2020年12月05日

『ふふはり亭』から黒姫童話館へ【4】

 ふふはり亭から、車で5分の黒姫高原に黒姫童話館(信濃町立)があります。
 世界の童話をテーマとする文学館で、
 ここには、ドイツ人作家ミヒャエル・エンデの2000点を超える作品資料が、あります。
 本人からの寄贈だそうです。


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 ミヒャエル・エンデというば、なんといっても『モモ』です。
 ある世代ならみんなモモを読んでると思います。
 また映画『ネバーエンディングストーリー』の原作者と言ったらもっと分かるでしょうか?


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 特に『モモ』は面白い。私は、中学生か高校生の時に読んでいるけれど、ぐんぐん引き込まれていったことを覚えている。不思議な少女モモと、時間泥棒の灰色の男たちとの対決は、愉快で面白かった。こういう作品を書く人は、どういう人なのかと思って黒姫童話館にいってみたら、作者は、ナチスを嫌ってイエズス会神父のところで反ナチス運動の伝令としてミュンヘンを自転車で駆け回ったとのこと。ようするに作者が、アウトサイダーだったわけです。

 逆に言うと、ミヒャエル・エンデの資料がドイツではなく、信州の黒姫にある意味もなんとなく納得できました。
 奥さんも日本人ですからね。


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 それからこの童話館に来て初めて合点のいくことがありました。 映画のネバーエンディングストーリーを見たときのことです。この映画を映画館で見たんですが、途中までは、夢中になってみていたんですが、ラストシーンになってちょっと違和感を覚えた。 違和感を覚えたけれど、ヨーロッパ人の感覚というのはこういうもんなんだろうなぁと自分で納得して映画館を出たのです。あのラストシーンさえなければ、名作だったのになあと思ったんですが、人の感性は様々なんだろうなと当時は自分を納得させていました。この辺のところを嫁さんに聞いてみたことがあるんですが 、嫁さんには全く違和感はなかったらしい。

 で、今回黒姫童話館に行ってみたら、ラストシーンは原作者の意図と反して映画会社が勝手に付け足したものらしい事が分かって、やっと納得できるようになりました。と同時に、当時感じていた自分の違和感が、あながち間違いでなかったことに今更ながら嬉しくなった。 どうして嫁さんに違和感がなかったか? この辺が不思議だったので、モモを読んだことがあるかと聞いてみたら、読んだことはないと言います。 この違いが、違和感の有無なのかもしれません。調べてみたらネバーエンディングストーリーは、1から10までミヒャエルエンデの希望が通らなかったので裁判にもなったと言うことらしい。


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 童話作家である松谷みよ子の常設展示室もありました。彼女は、戦時中に黒姫に疎開しており、その時に黒姫の坪田譲治に弟子入りして、それもあってか黒姫に別荘をもっていたようです。


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 松谷みよ子は、全国各地の太郎伝説(ちから太郎・三年寝太郎・食っちゃ寝の太郎など)をかき集めて、それらを一つの物語に結集して『龍の子太郎』を作ったことで有名ですが、この物語のパターンは、信長の伝記に似ていますね。


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 私は、高校生の時に、この松谷みよ子の手法を真似て、佐渡島から山形・秋田にまで広がる団三郎伝説を収集して、『龍の子太郎』のような絵本を作ろうとしたことがあったのですが、製作途中に転校することになってあきらめたことがあります。それほど民話の収集と統合は難しい。



 私が、吾妻郡に住んでいて興味があるのは、吾妻郡の大柏木付近に点在する『大場三郎(だいばさぶろう)伝説』です。それは、こんな伝説です。

 昔、京の美しい姫が東に下り大柏木で三郎を生みました。三郎は剣術の達人となって村人を助け、剛勇の名をとどろかせるエピソードが沢山ある。それらを龍の子太郎のようにつなぎ合わせると吾妻郡版『龍の子太郎』になる可能性がある。ただし、龍の子太郎と違っているのは、ラストシーンです。ラストシーンとなるエピソード。それは、こんな話です。

「ある夜のこと、大きな地響きと雷鳴とともに山伏姿の天狗が現れ、
 さすがの三郎も太刀打ちできずにいると
 天狗はこう言いました。
『私は、この里に禍をもたらしにきたのではない、おまえに天狗道を教えに来たのだ』
 すると三郎の背中に羽が生えており、
『これから天狗道に赴いて生まれ育ったこの村の守りになる』
 と村人に叫びながら天狗に導かれて姿を消しました。
 それ以来、大柏木の里では穏やかで平和の日々が続いているということです」

その伝説の7ヶ所の地名を総称して「大場七景」と言います。

1.三郎の産湯の水を汲んだ井戸「かじか京」
2.武術の稽古に使ったと言われる「蒔田の松」
3.三郎の母が独経しながら亡くなったと言われる「上臈が平」
4.三郎の乳母を葬ったと伝えられる「お乳が窪」
5.三郎のために衣食足りて礼節を知る運んだと伝えられる
  ツバメに似た岩「つばくろ岩」 
6.どんな干ばつにも涸れず三郎の暮らしを支えたという
  「独りのみの井戸」
7.三郎が倒した盲人の亡霊を祀った石がある「盲目神」

では、大場三郎とは、何者でしょうか? 源平盛衰記によると源頼朝が伊豆を小船で脱出したときに追っ手として出てきたのが東入道50余騎、その後には大場三郎景親1000余騎が続いたとされています。その後、石橋山の戦いで頼朝を撃破。しかし、安房国へ逃れた頼朝が再挙して多くの東国武士に迎えられて鎌倉へ入ると抗する術を失う。頼朝が富士川の戦いで平氏に大勝した後に降伏し、処刑されています。この大場三郎と、大柏木の大場三郎の関連は、まだ明らかにされていません。

 しかし、これらの話を統合して絵本をつくれば、群馬に『龍の子太郎』以上のスケールの大きな童話が出来るはずです。地元の皆さん誰か作ってみませんか? 誰もやらないなら私がやりますけれど。



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  ここには、いわさきちひろがアトリエとして使用していた黒姫山荘もありました。


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 今でこそいわさきちひろは有名人ですが、私が子供の頃は、幼児用図書の新人挿絵作家として、いろんな学習図書・雑誌などでバリバリ働いている頃でした。当時の子供向けの本には必ず掲載されている。当時としてはポピユラーな絵柄で、多作作家として、あらゆる幼児用学習図書にいわさきちひろの絵が使われていました。

 つまり昭和30年代生まれの子供達にとっては非常に馴染みのある絵だった。
 どこにもでも、いわさきちひろがあった。
 小学館のマンガ雑誌にもあった。
 その昭和30年代生まれの子供達が大人になるにつれて、
 いわさきちひろの絵がどんどんと人気になっていた気がします。
 そして、いわさきちひろを安易に見かけることがなくなっていった。


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 いま、いわさきちひろを見るには、美術館に行かなければならない。


つづく。

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2020年12月03日

元南極探検隊員の『ふふはり亭』に泊まってきた【4】

 土屋達郎氏は、環境省の仕事で忙しいようで、宿は奥さんが取り仕切っているみたいです。


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  土屋達郎氏も北軽井沢ブルーベリーYGHで、1年以上宿を手伝ったことがあるので、それなりの知識があるんですが、 とりあえず宿のことは奥さんに任せた感じです。月曜日から土曜日までは、朝早くから環境省の方で働くので、もし南極教室を目的に泊まられるなら、前もって連絡したほうがいいかもしれません。土屋達郎氏の仕事の関係で、南極教室が開催できない日程があるかもしれないからです。

 翌朝、ふふはり亭の朝食を食べました。
 画像見て分かるとおり、手の込んだ朝食です。


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 その後、北軽井沢ブルーベリーYGHから持ってきたブロワーで枯葉を飛ばしたり、木の伐採についてや、ボイラーなどの メンテナンス機器についてのアドバイスをしてお別れすることになりました。そして私たちは、土屋達郎氏のアドバイスをもとに
『黒姫童話館』
『ナウマンゾウ博物館』
に向かうことになります。


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 他にも色々な名所や、面白い博物館がいっぱいあるんですが、とりあえずこの二つに絞ってしまいました。黒姫童話館には、 松谷みよ子・ いわさきちひろの資料がたくさんあるので、それが目的でもありますが、なんといってもミヒャエルエンデの莫大な資料が揃っている童話館ということで世界的に有名です。ミヒャエルエンデと聞いて『はてな』 と首を傾げる人に説明すると、何十年間も前に世界的なヒットとなった
「ネバーエンディングストーリー」
の原作を書いた人と言えば分かるでしょうか ? 童話に詳しい人ならば「モモ」の作者であると言えば分かるでしょうか? 大の親日家で、奥さんが日本人で、日本をとても愛した童話作家といえば、ミヒャエルエンデの他はありません。そして、黒姫童話館には、もう一人、日本を凄く愛して国籍まで取ってしまったウェールズ人を紹介するコーナーがあります。 そうです。 cwニコルさんです。


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 それから『ナウマンゾウ博物館』ですが、考古学・人類学に興味ある人なら避けて通れない博物館です。 今から40年以上前、私が高校生だった頃に日本史の先生が、
「野尻湖の発掘によって世界史が書き変わる」
と言ってました。どういう風に書き変わるのか、当時高校生だった私にはさっぱりわかりませんでしたが、あれから40年経っているわけですから 、どういう風に世界史が書き換わったか 興味がありました。

