2020年06月04日

『銀河鉄道の夜』

 この作品のテーマは、欠点だらけでも一生懸命に生きる人にエールを送る。そういう作品です。

 まだ小学生の主人公は、みんなに虐められていました。家も貧乏で、みんなが祭りに遊びに行ってるのに、印刷所でアルバイトしないと生活できない。注文したはずの牛乳も届いてないし、牛乳屋の人も無愛想。鬱になりかかるほど惨めな気分の主人公は、気がつくと、いつのまにか大好きな親友と銀河鉄道に乗っている。そして旅をしている・・・という話なんですが、以下は、ネタバレです。

 実は、この列車、天国行きの列車なんです。
 みんな切符をもっている。
 罪深い人は、すぐにおりる。
 徳の高い人は、長く乗っていられるという列車。
 そして、みんな行き先が書いてある切符を持っている。

 で、車掌がやってきて、
「切符を拝見します」
と言ってくる。みんな素直に切符を出す。

A10cSzSIi7L.jpg

 ところが主人公は、切符を買った覚えが無い。「やばい!」と思いつつ、ポケットをまさぐると、何か紙が入っていたので、やけくそで「エイ」と車掌に出してしまうんですが、車掌は、その紙切れに驚いて
「どこまもでも行ける切符だ!」
すると、他の乗客も
「本当だ!」
「本当に、どこまでも行ける切符だ」
「その気になれば、本当の天上にさえいれる切符だ」
と驚くわけです。

 主人公は、ホッとして、親友と「僕たち、どこまでも一緒に行こうね」と約束するんですが、親友には降りる駅が決まっていた。しかも主人公も、どこまでも行けなかった。気がつくと、主人公は、夜空の野原で寝ていたわけです。そして主人公は、親友の死を知るわけです。

 親友は、溺れた友人を助けて死んでしまっていた。自己犠牲によって他人を救ったわけなんですが、そのために銀河鉄道では、行き先の書いてある切符しかもてなかった。ただし、誰よりも長く列車に乗れている。けれど、主人公と一緒に旅はできなかった。

 では主人公は?
 まだ旅の途中なんです。
「どこまでも行ける切符」
というのは、「生きている」ということ。つまり生きてさえいれば、本人がそのきになりさえすれば、本当に「どこまでも行ける」というわけです。つまり「どこまでも行ける切符」とは、「生きている」と同じなんですよね。これが宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のお話です。


**********
「読書文化の普及に貢献するためのチャレンジ」
※参加方法※
・好きな本を1日1冊、7日間投稿する。
・毎日ひとりのFB友達をこのチャレンジに招待する。
#7days #7bookcovers
#BookCoverChallenge
#day8




つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング





posted by マネージャー at 22:31| Comment(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月03日

群馬県民に、朗報がありそうです。

群馬県民に、朗報がありそうです。
群馬県民は、一人あたり五千円安く泊まれことになるかもしれません。

二食付き7400円が、2400円で泊まれるかもしれない。
群馬県が、新型コロナウイルスで営業自粛したことによって
景気振興策として、補助金をだしてくれるらしいのです。


ただし、予算が終わったらおしまい。
なので、6月中には、おしまいになってしまうかもしれない。

とりあえず、うちの宿は、申請しました。
申請が受理されたら、詳しいことを、このブログで公表します。

IMG_3163.JPG

それからFacebookの【7日間ブックカバーチャレンジ】のバトンを引き継ぎました。
明日から七日間、一日一冊、自分の好きな本を紹介したいと思います。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング






posted by マネージャー at 23:19| Comment(0) | 日記 2013以降 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月02日

うちの宿は6月から営業開始。で、食材が売ってない?

うちの宿は6月から営業開始しました。
食材の在庫も、まかないで食べ尽くしたので、
食材を仕入れに何件かスーパーに買いに行ったんですが、
買いたい食材が買えない。
いったいどうして?
小麦粉とか、挽き割り納豆とか、パスタソースとか、
いろんなものが品薄になっている。
特にデザート用の製菓用品の一部が、どこのスーパーにも売ってない。

ええええええええええええええええ・・・・どうして?

あまりに不可解なので店長さんに聞いてみたら
緊急事態宣言で、テレワーク・自宅待機・解雇などで
自宅にこもりっきりになった人たちが、
菓子作りか何かに目覚めて、デザート用の製菓用品。
例えばチョコレートシロップなんかを買いあさったために、
品薄になってしまって買えなくなっているらしい。
チョコレートシロップは、いったい何処にいっちまったんだ!

まあいい、チョコレートシロップなんかは、
板チョコを溶かせばなんとかなる。
困ったのは、大好きな某メーカーの挽き割り納豆。
これが食べられないのには参った。

納豆フリークとしては、
好きなメーカーの納豆が食べられないのは痛い。
納豆好きな人間は、納豆にこだわるんですよ。
それぞれ好みの納豆があるから。

1621_20191204_142152_P1_s.jpg

 話は、変わりますが宿屋をやってると、関西・関東の違いをいろいろ発見するのですが、関西の人間は、食事を食べる前にお茶をいれますね。関東では、食後にお茶を入れます。私の実家は佐渡島で、発音のイントネーションは関西と同じなんですが、食後にお茶を入れるところは関東と一緒です。どうして関西の人は、食前にお茶をいれるのだろうと不思議に思っていたんですが、その理由が何年かして分かりました。

 昔から納豆を食べる文化圏は、食後にお茶を入れるんですよ。

 昔の納豆は、今の納豆より強烈だったんです。すごく糸をひいたし、生卵で薄めないと食べにくかった。そもそも納豆は藁に入っていた。においも今の10倍以上強烈だったし、糸なんぞは三十センチ以上ひいたし、べっとりしてて、セメダインのような凄みがあった。この納豆の残骸が、茶碗にこびりつくと洗ってもとれなかった。

 昔は、今のように汚れの落ちる食器用洗剤がなかった。
 なので、食後に御飯茶碗に茶をそそいで、お茶を飲んだ。
 そうやって、茶碗を洗いやすくした。
 湯飲みも使わなくてすむ。
 家事を助けるためにも、米粒を粗末にしないためにも、
 御飯茶碗でお茶を飲んだ。
 だから納豆文化圏の地域では、食後にお茶を入れる風習が残っていた。

 何年か前の話です。日本ユースホステル協会の理事長と会食をしたとき、食後に、お茶碗にお茶を入れて、ご飯粒の掃除をしつつ、お茶を飲んでいたら、ご高齢の理事長が、笑いながら
「佐藤君は昔懐かしい、お茶の飲み方をするんだね」
と言ってました。納豆文化圏の庶民は、昔は、そういう食後のお茶の飲み方をしていたらしい。もちろん例外もあったでしょうけれど。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング






posted by マネージャー at 22:05| Comment(0) | 日記 2013以降 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月01日

今週から嬬恋村小学校の分散登校がはじまった。

今週から嬬恋村小学校の分散登校がはじまりました。
明日は、息子の登校日。
というわけで、学校が大好きな息子は大喜び!
寝る前からハイテンション!
全国各地の児童たちも同じなんだろうな。

19-9-1-12.JPG

ただし、陸上フェスティバル・遠足・授業参観・家庭訪問など、
多くのイベントが中止になっている。
逆に言うと、PTAとしての親の仕事も全くなかった。
アルミ缶とかベルマークとか、ボランティアの仕事も無い。
それどころでは無かった。
それ以前に、PTAとかの役員も何も決まってない。
何も決まってない!
考えてみたら2年生になってから何一つやってないではないか?

あれ?
何もやってないけれど、なんとか回ってるぞ?
あれ? あれあれあれ??
いろんな役員とか、行事って必要だったのか?

いや、必要だったんだよな。
だって世界中のアニメファンたちが、日本の学校制度を絶賛してるものね。
遠足・運動会・給食・修学旅行・授業参観・家庭訪問・部活動・体育・音楽・・・・
世界中のアニメファンたちには、みんな垂涎の的。

IMG_2408.JPG

IMG_2394.JPG

つまり、日本独特な教育システム。
これを無くしちゃいけない。
4月入学も無くしちゃいけない。

効率を求めるなら、河合塾とか公文塾とかでもいいことになる。
逆に、そっちが良い人には、そっちを選択可能にすればいい。
なにも政府が、一律に強制的に決める必要は無い。

少しは選択の自由が、あってもよいと思う。
9月入学の私立学校を認可してもいい。
どうしても子供を留学させたい親は、そちらに入れればよい。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング






posted by マネージャー at 22:01| Comment(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月30日

例のウイルスで・・・ その3 小市民の親が行う植福

 今回は「植福」についてです。
 植福とは、将来に対して幸福の種を蒔いておくことです。
 過去に自らが蒔いた種が芽を出し、今の自分を創っている。
 過去を書き替えることはできないが、今から良い種を蒔き続ければ、
 望ましい未来につなげることができるというのが植福です。

 実は、幸田露伴もびっくりの植福の人が軽井沢にいます。
 雨宮敬次郎です。
 過去に5回ほどやっている、雨宮敬次郎のツアー(離山ツアー)に参加した人なら御存知でしょうが、彼ほど植福に命をかけた人はいなかった。

Ame-mia_u1.jpg

 彼は、行商から身を起し、事業の失敗と成功を繰り返し、明治二十一年(1888)に甲武鉄道の取締役となって以来、川越鉄道、北海道炭礦鉄道と関わり、日本鋳鉄会社を起しました。東京市街鉄道株式会社を設立し、京浜電鉄、江ノ島電鉄の社長となり、軽便鉄道を日本にもってきたり、列車を製作したり、鉄道国有論を唱えたり、広軌レールを主張したり、運賃無料論を唱えたり、物流革命を見越した人物でもあります。

 この雨宮敬次郎が、軽井沢を作ったことは意外に知られていません。軽井沢といえば、宣教師のアレキサンダー・クロフト・ショーが別荘地に軽井沢を発見したことばかり言われていますが、そうではない。軽井沢を作ったのは、雨宮敬次郎なんです。雨宮敬次郎が、軽井沢に大規模な植林事業を行ったのであり、多くの農民を入植させて、こまごまと面倒をみてやって、今の軽井沢の骨格を作り上げたのです。

 アレキサンダー・クロフト・ショーが「軽井沢の恩父」などと言われてますが、馬鹿言ってるんじゃ無いよ。雨宮敬次郎を忘れていませんか?と言いたいですね。雨宮敬次郎こそは、私財をなげうって軽井沢に尽くしてきた人間であり、軽井沢に多くの人を入植させた人間なのです。軽井沢を避暑地として紹介しただけの宣教師ショーとは格が、スケールが違います。

 アレキサンダー・クロフト・ショーが、軽井沢に訪れたとき、軽井沢は原野であり樹木が一切なかった。その原野に植林事業を始めました。当時、原野と言えば御殿場か軽井沢だった。どちらかで植林事業をやるつもりだった。結局軽井沢になったのは、東海道線よりも信越線の方が早く開通したからです。もし東海道線の方が早く開通していたら、今でも軽井沢は原野のままで、御殿場が大森林地帯になって怒ったかもしれない。

 もちろん原野から始める植林事業なので、雨宮敬次郎が生きている間に利益を上げることはありません。でもそれでいいと思った。彼は、子孫のための貯金だと言って、ただひたすらにカラマツの植林に励みました。しかもカラマツというのがすごい 。カラマツは、若いうちは何の役にも立たないけれど、樹齢何百年も経つと高値がつく。松ヤニが多くて油まみれのカラマツは、腐りにくく特に線路の枕木にうってつけだった。 大量のカラマツがあれば、日本全国に線路が引ける。雨宮敬次郎は、物流こそが人々を幸せにするという信念を持っていたので、カラマツの植林事業は、 将来はきっと日本の役に立つと信じました。彼こそは、 植福の達人だと言えましょう。 雨宮敬次郎は言います。

「日本人は未だに貯蓄心が足りない。金があればすぐ使ってしまう。私は一文もない時分から貯蓄というものに重きを置いていたが、今は開墾地への貯蓄の金をかけている。貯蓄をどういう方法でするかと言うと木を植える。金の貯蓄ではなく木の貯蓄をやっている。生前のための貯蓄ではなく、死後のために貯蓄をやっているのだ」

 こうして軽井沢に大量の落葉松林ができたのですが、残念ながら鉄道の時代は終わっています。しかし、雨宮敬次郎の苦労は無駄に終わっていません。この大量の落葉松林が、新型コロナウイルスが、世界中に蔓延する危機的状況下において、軽井沢の救世主になる可能性が出てきたからです。落葉松林が、住民の免疫力を上げている可能性があるからです。

 平成十七年度の研究では森林浴がNK細胞内の抗がんタンパク質の増加によってヒトNK活性を上昇させることを明らかにしています。どうして、そうなるのか?そのメカニズムは、まだよくわかっていないのですが、フィトンチッドが原因の可能性があるとも言われています。このフィトンチッドは、松科の樹木に多いのですが、軽井沢には、雨宮敬次郎が植林した大量のカラマツがあります。これが、軽井沢・北軽井沢・嬬恋村の住民の健康の持っている可能性が出てきました。

 考えてみれば昔から軽井沢は、病人を治癒する土地として有名でした。戦前は、軽井沢にたくさんのサナトリウムがあって、多くの結核患者を治癒してきました。軽井沢に住む文豪たちの中には「風立ちぬ」といった結核をテーマにした作品ができたりしてます。だとすると、雨宮敬次郎は、子孫のために大きな 植福をしてくれたということになります 。

IMG_3159.JPG

 その他にも軽井沢が雨宮敬次郎に感謝すべき理由があります。
 雨宮敬次郎はこんなことを言ってます。

「四十戸の人間を入植させることは木を植え付けるよりも難しかった。人間の植え付けは容易にできるものではない(略)。不毛の原野に住もうとする者は何かの欠点を持った人間である。少しでも財産をこしらえると、もうそんなところには辛抱できず、すぐ 帰る気になるから、それを居着かせるためには、酒を飲むものがあれば酒を飲まし、病人があれば薬を与えるなど我が子同様にしなければ、ついて来れない。それだから家内が行くと皆がお母さんのように思ってすっかりなついている。この状態であの村ができたのだった」

 長い前置きはこのくらいにして、本題に入ります。

 先日、とあるスーパーで同業者(宿屋)のオーナーとバッタリ出会い、 その方の息子さん(一人っ子)の話を聞きました。その方の息子さんも、やはりお人好しでサービス精神が旺盛らしく、お客さんのお子さんがやってくると、うちの息子と同じように遊び相手になり、絵本の読み聞かせをしたり、なんでもプレゼントしてしまうらしい。なので、うちの息子も同じなんですよと言うと、
「宿屋というサービス業をやっている親の真似をするんだよね」
という話で盛り上がってしまった。

 やはり、宿屋の息子はどこも同じなんだなぁと返事を返していたら、必ずしもそうではないとのこと。 同じ宿屋でも、お客さんの悪口ばかり言ってるオーナーさんの息子は、人の悪口ばかり言うようになるし、がめついオーナーの息子さんも、非常にがめつくなるらしい。だから、息子さんの性格をみれば、その宿屋のオーナーの経営方針が非常によくわかるとのこと。
「ああ、なるほど・・・」
と思ったんですが、しばらく経って青ざめてしまった。そういう視点で、うちの息子を観察する人もいるんだ・・・と青ざめてしまった。

 うちの息子は大丈夫なんだろうか?
 よそ様にご迷惑をかけてないか?
 妙に落ち着かなくなってしまった。
 その心理を察したのか、相手はこんなことを言ってくる。

「◇◇さんのところは、すごいよ。三人も子供がいて、みんな良い子ばかりで、親孝行なんだよ。しかも、全員が成績優秀。なので有名私立に入ってしまった。だから学費も半端じゃなかったらしい。こないだその件を聞いてみたら、最近になってやっと、親の任務を離れることができて生活が楽になったって言ってたよ」
「へえ・・・」
「◆◆さんのうちも、三人も子供がいて、みんな良い子ばかりで、みんな前橋に下宿している」
「え? 前橋?」
「奥さんが前橋に住んで子供の面倒をみてて、週末にペンションに戻ってくる。優秀なお子さんばかりだと親も大変だけれど、これも未来への投資。歴代の親たちが子供にやってきた道を、今の親たちもやるということさ」
「・・・」

 嬬恋村といえば、群馬県のチベットと言われるぐらいのど田舎ですが、 こんなド田舎にもかかわらず、 優秀な子供たちが多いのには呆れます。近所のペンションでもお子さんが、長野県でもナンバーワンと言われている有名私立高校に入っている。しかも同じペンション仲間のお子さんも入学している。嬬恋中学校といえば、一学年の人数は下手したら五十人をきる年もある。これだけ子供の数が少ないのに、この調子。そういえば息子の入っていたスケート部の先輩も、中高一貫の超有名私立学校に入学していました。親たちの負担も大変でしょうが、子供の将来を思ってのことなので、これも一種の植福と言えるかもしれません。

 とてもじゃないけれど、私にはそこまでやるほど気力はない。本人がどうしてもといえば、考えないでもないですが、かなりの高齢で生まれた子供ですから、どちらかというと、学力よりも健康体を作ってあげたい。この心理は、五十歳を過ぎて子供を持った人間にしかわからないかもしれません。

  私は二十年間宿屋をやっていますが、その間に何人かのリピーターのお客さんが、命をなくしています。 そこまで行かなくても、ストレスで鬱になった人もいる。嫁さんの親戚の方で、若くして突然死した人もいる。 そもそも嫁さんの父親からして、若くしてなくなっている。

 無駄に人生を長く生きていると、そういう経験が積み重なるので、どうしても健康というものを重視してしまいます。体の健康もそうだし、心の健康も。 だから早取り学習よりも、ゲームを使った脳トレーニングを重視してきたし、小さいうちから空手家キックボクシングをさせたり、毎日のように息子を連れて登山に明け暮れています。子育てを健康中心にもっていく。健康のために金を使う。これはこれでひとつの植福と言えるかもしれません。将来のために息子に健康を植福している。

20-524-07.JPG

 植福 にも、色々あると思います。
 人それぞれ、いろんな植福を行なっている。
 これは、どの植福が正解かというよりも、
 それぞれ親たちの歩んできた人生に大きく影響されて植福が選択される。
 たまたま私は、健康というものに対して敏感にならざるえなかった。
 だから息子にしてやれる植福は、健康な体つくり。
 それもほどほどの健康な体。

800px-Miyazawa_Kenji_in_a_paddy_field.jpg

 息子が望むなら別だが決して全国を狙うスポーツマンにしたいわけではなく、ほどほどの健康体と、ほどほどの人格者であればいい。息子が望むなら別だが、決して聖人君子になんかにしたくない。少しだけ欲がある平凡な人間で良い。宮沢賢治の「雨にもマケズ」の世界が息子にとって一番良いと思っている小市民な親だったりする。 


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング





posted by マネージャー at 06:15| Comment(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月28日

例のウイルスで息子の夢が消えてしまった その2

 二十年ほど前に『幸田露伴の語録に学ぶ自己修養法(渡部昇一)』という本を読みました。幸田露伴の面白いことは、幸福を語るのに『幸福論』と書かずに『努力論』を書いているところです。その『努力論』で幸福を引き寄せる方法として「惜福、分福、植福」が必要だと言っています。幸福を引き寄せるためには、惜福・分福・植福といった努力が必要だと言うのです。

 分福について幸田露伴は、自分に巡ってきた福を独り占めしないで周囲にも分け与える。しかも見返りは期待しない。福は天からの授かりものであり人々の間を巡るもの。自分に巡ってきた福を天の一角に返す気持ちを持つ心掛けが大切。周囲を幸福にすることが、自らの幸福につながる。だから分福によって、よりいっそう大きな福がやって来る。例えば、
「商売で儲かった時に利益を使用人らに分けたとしよう。すると使用人らは、店主が福利を得るならば自分たちも福利を得るのだということが分かり、熟心に業務に励み、店主を儲けさせようと努力するものなのである」
というふうに。

51NVVPJ39BL__SX317_BO1,204,203,200_.jpg

 ところで幸田露伴が、なぜ露伴なのかというと、仕事をやめて北海道から徒歩で餓死寸前になりながら帰京したことがあり、露を伴って野宿したので「露伴」と名乗ったと言います。ああ、なるほどと思いましたね。これなら幸田露伴が、
『分福』
と言った理由が分かります。私でなくても、1980年代から1990年代にわたって北海道を徒歩旅行した人なら誰だって分かると思います。どれだけ『分福』のお裾分けに預かってきたか、身にしみて分かると思います。

 今から四十年ぐらい前の北海道では、電車に乗れば、地元民の人たちが誰彼なく気さくに話しかけてきました。道を歩いていれば、車が止まって乗せてくれましたし、車中で話が盛り上がれば、「俺の家に泊まっていけ」と言われて、何日もお世話になることも多かった。もちろん住所交換もした。年末になると新巻鮭が送られてきたり、色々なものが送られてきました。もちろんこちらの方もお返しに何らかのものを送り返しましたが、相手は金額にして倍ぐらいのものを送ってくる。

SF012_L.jpg

 そういえばライダーハウスなんてものが北海道にはありました。今でも存在してるとは思いますが、当時のライダーハウスはちょっと違ってました。ラーメン屋の駐車場の隅に小屋なんかがあって、ラーメン一杯を食べるとそこに無料で泊めてくれました。ライダーハウスには旅人も泊まっていましたが、ジプシーみたいな人たちも泊まっていました。そして近くの農家や漁師番屋で働いていました。その人たちは、野菜を持ってきたり、魚を持ってきたりして、夜になるとみんなで持ち寄った食材で美味しそうな鍋を作ったりしていた。するとどこからともなく差し入れが届いてくる。ラーメン屋の親父が、余ったご飯を届ける場合もあれば、近所の農家がとうもろこしや酒を届ける場合もある。お礼を言うと
「何もだ」
と言って、一緒に酒を飲んだりします。
「俺もここの人間だ」
近所の農家のご主人は、ライダーハウス出身だと言う。農家でアルバイトしてるうちに、そこの娘と結婚して、今は農家の大黒柱になっているらしい。

 そのご主人のおじいちゃんの話によれば、昔は芋掘りさんという人たちがいて、家族でじゃがいも掘りの季節労働して北海道中を渡り歩いていた人たちがいたらしい。だから芋掘りの季節になると大勢の子供たちが転校してきて、二週間後に去っていったという。

 どの子供たちも服はボロボロで身なりは良くなかったけれど、地元の子供たちも、大人たちもみんな親切にしてあげた。彼らは貴重な労働力だったし、学校から帰ってすぐに雇われた農家で親と一緒に芋掘りの手伝いをする。一生懸命親孝行する子供たちを馬鹿にできる人たちは、当時の北海道のどこにもいなかった。むしろ尊敬の眼差しで見ている人たちの方が多かったという。

 芋掘りさんたちが転校していく日、ご主人のおじいちゃんは、餞別に宝物でも何でも差し出したといいます。そして時代が変わって芋掘りさんたちが住んでいた小屋は、ライダーハウスの前身になりました。

DD177_L.jpg

 また北海道には、開拓地だというのに神社がいっぱいありました。神社にはたいていテントが並んでいて、大勢のキャンパーたちが生活していました。1990年の頃。バブルのさなかの頃です。キャンパーたちの中は、優雅に写真撮影をしてる人たちもいたし、バイクでツーリングしている人たちもいましたけれど、農家で働いてる人たちも多かった。

 寒さの厳しい冬になると、日本列島を南下していき、沖縄の波照間・石垣島・西表島に向かって製糖工場で働く人たちも多かったけれど、真冬の北海道でキャンプしてる人たちも多かった。キャンプと言っても、山ガールのキャンプをイメージとは程遠い。ジプシーみたいな生活。芋掘りさんに近いと思います。彼らが厳冬の北海道でキャンプできたのも、北海道の庶民に分福が根付いていたからだと思います。でなければ、彼らは厳冬の北海道では生きていけなかったはずです。

 長い前置きはこのくらいにして、分福について。

 分福と言えば、嫁さんの実家のある群馬県館林が本家です。あの分福茶釜は、群馬県館林にある茂林寺にありました。館林というところは、昔から裕福な土地だったらしく、その理由が、いくらお湯を汲んでも全く尽きることのない茶釜のおかげであると言われていました。お湯が無限に湧いてくれれば、燃料代が助かりますから、村全体が裕福になるという理屈です。

 本当にそんなことがあったかどうかは別にして、ポイントは、お湯を分け合ったということにあります。分福が徹底したからこそ館林は裕福になった。それを周辺の市町村が信じたということに大きな意味があります。館林からちょっと離れると栃木県になりますが、その栃木県の住民たちにも館林の分福は有名であったという明治時代の記録が残っています。

 実際に館林周辺の市町村は、江戸時代の昔から栃木県も含めて分福を徹底していました。なので、この辺りには多くの人たちが集まってきたと言います。NHKのテレビドラマで有名な「おしん」のような存在が、わんさか押し寄せてきたのも、館林周辺地域です。

Z00024587.jpg

 彼らは、奥州子と言われて、わずかばかりの米俵と引き換えに奉公に出された子供であり、小さい赤ん坊の子守をしながら学校の校庭に集まっていました。

 その辺の事情を知っている教師たちは、わざと窓際で奥州っ子に聞こえるように、窓に向かって叫ぶように授業をしました。子守の子供たちは、それに甘えて勉強した。教科書もノートもないので子守の子供たちは棒で地べたに文字の練習をしました。一事が万事、みんなこの調子です。

 お墓のお供え物も、白米のおむすびでした。そのおむすびは、貧しい人たちの食事にやることが前提です。実際、おそなえをすると、貧しい人たちが、それを食べていた。

 赤ん坊を抱えて物乞いをする人には、温かいご飯を食べさせたと言います。お金をあげても、コンビニのない時代ですから、お金よりも食事の方がありがたかった。米をもらっても、金をもらっても困るだけだった。このような館林の分福も、館林出身の嫁さんには興味がないようなので、あまり話していません。

 話は変わりますが、どういうわけか、うちの息子には分福が身についています。時としてやりすぎることがあるくらい。原因は、宿屋の息子なためだと思われます。子供というものは親の真似をします。特に長男や一人っ子の場合、信じられないくらい親の真似をします。うちの息子も、何でも真似をしました。問題は、私が宿のオーナーであることです。

 親が盛んに接客サービスをしていると、息子もそれを真似する。息子なりに何でもサービスをする。それがお客さんに好評で、売上が伸びたのも確かです。小さなお子さん連れのご家族が来ると、自分が持ってるおもちゃを両手に抱えて小さなお子さんたちのところに走って行きます。絵本を読んであげるし、こっそり溜め込んだ自分のおやつも持っていく。お客さんが、メガネを探していると、度数の合わない私のメガネまで持っていく。

 まさに分福。
 なんでもかんでも差し出そうとする。
 売り物の小さなおもちゃまで勝手にあげてしまう。
 それを叱るんですが、何が悪いのか今ひとつ分からない。

G_101.JPG

 最初は微笑ましいなぁと思っていたんですが、さすがに大変な弊害があるということに気がついた。分別のない分福は、かなり危険だということに。

 なので幼稚園の年長さんの頃に、お金を学習させるためにコンビニやスーパーに連れて行って、こづかいをあげて、自分でおやつを買わせますと、買ったおやつを、親にも分けてくれます。決して独り占めしようとはしません。

 と書くと美談のように思えますが、これは少しばかり危険です。お金の怖さを分かってない。幼稚園時代の息子は、呆れるばかり物欲がないので、お金でもおやつでも、おもちゃでも、何でも他人にあげてしまう。親の接客姿をみて、そういうものだと勘違いしている節がある。

 それはそれで決して悪いことではないのですが、世の中にはクレクレ君と言う、物欲の塊の人たちが少なからずいるし、悪意のある人もいる。そういう人たちと出会ったら必ずトラブルになるのは目に見えている。なので分福という行為は、惜福に比べて、かなり高度で難しい判断を必要とする。どの過ぎた分福には、必ずトラブルが生じてしまう。

 そこで、欲というものを教えることにしました。具体的に言うと、アルバイトなどをさせて、お金を稼がせることにした。何かお手伝いをしたら十円ずつ払い、その十円が貯まったら、おやつか何かを買わせるようにした。お金の価値を自身の労働によって身をもって分からせるようにした。

 しかしこれを実行してみると、少々具合の悪いことに気がつきました。
 幼稚園児が行うお手伝いというものは、かえって足手まといになる。

 なので、勉強や運動することに十円ずつ払うことにしました。その代わり、おやつも与えなければ、おもちゃを買わない。欲しければ自分で稼ぐように仕向けました。その結果、苦労して手に入れた十円は、簡単に手放さなくなりました。労働することによってお金の価値が分かってきた。そうなると、コンビニでお菓子を買うこともなくなる。苦労の末、手に入れたお金を滅多に使わなくなった。

IMG_1454.JPG

 これにアジをしめた私は、息子に十円をジャンジャン支払うようになり、小学校一年生になる頃には、何かする事に百円ずつ払うようになった。そのかわりに罰金を取ることも始めました。お金はジャンジャン払いますけれど、忘れ物をしたり、嘘をついたり、やってはいけないことをした場合、千円とか二千円の罰金を取るようにしました。

 罰金制度にしたのは、子供をきつく怒鳴っても効果が無いからです。怒鳴ったところで忘れ物がなくなるわけではない。でも、忘れ物をすることに千円の罰金を命じると、忘れ物はなくなる。それはもう嘘のように忘れ物をしなくなる。怒ったり叩いたりしても忘れ物をするくせに、千円の罰金だとピタッと忘れ物がなくなってしまう。千円を稼ぐのが、どんなに大変か身をもって体験したためか、恐ろしいほど忘れなくなる。その結果、おこずかいが、どんどん増えていく。

 不思議なもので、お小遣いが増えると、お金を使わなくなる。増やすことに執念をもちはじめ、アルバイト・勉強・運動など、お金になることを率先してやるようになった。で、自分の貯金通帳を作りたいと言ってきた。群馬銀行に出かけて息子の貯金通帳を作ってあげた。で、私の方は、新型コロナウイルスで経営悪化したので定期預金を解約手続きを行った。帰り際に息子が
「1億円ためたいな」
と言うので
「そんなに貯金して、何に使うの?」
と聞くと、ロシアで寿司屋をやるための資金で必要だと言った。
「こいつ、何を言ってるんだ?」
と首を傾げていると、息子は得意満面で、将来の計画を語り始めたのです。今年の二月頃の話です。ダイヤモンドプリンス号が入港した頃で、まだ新型コロナウイルスが、深刻な状況でなかった頃の話です。

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング



posted by マネージャー at 01:42| Comment(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月26日

例のウイルスで息子の夢が消えてしまった

「惜福、分福、植福」幸田露伴

51NVVPJ39BL__SX317_BO1,204,203,200_.jpg

 二十年ほど前に『幸田露伴の語録に学ぶ自己修養法(渡部昇一)』という本を読みました。幸田露伴には、全く興味が無かったのですが、渡部昇一氏の本なので、無条件に買って読みあさりました。

 で、予想したとおり素晴らしい本で、何度も読み返したい良書でした。その内容は『幸運を引き寄せる生き方の法則』について書かれた本で、一種の幸福論です。

 で、幸田露伴の面白いことは、幸福を語るのに『幸福論』と書かずに『努力論』を書いているところです。その『努力論』で幸福を引き寄せる方法として「惜福、分福、植福」が必要だと言っている。幸福を引き寄せるためには、惜福・分福・植福といった努力が必要だと言うのです。

 で、惜福について幸田露伴は、「たとえば掌中に百金を有するとして、これを浪費に使い尽して半文銭もなきに至るがごときは、惜福の工夫のないのである」と言っている。

 惜福。福を惜しむ。これは倹約とかケチとか、そういったことではなく、幸運を大切にして使い切らないということです。たとえば、親からプレゼントやお年玉をもらっても、それを無駄に使わずに大切に貯金することです。そういう子供には、もっとお年玉をあげたくなる。結果として、さらに福を呼び寄せるわけです。それを幸田露伴は「惜福」と言った。逆に、せっかく何かをプレゼントしてあげても、すぐに壊してしまったり、三日で飽きてしまったりしたら、だんだんプレゼントをあげたくなくなってきます。「惜福」つまり、福を惜しまないと福が逃げていく。もらったものを大切にしてないと、もらえるものがだんだん少なくなっていく。これが「惜福」の効果だと幸田露伴は、言いました。

 他にも、分福(福を分ける)、植福(後世に残す)という福がありますが、これについて説明すると長くなるので割愛します。

 惜福についてです。どういうわけか、うちの息子は、生まれながらに惜福に長けていました。いつだったか、親戚の人から絵本をもらった時、もらった絵本を毎日のように眺めていました。宅急便で送ってもらった、お下がりの服・おもちゃでさえ宝物扱いです。
 お客さんから誕生日祝いに水筒をもらったことがあったんですが、ボロボロになって使えなくなっても大切にしていました。ひびが入って使えない水筒でも毎晩枕元に置いて寝たくらいです。お客さんに、駅長さんの帽子を頂いた時も同じで、ずっと持ち歩いて大切にしていました。お年玉を頂いた時も、金額にかかわらず、毎日それを眺めていました。眺めては貯金箱に入れ、貯金箱から取り出しては眺める。そして絶対に使おうとはしない。

 そんな息子も幼稚園の年長さんの時に、世の中にはサンタクロースというものがいて、プレゼントをくれるらしいという知識を仕入れてきました。で、サンタクロースに欲しいものを手紙を書いて、窓ガラスに貼ったのです。そんなものをお客さんに見られてはまずいので、取り外すと息子は
「手紙がなくなった」
と悲しそうな顔をする。仕方がないので、
「サンタクロースが持って行ったんじゃない?」
とごまかしました。

IM-04.JPG

 で、息子のやつは何が欲しいんだろうとその手紙を読んでみると、くまのぬいぐるみが欲しいと書いてある。欲のないやつだなーと思いつつ、リサイクルショップで、百円のくまのぬいぐるみを二つほど買って、クリスマスイブに、枕元に置いてあげました。

 すると大喜び。「二つももらったよ」と大喜び。二百円でこれだけ喜んでくれるとはプレゼントのしがいがあると思いましたが、その日からの息子のサンタクロースのプレゼントに対する態度は、親の私も想定外でした。

 くまのぬいぐるみは、息子にとって友達とような存在になりました。大切に取り扱うのはもちろんのこと、食事の時も、散歩の時も、布団に入る時も、いつも一緒です。寝るときに枕元に置くのはもちろんのこと、北アルプスを縦走しようという時でさえ、ザックに入れようとする始末。さすがにそれだけは許しませんでしたが、近くの山なら今でも普通に持って行きます。息子は小学二年生で、幼稚園の年長さんの時のクリスマスから二年も経っているんですが、未だにこの調子です。新型コロナウイルスが流行し、毎日のように登山をしてるんですが、隙あらばリュックサックの中に二体のぬいぐるみを入れようとします。

 まあそんなことはどうでもいいとして、去年の十二月。息子が小学一年生になった冬。またクリスマスイブが近づいてきた時のことです。今度は、何をお願いするんだろうと思っていたら、ラジコンカーをくださいと言う手紙を食堂の窓ガラスに張り出した。やっと世間並みの欲が出てきたのかな?と思い、今回もトイプラネットという中古品のおもちゃを売っている店に行って、五百円くらいのラジコンカーを買おうと思ったんですが、息子は
「ラジコンカーをやめて地球儀にする」
と言い出したので、百円ショップで売っている百円のミニ地球儀を買ってこようかなと思っていました。

 何しろ、うちの息子はどんな安物でも、大げさに喜ぶし、とても大切にする男なので、金がかからなくていい。で、クリスマスの前に
「クリスマスツリーをみたい」
と言うので、ホテルブレストンコートで毎年行われているキャンドルナイトに連れて行きました。そこには巨大なクリスマスツリーがあるからです。で、クリスマスツリーを見学の後に、星野遊学堂という教会に行くと、一人一枚ずつ絵葉書をもらったのです。

「せっかくだから、おじいちゃんやおばあちゃんにクリスマスカードを送ったらどうだい?」

と言うと、息子のやつは喜んでカードを書きました。一枚は母方のおばあちゃん。もう一枚は父方の祖父母に。すると、しばらくして
「これでプレゼントを買ってあげて」
と、父方のおじいちゃんおばあちゃんから、母方のおばあちゃんから、まとまった現金が送金されてきました。で、今年は100円のプレゼントですますわけにはいかなくなった。なので少しばかり考えてみた。

「うちの息子は、成長が遅いので、小学一年生のくせにサンタクロースをそのまま信じている。でも、一年後の二年生になったら、さすがにサンタクロースの正体を知るだろう。現に私は、保育園の年長さんの時にすでに、サンタクロースなんていないこと知っていた。二年生になったら、きっとクリスマスに対する夢が消えてしまうに違いない」

 そう思った私は、百円ショップの小さな地球儀をプレゼントするのをやめて、何万円もする地球儀にした。地球儀の中にコンピューターが入っていて、たとえば日本をタッチすると、日本について色々な説明をしてくれる地球儀。クイズを出したり、質問に答えてくれるコンピューターの入った、いわゆるしゃべる地球儀をクリスマスにあげることにした。

H_1.jpg

 もちろん息子は大喜び。
 毎日のように地球儀で遊んでばかり。
 地球儀が友達のようになってしまった。
 その結果、息子のやつはとんでもない事を言い出した。

 それまでは、将来は小学校の先生になって、
 担任の先生のような先生になると目を輝かしていたんですが、
 地球儀のおかげで、あっさりその夢を放棄し、とんでもない野望を持つようになった。

 まずロシアに行って、そこで寿司屋を開業して、巨大チェーンを作って大儲けする。そのあとに、アメリカでホテルを作って、巨大なホテルチェーンをアメリカ各地に配備するとかなんとか。とんでもない夢物語を語るようになった。明らかにコンピューター内蔵の地球儀に影響されている。というか、これでは
「将来の夢はウルトラマンになることです」
と何も変わりないではないか。

 と思ったのですが、結構本人は真面目に考えているらしく、まだ小学二年生なのに、真面目に英語の勉強しだしている。そのうち、ロシアで寿司屋をやるとか、アメリカでホテル王になるとか、そんなバカみたいなことを忘れてしまう・・・・と思っていたのですが、この半年間、未だにその夢を持ち続けている。そして、本人自ら勝手に自主的に英語の勉強を始めてしまった。まだ小学二年生なのに。
「そんなことはしなくていい」
と言っても聞く耳をもたない。世界に打って出るためには英語が必要ということは分かっているようで、英語に夢中になっている。
「こいつはヤバイ・・・」
と思っていたら、新型コロナウイルスが世界中に猛威をふるってしまった。

1585818461_b.jpg

 これが何を意味するか、成長の遅れてるうちの息子にもわかったようで、息子の夢はついに破れてしまった。最近は、地球儀をいじってはないのですが、それでも英語の勉強だけは毎日続けてるようです。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング






posted by マネージャー at 00:02| Comment(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月25日

中国沿岸部・台湾・香港・韓国・日本人は、弱い免疫を持っていた?

 最近、日本人は、例のウイルスに対して、弱い免疫を持っていた?のではないかという説がでてきました。

 ウイルスに感染すると、最初にIgM、そしてIgGが上昇し、うまくいけば中和抗体となり、免疫ができます。
 すでに感染している人は、逆にIgGが最初に上昇し、次にIgMが上昇する。

 どっちが早く上昇するかで、
 そのウイルスに感染済みなのか、
 未感染なのかがわかるらしいのですが、

 日本人が新型コロナウイルスに感染すると、多くの人たちが、
 まずIgGが最初に上昇し、次にIgMが上昇することが分かった。

 つまり、すでに感染を経験した人と、同じような数値が出てしまった。
 つまり日本人の多くは、新型コロナウイルスに対する
 弱い免疫を持っている可能性が高いということになる。

 しかし、日本人でも重症化する人がいて、
 重篤化する患者さんは、欧米と同じように先にIgMが上がる。
 つまり全く免疫を持たない初感染パターンと同じグラフになる。

 で、児玉龍彦先生が、今回の新型コロナウイルスに似たウイルスに日本人は感染歴があり、そのためなんらかの弱いながらの免疫を持ったのではないか? だから死者が少ないのでは?という仮説を出している。そして若い人ほど重症化しにくい理由は、幼児が何でも口に入れてしまうので、新型コロナウイルスに似たウイルスに感染しやすかったのではないか?というのです。



 で、新型コロナウイルスに似たウイルスは、中国沿岸部・台湾・香港・日本・韓国の人たちがすでに感染していた。だから重症化しにくく死者も少なかった。逆に中国内陸部(武漢)では、感染経験が無かったので欧米と同じように重症化する人たちが多かった。そういう仮説を児玉龍彦先生は述べている。もし、これが正しいとしたら、新型コロナウイルスは、そんなに恐れるものでは無いともいえ、十分予防できる可能性が出てくる。あくまでも仮説が正しければの話ですが。

4452.jpg

 この仮説が正しいとすると、潔癖が必ずしも正しいとは言えなくなってくる。日本人が重症化しないのは潔癖だからではなく、すでに弱毒なコロナウイルスの感染歴があったからであり、そのための抗体をもっていたためであることになる。子供が感染しても無症状なのは、幼児が何でも口にしてしまうために、新型コロナウイルスに似た弱毒なウイルスにあらかじめ感染してしまい、免疫をもっている可能性が強いということになる。

IMG_3223.JPG

 似たような話として森林浴がある。森林浴がヒトNK(ナチュラル・キラー)細胞を活性化させ、人間の免疫力を高めることは有名な話であるのだが、その森林浴の中には、さまざまな雑菌が充満している。さらに動物、鳥、昆虫、ダニ、バクテリア、細菌、そして植物と、無数の生命体にあふれています。それらに接触することによって、NK(ナチュラル・キラー)細胞が増えるし、未知のウイルス・菌に接触して人間の免疫力を高ていく。

IMG_3232.JPG

 そう考えると、児玉龍彦先生の仮説も捨てがたい気がしてきた。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング







posted by マネージャー at 00:49| Comment(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月24日

岐阜県飛騨地方の群発地震に思うこと

 最近、岐阜県飛騨地方で群発的に地震が発生していますね。このニュースを聞くたびに、二十五年以上前のお盆登山を思い出します。私が、まだ三十歳そこそこの頃、登山素人のメンバー三十名ほどをお盆の時期に北アルプス(テント泊)に連れて行ったことがあったんですが、当時も同じような状態で、岐阜県飛騨地方で群発的に地震が発生していました。

20-524-07.JPG

 こういう群発地震が発生しますと、テントの中で夜寝られないんです。群発地震そのものは、体感で感じられないくらいの弱い地震なんですけれど。だから地震があったかどうか、誰にも分からないくらいに弱い。なので、東京あたりだったら、誰も気にしないというか、誰も気がつかないんですよね。

 ところが岩場・ガレ場の多い北アルプスだと、ほんの少しの揺れで落石が崩れる音が聞こえてくる。それも四方から聞こえてくる。五分おきに聞こえてくる。酷いときには一分おきに聞こえてくる。

 なにしろテントというやつは、薄いナイロン生地一枚しかないので、外の音がよく聞こえる。ガラガラガラ・・・と、まるで土砂崩れで山が崩壊する勢いのような音をたててくずれる音がする。もちろん、そんなことはないんですが、落石の音が、木々の無い山々にこだまして、実際より大きな音で聞こえる。そのたびに山小屋のスタッフが
「大丈夫ですか!」
安全確認のために声をかけてくる。それがいっそう不安をかきたてる。

20-524-08.JPG

 夜中の落石音というものは、それは不気味で、みんなでテント周りにサーチライトを照らして、安全を確かめるんですが、一晩中、それを続けることもできないので、途中であきらめて寝るんですが、こういう事が、4泊5日の縦走中に毎晩おきてると、そのうち慣れてしまって、なにも気にならなくなる。で、無事下山するわけですが、その夏に地震での負傷者は、北アルプスでは一人もいなかった。

20-524-10.JPG

 しかし、下界の温泉ホテルの露天風呂に、巨石が落ちて大被害が出たという。さいわい怪我人はいなかったようですが、派手に落石音が聞こえてきてた山より、下界の方が危険だったということに、当時の私は驚いたものです。今から思うと、派手に落石音が聞こえてきてたからこそ、人々は注意深くなり、北アルプスの登山者にとって、いつもの年より登山中の事故が少なくなっていた可能性がありますね。

 日本における新型コロナウイルスも、ダイヤモンドプリンセス号の事件があり、あれで、国民が気を引き締めたからこそ、欧米のような悲惨な状況にならずにすんだと言えるかもしれません。今後も国民全体で危機感をもって対処していきたいものです。

4452.jpg

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング





posted by マネージャー at 01:08| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月22日

宿屋(ユースホステル)の将来は?

 例のウイルス騒ぎの結果、 飲食業と宿屋は大ピンチになっています。特に、ドミトリー(相部屋)文化の旅行スタイルであるユースホステル・ゲストハウスが受けた打撃はかなり大きなものがあります。特にインバウンドに頼っていた宿は絶望的な状態になっているのではないでしょうか?

 今後、ユースホステルは、ドミトリー(相部屋)文化を見直さなければいけないでしょう。インバウンドに対しても、見直すべき時代に入っている気がします。今後世界は、準鎖国状態になっていくかもしれません。我々、宿屋はそれを心しなければならない。

IMGP1197.JPG

 間違っても、目先の利益のために安易な外国人の受け入れのための圧力をかけるべきではないし、簡単に出入国を許可すべきでは無い。御客さんは欲しいけれど、そのために国民を危険にさらしたくない。そもそもインバウンドの御客さんは、二割以下なので、日本人さえ旅行するようになれば、八割の売り上げを回復できる。そもそも日本は、巨大な内需国なので、内需に目をむければいい。

 いま、うちの宿のホームページを作り直しています。新型コロナウイルス以後と以前では、サービス形態が180度変わってしまいました。以前は、絶賛されたアットホームさも、感染という現実を前にしたら、必ずしも正解とは言えなくなりました。
 うちの売りだった食事も、人数限定にせざるをえなくなり全員にお出しできなくなった。もちろんドミトリー(相部屋)なんて、もっての他です。個室対応しか出来ません。閑散期ならともかく混雑期のドミトリー(相部屋)希望者は、お断りすることになるでしょう。これは、うちだけでなく、どのユースホステル・ゲストハウスも、アットホームなペンションも、大なり小なり、そういう方向に進むと思います。


 さいわい、新型コロナウイルスは終息に向かいつつありますが、過去のスペイン風邪の例をみても、第二派・第三派はかならずおきるでしょうし、そもそも欧米諸国の感染爆発が止まってません。国によっては集団免疫獲得戦略をとっているところもあるので、脳天気な役人の判断で、外国への出入国の緩和を始めたら絶対に第二派の感染爆発が始まると思います。なので我々民間が、率先して感染防止に走らないと。

 とにかく、感染が小康状態の今のうちに、やれることは全てやろうと思います。さいわい吾妻郡では感染者はゼロです。厳密に言うと1人いますが、東京からの仕事できていた自営業者で、現地の人間に感染者はいないことになっている。群馬県の感染者の大半は老人ホームです。それも高崎市・前橋市などの都市部に多いようです。なので、最近は、車で1時間の高崎に買い物にも行ってません。いろいろ工夫して、今あるもので間に合わせています。おかげで、支出が大幅に減って生活が楽になりました。節約生活も慣れてくると楽しいものだから不思議です。

15585313_618287028358412_712396285818032976_o.jpg
(八ヶ岳の山頂・息子三歳で自力登山)

 ただし、免疫力をアップさせるための
 登山だけは、毎日出かけています。
 これだけは、やめられない。
 まあ、お金もかかりませんからね。
 でも考えようによっては、これが一番の贅沢かもしれない。

IMG_3707.JPG
(息子六歳・奥穂高登山中の涸沢)

 今後は、アフターコロナにむけて免疫をアップさせるためのお手伝いを、宿屋が行うようになる時代がくるだろうし、わが宿も、その方向に舵取りをしようかと思っています。今は、そのための準備中です。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング





posted by マネージャー at 23:17| Comment(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする