もちろん山形弁・津軽弁・岩手弁も聞きたい。お上品な東北弁ほど心地よいものはない。そういう意味で東北人は、だいぶ得をしていると思う。逆に損しやすい方言の方もいる。東北人は、得をする人たちだと思う。上品な東北弁は、こころ癒やされるからだ。

 実は、北軽井沢のペンションオーナーの大半が東北出身であった。不動産屋・レストランのオーナーも東北人が多い。というか大半が東北人である。福島県出身者もかなりいる。だから親戚に3.11の被災者がいる人たちが多い。その人たちと一緒に観光協会で顔をあわせたりするが、どういうわけか東北弁を話さない。客商売だから仕方ないのだが、もったいないことである。

 唯一、例外がひとりいたが、その人は八十歳近い人であった。
 で、その方の山形弁には、とても癒やされる。

 しかし、どうして北軽井沢の観光関係者に東北人が多いのだろうか? 接客業に向いているのだろうか? しかし、失礼ながら彼らがサービスマニュアルをこなしているとは思えない。どうみても機械的なマニュアルを行うような人たちでは無い。おそらくサービスというよりホスピタリティに長じているのだろうなあ。

 そういえば道中庵というユースホステルがあったが、あそこのマネージャーの東北弁にも癒やされたっけ。昔の東北には、そういう癒やしの方言を使うマネージャーのいるユースホステルがたくさんあったけれど、最近は減りつつあるのが残念である。


つづく。

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2014年10月20日

北軽井沢にむいている石油ファンヒーター

 10年間使いつづけた日立の石油ファンヒーターが、ついにお亡くなりになった。
 すごく気に入ってたので、また日立製品を買おうと思ったら、
 もう日立は、石油ファンヒーターの事業から撤退していた。
 で、他のメーカーを探したら、ダイニチ・コロナくらいしか残ってなかったので驚いた。
 この10年の間に、何がおきたというのだろうか?
 他のメーカーは、なぜ石油ファンヒーター事業から撤退したのだろうか?

 まあ、そんなこと嘆いても仕方が無いので、
 ダイニチとコロナの製品をインターネットでカタログスペックを調査してみた。
 そして結果に驚いた。
 圧倒的に電気代が違う。
 コロナ製品が圧倒的に電力を使わない。

 なぜだろう?

 と不思議に思ったら、灯油の気化方式が違うらしい。ダイニチ製品は電気で気化させているので電気代がかかるということらしい。コロナ製品は、自らの灯油の燃焼熱によって気化させているとのこと。もうこうなるとコロナを買うしか無い。

 どうせ買うなら一番火力が強いのにした。値段は高く付くが、2台稼働させるよりいい。1台分しか電気を使わないからだ。単純計算で電気代が半分になる。
 
 で、それが一昨日、宅急便で届いた。そして点火してみたら、その火力の強さに仰天した。あきらかにカタログスペックより強力である。というか今までの石油ファンヒーターが、古すぎてカタログ値の性能を出してなかった可能性がある。数字上は、たいして変化無いはずなのに、コロナの新製品の方が2倍くらい温かいような気がするのだ。
 
 そこで家電に勤めている友人に聞いてみたら、やはり古くなった石油ファンヒーターは、モーターの劣化などにより火力が低下している可能性があるということだった。あと、北軽井沢という土地も影響しているともいわれた。コロナの製品は、空気が薄い山間部に適応した燃焼ができるけれど、ダイニチにはその機能が無い。だから北軽井沢のような標高の高いところでは、コロナの方がむいているらしい。
 
 そうだったのか!
 そうとは知らずに10年間、日立とダイニチを使いつづけていたよ。
 ずいぶん電気を無駄にしてきたんだなあと反省した。
 今後はコロナにするわ。


つづく。

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昨日の御客様が教えてくれたこと

 カップラーメンは、悪の代名詞・不健康の代名詞のように言われる。私も昔はそう思っていたが、今は思わない。北アルプス縦走中にそういう結論におちついた。

 私は、年間50回くらいの登山を行っていた。そして大勢の登山初心者をひきつれて三千メートル級の北アルプス縦走をしていた。もちろん初心者の中には途中で具合の悪くなる人が出てくる。しかし、不思議なことにカップラーメンを食べさすと元気になり復活する。ただし、1個のみで2個以上は意味は無い。

 最初は、どうしてカップ麺で初心者が元気になるのかかがわからなかった。しかし、途中で気が付いた。塩分である。三千メートル級の北アルプス縦走をすると非常識な量の汗をかく。つまり大量の塩分を失う。その失った塩分の補給に普通の食事ではまにあわないのだ。

 登山初心者は、カロリーばかり気にする。で、間食にチョコを食べてそれで充分だと勘違いする。おまけに喉が渇くので、水をがぶ飲みし、それがオシッコや汗となるので大量の塩分と脂分が不足する。それが引き金となって体調をくずすのだ。

 で、体調をくずす人間に、ある種の特徴があるのにも気が付いた。日頃から健康に気遣っている人ほど体調をくずしやすい。登山中も塩分摂取に気をつけているし、塩気の多いジャンクフードや魚肉も食べないからだ。そのくせ登山で腹が減っているにもかかわらずカリウムの多い野菜ばかり食べているから余計に塩分が放出されてしまう。これでは登山中に体調をくずして当然である。いくら身体に良くても、ものには限度がある。

 さて、ここから本題にはいる。
 昨日、衝撃的な話しを御客様から聞いた。

 実は、1日に1食しか食べられなくなった御客様が泊まりに来た。その人は、暴飲暴食をしない人である。分類からいって健康オタクのほうだったらしい。毎日、野菜ジュースをかかさず飲んでいたらしい。そのために健康診断で悪いところはないと、毎年診断されていた。血液検査でも良好な数値ばかり出ていた。

 ところが、ある時、精密検査をうけたら衝撃な結果がでてきた。肝硬変だというのだ。もちろん原因がわからない。暴飲暴食をしないし、身体も痩せている。どう考えても肝硬変になる要素が無い。

 で、原因を調べたら毎日、野菜ジュースをかかさず飲んでいたのが肝硬変を誘発してしまったことが分かったらしい。よーするにカリウムのとのすぎだったのだ。

 塩分もそうだが、カリウムは、とらないと身体を悪くする。しかし、とりすぎても悪くするのだ。野菜ばかり食べているベジタリアンの寿命が、意外にも長くないのも、そこに原因がある。そもそも安楽死につかうのがカリウム注射なのだ。

 もちろん野菜が健康に良いことは、疑いようも無い。カップ麺が健康に悪いのも疑いようが無い。しかし、ものには限度というものがある。なにごとも、ほどほどが良いのだ。それを昨日の御客様が教えてくれた。私も思い当たることがたくさんあった。健康志向の人は、そのへんをよく考えて、偏食をやめて、なんでも食べるようにした方が良いと思う。

 うちの食事メニューも、そういう方向にしている。少量で品数多くだすようにしている。朝夕で目標50品目。夕食は、御飯汁物の他に9皿だしている。なんでも食べて健康になってほしい。そして、よく旅にでてほしい。

つづく。

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2014年10月06日

太陽光発電と武田信玄

 今年は、紅葉が早かった。
 そこに台風がきたものだから凄いことになった。

 今日の正午頃に台風一過となの晴天になったために、
 息子を連れて散歩にでかけたのだが、外に出てみて驚いた。
 庭中、栗だらけなのだ。

 昔は、栗を拾って栗御飯を炊いたこともあったが、今は落ちている栗を放置している。山栗は小さすぎてむきづらいからだ。だから栗御飯を作るときは、市販の大きな栗を買ってきてそれを3分だけゆでて、それを剥いている。それを冷凍保存して、御客さんが多い時の朝ご飯に出すのである。今年は、すでに4回くらい作った。まだ、あと3回くらい分の栗の在庫は残っている。なので、庭に落ちた山栗は、放置したままである。そういう状態のままであるから出入りの業者さんたちが「栗を拾わないんですか?」と聞いてくる。

「うん拾わない」
「じゃ、私が拾ってもいいですか?」
「ああ、いくらでも持って行って!」

 出入りの業者さんたちは、毎年、大喜びで持って行く。

「北軽井沢ブルーベリーYGHさんところの山栗は、他の山栗よりも大きくて甘いんですよね」
「へえー、そうなの?」
「拾わないのはもったいないですよ」
「いや、秋は他に仕事があって忙しいんだよね。栗なんか拾ってる暇ないのよ」
「へえー、そういうものですかね」

 正直言って、自分が拾うより、嬉々として業者さんや御客さんが拾って帰って行くのをみている方が楽しい。栗の木の無い家の人にとって、栗は貴重品かもしれないが、私にとって栗の木は、あまり嬉しくない樹である。まず花粉が凄い。落ち葉も多い。イガも多くて歩きにくくなる。クワガタなどの昆虫も多いために、こいつらが夏に網戸を破壊する。本当に根こそぎ切ってやりたいと思っているが、自然保護の観点から残している。

 長い前置きは、ここまでとして、本題に入る。
 最近、御客さんと太陽光発電の話になった。
 
 脱原発派の御客さんがいて、太陽光発電の素晴らしさを信じて疑わない人が居たので、これは少し、太陽光発電について書いておかなければならないなと思った。

 実は、北軽井沢や嬬恋村には、発電所が大量にある。
 もちろん太陽光発電である。
 最初は、廃れたテニスコートが太陽光発電所になった。
 次に御客さんの少ないゴルフ場が、太陽光発電所になった。
 私は
「土地の有効利用がすすんでいるな、よしよし!」
と好意的な目でみていた。

 しかし、それらがあらかた太陽光発電所になると
 次は農地や牧場が太陽光発電所になった。

 ここまではよかった。

 次におきたことは、北軽井沢の山々が、嬬恋村の森が次々と伐採されはじめたことである。それまで美しい紅葉にウットリしていた場所が、全て伐採されて丸坊主になってしまった。もちろん栗の木も次々と切られていった。太陽光発電所のためである。その面積は、かなりのものなのだ。
 
 浅間山に登るとよくわかる。嬬恋の森の中に湖みたいな物が、点々と見えるようになったが、望遠鏡でのぞいてみると、それらは太陽光発電所なのである。あきらかに太陽光発電は浅間山麓の環境を破壊しつつある。

 誤解して欲しくないのだが私は、太陽光発電が悪いというのではない。仕方ないことだと思っている。しかし、太陽光発電を絶賛する気にはなれない。光あるところ影がある。太陽光発電の裏にも闇はあるといいたいのだ。手放しで太陽光発電を絶賛する気にはなれないのだ。ものごとには、必ず裏というものがある。

 「裏」と言えば、最近続く異常気象も気になる。

 なぜ異常気象が続くか?という科学的な問いかけは、私も詳しくは無いので置いといて、このような異常気象は、過去の日本史においても何度か存在している。一番有名なのが戦国時代である。

 今年の2月に甲府で気象台はじまっていらいの大雪が降ったわけだが、それでも1メートル10センチくらいだったと記憶している。しかし、戦国時代では、4月に1メール50センチ降っているのだ。で、翌年に全く降らなかったりしたのだ。つまり、現代の状況と非常に良く似ている。というか、現在よりも酷いのである。

 では、その甲府で、山梨県で何がおきたかというと、2年連続で領民が壊滅状態になるほどの自然災害がおきている。で、その結果、何がおきたかというと、武田家の内紛が起きている。家臣が武田信虎を追放して武田信玄が領主になっている。歴史書には何も書かれてないが、自然災害と武田家のお家騒動には、絶対に因果関係があるはずなのだ。

 何が言いたいかというと、自然災害が、世の中を大きく変えうることもあるという可能性を言っている。太陽光発電所などは、その一つであって、それが今後の日本史にどんな影響を与えるか、ちょっと興味深いところでもある。 

つづく。

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posted by マネージャー at 23:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月29日

浅間山麓の住民から見た御嶽山噴火について

 御嶽山の被害に遭われた皆様、心よりお見舞い申し上げます。

 御嶽山は、9月11日に火山性地震85回を観測している。その時点で、どうして気象庁は、レベル1から2に引き上げなかったのだろうか? 引き上げていたら被害はもっと少なかっただろう。といっても、火山性地震85回の数は、決して多いものではない。阿蘇山なんか毎日、100回以上だし、草津白根山も8月上旬までは、かなりやばかった。

http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/weekly_report/2014/2014w39/2014w39.htm

 ここから本題に入る。
 なぜ、このような大惨事になったかを単純明快に、小学生にもわかるように説明したいと思う。

 御嶽山の噴火によって半径4キロ以内は入山禁止となった。
 ここがポイントなのだ。
 半径から4キロ離れていれば、火山はたいして怖くないのである。

 あれだけ噴火しても半径4キロの外なら安全なのだ。
 なので、吾妻山や浅間山などもレベル3になると半径4キロの立ち入りは禁止になる。

 ところがである。

 どこもかしこも半径4キロというふうにはいかないのだ。具体的に言うと桜島。桜島の半径4キロ以内に何があるのか? 桜島がスッポリはいっちゃうのだ。鹿児島市は、ぎりぎりセーフ。で、今の桜島の噴火警戒レベル3なのである。ここに半径4キロを適用したらパニックになるだろう。もちろん、そんなことできるわけがない。だいいち鹿児島の人間は、桜島の噴火と共生してきた歴史がある。余計なお世話だろう。口永良部島や阿蘇山だとさらにパニックになる。一回地図を開いてみてほしい。

 じゃあ浅間山は?

 幸いにも半径4キロ以内に民家は無い。生活道路も、ほとんどない。だからレベル3になっても何もかわらないのである。住民も観光客も何の心配も無い。しかし、そうはいかなかった。2004年の噴火では、ストロンボリ式噴火にもかかわらず風評被害で観光客はバタッとこなくなった。だから風評被害は怖いけれど、火山は怖くない。噴火しても4キロ以内に民家は無い。5キロ以内にもほとんどない。あっても別荘が多少ある程度である。

 草津白根山はどうだろう?

 もう絶望である。もし草津白根山がレベル3になったら、御愁傷様というしかない。半径4キロの中には、万座どころか草津温泉の中心街もスッポリ入っている。だから、この夏は、草津町民は生きた心地がしなかっただろう。もちろん志賀高原もそうであるが、風向きを考えたら東側にある草津町民の心臓はバクバクものであったと思う。さいわい、草津白根山は首の皮1枚でレベル2にふみとどまったが、レベル3に近いレベル2だったと思う。さいわい9月になってから火山性地震がパッタリとまった。まだ油断はできないが、このままいけば、レベル1の安全水準になる日も遠くないだろう。

 さて、ここで気が付いた人もいると思う。レベル3になっても大して影響の無い地域と、そうではない地域があることに。

 では、御嶽山はどうなのだろうか?

 半径4キロ以内に、山小屋はもちろんのこと、ロープウエイやら温泉やらスキー場やらキャンプ場やら旅館ペンション民宿など、いろんなものがワンサカある。つまり御嶽山が噴火すると自動的に被害がおきやすい地域なのだ。

 で、思い出されるのは、民主党が2010年に行った事業仕分けである。民主党は気象庁火山噴火予知の予算カットして御嶽山は、噴火予知のための観測強化の対象から外されるたのだ。

https://megalodon.jp/2014-0927-2219-43/p.twpl.jp/show/orig/JxwQX



 もちろん2013年政権に復帰した自民党は、御嶽山の観測強化を図るのだが、3年間のブランクが大きかったか、それでも被害が大きかった。また別の原因として、急にレベル1を2に上げられなかったというのもあるかもしれない。

 現に気象庁は、平成26年 No.39 週間火山概況 (平成26年9月19日〜9月25日)で、警戒を呼び掛けてるのである。けれど、その週間火山概況を調べて登山計画をたてる人が何人いるだろうか? ほぼ皆無ではないだろうか? となると、レベルの上げ下げを簡単に行う行政のシステムが必要なのかもしれない。

 しかし、そうなるとレベル3になるたびに大騒ぎしなければならない地域が出てくる。そういう場合は、自己責任を認めれば予算はかからないはずだ。登山道の入り口に火山レベルを表示した電光掲示板を設置するだけでいいのだから。あとは自己責任でよいと思う。行政は、登山客・観光客に判断させる材料の提供に徹する・・・・と。しかし、事故が起きるとそうも言ってられないのが現実なんだろうな。この問題は、根が深そうだ。


つづく。

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posted by マネージャー at 18:40| Comment(12) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月26日

ブロックの名称について

 今年の夏は新規の御客様が多かったわけだが、多かった理由の一つに近畿の御客様が、3.11以降、もどってきつつあると言うこともある。昔は、夏の御客様の大半が、近畿地方・東海地方であったが、震災の原発事故以来、激減してしまった。ほとんど来なくなったのだ。その代わりに東北や関東の御客様が増えた。ところが、今年あたりから大阪・名古屋の御客様が増えて来だした。冷夏にもかかわらずである。

 で、不思議なことに気が付いた。

 大阪からくる人が増えているのに関西弁がとびかわないのである。静かなのである。昔は、関西人が5人いたら、20人くらいが会話しているくらいに賑やかだった。声も大きかったし、やたらと関西弁を強調していた。あらよるところで関西を主張していた。しかし、今年は、そういう御客様は皆無だった。お茶会や、送迎の時に

「どちらから来られましたか?」

と聞いてみても

「大阪です」
「奈良です」

という答えが返ってきた。昔なら大声で「関西や!」と言ったものであるが、そういう返答は一度も無かったような気がする。いったい何がおきたというのであろうか? 関西人特有の、あの関西イデオロギーというか、あの強烈な郷土愛は、どこにいったのだろうか?と、すこし不思議な気がした。で、大阪から来た御客様に聞いてみた。

「最近、関西弁を強調する関西人が減りましたね」
「私、そういうの嫌いなんです」
「はあ・・・・」

 そういえば、関西弁を強調する関西人を嫌う人も、関西には多いことを思い出した。確かに関西には、いろんな思想をもっている人が多いのだ。ひとくくりにする事はできない土地柄でもあるのだ。

 昔(30年前)、全国を放浪していた頃、広島球場で、広島巨人戦をみたことがあるが、観客の9割以上が広島ファンだった。そして、その後に甲子園球場にいったら阪神ファンは6割しかいなくて、けっこう巨人ファンが多くて驚いたことがある。広島と比べたばあい、関西は、かならずしも阪神一色ではなかったのである。そういうのを嫌う大阪人もおおかったのだ。

 これは広島に比べて郷土愛が少ないというのとは、すこし違うと思う。大阪には、そういう郷土愛ファシズムを嫌う人間が少なからずいるということなのではないかと思う。

 私の友人に、アンチ大阪の人がいた。「関西弁を強調する奴は大嫌いや」とよく言っていたが、そいつの言葉は完全無欠の関西弁だった。いや、岸和田弁というべきか。本人は、共通語を話しているつもりであるが、どう割り引いても岸和田弁にしか聞こえない。「ワシは東京が大好きなんじゃ」と言いながら千葉県にある東京ディズニーランドに行っていた。

「東京ディズニーランドって千葉だぞ」

と、教えたこともあるが

「神戸にある阪神が大阪なら、東京ディズニーランドも東京じゃ」

と、わけのわからぬ理屈で強弁していた。それを屁理屈に感じさせない魅力が彼の岸和田弁にはあった。

 また長い前置きを書いてしまった。
 ここから本題に入る。

 御客様に、こんな質問をいただいた。日本ユースホステル協会のブロック分けについての質問である。日本ユースホステル協会には、北海道・東北・関東・北信越・近畿・東海・中国・四国・九州沖縄の九つブロックがある。そして各ブロックにブロック長があって、それぞれが連携し合っている。で、質問の内容は、こうであった。

「なぜ関東は、関東ブロックなのに、関西は近畿ブロックなんですか?」

という質問だった。で、質問の主は、大声で大阪弁を話す人だった。そして東京を快く思ってない感じの人だった。なので質問してみた。

「御客さんは、近畿と関西、どっちが良いですか?」
「そりゃ関西や。わしらは関西人やから」

 なるほど。
 近畿人という言葉はあまり聞いたことが無い。
 しかし関西人という言葉はきく。
 と、同時にローカルさが臭い出す。

 関西と言う言葉を発する人の多くは、関西の特殊性を強調する。つまり「ローカルだあ!」と言っている。特殊性とは、ローカルと同義語なのだ。で、そういう人にかぎって「東京なんて田舎もんの集まりやんか」と言ってている。つまり「東京はグローバルだあ!」と言ってるのだ。田舎もんが集まれるというのは、グローバルと同義語なのだ。もし大阪が東京を超えるグローバル都市をねらうなら特殊性を強調してはいけないのだ。

 しかし、関西イデオロギーをもつ人は、その特殊性に命をかけているわけだから、どんどんローカル(特殊性)に突き進んでいくだろう。それが無くなってしまったら大阪は面白くなくなって死んでしまうと思う。全国が東京と同じになったら、それこそ面白くない。ローカル(特殊性)、大いにけっこうではないか。

 だから近畿ブロックの名称を関西ブロックに変更してもよいと思う。近畿と関西ではえらいちがうからだ。

 近畿とは、都会という意味である。畿は都という意味。近畿とは、都の近くという意味である。つまり都会(グローバル)という意味なのだ。そのグローバルを捨てて、関西というローカル名称を使うというのであれば、それはそれで大英断である。

 ちなみに関東という名称は、坂東からきている。日本武尊が碓氷の坂を通ったことから、坂の東を坂東とよんだ。もちろん関もつくられた。そこから関東という名称が産まれ、それに対応する名称として関西という言葉も生まれた。つまり関東も関西もローカルをあらわす表記なのだ。しかし、近畿という名称はちがう。都の近くという意味なのだ。そのへんのことを良く考えて、地元民が、関西か近畿かを決めれば良いと思うのだ。

つづく。

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2014年09月25日

相関関係にかんする考察

 子供が産まれて明日で1年6ヶ月になる。
 つまり息子が明日で1歳6ヶ月になる。

 1歳6ヶ月にもなると、かなり歩けるようになった。しかし、御客さんのお子さんを拝見するかぎり、うちの息子は、まだまだ歩けない。歩けるようになったのが遅かったようだ。だから、まだまだヨチヨチ歩きである。それは分かっていたが、先日、軽井沢の公園でママ友と、その娘さん出会って驚いた。ほぼ同じ時期に産まれた娘さんが、靴をはいて公園を颯爽と歩いていたからである。いつ幼稚園にいってもおかしくないような凛々しい姿をしていた。しかし、その娘さんは1歳6ヶ月なのである。もちろん頭も良い。他者をキチンと認識できるし、お母さんとコミュニケーションをとっている。言葉になっている。会話をしている。

「さすが女の子だなあ・・・成長が早いなあ」
「うーん、かしこいなあ」

と感心してしまった。

 うちの息子は、現在、退化中である。これはよくあることで、赤ちゃんは進化の後に退化する。たとえば、うちの息子は生後8ヶ月くらいで「いただきます」「ごちそうさまを」正確に発音した。そして手を合わせていた。しかし、今は発音しないし、手を合わせることもしなくなった。赤ちゃんによくある退化現象であるが、正確に言うと退化では無い。自分の意思をもちはじめただけである。

 子犬なんかでもそうなのだが、最初はひたすら真似をする。しかし、ある程度大きくなったら真似をしなくなる。自らの意思を持ち始めて勝手な行動をおこすのである。そして、あらゆる対象にたいして自分が納得するまで実験を繰り返すのである。その態度は、科学者・研究者のそれとかわらない。つまり退化に見えて退化では無い。これは、あらゆる動物の赤ちゃんに見られる現象でもある。

 話は変わるが、最近の科学の進歩によって、進化論はほぼ否定されつつあるようだ。遺伝子が突然変異し、そのあと適者生存で残る個体と滅びる個体があるという説は、まともな学者なら誰も信じてないらしい。従って遺伝子に複雑な情報が組み込まれているという考え方も放棄されつつある。かわりにいろんな仮説がでてきた。その一つにホルモンが遺伝子のスイッチをオンオフさせているというのがある。環境の変化によって、ホルモンの出方に変化が起こり、それによって遺伝子に変化が起きるというのだ。

 面白いことに、このような考え方は、認知科学・発達心理学・動物学・脳科学などの各種の分野から、同時期にでてきた。もちろん医学の世界からもでてきている。癌になりやすい遺伝子をもっていても、必ずしも癌にならない人がいる。そういう人は環境に影響されているらしいというのだ。環境によってホルモンの出方が違い、遺伝子のスイッチのオンオフもちがってきていて、必ずしも癌になるかどうかわからないというのだ。

 その典型的な例としてよくあげられていることが、森林にいることによってナチュラルキラー細胞が増加して、癌になりにくくなるという事例だろう。この事例の面白いことは、森林のそばで3日間生活するだけで、3ヶ月間もナチュラルキラー細胞が増加したままであるということである。たったの3日間生活するだけで3ヶ月ももつのだ。つまり、都心のど真ん中にいようが、関係ないということである。定期的に森に行くだけでナチュラルキラー細胞が増加するわけだからだ。そうなると、定期的に温泉にかよう人に長生きが多いのも、温泉にかようことで何かのスイッチがはいっているのかもしれない。

 脳科学の世界では、赤ちゃんの脳の機能を先天的(遺伝子)・後天的(学習)にわけることが間違いだとされている。両者には相互作用があって分けることはできないものらしい。分けることが出来ないほど、脳には順応性があるということなのだ。

 しかし、この考え方は、最初、私には信じがたかった。理由は、犬である。犬種によって馬鹿と利口の差が大きすぎるのである。シエルティやコリーやプードルや甲斐犬は、人間に近いくらい利口であるが、ハスキーやダックスフンドや柴犬の馬鹿っぷりは、もう見てて哀れなくらいである。しかし、どれも犬という種なのだ。なのに犬種によって頭の良さがちがいすぎる。

 しかし、この考え方は、シエルティーの愛犬コロを飼い、犬仲間が大勢できたら撤回せざるをえなくなった。利口で有名なシエルティーも飼い主によっては、お馬鹿犬になってしまっている。また、お馬鹿犬で有名なシベリアンハスキーを、シェパード並みに利口に育て上げている飼い主の存在も自分の目で確認してしまった。

 一般的には遺伝子がものをいうと、言われている犬でさえ、飼い主によって、お馬鹿にもなりうるし、お利口さんにもなりうる。ましてや人間の赤ちゃんの脳なら、なおさら脳の機能を先天的(遺伝子)・後天的(学習)にわけることことができないかもしれない。多くの脳科学者や認知科学者のいうとおり、両者には相互作用があって、後天的(学習)なものが、先天的(遺伝子)なものを変化させうる可能性をもっているかもしれない。

 長い前置きは、ここまでとして本題にはいる。

 今までは、脳の機能を先天的(遺伝子)・後天的(学習)にわけることことができない。両者には相互作用がある。それほど脳は柔軟であるという話しをした。

 で、これから話すことは、そういう難しい話しでは無く、母親の失敗(ドジ)は、息子や娘の反抗と分けることが出来ない。両者には相互作用があるという事を言うつもりである。

 え?
 何のことか分からないって?
 そうせかさないでほしい。
 ゆっくり説明するので・・・・。

 宿屋をはじめて15年たつ。その間、常に疑問におもっていたことがあった。それはファミリーで泊まりに来る家族の中の、お母さんのドジ(失敗)についてである。皿を割るとか、水をこぼすとか、携帯や財布を忘れるといった、たわいもないドジのことだ。

 もちろんお父さんだってドジをする。お父さんとお母さんを比較したら、圧倒的にお父さんのほうがドジが多い。統計は、とってないが、感覚的に5倍くらいお父さんの方がドジが多いと思う。しかし、お父さんのドジには、法則性はないのである。宿屋の親父が観察しても、これといった法則性を見いだせない。

 しかし、お母さんのドジには、ある程度の法則性がある。お母さんのドジの8割が、息子さんや娘さんと喧嘩したあとにおきているのだ。しかし、お父さんには、これがあてはまらない。いくら子供さんと不仲になっても、お父さんは微動だにしない。しかし、お母さんはそうではないのだ。そういう時にかぎってドジをふむのである。

 だから宿屋としては、いらぬ仕事を増やさないように、親子が仲良くなるように細心の注意をはらっている。部屋割りとか、メニューとか、ビデオソフトとか、プレゼントといったことに、かなり気をつかうようになった。特にお母さんが、息子さん・娘さんと仲良くなるような細心の注意をはらっている。

 これは、うちの嫁さんにもあてはまる。

 嫁さんが失敗するケースの大半が、それ以前に息子が愚図っていることがおおい。なので、もし息子が母親の前で愚図っていたら、とんでいくことにしている。でないと嫁さんが失敗して、余計な仕事を増やしてしまうからだ。よーするに「母親の失敗」と「息子の機嫌」には相互作用があるのである。

 で、ここが不思議なところなのだが、「父親の失敗」と「息子の機嫌」には全く相互関係は見られない。父親のドジは、そういう所にはないのである。いくら観察しても法則性を見つけることはできない。息子や娘の機嫌に関係なく、うまそうに酒を飲んでいる。しかし、お母さんは、息子が機嫌が悪いと、高い酒も残してしまうのである。


つづく。

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posted by マネージャー at 19:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする