2020年06月07日

『森岡ママは今日も笑顔で丘の上』

 マッカーサーを怒鳴りつけた唯一の日本人。
 それが森岡俊之(明治35年生)であり、
 森岡ママの御主人です。場所は軽井沢の万平ホテル。
 マッカーサーと面会した森岡俊之氏は、
 マッカーサーに対して怒鳴りました。

「どうして原爆を落とした! 人間として、あまりに酷いじゃないか」
「確かに人道的ではなかったが、戦争を早く終わらせるには仕方なかった」

 マッカーサーに対して、正面から怒鳴った日本人は、この森岡俊之氏ぐらいだった。森岡俊之氏は被爆者であり、原爆症に苦しんでいた。また、多くの友人知人が、一人二人と原爆で亡くなっていた。その事実に怒り沸騰していた。だからマッカーサーに対して怒鳴っていた。マッカーサーは、
「これは原爆症に効く薬です」
と赤い錠剤を渡そうとしたが、森岡俊之氏は
「バカヤロー」
と錠剤を床に叩きつけた。その瞬間、憲兵たちが身構えた。

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 もし、ここでマッカーサーが、森岡俊之氏を逮捕するなりしていたら、この事件は神話になっていたかもしれない。森岡俊之氏は、歴史に名を残しただろう。しかし、マッカーサーは偉かった。森岡俊之氏と奥さんに、できるかぎりの事をしている。なので、森岡俊之氏は伝説になりそこねた。

 しかし森岡俊之氏は、別の事で伝説になり、神話となるのである。たった四畳半のユースホステル(MGユースホステル)をつくり、若い人に被爆体験を語り続け、多くの若者たちのカリスマとなる。その噂は、全国に広まり、文部大臣から呼び出され
「国立青年の家の館長になってほしい」
と懇願されました。しかし、森岡俊之氏は辞退します。あばら屋で、たった四畳半のユースホステルで、青少年と雑魚寝をする方を選んでしまった。彼は、文部大臣に、このように答えました。

「吉田松陰が一間の私塾から始めて、幕末維新の志士を輩出した松下村塾のように、四畳半のユースホステルから次代を担う立派な若者を育てることが私の夢であり役目だと思っています」

 初期のユースホステルのオーナーには、こういうマネージャーが多く存在しています。その人たちの魂がユースホステル業界に宿っている。だから
「ユースホステルなんかやめて、ゲストハウスにしたら? その方が儲かるよ」
という人がいても、素直にはうなずけない。森岡俊之氏のようなマネージャーたちが渡してくれたバトンを引き継いで、若い人たちに渡していかなければならないからです。


**********
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2020年06月06日

『馬喰一代』

【7日間ブックカバーチャレンジ】3日目

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 今回紹介するのは、日本ユースホステル協会の創設者である中山正男氏の自伝。『馬喰一代』です。『美女とネズミと神々の島々』が100%の実話ですが、この『馬喰一代』には、かなりの脚色が入っています。

 そういう意味では、『美女とネズミと神々の島々』と『馬喰一代』は真逆な性質をもっています。では、なぜ中山正男氏は、大きく脚色をしたのでしょうか?

 
 時々、こんなに不幸な少年時代があるのか? と驚かされる伝記を読む事がありますが、中山正男も、そんな少年時代をおくっています。彼は、己の自伝を「馬喰一代(ばくろういちだい)」という小説にし、それが直木賞候補になったりもしましたが、内容に大きな脚色がありました。

 本当は、もっと不幸でした。

 しかし、彼の場合、事実を事実のままに書きますと、リアルさに欠けてしまいます。あまりにも悲惨すぎる過去は、それ自体がフィクションに思えてしまう。2ちゃんねるにアップしたら「嘘松」とか「ネタだろう?」とか「それって何て言う都市伝説?」と言われかねません。だから、真実を十倍の水で薄めて自伝を書かざるをえなかった。それでも、悲惨すぎる物語になってしまう。

 事実は小説より奇なりとは、中山正男の自伝「馬喰一代」にこそ言えるかもしれません。中山正男の人生は、馬喰一代に書いてある事よりも、ずっと辛く苦しいものだった。しかし、彼は、自らの人生を笑いのネタにしました。実話であってもリアルさに欠ける話は、わざと悲惨さを水で薄めてリアルさをだし、面白おかしく話しました。

 講演会でも、自分の過去について、おもしろ可笑しく語りました。二人目の母親が父親を包丁で殺そうとしたり、三人目の母親が発狂して死んだことも、四人目の母親が盲目になったことも、「おまえの母ちゃん淫売婦(売春婦)」とからかわれたことも、面白おかしく話し、その上で、オチに「いい話」を持って行っています。しかし、『馬喰一代』には、そういう事は何も書いてません。さすがに母親の数を誤魔化しはしませんが、どの母親も美しく清らかに表現し、父親に対しても愛情を込めて書き込んでいます。

 そのため作品が直木賞候補となり、大映で映画されており、大評判となり皇室までも御覧になっています。

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 ところで、私は、最初にこの『馬喰一代』を漫画で読んでいます。昔、小学館が『小学5年生』という漫画学習雑誌を発行していたのですが、そこの付録に『馬喰一代』の漫画がありました。「走れユキカゼ」という漫画で江波讓二という人が絵を画いてます。

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 この江波讓二氏は、小学館の漫画雑誌の常連作家で、他にも、ウルトラQ・キャプテンウルトラ・ウルトラセブン・マイティジャック・シルバー仮面・猿の軍団なんかを書いていました。その頃のアシスタントたちは、京都造形芸術大学芸術学部マンガ学科の教授になったり、京都精華大学マンガ学部キャラクターデザインコース教授になったりしています。

 まあ、そんなことは、どうでもいいとして、この『馬喰一代』は、小学生の学習漫画雑誌の付録になるほどの名作であったと言うことが重要なポイントです。昭和四十年代のPTAと教育委員会は、すごい堅物の集まりで、ドリフターズなんかのバラエティ番組さえも敵視していましたから、教育上良くないとされるものなんか絶対に小学生の学習漫画雑誌の付録にならなかった。つまり『馬喰一代』は、文芸大作と認識されていたということになる。だから付録になった。

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 もし、中山正男氏が、脚色なしに真実そのままに『馬喰一代』を書いていたら、映画化もされなかっただろうし、皇室が映画を御覧になることもなかったし、小学生の学習漫画雑誌の付録になることもなかったかもしれません。


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2020年06月05日

『美女とネズミと神々の島々』

【7日間ブックカバーチャレンジ】2日目

 今回紹介するのは、『美女とネズミと神々の島々』です。ノンフィクションの実話というか、著者の体験記というか、ルポルタージュです。この本に出会った人は、少ないでしょう。なにしろ昔の本ですから。

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 昭和36年といえば、私が生まれた年ですが、その昭和36年に朝日新聞の社会部が、『底辺に生きる』というシリーズを4回にわたって企画しました。それぞれ、いろんな地域の底辺を新聞記者たちが取材をして、それを発表したわけですが、そのシリーズの最後が、朝日新聞九州支局の秋吉茂氏の書いた
『美女とネズミと神々の島々』
でした。

 私が『美女とネズミと神々の島々』を読んだのは、とある学校で秋吉茂氏の講義を受けたことがきっかけです。つまり秋吉茂先生は、私の恩師でもあります。

 秋吉茂先生は、九州福岡県の田川の生まれです。旧制中学校時代に、とある事件(冤罪)で退学となり、ほぼ全国の学校で締め出しをくらったのですが、ただ一校だけ受け入れてくれる学校があり、そこに入学。そして第二次世界大戦が始まり、徴兵されて暗号解読班に回されます。終戦後に復員し、福岡県田川高等学校の国語教師となりますが、ある新聞記事に涙が止まらなくなります。それは

「崖に転落寸前のバスに対して、我が身を輪止めに
 バス車掌、乗客の命を救う」

 その記事に感動した秋吉茂先生は、朝日新聞九州支局の新聞記者に転職します。そして、数々の名文を書き上げて、多くの読者を感動させました。例えば、映画化されたこともある「百万人の大合唱」。福島県郡山市で、音楽で暴力を追放した実話など、多くの名作を残しています。その中でも名作中の名作が、『美女とネズミと神々の島々』です。

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 この連載が始まると、大変な反響となり、匿名の中学生・高校生・大学生たちから「悪石島に送ってください」という寄付金が、朝日新聞にどっさり届きました。筑後柳川市のポッポ幼稚園では、園児たちが、お小遣いをあつめて、当時の金で六千円(今の物価なら12万円以上)も寄付しています。尼崎の女医さんは、
「島の女の子を引き取り洋裁を習わせて自立させたい」
と言い、大阪の中島金属の社長は、
「島の男の子たちに進学をさせてやりたい」
と言い、奈良県五条東中学校では、悪石島の友へ運動を始めるし、家電メーカーは、当時、高額だったテレビを学校に寄付しました。島には自家発電機が届き、夕方の二時間だけ電気がつくようになった。島の人たちは、映画どころか幻灯(スライド上映)さえ見たことがなかったので、さぞかしテレビに腰を抜かしたことでしょう。

 とはいうものの、そんな昔の話ではありません。私が生まれた昭和36年の頃の話です。日本が豊かになった頃で、高度経済成長真っ只中の話です。そういう時代に、「こんな世界があったのか?」と驚かされます。

 しかし、この『美女とネズミと神々の島々』は、単なるルポルタージュではありませんでした。最後には、感動のラストシーンが待っています。目に涙の洪水が流れてしまう。実話であるだけに感動も大きいし、なんとも言えない、すがすがしい気分になる。

 ちなみに「美女」とは、島全体の若い女性たちのこと。写真でみると確かに美女である。しかし秋吉茂先生は言います。大人の女性は、長い間の粗食と過労によって花の命をけずりとっていると。あまりに過酷な生活なために美女の命が短いと。どんな美女も、すぐに皺だらけになって老婆のようになってしまう。

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 そして「ネズミ」とは、ネコぐらいの大きさのネズミで、何十年かに大繁殖して海を泳いで渡ってくる。そして農作物を食い荒らして、また海を泳いで去っていく不思議な生き物のことです。いったい、この生き物は、今でも存在しているのだろうか?

 最後に「神々」ですが、複数形です。なので一部の神を写真で紹介します。

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 最後に秋吉茂先生は、この島の取材をあきらめます。志なかばで立ち去ります。あまりにも激しい環境に、体を壊してしまったからです。そして、島を去っていき、この体験を、朝日新聞の『底辺に生きる』シリーズで、10回にわたって連載され、日本中に悪石島ブームがやってくることになる。



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posted by マネージャー at 23:24| Comment(2) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「泊まって!応援キャンペーン」その場で一人あたり五千円を返金!

群馬県民に、朗報です。
群馬県民は、一人あたり五千円安く泊まれことになりました。

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二食付き7400円が、2400円で泊まれます。
群馬県が、新型コロナウイルスで営業自粛したことによって
景気振興策として、補助金をだしてくれることになりました。
あと、県をまたいでの旅行を防ぐ意味合いもあります。


システムとしては、県が4000円のキャッシュバック。
宿が1000円のキャッシュバック。
それぞれが、キャッシュバックすることによって、
県民を他県に旅行で移動させないようにする。
この夏に、感染者の多い地域に、県民を移動させない。
そのために県と宿が協力して、新型コロナウイルスの被害を食い止める。
そういう趣旨のキャッシュバック制度です。


ただし、予算が終わったらおしまい。
なので、6月中には、おしまいになってしまう可能性もあります。
さっそく、何件も予約がはいってます!
群馬県民は、予算が無くなる前に、ぜひとも利用してください。


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条件は、大まかに言って下記の6つです。

1.群馬県民として身分を証明できるものを提示すること
2.県に提出する五千円の受取証を書く
3.カード決済の方は、税務署に提出する領収書を書いてください
4.6000円以下のプランは、キャッシュバックの対象にならない
  うちの宿だと二食付き
5.期間は、6月5日から7月31日まで。
  ただし、予算が無くなりしだい、予告なく停止する。
6.最大で3泊まで
(ただし、3泊したあとに、他の宿で1泊したあとなら、もう3泊できる)
(予算がある間は、何回でも利用できる)
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詳しくは、
https://gunma-dc.net/featurecat/aikyougunma/
https://gunma-dc.net/news/aikyougunma/

留意事項

・換金性のあるもの(クオカード、商品券等)を組み込んだ宿泊プランは対象外となります。

・宿泊料金には、同一施設内の飲食・土産物の代金も含みます。ただし、宿泊料金と一括精算した場合に限ります。

・キャッシュバック(または割引)上限額は15,000円(5,000円×3連泊)/人となります。 ※1施設3連泊まで

・宿泊料金が減額となる児童等を含むファミリーやグループでの宿泊料金は、全員の合計額を宿泊人数で割った1人あたりの料金が6,000円(税抜)以上の場合に対象となります。ただし、宿泊料金が発生しない乳児等は対象となりません。



つづく。

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posted by マネージャー at 10:35| Comment(0) | 業界裏話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月04日

『銀河鉄道の夜』

 この作品のテーマは、欠点だらけでも一生懸命に生きる人にエールを送る。そういう作品です。

 まだ小学生の主人公は、みんなに虐められていました。家も貧乏で、みんなが祭りに遊びに行ってるのに、印刷所でアルバイトしないと生活できない。注文したはずの牛乳も届いてないし、牛乳屋の人も無愛想。鬱になりかかるほど惨めな気分の主人公は、気がつくと、いつのまにか大好きな親友と銀河鉄道に乗っている。そして旅をしている・・・という話なんですが、以下は、ネタバレです。

 実は、この列車、天国行きの列車なんです。
 みんな切符をもっている。
 罪深い人は、すぐにおりる。
 徳の高い人は、長く乗っていられるという列車。
 そして、みんな行き先が書いてある切符を持っている。

 で、車掌がやってきて、
「切符を拝見します」
と言ってくる。みんな素直に切符を出す。

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 ところが主人公は、切符を買った覚えが無い。「やばい!」と思いつつ、ポケットをまさぐると、何か紙が入っていたので、やけくそで「エイ」と車掌に出してしまうんですが、車掌は、その紙切れに驚いて
「どこまもでも行ける切符だ!」
すると、他の乗客も
「本当だ!」
「本当に、どこまでも行ける切符だ」
「その気になれば、本当の天上にさえいれる切符だ」
と驚くわけです。

 主人公は、ホッとして、親友と「僕たち、どこまでも一緒に行こうね」と約束するんですが、親友には降りる駅が決まっていた。しかも主人公も、どこまでも行けなかった。気がつくと、主人公は、夜空の野原で寝ていたわけです。そして主人公は、親友の死を知るわけです。

 親友は、溺れた友人を助けて死んでしまっていた。自己犠牲によって他人を救ったわけなんですが、そのために銀河鉄道では、行き先の書いてある切符しかもてなかった。ただし、誰よりも長く列車に乗れている。けれど、主人公と一緒に旅はできなかった。

 では主人公は?
 まだ旅の途中なんです。
「どこまでも行ける切符」
というのは、「生きている」ということ。つまり生きてさえいれば、本人がそのきになりさえすれば、本当に「どこまでも行ける」というわけです。つまり「どこまでも行ける切符」とは、「生きている」と同じなんですよね。これが宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のお話です。


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2020年06月03日

群馬県民に、朗報がありそうです。

群馬県民に、朗報がありそうです。
群馬県民は、一人あたり五千円安く泊まれことになるかもしれません。

二食付き7400円が、2400円で泊まれるかもしれない。
群馬県が、新型コロナウイルスで営業自粛したことによって
景気振興策として、補助金をだしてくれるらしいのです。


ただし、予算が終わったらおしまい。
なので、6月中には、おしまいになってしまうかもしれない。

とりあえず、うちの宿は、申請しました。
申請が受理されたら、詳しいことを、このブログで公表します。

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それからFacebookの【7日間ブックカバーチャレンジ】のバトンを引き継ぎました。
明日から七日間、一日一冊、自分の好きな本を紹介したいと思います。


つづく。

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2020年06月02日

うちの宿は6月から営業開始。で、食材が売ってない?

うちの宿は6月から営業開始しました。
食材の在庫も、まかないで食べ尽くしたので、
食材を仕入れに何件かスーパーに買いに行ったんですが、
買いたい食材が買えない。
いったいどうして?
小麦粉とか、挽き割り納豆とか、パスタソースとか、
いろんなものが品薄になっている。
特にデザート用の製菓用品の一部が、どこのスーパーにも売ってない。

ええええええええええええええええ・・・・どうして?

あまりに不可解なので店長さんに聞いてみたら
緊急事態宣言で、テレワーク・自宅待機・解雇などで
自宅にこもりっきりになった人たちが、
菓子作りか何かに目覚めて、デザート用の製菓用品。
例えばチョコレートシロップなんかを買いあさったために、
品薄になってしまって買えなくなっているらしい。
チョコレートシロップは、いったい何処にいっちまったんだ!

まあいい、チョコレートシロップなんかは、
板チョコを溶かせばなんとかなる。
困ったのは、大好きな某メーカーの挽き割り納豆。
これが食べられないのには参った。

納豆フリークとしては、
好きなメーカーの納豆が食べられないのは痛い。
納豆好きな人間は、納豆にこだわるんですよ。
それぞれ好みの納豆があるから。

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 話は、変わりますが宿屋をやってると、関西・関東の違いをいろいろ発見するのですが、関西の人間は、食事を食べる前にお茶をいれますね。関東では、食後にお茶を入れます。私の実家は佐渡島で、発音のイントネーションは関西と同じなんですが、食後にお茶を入れるところは関東と一緒です。どうして関西の人は、食前にお茶をいれるのだろうと不思議に思っていたんですが、その理由が何年かして分かりました。

 昔から納豆を食べる文化圏は、食後にお茶を入れるんですよ。

 昔の納豆は、今の納豆より強烈だったんです。すごく糸をひいたし、生卵で薄めないと食べにくかった。そもそも納豆は藁に入っていた。においも今の10倍以上強烈だったし、糸なんぞは三十センチ以上ひいたし、べっとりしてて、セメダインのような凄みがあった。この納豆の残骸が、茶碗にこびりつくと洗ってもとれなかった。

 昔は、今のように汚れの落ちる食器用洗剤がなかった。
 なので、食後に御飯茶碗に茶をそそいで、お茶を飲んだ。
 そうやって、茶碗を洗いやすくした。
 湯飲みも使わなくてすむ。
 家事を助けるためにも、米粒を粗末にしないためにも、
 御飯茶碗でお茶を飲んだ。
 だから納豆文化圏の地域では、食後にお茶を入れる風習が残っていた。

 何年か前の話です。日本ユースホステル協会の理事長と会食をしたとき、食後に、お茶碗にお茶を入れて、ご飯粒の掃除をしつつ、お茶を飲んでいたら、ご高齢の理事長が、笑いながら
「佐藤君は昔懐かしい、お茶の飲み方をするんだね」
と言ってました。納豆文化圏の庶民は、昔は、そういう食後のお茶の飲み方をしていたらしい。もちろん例外もあったでしょうけれど。


つづく。

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2020年06月01日

今週から嬬恋村小学校の分散登校がはじまった。

今週から嬬恋村小学校の分散登校がはじまりました。
明日は、息子の登校日。
というわけで、学校が大好きな息子は大喜び!
寝る前からハイテンション!
全国各地の児童たちも同じなんだろうな。

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ただし、陸上フェスティバル・遠足・授業参観・家庭訪問など、
多くのイベントが中止になっている。
逆に言うと、PTAとしての親の仕事も全くなかった。
アルミ缶とかベルマークとか、ボランティアの仕事も無い。
それどころでは無かった。
それ以前に、PTAとかの役員も何も決まってない。
何も決まってない!
考えてみたら2年生になってから何一つやってないではないか?

あれ?
何もやってないけれど、なんとか回ってるぞ?
あれ? あれあれあれ??
いろんな役員とか、行事って必要だったのか?

いや、必要だったんだよな。
だって世界中のアニメファンたちが、日本の学校制度を絶賛してるものね。
遠足・運動会・給食・修学旅行・授業参観・家庭訪問・部活動・体育・音楽・・・・
世界中のアニメファンたちには、みんな垂涎の的。

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つまり、日本独特な教育システム。
これを無くしちゃいけない。
4月入学も無くしちゃいけない。

効率を求めるなら、河合塾とか公文塾とかでもいいことになる。
逆に、そっちが良い人には、そっちを選択可能にすればいい。
なにも政府が、一律に強制的に決める必要は無い。

少しは選択の自由が、あってもよいと思う。
9月入学の私立学校を認可してもいい。
どうしても子供を留学させたい親は、そちらに入れればよい。


つづく。

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2020年05月30日

例のウイルスで・・・ その3 小市民の親が行う植福

 今回は「植福」についてです。
 植福とは、将来に対して幸福の種を蒔いておくことです。
 過去に自らが蒔いた種が芽を出し、今の自分を創っている。
 過去を書き替えることはできないが、今から良い種を蒔き続ければ、
 望ましい未来につなげることができるというのが植福です。

 実は、幸田露伴もびっくりの植福の人が軽井沢にいます。
 雨宮敬次郎です。
 過去に5回ほどやっている、雨宮敬次郎のツアー(離山ツアー)に参加した人なら御存知でしょうが、彼ほど植福に命をかけた人はいなかった。

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 彼は、行商から身を起し、事業の失敗と成功を繰り返し、明治二十一年(1888)に甲武鉄道の取締役となって以来、川越鉄道、北海道炭礦鉄道と関わり、日本鋳鉄会社を起しました。東京市街鉄道株式会社を設立し、京浜電鉄、江ノ島電鉄の社長となり、軽便鉄道を日本にもってきたり、列車を製作したり、鉄道国有論を唱えたり、広軌レールを主張したり、運賃無料論を唱えたり、物流革命を見越した人物でもあります。

 この雨宮敬次郎が、軽井沢を作ったことは意外に知られていません。軽井沢といえば、宣教師のアレキサンダー・クロフト・ショーが別荘地に軽井沢を発見したことばかり言われていますが、そうではない。軽井沢を作ったのは、雨宮敬次郎なんです。雨宮敬次郎が、軽井沢に大規模な植林事業を行ったのであり、多くの農民を入植させて、こまごまと面倒をみてやって、今の軽井沢の骨格を作り上げたのです。

 アレキサンダー・クロフト・ショーが「軽井沢の恩父」などと言われてますが、馬鹿言ってるんじゃ無いよ。雨宮敬次郎を忘れていませんか?と言いたいですね。雨宮敬次郎こそは、私財をなげうって軽井沢に尽くしてきた人間であり、軽井沢に多くの人を入植させた人間なのです。軽井沢を避暑地として紹介しただけの宣教師ショーとは格が、スケールが違います。

 アレキサンダー・クロフト・ショーが、軽井沢に訪れたとき、軽井沢は原野であり樹木が一切なかった。その原野に植林事業を始めました。当時、原野と言えば御殿場か軽井沢だった。どちらかで植林事業をやるつもりだった。結局軽井沢になったのは、東海道線よりも信越線の方が早く開通したからです。もし東海道線の方が早く開通していたら、今でも軽井沢は原野のままで、御殿場が大森林地帯になって怒ったかもしれない。

 もちろん原野から始める植林事業なので、雨宮敬次郎が生きている間に利益を上げることはありません。でもそれでいいと思った。彼は、子孫のための貯金だと言って、ただひたすらにカラマツの植林に励みました。しかもカラマツというのがすごい 。カラマツは、若いうちは何の役にも立たないけれど、樹齢何百年も経つと高値がつく。松ヤニが多くて油まみれのカラマツは、腐りにくく特に線路の枕木にうってつけだった。 大量のカラマツがあれば、日本全国に線路が引ける。雨宮敬次郎は、物流こそが人々を幸せにするという信念を持っていたので、カラマツの植林事業は、 将来はきっと日本の役に立つと信じました。彼こそは、 植福の達人だと言えましょう。 雨宮敬次郎は言います。

「日本人は未だに貯蓄心が足りない。金があればすぐ使ってしまう。私は一文もない時分から貯蓄というものに重きを置いていたが、今は開墾地への貯蓄の金をかけている。貯蓄をどういう方法でするかと言うと木を植える。金の貯蓄ではなく木の貯蓄をやっている。生前のための貯蓄ではなく、死後のために貯蓄をやっているのだ」

 こうして軽井沢に大量の落葉松林ができたのですが、残念ながら鉄道の時代は終わっています。しかし、雨宮敬次郎の苦労は無駄に終わっていません。この大量の落葉松林が、新型コロナウイルスが、世界中に蔓延する危機的状況下において、軽井沢の救世主になる可能性が出てきたからです。落葉松林が、住民の免疫力を上げている可能性があるからです。

 平成十七年度の研究では森林浴がNK細胞内の抗がんタンパク質の増加によってヒトNK活性を上昇させることを明らかにしています。どうして、そうなるのか?そのメカニズムは、まだよくわかっていないのですが、フィトンチッドが原因の可能性があるとも言われています。このフィトンチッドは、松科の樹木に多いのですが、軽井沢には、雨宮敬次郎が植林した大量のカラマツがあります。これが、軽井沢・北軽井沢・嬬恋村の住民の健康の持っている可能性が出てきました。

 考えてみれば昔から軽井沢は、病人を治癒する土地として有名でした。戦前は、軽井沢にたくさんのサナトリウムがあって、多くの結核患者を治癒してきました。軽井沢に住む文豪たちの中には「風立ちぬ」といった結核をテーマにした作品ができたりしてます。だとすると、雨宮敬次郎は、子孫のために大きな 植福をしてくれたということになります 。

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 その他にも軽井沢が雨宮敬次郎に感謝すべき理由があります。
 雨宮敬次郎はこんなことを言ってます。

「四十戸の人間を入植させることは木を植え付けるよりも難しかった。人間の植え付けは容易にできるものではない(略)。不毛の原野に住もうとする者は何かの欠点を持った人間である。少しでも財産をこしらえると、もうそんなところには辛抱できず、すぐ 帰る気になるから、それを居着かせるためには、酒を飲むものがあれば酒を飲まし、病人があれば薬を与えるなど我が子同様にしなければ、ついて来れない。それだから家内が行くと皆がお母さんのように思ってすっかりなついている。この状態であの村ができたのだった」

 長い前置きはこのくらいにして、本題に入ります。

 先日、とあるスーパーで同業者(宿屋)のオーナーとバッタリ出会い、 その方の息子さん(一人っ子)の話を聞きました。その方の息子さんも、やはりお人好しでサービス精神が旺盛らしく、お客さんのお子さんがやってくると、うちの息子と同じように遊び相手になり、絵本の読み聞かせをしたり、なんでもプレゼントしてしまうらしい。なので、うちの息子も同じなんですよと言うと、
「宿屋というサービス業をやっている親の真似をするんだよね」
という話で盛り上がってしまった。

 やはり、宿屋の息子はどこも同じなんだなぁと返事を返していたら、必ずしもそうではないとのこと。 同じ宿屋でも、お客さんの悪口ばかり言ってるオーナーさんの息子は、人の悪口ばかり言うようになるし、がめついオーナーの息子さんも、非常にがめつくなるらしい。だから、息子さんの性格をみれば、その宿屋のオーナーの経営方針が非常によくわかるとのこと。
「ああ、なるほど・・・」
と思ったんですが、しばらく経って青ざめてしまった。そういう視点で、うちの息子を観察する人もいるんだ・・・と青ざめてしまった。

 うちの息子は大丈夫なんだろうか?
 よそ様にご迷惑をかけてないか?
 妙に落ち着かなくなってしまった。
 その心理を察したのか、相手はこんなことを言ってくる。

「◇◇さんのところは、すごいよ。三人も子供がいて、みんな良い子ばかりで、親孝行なんだよ。しかも、全員が成績優秀。なので有名私立に入ってしまった。だから学費も半端じゃなかったらしい。こないだその件を聞いてみたら、最近になってやっと、親の任務を離れることができて生活が楽になったって言ってたよ」
「へえ・・・」
「◆◆さんのうちも、三人も子供がいて、みんな良い子ばかりで、みんな前橋に下宿している」
「え? 前橋?」
「奥さんが前橋に住んで子供の面倒をみてて、週末にペンションに戻ってくる。優秀なお子さんばかりだと親も大変だけれど、これも未来への投資。歴代の親たちが子供にやってきた道を、今の親たちもやるということさ」
「・・・」

 嬬恋村といえば、群馬県のチベットと言われるぐらいのど田舎ですが、 こんなド田舎にもかかわらず、 優秀な子供たちが多いのには呆れます。近所のペンションでもお子さんが、長野県でもナンバーワンと言われている有名私立高校に入っている。しかも同じペンション仲間のお子さんも入学している。嬬恋中学校といえば、一学年の人数は下手したら五十人をきる年もある。これだけ子供の数が少ないのに、この調子。そういえば息子の入っていたスケート部の先輩も、中高一貫の超有名私立学校に入学していました。親たちの負担も大変でしょうが、子供の将来を思ってのことなので、これも一種の植福と言えるかもしれません。

 とてもじゃないけれど、私にはそこまでやるほど気力はない。本人がどうしてもといえば、考えないでもないですが、かなりの高齢で生まれた子供ですから、どちらかというと、学力よりも健康体を作ってあげたい。この心理は、五十歳を過ぎて子供を持った人間にしかわからないかもしれません。

  私は二十年間宿屋をやっていますが、その間に何人かのリピーターのお客さんが、命をなくしています。 そこまで行かなくても、ストレスで鬱になった人もいる。嫁さんの親戚の方で、若くして突然死した人もいる。 そもそも嫁さんの父親からして、若くしてなくなっている。

 無駄に人生を長く生きていると、そういう経験が積み重なるので、どうしても健康というものを重視してしまいます。体の健康もそうだし、心の健康も。 だから早取り学習よりも、ゲームを使った脳トレーニングを重視してきたし、小さいうちから空手家キックボクシングをさせたり、毎日のように息子を連れて登山に明け暮れています。子育てを健康中心にもっていく。健康のために金を使う。これはこれでひとつの植福と言えるかもしれません。将来のために息子に健康を植福している。

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 植福 にも、色々あると思います。
 人それぞれ、いろんな植福を行なっている。
 これは、どの植福が正解かというよりも、
 それぞれ親たちの歩んできた人生に大きく影響されて植福が選択される。
 たまたま私は、健康というものに対して敏感にならざるえなかった。
 だから息子にしてやれる植福は、健康な体つくり。
 それもほどほどの健康な体。

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 息子が望むなら別だが決して全国を狙うスポーツマンにしたいわけではなく、ほどほどの健康体と、ほどほどの人格者であればいい。息子が望むなら別だが、決して聖人君子になんかにしたくない。少しだけ欲がある平凡な人間で良い。宮沢賢治の「雨にもマケズ」の世界が息子にとって一番良いと思っている小市民な親だったりする。 


つづく。

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posted by マネージャー at 06:15| Comment(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月28日

例のウイルスで息子の夢が消えてしまった その2

 二十年ほど前に『幸田露伴の語録に学ぶ自己修養法(渡部昇一)』という本を読みました。幸田露伴の面白いことは、幸福を語るのに『幸福論』と書かずに『努力論』を書いているところです。その『努力論』で幸福を引き寄せる方法として「惜福、分福、植福」が必要だと言っています。幸福を引き寄せるためには、惜福・分福・植福といった努力が必要だと言うのです。

 分福について幸田露伴は、自分に巡ってきた福を独り占めしないで周囲にも分け与える。しかも見返りは期待しない。福は天からの授かりものであり人々の間を巡るもの。自分に巡ってきた福を天の一角に返す気持ちを持つ心掛けが大切。周囲を幸福にすることが、自らの幸福につながる。だから分福によって、よりいっそう大きな福がやって来る。例えば、
「商売で儲かった時に利益を使用人らに分けたとしよう。すると使用人らは、店主が福利を得るならば自分たちも福利を得るのだということが分かり、熟心に業務に励み、店主を儲けさせようと努力するものなのである」
というふうに。

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 ところで幸田露伴が、なぜ露伴なのかというと、仕事をやめて北海道から徒歩で餓死寸前になりながら帰京したことがあり、露を伴って野宿したので「露伴」と名乗ったと言います。ああ、なるほどと思いましたね。これなら幸田露伴が、
『分福』
と言った理由が分かります。私でなくても、1980年代から1990年代にわたって北海道を徒歩旅行した人なら誰だって分かると思います。どれだけ『分福』のお裾分けに預かってきたか、身にしみて分かると思います。

 今から四十年ぐらい前の北海道では、電車に乗れば、地元民の人たちが誰彼なく気さくに話しかけてきました。道を歩いていれば、車が止まって乗せてくれましたし、車中で話が盛り上がれば、「俺の家に泊まっていけ」と言われて、何日もお世話になることも多かった。もちろん住所交換もした。年末になると新巻鮭が送られてきたり、色々なものが送られてきました。もちろんこちらの方もお返しに何らかのものを送り返しましたが、相手は金額にして倍ぐらいのものを送ってくる。

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 そういえばライダーハウスなんてものが北海道にはありました。今でも存在してるとは思いますが、当時のライダーハウスはちょっと違ってました。ラーメン屋の駐車場の隅に小屋なんかがあって、ラーメン一杯を食べるとそこに無料で泊めてくれました。ライダーハウスには旅人も泊まっていましたが、ジプシーみたいな人たちも泊まっていました。そして近くの農家や漁師番屋で働いていました。その人たちは、野菜を持ってきたり、魚を持ってきたりして、夜になるとみんなで持ち寄った食材で美味しそうな鍋を作ったりしていた。するとどこからともなく差し入れが届いてくる。ラーメン屋の親父が、余ったご飯を届ける場合もあれば、近所の農家がとうもろこしや酒を届ける場合もある。お礼を言うと
「何もだ」
と言って、一緒に酒を飲んだりします。
「俺もここの人間だ」
近所の農家のご主人は、ライダーハウス出身だと言う。農家でアルバイトしてるうちに、そこの娘と結婚して、今は農家の大黒柱になっているらしい。

 そのご主人のおじいちゃんの話によれば、昔は芋掘りさんという人たちがいて、家族でじゃがいも掘りの季節労働して北海道中を渡り歩いていた人たちがいたらしい。だから芋掘りの季節になると大勢の子供たちが転校してきて、二週間後に去っていったという。

 どの子供たちも服はボロボロで身なりは良くなかったけれど、地元の子供たちも、大人たちもみんな親切にしてあげた。彼らは貴重な労働力だったし、学校から帰ってすぐに雇われた農家で親と一緒に芋掘りの手伝いをする。一生懸命親孝行する子供たちを馬鹿にできる人たちは、当時の北海道のどこにもいなかった。むしろ尊敬の眼差しで見ている人たちの方が多かったという。

 芋掘りさんたちが転校していく日、ご主人のおじいちゃんは、餞別に宝物でも何でも差し出したといいます。そして時代が変わって芋掘りさんたちが住んでいた小屋は、ライダーハウスの前身になりました。

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 また北海道には、開拓地だというのに神社がいっぱいありました。神社にはたいていテントが並んでいて、大勢のキャンパーたちが生活していました。1990年の頃。バブルのさなかの頃です。キャンパーたちの中は、優雅に写真撮影をしてる人たちもいたし、バイクでツーリングしている人たちもいましたけれど、農家で働いてる人たちも多かった。

 寒さの厳しい冬になると、日本列島を南下していき、沖縄の波照間・石垣島・西表島に向かって製糖工場で働く人たちも多かったけれど、真冬の北海道でキャンプしてる人たちも多かった。キャンプと言っても、山ガールのキャンプをイメージとは程遠い。ジプシーみたいな生活。芋掘りさんに近いと思います。彼らが厳冬の北海道でキャンプできたのも、北海道の庶民に分福が根付いていたからだと思います。でなければ、彼らは厳冬の北海道では生きていけなかったはずです。

 長い前置きはこのくらいにして、分福について。

 分福と言えば、嫁さんの実家のある群馬県館林が本家です。あの分福茶釜は、群馬県館林にある茂林寺にありました。館林というところは、昔から裕福な土地だったらしく、その理由が、いくらお湯を汲んでも全く尽きることのない茶釜のおかげであると言われていました。お湯が無限に湧いてくれれば、燃料代が助かりますから、村全体が裕福になるという理屈です。

 本当にそんなことがあったかどうかは別にして、ポイントは、お湯を分け合ったということにあります。分福が徹底したからこそ館林は裕福になった。それを周辺の市町村が信じたということに大きな意味があります。館林からちょっと離れると栃木県になりますが、その栃木県の住民たちにも館林の分福は有名であったという明治時代の記録が残っています。

 実際に館林周辺の市町村は、江戸時代の昔から栃木県も含めて分福を徹底していました。なので、この辺りには多くの人たちが集まってきたと言います。NHKのテレビドラマで有名な「おしん」のような存在が、わんさか押し寄せてきたのも、館林周辺地域です。

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 彼らは、奥州子と言われて、わずかばかりの米俵と引き換えに奉公に出された子供であり、小さい赤ん坊の子守をしながら学校の校庭に集まっていました。

 その辺の事情を知っている教師たちは、わざと窓際で奥州っ子に聞こえるように、窓に向かって叫ぶように授業をしました。子守の子供たちは、それに甘えて勉強した。教科書もノートもないので子守の子供たちは棒で地べたに文字の練習をしました。一事が万事、みんなこの調子です。

 お墓のお供え物も、白米のおむすびでした。そのおむすびは、貧しい人たちの食事にやることが前提です。実際、おそなえをすると、貧しい人たちが、それを食べていた。

 赤ん坊を抱えて物乞いをする人には、温かいご飯を食べさせたと言います。お金をあげても、コンビニのない時代ですから、お金よりも食事の方がありがたかった。米をもらっても、金をもらっても困るだけだった。このような館林の分福も、館林出身の嫁さんには興味がないようなので、あまり話していません。

 話は変わりますが、どういうわけか、うちの息子には分福が身についています。時としてやりすぎることがあるくらい。原因は、宿屋の息子なためだと思われます。子供というものは親の真似をします。特に長男や一人っ子の場合、信じられないくらい親の真似をします。うちの息子も、何でも真似をしました。問題は、私が宿のオーナーであることです。

 親が盛んに接客サービスをしていると、息子もそれを真似する。息子なりに何でもサービスをする。それがお客さんに好評で、売上が伸びたのも確かです。小さなお子さん連れのご家族が来ると、自分が持ってるおもちゃを両手に抱えて小さなお子さんたちのところに走って行きます。絵本を読んであげるし、こっそり溜め込んだ自分のおやつも持っていく。お客さんが、メガネを探していると、度数の合わない私のメガネまで持っていく。

 まさに分福。
 なんでもかんでも差し出そうとする。
 売り物の小さなおもちゃまで勝手にあげてしまう。
 それを叱るんですが、何が悪いのか今ひとつ分からない。

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 最初は微笑ましいなぁと思っていたんですが、さすがに大変な弊害があるということに気がついた。分別のない分福は、かなり危険だということに。

 なので幼稚園の年長さんの頃に、お金を学習させるためにコンビニやスーパーに連れて行って、こづかいをあげて、自分でおやつを買わせますと、買ったおやつを、親にも分けてくれます。決して独り占めしようとはしません。

 と書くと美談のように思えますが、これは少しばかり危険です。お金の怖さを分かってない。幼稚園時代の息子は、呆れるばかり物欲がないので、お金でもおやつでも、おもちゃでも、何でも他人にあげてしまう。親の接客姿をみて、そういうものだと勘違いしている節がある。

 それはそれで決して悪いことではないのですが、世の中にはクレクレ君と言う、物欲の塊の人たちが少なからずいるし、悪意のある人もいる。そういう人たちと出会ったら必ずトラブルになるのは目に見えている。なので分福という行為は、惜福に比べて、かなり高度で難しい判断を必要とする。どの過ぎた分福には、必ずトラブルが生じてしまう。

 そこで、欲というものを教えることにしました。具体的に言うと、アルバイトなどをさせて、お金を稼がせることにした。何かお手伝いをしたら十円ずつ払い、その十円が貯まったら、おやつか何かを買わせるようにした。お金の価値を自身の労働によって身をもって分からせるようにした。

 しかしこれを実行してみると、少々具合の悪いことに気がつきました。
 幼稚園児が行うお手伝いというものは、かえって足手まといになる。

 なので、勉強や運動することに十円ずつ払うことにしました。その代わり、おやつも与えなければ、おもちゃを買わない。欲しければ自分で稼ぐように仕向けました。その結果、苦労して手に入れた十円は、簡単に手放さなくなりました。労働することによってお金の価値が分かってきた。そうなると、コンビニでお菓子を買うこともなくなる。苦労の末、手に入れたお金を滅多に使わなくなった。

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 これにアジをしめた私は、息子に十円をジャンジャン支払うようになり、小学校一年生になる頃には、何かする事に百円ずつ払うようになった。そのかわりに罰金を取ることも始めました。お金はジャンジャン払いますけれど、忘れ物をしたり、嘘をついたり、やってはいけないことをした場合、千円とか二千円の罰金を取るようにしました。

 罰金制度にしたのは、子供をきつく怒鳴っても効果が無いからです。怒鳴ったところで忘れ物がなくなるわけではない。でも、忘れ物をすることに千円の罰金を命じると、忘れ物はなくなる。それはもう嘘のように忘れ物をしなくなる。怒ったり叩いたりしても忘れ物をするくせに、千円の罰金だとピタッと忘れ物がなくなってしまう。千円を稼ぐのが、どんなに大変か身をもって体験したためか、恐ろしいほど忘れなくなる。その結果、おこずかいが、どんどん増えていく。

 不思議なもので、お小遣いが増えると、お金を使わなくなる。増やすことに執念をもちはじめ、アルバイト・勉強・運動など、お金になることを率先してやるようになった。で、自分の貯金通帳を作りたいと言ってきた。群馬銀行に出かけて息子の貯金通帳を作ってあげた。で、私の方は、新型コロナウイルスで経営悪化したので定期預金を解約手続きを行った。帰り際に息子が
「1億円ためたいな」
と言うので
「そんなに貯金して、何に使うの?」
と聞くと、ロシアで寿司屋をやるための資金で必要だと言った。
「こいつ、何を言ってるんだ?」
と首を傾げていると、息子は得意満面で、将来の計画を語り始めたのです。今年の二月頃の話です。ダイヤモンドプリンス号が入港した頃で、まだ新型コロナウイルスが、深刻な状況でなかった頃の話です。

つづく。

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