 実際、この40年間に日本史に関しては確実に書き換わっています。稲作に関して言えば、中国大陸から入ってきたと言われていましたが、今では完全に否定されています。日本では今から6700年前から陸稲の稲作栽培が行われていたことが分かっていますし、水稲栽培は3700年前から始まっています。そして朝鮮半島の稲作は、日本から輸入されたものであることも中国の研究家による裏付け調査で、歴史として確定しています。日本最古の土器は16500年前までさかのぼる事になりました。農業の起源地とされた 中近東やアフリカには1万年をさかのぼる遺跡がありませんので縄文時代人は土器製作における世界先端技術を持っていたということがわかってきました。また北海道の縄文遺跡から布が発見されており、三内丸山遺跡では巨大建築物と、加工された全国各地の翡翠・黒曜石が発見されています。

 しかしこれらの歴史の書き換えは、あくまでも縄文時代の話です。野尻湖のナウマンゾウの生きてた時代は、 今から4万年前です。その4万年前の遺跡に石器がじゃんじゃん出てきている。ここが問題なんです。

  ホモサピエンスは、今から38000年前に、中国と日本に同時多発的に広がっています。 38000年以上前の遺跡は存在してない。つまり、38000年以上の前にホモサピエンスはアジアに来てないことになっている。けれど、野尻湖には大量の旧石器がある。何らかの人類がいたことは間違いない。ところが人骨が出てこない。 これは仕方ないことで、日本の土壌はほとんど酸性土質なので、人骨が残りにくい。唯一の例外は沖縄地方だけ。沖縄の土壌はアルカリ性なので人骨が残っている。まあそれはいいとして、もし、野尻湖に人骨が残っていたとしたら大発見になる。その人骨がホモサピエンスのものか、ネアンデルタール人のものか、その他の人類のものなのか特定できたら、すごいことになる。世界史が書き変わることになる。


つづく。

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2020年12月02日

元南極探検隊員の『ふふはり亭』に泊まってきた【3】

前回の続きです。土屋達郎氏の南極教室は、小学2年生の息子にとっても非常にわかりやすい講義だったようで、非常に興奮していました。約2時間。夜の10時まで講義は続いたんですが、真剣なまなざしで聞いていました。最後には、特別に南極の氷まで見せてもらい、それを食べてみました。炭酸のように空気がプチプチとはじける音がしました。
「何万年前の空気だ・・・」
南極の氷は、何万年も前の空気を閉じ込めています。それを噛みしめている私たち親子がいる。不思議な空間が、そこにはありました。


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(南極の氷と息子。氷には数万年前の空気が入っている)


 本当なら深夜まで話していたかったんですが、夜の10時。
 7歳の息子は、もう寝る時間だったので、
 途中でストップさせて息子を寝かせたんですが、
 その日の夜は、興奮していて寝付かれなかったようです。

 息子は、この時の事を宿題の絵日記に書いたんですが、1ページでは書ききれなくて、5ページぐらい必要だといいます。仕方がないので絵日記のフォーマットをコピーして2ページに抑えるように言いました。なんとか2ページで宿題の絵日記終わらせたようですが、本当は5ページぐらい書きたかったようです。それほど息子の心をくすぐった。

 どおりで講演の要請があるはずです。内容が面白い。小学2年生が聞いて面白いらしい。何しろ土屋達郎氏は、あまり難しいことを言わない。そういうキャラでもなく、どちらかと言うと幼稚園生でも分かる言葉を使って南極での体験を語る。もちろん、写真や動画を使っての解説です。なので
「もし嬬恋村から講演の要請があったら、いくらぐらいで引き受ける?」
と聞いたら、
「いつも謝金(交通費程度)で引き受けてます」
と言ってきたので、機会があったら、嬬恋村や教育委員会に推薦してみたいと思います。というのも、嬬恋村は、南極と繋がりがあるからです。


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(第1次南極越冬隊の隊長の西堀栄三郎)


 第1次南極越冬隊の隊長である西堀栄三郎さんは、11歳のとき、白瀬矗中尉の南極探検報告会に行って「いつかは自分も南極へ行きたい」と思い、中学時代から登山をはじめ、南極の厳しい自然に対応できる技術や知識を蓄えました。そして京都大学に入り、昭和2年1月に京都大学山岳部の仲間たちと群馬県吾妻郡嬬恋村の鹿沢温泉で合宿しました。


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(アインシュタインと学生時代の西堀栄三郎)


 合宿が終わってから後に第1回南極越冬隊長をされた西堀栄三郎氏、京大カラコルム遠征隊長となった四手井綱彦氏、アフガニスタン遠征隊を勤めた酒戸弥二郎氏、並びに東大スキ−部OBで後にチャチャヌプリ遠征隊長をされた渡辺漸の4名でスキ−で新鹿沢(おそらく鹿沢館)へ下って宿泊しましたが、翌日天候が崩れ宿に閉じこめられた。その時に「山岳部の歌を作ろう」と詩を書いた。それが雪山讃歌です。ちなみに歌詞は、
「町には住めないからに」
でわかるとおり、京都弁まるだしです。


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 嬬恋村の鹿沢温泉紅葉館に雪山讃歌の碑があります。鹿沢温泉にメロディーラインがあるんですが、それも雪山賛歌の曲です。嬬恋村の防災無線でお昼に流れる音楽も雪山賛歌だった。そのせいかどうかは分かりませんが、2019年の越冬隊の訓練は鹿沢温泉ちかくの湯の丸山で行われました。ちなみに、この曲が世に出た時は、作詞者不詳とされましたが、桑原武夫(京都大学人文科学研究所教授)が西堀榮三郎を作詞者として著作権登録の手続きを行い、この著作権印税に拠って京都大学山岳部の財政が潤ったという逸話もあります。


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 (西堀さんの直筆をレリーフにしている)


 1955年(昭和30)の秋。日本が1957年(昭和32)の「国際地球観測年」に参加することになり、そこで西堀は、長年蓄積してきた知識を披露し、その翌年には南極観測隊副隊長就任を打診されました。

 地球観測年は1957年を予備観測、翌1958年を本観測と定められており、文部省の計画では、予備観測年に越冬するという計画はなかった。日本に割りふられた観測地域の偵察を行い、基地を設置する場所を決めるだけとなっていました。

 ちなみに日本に割りふられた観測地域は、絶対に上陸できない地域と言われ、どの国も上陸できないでいた。そんな地域を嫌がらせのように割り寝当てられていた。だから初年度は、偵察だけの予定だったが、西堀は偵察だけで無く越冬を強く主張しました。予備年での越冬経験のない状態では、本観測年での越冬は危険であるというのが西堀の主張だった。その結果、越冬が決定されることになりました。

 もし、この時、越冬してなかったら、その後の南極越冬隊は無かったかもしれない。というのも、本観測年に当たる1年後(1958年)に南極へとやってきた第2次観測隊は、予想をはるかに上回る悪天候の氷海を前に、南極大陸に接岸することもままならず、本観測隊の越冬を断念するしかなかったからです。一次越冬隊をヘリコプターで収容するだけで精一杯で、タロ・ジロといった犬たちは置き去りにされてしまったからです。

 もし第1次での越冬がなかったら、本観測年での越冬断念と併せて、日本の南極事業は、それで終わっていたかもしれない。なので西堀栄三郎は、日本の南極観測事業を切り開いた人と言っても過言ではありません。

 それはともかくとして、私の中で南極教室といえば、オーロラとか、ペンギンとか、 アザラシとか、そういったものイメージしていて、そういう話がいっぱい聞けるんだろうなぁと思っていたんですが、 意外なことに、そういう話より現地での体験談みたいなのが多かった。

 例えば、アザラシの生態調査をする観測班がいたので、それを土屋達郎氏がサポートすることが多かったのでアザラシの話がありました。アザラシを捕まえる時のエピソードとか、おとなしいアザラシの横で添い寝する時の画像とか、アザラシがどこから出てくるとか、アザラシに噛まれるとどうなるかとか、そんな話が多かった。


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(氷河が、海に落ちようとしている光景がよくわかる写真)

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 話を戻します。土屋達郎氏の南極教室で印象的だったのは、
『南極は地球を覗く窓』
という視点です。


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 南極を調べることによって、地球が見えてくるんです。これに私が食いつきました。色々質問してくると、その答えに対するヒントが土屋達郎氏の口から色々と出てきて、菅沼悠介先生の
『地磁気逆転と「チバニアン」』
を読むといいと言われ、本を貸してもらいました。この本はブルーバックスなので専門的な難しいことがいっぱい書いてあるのかなと思ってたんですが、その先入観に反して書いてある内容は分かりやすかった。


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 著者の菅沼悠介先生というのは、土屋達郎氏がよく知っている国立極地研究所の人で、第四紀地質学、古地磁気学、岩石磁気学などが専門らしいのですが、その人が書いた『地磁気逆転と「チバニアン」』 に感動。そこにはハリウッドで映画化されてもいいくらいのすごいエピソードが書いてある。

 チバニアンとは地球の歴史上の一つの時代(これを「地質年代」という)についた新しい名称で、チバニアンの認定を巡っては、次々に立ちはだかった障害がありましたが、それをはねのけて、正式に認定され、国際学会が発表する最新の地質年代表にも「Chibanian(チバニアン)」の名前が追加された。その時のエピソードが『地磁気逆転と「チバニアン」』に書いてありました。

 その本を読んでいる間、眠れませんでした。最後にはベッドの上で正座して読んでいました。最後の1ページを読み終えると久しぶりに腕がガクガクと震えた。ふつうブルーバックス(新書)と言う科学的な本を読んでこれほど感動することはあまりない。しかし、今回は感動した。

 どうして火星には空気がないのかとか、どうして金星には生物が住めないのかとか?という疑問がいっぺんで分かってしまった。そして、それを調べるためになぜ南極を調べなければいけないかとか、 いろんなところがつながってくる。おまけに 地学の教科書を書き換えるような大事件に発展してしまう感動的なエピソードがラストにある。

 本の中身を少しだけ紹介すると、 地球には磁場があります。この磁場のおかげで、太陽から吹き荒れる太陽風をブロックしているわけですが、火星や金星には磁場がありません。そのためにモロに太陽風の影響を受けて、空気や水を宇宙空間に放出しまうわけです。

 幸運なことに地球には磁場があった。どうして地球に磁場ができたかと言うと、地球の核に鉄を含む金属が固体または液体状となって対流している。その対流によって、磁場が起きるんですが、火星にはそれがない。だから大昔の火星には水もあったし空気もあったし氷や川もあった。それが太陽風によってなくなってしまったわけです。

 逆に言うと地球は、対流があったために磁場ができて水も空気も保存された。その代わりに大陸が移動したりした。プレートテクトニクスの現象が起きた。そして磁場の関係で太陽風がブロックされて南極や北極に集まってくる。それが地球の大気とぶつかり合ってオーロラもできたりする。こういうことを研究するために、南極で調査してる人たちもいる。つまり土屋達郎氏 のいう
『南極は地球を覗く窓』
というのは、こういうことを言うわけです。

つづく。

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2020年12月01日

元南極探検隊員の『ふふはり亭』に泊まってきた【2】

 実は嬬恋村は、南極と深い関わりのある場所なんです。南極の第1次越冬隊の隊長である西堀さんは、鹿沢温泉の紅葉館に泊まって雪山賛歌を作詞しました。その雪山賛歌は、鹿沢温泉にメロディーラインとして残っています。そのせいか、最近は湯の丸山で南極越冬隊の訓練が行われてたりします。

 まあそんなことはどうでもいいとして、私は、南極から帰ってきた土屋達郎氏のペンション『ふふはり亭』に泊まったわけですが、その続きを述べたいと思います。

 食事が終わってから、一緒に泊まっているお客さんとも仲良くなって、お酒も程よく回っていい感じになってきた時に、宿のマネージャーから
「南極教室はいかがですか?」
と言ってきました。私は待ってましたとリクエストしました。好奇心の強い、うちの息子も興味津々です。というのも去年のクリスマスプレゼントでもらった「しゃべる地球儀」で南極のことを色々と調べていたからです。コンピュータ入りの地球儀のやつは、 南極の人口や気象などいろいろ教えてくれます。

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  というわけでスクリーンが登場し、パソコンの画面を白いスクリーンに映写して南極教室が始まりました。どんな講義が聴けるんだろうかとワクワクして見ていたんですが、最初は難しい話を全くせずに、南極の昭和基地の内部の写真を次々と見せてくれました。キッチンとか、食料倉庫とか、床屋さんとか、娯楽室とか、仕事部屋とか、ボイラー室とか、発電装置のある部屋とか、物置とか、プライベートルームとか、昭和基地の中のあらゆる場所の写真を見せてくれました。非常に興味深かったです。

 面白かったのは、隊員たちの大半がスキンヘッドであることです。おしゃれすることもないし、めんどくさいからといって、最終的にみんなスキンヘッドになってしまうらしいです。もちろん女性隊員もいるんですが、圧倒的に数が少ない。

 あと、当然のことながら、南極に床屋さんはいません。皆さんがお互いに髪の毛をカットし合うんですが、 素人が髪の毛を切るわけですから、どういう風な感じになるか、おおよそ見当がつきますね。 それやこれやで、スキンヘッドになってしまう人が続出しているみたいです。


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 そうそう、南極に行く人たちには、2種類の人たちがいます。夏の間だけ南極に滞在する人たちと、冬も含めて1年間にわたって南極に住みつく人たちです。土屋達郎氏は、1年以上南極に滞在するグループの一人で、この人たちを越冬隊と言います。

 この越冬隊には、観測部門と設営部門の二つの部門があります。越冬隊の使命は、南極の自然を観察することなんですが、その観測隊を支援するために存在してるのが設営部門です。で、観測部門のメンバーが14人。この14人の生存を確保するメンバーが18人になります。

 つまり18人いなければ、観測隊員の生命を維持することができない。例えば、医者がいないと1年間にわたって南極で健康を維持することができませんし、 料理を作る人がいなくても同じことです。もちろんゴミ処理をする人がいなければ、ゴミも出してません。暖房を維持する人も必要ですし、建物が壊れた時に修繕する人も必要です。電気を継続的に作り出す人も必要ですし、暖房装置などのメンテナンスをする人も必要です。 この他に雪上車とか、様々の車両をメンテナンスする必要もあります。そうなると莫大な数の設営部門が必要ですが、そうも言ってられないので、絞りに絞って18名の設営部隊が選抜されているわけです。

 その中の一人が土屋達郎氏で、彼は野外観測支援と言う設営部門です。これは、野外観測をする人たちの生命を保護するための役目で、要するに自然ガイドです。彼がいなければ、南極で自然観測をする有名な科学者たちの命が危険にさらされるわけです。


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 まあそんなことはどうでもいいとして、面白かったのは、この設営部隊のお話です。設営部隊にはいろんな人たちがいるんですが、その中でも一番面白いのが、調理部隊の人たちの話です。調理部隊の人達は、二人います。二人で交代交代で仕事をするわけですが、この二人のペアが仲が悪かったら仕事にならない。なので非常に気を使うわけです。だから二人のシェフは、大抵同じタイプの料理家にするそうです。

 例えばイタリアンのシェフが二人とか、フレンチのシェフが二人とか、和食のシェフが二人とか。もちろんイタリアンのシェフが一人とフレンチのシェフが一人ということもありますが、和食のシェフと洋食のシェフが一緒になることはないそうです。包丁の使い方とか、まな板の使い方とか、盛り付けの方法なんかで、喧嘩になるからだそうです。料理に対する哲学が違うので、両者は相容れないそうで、一年間の間に喧嘩が絶えずにギスギスするそうです。

 何か面白いですね。こういう話は、実際に南極で1年間暮らした人 からでないと聞くことができないエピソードです。それだけに、 リアルで迫力のある話です。私も宿屋を始める前にいろんなところの飲食店で働いたことがありますが、その経験からしても、さもありなんと思いました。

 もう一つ言うと、飲食店に働いたことのある人間と、全く未経験の人間が一緒にペンションの仕事をするとやはりトラブルが起きます。ソースは私と、北軽井沢のペンション『すこやか』のオーナー夫妻です。うちの嫁さんは、厨房で働いたことが無いので、そのしきたりが分からない。料理界のことがわからないので、経験者である私とトラブルになったりもしました。ようするに料理の世界には、独特のルールがあって、ひとつの世界を構成しているのです。これがトラブルを招く原因になったりする。


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 もっと面白い話があります。調理部門に唯一、和食でもなくフレンチでもなく中華でもなくイタリアンでもない調理人がいました。 なんと家庭の主婦(40歳代の人)が調理師として参戦した事があった。その人は、 南極から戻った後に『かあちゃん調理隊員になる』という本を出してベストセラーになっている。

 この本が非常にも白い。 飲食店に働いたことのある人間と、全く未経験の人間が一緒にペンションの仕事をしてトラブルが起きたペンションオーナー夫妻にとっては非常に面白い。

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で、 それが評判となって、それに目を付けたコンビニのローソンが、
『悪魔のおにぎり』
として販売を始めました。いつか北軽井沢のローソンに行って、悪魔のおにぎりを食べてみたいと思っています。いや、もうすでに食べているのかも? そんないわれのある御握りとも知らずして・・・。



つづく。

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2020年11月29日

元南極探検隊員の『ふふはり亭』に泊まってきた【1】

 宿を休館して、友人がやっているペンションに遊びに行きました。


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 ふふはり亭というペンションなのですが、そこのオーナーは、 昔うちの宿を手伝っていたこともある人で、元嬬恋村住民です。元々は気象庁に勤めていたんですが、ヘリコプターのパイロットになりたいという夢があったために、潜水夫になってお金を貯めたり、佐川急便で働いてお金を貯めたりして、アメリカでヘリのパイロットの免許を取りました。

 その後、福島県の航空関係の会社で働いたりしたんですが、その会社が潰れてしまって、一時期北軽井沢ブルーベリーYGHを手伝っていたこともありました。嬬恋村のシャクナゲ園に大量のシャクナゲを寄付した酒井さんの所でも働いたこともあります。

 その後は、北軽井沢のスイートグラスで働いたり、ヘリコプターのパイロットとして草津温泉にある航空会社に勤めていたこともあったんですが、その会社も倒産してしまって、いくつかの自然ガイド会社で働いたりしました。東北大震災では、ボランティアに駆けつけて今の奥さんと出会っています。

 それはともかくとして、彼の夢は、エベレスト山に登ることだったんですが、資金面とかで断念。南極探検なら給料をもらえて、南極の大自然を堪能できるということで、1年ちょっと南極の昭和基地で自然ガイドとして働いていました。


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  その彼が南極から帰国した時に、宿をやりたいと相談に来たので、銀行からのお金の借り方や、保健所とか消防とか設備関係の諸々のことをなど、いろいろなノウハウを伝授したりして、いろいろ支援してきたのですが、なんとか宿が立ち上がって、今、多くのお客さんを集客しているとのことなので、ちょっと遊びに行ってきました。

 もちろんユースホステルへの申請の仕方も伝授したのですが、ユースホステル協会本部の◆◆さんが 、見学に来るという話だったんですが、なしのつぶてで、 放置されたままになっています。なんかもったいない話ですね。 今時新規のユースホステルになってくれる宿があるというのは、珍しいんですけれどね。しかも南極探検隊がオープンした宿ということで、その業界の関係者(各界の有名人やエリートたち)が押し寄せるディープな宿なんですけれどね。もったいないなあ。今のところペンションとして活動しています。そのペンションの名前は『ふふはり亭』です。

 ふふはり亭。

 外観こそは古い感じがしますが、この宿は、バイオリニストの高嶋ちさ子さんや、 cwニコルさんなどが訪れていた知る人ぞ知るペンションで、それを受け継いだのが、南極探検隊帰りの土屋達郎氏です。

 彼は持ち前の器用さによって、由緒ある(つまり古い建物)ペンションを、見事にリフォームしてしまいました。内装は、かなりいい感じです。外観に関しては、これから少しずつ手直ししていくそうなんですが、 近いうちに素晴らしい建物として蘇ることでしょう。

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 とりあえず写真を見てください。
 非常にいい感じの内装です。
 まるで新築!

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  部屋は六つあるんですが、現在は二部屋しか解放してないようです。土屋達郎氏は、環境省で週5日勤務で働いていたりするので、奥さん一人で食事を作る関係上、二部屋以上のお客さんを入れることができないのだそうです。 食事は、奥さんの愛情ある手料理で、手まのかかる丹念な料理。うちの息子もペロリと平らげました。

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 その後は、お茶会。
 そして本番の南極の話がはじまります。
 これが面白かった。
 これについては、明日、書きます。

 しばらくは、ペンション『ふふはり亭』のことと、南極の話をブログに書きたいと思います。南極・オーロラ・地場・地球物理学・千葉・地球・野尻湖・人類学・cwニコルさんの話。いろいろ話したいことがいっぱいあるので、数回にわたって面白い話を紹介します。嬬恋村の人にも参考になることがたくさんあると思います。



つづく。

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posted by マネージャー at 23:18| Comment(0) | 長野県&長野市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月28日

あさまのいぶき・軽井沢ガーデンファームいちご園

いよいよ冬です。嬬恋村の農家さんたちのオフシーズン。ですから農産物直売所は次々と店じまいしてしまいました。その中で、まだ営業を続けているのが、あさまのいぶきです。残念ながらこのお店は、あまり周知されていません。ちょっとおしゃれすぎて、農産物の直売所には見えないからです。もしまだ行ったことない方は、一度行かれてもいいかと思います。場所は嬬恋資料館の隣です。一見すると、おしゃれなカフェかなんかに見えてしまいますが、実は農産物の直売所です。今の季節ですと、キャベツです。キャベツが非常に甘くなるのが、今の時期のキャベツの特徴です 。

https://www.facebook.com/asama.no.ibuki/

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農産物直売所は、軽井沢にもあります。中軽井沢の踏切の辺りに、 JA の直売所があります。それから軽井沢で有名なのは、軽井沢ガーデンファームいちご園です。ここは観光農園で 、イチゴ狩りができます。年間人気施設ランキング2年連続で第1位を獲得している軽井沢では有名な施設です。

2020年11月30日まで「夏秋いちご狩り」を開園してます。夏秋いちごは甘く育てるのが難しいため、全国でも数か所しか行っていない大変珍しいアクティビティです。密を避けるため、1時間当たりの来園人数を制限してますので、予約していってください。GOTOトラベル地域共通紙クーポンも使えます。
冬春いちご狩りは、2020年12月16日にプレオープンです。「食べ放題コース」および「無料送迎サービス」は、2021年1月1日からのオープンの予定です。

TEL:0267-48-3620
受付時間:午前9時00分〜午後5時00分(火曜定休)
冬春いちご狩り営業時間:午前10時00分〜午後3時00分(午後3時00分最終受付)
夏秋いちご狩り営業時間:午前9時00分〜午後2時00分(午後2時00分最終受付)

http://www.aipy.co.jp/


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つづく。

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posted by マネージャー at 09:34| Comment(0) | 南軽井沢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月27日

明日から軽井沢ウィンターフェスティバル! 湯ノ丸スキー場もオープン!

 明日から軽井沢ウィンターフェスティバル2021(11月28日〜2021年2月24日)がスタートします。ウィンターフェスティバルオープニングセレモニー11月28日(土)17:30から始まります。場所は、軽井沢駅北口ペデストリアンデッキです。軽井沢駅前通りのイルミネーション点灯式のほか、冬花火を打ち上げます。

https://www.karuizawamonogatari.jp/

ぐるっとマルシェ(軽井沢町内各登録店舗)も開催されます。各登録店舗に訪問し「ぐるっとマルシェで来た」と伝えるとプチクリスマスプレゼントがもらえて、軽井沢町で使える豪華プレゼントが当たる抽選に参加できます。期間は、11月28日(土)〜12月25日(金)。

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それから湯の丸スキー場が、明日からオープンの予定です。
各スキー場のオープン予定を書いておきます。
野外活動なら感染確率は低いかもしれませんね。


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軽井沢プリンススキー場 営業中〜2021/4/4
アサマ2000パーク 11/21〜2021/4/4
鹿沢スノーエリア 11/21〜2021/5/5
湯の丸スキー場 11/28〜
軽井沢スノーパーク 12/18〜2021/4/4
菅平高原スノーリゾート 12/5〜2021/3/31
菅平高原パインビークスキー場 12/5〜2021/3/31
草津温泉スキー場 12/12〜
万座温泉スキー場 12/12〜2021/3/28
佐久スキーガーデン パラダ 12/19〜
パルコールつま恋リゾート 12/19〜2021/3/31


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つづく。

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posted by マネージャー at 09:55| Comment(0) | 新軽井沢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月26日

今年の軽井沢高原教会のキャンドルナイトは、予約制です

2020年11月29日(日)〜12月20日(日)の土日と12月24日(木)・25日(金)の期間、軽井沢高原協会にて、「軽井沢高原教会 星降る森のクリスマス 2020」が開催されます。 今年は事前予約制となり、予約は11月18日(金)から星降る森のクリスマス2020公式サイトで行われます。

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(写真は、2017年のものです)


 広大な敷地に、何千というランタンが光を放ち、森の中を照らします。しかも、道行く人たちにランタンを貸してくれます。ちなみに軽井沢高原教会は、大正10(1921)年に材木小屋で始まった「芸術自由教育講習会」が原点となり誕生した教会です。当時はキリスト教思想家である内村鑑三をはじめ、詩人の北原白秋、小説家の島崎藤村ら文化人が集い学ぶ場でした。その空間をこよなく愛した内村鑑三は「星野遊学堂」と名づけ、布教の場としました。第二次世界大戦後は、星野遊学堂から軽井沢高原教会に改名。しかし「星野遊学堂」の木の看板は、今も変わらず建物の正面に掲げられています。

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つづく。

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posted by マネージャー at 19:16| Comment(0) | 中軽井沢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月25日

信濃路自然歩道が近いうちに復活します!

 11月1日から入国制限が、緩和されていますが、それ以降に感染者が大量に出るようになりました。因果関係はわかりませんが、これを指摘する人たちがあまりないので気になっています。私としては入国制限をもう一度見直していただきたいと個人的には思っています。10月までは、入国者に陰性証明書が必要であり、入国時に検査も行っていました。11月に入ってから、証明書も検査も必要なくなっていたというのです。これ、どう思いますか?




 それはともかく、最近暗い話が多いので、今日は朗報を伝えたいと思います。昨年の台風19号で破壊されてしまって通行止めが続いていた、信濃路自然歩道と千ヶ滝に向かう遊歩道が近いうちに全面開通になる見通しです。


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 千ヶ滝に向かう遊歩道は、12月1日から解放される予定。つまり12月1日以降に、千ヶ滝を観光できるようになるわけです。

 信濃路自然歩道は、 12月26日以降に全面開通する予定です。これによって、 峰の茶屋から白糸の滝に向けての遊歩道と、 白糸の滝から小瀬温泉・そして三笠ホテルにつながる遊歩道が、通行可能となる見込みです。


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  白糸の滝に関しては12月20日の日曜日と12月24日の木曜日から12月27日の日曜日にかけて 白糸の滝のライトアップが行われる予定です。 千住博美術館は12月25日までです。


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 あと11月28日から12月25日まで軽井沢でイルミネーションが行われます。中軽井沢の星野エリアのクリスマスも12月1日から25日まで行われる予定です 。


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つづく。

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posted by マネージャー at 23:06| Comment(0) | 中軽−小浅間山・千ヶ滝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月23日

星がきれいに見える季節

 やっと連休が終わって、今一息ついてるところです。ところで、この連休は買ってないぐらい北軽井沢と軽井沢が混雑していました。いったいどこから人が湧いてくるんだろうかと思いました。感染拡大が嘘のようです。近所の別荘にも、全国各地から行ってきていました。お盆じゃないかというくらいに人が集まっていました。11月に、これだけの人が来るというのは非常に珍しいことです。これからあまり 旅行に出かけられなくなるのではないかということで、駆け込みで北軽井沢に集まってきたのではないかと思ってしまいました。


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 うちの宿は、これから当分の間休館に入ります。3週間ほどお休みさせていただきます。休館している3週間の間に、新型コロナウイルスの感染拡大がなくなればいいんですけれど。正月はすでに予約が入っているので予定通りの営業を行う予定です。それ以降に関しては、感染状況を考慮して新規の予約を受け付けることにしています。

 話は変わりますが、この連休には、懐かしいリピーターさん達が来てくれました。みんなお子さんが、大きくなっていてびっくりしましたね。驚いたのは、お子さん達の好奇心が非常に強かった。星空案内の時も、二日間にわたって熱心に聞いてくれました。小さなお子さんが、色々お星のことを学んでくれたのには感心しましたね。上弦の月の月明かりが、お客さん達の影法師を作っていて、それが牧草地帯に広がり、非常に美しかった。

 にもかかわらず天の川がくっきりと見えて、夏の大三角形、秋の四角形、スバル、東の地平線にオリオン座も見えていました。冬の大三角形は、もう少しお預けです。いずれシリウスが、夜空に輝くときがやってくるでしょう。 これからは、星がきれいに見える季節です。ちょっと旅行に行きにくい状況ですが、冬の空気は澄んでいますから、自宅の庭からでも、星空がきれいに見えるはずです。


つづく。

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posted by マネージャー at 23:26| Comment(0) | 日記 2013以降 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする