2006年10月01日

シルマン伝までの経緯1 伝記が無い?

シルマン伝までの経緯1 伝記が無い?

 出版までの経緯を述べるのは、簡単ではありません。しかし、一部のユースホステル関係者、およびユースホステルマネージャーには、5年前からの周知のことであったと思います。

 そうです。
 あれは5年前のことです。
schirrmann-005.jpg

 私が北軽井沢ブルーベリーYGHを開業した年は、日本ユースホステル協会五十周年記念の年でした。そして、東京の国立オリンピック記念青少年総合センターでラリーが開催されていました。

 ユースホステルの経営者は、ラリーへの参加義務がありました。私は、ユースホステル運動の研究部会に参加しました。その部会は、上田まほろばユースホステルのマネージャーである斉藤さんと五十年史編集委員の磯野さんが中心になってやっておられました。
 そこには、今回、シルマン出版を応援してくれている、遠野ユースホステルのマネージャーや、トイピルカ北帯広ユースホステルのマネージャーさんも一緒に議論されておりました。お二方は、覚えておられるでしょうか?

 議長は、今回のシルマン伝の出版において大変御世話になりました、日本ユースホステル協会の五十年史編集委員の磯野さんでした。ところが、その部会で磯野さんが、

「日本にはユースホステル運動を提唱したリヒャルト・シルマンの伝記が売られていません」

とおっしゃいました。正確に言えば、一九六三年に日本ユースホステル協会が出版した『ユースホステルの祖父 リヒャルト・シルマン』だけで、それも日本ユースホステル協会に数冊残っているだけだと聞きました。正直申しますと、その時の私は、
『リヒャルト・シルマンって、いったい誰よ?』
とシルマンについて全くもって無知だったのですが、それはともかく、

『仮にも世界の80ヶ国に約5500ヶ所の施設がある世界最大の宿泊ネットワークを作ったユースホステル運動の創始者の伝記が無い』

という状態が、本当に、ありえるんだろうかと思いました。落ちぶれつつあるとはいえ、2001年当時国内に13万の会員があり、国内に300以上の施設があるのです。その創業者の伝記がないと聞いて驚くなという方が無理です。
 ショックを受けた私は、磯野さんに、自腹を切って一九六三年に日本ユースホステル協会が出版した『ユースホステルの祖父 リヒャルト・シルマン』を復刻出版したい。それをユースホステル協会に寄付したいと申し出ました。

 すると磯野さんは、あとで事務所にいらっしゃいとおっしゃいました。


posted by マネージャー at 15:32| Comment(0) | TrackBack(2) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月02日

シルマン伝までの経緯2 難航する調査

シルマン伝までの経緯2 難航する調査

 私は、日本ユースホステル協会の事務所に飛び込み、日本ユースホステル協会にある資料をかたっぱしから借りてコピーしました。また買えるものは全部買いました。
『日本ユースホステル運動五十年史』
を編纂した磯野氏にも、お話を伺いました。

 また、日本ユースホステル協会の事務局の小俣さんに一九六三年に協会が出版した『ユースホステルの祖父 リヒャルト・シルマン』をホームーページなどに公開して良いかと打診したところ、営利活動でなければかまわないと、好意的な御返事をいただきました。この方もシルマン伝の必要性を感じているのかと思いました。

 さっそく自宅に帰って『ユースホステルの祖父 リヒャルト・シルマン』テキスト文字に変換し、ホームーページに公開しようと思ってみたら、ヨーロッパの歴史的な知識が不足している日本人には、理解しにくい部分があることに気がつき、その作業を中止しました。

この本を日本で出版しても良いのだろうか?

という素朴な疑問が湧いてきたのです。

 この本の著者は、リヒャルト・シルマンについて、ある種の距離を置いているなという雰囲気を漂わせていました。それからドイツ史に対するある種の偏見があるというか、イギリス的な見方があるというか、シルマンの業績について、ドイツ史的な視点立って書かれていないのが、ものすごく気になりました。

 つまり、イギリス人のフィルターがかかっているのです。
 それは、ドイツ史に無知な私にも充分に察知できました。

 それから、この本には、日付などの間違いがあったり、著者または訳者の勘違いと思われるところもありました。

outward_el.gif

 例えば、昭和19年5月にシルマンたちがアルテナ城に結集したのが、ノルマンディー上陸1ヶ月後と書いてありましたが、1ヶ月前の間違い(または誤訳)であることは、多少戦史を知っている者なら誰にでもわかることですが、これを復刻出版したばあい、間違いを直して復刻すべきか、それとも、そのまま出版して、注釈に間違いであることを正すのか、迷いました。

前者なら資料の改ざんになるし、
後者の場合、読者のポテンシャルに水を差します。


 他にもモンロー・スミスとシルマンが出会った年月を数年も間違えていたり、ドイツの歴史的事情を無視して評価を書いたり、クリスマス休暇事件の背景を無視していたり、プロイセンについてふれてなかったり、ドイツの教育システムについて、最低限のことを抑えてないことに不満がありました。

 そこで、復刻出版を中止し、シルマンについて、もう一度、自分で調べ直すことにしました。しかし、これが、ものすごく難航しました。というのもシルマンに関して日本語に翻訳された資料が極端に少なかったからであり、私自身が、ドイツ語も英語もできなかったからです。

 例えば、シルマンの生まれたハイリゲンバイル郡のグルネンフェルトと言っても、さっぱり分かりません。地図をあたってみても場所が特定できないのです。というのも、その土地は、東プロイセンからポーランド領になっており、現在はポーランド名である Gronowko に変更されているからです。

 こんなことも語学ができないために調べ上げるのに何日もかかりました。ようやく位置を確認し、やっとシルマンの生まれた土地が、内陸なのか、海のそばなのか、平均気温は何度なのかということが分かりました。

 それからシルマンが生きた時代のプロイセンの文化や民俗、そして教育制度も、ある程度理解するまで時間がかかりました。

 とにかく資料がありませんでした。最初は、あたりをつけてインターネット書店で購入しましたが、これでは駄目だと観念して、北軽井沢から東京に上京し、財布と相談しながらかたっぱしから買い集めました。絶版になった本は古本屋にたのむか、国会図書館に日参してコピーをとり続けました。

 インターネットによる調査も難航しました。ドイツの人名・地名は、マイナーすぎて検索に出てきません。時間がとれたら私が、ドイツ関連の資料を整理してホームーページに公開したいと思ったくらいです。幸いなことに私は昔、ドイツを旅したことがありましたので、その時の記憶だけがたよりでした。
posted by マネージャー at 15:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月03日

シルマン伝までの経緯3 失敗した連載

シルマン伝までの経緯3 失敗した連載

 リヒャルト・シルマンについての調査結果は、季刊 『風のたより』という同人誌に連載しました。連載初期は、簡単な伝記物語を数回ほどで終わる予定でした。

 ところが連載がすすみ、シルマンを調査していきますと、『風のたより』に連載したシルマン伝は、致命的な欠陥を持っていることに気がつきました。それは、私自身がドイツのことをよく知らなかったために多くの勘違いをしてしまったことに原因があります。

tour502.jpg

『風のたより』に連載されたシルマン伝は、国際ユースホステル協会が一九六三年に出版した『ユースホステルの祖父リヒャルト・シルマン』を基礎資料とし、ドイツ史を調べたことを味付けした連載でしたが、掘り下げて調べていくうちに、どうしても分からなくなってしまったのです。

 例えば、ヒトラーの登場。何か突然あらわれた感じがするのです。どうして登場したのか、どんなに調べても、さっぱり分かりません。しかし、古本屋で見つけた

『シャハト伝(フランツ・ロイテル著/千倉書房/昭和十三年発行)』

を読むことによって、目から鱗が落ちました。

 シャハト博士は、ナチス政権において、経済成長を推進したことで有名な人ですが、彼の業績よりも、ドイツの通貨問題・賠償金問題・外債問題を通じてヨーロッパがどのような歴史に進んだかということの方に目がいきました。そして

「ああ、こうやってヒトラーが現れたのか」

と分かりかけてきました。そして、いろいろな手がかりが掴めてきました。ヒトラーを支持する者は、どこから現れてきたとか、反抗したのは何者だったのかとかです。

 例えば、最もヒトラーを支持し、ユダヤを迫害したのは、ライン地方の人々であり、逆に最もヒトラーに反抗したのもライン地方の人々でした。では、シルマンの生まれたプロイセンではどうであったか?と言いますと、その全く逆です。迎合もしなかったし反逆もしなかった。ユダヤへの迫害も少なかった。それは統計を見ると一発でわかります。焼き討ちされたユダヤ寺院の数を地域別に調べると一目瞭然なのです。

 こうなると
「シルマンの生まれ育ったプロイセンとは、どんなところか?」
という疑問がわいてきます。

 私は今まで漠然と「プロイセンは軍国主義の国=プロイセン性悪説」をイメージしていましたが、ナチスに焼き討ちされたユダヤ寺院の数を地域別に調べてみると、そんな単純なものではないことに気づき、もう一度プロイセンを一から洗い直してみると、今まで持っていたプロイセンのイメージがガラガラと崩れてしまいました。

 しかし、これは無理のないことだったと思います。プロイセン性悪説は、司馬遼太郎をはじめとする日本の歴史小説の通説でしたし、あの西ドイツでさえ、戦後まもなくの間、第二次大戦の原因をプロイセンになすりつけていたからです。しかし、プロイセンに関する専門書をよく読むと、それは冤罪であることに気がつきます。

 その結果、『風のたより』のシルマン伝の構成を大幅に変更せざるをえなくなりました。そして連載にドイツ史を大幅に導入しました。第一次大戦についても大きくふれてみました。

 しかし、すでに書いてしまった連載部分をどうするかが問題でした。どのように継ぎ接ぎすれば良いのだろうかと真剣に悩みましたが、前提が変わった以上、いろいろ工夫してみたのですが、どうしても書き換えは不可能でした。シルマン伝の連載した時のテーマと、違うテーマになってしまっているからです。

 私は、『風のたより』に連載を始めたときに、漠然とドイツ統一からワンダーフォーゲル運動が生まれ、そこからユースホステル運動が生まれたと思っていました。ところが詳しく調べていきますと、ワンダーフォーゲル運動とユースホステル運動は、それぞれ別のコンセプトから生まれていました。

 また、ユースホステル運動には、シルマンの個性が大きく影響しており、その前提としてプロイセン地方の文化風習が欠かせないこともわかりました。その結果『風のたより』のシルマン伝を全て書き直さない限り、解決がつかないという結論に達しました。

「よし連載を停止し、シルマン伝を自費出版しよう」

tour518.jpg

 私は、シルマン伝を一から全部書き直して自費出版する決意をしました。2006年は、日本におけるユースホステル運動55周年。リヒャルト・シルマン御逝去から45周年。この記念すべき時を前にして、リヒャルト・シルマン伝を自費出版することになりました。

 本の内容は、『風のたより』に連載されたものと全く別物になっています。違う視点で書き直してあります。そのさいに参考として

『若き教養市民層とナチズム(田村英子)』
『ドイツ青年運動(ウォルター・ラカー)』
『ワンダーフォーゲル入門(大島鎌吉)』

などの資料を特に重視してあります。テーマも内容も大幅に変えました。ユースホステル運動は、ワンダーフォーゲル運動の延長ではなく、一種の国民運動と捉えなおしました。

 しかも、その国民運動はナチスに強奪され利用された悲劇が、新しいシルマン伝を書く上でのテーマになると思いました。

 逆に言うと、ナチスが何故、あれほどドイツ国民に熱狂的に支持されたかも、今の私には、おぼろげながらに理解できます。ナチスは、シルマンの考えたユースホステル運動のノウハウをたくみに盗み取って、自分たちの政権維持のために利用し、シルマンを追い払ったからです。

posted by マネージャー at 15:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月04日

シルマン伝までの経緯4 プロジェクトX

シルマン伝までの経緯4 プロジェクトX

 自費出版にあたって二十社くらいの出版社に見積もりをとりました。2006年6月のことです。

 時間があれば、持ち込み原稿として費用をかけずに出版社に出版してもらいたかったのですが、時間がありませんでした。どうしても、2006年8月26日のシルマンデーに間に合わせたかったからです。

 2006年6月に決意したばかりで原稿はできてませんから、原稿を書くのに2週間かかったとして、原稿が完成するのが、6月末。それから出版社を回ったとして、うまくいって半年後、下手したら1年後になります。2006年8月26日のシルマンデーに間に合うわけがありません。これに間に合わせるには、自費出版でないと無理なのですね。

 そこで二十社くらいの出版社に見積もりをとりましたが、分かったことは、自費出版であっても、必ず審査があるということです。つまり、いくら金を積んでも基準値に達してないものは、出版できないということでした。

 それから費用の面でも多くの資金がいることがわかりました。私の原稿は、最初、350ページに達するものでしたから、見積もりをとると平均して200万〜300万という高額なものになりました。そのうえ大手出版社の場合、制作期間を三ヶ月以上要するところばかりでしたから、どこを選んでも8月26日のシルマンデーに間に合いませんでした。

 そこで、最後の手段として古い友人の集まりである『風のたより』の仲間に声をかけ、彼らのノウハウを利用して8月26日のシルマンデーまでに本を作ることにしました。私をのぞく幸い4人が参加協力を申し出てくれました。

makiba34.jpg

 まず、350ページの原稿の内容を削ることから始めました。不要と思える箇所をどんどん削り、中身をどんどん薄くしました。文章も簡潔にし、要点を絞りました。
 それでも、300ページ近く残っていたので、行組みを多くしました。一般的に本は、一行40文字×16行が基準となります。これを一行45文字×19行にしてページ数を減らし、読みにくくならないように、たくみに句読点や改行を工夫しました。空欄スペースも、どれが適切か、五十回近く印刷しては検討しなしました。


 原稿は、文章の完成度より、読みやすさを優先しました。読者を高校生に想定し、難しい表現を避け、わかりやすい易しい言葉を使いました。「だ、である」調ではなく、「です、ます」調で文章を書き、なおかつ1ページでも減らすように簡潔にまとめました。ページが増えると、予算も増えるからです。そして、なんとか232ページまで減らすことに成功したのが、7月中旬。

シルマンデーまで、1ヶ月のタイムリミットが迫っていました。

 その間、宿のことは全て家内にまかせっぱなし。私は、原稿書きに忙殺されホームーページの更新も、ツアーにも出かけず、北軽井沢ブルーベリーYGHの御客様をジャンジャン逃がしていました。開業以来最悪の営業数字を記録する中、もっと最悪なことに、夏のヘルパー(ボランティアスタッフ)が全くいなかったのでした。

 いや、正確にいうと陳さんという台湾のヘルパー希望者が一人だけいましたが、外国の人を採用したことが無かったために私の不安は募りました。結局、この陳さんが、日本人以上に勤勉だったために、こちらは大助かりだったのですが、北軽井沢ブルーベリーYGHは、毎年4人以上のヘルパーさんが、必死になって働いて、ようやくまわるのに、これでは、どうにもなりません。私は、御客様を減らす決意をしました。

 そして日本ユースホステル協会にメールでシルマン伝出版許可のメールをしたのが7月28日。タイムリミットまで、あと28日を切っていました。

tour506.jpg

 日本には、言論の自由があります。誰がどんな本を出そうが自由なことは確かなはずですが、いくら個人の自由と言っても、リヒャルト・シルマンのことを書く以上は、日本ユースホステル協会のチェックが必要なのかなと思いなおしました。

 そこで、日本ユースホステル協会にメールしたのですが、運悪く、担当の小俣事務局長が海外出張されていました。また、日本ユースホステル協会側も寝耳に水状態で、突然のことに驚かしてしまい、日本ユースホステル協会の皆様には、たいへん御迷惑をおかけいたしました。

 しかし、この時点では、本を出版するといっても、四百冊くらいしか予定してなく、うち三百冊は寄付を目的にしており、こちら側は、それほど大げさなこととは考えていませんでした。とにかくリヒャルト・シルマン伝が市販されてないという最悪の状況を是正することが第一目標でしたから、
「百冊程度の流通在庫があればいいや」
「どうせ十冊くらいしか売れんだろう」
と安易に考えていました。

しかし、日本ユースホステル協会に出版の打診してみて、思ったより大事(おおごと)なのかもしれないと考え直し、そっそく原稿のゲラ刷りを郵送しましたら、多くの著名な方々から、もったいない御言葉をいただき、たいへん恐縮してしまいました。調子にのりやすい私は、よし、もっと、この本を良いものにして、この機会に、シルマンの偉業を世間にアピールしてやれと思い、仲間と相談しました。

 こうして、コピー印刷(オンデマンド印刷)による限定四百冊発行の予定を中止し、オフセット印刷にわる本格的な出版を行うことを決意しました。こうして四十万の予算は、ふくれあがって百四十万の予算となってしまいました。

 三十万かけて出版用専門フォントや出版デザインソフも購入するはめになりました。資金回収は、とっくにあきらめていましたが、集客減のうえに、増える出費には頭を悩ませられました。

 しかし、ここで問題がおきました。日本ユースホステル協会とのやりとりが長引いてしまって2006年8月26日のシルマンデーに間に合わなくなってしまったのです。

posted by マネージャー at 15:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月05日

リヒャルト・シルマン

 ドイツの名もない一人の小学校教師が、ユースホステルを提唱し、世界中にそのネットワークを広げる基礎を作りあげたことは、あまり知られていません。
 リヒャルト・シルマン先生。
 一九〇九年にユースホステル運動を提唱してから、一代にして世界中に、この運動を広げた人ですが、彼の生きた時代は、激動そのものでした。

schirrmann-002.jpg


 まず、第一次大戦。
 ユースホステル運動は中断し、多くの人々の命が奪われました。
 そして敗戦。狂乱インフレ。全ての財産が一夜にして消滅。
 その後の国家社会主義者(ナチス)による追放。
 そして、第二次大戦と敗戦。
 爆撃と戦闘でドイツは焦土となり世界から孤立。
 ドイツユースホステル協会の国際ユースホステル連盟への復帰は却下され続けました。

 しかし、そういう絶望的な状況下からもリヒャルト・シルマンは、何度も何度も不死鳥のようによみがえり、再起し、コツコツと世界中にユースホステルのネットワークを作りあげていきました。

 リヒャルト・シルマン。

 彼は、英雄でもなければ、天才でもありません。学校を中退したために学歴もなく、これといった才能もない平凡な小学校教師でした。それもドイツ語しか話せない田舎の貧乏教師でした。

 その平凡な教師が、世界中にユースホステル運動を広めたと言ったら、あなたは信じますか? 外国語を話せなかった人間が、世界にまたがるユースホステル運動を、たった一代で展開していった人がいると言ったら、あなたは信じますか?

 そんなリヒャルト・シルマン先生のホームーページ、
 そして本が出版されます。
 詳しくは、下記のサイトをどうぞ。

  http://shiruman.net/

 実は、リヒャルト・シルマン先生の伝記は、何十年も市販されていませんでした。ユースホステル全盛の時代でさえも、シルマン先生の伝記は、絶版となった国際ユースホステル協会のものだけでした。そのために、ユースホステル協会関係者でさえも、リヒャルト・シルマン先生のことを良く知らないままでした。

 これではいけないと思った私は、リヒャルト・シルマン先生の業績を多くに伝えたいと思って仲間数人と一緒に自腹を切って自費出版を行いました。

 予算は140万。百冊も売れれば良い方でしょうから、おそらく大赤字。いや、印刷した本全部売れても赤字です。ははははは。嘘だと思うなら出版社(印刷会社ではないよ出版社だよ)に見積もりとってみてください。きっと衝撃をうけるでしょう。

posted by マネージャー at 12:54| Comment(1) | TrackBack(1) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月06日

シルマン伝までの経緯5 完成

シルマン伝までの経緯5 完成
 シルマンデーに間に合わない。何のために御客様を減らしてまで夏の忙しい合間に努力してきたのか? と一瞬落ち込んだ私ですが、シルマンデーが無理なら、日本ユースホステル協会の55周年記念を発売日にしようと思い直し、どうせなら千部くらい印刷し、300〜500冊くらいを全国の書店に配本できないものかと考えました。

 とはいうももの、いくら金を積んでも300冊も配本してくれるものではありません。取り次ぎ業者が、本の内容を審査して、オーケーがでないかぎり無理なのだそうです。だから大金を支払って500冊を御願いしても、100冊しか配本されなかったということもよくあるそうです。

 また、100冊配本されたとしても、店頭に100冊並ぶかどうかは、微妙なところです。
 ダンボール箱から取り出されないまま返品されることも多いのだそうで、これは、本の委託販売制度と関係あります。

schirrmann-005.jpg

 本の問屋さんは、売れる本と売れない本をセットで委託配本するわけですが、小売りである書店は、売れない本を箱から出さないまま返品してしまうのだそうです。

 そう考えると、仮に『リヒャルト・シルマン伝』を全国の書店に配本してみたところで、あまり意味は無いのかなと思い、最初の計画では、配本予定は無かったのです。

 しかし、委託配本は、初版の第1回きりです。これを逃すと二度と配本のチャンスが無いのです。

 それを考えると、せっかく、リヒャルト・シルマンの名前を全国に知らしめるチャンスがあるにも関わらず、それを使わないというのは、みすみす広報のチャンスを失うようなものだと思いなおしました。

 はたして、この配本が、どれだけユースホステルと、リヒャルト・シルマンの知名度をあげるかわかりませんが、これで少しでも、ユースホステルについて社会へのアピールになればと思いました。

 ここで本音を言ってしまえば、書店で買われるより、事務局から直接買ってもらった方が、少しでも私たちの資金の回収につながります。しかし、それでは、シルマンを広報する意味が無いんですよね。やはり、本は書店に並んでほしいし、普通の人に買ってもらって読んで欲しいのです。たとえ、どんなに赤字になったとしてもです。

tour506.jpg

 ちなみに日本ユースホステル運動55周年記念のイベントは、10月16日です。本は、15日までに全国の書店に配本され、早ければ15日、遅くとも16日に並ぶ手はずになっていますが、本当に並ぶかどうかは、そもそも著者が無名であり、リヒャルト・シルマンという人間も、日本では全く無名なので、全く期待できません。

CQ002.jpg

 それで、もし『リヒャルト・シルマン伝』に興味がある人がおられましたら、どうか書店の人に聞いてみてください。リヒャルト・シルマン伝があるかどうか質問してみてください。質問するだけなら、お金はかかりません。

 もし、配本されていれば、箱から取り出して見せてくれるはずです。そして、パラパラっと立ち読みをして、興味がわきましたら買っていただけると嬉しいです。

 最初から買うつもりのある方は、書店に注文してもよし、web書店で検索されて買うもよし、事務局への購入予約フォーマットから注文してもよし。どういった買い方でもよいと思います。

 発売前に、手に入れたい方は、事務局に注文した方が、何日か早く手に入ると思います。事務局に本が届くのは、10月10日頃だと思いますので、その数日後には届くと思います。



 最後に感想です。

 本を書き、自分で出版してみて、世の中に、こんな大変なことはないと思いました。

 私は、本を出している人をとても無条件に尊敬します。費用と手間を考えたら本を出すことは、絶対にわりにあいません。

 特に学術書を出している人、
 小松政夫じゃないが、
 あんたは、偉い!
 たとえ大学教授であろうと、
 仕事でだしている人であっても、
 趣味ででしている人でも、常人のなせる技ではないと思いました。

 かくいう私も、シルマン伝を出すまでに百冊以上の参考文献を手に入れ、国会図書館でコピー(1ページ30円)しまくりましたが、資料代だけで50万はかかっています。肝心なドイツ語の資料は皆無なのにです。あったところで私にはドイツ語は読めないので、意味は無いのですが、本格的なシルマン伝を書こうと思ったら、ドイツ語を勉強した上に、あと100万円の資料代がかかったはずです。

 これを学術書の印税で回収することは、絶対に不可能なはずですから、手間と労力を考えたら、どんな有名教授のネームバリューを使っても大赤字になったはずです。

 ちなみに印税は、1割が相場で、良く売れている本でさえ、三千部をこえることはありません。計算すれば分かると思いますが、本を出すということは、金をドブに捨てる行為に等しいものです。それを自分で行ってみて今更ながら本を書き上げ、そして出版することの難しさを感じました。
posted by マネージャー at 15:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月08日

シルマン伝事務局に届きました!

ただいま、シルマン伝事務局に届きました!

ご注文の方、お待たせしました。
明日にでも発送します!

ただ、特典付録が、まだ完成してないので、
特典付録は、間に合えば同封しますが、
間に合わなければ、後日、郵送させていただきます!

とりあえず、本体は、明日郵送しますので、読んでみてください。
歴史好きな方には、面白く読めると思います。

schirrmann-002.jpg

posted by マネージャー at 10:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月09日

ごめんなさい!

ごめんなさい!
今日、シルマン伝を発送しようと思ったのですが、
連休中ということもあって、あまりにも忙しいので
発送は明日(10月10日)にします。すいません。

早い人は、明後日に届くかと思いますし、
遅い人でも、13日頃には届くんじゃないかな?

ちなみに1冊の人は、冊子小包。
2冊の人は、エクスパック。
3冊以上の人は、冊子小包で送ります。

(本の重量は350グラムでした。けっこう分厚い)
9999-7.jpg


posted by マネージャー at 12:46| Comment(3) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月17日

スノーシューイング

スノーシューの普及は私のライフワークみたいなものです。もっと、もっとスノーシューが広まって、大勢の皆さんがネイチャーウオッチングを楽しんでくれたらいいなと思っている私です。スノーシューは、本当に楽しいですから。

嘘じゃないですよ。
騙されたと思って一度参加してみてください。

ところで3月10日にシルマン伝やスノーシューの本を出してくれた自費出版社の方(パレード)が遊びに来てくれました。そして思いっきりスノーシューイングを楽しんで行かれました。

p.JPG

皆さん、事前に私のスノーシューの本を読んできてくれたせいか、どなたもスノーシューイングの天才でした。ほぼ全員が冬山どころか夏山も初めてだというのに、驚異のスノーシューイングテクニックで、標高2100メートルの湯ノ丸山を登山。

凄いですねえ。
考えられませんねえ。

参加者には7歳と9歳の女の子が混じっているのにもかかわらず、一番元気だったのが、この2人の女の子だったから驚き桃の木でしたね。
続きを読む
posted by マネージャー at 11:00| Comment(5) | TrackBack(4) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月07日

2つの本

シルマン伝とスノーシュー入門の2冊を出版してから半年近くなります。そこで売れ行きの報告を行いたいと思います。

まず、リヒャルト・シルマン伝。

売れていません。
みごとに売れていません。
変品の山になっています。

それ以前に、本屋に並んでいませんね。問屋を通じて数百冊配本しているのですが、予想どうりというか、1ヶ月もたたないうちに半分が返品されています。つまりダンボール箱から開けられてないうちに返品されているということなのでしょう。

しかし、これは覚悟の上のことです。いわゆる想定内のことです。営利を目的としてない以上、しかたがないと諦めています。それでもまあ、日本ユースホステル協会や群馬県ユースホステル協会、その他の支援団体の協力もあって、1000冊ちかくは売れています。しかし、それはあくまでも協会の支援があってこそであり、本屋では信じがたいくらい全く売れてないです。

 では、スノーシューの本はどうだったか?

 これが予想以上に売れました。まだ、集計がまとまってないですが、シルマン伝の数倍は売れています。これは、どういうことなのでしょうか?
続きを読む
posted by マネージャー at 01:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月08日

シルマン伝のゆくえ

シルマン伝の売れ方を考えてみます。

私は、シルマン伝の他にスノーシューの本を出しました。2冊同時に出したのには、わけがあります。売れ方に、どういう違いが出てくるか確かめたかったからです。そして、スノーシューの本とシルマン伝では、大きな違いがでてきました。

まず、シルマン伝。

ほとんど、アマゾンで売れたのが特徴です。書店では、ほとんど売れていません。配本したはいいが、1ヶ月もたたないうちに返品の山となりました。

書店ではなく、アマゾンで売れたというのも微妙です。ユースホステル協会関係者に売れたと思われるからです。つまり一般の読者は見向きもしなかったということなのでしょう。残念ですが。

しかし、シルマン伝は、協会関係から数百冊という大量の注文がありました。また、僅かですが一般読者の口コミが伝わり、じわじわと売れてきています。直販も160冊を突破しました。この数字は、自費出版としては決して低い数字ではないのでしょうが、私たちは、過去に
『ぶるる知床』
という本を、直販で800冊販売したことがあります。その経験を考えても、日本初のリヒャルト・シルマンの伝記に対する社会の関心は低いと思いました。

ただし、100冊の寄付の効果は少しづつ現れつつあります。ほんの少しですが、世にリヒャルト・シルマンを見直す動きも出てきました。しかし、まだまだ、シルマンに光りが当たったとは言えない状態です。

逆にスノーシュー本は、調子がよかった。
つづく・・・・・。
posted by マネージャー at 02:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月22日

出版の難しさ

それにしても本を出すということは難しいですね。
成功したスノーシューの本はともかくとして、
シルマンを世の中に広めるのが、いかに至難の業であるか、
思い知らされました。

しかしユースホステルの創立者、リヒャルト・シルマンの
素晴らしい業績は、絶対に忘れてはならないですし、
もっともっと世に訴えていきたいと考えています。



posted by マネージャー at 17:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月07日

山本七平著 「空気」の研究

山本七平著 「空気」の研究


私たちは「空気読めよ」と言ってますが、「空気」って何でしょう? 実は、日本が戦争やバブルでこれだけだめになったのはその「空気」のせいです。過去を振り返ってみるにいかに「空気」のせいで日本が失敗したでしょうか。

 イジメも空気が原因になります。
 また、空気作りの名人は、黒幕になれます。

 この本を読むと「空気」という言葉が使えなくなります。「空気」という言葉の怖さを知りつつも、「空気」を読まないことには社会の中では生きていけないのが現状です。そこで空気作りのメカニズムを理解することと、そして「空気」に対抗する唯一の手段「水を差す」などについて知る必用があります。そのための教科書か、この本です。

A240_.jpg

 どのような「空気」を盛り上げて
 「水を差す者」を沈黙させても、
 「通常性」は遠慮なく「水」を差しつづける。

 そしてわれわれは常に、
 論理的判断の基準と、
 空気的判断の基準という、
 一種のダブルスタンダードのもとに生きています。

 われわれが通常口にするのは論理的判断の基準ですが、本当の決断の基準となっているのは、
「空気が許さない」
という空気的判断の基準です。

 戦後直後、「自由」について語った多くの人の言葉は結局
「いつでも水が差せる自由」
を行使しうる「空気」を醸成することに専念しているからです。

 人が「空気」を本当に把握し得たとき、
 その人は空気の拘束から脱却できます。


山本七平著 「空気」の研究より


↓この話の続きを読みたい方は投票を

人気blogランキング







posted by マネージャー at 00:42| Comment(3) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月16日

ホームレス中学生を立ち読みしてしまった

ホームレス中学生を立ち読みしてしまった。
買うほどの本ではないと思いましたが面白かった。



つづく

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング






posted by マネージャー at 21:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月13日

森を歩く―森林セラピーへのいざない

実は、こんな本が欲しかったんです。「森林療法」「森林セラピー」について詳しく解説してくれ、そして案内してくれる本が。

森を歩く―森林セラピーへのいざない
(角川SSC新書カラー版) (新書)
田中 淳夫 (著)

新書: 175ページ
出版社: 角川SSコミュニケーションズ (2009/03)

内容(「BOOK」データベースより)
近年、耳にするようになった「森林療法」や「森林セラピー」という言葉。これまでは感覚的にしか捉えられていなかった森の持つ力を、科学的に解明しようという研究も始まった。そのひとつが林野庁を中心とした「森林セラピー」事業。2009年3月現在、全国に31カ所の森林セラピー基地、4カ所のセラピーロードが認定されている。本書では森林療法の成り立ちや施術の方法だけでなく、ドイツのクナイプ療法についても紹介、森林が人を癒す仕組みについて考察した。さらにおすすめの森林セラピー基地10カ所もルポ。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
田中 淳夫
1959年大阪生まれ。静岡大学農学部林学科卒業後、出版社・新聞社を経て、現在フリーの森林ジャーナリスト(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


mori.jpg


私は、以前からホームページで

http://homepage2.nifty.com/blue_berry/00-top-51.htm

北軽井沢で森林浴を楽しみましょうと、言ってきましたが、森林浴の具体的な方法論については、詳細に書いてきませんでしたね。実際、北軽井沢ブルーベリーYGH のツアーも、散歩とかハイキングとか、インタープリテーションプログラムとか、ネイチャーウオッチングくらいしか、やってきませんでした。

 しかし、この本には、もっと多彩なバリエーションの森林浴。つまり「森林療法」「森林セラピー」が紹介されています。森林ヨガ、スノーキャロット、森林トレーナー、人間に会わない森林浴、マタギ道、宗教セラピー、天空ラセピーなど。一言で、森林療法、森林セラピーといっても色々な、やり方があるのですね。いまさらながら考えさせられました。

 しかし、この本の面白いところは、それらの各種セラピーの紹介よりも、第1部の「森は本当に人を癒せるのか」の部分の記事です。「どうやら森林が、病気によいらしい」という意見は、山岳関係者には常識になっていますが、実は、根拠が曖昧だったりするんですね。経験で感じているだけだったりする。それについて、第1部の「森は本当に人を癒せるのか」について詳しく述べられています。

 ここで、上原巌さんが登場します。この方がキーポイントになる方なのですが、恥ずかしながら私は、この方を名前くらいしか知りませんでした。軽井沢で盛んに森林療法研究会が開かれていたのも知らなかった。本当にお恥ずかしい。森林療法研究会については、私が説明するより下記のサイトを御覧ください。

http://www.geocities.jp/ueharaiwao/
http://www.janis.or.jp/users/bigrock/

ちなみに、この本の著者のブログが公開されています。
森林ジャーナリスト・田中淳夫さんのブログです。
下記をごらんください。

http://ikoma.cocolog-nifty.com/moritoinaka/
http://homepage2.nifty.com/tankenka/chosha.html

購入は、こちらで。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4827550662/morikoroweb-22

それにしても、どうして今まで日本森林療法協会に注目してなかったんだろう? そういう意味では、著者の田中淳夫さんに感謝。

つづく

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 22:11| Comment(2) | TrackBack(1) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月16日

戦場から女優へ

こんな番組あったんですね。
思いっきり笑いました。






それはともかく、最近、感動した本を紹介。
戦争孤児と、養母の壮絶な記録です。

戦場から女優へ (単行本)
サヘル ローズ (著), Sahel Rosa (原著)


という本があります。

ggggggggggg.jpg

これは感動します。
イラン人のホームレス親子の話です。
もちろん実話。


ついつい引き込まれて一気に最後まで読みきってしまいました。

イラン・イラク戦争で壊滅した村。
家族全員が死亡。
村人全部が死亡。

救助隊のボランティアの女性が瓦礫の中をさまよい、
最後に目にとめた青い花。そこに幼い彼女の手が。
死にかけた主人公。
その主人公を助けたボランティアの女性(独身)は、
死にかけた4歳の戦争孤児を養子にすることにした。

それゆえに養母は金持ち一族から追放され、
ホームレスとなります。

唯一の望みは日本人のフィアンセ。
そのフィアンセをたよって日本に到着するのですが、
このフィアンセに捨てられる。

イラン人の養母と、娘はホームレスとなる。
警察の目を逃れて公園の土管で生活する。

自分も飢えながらも子供に注ぐ母の愛情。
その愛を受け止めて必死に母に喜んでもらおうと頑張る彼女。
極貧の生活の彼女らを救ったのは・・・・?

そして極貧故にイジメがはじまる。
極貧故に、子供の誕生会で、
みすぼらしいケーキしか出せなかったお母さん。
そこからイジメがはじまるのだが、
それをお母さんに気づかれないように芝居する娘。

とにかく泣ける!
涙無しには読めない。


そして、その親子の娘は
今は女優さんになっています。
お母さんへ芝居しているうちに、
本物の女優になってしまった。

よかった、よかった。

これが、オフィシャルサイト。

http://sahel.mlacky.net/index2.html

こちらがブログ。

http://blog.goo.ne.jp/jasmine_angle_12_24


ちなみに主人公の彼女(サヘル)は、
最初に紹介した動画の
科学忍者隊ガッチャピン
に出演しています。

uuuuuuuuu.jpg

つづく

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 00:02| Comment(3) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月16日

大江戸実々奇談 21話

今日は、「実々奇談」の紹介です。

実々奇談とは、軽井沢の近隣である佐久市にあった岩村田藩の祐筆を務めた阿部重之進重保が自ら体験したり、人から伝え間いた奇談63話を、嘉永七(1854)年に15巻3冊にまとめたものです。

gteewsdb.jpg.jpg

この本は、小諸市に住む安部輝男さんが、文書を解読して自費出版したものがでています。それを買って読んだのですが、嘉永七(1854)年の原本だけに、現代語訳なしでスラスラ読めるようになっています。今回は、本書を紹介したいと思います。

gteewsd4b.jpg

ちなみに安部輝男さんは、この本を出した時は、90歳でした。
まだ生きていれば、100歳ですが、
はたして、お元気でおられますでしょうか?

 どうして本書を紹介する気になったかと言いますと、学生時代に学んだ歴史が自虐史観すぎからです。しかし、そういう嘘は、いずれバレるものです。というのも、江戸時代には大量の古文書が残されていて、その発掘が進むにつれて、江戸時代の庶民は世界一豊かであったことが証明されてしまうからです

 大江戸実々奇談も、そういうたぐいの文書なのですが、実は、この本は、ものすごく面白い。面白すぎて、ぐいぐい引き込まれてしまいます。江戸時代に興味ある方は、ぜひ読んで欲しい本です。

 と言うわけで、今回は、大江戸実々奇談 21話を紹介します。
 江戸時代の庶民と武士の娯楽が生き生きと書かれてあります。
 武士と庶民。
 その関係は、どういうものであったでしょうか?

 秋葉原でハルヒダンスを踊っていた若者と比較してみてください。
 実は、江戸時代も、平成時代も大差ないことが分かります。
 では、21話を読んでみましょう。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
大江戸実々奇談 21話

第二十一話 王子道にて諸人を化かせし者の事

 東京の王子に飛鳥山という桜の名所があります。ここは、今も昔も花見のスポットで、江戸時代でも、大勢の人々が、花見をしながらドンチャンさわぎをしていました。もちろん酒に酔って、悪ふざけをしたり、はめを外すのも、今も昔もかわりありません。

 ある日のことです。
 どこかの侍が、田んぼで九裸となっていました。
 衣類で大小の日本刀を巻いて肩にかけ、
 丸裸のサムライは、田んぼを歩きながら、
 大きな川を渡っているような身振りをしながら
「これは深い、深い」
と、独りで叫んでいました。それをみつけた庶民たち、大勢集まってきてワイワイガヤガヤと野次馬の列をつくり、見物をはじめました。

「さては、あの侍、狐に化かされたな? いまに馬の糞を食うぞ」
「いやいや、たんなる花見の酔っぱらいだろう」
「いーや、気が狂ったのさ、かわいそうになあ」

と、笑う者がいたり、気の毒思う者がいたり、みんな腰を下ろして見て居たのでした。やがて、この侍は、田んぼにて着物を着て、帯を締め直して真面目な顔で
「まず、今日は、是まで」
と見物に向って言いました。

見物人は大笑い。

あれは侍のパフォーマンスだったのでした。
「やれやれ、キツネじゃなくて、侍に化かされたわ」
とつぶやき、見物人たちはザワザワと解散していきました。

(大江戸実々奇談 21話 文章は現代語に、私流に意訳してあります)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

なんとも微笑ましいではないですか。そして、この文には、当時の武士と町人の姿が生き生きと書かれてあります。私たちは、この本から、もう一度江戸時代を見直してみたほうが良いと思います。次は、江戸時代の乞食と非人についての日常を紹介してみたいと思います。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 14:36| Comment(2) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月17日

大江戸実々奇談 38話

今日は、「実々奇談」の紹介の続きです。

実々奇談とは、軽井沢の近隣である佐久市にあった岩村田藩の祐筆を務めた阿部重之進重保が自ら体験したり、人から伝え間いた奇談63話を、嘉永七(1854)年に15巻3冊にまとめたものです。

gteewsdb.jpg.jpg


今回は、大江戸実々奇談 38話の紹介。

江戸の庶民が、世界一裕福であったことは、今や定説になっていますが、それがどのくらい裕福であったか? 江戸時代のホームレスの生活水準を垣間見ることによって、推測することが可能になります。そこで、生きてくるのが、この資料。大江戸実々奇談38話です。これを読むと、乞食に対するイメージが、ガラリと変わるでしょうし、それに施しをする江戸庶民の裕福さにも驚かされることでしょう。

sasa-504.jpg


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
第三十八話 百姓江戸に来りて金子を溜めし者の事

信濃の国長久保宿(長野県小県郡長和町長久保)に、貧しい百姓がいました。運も悪く徐々に落ちぶれていくばかりでした。また、そこには、同じくらいに貧しい百姓がいました。二人は、お互いに、こんな相談をしました。

「俺たちは、お互いに歳も若い。なのに、こんな山奥で、やることもなく、飢えながら一生を終わるのも、やりきれないなあ」
「そうだなあ」
「そこでだ、江戸(東京)に行こうと思う。どうだろう?」
「江戸?」
「江戸で働き口をさがし、どんなことも辛抱して頑張れば、多少の金はできるかもしれない」
「そうだなあ、こんな山奥で朽ち果てるより、その方がいいかもしれないなあ」

 二人は、相談の上、江戸に行くことにしました。もちろん嫁さんとも相談しました。嫁さんは、親類に預かってもらい、旅費を調達し、旅支度整え、江戸へ向かいました。江戸では、馬喰町の宿屋に泊りました。

 馬喰町は、今では日本屈指の問屋街ですが、江戸時代では、旅籠屋がずらりと並んでいた、いわば旅宿街でした。古くは馬喰たちが出入りする宿場町的様相があったといいますが、やがて郡代屋敷がおかれて、江戸と地方の商店などと公事訴訟事件などが起ると、次第にその地方から出てくる人のために宿屋が増加し、ずらりと並ぶ旅宿街だったといいます。つまり、地方から上京してくる、おのぼりさんたちの宿泊地だったのですね。

 その馬喰町の宿屋で、二人は、こんな約束をして分かれたのです。

「この後は、お互いに、良いと思う働き口を求めて分かれよう」
「ああ」
「でも、十年後の本日と同じ日をもって、この宿で再会し、一緒に故郷へ帰ろうじゃないか」
「そうだな、十年後に逢おう」
「約束だぞ」
「約束だ!」

 二人は、堅く約束致し、翌日思い思いに働き口を求めて別れました。

 かくて一人は、本町四丁日薬種屋(薬局)へ奉公し、
 もう一人は、どういうわけか浅草雷門前で
 宿無しの乞食となりました。

 そして、互に顔を合わすこともなく光陰矢のごとく十年は、
 アッという間に過ぎてしまいました。

 薬種屋へ奉公の者は、努力をかさね、六十両余りも貯えていました。
 そして主人に暇を貰い、十年前に分かれた、
 あの馬喰町の宿に泊り、友の来るのを待ったのです。
 ところが、約束の日になっても、一緒に上京した友人は現れません。

「久しさ年月なれば、もしや友の身に異変でもあったのだろうか?」

など思い巡らし、さりとて尋ねるあてもないし。あと三日ほど待って一人でも帰国しようと心を定め、

「となると故郷への土産を買っておこう」

と宿を出たのですが、そういえば浅草観音に御願いしたことを思い出し、この度成就の御礼参りをしなければと雷門前に行ったのでした。

wwwe456.JPG.JPG

 ところが、その雷門で、
 思いもかけず彼の朋輩に会ったのです。
 それも菰被りの乞食姿。
 驚いたのは、それを発見した友人でした。
 乞食姿の彼を、物陰に引き連れ

「これは観音のお導きか! 久し振りだなあ」
「ああ、久しぶりだ」
「だが、どうした? どうして乞食姿なんだ?」
「・・・・」
「おまえと、別れた後、おれには世話人になってくれる人がいて、本町の薬種屋へ手代奉公に有りつき、辛抱のかいあって、今は金子六十両余り出来た。そして退職し、馬喰町の宿にて、おまえさんを待っていたんだが、おまえさんは来ない。さりとて住んでる場所も分らないし、一人で国元へ帰らんと、今日は浅草観音へ心願成就の御礼詣りに来たんだ」
「・・・・」
「出会えたのは、嬉しいが、その姿では故郷へは帰れまじ。どうするかね」
「アッハハハハハハ!」
「金ならあるぞ」
「はあ?」
「故郷に錦を飾る金なら、三、四年のうちに貯めたよ」
「ええええええええええっ?」
「最初乞食仲間に入りし当座は、その日の食にも困り、日銭は十二、三文にて凌いだもんだった」
「・・・・・・・・」
「しかしな、毎日、同じ場所で乞食をやってると追々、顔見知りもでき、貰いの飯も三度食して余るようにもなった」
「・・・・・・・・」
「日々のお恵みも、六百文から、七百はもらうようにもなったさ」
「え?」

注/江戸時代の物価/文化文政年間(1806〜1830)
  焼き豆腐・・・・ 5文
  こんにゃく・・・ 8文
  桜餅・・・・・・ 4文
  汁粉・・・・・・16文
  かけ蕎麦・・・・16文
  風呂・・・・・・10文
  串おでん・てんぷら・イカ焼きなど、なんでも4文。

 1両=4000文。桜餅1000個買えます。
 1日600文もらい続けると、1週間で1両の稼ぎとなる。


「おれは、博奕はやらない。だから他に使うことも無かったので十年間もっぱら貯め置いて、三百両くらいの貯金がある。だから明日にも、おまえさんのところに訪ねようと思っていたんだよ」
「・・・・」

 苦労して六十両を貯めた友人は、呆然としていました。
 空いた口がふさがりませんでした。

「だったら明日にも旅立とう」

 乞食の友人は、乞食仲間の足を洗い、入浴・髪月代・衣類を整え、元の百姓となり、馬喰町を尋ね二人で国元へ帰ったのでした。

 身を落せば、もうかることも出来るという事なのだろうが、誰も、このくらい思い切って身を落とす勇気はないでしょう。目的のためには手段を選ばない名誉も伝統もかなぐり捨てるのも、また一つの勇気かもしれません。


(大江戸実々奇談 38話 文章は現代語に、私流に意訳してあります)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
gteewsd4b.jpg

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 00:26| Comment(4) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月18日

大江戸実々奇談 63話

「実々奇談」の紹介の続きです。

実々奇談とは、軽井沢の近隣である佐久市にあった岩村田藩の祐筆を務めた阿部重之進重保が自ら体験したり、人から伝え間いた話を15巻3冊にまとめたものです。

gteewsd4b.jpg

今回は、大江戸実々奇談 63話の紹介。

江戸時代は、女性がやたらと強かった時代です。女尊男碑の時代ですね。原因は、はっきりしています。男の数が多すぎたんです。江戸の人口の7割が男で、女性はたったの3割。結婚できる恵まれた男性は、数少なかったようです。で、女性が優位な江戸には勝ち気な女性が出現するわけですが、そういう人たちを「おきゃん」と呼んだそうです。昔の時代劇には、必ず、そういうキャラがでていましたね。そういう時代に不倫がばれたら、どうなるでしょうか? 第六十三話は、そういう設定の物語です。

第六十三話 密夫方の女房金子を取りし事

sddgyui.jpg

第六十三話 密夫方の女房金子を取りし事

 時は、天保時代。七左衛門と言う大富豪の農家がありました。近隣の村から美人妻を嫁にもらい、何一つ不自由なく暮らしていました。七左衛門の小作人に惣吉と言う貧乏農夫がおりました。結婚して、七左衛門の田を借りて、小作人として働いていたのですが、いつのまにか、七左衛門の美人女房と忍び会い、いわゆる不倫関係になってしまいました。それが七左衛門の耳にも入ったのです。

 ある日のタ方、七左衛門は、用事ができたと言って遠くに出かけました。すると、美人女房は、さっそく惣吉を呼び寄せ、こっそりと酒肴を楽しみ互いに酔いを催し同じ床に添い寝したのです。しかし、これは七左衛門の罠でした。

 今宵あたり惣吉が忍び居るやも知れずと、雨戸をそっと開け、忍び足に奥へ行きてみれば、案の定、女房、惣吉これを知らずして睦み合っていたのです。七左衛門は、これを取り押え声を荒らげ

「おのれら、あるじの目をかすめ不義いたずら、もはや逃がるる術なし。覚悟致しろ!」

と枕で散々に打ちすえました。
もちろん不倫を見つかった両人は、ただただ、詫び入るばかり。
そうなると七左衛門は、無念やる方なく

「おのれら、殺すは犬を斬ると同じ。されば許し難きを忍び、不倫の代償として七両二分の慰謝料をもってくれば勘弁してやる」

と言いました。
命が助かった惣吉は、詫びるだけでした。

「命さえ御助け下さらば、七両二分、さっそく持ってきます。以後、かかる不始末、決して致しません」
「ならば、詫び証文を書きなさい」

惣吉は、詫び証文を書き逃げ帰りました。
美人女房も、いまさら面目なく
「出来心なんです」
と消え入るように泣き崩れて頭をさげ
「こんな事は、二度としませんから許してください」
と言いました。
そこまで言われると七左衛門は、
ほれた弱みがあります。
許すことにしました。

 ちなみに、江戸時代において不倫は重罪にあたります。両者死罪となり、協力者は中追放か死罪になります。しかし、これは建前上のことでした。ようするに親告罪だったので、被害者が訴えない限り表沙汰にならないのです。
 姦通現場に乗り込むなど動かぬ証拠を掴まないかぎり奉行所など司法機関が訴えられた二人の関係を見極めるのが難しい。一時の感情のもつれで訴えられればきりがないため当事者間か双方の家主地主など土地の顔役が話し合う内済を命じお互い冷静に話し合い、それでも成立しなければ訴訟を受け付けたのです。
 つまり内済を経て訴えるため内済金を支払って解決することが多く内済金を「首代」と称し江戸では七両二分(加害者の経済状態に応じて値段は変動)という相場まで庶民に知れ渡っていました。

 ただし、夫は現場を発見すれば、
 間男と妻を殺害しても罪には問われません。
 だから惣吉は、命が助かったと安堵したのです。

 ただし惣吉は、自宅に帰ったけれど、
 首代(慰謝料)のを払う目処をがなかったので、
 女房にうち明けました。

「実は、今夜、はからずも、七左衛門殿宅にて、美人奥さんに酒を振るまわれ、あるじの留守宅にて大いに酔い潰れてしまいました」
「はあ?」
「そして目覚めて見れば、七左衛門の女房の布団に一緒に寝てました」
「なんですって!」
「ごめんなさい。でもって、そこに七左衛門が帰ってきて、この間男め!と、言われてしまい、殺されそうになりました」
「あきれた」
「そんでもって、平謝りに謝って、首代(慰謝料)の七両二分で許してもらったのですが、その金のあてもないので・・・」
「恥さらしだねえ」
「はい」
「それでも男かい」
「男だから恥をかいたわけで」
「おだまり」
「はい」

 惣吉の女房は、気丈でした。

「とにかく、しでかした事はしょうがない。家財諸道具を全部売り払い金を作りましょう」
「でも、そうしたら、死ねと言われるようなもの」
「じゃ、あんたの首を差し出すの?」
「いえ、家財諸道具を全部売り払います」

と全部売り払って七左衛門方へ首代(慰謝料)を持参の上、詫びることによって示談が成立しました。しかし、この惣吉夫婦、翌日よりして食うにも事欠き、その上寒さをふせぐ着物さえもありません。そこで惣吉の女房は、思案めぐらし、夫にも話さず七左衛門に会いに行きました。

「私の夫が心得違いにて不義を致しました。まことに不埒です。それを、首代(慰謝料)の七両二分で示談にしてくれ、まことに有難とうございます。また、御家内様をも、そのままにさし置かれたようで、波風立たず、惣吉の喜び例えん物なく御礼申し上げます」
「・・・」
「しかるに私、御内儀に今日の稼ぎ男を寝とられ、その上、家財道具も皆売りつくし、わたくしの衣類も質入れして寒さに震える毎日です」
「・・・」
「そのうえ、食うにも事欠くありさま。このままでは、乞食にでもなるしか、ありません」
「・・・」
「こうなったのも、憎き、わが亭主と、七左衛門殿の御内儀です」
「・・・」
「かくなる上は、奉行所へ許えたい」
「そりゃ困る」

 前にも言いましたが江戸時代において不倫は、両者死罪となります。
 惣吉も死罪になりますが、七左衛門殿の美人妻も死罪なのです。
 不倫に関して江戸時代は、男女同権だったのです。

「そりゃ困る」
「困るだと? ふざけんない! 困ってるのはこっちだい! こちとら、この寒さを単衣の着物で震えてるんだ!」
「そんな」

 不倫されたとはいえ、
 七左衛門は恋女房に死なれたくありませんでした。

「もし、その儀、御迷惑と思し召さば、私への首代(慰謝料)として、十五両払いな! そしたら示談にしてやってもいい。いやなら奉行所にて此の始末、ぜんぶぶちまけてやる!」

 あわてた七左衛門は、十五両を渡して示談にしてもらいました。

 惣吉の女房は、売り払った品々、質物などを買い戻し、そのうえ五両も余ったので、良き新年を迎えたということらしい。めでたし、めでたし。

gteewsdb.jpg.jpg

(でも、これほど気位の強い嫁さんだと、浮気したくなる惣吉の気持ちも少し分かるような気もします。世間では、これを逆美人局と言いますから)

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 01:52| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月19日

大江戸実々奇談 22話 離婚について

大江戸実々奇談 22話
「実々奇談」の紹介の続きです。


現代は離婚ブームです。世の中離婚だらけ。昭和時代は、離婚は悪いイメージがあり、人口当りの離婚率は1%以下でした。最近は徐々に増え、2000年代は2%ほどで推移しています。

では、江戸時代ではどうだったのでしょうか?
実は、今より高かったのです。


江戸時代〜明治前期の離婚率は、統計によると現在の2倍の4%前後だったそうです。農業が中心だったため、女性も働き手としての地位があり、再就職先に困らなかったためと考えられています。

武士階級にいたってはなんと離婚率は10%
にも達していたと言われています。
ちなみに女性の再婚率は50%以上です。


 昭和11年制作の映画「丹下左膳」では、子供の教育方針で、左膳と内縁の妻が夫婦ゲンカになり、左膳が負けるシーンがあります。昭和11年ですから、70代以上の人は江戸時代生まれです。つまり、江戸時代を知っている人には、これがリアリティーな夫婦の姿であったようです。以上の背景は、大江戸実々奇談の中にも、よく出てきます。第二十二話の「仇を思にて報ぜし人の事」を読むと、よく分かります。

gteewsd4b.jpg



第二十二話 仇を思にて報ぜし人の事

 栃木県宇都宮に百姓孫七という者がいました。夫婦の間に一人娘も十八歳となり、跡継ぎの息子もないので養子を貰わんと探し、隣村に小百姓の倅、次男の清助という24歳を婿養子に取り、娘と結婚させ夫婦としました。しかし、この清助は、百姓の仕事に疎く日を経るにしたがい養家の心に叶わず、両親に訴えました。

「夫の清助は、百姓仕事に馴染まず、うわの空です。かかる亭主を持ちては、行く行く百姓の生業さえ難しいでしょう。離婚したいと思います」
「もっともだ。私らも同じように思っていた。あの婿は百姓に向いてない」
「そうなんです」
「この際、離縁して他の婿をとろう。もっとよく働く婿をさがそう」

 こういう事は、この時代では珍しいことではありませんでした。
 農家もやはり一種の能力主義社会だったのです。
 で、離縁にも間に立つのが仲人です。
 仲人を通じ清助方へも離縁を申しつけ親元へ帰しました。
 清助には拒否権はありません。さっぱりと諦め
「もう百姓になるのはやめました。江戸に出でて商人になります」
と両親と語り、若千の金子をもらい故郷をたちさりました。

 そして江戸に到着。馬喰町三丁目に小店を開き、『下野屋』と暖簾を掛け、木綿もの、手拭などを仕入れて商売を始めました。
 幸い売れゆき良く、御客様もつきました。
 そして得意先も増えました。
 その清助の勤勉な働きぶりに感心し、媒酌者もあらわれて、妻を迎えることもできました。そして毎日勤勉に働きました。そして三年間、呉服の行商に励むことによって資金もでき、店を拡げ、店員2人3人と増えていきました。

 一方、その清助を追い出した栃木県宇都宮に百姓孫七は、その後病死致し、残された母娘も百姓仕事を失敗し、田畑も質入してしまい、どんどん没落してしまい、最後には家さえも失い、縁者を頼ってわずかばかりの寄付をうけながら、母娘共々巡礼姿となって、江戸に向かいました。いわゆる親子のホームレスですね。そのホームレス親子が、人々の好意をたよって、江戸表に到着。下谷山崎町に四畳敷の長屋に、一日十六文の上納金を払って住まわしてもらいました。

 よーするに、日払いの簡易宿泊所に泊まりながら、西国巡礼の姿で乞食をしていたわけです。柄杓を差し出し、寄付を募って歩き、その寄付で、その日暮らしをしていたわけです。そして、ある日、馬喰町の方へまわって、一銭、二銭の寄付を受けつつ、馬喰町三丁目へ来たわけです。そこには清助の経営する『下野屋』もありましたから、親子は、その店先にも立ち西国巡礼の寄付を御願いしました。

 驚いたのは清助です。
 二人をまじまじと見て

「そなた達は、宇都宮在方孫七どのの連れあい、娘子ではないですか?」
「えっ?」

 立派に成功している清助。
 聖(乞食)に身を落とした母娘。
 巡礼顔を上げ見れば、身なりこそ違え以前養子の清助。

「これはこれは懐かしきお二方」

 親子は、大いに驚き恥じ入り、消えようとしました。

「あ、何処に行きなさる!」
「・・・」
「絶えて久しく御目にもかかりませんでしたが、御無事のようで、なによりです」
「・・・」
「ぜひ、お話もあれば、先ず先ず勝手に廻り足など洗って奥へ上がり給え」
「・・・」
「さあ、どうぞ、どうぞ」

 母娘は、裏口より座敷に通しされました。
 清助は、国元の事などを訊ねました。
 別れた元妻は、涙ながらに語りました。
 父、孫七が病死したあとの不幸を語り、
 過去に一方的な離縁をした非礼を返す返すも詫びました。
 清助は、

「詫びなどいりません。あなた方は、むしろ大の恩人です」
「?」
「縁あって一旦は親子、夫婦となったものの、私はあなた方に嫌われ、離縁されました」
「・・・」
「その結果、なにくそと、国元を離れたればこそ、この店が持てたのです。そのまま離縁せず、在所にあったらば私とて、あなた方と同様なっていたでしょう」
「思いもかけぬお言葉、痛く恥じ入ります」
「恥じ入ることはありませぬ」
「あらためて粗略に致せし非を深く詫いたします」

 どうやら巡礼姿に身を落とした親子は、人の心の痛みを身にしみて学習していたようでした。乞食は、人の善意をあてに生きています。善意がどれほどありがたいものか、その体験によって学んだようでした。働きが悪いからと、簡単に夫を離縁した自らに、どれほどの善意があったものか。そう考えると、ただ、清助に頭を下げるしかありませんでした。

 その後、清助は、母娘を店に迎え入れ、店の裏に家を建てて住まわせ、衣食など不自由なく届けました。母娘両人手を合せて感涙にむせびました。

 母娘は、御恩返しにと、本店に通い勝手の手伝い世話などをしました。そして、江戸の水に馴染んだころに、優秀な番頭との結婚をとりもち、この夫婦に暖簾を分け与え表店にて大物商を営ませました。

 清助のかかる厚き情を心に刻んで、母娘夫婦共々商いに専念しつつ、暖簾分けした店も日を追い繁昌していきましたが、何にも増して主人の恩を忘れるべからずと、万事、本店を大切に仕えたと言います。仇に報ゆるに恩を施せし清助の仏心、世にも珍しきことゆえに、ここに記録して置きます。


(大江戸実々奇談 22話 文章は現代語に、私流に意訳してあります)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
gteewsdb.jpg.jpg

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 00:15| Comment(3) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする