2019年06月05日

息子が小学校に入学してから2ヶ月 その2 遠足の話

 息子が小学校に入学してから2ヶ月となった。その間に家庭訪問や、遠足などがあり、楽しそうに学校生活を送っている。

 今回は遠足の話。

 子供園のときも遠足はあったのだが、親が同伴だった。親が一緒ということは、親の財布も一緒についてくるのと一緒で、おやつも、昼食も、お土産も、親の管理下のもと、自由になるのである。しかし小学校の遠足は違う。親はいないのだ。

 で、息子の奴は、遠足計画書を作って私に見せた。そこには、おやつの種類や、弁当のおかずなどのメニュー表が細かく書かれてあり、このとおりのメニューを用意してくれと言ってきた。それをみた私は大爆笑してしまった。なんと細かいことか。

 息子の奴は、こういうところがある。毎日、母親に手紙を書いたり、日記を書いたりする。SFまがいのものを書いたりもするが、今回は遠足計画書ときているから、腹がよじれるほど笑ってしまった。

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 話は大きく変わるが、小学校に入学すると同時に、息子の奴に財布と貯金箱を買って与えた。そして、手伝いなどの労働・勉強などに対して10円ずつ支払うようにした。そして、店に連れて行き、自分の小遣いで買い物をさせたりした。ファイナンシャル教育のためである。

 息子の奴は、金が貯まるたびに、私と一緒に買い物に行き、安い駄菓子を2つ買って、一つは自分のものにし、一つは私に分けてくれた。まさか6歳の息子に駄菓子を奢られるとは思ってなかったので、さすがの私も涙を堪えるくらいに感激し、有難く頂戴した。

 しかし、あまり感動してばかりいられない。息子の性格からしたら誰にでも奢ってしまいそうだからだ。まだ、お金の価値・恐ろしさを充分に理解してないからだ。なので、

「お金は自分のために使いなさい」
「お金を貯めたら、もっと好きなものが買えるよ」
「お金が貯まっていくと、楽しいよ。お金持ちになれるかもよ」

とアドバイスしたら、アッとい間に守銭奴ぽくなってしまった。しかし、それはそれでいい。10円ほしさに手伝いでも運動でも勉強でも何でもするからである。以前は、おやつで釣って登山させていたが、これだと太ってしまう。10円ですむなら、そっちの方がいい。コストも下げられる。

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 話を戻す。
 遠足の話である。

 息子は、遠足計画書を作って、弁当のメニューや、おやつを細かく指定してきた。私は大爆笑したのだが、息子は、どうして爆笑したのか不思議そうだったので、それを分からせるために、スーパーに連れて行き、遠足に持って行く、おやつを3つ選んできなさいと言った。

 息子は、難しそうな顔をしながら30分もかけて、やっと3つ選んだ。
 よくみたら、どれも安い駄菓子ばかりだった。
 そしてレジに並んだら息子の顔が真っ青になっていた。

「お父さん、財布を忘れちゃった」

 どうやら息子は、遠足のおやつを自分の小遣いで買うつもりだったらしい。どうりで、安い駄菓子しか選んでないはずである。

「大丈夫、今回はお父さんが支払うからね」

 そして、家に帰ると息子の奴は、『遠足おやつ計画書』を作っていた。

「遠足おやつ計画書? どうして、そんなもの作るんだい?」
「だって、おやつは3つしかないから、いつ食べるか計画をたてておかないと、最初に全部食べてしまったら、あとが大変でしょ?」

 また爆笑してしまった。

「そんな心配しなくていいんだよ」
「どうして?」
「おやつは、3つだけじゃないんだ」
「どうして?」
「明日、リュックをあけてごらん。おやつが増えているから。お弁当もね」
「?」
「遠足は、タケちゃんの計画書だけじゃないんだ。お父さんの『遠足計画書』も追加されるんだよ。世の中、自分の計画どうりにいかないのさ」
「・・・」
「ま、明日のお楽しみということで・・・」

 こうして私は、息子の計画を破壊してしまった。
 私は息子のおやつを、密かに買っていて、それをリュックに入れて置いたのである。
 おやつは、3倍の10個に増えていた。
 もちろん弁当のメニューも息子の指定より豪華になっている。
 旅の楽しみは、こういうハプニングにある。
 計画どうりの旅なんてつまらないのだ。

つづく。

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2019年06月04日

息子が小学校に入学してから2ヶ月 その1

 息子が小学校に入学してから2ヶ月となった。その間に家庭訪問や、遠足などがあり、楽しそうに学校生活を送っている。担任の先生の感想を聞くと、予想通りというか、やっぱりというか、男の子たちは、超暴力的とのこと。これは子供園の頃と全く変わってない。子供園の担任の先生も
「こんな暴力的なクラスは珍しい」
と言っていたが、小学校に入学しても全く変わってなかったようだ。

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 それだけに息子の担任の先生は、最も最適任だった気がする。すごくテキパキとした先生で、細かいことに実に気がつく。何人も子育てを終えたうえに観光関係の環境の中で育ったせいか、処理能力が高い先生で、連絡帳に細かく報告してくれ、よく電話をくれる。息子の特徴もよく捉えていて、その短所・長所もよくわかっている。

 子供園の時も担任の先生には恵まれていたと思うが、今回の担任の先生は、それ以上、神レベルの仕事をしていると思う。毎年一年生を受け持っているらしいのだが、適材適所というところだろう。

 うちの息子は成長が遅い。これは、何年も前から分かっていた。はっきり分かっていた。最初はIQが低いのか?と思って検査してみたら、非常に知能指数が高いことがわかった。しかし、やはり成長が遅い。IQが高くても成長が遅い。それは誰が見ても一目瞭然。

 具体的に言うと永久歯が生えてこない。最近になってやっと歯が1本抜けただけ。動作も遅く言葉もゆっくりしている。忘れ物も多く、短期記憶に問題があるのでは?と思うところがあるのだが、知能検査の結果ではワーキングメモリの知能が120以上もあるので、そうでは無さそうである。

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 会話もファンタジックで、空想的な発想が多いのだが、論理的思考の知能は、最高レベルに高いので、どうして息子がファンタジックな会話をするのかさっぱり分からない。ファンタジック(空想的)と言えば、聞こえはいいけれけど、別の言葉で言うと虚実つまり『嘘』を言うのと同じなので、非常に危うい感じがする。論理的思考能力が高いのに、どうしてファンタジック(空想的)な会話をするのか? どうして熊のぬいぐるみと会話したり御飯を食べさせたりするのか? このへんがさっぱり分からない。

 話がそれた。

「こんな暴力的なクラスは珍しい」

という担任の先生の話である。クラスの男子の大半がキレやすく、すぐに乱闘するという話である。非暴力なのは、うちの息子を含め四人くらいしかいない。宿屋をやっている関係上、特に息子に対して絶対に暴力を許さなかったので、息子は非暴力に徹している。そのために子供園で、息子は女の子と遊ぶことが多かった。仲の良い女の子も多かった。

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 ところが小学校に入って少し変わってきた。男の子とも遊ぶようになってきた。子供園時代には絶対に一緒に遊ばなかった男の子たちとも遊ぶようになってきた。非暴力に徹している息子に少しスポットがあたってきたようだ。友人の家に遊びに行って、虫や魚をもらってきたり、一緒に宿題をやったりしている。

 非暴力が幸いしてか、みんなに可愛がってもらっているようでもある。息子が忘れ物したとき、先生から直に電話がかかってきた。こういう時の先生の行動は速い。私が、忘れ物を届けに行くとクラス中の人たちが
「タケル君、よかったね」
と口々に叫んでいた。みんな心配してくれていたようだった。息子は、みんなから弟のような存在で見守られているのかもしれない。



つづく。

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2019年05月28日

浅間高原シャクナゲ園ハイキングツアー

 浅間高原シャクナゲ園で、しゃくなげ園まつりを開催中です。昨日は、まさにピークで、これからは花が少しずつ終わっていくようになります。なので、昨日は浅間高原シャクナゲ園ハイキングツアーを行ないました。

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 今年は、シャクナゲが大豊作。
 で、昨日はテレビ朝日で生中継が行なわれ、
 そのせいか来場者が殺到し、たいへん混雑したようです。

 しかし、私はうちの御客様をオープン前に連れて行き、
 うちの御客様には誰もいないシャクナゲ園を独占してもらいました。
 無人のシャクナゲ園をみてもらいました。
 なにせ、シャクナゲ園の受付をしてるのは、うちの嫁さんですから。

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 その後は、滝めぐりをして軽井沢で解散。
 とても良い天気に恵まれました。

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つづく。

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2019年05月18日

今年は、浅間高原シャクナゲ園のシャクナゲが大豊作 

 浅間高原シャクナゲ園で、しゃくなげ園まつりを開催中です。昨日は、一日中、班長として受付のボランティアをしていました。今年は、シャクナゲが大豊作なために、来客も多く、電話受付・弁当などの物販・マスコミ対応・役場業者対応・園内ガイドや説明で大忙し。そのために閉園後の会計が会わなくて大変。おまけに、閉園間際の16時頃に御客様が殺到して、てんてこ舞い。御客様には、
「24時間やればいいのに」
と叱られましたが、スタッフは宿屋のオーナーのボランティアなので、はやく宿に帰らないと、お金を支払って泊まってくれる御客様にご迷惑をかけてしまいます。なので、24時間やれないんですよ。みんなボランティアなんです。宿屋のオーナーが奉仕活動で管理をまかされているだけなんです。

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 もちろん環境美化協力金として300円いただいてますが、これは仮設トイレ・駐車場整備・除草などの園内整備の他に、無料ガイドさん、チラシ・ポスター・案内看板費・通信費などで消えていきます。昨年は入場数が少なくて大赤字で、観光協会の台所は火の車となり、いくつかの支払いが未だに未払いとなっています。

 なので、24時間営業は無理なんですよね。どうか16時閉園にご理解ください。16時閉園でも私たちは、その後に片付けの仕事があって園を出られるのは17時頃。宿に到着するのが17時30分ですから、18時に夕食をとられる宿泊の御客様がいたら、地獄の忙しさなんですよね。

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 まあ、そんなこと、どうでもいいとして、今年は、シャクナゲが大豊作です。
 気温も低いせいか、花が例年より長持ちしています。
 昨日は、三分咲きでしたが、きれいでした。
 ピークは、おそらく5日後くらいでしょうね。

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 ちなみにシャクナゲ園では、シャクナゲを千円で販売しています。
 超格安です。
 暑い地域の人は、屋久島シャクナゲがお勧めです。
 高原にお住まいの方は、アズマシャクナゲがおすすめです。
 千円は、安いと思いますよ。
 嘘だと思うならネットで検索してみてください。
 五千円はしていますから。
 それが証拠に毎年、業者さんが大量購入していきますからね。




つづく。

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posted by マネージャー at 07:30| Comment(0) | 日記 2013以降 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月17日

日々、天気晴朗

 天気が良いせいか、最近は、バイクの御客様がめだちますね。ライダーさん達も、すっかり高齢になってしまっていて、若い人がいなくなっています。なので、ライダーさん達は平日に訪れます。


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 あと平日に多いのが幼児連れの自営業者の方達。自営業者の方は、非常に腰が低いので一発でわかりますね。仕事病なんでしょうかね。日常が仕事モードから抜けられないんでしょうね。


つづく。

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2019年05月12日

軽井沢で自転車レースがあり、週末は素泊まりの御客様が目立った話

 さすがに10連休のゴールデンウイークは、きつかったです。10日間、ずーっと満室だったですものね。若い頃と違って歳も歳なので、無理が出来なくなっています。体力の復活まで1週間もかかってしまいました。ブログもFacebookも何も手がつかなかったです。

 そういう状況下でも息子の食事を作ったり相手をとなければならない。これもキツかったです。ゴールデンウイーク後は、一人旅の御客様(バイクが多い)が毎日のようにやってきましたが、相手できなくて申し訳なかったです。庭作業とか、夏支度なんかがあって、毎日へとへとでした。今年は、花壇を一つつぶし、樹の植え替えをやこなって庭を広くしました。今まで以上に子供たちが庭で遊べるようになっています。ドラえもんの漫画も100冊ほど買いそろえました。そのかわりにビデオは半分以上廃棄する予定です。いずれ1年以内には全廃し、全てdvdにしようかなと思っています。

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 嫁さんも、お散歩マップの改定で、大忙しです。ちなみに今日は、軽井沢で自転車レースがあり、週末は素泊まりの御客様ばかりでしたね。どうして、こんな遠くの北軽井沢に泊まるのか?と聞いてみたら、うちの宿が中間地点にあって、トイレを借りたいからだそうです。なるほど、そういう作戦でしたか。


つづく。

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posted by マネージャー at 22:19| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月26日

ゴールデンウイークの軽井沢は大渋滞になります

 いよいよ、明日から10連休です。毎年、ゴールデンウイークの軽井沢は大渋滞になります。今年は10連休なのでもっと混み合うはずです。特に10時から12時頃と、15時から18時にかけては、大渋滞します。これは、宿にチェックインする御客様や、宿からチェックアウトする御客様が、一斉に車を走らせるからです。逆に言うと、朝8時頃と、12時から14時までは、比較的にすいています。だから、15時前に北軽井沢に着くようにしていけば、大渋滞にまきこまれるおそれはありません。

 食事をとられている御客様は、早め早めの移動を心がけ、予定より早いくらいのチェックインをおすすめしています。10連休期間中は、15時前でもチェックインできるようにしていますので、混み合う前に北軽井沢にいらっしてください。

 特に用がなければは、軽井沢経由で北軽井沢に来るのは避けた方が良さそうです。おすすめのルートは、国道406号を経由して、二度上峠を通過するルートです。高速で来られる場合は、軽井沢インターではなく、東部湯の丸インターで降りて、地蔵峠・鹿沢温泉経由で来るか、渋川伊香保インターで降りて国道353号を草津・嬬恋方面に向かって走った方がよさそうです。


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 ちなみに嬬恋村の桜は、いまがピークです。北軽井沢の桜は、もう少し後ですね。おもちゃ王国ご利用の御客様は、当宿で事前に前売り券を手配してください。でないとチケット購入で30分くらい並ぶことになる可能性があります。前売り券があれば、並ばずに入れます。




つづく。

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2019年04月23日

昭和40年代、とある小学校の話7 小学校の入学式の服装の違い(1969年佐渡島と2019年嬬恋村)

 今年、息子の小学校の入学式に出てみて、私の頃と違うなあと思ったことは、男の子の大半がネクタイつきのスーツだったことです。私の頃(1969年)は、七割が学生服でした。残りの三割がスーツでした。女の子は、今と変わりなかったと思いますが、それでも一割くらいはセーラー服だったと思います。

 で、学生服・セーラー服の新入生の大半が、兄姉のいる家庭で、お下がりだったようです。つまり、私より世代が上になると、みんな学生服・セーラー服で入学式をしていたということになります。

 その世代になると、就職試験も大学入学式も学生服だったと思います。さすがに私の世代では、そういうことはありません。逆に言うと、当時は卒業式に女の子にボタンをプレゼントする習慣がありません。学生服は大学の入学式にも就職試験にも使うからです。

 私は、1961年生まれですが、この前後の生まれの場合、年度によってガラッと生活スタイルが代わってきます。1961年生まれだと、小学校の入学式では学生服が大半ですが、私の弟、つまり1964年生まれだと、小学校の入学式で学生服を着用する人は皆無になっています。

 その逆に1955年生まれの小学校の入学式では、ほぼ全員が学生服&セーラー服だった思います。もちろん佐渡島での話です。で、その頃は卒業式も学生服でしたし、小学校時代も六年間学生服を着つづける人もいました。ついでにいうと、私より3年くらい年齢が上になると、中学校に入ると全員が坊主頭でした。それが廃止になって三年後に私が中学校に入学してます。

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 当然のことながら校則も細かく厳しかったのですが、死文化されておりほとんど守られてない状況でした。特に厳しかった所は、服装の項目でしたが、これには訳があります。江戸時代の日本では、年齢によって着るべきスタイルが厳密に決まっていたために、その名残が明治・大正期までのこっていて、その影響で服装のことが厳密になっていたそうです。これは、当時の校長先生に教わっています。

 もちろん規則破りは、江戸時代も、明治・大正期も大量にいて、その破天荒さは、昭和時代の不良など、かわいいものだそうです。むしろ年々行儀が良くなってきていると、昭和50年頃の校長先生に聞いています。で、私の感想を言えば、平成時代の子供たちは、昭和時代より、もっと行儀がいいので、江戸期・明治大正の不良たちのスケールの大きさに唖然としますね。

つづく。

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posted by マネージャー at 12:41| Comment(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月22日

昭和40年代、とある小学校の話6 二年間に担任の先生が5回代わった話

 私は昔、体が弱くて病気がちでした。保育園児の頃には、病院に長期入院してましたし、遠足前日に熱をだしてよく休みました。すぐに風邪をひいたし、熱で難聴になったりもしました。小学校に入学直後には、肺炎になり1ヶ月も学校を休みました。そして1ヶ月後に登校すると、こんどは担任の先生が肺炎で入院したとのこと。結局、その先生は肺癌でお亡くなりになるのですが、当時は肺炎と聞かされており、すぐに復帰するものだと私たちも教育委員会も思っていました。

 で、非常勤(正教員ではない)の先生が、臨時に雇われ担任の先生となりました。そして、代理の先生が臨時に就任するわけですが、二年間に四人も担任の先生が変わりました。つまり、私が小学校入学後の二年間に五人も担任の先生が代わったことになります。平均して、一学期ごとに担任の先生が代わったわけですが、それは肺病で入院された先生が、すぐにでも復帰される可能性があったからだと思います。

 現に、その先生とは、町で何度も出会っています。というのも私の自宅が総合病院のそばにあり、総合病院は、子供たちの遊び場だったからです。そのうえ、その先生の御実家は、病院から徒歩十五分くらいの同じ町内にありました。

 まあ、そんなことは良いとして、二年間に5回も担任の先生が変わるという体験をすると、クラスが全く別物になることに気づきます。ある先生の時は乱暴な状態になるし、ある先生の時は静かなクラスになる。担任が替わるだけでクラスが全く違ってくる。

 ある先生は、「人間に成績をつけるが嫌いなのでテストに点数をつけません」と言って○×だけの答案用紙を返したりしました。当然のことながら通知表にもそれが現れますので、教育熱心な家庭の子供たちは自分の通知表に青ざめます。成績の良い子ほど両親に怒られていたと思います。みんな同じような平均値の成績をつけられていましたから。
 こういうことをしたら今なら大問題になるところでしょうが、昔は、こういう個性派教師がいても何の問題もなかった。ただし、この先生は、点数はつけなかったけれど、成績が良くなった子供に対しては、一人一人呼び出して、すごく褒めていました。点数はつけなかったけれど、褒め上手でした。そして親にもわざわざ言っていた。ただし、それが点数になってないので親の方は「?」と首をかしげていたと思います。

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 別の先生は、運動バカと言ってもいいくらいのスポーツウーマンで、体操ばかりやらせていました。この先生も変わり者で、生徒が「・・・をしたい」と言うと、本当にさせてしまう恐ろしい先生でした。例えば、「学芸会の出し物で何をやりたいですか?」と聞いてきたときに、よせばいいのにクラスの女の子が「バレエ」をやりたいと言う。バレーボールではなく、バレリーナのバレエです。当時、少女漫画でバレエがはやっていた。そんなもの佐渡島の田舎の小学校二年生ができるわけがない。しかし、その先生は
「じゃあ、やろう」
と言ったから大変です。授業をつぶしてバレエの特訓です。基礎も出来てない小学校二年生ができるわけがないのに、勉強そっちのけでバレエの特訓。そして、アホらしいことに何とか「くるみ割り人形」のバレエを上演してしまうのです。

 というわけで、教師が替わるとガラリと教室の雰囲気が変わることを体験したことは、非常に貴重な体験でした。そのうえ、どういうわけか校長先生は、全校集会で毎週、2ヶ月で入院してしまった元担任の先生の病状報告を詳しく教えてくれました。

 ひょっとしたら元担任の先生は、元ではなくて、正式な担任の先生であって、現在の担任の先生は、仮の担任なのかな?と思わせるような口ぶりでした。この報告が無かったら、2ヶ月しか習ってない私たちは、とっくに忘れてしまっているのに、何度もしつこく報告するので、記憶が消えることは全くなかった。

 で、代わりに担任になった先生は、やはり仮だったのか、突然に辞めていきます。そして新しい担任の先生が就任する。そして忘れた頃にジャングルジムか何かが、辞めた担任の先生から寄贈されている。ジャングルジムは、当時も現在も決して安いものでは無いです。車が買えるくらいの値段です。それを寄付した安月給の元担任の先生は、隣町の小学校で正式な先生になったという。

 で、手紙が送られてきて、「みんなと出会って本当によかった。これから隣町で正式な先生になって頑張ります・・・・」みたいなことが書いてある。今から思えば、私たちが踏み台になっていたような気もしますが、その先生は、別れ際に涙を流しながら去って行ったわけですし、私も別れ際でギュッと抱きしめられたので、本当に去りがたかったのかなあと思います。

 そう言えば、当時の女教師たちは、学校を去るときに良く泣きました。全校集会の別れのあいさつで、感極まって必ず泣いたものです。それも低学年の先生が。しかし、子供というのは残酷なもので、それを何人かがクスクス笑うのです。決してドラマのように感動的な別れになったためしがない。

つづく。

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2019年04月21日

昭和40年代、とある小学校の話5 小学校一年生、担任の先生が入院してしまった

昭和40年代、とある小学校の話5 小学校一年生、担任の先生が入院してしまった

 今から五十年前、私が小学生一年生(1969年)になると、すばらしい担任の先生に出会いました。その先生は、小学校の先生というより保育士でした。とにかく真面目で熱心で、子供一人一人に丁寧に接していて、そのうえ、いつも子供たちを笑わせていました。授業も遊びの延長で、校庭を散歩しながら教科書を読んだりして毎日がとても楽しかった。もし、完全無欠な先生がいたとしたら、この先生でしたが、それだけに他の先生には、理解できない部分が大きかった。

 例えば、誰かが癇癪をおこして暴力を振るったとしたらクラス全員が
「赤ちゃん、赤ちゃんベロベロバー!」
と一斉に大声で囃し立てるのです。先生が、そういう風に仕向けたわけです。そのために授業中に私語は無く、イジメも無ければ暴力も無い。とにかく悪いことが出来ないのです。今思えば、賛否両論なんでしょうが、このおかげで善悪がはっきりし、クラス中が仲良くなって、楽しい毎日が続きました。

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 とにかく何から何まで破天荒なことをやる先生でした。教科書も順番どうりにやらないし、脱線は多いし、漢字なんかも、いきなり難しいことを教えるし、例えば「目」という字を教えるときなどは、黒板に
「すず目」
と書いて、
「目玉が空を飛んで餌を食べるかな?」
と子供たちを笑わせたりします。その他にも「目し(メシ)」とか「目んこ(メンコ)」とか「と目る(止める)」とか、いろいろ笑い話をする。目という漢字を教える前に、こういう笑い話をさんざんしたうえで漢字の「目」の意味を教えたりする。なので、なんとなく目が分かってくる。その上で目玉焼きとか、目つきとか、目前とかを教えてくれるので、目という字を一つ覚えるうちに、様々なことが分かってくる。

 算数にしても、教科書をやるのではなく大きな算盤で、ひたすら遊んでいるうちに自然と足し算引き算を覚えてしまう。そのうえ隣同士で問題を出し合ってクイズ対戦をして遊んだりする。とにかく授業が楽しくて楽しくてしょうがない。

 今と違って昔は、先取り学習なんかしなかったので、小学校で初めて文字や計算を学ぶ子供たちが多かったので、それだけに新しい知識が楽しかった。

 ところが、この担任の先生とは、たった2ヶ月でお別れになりました。私は、肺炎になり1ヶ月間も学校を休むことになり、毎日、自宅で塩水でうがいする日々を続けたのです。暇すぎて一日中テレビをみていました。当時の私の田舎には、民放は1つしか無く、子供番組もなかったために、1日中、教育テレビを見ていたために、へんに雑学が増えていきました。アポロの月着陸もリアルタイムに自宅でみていました。

 そして1ヶ月後、小学校に復帰してみると、担任の先生も肺炎にかかって長期のお休みをとっていた。それが肺癌であったのは、あとで知った事実です。そして、代理の先生が臨時に就任するわけですが、誰かが何かをやらかしてクラス全員が
「赤ちゃん、赤ちゃんベロベロバー!」
と囃し立てた瞬間、代理の先生は真っ赤になって怒って、一人に対して、全員で囃し立てることが、いかに悪いことか説教されました。そして、その日以降、ごく普通の、ありふれた平凡な授業スタイルがはじまりました。そして、ありふれたクラスになり、イジメも暴力もおき、子供たちも行儀が悪くなりました。

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 ちなみに肺癌になってしまった担任の先生は、その後、四年間も入院を続け、四年後にお亡くなりになったわけですが、当時は肺炎と聞かされており、すぐに復帰するものだと私たちも教育委員会も思っていました。で、非常勤(正教員ではない)の先生が、臨時に雇われ担任の先生となりました。
 現在からすると、臨時の非常勤の先生が、担任を受け持つことも常識はずれですが、それが二年も続いて、二年間に五人も担任の先生が代わったことも常識外れです。昭和四十年代の教員の給料は、とても安くて先生のなり手がいなかった時代です。デモシカ先生といわれた時代でした。
 中には、教員免許のない先生も多かった。私が中学校の時は、アルバイト教師から正教師になった先生が、知ってるだけで二人いました。一人は、特攻隊の生き残りで、一人は技術者でした。もちろん免許などもってない。ないけれど正規教員で、戦前だと陸軍航空隊の方が、教師の数倍ランク上のエリートだったらしい。校長か教育委員会か知らないけれど、教員をやってくれと、頭を下げてたのまれたらしい。思えば、のんびりした時代でしたね、昭和という時代は・・・。

 まあ、そんなことどうでもいいとして、私が小学校一年から二年にかけて、二年間に五人も担任の先生が代わったことによって、すごく貴重な体験をしたわけですが、これについては、次回、つづきを書きます。


つづく。

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