2019年04月14日

昭和40年代、とある小学校の話4 用務員さんの話

昭和40年代、とある小学校の話4 用務員さんの話

 私が生まれたのは、昭和三十六年の七月です。出身地は新潟県は佐渡島。小学校に入学しますと、そこには薪ストーブがありました。今のおしゃれな薪ストーブをイメージしてはいけません。素朴でボロボロなストーブで、火傷防止のフェンスさえありません。火力の調整もできず、ストーブ前は真夏より暑く、そこから離れると寒くてしょうがなかった。窓は隙間だらけの木製の窓で、すきま風は入り放題。

 当時、薪当番というものがあって、朝早くに学校に行って、用務員さんから薪をもらってきました。その薪は、太い針金でぐるぐると巻かれていました。その針金を分解して、新聞紙などの焚きつけて朝ストーブに火をつけるのでが、先生より上手に火をつげる一年生の子供がいました。

 ところで、学校が終わると友達の自宅に遊びに行くことになります。そして夕方五時のサイレンが鳴ると家に帰るのですが、たまに友達のお母さんが、風呂を沸かしていました。当時、ボイラーのようなハイカラな風呂釜がある家は少なくて、五右衛門風呂か、巨大な樽風呂がほとんどでした。樽風呂の方が多かった気もします。もちろん薪で風呂を沸かすのですが、薪といってもみかん箱を解体して作った薪です。または、どっかから拾ってきた板を燃やして樽風呂を沸かしていました。それが珍しくて、私は、ずっと見学をしていた。というのも、私の家は当時珍しいボイラー式の風呂釜だったのです。つまり新築の家に住んでいた。そのために薪で風呂を沸かす友人の家の風呂釜が珍しかった。

 それはともかく、 九月から一〇月ぐらいになりますと、小学校の校庭で、用務員さんが汗だくになって薪割りをする風景が見られるようになります。 三〇ぐらいある教室の薪ストーブの薪を蓄えなければいけないからです。それも莫大な量。年配の用務員さんが、上半身素っ裸になって、ねじりハチマキで、次から次と薪を割っていました。私と友人たちは、飽きもせずにずっと眺めていました。

 用務員さんは何時間も何時間も黙々と薪を割っていました。薪は、校舎の壁に次から次と積み上げられていきますが、何しろ凄い数ですので、校舎の壁をずらっと薪の壁が包み込むようになります。だから校舎の窓を開けますと、すぐそこに薪の束があるという具合です。

 ちなみに用務員さんは、とても優しい人でした。事情があって、私が泣きそうにながら学校に行くと、すぐに声をかけてくれて、心温まる対応をしてくれました。そういう用務員さんですから、みんなから好かれていたと思います。用務員さんには奥さんもいました。奥さんと一緒に学校に泊まり込んでいました。というか住んでいたと思います。毎日のように、夜の学校を見回っていました。私の父は、厳格な人間でしたので、私は何度も家を追い出されて街中を放浪したのですが、行き先は必ず小学校の縁の下でした。

 父親に殴られ蹴られ何度も追い出されているうちに、子供ながらに知恵がついてきます。家を追い出される時のために、学校の縁の下に、こっそり秘密基地を作っていました。当時は、段ボール箱のようなものはありませんので、用務員さんが割って束ねた薪をせっせと学校の縁の下に運び、それで椅子やらベットを作り、食料や現金や懐中電灯などを隠しておいていました。

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 小学校二年生位の子供が、そんな不審行動をするものですから、用務員さんが気がつかないわけがありません。縁の下で、いろいろ作業してるのを、用務員さんに見つかってしまいました。怒られるのかな?と、びくびくしていましたが、彼は何も言いませんでした。私は慌てて逃げ出しました。用務員さんが追いかけてくる事はありませんでした。けれど、これで秘密基地はおじゃんになってしまったと観念しました。

 しかしである、翌日、その秘密基地に行ってみると、何一つ撤去されてなかった。私が、作ったままそのままの状態で存在していたのです。すると、薪割りの音が聞こえてきました。私は縁の下から出てくると、用務員さんが、盛んに薪を割っていました。目と目が合いましたが、彼は黙々と薪をわっていた。私には何事もなかったように、作業を続けていたのです。今思い出してみると、非常に不思議な気がする。なぜ用務員さんが、何事もなかったようにスルーしてくれたんでしょうか? そして私が使ったために足りなくなった薪を、割り始めたんでしょうか? 今思えば不思議な事だらけです。

 ただ思い当たることがあるというすれば、私は、夜の小学校で、よく用務員さんにお世話になっていることです。父親が厳格でしたので、ランドセルに教科書が一冊でも欠けていますと、学校に取りに行ってこいと怒鳴られて、泣きながら何度も学校に取りに行ったことがあります。もちろん、玄関から入るのではなく、窓からこっそり学校に入り込みました。夜は暗いので電気をつけて自分の席の机の中をごそごそとやる。その度に、用務員さんが駆けつけてくるのです。それはそうでしょう。夜の学校で電気をつければ、そこだけ目立つのです。泥棒でも入ったかと、用務員さんが恐る恐る駆けつけてきます。しかしそこには、小学校一年生位の子供が泣きながら、落とし物やプリントを探しているのだから、そういうことが何度も何度も続けば顔見知りになってしまいます。しかし彼は、深入りはしてきませんでした。とても優しい人でしたけれど、ある程度の距離を保って見守ってくれていました。それが良かった。秘密基地のそのままにしてくれていました。今では考えられないことかもしれません。

 私は小学校三年生になった時、その用務員さんがいなくなりました。そして学校から薪が消えました。すべて石油ストーブになってしまったのです。日本はその頃から豊かになっていた気がします。ちょうど大阪万博が始まっていました。


つづく。

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2019年04月13日

昭和40年代、とある小学校の話3 教頭先生の話

昭和40年代、とある小学校の話3 教頭先生の話

 今から五十年前、私が小学生の頃に新しい教頭先生が赴任してくると、突然、教育スタイルが変わりました。それまで担任の先生が担当していた図工・音楽を教頭先生が教えるようになりました。この教頭先生は、背が高く筋骨隆々で運動神経もよく、走ればサラブレ等のように早く、プールに入ればイルカのように泳ぎ、声を発すれば雷ように轟き、背筋がピンとして足が長く、そして頭がはげていました。

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 この教頭先生は、それまでの影の薄かった教頭先生と違って、やたらとはりきっていました。朝には全校生徒が体育館に集り全校集会を行うことになり、しかもその全校集会は、いつも長引いて、毎日二〜三人の子供たちが貧血で倒れ、保健室に連れて行かれました。それでも毎日はりきって全校集会で演説する教頭先生でした。六百人もいる子供たちは体育館で、教頭先生の決めた今月の目標を声を出して読み上げたものです。

 こうなると、 六年生はもとより、二年生ぐらいの低学年の子どもたちでさえ、学校の教育スタイルがガラリと変わったことを認識します。それに対する感想は人それぞれだと思いますが、大方の子供たちは『めんどくさい人が教頭先生になったなぁ』と言う感じだと思います。なにしろ突然授業中に教頭先生が入ってきて、授業の見学をするわけですから、こういう先生にあだ名ニックネームがつかないわけがありません。

 ハゲ頭先生とか、ツル先生とか、といったニックネームがガンガン生まれます。普通ニックネームは一つなんですが、この教頭先生に限って無限大に増殖していきました。そしていくら増殖しても新しいニックネームが生まれても誰もが教頭先生のことだとわかります。

 もちろんハゲ頭の先生は他にもいっぱいいましたが、他のハゲ頭の先生にはニックネームがつきません。単なるハゲではダメなんです。光り輝いてないとニックネームがつくことありません。そういう意味では、この教頭先生は、常に光り輝いていました。その行動力と、その強引さと、その理想に燃える教育熱心さに輝いていた。これが子供たちにとってまぶしかった。

 この教頭先生は、スポーツ万能で長身。プールでは、すばらしい泳ぎをみせますが、なぜかこの先生だけは規則で決められている水泳帽をしない。髪の毛がないのでする必要が無いんでしょうが、そのせいで太陽を良く反射する。

 教頭先生は、ピアノもプロなみに弾くので音楽教師にもなり、美術教師にもなりました。それまで担任の先生が担当していた図工の授業は、教頭先生が受け持つことになりました。そして図工の時間になると、意気揚々と出現し、図工の時間だというのに例によって演説から始まります。その日は、イメージについて教頭先生は語りました。いかにイメージを持つか、そのイメージが大切だと言うのです。それを延々と語った後に教頭先生は仰いました。

「ではみなさん、私に対するイメージを一人一人聞かせてください」

だれも答えません。

「何でもいいんですよ、どんな些細なことでもいいから教頭先生のイメージを語ってください」
「・・・・」
「じゃあはじから言ってもらおうか、◆◆君、君はどんなイメージを持ってかい?」
「それ言ったら先生が怒るから」
「怒らないよ」
「絶対怒るもん」
「どうして先生が怒ると思うの? 怒らないから」
「いやいや絶対に怒ると思う」
「怒らないよ」
「絶対に怒らない? 」
「怒らない怒らない」
「絶対に? 」
「約束します」
「じゃぁいいます」
「・・・・」
「ハゲ頭」

 教室は一気に大爆笑と重なりました。
 教頭先生は微動だにせず次の児童を指名しました。

「フラッシュ」

 その次も大爆笑。
 次の児童もイメージを語りますが、どれもこれもが大爆笑。

「太陽」
「反射鏡」
「まぶしい」
「電球」
「つるっぱげ」

 教室は次々と爆笑の渦となって授業になりませんでした。子供は残酷です。教頭先生は苦笑いしながらも少し寂しそうな顔をしていました。そして私のクラスの図工の時間は、再び担任の先生が受け持つようになりました。私も頭が薄くなってきています。あの教頭先生に、今頃になって親近感がわいてきています。

つづく。

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2019年04月12日

昭和40年代、とある小学校の話2 校長先生の話

昭和40年代、とある小学校の話2 校長先生の話

 息子が小学校に入学してから四日目。今日も楽しそうに小学校に通っています。それはともかく今年から嬬恋村小学校では、専門の先生が一教科ずつ教えるのではなく、担任の先生が全てを教えるシステムになったそうです。という事は、去年までは、算数算数の先生。国語は国語の先生が教えていたそうで、このシステムが、あまりよくないということで、今年から担任の先生が全て教えるようになったそうです。

 今から五十年前、私が小学生の頃も、ある日突然、授業スタイルが変わることがありました。突然変わる時は、必ず教頭先生が変わった時でした。そしてここが不思議なのですが、校長先生が変わっても授業スタイルが変わることがありませんでした。教頭先生が変わると授業スタイルに変化があったのにです。

 では、校長先生が新しくなるとどうなるんでしょう?
 校長先生が変わると小学校の何が変わるんでしょうか?

 校長先生が新しくなると、授業スタイルではなくて、全く別のものが変わってきます。私が小学生の頃、金井小学校という学校に通っていたんですが、そこの校長先生の名前が原田先生(ハレダ)と言いました。この校長先生がいる時は、遠足でも運動会でも、どんな行事でも必ず晴れたものです。ところが、隣町の両津小学校では、遠足も運動会も全ての行事が全て雨でした。そこの校長先生は、水落(みずおち)と言う名前でした。

 金井小学校の先生方も、私たち児童たちも、この原田先生のことを『ハレダ(晴れだ)大明神』と言って、生神様のように敬っていました。原田先生は、背が低くてちょっと小太り気味でしたが、いつもニコニコしていて、とっても優しいお方でした。ほっぺたは赤くて、鼻先はお酒に焼けていましたが、その笑顔を見ると、小学校に入ったばかりの私などは、とても癒されたものです。

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(佐渡人名録より借用)

 ある時、友人とかくれんぼした時に、校長室に隠れていたら、校長先生がやってきて、青ざめたことがあったのですが、原田先生はニコニコと、頭を撫でてくれて、明日の遠足、晴れるといいねと、ニコニコ話してくれました。

 そして当日、ハレダ大明神の力は強烈で、朝から雲一つもない日本晴れ。しかし私は、母親から熱があると注意されて、それが学校に連絡が行き一人学校で留守番する羽目になり、大きな小学校の校舎で一人ポツンと残された。とても寂しかったんですが、晴れだ大明神も、 一人ポツンと校舎の中に残されているのを知って、ちょっとほっとしたことを覚えています。

 数年後、原田先生が退職されると、運動会も遠足も天気が不安定になり、校長先生の神通力を思い知ったものです。

つづく。

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posted by マネージャー at 08:19| Comment(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月11日

昭和40年代、とある小学校の話

 息子が小学校に入学してから3日目。小学校は楽しい?と聞いたら、すごく楽しいと答えます。うちの息子は好奇心がとても強いので、新しい環境がいたく気に入ったようです。この辺はうちの嫁さんの性格にそっくり。やたらと好奇心が強い。逆に私の場合は、なかなか小学校に馴染めなかった。授業サボってひとりで小学校の館内を散策したりしてました。

 昭和時代の小学校ですから築80周年の校舎で古い。中庭には井戸があり、温室があり、ブランコがあり、動物小屋があったり。縁の下には、何十匹と言うコウモリ。その他にも町の施設(図書館など)が小学校の中にテナントで入っていて、その辺を散策するのも楽しかった。不思議なことに当時の担任の先生は、私が授業サボってぶらぶらしていても、親に通報することもなく、放置してくれました。

 そして何日か出すと私の放浪癖は収まって、みんなと一緒に授業を受けるようになった。思えばいい時代だった。今だったら確実に大問題になっていたと思います。しかし、ある程度放置してもらったせいか、私の放浪癖は消えてしまった。そのうち教室でみんなと一緒に真面目に授業を受けていました。そして皆で校外を散歩したりしました。

 この時の担任の先生のことをよく思い出します。授業中に何度も咳をして、そして咳が止まらなくなり、苦しそうでした。

 私のほうも肺炎にかかり1ヶ月間自宅静養することになり、 1ヶ月後に学校に登校しました。その時は担任の先生は、合いませんでした。代理の先生の話によれば、肺の病気にかかって入院してるとのこと。私も肺炎でしたが、その先生も肺の病気でした。

 こうして1年生の時は、 2人の先生に学んでいます。そして2年生になると、1学期ごとに臨時の先生が変わりました。代用教員だったと思います。担任の先生が復帰するまでの臨時教員だったと思いますが、なかなか復帰しなかったので、教育委員会は1学期ごとに1人ずつ代用教員を雇い1年間に3人の先生に習っています。

 結局担任の先生は、復帰することもなく、その後癌で亡くなったわけですが、そのために私は、2年間で5人の先生に学んでいます。 2年生で受け持ってもらった3人の代用教員たちは、その後、別の小学校で正式な教員に採用されることになり、感謝のためと言うことで、私が居た小学校に、ジャングルジムとかブランコなんかを寄付してくれたりしています。

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 それにしても思う事は、昭和時代の佐渡島は本当にのんびりしていた。 平成時代でも、令和時代であっても、ありえないことだと思います。しかし、昔はのんびりしていたので、病気になった担任の先生がいつか復活すると信じて、教育委員会が温情に温情を重ねたんだと思います。2年間に5人もの先生に学ぶという非常に得がたい経験をしました。


つづく。

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posted by マネージャー at 17:35| Comment(2) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月10日

北軽井沢は大雪になる可能性あり

 北軽井沢は、急に冬がやってきたようです。
 今日は朝から粉雪が降っており、 10センチ以上積もっています。
 (このままだと30センチ以上積もる可能性あり)

 この雪はこれから1日中降り続けるようで、場合によっては大雪になる可能性も10分あります。それに対して道路の除雪は進んでいません。冬ならあっという間に除雪されるんでしょうが、 4月10日ということもあって、自治体の除雪車は、動きが鈍いようです。

 今日または明日に北軽井沢に来るお客様は、必ずスタットレスタイヤかチェーンを持ってきてください。冬がぶり返しています。くれぐれも路面の凍結に注意してください。ちなみに軽井沢の国道18号線は、 4月10日朝9時の時点で夏タイヤの車がスタックして大渋滞しているそうです。雪は今夜夜半過ぎまで降り続けるので路面は凍結するはずです。非常に危険な状態になる可能性がありますので、夏タイヤの方はくれぐれも注意して運転してください。

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 ただし、降っている雪はパウダースノーなのででスキーのお客さんには、朗報になりますね。けれど、自分の車がスタットレスでも、相手の車が必ずしもスタットレスだとは限りませんので、運転にはくれぐれも気をつけてください。

ちなみに、もらい事故を防ぐコツがあります。
時速40キロ以下で走って
車間距離を十分に取っていれば、大抵の事故は防げます。


つづく。

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2019年04月09日

昔は、消されていた双子たち

 その昔、少子化が進んでいるというのは、子供を1人しか生まない夫婦が吹いているんだと思っていました。でも実際、子供が生まれてから、息子の同級生たちの親御さんを見てみると、それは勘違いだったと気がつきます。もちろん一人っ子が増えてる事は確かだと思いますが、 4人以上出産している若いお母さんが、嬬恋村ではたくさんいることに気がつきました。

 息子の空手教室に行くと、兄弟で空手を習っている女の子が居る訳ですが、そのお母さんは赤ちゃんをおんぶしています。小学校の入学式でも、赤ちゃんをおんぶしている人たちが結構いますし、幼児連れのお父さんお母さんもいました。そういえば双子ちゃんもいます。どういうわけかこの村には双子ちゃんが多くて、お隣さんも双子でしたし、各学年に1組ぐらいの双子ちゃんがいます。 1クラス20数名なので、双子率は異常に高いですね。ちなみにうちの息子の隣に座っている女の子が双子でした。



 話は変わりますが、宿屋をやっていると双子の兄弟姉妹が泊まりに来ることがよくあります。現代では圧倒的に多い双子さんも、昔はかなり少なかった。それでも何年も宿屋をやっていると、昭和1桁生まれの双子の兄弟姉妹が、泊まりにくることがあります。実は、戦前において双子は非常に珍しい存在でした。ましてや昭和1桁生まれの双子は特別天然記念物といっても間違いないぐらい珍しい存在です。

 どうして珍しいかというと、昔は畜生腹と言って、双子が生まれると1人を殺してしまうことがあったそうです。それが可能なのは、子供を取り上げるのが、昔は産婆さんだったからです。産婆さんにいくらか包むと事故死に来てもらえたそうです。双子が生まれるときは、 1人だけ大きく生まれ、 1人だけ小さく生まれます。小さく生まれた方が事故死になったらしい。誤解のないように付け加えておきますが、これは江戸時代の話ではありません。昭和の話です。もちろん珍しい出来事だったでしょうが、ありえない話ではなかったようです。そうでなくても、 1人を養子に出す事はよくあったそうです。

 どうしてこんなことを知っているかというと、双子の兄弟姉妹のお客さんと、何度も何度もお話をしているからです。そのお客さんが、非常に嬉しかったと言っていたのは、双子の歌手であるザ・ピーナツが登場した時だったそうです。ザ・ピーナツが出てくるまでは、双子にとっては非常に肩身が狭かったらしい。特に昭和1桁の双子の兄弟にとっては、言葉で言い表せないぐらいに、いろいろなことがあっただけに、ザ・ピーナツのレコードが売れて人気が爆発することが嬉しかったようです。

 今じゃ双子は少しも珍しくありません。うちのお客さんには三つ子の兄弟もいました。三つ子の兄弟にアニメ『タッチ』から名前を取っていたケースもありました。

 関係ないですけれど、アニメ『タッチ』が、新しく作られるそうですね。新しいアニメ『タッチ』は、どんな作品になっているでしょうか?


つづく。

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posted by マネージャー at 21:16| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月08日

小学校入学で驚いたこと → 時間割が存在しなかった

 今日は、息子の小学校入学式に行ってきました。卒園式の時と違って、ご両親のお召し物は、かなり派手になっていました。卒園式と入学式では、こんなにも違うんでしょうか?

 それはともかく、受付締切の一時間前に到着した私たちは、誰も来てないことにシメタと思い、がらんとした小学校の中を探検しようと思ったんですが、 一年生の教室についてびっくり。やることがたくさんあっw<探検どころではないなと思った私です。

 息子の名前が書いてある机に行ってみると、傘が二つ置いてあります。これは、入学祝いにいただいたものらしく、名前を書いて、 一つは置き傘として、所定のところに置かなければいけません。他にも、雑巾を置く場所はこちら、歯ブラシとコップを置く場所はこちら、算数セットなどもこまごまとしたものを置く場所はこちら、と言う風に名前を書いて配置につけるなど、やることがいっぱいありました。

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 嬬恋村の小学校は、少子化のためか教室が余っており、そのために一年生は、二つの教室と、一つの空き部屋を使うようになっています。ものすごく贅沢な空間です。また、いろいろなところからプレゼント(ランドセルカバー・ヘルメット・熊鈴・その他色々)をもらっており、それにいちいち名前を書いて、あちこちに配置しなければいけないので、夫婦二人で手分けして作業しないと間に合わないくらいでした。私が子供の頃は、入学式にこんなにてんやわんやすることはなかったと思いますし、こんなに大量のプレゼントもなかったとも思います。必要なものは各自で買ったはずです。

 ちなみにプレゼントの中で驚いたのは熊鈴です。これはクマに対してあまり効果がないことがわかっており、人によっては危険だと言う人もいます。でもまあ規則だからしょうがないですね。息子のランドセルにつけました。

 他にも驚いたことがたくさんいます。まず教科書が大きい。昔ならb六判くらいだったと思いますが、今はA四くらいの大きさがあります。今どきの教科書は大きいですね。そのかわり薄くなっています。
 それから先生に「ノートはどんなものを買えばいいですか? 」と質問したら買わなくていいとの事。ノートは学校で用意するそうです。
 でも一番驚いたのは、時間割がないことです。時間割の代わりに、週に一度印刷物が配られて、そこに一週間の授業の予定表が書かれてあるそうです。つまり、時間割は一週間ごとに変更されるみたいなんです。そういえば、机の上に大量の印刷物があって、小学校でやるべきことのマニュアルみたいなものが書かれてありました。このように連絡は、文書で親元に渡されるようで、文書でのやり取りが非常に多いと言う感想を持ちました。
 で、式典のために体育館に向かう途中に、教務室があったので、ちょっと覗いてみたら、それぞれの机の上にずらりとノートパソコンが置いておりました。今や小学校もノートパソコンなしでは、仕事にならないようです。ノートパソコンを使って文書のやり取りをする時代なんですね。

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 それはともかく、こども園でもそうでしたが、小学校でも出席簿は生まれた順だったようです。 四月生まれが廊下側の一番先頭に座り、それから順番に五月生まれ六月生まれと続き、最後に三月生まれが窓側の一番後ろになります。当然うちの息子は窓側の一番後ろの最後ところです。
 で、最高に面白かったのは、先生が授業を始めると、 四月とか五月生まれの子供たちが集中している廊下側の子供たちが積極的に発言したり手をあげたりするのに対して、窓側に座っている二月生まれとか三月生まれの子供たちがシーンとしていることです。そこで窓側の子供たちをよく見たら、みんな賢い子供たちばかり。なぜ知ってるかというと、上毛かるた大会で、凄いところを見ていて知っていた。みんな、すごくIQが高い。なのにしーんとしている早生まれたち。この辺も面白かったです。

 それから式典で、校長先生とかいろんな方々がお話しているときに、女の子たちは背筋をピンと伸ばして聞いていました。非常に行儀よかったんですが、それに対して男の子の列は、うろちょろしていました。もちろんうちの息子もダメダメでした。男女差で、こんなにも違うんだ?と驚いていた。その時、花粉症の私が、ドリフターズの加藤茶ばりに
「イーックション!」
と巨大なくしゃみをすると、新一年生の男の子たちは、一斉に後ろを振り向きました。赤面ものですが、私の巨大なくしゃみに対して、新一年生の女の子たちは微動だにせずに、来賓のご挨拶を真面目に聞いていたのにはとても感心。その後の私は、くしゃみをこらえるのに必死で、死にそうでした。



つづく。

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2019年04月07日

うちの庭のミニ公園を強化するしかないな!

 明日は、息子の小学校入学式。今、準備でてんてこまいです。けれど晴れそうなのでホッとしています。今後、心配になるのは、交通事故ですね。入学準備のために、いろいろ買い物もしましたが、息子は楽しそうでしたね。そのせいかハイテンション。なかなか寝てくれませんでした。

 今日は、遊具がいっぱいある公園にも行きましたが、六歳0ヶ月ともなると、かなり体格も大きくて、他の子が小さく見える。つまり小学生がいないというか、少ない。もう公園で遊ぶような年齢でもなくなってきたのかと思うと少し寂しいですね。

 ただ、息子の身体能力がアップしてきたのか、今までできなかったウンテイとか鉄棒とか、いろんなことができるようになっていました。子供の成長の早さに驚いてます。

 また公園には、若いお父さんがいっぱい。みんな子煩悩でほほえましかったです。小学校にあがると、こういう所にきずらくなるのが残念です。こうなったら、うちの庭のミニ公園を強化するしかないな! 宝くじでも買おうっと!

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つづく。

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2019年04月06日

お花見

 花粉症の私は、今日も引きこもりで客室掃除をしていますが、今日も嫁さんと息子は、スキーに行ってきました。おそらくこれが最後のスキーです。軽井沢スノーパークで滑ったそうなんですが、雪もだいぶ溶けていて、下のほうは水浸しになっていたようです。なのでスキーの人達は大丈夫なんですが、スノーボーダーの人達は、びしょ濡れだったようです。例年のパターンだと、南斜面のアルコールスキー場や、万座スキー場は、これから厳しくなるかもしれません。軽井沢スノーパークのスキー場は、明日で終了です。

 息子のスキーの腕前もだいぶ上がってきたそうです。スケートもそこそこ滑れるようになったので、ほっと一安心です。嬬恋村では、みんな3歳ぐらいからスキーやスケートをやっているので、これができないと息子は、体育の授業でコンプレックスを持つようになるので、一安心です。こういうものは、自分に自信さえつけば、後はほっておいてもなんとかなると思うので、本当に良かったです。

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 ちなみに、明後日は息子の小学校入学式なので、その準備も兼ねて明日はお客さんを断っています。なので、家族で花見にでも行ってこようかと思ってます。本当は春休み中に家族旅行がしたかったんですが、連日業者さんが入ってしまったので、それもできませんでした。せめて花見にでも行って楽しみたいと思っています。ちなみに懐古園は 1分咲き。上田城は、かなり咲いていると聞いています。果たして、明日はどうなっているんでしょうか?

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 例年の状況によると、嬬恋村の桜は、ゴールデンウィークがピークです。妙義山の桜は、 4月20日頃ですね。残念ながら軽井沢には、あまり桜はありません。あるのは木蓮の花ですね。


つづく。

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ラベル:花見
posted by マネージャー at 22:32| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月04日

暇なのに忙しくて金欠になる四月

 四月は忙しいです。お客さんが少なくて暇なのに忙しい。春支度として庭の整備と各種の工事があります。ゴールデンウイークの準備もあります。健康診断もあるし、メタボ診断もあります。四月は、軽井沢おもちゃ王国のチケットや、温泉や交通費などの各種の値段が変わったりするので、そのつどホームページや、じゃらん楽天の価格を改定しなければならないけれど、それをやりきるには、一週間徹夜で頑張らないといけない。おまけに、年金・火災保険・国民健康保険の請求が、どかんとくる。それらを数万円安くするために一括払いにしているのですが、それがみんな四月にきます。本当に嫌になってしまいます。

 そうそう息子の小学校にもお金がかかる。しかし、これは嫌な気分になりませんね。むしろ楽しい。と言っても、ランドセルは、去年の五月に買っています。売れ残りがある五月が一番安いのです。幼稚園の卒園式と小学校の入学式に着る子供用スーツも靴も、去年の五月にトイプラネットで千円くらいで調達しました。毎年、五月になるとたいして使われてない新品同様の子供スーツが安い値段で中古市場に放出されます。それを安く買いあさりました。

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 新品で買うのは、小学校の学用品とか体育服です。これが高い。体操服なら一万五千円以上する。あと大変なのが名前シール付け。算数セットの小さなおはじきから、鉛筆消しゴムにまで名前シールを五百ヶ所くらいつけなければならない。でも、よく出来ていて、進研ゼミのチャレンジ一年生をとっていると、そのための専用シールを無料でもらえるんですね。これは、進研ゼミにかぎらず、たいていの通信教育教材に特典としてついているようです。嫁さんは、ミシンでなにやら作っています。何を作っているのか?

 ちなみに今日は、嬬恋会館という教育委員会のある建物で、自治体がやっている健康診断に行ってきたんですが、そこで息子が年中組のときの担任の先生に会いました。幼稚園から教育委員会に移動していたために、そこで出会ったのですが、人が混雑している中で、よく息子を見つけてくれたと思います。


つづく。

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