2008年03月29日

バラギ山 スノーシュー

バラギ山 スノーシュー

バラギ山 スノーシューのスタートです。
おそらく今年最後のスノーシュー。

IMG_3916.JPG

IMG_3933.JPG

IMG_3949.JPG

雪はどんどん溶けていきました。

IMG_3963.JPG

残念ながら頂上には行けずじまい。

IMG_3966.JPG

ちょっとハードなツアーでした。

IMG_3969.JPG

ちなみにルートは、ありません。
一般の人は、入山しないように。

IMG_4000.JPG

つづく

↓この物語の続きを読みたい方は投票を

人気blogランキング





posted by マネージャー at 00:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 四阿山・バラギ高原 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月15日

バラギ湖散策

バラギ湖散策してきました


kjtre-05.JPG

kjtre-01.JPG

kjtre-02.JPG

kjtre-03.JPG

kjtre-04.JPG

つづく

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング





posted by マネージャー at 00:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 四阿山・バラギ高原 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月13日

四阿山登山ゴンドラルート

四阿山ゴンドラルートの空中散歩

 四阿山(あずまやさん)は長野県と群馬県の県境にまたがる山です。標高2,354メートル。日本百名山の一つに数えられています。今回は、ここに出発です。採用ルートは、四阿山登山ゴンドラルート。


azu-01.JPG

 四阿山は、34万年前のカルデラ形成で、現在の複数峰による古い成層火山(四阿火山)の形態に至っています。四阿火山とは周辺の根子岳、四阿山、浦倉山、奇妙山の総称で、火口にあたる場所には、米子大瀑布があります。この山の南西(長野県)側にスポーツ等の合宿で名高い菅平高原が広がり、東(群馬県)側にはスキー場「パルコール嬬恋スキーリゾート」があります。ゴンドラは、パルコール嬬恋スキーリゾートが運行しています。

azu-02.JPG

azu-03.JPG


このルートの特徴は、ゴンドラで一気に標高をかせぎ、あとはなだらかな稜線を空中散歩するところにあります。ただしゴンドラの運行日程と運転時間に注意して登りましょう。でないと当日、青ざめることになりますからね。

azu-04.JPG


azu-05.JPG

カモシカを発見。
他に多いのがイノシシと野鳥です。

azu-06.JPG

つづく


↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング





posted by マネージャー at 15:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 四阿山・バラギ高原 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月17日

野地平湿原

野地平湿原は、パルコールスキー場から入ったところにあります。
観光ガイドブックには何1つ載っていない所ですが、穴場です。
今回は、その野地平湿原をハイキング。

yachi-08-00.JPG

yachi-08-01.JPG

ここの花は、年々減りつつあります。
笹藪が増えすぎて、
湿原としての寿命がきています。
まだ十年くらいはだいじょうぶかな?

でも、湿原ファンなら、
はやめに散策されることを
おすすめいたします。

yachi-08-02.JPG

yachi-08-03.JPG

yachi-08-04.JPG

yachi-08-05.JPG

この湿原に関する問合せ先は、下記へ

嬬恋村役場観光商工課
〒377-1692 群馬県吾妻郡嬬恋村大字大前110番地
TEL 0279-96-1515 , FAX 0279-96-0516 , MAIL kankou@vill.tsumagoi.gunma.jp

yachi-08-06.JPG



つづく


↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 四阿山・バラギ高原 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月18日

パノラマラインとバラギ湖

パノラマラインは、に立派なハイウエイのようでドライブコースとしても最適です。冬にはラリーなどにも利用されています。特にキャベツの夏はお奨めですよ。コスモスも咲いています。

yachi-09-02.JPG

これはキャベツの花。

yachi-09-01.JPG


バラギ湖の湖畔にも行ってきました。
いい感じです。

yachi-09-03.JPG

yachi-09-04.JPG


つづく

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング






posted by マネージャー at 23:03| Comment(0) | 四阿山・バラギ高原 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月26日

鳴尾熊野神社

今日は、鳴尾熊野神社の大杉を紹介。

IMG_1.JPG


こんなに大きな杉が、標高900メートルぐらいの群馬県の山の中にあります。ここは、年間最低気温がマイナス15度まで下がる土地ですから、杉が育っているだけで奇跡なのに、これだけの大木が育っているのは、もっと奇跡ですね。

ちなみに、昔は、この熊野神社の信仰で、このあたりは裕福でした。街道は栄え、どの家にも蔵がたったと言いますが、今は見る影もありません。でも、大杉は、いまでも大切にされ、しめ縄がはられています。

ちなみに、民家には杉は使われて無く、
栗の木などが使用されています。
総栗の木の民家も少なくはないとのこと。

さて、この大杉の場所ですが、ここにあります。

http://map.yahoo.co.jp/pl?
type=scroll&lat=36.54925851
&lon=138.51857872&sc=7&mode
=map&pointer=on&home=on&hla
t=36.51359389&hlon=138.53342889



IMG_3.JPG

IMG_5.JPG


↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 14:01| Comment(2) | 四阿山・バラギ高原 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月21日

的岩ハイキング

 四阿山の中腹に、的岩又は屏風岩ともいわれている珍しい岩があります。建久年間、浅間野に狩にきた源頼朝は、この珍しい岩を的にして矢を射られたといわれてまして、今回は、そこにチャレンジ。ちなみに冬にスノーシューで行ったときの写真がこれ。

amm-2.JPG

 鳥居峠から四阿山に向かって尾根伝いに北上すると3kmの地点にこの岩脈。上州側では「的岩」信州側では「屏風岩」と呼びます。また、上州側ではこの辺一帯を「天狗の露地」とも言っています。

amm-3.JPG

amm-4.JPG

これは、数年前のツアー写真。

amm-6.JPG

では、出発!
今回のメンバー。

09mato-01.JPG

木のトンネルをくぐります。

09mato-02.JPG

09mato-03.JPG

到着!
的岩を支えています。

09mato-04.JPG

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 01:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 四阿山・バラギ高原 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

的岩ハイキング2

的岩ハイキング2

支えています。

09mato-05.JPG

 『嬬恋村誌』によれば、
「建久年間、浅間野に狩りに来た頼朝は、この岩を見て珍しく思い、岩を的にして矢を射させることにした。この話を聞いた力自慢の男が、(中略)持っていた握り飯を、岩を目掛けて投げつけた。岩には大きな窪みができた。その大きさは3尺ばかりだった」
とあります。

その穴で記念写真を撮っているわけですね。

 この的岩は、的岩山と吾妻山を結ぶ尾根上、標高1769メートル地点に、北より東約30度の方向を軸として直立します。その長さは、約200メートル、高さは20メートルに達します。厚さは3メートル前後で巨大な屏風を思わせます。

amm-4.JPG

 岩質は、含橄攬石複輝石安山岩。地殻の中のマグマが、その上にあった火山砕屑岩層の割れ目に沿って、板状に貫入し凝固したものです。それがその後、侵食によって周囲の脆弱な部分が排除されてできあがりました。いわゆる注伏節理ですね。3メートルの六角柱状の俵を積み重ねたような形をしています。

 火山地質学的にも非常に貴重なものとされ、昭和15年には国の天然記念物に指定されています。で、県境にありながら所有者は、真田町外一市一町共有財産組合になっており、その管理は旧真田町(現上田市)とされています。嬬恋村の行政区にありながら嬬恋村の文化財としては、認定されていません。

09mato-06.JPG

 これは、古くから四阿山信仰の拠点として旧真田町があったからです。嬬恋村では、修験道は、それほど盛んではなく、逆に旧真田町では、盛んに四阿山で修験道の修行を行っていたためです。広大な面積の嬬恋村に寺院は2つしかありません。しかし、旧真田町には、数多くの寺院があり修験道も盛んでした。それで四阿山の的岩を所有するに至るわけです。

09mato-07.JPG

09mato-08.JPG

09mato-09.JPG

 四阿山は修験道の霊山でした。この霊山への鳥居峠からの参詣道を、尾根に沿って進み、標高1800メートルあたりのところに「華童子宮跡」があります。この童子とは、如来の王子または1番弟子である菩薩の別名とみられています。また修験道では入峰・出峰の行事を蓮華会と言っています。つまり、「華童子宮」の華は蓮華会の華であり、華童子宮とは、蓮華会のための童子の常駐する場所と考えられます。つまり山頂の奥ノ院と、鳥居峠の中間に位置するため、中宮的性格をもったものとも思われます。

09mato-10.JPG

 残念ながら、この宮は、廃墟となっていますが、石塁に囲まれた建物跡と灯籠の石柱などが、まだ残っています。また、この宮跡の手前の賽の河原とされる地には、直径数メートルの積み石塚状の構築物が三箇所ほど確認されています。

09mato-11.JPG

09mato-12.JPG


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 四阿山・バラギ高原 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月25日

今回は四阿山1

今回は四阿山1

愛妻伝説の山です。
夫婦で登ると、永遠の愛が得られる山です。
ちなみに、これは愛妻の鐘。
aag-01.JPG

なぜ愛妻伝説の山かと言いますと
大和武尊が、この山の山麓で、
亡き妻を偲んで
「わが妻よ!」
と3度叫んだために
「わが妻山」
と呼ばれるようになり、それが訛って
四阿山になったからです。

ちなみに嬬恋村は、「わが妻群」となり「吾妻郡」になりました。

aag-02.JPG

何か発見したらしい。

aag-03.JPG

これが浅間山。
浅間とは、火山のことを言います。
古くは、富士山も浅間でした。
富士山の麓に浅間神社がありますね。

阿蘇山も、浅間ですが、
浅間とは書かずに、阿蘇と書いたのは、
訛ってしまったためです。

ちなみに愛妻の鐘を鳴らしていたのは、熊本出身の方でした。

aag-04.JPG

これは湯の丸山。遠くに蓼科が見えますね。

aag-05.JPG

aag-06.JPG

ホシガラスが多いんだよね。
この山には、松ぼっくりが多いからねえ。
冬にそなえて喰いまくっています。
ちなみに、カラスに似てませんが、
鳴き声は、喉を潰したカラスの声に似ています。

aag-07.JPG

鎖場もあります。

aag-08.JPG

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング





posted by マネージャー at 07:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 四阿山・バラギ高原 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月27日

今回は四阿山2

今回は四阿山2

aaf-01.JPG

すごく良い天気ですね。
青空が素晴らしい。

aaf-02.JPG

aaf-03.JPG

aaf-04.JPG

aaf-05.JPG

aaf-06.JPG

aaf-07.JPG


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング





posted by マネージャー at 22:38| Comment(2) | TrackBack(0) | 四阿山・バラギ高原 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月26日

四阿山登山断念。

四阿山登山断念。

5日連続で日本晴れで、満天の星空に流星雨。
そして天気予報は、週末も日本晴れ。
私も含め、週末は絶対に晴れると信じていました。

が、天気予報は外れてしまった.....orz。
でも、とりあえず四阿山に登ることにしました。
今回のメンバー。

09azu-1.JPG

高崎に住む■■さんも参加です。

09azu-2.JPG

09azu-3.JPG

曇天なのは残念ですが、良い感じです。

09azu-4.JPG

09azu-5.JPG

背景を見てください。
右に四阿山、左に根古岳が見えます。

09azu-6.JPG

浅間山も見えますね。

09azu-7.JPG

天候を予測して撤退。
次にリベンジです。

09azu-8.JPG

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




ラベル:四阿山
posted by マネージャー at 13:11| Comment(8) | 四阿山・バラギ高原 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月05日

バラギ山と鬼岩の調査報告

今日は、バラギ山と鬼岩までいってきました。
あと一歩で四阿山頂上だったのですが、
吹雪で撤退。

 苦戦の理由は、バラギ山付近の稜線上の雪庇が大きかったことと、赤テープでルートをつくるのに、思いのほか時間がかかったことです。というのも、バラギ山に行く途中、大規模な林道工事が行われていて、登山道が寸断されているのと、どこの誰かはわからないが、夏道とちがうところに、新しいルートを造っているので、ルートに混乱が生じていることです。

 しかたないので、必要以上に夏道にテープを設置するはめになりました。使用したテープは、10個です。バラギ山の7合目でテープが無くなってしまいました。まあ、道が分かりにくいのは、アンテナが設置してある7合目までであって、あとは、稜線上をあるくだけなので、間違えようがないので問題はないんですけれどね。

 気になる点。
 地形図のルート、間違ってますね。
 あきらかに違います。

http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?meshcode=54386305

 グーグルマップの航空写真もダメです。
 現状は変わっています。

ba-22.JPG

ba-23.JPG

 あと、バラギ山までは、楽勝なので初心者ツアーでも行けそうですが、鬼岩は、一般人には無理ですね。かなりの地獄のコースです。ただ鬼岩から四阿山は、目と鼻の先ですから、そこまでいければ、四阿山の頂上に到着するのは、簡単です。

 といっても朝6時出発でないと無理だろうなあ。
 それに鬼岩は、雪に埋まってました。
 的岩のような迫力はまるでなし。
 やはり、登るなら的岩ルートが一番楽かなあ。
 疲労度は、倍くらい違いますね。
 鬼岩ルートは、文字どおり鬼です。

 今度は、パルコールゴンドラルートで、
 四阿山にチャレンジしようと思うんですが、
 さすがに、これは楽すぎて面白くないかなあ。
 どうなんだろう?
 根古岳までの遠征なら面白いだろうか?


ba-24.JPG

 それにしても2月の四阿山は、鬼ですわ!
 とてもじゃないが素人が登れるような
 甘い山ではありません。
 ここには絶対ツアーを出してはいけないと思いました。


 ただし、バラギ山は、よかった。
 楽だし展望が素晴らしいので。
 ちなみに、これは2年前のツアー写真。
 頂上は、こんな感じです。

ba-25.JPG


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング





posted by マネージャー at 23:38| Comment(0) | 四阿山・バラギ高原 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月01日

的岩スノーシューツアー

的岩スノーシューツアー

国道144号線の鳥居峠がスタート地点になります。
鳥居峠の駐車場は雪で覆われており、
空きスペースに車を停めます。

10mato-01.JPG

林道を1時間くらいゆっくりと歩きます。
途中で体温調節しながら進みます。
林道の歩きが終わり、登山道に入っていきます。

10mato-02.JPG

ここが林道終点。

10mato-03.JPG

ここから2つのルートに別れていますが、林道の方を使って的岩に向かうのが一番無難でしょう。道を間違えようがないですから。ただし、念のために赤テープを貼っておきました。

10mato-04.JPG

ここが的岩。
林道終点から1時間くらい。

10mato-05.JPG

10mato-06.JPG

10mato-07.JPG

万里の長城みたいな的岩。
四阿山は、標高2332m。
この四阿山の中腹に的岩山(標高1746m)があります。

10mato-08.JPG

 建久年間、浅間野に狩にきた源頼朝は、この珍しい岩を的にして矢を射られたといいます。鳥居峠から四阿山に向かって尾根伝いに北上すると3kmの地点にこの岩脈がある。上州側では「的岩」信州側では「屏風岩」と呼びます。また、上州側ではこの辺一帯を「天狗の露地」とも言っています。

10mato-09.JPG

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 00:07| Comment(2) | 四阿山・バラギ高原 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月22日

田代の両墓 マネージャーのミステリーツアー5

田代の両墓 マネージャーのミステリーツアー5

104-18-08.JPG

実は、この部分だけは書きたくなかった。
しかし、今回はあえて書きます。
嬬恋村には、両墓制の風習があったのです。

両墓制とは、遺体を埋葬する墓地と、御参りするための墓地を一つずつ作ることです。つまり一個人に対し二つの墓を作るのです。これは、私の故郷である佐渡島にも、その風習があり、私の祖母の墓は、両墓制の風習にのっとって、2つの墓がつくられました。

現在、厳密な意味での両墓制は滅びています。
というのも両墓制は土葬だからです。

と、ここまで書いても分からない人には分からないでしょうから、もっと具体的にいうと、遺体を風に曝して風化をまつ風葬という習慣があります。これも両墓制の風習の一つのスタイルなのです。遺体と魂を分けて、魂だけを御参りし、遺体は放置したままにする。そういうスタイルに近い墓地が、嬬恋村にもあったのですね。それが、ここ。田代の両墓です。

104-18-09.JPG

昔、日本ユースホステル協会のマネージャー研修会で、大勢のユースホステルマネージャーを、ここに御案内したことがありましたが、松山ユースホステルのお母さんが、ここで金縛りにあいました。他にも何人かの御客様が、金縛りにあったりしています。なので、ここには殆ど、御客様を案内していません。場所も、あえて秘密にしておきます。問い合わせても、お答えできませんので、あしからず。


ちなみに、嬬恋村の田代というところは、江戸時代は馬の産地でもありました。五十戸という小さな小さな村だったのですが、村名が「田代」なのに田が皆無だった村でした。しかし、牛馬は多く、ここの牛馬が善光寺平から菜種油を江戸まで運ぶために大活躍したと言われています。

また、田代には、無数の水車があったようで、豊富な水資源を活用して、水力を利用した加工業が盛んに行われたとも言われています。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング





posted by マネージャー at 01:45| Comment(2) | 四阿山・バラギ高原 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

田代の愛妻の丘 マネージャーのミステリーツアー6

田代の愛妻の丘 マネージャーのミステリーツアー6

まず日本愛妻家協会のサイトをみてみましょう。

http://www.aisaika.org/mission/14kyabechu/aisainooka.html
http://blog.aisaika.org/?eid=761413

 農家の畑を借りて始まった小さな催しがキャベチューでした。男たちが真剣に愛を叫ぶ姿がだんだん評判になり、群馬県が叫びの丘に整備してくれました。そこを村の人たちが「愛妻の丘」と名付けました。いまではそこはドライブの名所です。村民が始めた催しが多くの人の心を動かして新名所になりました。小さな波が大きな波を作り出して現実になる。「愛妻の丘」はまるで奇跡のような出来事が生まれた場所です。

img_aisainooka03.jpg

愛妻の丘(英文名称:Aisai no Oka)
所在地 群馬県吾妻郡嬬恋村大字田代字大横平2000の内
敷地面積 約2,766m2
開設年月 平成20年4月
位置 東経138度27分32.5秒 北緯36度30分19.2秒(国土地理院)
標高 1,257m
丘 階段数 37段
展望台面積 約136m2
駐車場面積 約500m2
説明板 大型1基:村名の由来、小型1基:テミル原則(英語版あり)
叫び台 名称 妻に愛を叫ぶ専用叫び台
開設年月 平成21年4月


というわけで、愛妻の丘にいってみました。

104-18-10.JPG

すごく景色がいいてところです。

104-18-11.JPG

思わず、みんなで記念撮影。

104-18-12.JPG

 愛妻の丘は、嬬恋村田代の伝説にもとずきます。日本愛妻家協会のホームーページにもあるように、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、世界で初めて愛妻家宣言をした人物として有名です。そこで日本武尊について紹介したいと思います。

 日本武尊は第12代景行天皇の子として誕生しました。幼名を小碓命(おうすのみこと)といい、兄の大碓命(おおうすのみこと)とは双子の兄弟とも言われています。ところが、この日本武尊は気性が激しく、兄を殺害してしまったため父からは疎んじられていました。

 そんな日本武尊は羽曳野で一人の娘と出会いました。
 名は弟橘比売(おとたちばなひめ)。
 やがて二人は結ばれました。

 しかし、日本武尊は東国の平定へと向かわねばなりませんでした。父は、東国の12か国(伊勢、尾張、三河、遠江、駿河、甲斐、伊豆、相模、武蔵、総、常陸、陸奥)が従わないので平定するよう日本武尊に命じたのでした。

 日本武尊は東征に出発。
 相模の国に入る前に奥様の弟橘比売が合流。

 船に乗って三浦半島沖から房総半島に向かいましたが、船出した直後に嵐がきました。雷鳴がとどろき、激しい雨と風に船なすすべもありませんでした。弟橘比売は「海神の祟り」だと言い、海の怒りを静めようと海に身投げしました。

 やがて海は静まり、日本武尊たちは上総(千葉県木更津)に渡ることができました。海岸で日本武尊はクシを見つけました。それが弟橘比売のものとわかると悲しみがこみ上げて、去りがたい思いでいっぱいになりました。木更津(きさらず)は、この時の日本武尊の「君さらず」からきています。

 この後、東国を平定し、日本武尊たちは帰途につきました。そして、関東地方を去るにあたって嬬恋村で
「あずまはや(わが妻や)・・・・・」
と3回も嘆き叫んだと言われております。

 その後、三重県伊吹山で、最期の戦いを行い、ボロボロになって歩くことさえできなくなります。それでも血まみれになりながら大和を目指して歩き続ける日本武尊でしたが、さすがに衰え、能煩野(のぼの)で、ついに力つきました。そして

「やまとは 国のまほろば たたなづく青垣  山ごもれる やまとし うるわし」

と歌いになられ、亡くなられました。


104-18-13.JPG


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング





posted by マネージャー at 01:57| Comment(0) | 四阿山・バラギ高原 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

円通殿 マネージャーのミステリーツアー7

円通殿 マネージャーのミステリーツアー7

 嬬恋村干俣に干俣小学校がありますが、その隣に円通殿があります。永正年間1504年頃曹洞宗常林寺の住職をしていた旭邦和尚が隠居庵として建て、師(近江の禅寺の円通上人)を偲び円通殿と名付けました。和尚は村人に手習いを教え余生を送ったといいます。で、明治維新後は、この円通殿が小学校となったそうです。

104-18-14.JPG

 ところで私が嬬恋村に来て、驚いたことは寺院の少なさです。私が生まれ育った佐渡ヶ島には、宗教法人名簿に登録されているだけでも、神社は267、寺院が281もあります。しかし、嬬恋村には、寺は2つしかないんです。しかも曹洞宗だけ。他の宗派は無し。大きさは、たいして違いませんよ。

  佐渡島の面積は、約857平方km
  嬬恋村の面積は、約337平方km

そんなに差がないのに、寺院の数、石仏の数は、何百何千倍も違っている。もう一つ言うと、現在の佐渡の寺院は、廃仏毀釈のために江戸時代にあった数の(正確な数字は忘れましたが)半数ぐらいしかのこってないはずです。 つまり、現在のものより膨大な寺院・石仏があり、それを守ってきた島民の信仰がありました。ところが嬬恋村には、常林寺と無量院しかありません。この円通殿も鎌原観音堂も住職はいません。宗教法人の形をなしていません。

a7eb0.jpg

 ところで寺院に関係する建物には堂と殿があります。古くから在った宗派では堂を使いました。観音堂とか阿弥陀堂などです。これに対し、禅宗(臨済・曹洞宗)などでは、本尊を祀る建物を仏殿と言う様に殿を多用しました。円通殿は、建物こそ小さいですが、禅宗様(唐様)の影響を色濃く残したもので、禅宗風の文化がかいまみられます。





つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング





posted by マネージャー at 21:49| Comment(0) | 四阿山・バラギ高原 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月23日

日本武尊は、本当に嬬恋村を通過したのか? マネージャーのミステリーツアー8

日本武尊は、本当に嬬恋村を通過したのか? マネージャーのミステリーツアー8

「日本武尊(ヤマトタケル)は、本当に嬬恋村を通過したのか?」

という質問を受けました。
私は、そくざに、こう答えました。

「そういう伝説が嬬恋村の田代にあるのです」
「でも、日本書紀には、碓日坂を通過したとになっています。だから碓氷峠が正解であって、鳥居峠ではないのではないですか?」
「そういう説もあります」
「嬬恋村には、碓氷峠という地名はないですよね」
「今はね。しかし、鳥居峠は、今でこそ鳥居峠と呼ばれていますが、嬬恋村では昔は、ここを碓氷峠とよんでいたんです。鳥居峠という名称は、長野県民がつけたのです」
「そうだったんですか?」
「黒斑山だって、長野では黒斑山でも、群馬では三つ尾根ですよ。呼び名が違っていて、たいていは長野の呼び方を国が採用してるケースが多いんです。嬬恋村にとっての碓氷峠は、鳥居峠のことでした」
「知らなかった」

10-4-12-1.JPG

「それに吾妻郡村誌によると、嬬恋村の大笹は、古時、碓氷郡に属したと記録されています。今は高崎市と合併してしまった旧倉渕村も碓氷郡に属したと記録されています。碓氷郡というのは、太古の昔は広かったのです。旧倉渕村と北軽井沢と嬬恋村の一部も碓氷郡だったくらいですから」
「へえ」
「さらに、碓氷峠ですが、これは比較的最近開かれた道であり、古代は入山峠こそが一般的な古道でした」
「入山峠?」
「現在の碓氷バイパスのあたりです」
「あのへんですか」
「あのへんは昔から入山峠といってて、碓日坂と呼ぶ人はいなかったのです。」
「そうだったんですか!」

104-18-11.JPG

「ここで、もう一度、日本書紀をおさらいしてみましょう。日本武尊は、碓日の坂で、弟橘姫を偲び、東南を望りて三たび嘆きて曰く「吾嬬はや」とのたまふとあります。実際に入山峠に行って『東南を望りて三たび嘆きて曰く「吾嬬はや」とのたまふ』を実行してみてください。入山峠から東南を見ても何も見えません。山の壁があるだけです」
「・・・・」
「逆に鳥居峠から『東南を望りて三たび嘆きて曰く吾嬬はやとのたまふ』を実行してみてください。眼下に吾妻の集落があり、峠を越えた瞬間、民家はゼロとなり、関東とは違う風景となります。鳥居峠の方が自然なのです」
「うーん」
「まっ、真相は闇の中ということです。どれが真実か? それを知る手がかりはありませんが、少なくとも嬬恋村の鳥居峠説を否定するだけの有力な根拠もなさそうですね」


09ben-07.JPG

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 23:48| Comment(0) | 四阿山・バラギ高原 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月25日

四阿山縦走1 菅平からバラギ高原

四阿山縦走の風景です
今回は菅平からバラギ高原でした。

108-25-01.JPG

で、今回のメンバー。

108-25-08.JPG

あれ?
パワースポット氏がいるのに女性参加者がいない?
宿泊客は、女性がいっぱいいたのに、なぜ?

その理由は、ツアーに、逆パワースポットマンがいたからです!

108-25-28.JPG

チーン!

108-25-27.JPG

チーン!

108-25-26.JPG

チーン!


108-25-02.JPG

でも、景気はすばらしい!
山が美しい!
花もいっぱいです!

108-25-03.JPG

108-25-12.JPG

逆パワースポット?
108-25-05.JPG

108-25-06.JPG


....逆パワースポットマン.....?
108-25-07.JPG

108-25-09.JPG

108-25-10.JPG

108-25-11.JPG

108-25-13.JPG

108-25-14.JPG

108-25-15.JPG

108-25-16.JPG

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング





posted by マネージャー at 13:41| Comment(2) | 四阿山・バラギ高原 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月26日

四阿山縦走2 菅平からバラギ高原

四阿山縦走2 菅平からバラギ高原

このルートは面白い!

108-25-17.JPG

108-25-18.JPG

108-25-19.JPG


頂上に到着!

108-25-22.JPG

108-25-20.JPG

108-25-21.JPG

すばらしい景色

108-25-23.JPG

108-25-24.JPG

108-25-25.JPG

108-25-29.JPG

108-25-30.JPG

108-25-31.JPG


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング





posted by マネージャー at 00:00| Comment(0) | 四阿山・バラギ高原 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月16日

的岩までラッセルしてきました

的岩までラッセルしてきました
大雪で大変だったです。

112-16-01.JPG

112-16-02.JPG

分かる人には、わかりますね?
こんなに積雪が

112-16-03.JPG

テープの位置と雪の位置。

112-16-05.JPG

これがルート

112-16-04.JPG

このような場所で、途中でテープが無くなりますから
画像のように道は全く分からなくなる。
だから、この山を知らない人は、地形図がないと確実に迷います。
読図ができないと、登れません。

112-16-06.JPG

的岩到着。

112-16-09.JPG

バックに浅間山。

112-16-08.JPG

鳥居峠から往復4時間半。
けっこう時間がかかりましたね。

112-16-09.JPG

このルートは、去年、私が大量のテープを設置したのですが、
何者かが大半を撤去していました。
おそらく夏山しか登らない人が撤去したんだろうなあ。

(気持ちは分かるけれど、スノーシュー人口が増えた今となっては、夏山の感覚だけでテープを撤去するのは、いかがなものかと。冬になると道は見えなくなるし、素人が迷う可能性は大きくなる。もっとも、そういう人は入るなという正論も充分わかってますけれど、もう少しスノーシュー愛好家への親切心があっても良いと思う)


というわけで、どうせ撤去されるなら、再びテープを設置するのはやめようと思っています。

ですから素人が登ると途中でテープがなくなるので遭難します。
変なところに行ってしまいますので、気をつけてください。

112-16-10.JPG

ちなみに今日、道に迷って途中撤退した人に出会いました。
ベテラン登山家のようでしたが、かなり苦戦した模様でしたね。
私がトレースつくった後に登れば、こういうことは無かったのに。

それにしても、ここは携帯が通じないので危ないよなあ。

112-16-11.JPG

つづく

↓ブログの更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 23:34| Comment(4) | TrackBack(0) | 四阿山・バラギ高原 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする