2010年07月09日

北軽井沢ブルーベリーYGH10周年 1

明日は北軽井沢ブルーベリーYGHオープン10周年記念です。

オープンして10年たちました。
といっても、オープン当初はペンションでした。
ユースホステルになったのは、その半年後のことです。

開業開始は、7月1日でしたが、
御客様が入ったのは、7月の北軽井沢マラソンの前日でした。
つまり、最初の御客様は、北軽井沢マラソンの御客様でした。

御客様は、2人。
目の見えない御夫婦でした。
奥さんは音楽家。
御主人はマラソンランナーで、パラリンピックで上位入賞するほどの人でした。
盲導犬とともに、やってきて、北軽井沢ブルーベリーYGHにお泊まりになりました。

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FZ178_L.jpg

実は、それより前に、別の方が予約をいれてきたのですが、断ってしまった。麻雀客の団体様だったからです。
麻雀客の団体様の貸し切りは、金になる。
酒を沢山飲んでくれる。
でも、断ってしまった。
で、北軽井沢マラソンに出るために宿をさがしていた、目の見えない御夫婦を迎えることになったのです。

お金は、喉から手が出るほど欲しかったけれど、あえて、お断りし、目の見えない御夫婦を記念すべき第一号の御客様として、お泊まりいただいたのです。
ちなみに、この記念すべき第一号の御客様は、名前は出しませんが、御夫婦共に、いまではスッカリ有名人です。テレビや雑紙によくでてくる方になっています。これは宿主として、とても嬉しいですね。その方の、その後の御活躍を知る度に、
「この方を第一号の御客様に撰んで良かった」
と思いました。その後も、良い御客様に恵まれたことから、この方が、北軽井沢ブルーベリーYGHに幸運を運んでくれたのだなあと、本気で思っています。

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というわけで、北軽井沢マラソンは、北軽井沢ブルーベリーYGHにとって、とても大切な思い出のイベントでもあったのです。だから北軽井沢ブルーベリーYGHは、マラソンの御客様を大切にしてきたのです。しかし、今年の北軽井沢マラソンは中止。10周年記念に、特別の企画を計画していたのが、残念ながら流れてしまった。でも、気をとりなおして、ブログに、このエピソードを書くことにしました。


明日と明後日、晴れると良いなあ。


つづく

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2010年06月03日

6ヶ月ダイエット実験結果に思うこと

6ヶ月ダイエット実験結果に思うこと。

 半年前に生死にかかわる210の高血圧で、運動とダイエットを決断。
 それから6ヶ月がたちました。

 結論からいって10キロの減量に成功しています。

 半年前に95キロから96キロ以上あった体重が、今は、85キロ以下に減りました。しかし、宿を始める前の私の体重は70キロ(身長180センチ)。これだけ痩せても、宿を始める前より15キロも太っています。まだまだデブですね。

 まあ、そんなこと、どうでも良いのですが、
 今日の話題は、どんなダイエットが一番、効果があったか?
 というテーマです。

 実は、一番急激に体重が落ちたのが、ダイエットをはじめて1ヶ月から2ヶ月の時でした。95キロから、いきなり90キロまでの減量に成功したのです。去年の12月頃のことです。あまりにも急激な痩せように、このままいくと半年で25キロくらい痩せるんじゃないか?と楽観したほどです。

 で、どんなダイエットで1ヶ月に5キロも痩せたかと言いますと、ウォーキングでした。雪がチラホラ降っていて山に登れない季節であり、かといってスノーシューもできない状態だったので、ウォーキングしかできなかったのです。
「ウォーキングじゃ、たいしてダイエットにならないかな」
と思ってはじめたウォーキングが、結果として一番ダイエットになったのは皮肉なことでした。

 次にスノーシューでダイエットを行いました。今年の1月から3月にかけて、スノーシューでダイエットをはじめたのです。それもツアーコースのラッセル(除雪)というキツイ仕事つきでスノーシューダイエットをはじめました。おまけに、重いスノーシューを装着してのダイエットです。

 この時、スノーシューでラッセルすると1日3000カロリーくらい消費するので、もっと急激にダイエットが進むと信じていました。ところが、体重はいっこうに減りませんでした。不思議なことに冬の3ヶ月間の間、89キロ前後で推移していたのです。

「変だなあ? どうして体重が減らないんだろう?」
「ウォーキングよりも、確実にカロリーを消費しているのに」
「ウォーキングの2倍はカロリーを使っているのに」

 ただし、血圧は下がり続けました。210もあった血圧は、スノーシューをやった日は、130くらいまで下がったのですから、体調は本当によくなった。けれど、どういう訳か体重は減らなかったのです。

「変だなあ? 何故だろう?」

 実は、この疑問の回答は、嫁さんが出してくれました。なにをかくそう、うちの嫁さんは、結婚以来、体重が増えていません。その嫁さんが、ある日、青ざめた顔でこう言ってきたのです。

「体重増えてないのに、昔のジーンズがはけなくなっている」
「なるほど、そういうことか!」

 逆に私は、昔のジーンズをはいてみました。

「はける! 昔のジーンズがはけるようになっている!」

 体重は減って無くても昔のジーンズがはけるようになっていたのです。つまり、毎日スノーシューでツアーコースのルートのラッセルをやることによって、筋肉が増えていき、その結果、体重も増えていった。そのために脂肪が減っていたにもかかわらず、体重が落ちてなかったんですね。

 逆にウォーキングでは、筋肉がつきようがないので、脂肪だけが燃焼されるので、体重は急激に落ちるということになる。スノーシューだと、筋肉がつくので、脂肪は燃焼されても新しい筋肉も増えるので体重も増える。結果として、プラスマイナスゼロになる。

 そう考えた私は、スノーシューの季節が終わった4月・5月と、軽いハイキング中心のメニューにしたのです。荷物も極力減らして、軽めの登山にし、雨の日は自宅で静養することにしました。すると、また体重が減り出しました。5月下旬に85キロまで体重が減ったのです。

 ここで結論です。
 体重を減らすには、軽めの登山の方が良い?

 しかし、疑問もわきます。

 本当に軽めの登山の方が良いのか?
 ヘビーな登山をして、筋肉を増量して代謝を増やした方が良くないか?

 どっちが良いのかは、分かりませんね。
 どちらも一長一短がありますから。

 ただ、どちらの方法でも、血圧だけは確実に減りますから、身体にいいことだけは確かですね。

 今の私の悩みは、お腹が出ていることです。登山やウォーキングやスノーシューのおかげで、手足の贅肉は無くなりましたが、胴回りの贅肉だけは、まだまだ改善の余地がありそうです。できれば、今年度中に、つまり、あと6ヶ月で改善していきたいと考えています。はたして6ヶ月で、あと10キロも痩せられるのでしょうか?


つづく。

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2009年11月10日

ベトナム旅行

JALが、大赤字で倒産するかもしれないとのこと。
はたして政府は、支援するのかどうか?
JALで、思い出したのは、戦前の

日泰定期航空機松風号不時着の原因判明

についてです。

 昭和13年頃、日本は九七式重爆を改造した旅客機MC20を主力機にしてアジアをネットする航空路を作ろうと近隣諸国に働きかけました。しかしフィリピンもベトナムもどこも欧米諸国が支配する植民地で、それぞれの宗主国は日本機の乗り入れを頑なに拒絶しました。

 黄色人種が製造した飛行機が乗り入れたら、白人の権威が色あせて植民地支配も揺らいでしまう、というのが拒絶の理由でした。しかし、例外がありました。植民地になってない「タイ」でした。そして、昭和15年にバンコクへの就航が実現しました。

 しかし、フランスが嫌がらせをしました。
 仏印上空の飛行を認めず、
 日本機はインドシナ半島を大きく迂回するルートを強いられたのです。

 ところが第二次大戦が始まり、ドイツの支配下に入った仏印政府は渋々日本の上空通過と乗り入れを認めました。こうして大日本航空の松風号がハノイ経由バンコク行きの第一便として飛ぶことになりましたが、その機体は、帰り道にベトナムのはハノイを離陸直後に墜落してしまいました。原因は何者かが燃料タンクに水を入れ、エンジンが停止したためだったと言います。同機は仏軍基地ジアラム空港を使っていました。機体に近寄れるのはフランス人だけで、彼らの犯行でした。仏印進駐には、こういう背景があったのですが、戦後世代の私たちには、知られされずにいます。

 しかし当時の日本は事を荒立てませんでした。
 何一つ。

 そして、仏印進駐。

 仏印進駐というと、日本が仏印を占領したかのように思う人がいますが、実は違います。主権は、フランス政府にあり、日本軍は、駐留しただけでした。いわゆる在日米軍基地みたいなものです。実はフランス人の仏印支配は、昭和20年の終戦まぎわまで続きます。

 フランス政府は、ベトナム人の弾圧し続け、ベトナム人を入れる監獄建設ラッシュが続いていました。サイゴン最大のチーファ監獄が完成したのは昭和18年でした。街や村には人頭税やら出産税やらを取り立てる華僑の徴税吏が駐在し、政府直営の阿片専売所も置かれ、その売り上げがハノイに集められていました。

で、この頃、ハノイ周辺は歴史的な洪水に見舞われ飢餓が発生。

日本軍は大釜を出して人々に粥を振舞い、昭和20年3月31日に日本軍がクーデター(明号作戦)を起こしてフランス人を行政から追い出し、クーデターのあと日本軍は仏印政府が貯め込んだ米を放出したのです。そしてまたたくまにフランス軍を撃破した日本軍に、多くのベトナム人が歓喜したのです。

ベトナムに旅行する人は、このへんの事を知っておくとよいでしょう。



つづく。

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posted by マネージャー at 11:53| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月06日

マレーシアで逮捕の女、拘置施設に移送

まず、ニュースの引用を。


マレーシアで逮捕の女、拘置施設に移送

http://news.tbs.co.jp/20091103/newseye/tbs_newseye4274400.html

 マレーシアの空港で、末端価格3300万円相当の覚せい剤を隠し持っていたとして逮捕された日本人の女が3日、拘置施設に移送されました。
 身柄を移送されたのは、覚せい剤4.7キロをスーツケースの底に隠して持ち込もうとしていたとして、先月30日、マレーシアの税関当局に逮捕された元看護師、竹内真理子容疑者です。
 調べに対し、「荷物は預かったものだ」と供述しているという竹内容疑者は、日本にいる母親に電話をし「こんなことになってごめんなさい」と、涙を流しながら謝っていたということです。
 竹内容疑者は、今年だけでもドバイやマレーシアなどを何度も行き来していて、現地当局は竹内容疑者が大掛かりな麻薬密売ルートの中での運び役だったとみて調べています。

 薬物犯罪に厳しいマレーシアで有罪となれば、死刑判決を受ける可能性もあります。
(03日19:15)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

これは、事実だとしたら死刑になる可能性があります。
で、なぜ、このニュースをとりあげたかと言いますと、
日本人に知ってもらいたい事実があるからです。


なぜ、マレーシアでは
麻薬の持ち込みで死刑になるのか?
という点です。


これは、知っておいて良い。
いや、絶対に知ってないといけないことです。
マレーシアの歴史を。

 戦前のマレーシアは、イギリス植民地であり、マレーシア人たちは、ゴム林の巨大農園で奴隷のように働かされていました。そのうえ麻薬漬けにされていました。一日の仕事が終わるとマレーシア人たちは、賃金をはたいて英国人の管理の下、中国人たちから阿片を買います。彼らのくゆらす阿片の煙と独特の臭いが夕闇の中に漂いました。しかし、太平洋戦争がはじまり、プリンスオブウエールズなどのイギリス戦艦二隻が沈められ、シンガポールも陥落し、白人様が血相を変えて逃げ出していきました。マレーシアはそのとき一変しました。

 そして独立。

 しかし、マレーシアの阿片中毒患者は十万を超え、経済は中国人が握っていました。ゴム林も錫鉱山もロンドンにいる英国人が所有し利益を吸い上げていました。マレーシアはまず国庫の大方を注ぎ込んで英国人からプランテーションの所有権を買い戻し、阿片密売者にはどしどし死刑を宣告しました。

 そしてマレーシアは、マレー人のもの、中国人は遠慮してもらうと。でもただ出て行けとは言いませんでした。彼らに領土の一部シンガポールをそっくり与えたのです。こうしてマレーシアから麻薬を撲滅させていったのです。

 マレーシアにとって、麻薬くらい憎いものはありません。
 私たち日本人は、まず、そのへんを理解した上で、マレーシア旅行に出かける必要があります。
 彼らに敬意をはらうなら絶対に薬物に手をだしてはならないし、運び屋になってもいけないのです。

 しかし、日本人の信用につけ込んで、運び屋として利用しようとする、甘い罠が存在することも確かなのです。どっちにしろ、外国で麻薬に手を出す危険は避けた方が良い。

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つづく。

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posted by マネージャー at 00:45| Comment(2) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月11日

シャレになってないニュース 三笠フーズの衝撃

三笠フーズ、事故米転売、架空取引繰り返す

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080906-OYT1T00812.htm

 米粉加工会社「三笠フーズ」(大阪市北区)がカビ毒や残留農薬で汚染された「事故米」を食用に転売していた問題で、同社が佐賀県唐津市の仲介業者との間で事故米の架空取引を繰り返していたことが11日、佐賀県の調べで分かった。事故米を流通させる手口の一つとみられ、同県はこの仲介業者についても調べる。

************************************************************

以上、引用おわり。
いや〜世も末だねえ。
今回の汚染物質は、アフラトキシンですが、その危険性は、以下のとうり最強の毒物みたいです。

毒物     体重1kgあたり致死量
サリン      100mg  ガスの場合
メタミドホス   7.5mg   冷凍ギョウザ、三笠フーズ米
青酸カリ     4.4mg

アフラトキシン 0.0006mg 三笠フーズ米

自然界における 「最強の発がん性物質」 アフラトキシンB1
(0.0015ppm = 10億グラム中に1.5グラムの濃度で、100%発癌)
に汚染された毒米が、10年以上に渡って食用として転売されていました。


波紋は広がっているようです。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080906-OYT1T00812.htm

■事故米混入、芋焼酎9商品を店頭から撤去 (9月11日 22:46)
■全日空、中国製の革製品を「日本製」として販売 (9月11日 19:11)
■アサヒビールの焼酎に汚染米、「かのか」など65万本回収 (9月11日 12:34)
■ウナギ、国産と偽り卸す…銀座の「浜伸」など捜索 (9月11日 12:12)
■中国産タケノコ水煮を「国産」…大阪の業者 (9月11日 01:32)
■三笠フーズの汚染米、和菓子にも混入か (9月11日 00:36)
■事故米の転売、新たに2社で発覚…食用に流用の疑いも (9月10日 19:08)
■三笠フーズ、解雇で説明会「日本一モラルない会社で…」 (9月10日 14:36)
■汚染米取引、帳簿だけ…佐賀の仲介業者「三笠に頼まれた」 (9月10日 12:43)
■事故米、国検査時に「倉庫移動」隠ぺい工作…従業員が証言 (9月10日 03:12)
■事故米混入、芋焼酎9商品を店頭から撤去 (9月11日 22:46)
■アサヒビールの焼酎に汚染米、「かのか」など65万本回収 (9月11日 12:34)
■汚染米 今度は愛知 (9月11日)
■和菓子も混入か…三笠フーズ (9月11日)
■汚染米転用の告発2回、農水省見抜けず…酒造5社混入の可能性 (9月8日 14:44)

さらに衝撃的な話。

そして西日本を中心に流通していたと見られる汚染米ですが、西日本の肝臓癌死亡率は東日本と比べて非常に高いのですね。また、新潟や北海道などの米所は西日本と比べて約5%も低い。今回の汚染米が人体に与えた影響が懸念される・・・という衝撃。

http://ganjoho.ncc.go.jp/resources/graph_database/images/OSV1098_08_2005.jpg
http://ganjoho.ncc.go.jp/resources/graph_database/images/OSV1099_08_2005.jpg

こうなると殺人罪にあたりませんかね?

もう、安ければ良いという考えは捨てた方が良いかもしれませんね。
安全が一番ですよ。



つづく

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2008年05月31日

東京に行って驚いたこと2

東京は暑かったねえ

というわけで久しぶりに東京に行って驚いたこと、ぱーと2です。

★秋葉原が自分の知ってる町ではなくなっていた。

★有楽町が一変し歩行者天国になっていた。

★中国人や、韓国人に、同じ国籍だと思われてしまい、わけのわからない言葉で話しかけられてしまった。

★電車の中で、小さなDVD画面で映画をみながら通勤している人がいた。

★就職1年生らしき人たちが、慣れないスーツ姿で、いっぱいウロウロしていた。

★国会議事堂に修学旅行生が大勢来ていたが、鹿児島の中学生が、津軽(?)の中学生とが、わけわからん言葉で喧嘩していた。
 いや、仲良く会話していたのかもしれない。
 どっちにしろ、言葉がわからない。

★月・火曜日は晴れていたが、水曜日に雨になり、急に涼しくなった。
 これほど雨に感謝したことはなかった。

★雨の水曜日、いつものように国会図書館に行くために国会議事堂の前を通りかかったら、例のごとく修学旅行生が大勢来ていて、しかも全員が傘を差しているので、道がふさがれて前進できなくなった。先生方も、添乗員さんも、道を空けるように交通整理しなかったために、私をふくめ、大勢のサラリーマンたちが立ち往生し、
『遅刻する』
と切れているサラリーマンまであらわれた。しかし、誰も修学旅行生には刃向かえなかった。

★国会図書館は、本を借りるカウンターと、コピーをとる場所が、100メートルくらいはなれていて、しかも、量によっては、300メートルくらいはなれている別の階のコピー室まで行かなければならない。おかげで私は、1日に何十キロも走り回るはめになるのであった。

★国会図書館は、本を借りるカウンターと、コピーをとる場所が、どうして、ここまで離れているのか謎である。ひょっとして、本を借りる人の健康を気づかっているかもしれないと考えた私は、万歩計を買ってきて、1日何歩あるくか調べてみた。すると、1万歩どころか2万歩くらい歩いていることがわかり、大笑いしてしまった。

つづく

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2008年05月30日

久しぶりに東京に行って驚いたこと

久しぶりに東京に行って驚いたこと

★東京駅に1時間100円のコインロッカーがあった。

★東京駅にコインロッカーに荷物と金を入れて住所を入力する宅急便があった。

★東京駅にマイ私書箱(月2000円)があった。

★東京駅が改装中だった。

★東京駅で道が分からずにウロウロしてたら親切な外人が地下鉄丸ノ内線の改札まで連れて行ってくれた。

★丸ビルと新丸ビルが無くなっていた

★ゴム長靴を履いている人がいっぱいいた

★地下足袋のようなハイヒールを履いている人がいた

★やたらに大勢の修学旅行生がいた。
★修学旅行中の生徒たちに学校の先生らしき人が、
『男子は混んでる電車に乗るときはかならず吊革につかまりなさい』
と変な注意をしていた。

★なぜか野菜ジュースのスタンドに行列が出来ていた。
★試しに飲んでみたら生あたたかったので
『冷たくないじゃん』
と文句言ったら
『冷凍物ではなく生ですから』
と言われ、妙に納得して飲んでしまった。
そのうえ美味かったのでおかわりしてしまった。

★電車でパソコンのようなキーボード配列の携帯を使っている人がいた。

★吉野屋を貸し切って牛丼をかっくらっている女子高生をみてしまった。しかもビールのようなものを飲んでいた。

★携帯で自動販売機のジュースを買っている人を発見し、たまげてしまった。思わず、自分もやろうとしたが、わからなかった。

★携帯でワンセグテレビを見ようとしたら、アンテナを持ってくるのを忘れてしまったみれなかった。

★ユースホステルで韓国人に電子レンジの使い方を使い方を教えたら、すごく感謝された上に、レトルト御飯である『サトウの御飯』をとても美味しい御飯だとほめていた。どうして、おれが佐藤だとわかったのだろうか?

つづく

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2008年03月13日

明日はホワイトデー

明日はホワイトデー

明日はホワイトデーですが、
なんと
ホワイトデー公式サイト
というものがあるんです。

http://www.candy.or.jp/whiteday/index.html

しかも連絡先が

全国飴菓子工業協同組合 ホワイトデー委員会 事務局
株式会社 みやこ飴本舗内
〒183-0051 東京都府中市栄町3-28-12
TEL:042-363-2551 FAX:042-368-1200
担当者携帯 090-4938-2030

ということです。
で、なんで
全国飴菓子工業協同組合
かと言いますと、

「日本で一番古くから残っている文献で、キャンデーの起源を調べてみると、3月14日の前後3日ぐらいずれた日付になっているんですよ。旧暦の日付だから、ある程度のずれはあるわけですが、とにかく日本のキャンデーの誕生した日という意味があることがわかったのです」

という話らしいです。
さらに

「“愛する人にチョコレートをプレゼント”のキャッチフレーズで業界に定着したバレンタインデーに対応して、全国飴菓子業協同組合が「ホワイトデー(3月14日)はキャンデーの日」と決定したのが1978(昭和53)年6月のことでした。そして、80年3月には全飴協・関東部会が第1回のホワイトデー“愛にこたえるホワイトデー”を実施し、現在にいたっています」

「昭和44年ごろから、当時の全飴協の木戸脇太郎理事長が中心になって、組合参加の各メーカーとともに、「キャンデーの需要拡大をはかるには、どうしたらいいのか」ということで、いろいろな方法を模索していたんです。当時も、メーカーによっては、細々とホワイトデーのキャンペーンを行っているところもありましたが、単にバレンタインデーのお返しにチョコレートを返そうというくらいのレベルでした。しかし、結果的にはそれが我々に、「ホワイトデーキャンペーン」をはじめさせる、契機となったしだいでして‥‥。「バレンタインデーにチョコレートをもらって、同じ物を返すのも意味がなかろう。我々は、キャンデーが得意な分野なんだから、チョコレートではなくキャンデーを贈る日にしてみたらどうだ」というような意見が、組合内で出てきたんです」

という事らしい。


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2008年03月12日

花粉症

さっき軽井沢で会食したのですが、
花粉で鼻じゅるじゅるになってしまいました。

ここで不思議なことは、
なんで軽井沢に花粉があって
北軽井沢に花粉が無いのかってこと。
まあ、まるっきり北軽井沢に無いということでは無いんですが
信じがたいくらい症状が和らぐことは確かです。
どうしてですかね?

杉が無いせいですかね?
やっぱり雪のせいかな?


ともかく、この時期は北軽井沢から出たくないですね。
と、思っていたら、
意外な伏兵が・・・・・。
東京からやってきた御客様が、
花粉をジャンジャン運んできました。

てな訳で、空気清浄機ふる稼働。
そしてウエットワイパーで掃除。

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2008年03月04日

キャベチュー(酎)発見

キャベ酎発見


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ee002.JPG

味はブランデーのような感じで
ほんのりキャベツの甘い香りがします。


つづく


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2008年02月06日

毒入り餃子事件に思う

毒入り餃子事件に思う

久々に業務用スーパーに行ってみたら
ペンションオーナーたちが血相をかかえていました。
なんでも中国製の冷凍食材に毒が入っているらしいとのことで
返品やら在庫確認におわれていました。

ほら、いわんこっちゃない。
だから中国製は・・・・。

それにしても、酷い話ですね。
おきてしまったことは仕方ないとしても
(仕方なくはないんだが)
その後の中国政府には、本当に頭に来ています。
もうちょっと、人の命を考えてほしいです。
これじゃ、医食同源どころか、殺食同源じゃないですか!

JTフーズにしても、Aコープにしても、
もう少し慎重に生産管理してくださいよ。
たのみますよ。

ちなみに中国製の食品による実害が、
世界中で大発生しているのは有名な話です。
しかし、日本では、何故かマスコミに出てきません。

アメリカ政府では、対抗策として
中国に所在する製造元を刑事犯として起訴してます。
見習いましょうよ。

この事件は、政治からきっぱりと切り離し、
司法の場に持ち込む方が、解決の近道ですよ。

日本国の刑法でも、国内で起きた傷害事件は
国外犯であっても罪を問うことができます
(刑法第三条の二)


事件性がある場合には、政府が表に出るよりも、
独立性が保障されている司法サイドに任せた方が賢明だと思います。



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2007年05月11日

日本愛妻家協会にかかわって 01

日本愛妻家協会のゆくえ 01

日本愛妻家協会というものがありますが、
その仕掛け人は、山名さんという博報堂の方です。

山名さんは、奥さんに逃げられた(離婚)ことにショックをうけ、
親友のキャンドルアーティストの小泉さんのもつ別荘で静養しました。
その別荘は、北軽井沢ブルーベリーYGHのある嬬恋村にありました。

嬬恋村は、「妻に恋する村」と書いて嬬恋村です。
ここで山名さんは立ち直り、日本愛妻家協会をたちあげ、
嬬恋村を日本愛妻家協会の聖地として認定したわけですが、
嬬恋村も呼応して、日本愛妻家協会聖地委員会を設立。
私が、広報部長として、ホームページなどを制作しました。

http://www.kazeno.info/aisai/

そしてキャベツ畑で奥さんに
「大好きだよ!」
と、叫んだりするイベントを次々と企画したりしました。
ここまでは、よかったのですが、

調子にのってる私の
脳天を砕いてしまう大事件が
起こってしまったのでした!


それは、何かといいますと・・・・・・。


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2005年07月16日

旅人的生活の方法

旅人的生活の方法

 スワヒリ世界では、特定の所用のための遠出のことをサファリといい、所用を伴わぬ遠出のことをテンベアと言って区別しています。これは私たちが「出張(所用)」と「旅行」とを区別しているのと同じです。どちらも空間的移動には違いありませんが、サファリとテンベアも、出張(所用)と旅行も、あきらかに違うことを私たちは知ってます。

uvkk1007.JPG

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2005年07月10日

風のたより

『風のたより』

北軽井沢ブルーベリーYGHは、『風のたより』という旅の仲間が母体になってできた宿です。『風のたより』とは、「手紙を通じて心のふれあいを求める」ことをめざし、山に登ったり、歩くスキーをしたりと、外で体を使う活動をしているグループです。

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 一見すると遊び仲間のように見えますが、ちょっと違うかな?

 というのも「90歳になるまで親しい有人でいよう」という主旨があるからです。この主旨を達成するのは案外難しいものです。単なる遊び仲間では、とても無理があるからです。共同で社会的に意義のある活動をしていかないと、とても続きません。

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 だから、富士山を海抜0メートルから登ったり、東海道五十三次を駅伝したり、古いママチャリで東京〜大阪を走ったり、阪神大震災に救援に駆け付けたり、震災マニュアルを作ったり、手話を習ったり、肢体不自由な友人を山に連れて行ったり、貴重な自然の残る知床の自然調査をしたり、縦走ルートのない知床や佐渡島の探検をしたり、本を作ったりと、さまざまな活動を行なっています。

 と、偉そうな事を書いていますが、
決して敷居は高くありません。
 ぜひ1度遊びに来て下さい。

00aa106.jpg

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2005年04月19日

ちよっと良い話

ちょっと、良いことが書いてあった本があったので、一部を紹介したいと思います。

渡部昇一教授の記憶の法則より抜粋

「記憶」と「年輪」は家庭円満の両輪親孝行と同じく結婚についても、かつては日本人に固有な思い入れのようなものがあったと思う。ところが昨今では、結婚よりも離婚について取り沙汰されることが多くなっている。

事実、離婚率は、1990年代に入って増加の傾向が著しく、最近では、年間約五万件にも達し、その後も増え続けている。成田離婚や箱崎離婚が当たり前になっているようなのである。単純計算すると、これはおよそ十分に一件の割合で離婚が起きていることになる。バツイチなどという言葉さえ生まれ、世は離婚花ざかりである。

だが、いくら離婚してみても、何度結婚してみても、結婚というものがどのようなものかはなかなかわからない。普通の物事は経験を積めば積むほど、その本質や実体がわかるものなのだが、こと結婚に関しては違うらしい。むしろ逆で、五回結婚した人よりは一回こっきりの人のほうがよくわかるのではないかと思う。

なぜ、そうなるのだろうか。それは、結婚生活というものが記憶の積み重ねで成り立つものだからではないかと思う。

私の家内は、髪にそろそろ白いものが混じり始め、しわくちゃとまではいかないにせよ、老婦人の雰囲気を十分に漂わせる年齢になってきている。けれども結婚した時の記念写真を見ると、今の姿形からは想像もできないくらい、ふっくらとしてういういしい乙女なのだ。すると、その当時から今に至るまでの、何十年もの時間の重みがひしひしと伝わってくるのである。さまざまな記憶がふつふつと湧いてくる。そして、この積み重ねを共有することこそが、結婚生活なのだと私は思う。

何回同棲しても、
また、結婚、離婚を繰り返しても、
このような時間の重みは得られない。

共有する時間も短く、
記憶も寸断されて、
積み重ねるものがなくなってしまうからだ。

私の知人の女性学者が、はからずもそのことを裏づけてくれた。彼女には子供が二人ほどいるらしいのだが、ある時、何気なく、過去のアルバムを整理し始めた。

子供たちがまだ小さい時分の写真を見ているうち、当時自分もまだ駆け出しの学者の卵で、子供と悪戦苦闘しながらとにもかくにもしゃにむに生きてきたその頃が思い出されて、涙が止まらなくなったというのである。

その話を聞いた時、そういえば私の家内も同じようなことをやっていたと思い至った。家内も子供たちのアルバムを見ながら、最初のうちは、「こんな顔している、あんな格好している」と笑っていたのだが、そのうち、「こんなにちっちゃな時もあったのね」とつぶやきながら、涙ぐんでいるのである。

三人の子供たちはみな成人して、私たちにはもう孫もいる。その孫と同じぐらいの年齢だった子供たちの姿をアルバムでたどるうちに、過去の記憶がどんどん蘇ってきて、思わず涙が出てきたのであろう。この思いの蓄積を共有できるのが、夫婦というものなのである。そこでは、過去の記憶とそれをたどってきた年輪とがぴったりと重なり合うのだ。

ここが、同棲などとは決定的に違うところだと思う。そして記憶と年輪とがかみ合った夫婦というのは、円満な家庭を築いてきたものなのである。気が合ったから一緒になって、嫌になったら止めてしまう、などといった安易な結びつきとは違うのだ。

例外もあるから全部が全部というわけではないのだが、私の知っている企業の経営者、とくに中小企業の経営者の多くは、景気がよくて儲けていた時分、女房とは別に、愛人といえる女性を身近に置くということが普通にあった。当時、彼らの多くは、古女房などより若いこの愛人のほうがよく尽くしてくれるなどと悦に入っていた。なかには、老後は彼女に面倒を見てもらうなどと宣言した人もいたくらいである。

だが、私の知っている限り、全部失敗している。やはり彼女たちは、男のほうに金や社長という肩書きがあるから愛人になっただけなのである。不景気になって会もままならなくなればそれまでである。ましてや、引退したあとの老後の世話など始めから念頭にはない。そういう素振りでも見せようものなら、すぐさまおさらばしてしまう。

これに対して、古女房たちはどうなのか。彼女たちは、社長たちがまだ若く、海のものとも山のものともつかない時分のことを知っている。多少の学歴と多少の財産がある程度で、その他何もないところからのし上がってきたとか、あるいは、そういうものも何もなく、ただ押しの強さと運を頼りに人生を切り開いてきたという、全くの下積み時代から知っているのだ。 知っているというよりも、苦しい時代を二人して乗り切ってきたといったほうがいい。それゆえ、二人の記憶が濃厚なのだ。過去からの記憶の重みを共に背負っているのである。

だから不景気でうまくいかなくなれぱなるほど、また、年を取れば取るほど、その時代の記憶が蘇ってくる。記憶の一つの法則に、昔のことはよく覚えているが最近のことは忘れやすいというのがある。こうして、古女房たちが復活するのである。

俳優の三船敏郎もそうだった。彼は離婚して若い女優と一緒になった。ところが、彼が、ぼけると、この若い奥さんは逃げてしまう。そして結局、昔馴れた最初の奥さんが彼の世話をすることになる。

これなどは非常に極端な例だとは思うのだが、やはり、老妻は重んずべしの典型的な例であろう。

昔習った『十八史略』の東漢光武帝のところに「貧賤ノ交ハリハ忘ルヘカラズ、糟糠(そうこう)ノ妻ハ堂ヨリ下サス」というのがあった。

「糟糠の妻」とは、貧乏でかすやぬかしか食うものがなかった頃の妻である。そういう妻は自分が偉くなって御殿に住むようになっても、側において大切にせよという意味である。
三船の話に戻ると、彼自身はぼけていてどう思っていたのかはわからないが、奥さんの側からしても、二人の若い頃の記憶が濃かったのだと思う。

三船が若い女をつくった時には、殺してやりたいくらい憎らしかったかもしれない。けれども、年がたつにつれて、若い頃の記憶が蘇ったのではないか。そこでの三船敏郎は、彼女にとってはいい男だった。

だから、捨てられるというひどい仕打ちを受けながらも、老後の世話をしたのではないか。三船にとってみれば、若い頃の自分の価値を記憶に残せたことが幸いしたといえるかもしれない。

結婚もそうなのだが、人生は記憶だと考えると多くのことが理解できる。自分の人生はいったい何なのだろうと考えてみても、要するに記憶の連続こそが人生なのであって、そのほかには考えようがないことに気づくのである。

遺産相続といった、一見、記憶とは関係ないようなことでも、人生を記憶という視点からとらえるとわりと簡単に説明がつく。

なぜ、親は子供に相続させたいのか。 たとえば、私のなけなしの財産を、今の時点で遺産相続させるとする。私にとって今、一番役立っている人物は誰かというと、家内をのぞけば、仕事上では秘書で、その他のことでは家政婦さんということになる。子供たちはどうかというと、これはみな独立した大人になっていて、今や昔のようにかわいらしくも何ともないし、今の私の役に立っているわけでもない。

これらの事情を考え合わせた時、では、役に立っている秘書と家政婦さんに遺産の一部でも相続させるかというと、決してそうはならない。どうしてなのか。それは、血がつながっているとかいないとかということではなく、私の中の記憶がつながっているかどうかの問題だからだ。記憶のレベルの問題なのである。

子供たちは、まだ赤ん坊のヨチョチ歩きの時から、だんだん大きくなって、どうにかこうにか小学校に入るようにまで育てた。そして、夏休みには山や海へ連れて行ってやった。さらに中学校の時はこうで、高校、大学の時はああで、という具合に、大きくなってきた記憶として子供は私の中に存在している。これに対して秘書や家政婦さんは、たかだかここ数年の記憶にしか過ぎない。記憶のレベルが低いのである。

だからこれらの人たちは、今どれだけ役に立っていても、私の遺産相続の対象とはならないのだ。外国では二、三十年も秘書をやってくれた人に財産を譲るということがあるようだが、これは、長く勤めれば「記憶の問題」となるからであろう。遺産を子供たちに相続させたいというのは、親としては普通の感情だろうが、その根底には、このように人生を記憶の連続としてとらえる考え方があると思う。

親のこの思いをいいことに、子供たちが親孝行しなくなった点については、前に述べた。いずれにせよ、子供たちは親にとって記憶のレベルが高い存在であることには違いない。だからこそ、私たちの中では価値があるのだ。

「忙しくてたいへんな時なのに、私のために」

が効く夫婦についても同じことがいえる。記憶の重みのある夫婦、つまり、記憶のレベルが高ければ高い夫婦ほどうまくいく。そういう点では、自分が輝いているうちに、いい記憶をつくることが夫婦円満の秘訣ということになる。つまり、男の立場からすれば、忙しく働いている時にこそ、無理して時間をつくり、女房のために尽くしてみるということだ。

何だかんだいいながらも、デレツとして暇をもてあましている時よりも、忙しく駆けずり回っている時のほうが、男は輝いて見えるものだ。そしてそういう時に、無理に時間をつくってカミさん孝行しておくと、これは彼女たちの記憶に残る。

「仕事が忙しくてたいへんな時なのに、私のために」

という感謝の気持ちが残るのだ。だから、ある程度は恩着せがましくやってもかまわないと思う。

「本来なら休めないところなのだが、お前もくたびれているだろうから、ちょっと旅行へでも行こうか」

というのである。なにも大仰なことでなくてもいい。海外旅行である必要もない。夏休みや正月の休みを利用して夫婦二人で温泉へ行くとか、国内のパック旅行へ行くという程度でかまわないのだ。ちょっと余裕があるならハワイ旅行もいいかもしれない。

要は、忙しくて本当に時間がないような時に旅行するということだ。"あの忙しがりやの亭主が""忙しい忙しいばかりの亭主が私のために……。というニュアンスが大切なのだ。

だからこれは、若い時分でなくてもかまわない。五十代になってからでもちっとも遅くはないのである。

覚えておいてほしい。女房から見れば、亭主が忙しがって働いている時が一番輝いて見えるのだ。この輝いて見える時に、いい記憶をつくっておくことが大切なのである。

よく、テレビや雑誌などで、退職後はカミさんに大々的なサービスをすることが、さも美しい夫婦愛のごとくに紹介されたりしている。それはそれで結構なことには違いないのだが、あまり意味はないということは知っておいてもいいだろう。

なぜなら一つには、いくら地位のあった人でも、退職して暇になってしまえば、女房から見れば輝きが薄れてしまうということ。そしてもう一つは、記憶の法則で、年を取れば取るほど、昔のことは思い出すけれども、最近の出来事は忘れてしまうからだ。

いくら大盤振る舞いして女房孝行しても、それが退職後の年を取ってからのことだと往々にして忘れられてしまい、記憶として残っていかない。これでは何にもならないのだ。だからこそ、記憶の重みとして残る、まだ若い時分にしておくことが大切なのだ。

しょっちゅうやる必要はないが、五年に一度とか、それぐらいの頻度でかまわないから、一週間ほどカミさんのために休みを取るのである。ただ、その際に注意しなければならないことは、旅行へ行くのなら奥さんの知らない土地か、あるいはそれほど詳しくない場所を選ぶことだ。とくに海外へ行くような場合には、カミさんが詳しいところだと、最初のうちはいいとしても、だんだん亭主が邪魔になってくる。せっかく休みを取って連れてきてやったつもりが、気がついてみたらあわれな〃濡れ落ち葉族。になっていたということにもなりかねない。

また、女房が英会話などのスクールなどに通っていたりして外国語がしゃべれる場合には、もっと要注意だろう。亭主がしゃべれなけれぱ、女房のお尻にくっついているより仕方がなくなる。外出するたびにうるさい存在になってしまい、結局はケンカするはめにもなりかねない。このようなことになるくらいなら、温泉にでも行ってゆっくりするほうがずっと効果的である。

「一番近い人」

だからこそ折り目正しくが鉄則夫婦円満のためのもう一つの方法は、相手に対しては礼儀正しくするということだ。私もあまり実行していないので、勧める資格はないかもしれないが、カミさんには他の誰よりも礼儀正しくしなければならない。あまりにも当たり前のこと過ぎて、まじめに考えたことなどないかもしれないが、夫婦にとって一番大切な人間は、当の相手以外の誰でもないのである。たとえば近所の人とトラブルが生じてケンカになったとしても、ある意味ではどうということはない。痛くもかゆくもない。嫌なら顔を合わせなけれぱすむからだ。

ところが、夫婦となるとそうはいかない。毎日顔を合わせなければならない。だから、ほんとうは礼儀正しく接して、大切にしなけれぱならないのである。このあたりのことを孔子は『論語』の中で、「夫婦別あり」といっているのである。夫婦といえども、折り目正しく接しなさいというわけだ。

頭ではわかっていても、実際にはこれがなかなかできない。けれども、夫婦円満のためには、時々でもいいからやさしさを見せ合うことが大切だと思う。それが礼節なのだ。たとえ心からやさしさを発揮できなくとも、その努力はする必要があるだろう。毎日ではくたびれるから、十日に一度ぐらいはお互いに大切にし合う。

そうすれば、長い問には、これが記憶として残っていくのである。記憶のもう一つの法則に、いいことだけは覚えているということがある。不愉快なことは忘れてしまうが、いい思い出は残るのだ。最近、熟年夫婦の離婚が多くなっているようだが、それもこれもみな、忙しさを口実に夫婦二人の良い思い出をつくってこなかったからではないだろうか。ちょっとしたやさしさでもかまわないから、たまには奥さんに見せることだ。若い頃からのその積み重ねが記憶として残り、それらを共有していくことにこそ、夫婦の意味がある。夫婦というのも人生と同じく、共有した記憶以外の何ものでもないのである。

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