2020年03月12日

台風19号で被害をうけた嬬恋村 その1

 もう時効だとだと思うので、書き留めておきますが、実は皆さんに謝らなければならないことがあります。去年に大災害をもたらした台風十九号の件です。軽井沢ブルーベリーYGHのブログやFacebookなどでは、大した被害がないと書きましたが、実は嘘です。風評被害を防ぐために嘘を書きました。

 もちろんうちの宿には、台風の被害はありません。ブログで書いたように三年がかりで庭の土壌改良をしたからです。庭を五十センチほど掘り石と砂利を置いた結果、水はけが良くなり、豪雨にびくともしませんでした。県道からうちの宿に入る村道も大丈夫でした。ここも私が三年がかりで土壌改良したので宿そのものには全く被害はありません。なので、翌日、村内を見回るまでは「今回の台風は大したことなかったな」と思っていました。

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 しかし、それは私の勘違いで、嬬恋村は壊滅的なダメージを受けていました。大半の村道が洪水に押し流され亀裂が入って、車は通れなくなっていた。県道も土砂で埋まっていました。村道が川となって砂利がえぐられて、その土砂が県道に堆積したために、徐行しないと車が通れなくなっていました。側溝も大きく削られ、県道のアスファルトの下の部分が空洞になり、その上をトラックが通ったら陥没しかねない状態でした。さすがに国道一四六号・国道十八号は大丈夫だったのですが、道路は泥だらけ。他の国道の状態は、分からない状態でした。

 これでは、お客さんを入れることができないので、大急ぎで道路整備のボランティア。スコップと一輪車を担いで近所の道路を整備していると、近所の不動産屋・工務店・農家の人たちも各自がブルドーザーなどで整備している。とにかく道路を整備しないと流通がストップしてしまい日常生活に支障が出る。政府や自治体が動くのを待っていたらダメ。なのでブログなどでは「なんともない」と書きながら、毎日のように土方作業を続行。

 こうして次から次へと道路が整備されていきました。この辺は工務店やキャベツ農家が多いので、ブルやトラクターがいっぱいあります。普通の住人も重機・軽トラ・除雪機用ブルを持っている人も多い。私も除雪機用ブルを持っていますので、それが大活躍。こうしてアッという間に道路が整備されていったのですが、問題は落下した橋やアスファルトが剥がれて亀裂の入った道路。こればかりは自治体にやってもらわないとならない。また、村内の被害状況がわからない。どの道路が通れるか、どの道路が通れないかわからない。

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 そんな時に大活躍したのが嬬恋村観光協会。彼らが村内の道路状況を逐一調査してホームページで次々とアップしてくれました。実は嬬恋村観光協会には、都会から来た若者たちの実行部隊がいます。いずれは都会に去っていく彼らが、道路をくまなく調査して次々とインターネットで発表ました。これには大助かり。この情報で、お客さんを宿まで誘導できることが分かってきましたし、どこに人手が足りないかも分かってきた。

 嬬恋村における台風十九号における雨量は累計四百八十五ミリを記録。吾妻川は各所で氾濫し、川幅を広げ、護岸ブロックを破壊、崖を崩し、建物や車両を流失させていました。多くの急傾斜地で崩落と土砂流出が起こり、他地域への移動ができなくなっていました。北軽井沢ブルーベリーYGHにも別荘地から避難民が泊まりに来ました。別荘のトイレが使用不可能になっていたからです。あまりの豪雨で、浄化槽があふれ出してトイレが流れなくなっていた。そういう家屋敷が多かった。

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 幸いうちの浄化槽は大型だったのと、営業開始以来、二十年にわたって四回にわたる排水のための改良を行ない、排水パイプを四倍に増やしており、そのうえに何度か水酸化ナトリウムの溶解能力を利用して配管清掃を行なっていたのでいたために十九号の台風の豪雨でも持ちこたえていました。

 不思議な事に停電は、ほとんどなかった。軽井沢や長野県は、酷い停電で冷凍庫の食材が全滅したというのに嬬恋村を含む群馬県では、大した停電がおきなかった。後で分かったことですが、八ッ場ダムのおかげで、下流地域が安全だったために停電被害が最小限だったと聞きました。

 結果として群馬県は、嬬恋村を除いて台風の被害は、ほとんど無かったのに、軽井沢を含む長野県の被害は酷かった。私は、台風直後に六歳の息子を含む家族で北アルプスの奥穂高に登っているのですが、その時に高速道路からみた長野県の平野部分の大半は水没していました。(嬬恋村以外の)群馬県の被害が大きくなかったので、余計に長野県の悲惨な状況に対してショックを受けました。



つづく。

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2020年03月11日

村上山・ゴム長ぐつ雪山ハイキング

 息子と一緒に村上山にゴム長靴でハイキングに行ってきました。 もちろん雪山です。とはいうものの、豪雪というほどでもないので、スノーシューもアイゼンも装着なし。 ゴム長靴で登ってきました。

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 冬山と言うと、やたら危険を煽って、スノーシューだのアイゼンだの防寒装備だの、うるさく言う人が多いですが、そういうものにあまり神経質にならない方がいいと思いますね。神経質になるべきは天気予報でしょう。それと登山地図・登山届です。あと携帯電話ですかね。 登山好きな人は、ドコモと契約してた方がいいです。私もいろんな山に登っているし山小屋に泊まっていますが、ドコモの電波が一番よく届きます。他のメーカーはいまいちですね。ただしこれからどんどん改善されていくと思いますけれど。

 あとゴム長靴ですが、最近はいいものがたくさん出ています。一番いいのは、 雪が入らないように、紐で縛れるタイプです。ただし、それにこだわる必要性はありません。足カバーをつければいいだけです。登山靴につけるスパッツでもいいのですが、 長靴が大きすぎてサイズが合わないことが多いですから、コメリあたりに売っている足カバーで十分だと思います。

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 それから寒冷地に住んでいる人たちは、ゴム長靴の寿命が短いのに呆れていると思います。寒いところだと劣化が早いんですよね。まあこれは消耗品だと思って諦めるか、昔ながらのオールドタイプのゴム長靴にすれば、寿命が長いです。ただし、オールドタイプのものは、 重いし足が蒸れたりします。あとゴム長靴は、スノーシューを装着した場合、脱げにくくて便利だったりします。

  私は登山靴を五足持ってますが、スノーシューで登山に出かける場合は、ほとんど登山靴をはきません。大抵長靴です。雪山も近所の山で三月ぐらいに登る場合は、長靴で登山することが多いです。長靴にアイゼンとか、スパイク付の長靴とか。ただ、長靴は登山靴ほどもたないんですよ。それが難点。

 話が大きく脱線しました。
 村上山についてです。

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 村上山は、鹿沢の休暇村のところから登ります。この山は、私にとっては庭のようなもので目隠ししても登れますし、登山道以外のところからも何度も登っています。なので、熊に出会ったりカモシカに出会ったりしてますし、時々ルートの整備もしています。最近はだいぶ減ってきましたが、ルート上に残っている赤いテープは私がつけたものが多いです。

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 今回は、六歳の息子と、七歳の愛犬コロを連れて村上山を登ってきました。コースタイムは、夏山なら頂上まで60分ですが、スノーシューを装着したら120分くらいでしょうか。ゴム長靴だったら70分くらい。新素材の軽い長靴だと60分。

 ちなみに、この山には、過去に何百人何千人と一度お客様をガイドしたことがあります。息子が生まれる前は、毎週のようにガイドツアーを出していました。だいたい二時間ぐらいかけて頂上に登り、30分ぐらいで下山していました。ひどい時には15分で下山したこともあります。どうしてそんなに早く下山できるかと言うと、ソリで降りた からです。この山はソリで降りやすい山なんですよね。慣れてないとソリで降りると、かえって時間も体力もいるのですが、慣れるとあっという間に降りられます。

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 まあそんなことはどうでもいいとして、この山は、カラマツが多いので、新緑の頃や、秋の黄金色の紅葉の頃、すごくいい。しかも頂上の眺めが最高です。息子も、素晴らしい眺めにハイテンションではしゃいでいました。愛犬コロも大はしゃぎ。

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 こんなこと言うと不謹慎かもしれませんが、例のウイルス騒ぎで小学校がお休みになったおかげで、やっと親子で登山ができるようになりました。宿屋をやっていると、どうしても親子で出かけることができないので、これを機会にジャンジャン親子登山を増やしていく予定です。宿の方は休業状態なので。


つづく。

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2020年03月09日

烏帽子岳スノーシューハイキング(3月7日撮影)

 例のウイルス騒ぎで、急に小学校が休校になってしまったので、息子と嫁さんは毎日のようにスキー場に行っています。この機会にスキーをマスターするためです。スキーから帰ると二人で将棋を行っています。かなりのヘボ将棋。駒の動かし方を説明書を見ながら動かしているので、いつまでたっても決着がつきません。仕方がないので、私が時々中に入って将棋を教えているのですが、二人とも上手になるためにはまだまだ時間がかかりそうです。

 それはともかくとして、毎日スキーに行っていると、 かなり疲れるのと、お金もかかってしまうので、そこが悩ましいところです。本来なら息子は、空手やキックボクシングの習い事してるんですが、例のウイルス騒ぎでほとんどの公共施設(体育館)が借りられなくなってしまったため空手教室もキックボクシング教室も開かれなくなってしまっています。スケート部も終わってしまったし、このままではかなりの運動不足になってしまうので、スノーシューに出かけるしかありません。なので、土曜日に烏帽子岳にいってきました。

 残念なことに今年は、暖冬で雪が少ない。そのためにスノーシューシーズンもそろそろ終わりに近づいてきています。浅間隠山や鼻曲山は、かなり雪が溶けてきています。なので今回は烏帽子山に行ってきました。

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 烏帽子岳は、湯の丸山よりもコースタイムが1時間以上長くコースタイムは4時間かかるのですが、標高差はたったの340 M で、なだらかなために非常に登りやすい山です。ほとんど息を切らさずに登ることができます。

 スタート地点は、 湯の丸山と同じく地蔵峠からです。そこから15分歩くと、南極探検隊が訓練をしていたキャンプ場に到着します。 そこからさらに90分ほど歩くと湯の丸山と烏帽子岳の中間地点に到着。

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 本格的な登りはそこからですが、
 かなりなだらかなので、
 30分も歩くと烏帽子山の稜線部に到着。

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 そこから30分ほど下に前進するとニセ烏帽子岳(小烏帽子岳)に到着。
 ここでスノーシューを脱ぎます。
 そして長靴でスタート。
 3月の烏帽子岳は、登山靴よりゴム長靴がいい。
 雪がどんどん解けてくるからです。
 靴がぬれなくてすみます。

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 ここから先は岩場なので、
 ゴム長靴で30分ほど登って頂上に到着。

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 頂上ではお弁当を食べました。

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 このウイルス騒ぎで、お客さんのキャンセルが相次いだので、お弁当は手作りです。本来なら、お客さんに出すはずだった料理をお弁当に入れてきました。ちなみにこの日は土曜日です。おもちゃ王国が、ウィルス騒ぎで一週間ほど休館になってしまったために、おもちゃ王国プランのお客さんに連絡したら 、全員キャンセルになってしまいました。もちろんキャンセル料なんかいただけません。まあ仕方がないですね。今年はただひたすら我慢するしかありません。こういう年もあると想定していたので、少しばかりの蓄えはありますので、今はひたすら我慢するしかありません。それにしても消費税増税に、ウイルス騒ぎ。今年は大変な年になりそうですね。

 とはいうものの、どんな大事件が起きても、浅間高原の雄大な景色に変わりはありません。美しい自然は美しいままです。癒されますね。故人曰く「国破れて山河あり」とはよく言ったもんです。この風景さえあれば言うことはない。この自然を守っていければ、私たちはなんとか生きていける・・・そう思いました。インドアがダメでもアウトドアがある。

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 烏帽子岳の山頂はとても眺めが良くて、北アルプスが一望に見渡せました。後は、お弁当を食べて下山。下山はあっという間です。スノーシューを装着していると下山は早い速い。あっという間に下山して帰路に着きました。後は帰って息子と嫁さんのへぼ将棋の面倒見てあげるだけです。

つづく。

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2020年03月08日

湯の丸山スノーシューハイキング(3月3日)

 例のウイルス騒ぎで、急に小学校が休校になってしまったので、息子と一緒に湯の丸山にハイキングに行ってきました。まず烏帽子山の登山口入口からスノーシューで歩いて行くと、やたらと巨大なスノーモービルがどんどん行き交います。

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 こんなところに大きなスノーモービルがやってくるなんて、何の騒ぎだと思っていたら、臼窪湿原のところに、冬山の用のテントがずらりと並んでいました。

「中学校の林間学校を今頃やっているのかな?」

と思っていたら、怪しげなテープが林の中にいくつも貼り付けてあります。

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 これはいよいよおかしいと思いつつ前進してみると、下山途中の2人組に出会ったので、登山家の常識としてあいさつをしたのですが反応が薄い。とりあえず頂上の雪の様子を聞いたらおかしな回答が返ってきました。

「どうも話が通じないなぁ」

と思いつつ、さらに前進すると、ものすごい数の団体様がスノーシューを装着して現れました。どう見ても素人さんの集まりだったので、どこの旅行会社だろう? 先導してるのはどこのガイド会社の人たちだろうと思いつつ、先頭の人と山の情報を交換しました。さすがに先頭の人は、山屋さんらしく、貴重な情報を話してくれます。

 お礼を言い、彼らを尻目に、さらに前進すると、また数十人の団体様がいる。話を聞いてみると、どうやら南極探検隊の訓練をしているとのこと。それを聞いて世間は狭いなぁと感心しました。うちの宿の元スタッフに南極探検隊がいて、今は黒姫で「ふふはり亭」というペンションをやっているからです。

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 それはともかく、湯の丸山に向かうルートが無茶苦茶になっていました。熊笹の上を歩いて山に登っている。おそらく訓練のためでしょう。熊笹の上に雪が積もっているところをスノーシューで歩いたら、とんでもないことになります。南極探検隊のみなさんは、さぞかし苦労したことでしょう。というか今年は暖かいので、訓練になってなかったかもしれません。

 というわけで、私は足跡のついてない正規ルートを登ることにしたのですが、息子と嫁さんは、よせばいいのに熊笹ルートを登ってしまった。息子たちも大分苦戦したようでした。

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 そして頂上。湯の丸山の頂上は、あっという間です。
 冬ならば汗をかかずに登れる素晴らしい山です。
 ちなみに、その日は湯の丸山の山頂はとても眺めが良くて、北アルプスが一望に見渡せました。
 ここでお弁当を食べて下山。

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 下山はあっという間です。
 スノーシューを装着していると、
 夏の湯の丸山を下山するよりも早く降りられます。

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 下山すると、南極探検隊の人たちの冬用テントが片付けられて、ロープによるクレパスからの脱出訓練を行っていました。 私たちはそこを横切って下山。こんなにも天気がいいのに、探検隊以外の登山客がほとんどいなかったのには驚きです。このぶんなら当分、近くの山を独占して遊べそうです。



つづく。

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2020年03月07日

2月14日に思うこと。その10 小学校で部活動する意味

 息子は小学校に入ってまもなくスケート部に入部したわけですが、十一月の本格的な練習が始まる前まで幽霊部員でした。空手とキックボクシングを習っていて、時間帯が見事にバッティングしていたからです。なので、息子が、きちんとスケート部でみんなと一緒に練習していたのは、たったの三ヶ月間だけでした。

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 期間は、たったの三ヶ月間だけでしたが、息子にとっては非常に楽しかったらしく、二年生になってもスケートをやりたいと私にせがんできました。また、六年生の部長さんをとても尊敬しているらしく、小学校で一番好きなのは、スケートボード六年生の部長さんだと言い切っています。もちろん他の先輩たちも大好きだったようで、
「スケート部の人たちはみんな優しい」
と言っていました。

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 小学校一年生で部活動を体験し、色々な先輩を尊敬し憧れるというのは、息子にとっては非常に貴重だったかもしれません。もちろん親の役目は大変でしたが、六年生から一年生という様々な学年が一緒になって練習する。そういう体験は本当に貴重だった。

 話は変わりますが、ユースホステルという分野の宿を私は経営しているわけですが、ユースホステルには、昔はヘルパー制度というものがありました。ヘルパーというのは、介護ヘルパーのことではなくて、ユースホステル(宿屋)でボランティアをする人たちのことです。それをヘルパーと言っていました。

 何を隠そう私も、釧路牧場ユースホステルと言うユースホステルで、二年間・二シーズンに渡ってヘルパーをしたことがあります。もちろんボランティアですから、給料はありません。交通費みたいなものが少しばかり出るだけです。ただし、従業員ではありませんから、お客さんと一緒にお茶を飲んだり、時には遊びに行ってかけたり、ヘルパー同士で夜遅く酒を飲んだりして楽しんだりします。

 ヘルパーの多くは、大学のユースホステル研究会が送ってくる学生さんで、ユースホステルに住み込んで、宿のお手伝いをします。いわゆる職場体験みたいなものですが、職場体験と違うところは、ボランティアであることです。

 もちろん、ヘルパーを採用しない宿も沢山あるのですが、うちの宿は、大量に採用していました。片っ端からヘルパーを採用していてしまったために、お客さんよりもヘルパーの方が数が多いということが多かった。もちろん大赤字。

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 私は、ヘルパーさんに、お客さんと一緒に食べさせ、お客さんと一緒に遊ぶようにさせた。お茶会には、酒・ジュース・茶菓子を必ず出していましたし、人数が多ければ、ギョーザ・お好み焼き・ピザ・にんにく揚げ・ローストビーフなんかも出していた。誕生日の人がいれば、ケーキを焼いたりもしていました。今思えば、どうしてあんなことが十数年も続けることができたんだろう?と不思議に思うくらい働いた。

 まあそんなことはどうでもいいとして、大量のヘルパーさんを使ってみると、どうしても仕事のできるヘルパーさんと、全く仕事のできないヘルパーさんがいることが分かってくる。そして、仕事のできるヘルパーさんは、必ずと言っていいぐらい、運動部で頑張った人たちだった。たとえ宿屋の仕事ができなくても、運動部系統の人たちは、短期間で仕事ができるようになってしまう。言われなくても動くようになる。仕事を目で覚えるタイプの人たちが多いのです。それを思い出してしまった。

 話を戻します。

 小学校一年生から部活動をやる。これは非常に貴重なことでした。顧問の先生は、上級生には厳しく接しますが、そのおかげで部全体にピリッとしたものが出来上がる。特に礼儀作法を徹底して教えられるので、それが教育上大変好ましい状態になる。それが結果として上級生の人徳が磨かれることになり、その人徳が下級生にじわじわと伝わってくる。

 息子は、スケート部の先輩をとても尊敬するようになっていた。息子は、同級生と一緒に遊ぶ楽しさとは、違う楽しさを得ていたようでした。それは馬鹿遊びをする楽しさとは、違う楽しさで、充実感のあるものだったようだ。だからこそ、シーズンが終わってしまいスケート部の活動が無くなって息子はショックを受けていた。

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 そのショックを埋め合わせするように、息子は毎日のように、スキーの練習か、スノーシューで登山している。本当ならスケートをやりたいのだろうけれど、営業している屋外スケートリンクは、無くなってしまった。屋内リンクならあるのだけれど、例のウイルス騒ぎで使えなくなっている。となると屋外でできるスポーツに限定されるので、スキーかスノーシューということになってしまう。

 それはともかく、下級生が上級生を尊敬する。スケート部のみんなを尊敬する。こういう雰囲気を味わえたことが、息子の人間教育に悪い影響を与えるわけがない。しかも一年生で、こういう体験ができたことは、息子にとっては非常に良かったと思っている。

 ただ、残念なことは、スケート部の懇親会が中止となり、息子が一番尊敬していた六年生の部長さんと、きちんとしたお別れができなかったこと。そして六年生の卒業式にも出られなかったことが、息子にとって心残りだったようです。


つづく。

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2020年03月06日

2月14日に思うこと。その9 上級生とスケート勝負

 私は新潟県は佐渡島の生まれです。そして島の小学校を卒業していますが、そこにはスケートもスキー場もありませんでした。それどころか部活動そのものが、小学校にはなかった。せいぜい剣道や柔道の寒稽古をしたくらいです。これだって部活動ではない。その感覚で息子を小学校のスケート部に入れたのですが、それをペンション仲間・観光協会仲間に話すと、地元民は一様に驚きました。

「おいおい大丈夫かい?」
「・・・」
「スケート部は大変だぞ」
「どうして?」
「親のサポートが、半端ないから。それに金もかかるし」
「そうだね、スケート靴やレース用のウエア(ワンピース)が高いからね」
「そりゃ、スケート靴が高いのもそうだけれど、北海道に合宿に行ったり、韓国に合宿に行ったり、いくら金があっても足りなくなるから」
「はあ?」

 地元民いわく、スケートは、とんでもなく金がかかるという。まさかそんなことはないだろう・・・と、スケート部保護者の会議に出てみたら、息子の通う小学校では、部員が少なすぎて、そういう合宿は今年から廃止になっていたようでした。何十年も続いた夏季合宿が今年から廃止になってしまったとのこと。

 どうして?たかが小学校のスケート部ごときにお金がかかるのだろう?と不思議に思っていたのですが、十一月から始まった本格的な練習を見て「なるほどそういうことか」と理解しました。この地区のスケート部は、楽しく滑るという軟弱な部活動ではなく、全国大会を狙う。硬派な部活動だった。

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 十一月に入ると全国各地で毎週のようにスケートの大会がある。スケート部員たちは、それらの大会に武者修行として、どんどん出場する。交通費もかかれば、大会に勝つためのスケート靴にも金をかける。少しでも風の影響を受けないような高価なワンピースを用意する。もちろんレース前には、スケート靴のは歯を砥石(といし)で研がなければならない。みんな少しでもタイムを縮めようと親子で躍起になって頑張っている。で、親御さんも、若い頃はスケートの選手だったりする。選手でなくても、嬬恋村では子供の頃からスケートで遊んでいったし、そもそも体育の授業がスケートだったりする。

 この歳(59歳)までスケートとは全く無縁だった私は、そういうことを全く知らずに息子をスケート部に入れてしまった。で、後からいろいろ驚いてしまった。みんな十一月から二月まで、各地で行われるスケートの大会にどんどん出ていたけれど、息子は全く出てなかった。スケート大会は、たいてい日曜日に行われるけれど、日曜日は宿屋の稼ぎどきです。息子のためにスケートの大会に付き合うことなどとても無理だった。

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    レース用ワンピース


 しかし、吾妻郡の大会と、嬬恋村の大会だけは、なんとか出すことができた。会場が、車で五分の所にあったからです。もちろんお客さんが、ゆっくりチェックアウトしたら私が大会を見学することは難しい。しかし吾妻郡の大会では、たまたまお客様が早くチェックインしてくれたので、ギリギリ息子のレースに間に間に合いました。会場の中に息子を探すのは簡単でした。誰も彼もが、スケートレース専用のワンピースを着ていてほっそりとしている中で、うちの息子だけが、ぶかぶかに綿の入ったジャケットを着ていたからです。いかにも風の抵抗を受けそうな姿をしているのは、うちの息子だけなので一発で分かってしまう。で、レースがスタートすると、スタートダッシュが良かったのか、最初はトップでガンガン走っている。

 あれ?
 息子のやつはこんなに早かったか?

 というくらい速く走っていた。しかし後半になると、徐々に追いつかれて、同着でゴールしたように見えた。結局、0.1秒差で二位だった。悔しがっている息子の姿を見て、私はひたすら申し訳ないなーと思ってしまった。もうちょっと息子のために何かしてあげれば良かったと思った。息子をスケート部に入れた張本人のくせに、保護者として私は、かなり無責任だった。

 そもそも息子をスケート部に入れた理由が、尻餅をつかずに人並みに滑ればいいと言う低い志だったので、他の親御さんのように、各地の大会で武者修行させたり、立派な道具を揃えてあげてなかった。

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 スケートの練習も皆勤させてなかった。どちらかというと空手とキックボクシングを優先させていた。ただ、空手にもキックボクシングにも試合がなかったので、強さを測定できないので、息子にとってゴールが分かりにくかった。

 ところがスケートは、タイムを競うので、目標が見えやすい。それだけに0.1秒差でレースで勝てなかったことが悔しかったらしく、もっとスケートの練習をしたいと訴えてきた。次の週には、嬬恋村の大会がある。今度こそ勝ちたいと言ってきた。なので私は勝てるように手助けすることにしました。

 とはいうものの、親子でスケートの練習ができるのは前日の土曜日だけ。練習できるのは、たったの一日だけでした。が、何もやらないよりましなので、軽井沢のスケート場で少しでも風の影響を受けないように低姿勢で滑る特訓をさせました。スピードスケートについて何も知らない私には、それ以外のアドバイスができるわけもなく、私はひたすらストップウォッチでタイムを計り続けました。

 そしてレース当日。その日もお客様は早めのチェックアウトしてくれたので、なんとかレースに間に合いましたが、到着してみてびっくり。嬬恋村の大会では、一年生と二年生が一緒に競争することになっていた。しかも巨体の二年生たちと。並ぶと息子の頭が、相手の肩にとどくかどうかの圧倒的な体格差。

「相手が二年生じゃ勝つのは難しいなあ」

と思った私は、勝ち負けよりもタイムを縮めることにしようとアドバイス。レース直前には、ぶかぶかのダウンジャケット脱がせて、少しでも風圧の影響を受けないようにしました。結果は二位。さすがに二年生相手に一位はとれなかったけれど、前回よりも十秒近くもタイムが縮まっていた。

 これでいい。
 順位はともかく、先週の大会より十秒早くゴールしている。
 これは大きい。
 
 それにしても、もっと息子のスケートの面倒を見てあげればよかった。もう少し真剣にスケートと取り組んであげるべきだった。もっと大会に出してあげて、武者修行させてあげるんだった。ちなみにスケートシーズンは、二月で終わりです。三月となった今、息子は毎日のようにスキーに出かけています。例のウイルス騒ぎで小学校が閉鎖になってしまったので、この機会にスキーをマスターさせ、いずれスキーの大会に出してあげてもいいかな?と思っています。

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つづく。

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2020年03月05日

2月14日に思うこと。その8 スケート部の練習風景

 三月二十六日生まれの息子は、早生まれにもかかわらず、人様より成長がゆっくりとしていました。幼稚園の先生から、ワンテンポ遅れる。みんなができることできない。忘れ物ばかりする。三月生まれという点を差し引いても、非常に成長が遅い。そう言われてきました。実際、親の目から見てもスローペースだし、小学校で宿題のプリントをよく忘れる。教科書も忘れたし、水筒も忘れる。上着もどこかに忘れてしまう。筆箱に入っている筆記用具も毎日のように全部なくなってしまう。とにかく物忘れがひどい。

 その上ことばもゆっくりしている。会話のテンポが非常に遅い。だから、一学年下の子供たちと遊ぶと丁度いい会話ペースになる。いや、一学年下の子供たちの方が、もっとベラベラとしゃべれます。下手したら、二学年したの子供たちと丁度いい会話のペースになります。小学一年生の息子が、年中組の幼稚園生と会話すると丁度いいぐらいになって見える。それを心配してか、小学校の担任の先生は、ことばの教室に入ることを家庭訪問の時に勧めてくれました。

 ことばの教室とは、言語障害のある子供向けの特別支援学級のことで、言語障害のある子供のサポートをしてくれる教室です。ことばの教室に出席する間は、学校の授業はお休みになります。 担任の先生は、それを心配していましたが、うちの息子は勉強に対する理解だけは早い。通信教育で有名なチャレンジ一年生の教材が届きますと、一日で全部終わらせてしまう。なので、赤ペン先生の添削の手紙に、
「今回もたけるくんが全国で一番です」
と添削の回答が、満点で返ってきます。夏休みの宿題も一日で終わらせてしまう。

 ただ、会話のテンポが遅い。作業のテンポが遅い。忘れ物が多い。身の回りのことができてない。テキパキと動けない。要するにどんくさいんです。

 で、思い出したのが、息子が生まれる時に神仏に祈ったことでした。 天は、健康をくださった。「あとは自分でどうにかしなさい!」ということではないか・・・と思うしかなかった。なので、小学校入学と同時に、ことばの教室をはじめとして、空手・キックボクシング・陸上・縄跳び・各種の球技・スキーを習わせました。

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 小学校入学すると、小学校にスケート部があると聞いて、そこにも入部させようとした。嫁さんは大反対。しかし私は、どんくさい息子が、体育の授業で悲しい思いをしないですむように、スケート部で鍛えてもらおうと思った。そして、ちょっとでも滑れるようになれれば、ラッキーだと思っていた。

 なので私は息子にスケート部に入りたいかどうか聞いてみました。すると「入りたい」と言う。顧問の先生が優しいから入りたいと言いう。それなら入れてしまえと、入部届を書くのだが、嫁さんは大反対。親の仕事が増えて大変だからです。

 毎日のように子供たちを車に乗せて、軽井沢のスケートセンターまで交代で送迎しなければいけない。五十キロもある凍結した山道を走らなければいけない。子供たちの急な病気や怪我(けが)に対処しなければいけない。つまり何人かが子供たちを見張ってないといけない。その上、何万円もするスケート靴を用意しなければいけない。スピードスケートのウェアも必要になってくる。おまけにスケート大会に参加する場合、場所取りやら何やらで、朝四時から出発する必要性も出てきたりする。

 ものすごく手間と金がかかる。
 だから半端な気持ちではスケート部には入れない。
 なので嫁さんは大反対!

 現に、そういう理由で、入部した後にすぐに退部する子供たちも多かった。親がそこまで手をかけることができないからです。そんなに大変なのに入部させる親がいるけれど、大抵の場合は、親がスケート選手だったケースが多い。普通なら気軽に入部させるわけにはいかない。

 しかしそれを押し切って私は入部させた。嫁さんがボイコットしても私が全部面倒を見るつもりで入部させた。現に、空手教室もキックボクシング教室も、ほとんど私が送迎している。なので最初のスケート部の会合には、嫁さんではなくて私が参加した。で、会議室に行ってみると父兄は五人から六人くらいしかいない。あまりにも人数が少ないので不思議に思っていると、一年生から六年生までのスケート部全員で九人しかいないという。九人と言っても三人は、入学したばかりの一年生で、上級生の兄弟姉妹が、すでにスケート部員だったりする。つまり、幼稚園時代から兄弟姉妹でスピードスケートの練習をしていた人たちばかりで、全くの素人は、我が家の息子だけだった。

 うちの息子は、幼稚園の年長さんの時に軽井沢のスケート教室に三回ほど通ったことはありますが、その時に 履いていたスケート靴はフィギュアスケートの靴でした。何を隠そう私はスケートを滑ったことがありません。なので、スケート靴というものはあるとしても、それは一種類しかないと思っていました。

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 要するにスケート靴というものは、フィギュアスケートの靴だと思っていた。ところが、嬬恋村でスケートとは、スピードスケートのことをさす。なのでスピードスケート用の靴を履かなければならない。それを聞いた私は面食らいました。聞いてみると、嬬恋村村民は、スケート靴といえばスピードスケート靴のことであり、逆にフィギュアスケート靴を一度も履いたことがない。

 慌てた私は、ヤフーオークションで中古のスピードスケート靴を買って息子に履かせてみたのですが、息子は全く滑れなかった。フィギュアスケートなら、かなり滑れる息子が、スピードスケート靴になると、氷の上に立つことさえできなかった。こうなるとお手上げで、 息子にスケートを教えるすべがない。スピードスケート教室なんてものはないし、私も嫁さんもスケートなんか全くできませんから、愕然(がくぜん)としました。こうなるとスケート部の部活動で一から教えてもらうしかない。ただし、息子は他にも習い事(空手・キックボクシング)をしているので、毎日部活に参加することはできない。

「ああ、これはスケート部の中で落ちこぼれるな」

と思ったのですが、まあいい。みんなよりも少しでも滑るチャンスがあれば、体育で恥をかかなくてすむ。第一、一年生の男子スケート部員は、息子一人なので、誰よりも練習するチャンスがある。だからそれでいい。当面は、クラスの平均値よりも、ちょっとだけ滑ればそれでいい。そう思っていると、古参の父兄たちがいろいろ脅かしてきます。

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 スケート部に入った子供たちは、あまりの寒さに、涙を流して「帰りたい」とか「学校に行きたくない」と駄々(だだ)をこねるというのです。そしてやめていくというのです。そういうパターンがスケート部の伝統らしい。けれど、うちの息子に限っては、そういう心配はなかった。運動神経がいいとは言えない子ですが、我慢する能力だけは人一倍ある。 そもそも、うちの息子は、健康だけが取り柄で、三歳のころから氷点下十°の冬山にガンガン登っている。なので寒さには強い。知能や運動といった天性の素質に恵まれてはないけれど、我慢強さと、粘り強さと、コツコツと努力をする資質だけはある。だからそれだけは心配していませんでした。

 ところでスケート部の話です。

 スケート部の活動する期間は、非常に短い。十一月半ばから二月の半ばの短期間。正味三ヶ月間だけです。後の期間は、陸上練習になります。この陸上練習が、火曜日と木曜日で、息子の習い事である空手とキックボクシングにバッティングしてしまいました。なのでスケート部に入ったと言っても、 陸上練習には一度も参加することはなく、幽霊部員のママでした。

 そして問題の台風十九号が嬬恋村を襲いました。村のスケートリンクは壊滅的な被害を受け、 十二月末まで使用することはできませんでした。仕方がないので、軽井沢まで子供たちを連れて出かけて行ってスケート練習をすることになりました。そして初めて、息子と一緒にスケート練習の部活動に参加したのですが、驚いたのなんの・・・・。

  まずスケートの練習風景ですが、四つの小学校が、合同で練習するシステムになっていました。嬬恋村東部小学校・嬬恋村西部小学校・北軽井沢小学校・大桑小学校。これら四つの学校が、一つのスケート部として活動している。

 四つの小学校から、一人ずつ顧問の先生が参加していて、初心者を教える先生・中級者を教える先生・上級者を教える先生・全国大会を目指すレベルの子供たち教える先生と、別れて指導しているのです。先生だけではありません。子供たちの父兄もボランティアの先生になって教えています。場合によっては、マンツーマンで教えるケースもある。うちの息子も、最初はマンツーマンで教わっていました。学校と地域が子供たちにスピードスケートを教えているという感じです。

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 ちなみに四つの小学校の中で、一番スケート部の人数が少なかったのが、息子の通っている東部小学校です。全員揃ってもたったの九人。そのうち何人かは、他に習い事をしているので、五人だったり四人だったりする。他の小学校は、三十人から四十人もいてスクールバスでスケートリンクまで通ってきていたりする。北軽井沢小学校に至っては、学校の校庭にスケートリンクがあって、学校の休み時間にスケートをして遊んでいるらしい。息子が通う学校と比較するとスピードスケートにかける情熱がまるで違っている。

 おまけに何万円もする「ワンピ」とかいうスケートウエアを着ていたりする。それを着るとタイムが短くなるらしいのですが、そもそもうちの息子にスケートをやらせた理由が、尻餅をつかずに人並みに滑ればいいと言う低い志だったので、 そんなものを着させる気はさらさらない。風の抵抗が大きいブカブカで羽毛が入っている登山用防寒着を着させていた。だからレースとなると圧倒的に不利だったと思う。

 スケート靴にしたって、ヤフーオークションで一番安いサビだらけのやつを買ったし、その靴のサビを落として履かせるつもりだった。けれど、 ご近所の父兄から、すごくいいものを貸してもらうことになってしまった。

 で、レース(大会)の度にスケート靴を砥石(といし)で研ぐ必要があったのですが、そういう知識もないので、一度も磨いたことはなかった。研がないとスピードが出なかったり、カーブ地点で転倒したりするらしいのですが、そもそもそういう知識がないので、研ぐという発想さえもなかった。要は、息子が楽しくスケートを滑ってくれれば、それでいいと思っていた。今思えば、恐ろしいほど無知だった。

 なのでスケート部のボランティアに参加してみると、他の父兄の皆さん ・顧問の先生たちと、私は、かなりずれていることに気がつきました。スケート部の練習は、楽しく滑るというより、全国大会で 優勝を目指している。毎週のように全国各地の大会に子供さんを連れて行って、大会を経験させている。そして記録を更新している。だから親御さんたちの苦労も並大抵のものではなかった。朝5時に出発というケースも多かったらしい。一方、私は嬬恋村で行う大会以外は出させなかった。御客様がいるので遠方の大会に息子を送迎することはできなかったし、するつもりもなかった。

 また、成績上位者は、県から予算が下りて、正月を返上して合宿に参加することになっていた。合宿と言っても、小学校のすぐそばにある旅館に泊まり混んで、村のスケートリンクで朝から晩まで滑る合宿です。その強化合宿に予算がついている。もちろん顧問の先生も、正月を返上して合宿に参加している。

「これ、本当に小学校の部活動なの?」

と私はつぶやいた。何から何まで目が点になるばかりだった。

 しかし、不思議なもので、そういう環境の中で息子が練習していると、息子のやつもどんどん早くなっていく。スピードスケートの魔力に取りつかれていく 。空手やキックボクシングを休んでも、スケート部に出て練習したいと言ってくる。それほど真面目に取り組むようになってきている。そういう雰囲気に染まってきているし、それを嫌がってる様子もなく、むしろ楽しんでいる。

「伝統の差だね」

と嫁さんはつぶやきました。最近できたばかりの習い事教室だと、有力な先輩がいないために、どうしても子供たちが、ざわついてしまう。いくら先生に力があっても限界があると嫁さんは言っている。けれど、何十年も続いてるクラブ活動には、有力な先輩や、OBがいてピリッとした空気というか伝統のようなものがあるという。うちの嫁さんは、高校時代に全国を狙うレベルの吹奏楽団にいたので、その辺が痛いほど分かると言っている。実際そうなのだと思う。

 さて、吾妻郡のスピードスケートの大会のことです。
 会場は嬬恋村です。
 息子も参加します。
 というか初参加です。
 息子にとって初めてのレースです。

 その日は日曜日だったので、私はお客さんの相手をしなければならないために、吾妻郡の大会の見学は難しかったのですが、たまたま、御客様全員が、早くからチェックアウトしてしまった。私は、大急ぎで息子が出るレースを見に行きました。私としては
「たとえビリでも、最後まであきらめずに滑ってくれれば、それでいい」
と思っていました。楽しく滑ってくれればいいと・・・・。


つづく。

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2020年03月04日

2月14日に思うこと。その7 2月14日に万座温泉聚楽に宿泊

 宿業は、休日が一番いそがしい。つまり息子が休みの日に遊びにいけない。特に土曜日は絶対に出かけることができない。ただし抜け穴もある。金曜日です。小学校が週休二日制なので、 金曜日の放課後から出かけることが可能。もちろん土曜日の朝には、朝早くから帰らなければならない。金曜日の午後三時に息子を小学校に迎えに行って、そのまま近場の温泉ホテルに泊まる。または、嫁さんの実家に遊びに行って土曜日の朝に戻ってくる。 これなら宿屋の私も息子と一緒に旅行ができる。

 話は変わりますが、台風十九号の影響で、じゃらんや楽天で、復興割クーポンというもの発行されました。宿泊費の半額で泊まれるクーポンです。このクーポンは、それほど人気がなかったのか、何日すぎても売れ残っていたので、私たちが勉強のために使うことにしました。クーポンの期限は、二月二十八日(金)までです。で、二月二十八日に万座温泉聚楽にクーポンを使って予約したわけです。

 ところが後日、二月二十八日(金)に、息子が入ってるスケート部の食事会を行うことになった。ダブルブッキングになった。私は、 最初に決まっていた万座温泉宿泊を優先するつもりでしたが、嫁さんは、スケート部の食事会を優先したいと言う。あれほどスケート部に息子を入れることに反対していたくせに、スケート部の食事会&六年生のお別れ会に出たいと言う。

 観光協会の理事をやっている私としては、同業者の宿をキャンセルしたくない。しかし嫁さんは、スケート部の方を優先したいと言う。私にしたら、ありえないくらい非常識な発言をする。あまりに無茶苦茶な発言に私は激怒したのですが、とりあえず息子の意見を聞いてみたら、息子は万座温泉に泊まりたいと言う。けれどスケート部の部長(六年生)さんをとても尊敬しているという。あんな先輩になりたい とも言っている。

 仕方ないと思った私は、万座温泉のホテル聚楽に理由を言って、宿泊日程を二週間前の二月十四日(金曜日)のバレンタインデーに変更してもらえないかとお願いしました。この日しか、都合がつけかなかったからです。ホテル側は快く変更のお願いを聞いてくれました。バレンタインデーですから、価格設定も違っているはずなのに、快く OK してくれたホテル聚楽には感謝です。

 こうして二月十四日(金曜日)のバレンタインデーに、万座温泉聚楽に泊まったわけですが、私たちにはホテル聚楽に泊まるべく理由がありました 。何をかくそうホテル聚楽グループは、日本の温泉ホテル業のシステムをパターンを最初に作ったホテルだからです。夕食をバイキングにして、ダンスショーやマジックショーなどのイベントを取り入れて、
「遊びきれない温泉ホテル」
という・・・ホテルの中で娯楽が完結する昭和スタイルのホテルの先駆けを作ったのがホテル聚楽です。ホテル聚楽が最初であってその他のホテルは、その真似(まね)をしたと言っても過言ではありません。昭和の温泉ホテルのスタイルは、ホテル聚楽が開発したスタイル です。なので、この業界の人間ならホテル聚楽を知らない人はいないくらい有名です。

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 それともう一つ。ホテル聚楽グループを創設した社長は、県外に住む新潟県民なら知らない人はいません。私の出身地は新潟県なのですが、ホテル聚楽グループを作り上げた加藤清二郎は、長い間新潟県人会の代表を勤めており、三波春夫や小林幸子といった新潟県出身の歌手の後援者でもあります。

 新潟県人会は、ホテルオークラ・大成建設・帝国劇場などを率いる大倉財閥の創設者、大倉喜八郎(新潟県新発田市出身)が作った組織です。歴代の会長は、大倉財閥の関係者たちでしたが、昭和三十九年から昭和五五年までの間は、ホテル聚楽グループを作った加藤清二郎が会長として活躍していました。

 大正十三年、東京神田須田町に「須田町食堂」という洋食レストラン立ち上げた加藤清二郎は、戦前に一大外食チェーンを作った人で外食王と呼ばれたほどの有名人です。大正時代における日本の外食産業は屋台に毛の生えたような粗末なもので、みすぼらしい建物で食事を出しているところが多かったのですが、加藤清二郎は、あえてレストランを豪華な作りにし、当時としては、格安の値段で、カレー・シチュー・カツレツといった西洋料理を提供しました。

 豪華なレストランなのに、徹底した薄利多売で頑張った。そのために大人気となり、人々が押し寄せました。 そして、あれよあれよという間に八十九店舗という大外食チェーンを展開しました。 その上、大学・デパート・官公庁などの給食事業にも手を出しました。しかし、第二次世界大戦の米軍の B 29による無差別爆撃によって、日本は焼け野原になり、所有していたレストランの大半が消失してしまいました。戦後に残ったのは、たったの五軒だったといいます。

 昭和三十一年(1956)、水上温泉旅館湯原荘を買収して水上聚楽として開業。ホテル聚楽はここから始まりますが、本格的なスタートは、昭和三十七年(1962)に 飯坂温泉旅館角屋を買収してからです。飯坂ホテル聚楽・水上ホテル聚楽の二看板がそろってから本格的なリゾートホテルとしてスタート。

 食事のバイキング方式や、外国人ダンサーによるショーや、世界各地のマジックなどの興業をスタートさせました。これらは、全て聚楽が業界初ではじめたことです。上越線上野〜新潟間にて「列車食堂」開業。 また、上野駅の目の前(今は無き西郷会館)にレストラン聚楽第(じゅらくだい)をオープンさせ、旅のスタートから列車の中。そして終点まで聚楽づくめというラインまで作ってしまった。

 もちろんお金がたくさんかかります。その資金の大半は地方銀行から調達しなければならない。地方銀行(または地方に支店のある都市銀行)でないと金を貸してくれ無いからです。当然のことながら事業計画を銀行に提出するわけですが、 その事業計画は稼働率70%をもとにたてられていた。そうしないと資金が集まらない。

 しかし、そんな事業計画が通るわけがない。稼働率70%にするためには、週末どころか平日も満室にしなければいけない。けれど、そんなことは不可能です。不可能だから銀行はうんと言わなかった。しかし、聚楽グループは、その銀行にうんと言わしてしまった。そのからくりはこうです。

  昭和三十年から昭和五十年頃までは、日本には大型のディスカウントショップがありませんでした。カラーテレビにしても農機具にしても傘下の販売店に入って買わなければならなかった。東芝なら東芝の販売店。松下の販売店。そこでないと 買えなかった。で、それらの販売店が、激烈に競争していた。メーカー側は、それらの販売店に対して、マージンをつけた。例えばからテレビを一台売ると、 どこそこの温泉旅館に招待した。ホテル聚楽グループは、ここに目をつけた。それらの招待客を取り込めば平日が満室になる。問題はどうやって取り込むかですが、聚楽グループは、第二次世界大戦中のアメリカ軍を真似した。

 加藤清二郎は、米軍が B 29を使って行った無差別爆撃によって東京が焦土となり、自分の外食チェーンを壊滅させられたわけですが、その方法に感心していた。戦争に勝つには空爆が必要。地上軍の戦いだけでは勝てない。空からの支援がないと勝てない。だから徹底した空爆を行ってから地上軍を前進させなければ負ける。空爆が足りないと、いくら地上軍が頑張っても勝てない・・・と考えた。

 ホテルの営業にしても一緒ではないかと考えた。
 ホテル業にも空爆が必要であると・・・。
 ホテル業界において空爆とは、宣伝のことです。
 いくら営業が頑張っても知名度がなければ、お客さんは取れない。
 なので徹底した空爆。
 つまり宣伝を行う。
 それがあって初めて営業成績が上がるというわけです。

 若い人は知らないかもしれませんが、四十代以上の年代であれば、 ホテル聚楽の テレビコマーシャルを知らない人はいません。マリリンモンローのそっくりさんが
「聚楽よ」
とカメラ目線で叫んでいた テレビコマーシャルを何度聞かされたことか。


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  昭和時代の宣伝


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  平成・令和時代の宣伝


  当時、このCMに喜んだのは、大人たちよりも子供たちです。マリリンモンローのそっくりさんが、 下から吹き上げる風にスカートをひらひらさせて「聚楽よ」と色っぽくささやく姿を、子供たちが学校でものまねを良くしたことです。聚楽の CM は、まず子供たちから広まっていきました。農村から漁村そして山村。どんな僻地にも、聚楽の CM が届いていた。

 そんな田舎に聚楽グループの営業がくると、 漁業組合・農協・青年団・地元商工会などの反応がいい。営業取りやすいのです。また、農機具メーカー・家電メーカーなども、 田舎の販売店が行きたがってるらしいと聞いて「聚楽を使ってみるか」ということになる。 こうしてホテル聚楽グループの売り上げはどんどん上がっていくわけです。

 これが昭和時代に一世風靡(ふうび)したホテル聚楽グループの営業スタイルです。この聚楽スタイルは、草津・鬼怒川・伊豆など全国の温泉ホテルで真似され、昭和の温泉ホテルのスタンダードとなりました。

 前置きがずいぶん長くなりましたが、ここから本題に入ります。

 私の知る限り万座温泉のホテル聚楽は、いわゆるホテル聚楽グループと全く違うスタイルだと聞いていました。一体どんなスタイルなんだろう?という疑問は、ずっと昔から思っていました。万座温泉には、日進館という温泉ホテルがありますが、 こちらの方が、むしろホテル聚楽グループの営業スタイルに近いと聞いています。

 万座のホテル聚楽は、ネイチャーウォッチングをしていたり高山植物や野鳥の観察・スノーシューツアーを行ったり、ファミリーに優しい対応していると聞いています。ホテル聚楽グループと言うより、むしろうちの宿(北軽井沢ブルーベリーYGH)のスタイルに近い風の噂で聞いている。

 一体どんなスタイルなんだろう?

 たくさんの噂を聞いているうちに、実際に泊まってみたくなった。それで、色々あって、二月の十四日(金曜日)のバレンタインデーに家族で泊まってみました。そして実際に宿泊してみると、色々なことに驚かされました。

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 まず最初に驚いたのは、客室にタブレットが置いてあること。 wi-fi が繋がるというのは、どこのホテルでも当たり前のことですが、タブレットまで置いてある。それが無料で使えるというのは珍しいのではないでしょうか?

 客室は和室ですけれど、ベッドも置いてある。布団で寝ることもできるし、ベッドで寝ることもできる。浴衣も客室に置いてありますが、廊下にも予備の浴衣が置いてあります。サイズが合わなければ、廊下に置いてある予備の浴衣を自由に使えます。風呂場は、とてもいい眺めになっています。万座温泉で一番の展望でしょう。

 ありがたいことに、お風呂場にカメラを持って撮影できる時間帯があります。インスタやフェイスブックに画像アップしたい人たちは、その時間帯にカメラを持って見学に行くことができます。 この万座温泉ホテル聚楽では、外人によるダンスショーとか、マジックショーみたいなものはありません。その代わりに、温泉でゆっくりくつろげるような気配りが、色々とあります。

 この手の温泉ホテルにありがちな、 コインマッサージ機が、全て無料なことや、 湯上りにのんびりできるようなリクライニングチェアや血圧計や図書室もあります。星空観察のための星図形も置いてありました。日本酒の利き酒もやっているようです。

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 料理はバイキングでしたが、全体的に味が薄めで美味しかったです。四十歳以上の人間が喜ぶような味付けでした。お酒は千六百円で飲み放題だったので飲み放題にしたのですが、元が取れませんでした。大ジョッキ二杯飲んだら、もうフラフラになってしまった。五十九歳ともなると、めっきりアルコールに弱くなってくる。


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 なので、食後は、何度も何度も温泉に入りました。万座温泉は、世界で一番硫黄分 のおおい温泉でメタボに効くと言われていますが、その中でもホテル聚楽の源泉が一番硫黄分多いことで有名です。地上最強の温泉です。

 地元嬬恋村の人たちは、草津温泉よりも万座温泉をこよなく愛します。万座温泉に通って、病気を治したという人が数多くいるからです。名前を伏せておきますが、近郊のとあるユースホステルのオーナーが、 万座温泉に通いつめて癌を克服した と言ってました。その方は、 某大学の医学部の元教授だったと聞いています。 そういう実例を数多く耳にしてきたわけですから、私は温泉に入っては出て、温泉に入っては出ました。

 そのたびに睡魔が襲ってきます。
 これは万座温泉の特徴です。
 とても眠くなる。

 眠くなるたびに、マッサージ室で無料のマッサージを受け、目が冴えてきたら温泉に入りました。満天の星空のもとに、冬のダイヤモンドを眺め、シリウスとオリオンの移動を確かめながら、温泉に入っては出て入っては出るの繰り返しをしました。とても贅沢な一日でした。 おかげで硫黄の匂いが一週間ぐらい体から取れなかった。

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 けれど、すごくリフレッシュされた。
 体の調子がよくなった。
 やはり万座温泉はいい。
 温泉そのものがいい。
 こういう温泉には、外国人ダンサーによるショーや、世界各地のマジックなどの興業なんかいらないなあ・・・。
 酒もほどほどでいい。
 満天の星と、無料のマッサージ器があれば、それでいいや・・・・。
 



つづく。

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posted by マネージャー at 15:39| Comment(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月02日

トイレットペーパーに困っている御近所さん&御客様へ

 世間では、トイレットペーパーが不足しているらしいですね。宿業をしているため、私のところには在庫が少しばかりあります。ご近所さんで面識のあるかた、観光協会関係者・息子の同級生のご家族・または東部こども園・東部小学校の諸先生方。または、これから、うちの宿にお泊まりいただく御客様・過去に泊まったことのある御客様に定価でお譲りいたします。北軽井沢ブルーベリーYGHに取りに来られる方限定です。

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 商品は、イットコ芯なしスリム150メートルという業務用のトイレットペーパーです。業務用のエコ商品なので、普通のトイレットペーパーと肌触りなどが違います。それでもよければ、北軽井沢ブルーベリーYGHまでご連絡のうえ取りに来てください。商品の詳しい情報と価格は、楽天のサイトをみてください。

    ↓

https://item.rakuten.co.jp/akibaoo-r/hm000544911/?s-id=step0_pc_itemname


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つづく。

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posted by マネージャー at 13:41| Comment(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月27日

2月14日に思うこと。その6 スケート部に入った息子

 私は息子にスケート部に入りたいかどうか聞いてみました。すると「入りたい」と。スケート部の顧問の先生が、とても優しいから入りたいと言いう。そのときは、きっと優しい先生なんだろうなぁ・・・と思っていました。ところが優しいどころか、昭和のスポ根アニメを思わせるような厳しい先生だった。

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 この先生に限らず、うちの息子は、小学校の先生を優しいといいます。担任の先生も、すごく優しいと言い将来は小学校の先生になりたいと言い出しました。こんなことは初めてです。子供園の時は、先生になりたいとか、先生が優しいとか、そんなことは一度も話していません。けれど小学校に入った途端に、小学校の先生になりたいと言い出した。いったい、どんなに優しい先生なんだろう?と思い、空手教室などで一緒に練習している、二年生は三年生に話を聞いてみたら、真逆の反応が返ってきます。小学校で一番厳しい先生だというのです。それも一人や二人ではありません。多くの子供たちがそう言い放つのです。

 あれ?
 息子の言う話と全く逆だな?

で、思い出したわけです。息子が、顧問の先生がとても優しいからスケート部に入りたいと言う理由です。息子が優しいと思っている顧問の先生はとても厳しい方です。子供たちに厳しく接している。特に礼儀作法を徹底させている。スケートリンクに上がる時、リンクにお辞儀をさせているし、ふざけたことをしようものなら、すごい雷が落ちてくる。まるで巨人の星に出てくる星一徹のような厳しい先生なのです。その厳しさといったら空手教室よりもキックボクシング教室よりもはるかに厳しい。その厳しい先生を息子は誰よりも優しいと思っているのです。最初は、

 変だなぁ?

と思ったのですが、よくよく観察してみると、何ということはなかった。小学校の先生は、子供たち一人一人の個性に合わせて指導している。大人の一歩手前まで成長している六年生には厳しいけれど、スケートを始めたばかりの一年生に対しては、とても優しく接している。特にうちの息子は成長が遅れているので、なおさら優しく丁寧に接してくれている。それに対して息子は感動してる。スケートの先生が優しいと感じている。

 これは息子の担任の先生にしても一緒で、三月末生まれで成長が遅れ気味の息子に対して、とてもよく面倒を見てくれている。それを息子は微妙に感じ取っている。それで担任の先生が優しいと感動している。小学校の先生になりたいと言い始めている。で、息子が徐々に成長してきて、みんなに追いついてくると、担任の先生はそれなりに厳しくなったようで、
「先生が、前より厳しくなった」
と私に相談してくるようになりました。
「あーなるほど」
と思いましたね。先生は、子供の成長の度合いに合わせて指導しているんだと。すごくきめ細かく見てくれているんだなあと。

 こういう指導があると、親の教育がしやすい。うちの宿にはファミリーの御家族がいっぱい来ますが、小さい子には小さい子たちにもわかるように優しく指導してあげて、大きい子たちには、一緒に小さい子たちの手本になるように行動するようにする。そういうことが必要だということが、すでに小学校で体験しているわけですから、非常にありがたい。というか、小学校の教師が、一人一人の個性に合わせて、そこまで細かく見てくれているのか・・・と感動さえ覚えます。担任の先生にしても、スケート部の先生にしても、教育のプロはすごいですね。

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 まあそんなことはどうでもいいとして、スケート部の先生が、厳しく指導してくれるおかげで、スケート部の部長(六年生)の人徳が磨かれており、うちの息子は、あんな先輩になりたいと感銘を受けていています。

 小学校で一番大好きで、尊敬している人は、スケート部の部長さんだと言い切ります。あんな優しくて、すばらしい人はいないというのです。そのうえ将来は、ああいう先輩になりたいと、言い切っている。

 私が息子をスケート部に入れさせた理由は、体育の授業で息子に恥をかかせないためです。息子は成長が遅いので、運動の方もいまいちです。なので運動神経を必要とする、スキーやスケートを幼稚園時代からやらせていました。その延長でスケート部に入れたのですが、これには、うちの嫁さんも大反対。スケート部に入ると親の仕事が増えて大変だからです。

 毎日のように子供たちを車に乗せて、軽井沢のスケートセンターまで交代で送迎しなければいけない。五十キロもある凍結した山道を走らなければいけない。子供たちの急な病気や怪我(けが)に対処しなければいけない。つまり何人かが子供たちを見張ってないといけない。その上、何万円もするスケート靴を用意しなければいけない。スピードスケートのウェアも必要になってくる。おまけにスケート大会に参加する場合、場所取りやら何やらで、朝四時から出発する必要性も出てきたりする。

 ものすごく手間と金がかかる。
 だから半端な気持ちではスケート部には入れない。
 なので嫁さんは大反対!

 現に、そういう理由で、入部した後にすぐに退部する子供たちも多かった。親がそこまで手をかけることができないからです。そんなに大変なのに、入部させる親がいるわけですが、大抵の場合は、親がスケート選手だった例です。普通なら気軽に入部させるわけにはいかない。

 しかしそれを押し切って、私は入部させた。

 で、あんなにスケート部に入れるのを嫌がっていた嫁さんは、いざ息子がスケート部で少しずつ成長していくと、スケート部にはまってしまった。スケート部で親の行うボランティア作業は、私が全てやるつもりだったんですが、私が行ったのは、一回ぐらいで、あとは全部嫁さんがするようになっていた。

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 話は変わりますが、台風十九号の影響で、じゃらんや楽天で、復興割りクーポンというもの発行することになりました。これを使えば、宿泊費の半額で泊まれるクーポンです。このクーポンは、それほど人気がなかったのか、いつまでたっても売れ残っていたので、私たちが勉強のために使うことにしました。クーポンの期限は、二月二十八日(金)までです。で、二月二十八日に万座温泉聚楽に泊まることにしました。で、クーポンを使って予約したわけです。

 ところが、二月二十八日(金)に、スケート部の反省会という食事会を行うことになった。ダブルブッキングになったわけです。私は、最初に決まっていた万座温泉宿泊を優先するつもりでしたが、嫁さんは、スケート部の食事会を優先したいと言う。あれほどスケート部を嫌っていたくせに、スケート部の反省会(食事会・六年生のお別れ会)に出たいと言う。そこで大げんかになりました。

 観光協会の理事をやっている私としては、万座温泉の宿泊をキャンセルしたくない。そもそも、そっちの方が先なので、そっちを選ぶべきだと私は強硬に主張。しかし嫁さんの方は、スケート部の方を優先したいと言う。あれだけ嫌っていたのに、スケート部に思い入れが入っていました。というわけで夫婦の議論は、ずっと平行線だったので、息子の意見を参考にしようと、色々聞いてみたら、息子は万座温泉に泊まりたいと言う。けれどスケート部の部長(六年生)さんをとても尊敬しているという。あんな先輩になりたいとも言っている。

 仕方ないだと思った私は、万座温泉のホテル聚楽に、理由を言って、宿泊日程を二週間前の二月十四日(金曜日)のバレンタインデーに変更してもらえないかとお願いしました。ホテル側は快く変更のお願いを聞いてくれました。バレンタインデーですから、本当なら、お客さんがいっぱい来る日だろうし、価格設定も違っているはずなのに、快くOKしてくれたホテル側には感謝しかありません。

 心の中で「ありがとう」と思った私は、ホテル聚楽では、お酒などにをしこたま注文してお金落とすことにし、ホテルも、このブログで宣伝しようと決意しました。この時の宿泊については、後日、このブログにアップするとして、こうしてスケート部の食事会議参加できるようになったのです。その食事会は、本来なら明日、ホテルグリーンプラザで行うはずでした。


 ところが、コロナウイルス騒動で、イベント自粛のお達しがあった。
 息子は、尊敬する六年生の部長さんのお祝いができなくなったのを残念がっていました。


つづく。

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posted by マネージャー at 15:04| Comment(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする