ちょっと、良いことが書いてあった本があったので、一部を紹介したいと思います。
渡部昇一教授の記憶の法則より抜粋
「記憶」と「年輪」は家庭円満の両輪親孝行と同じく結婚についても、かつては日本人に固有な思い入れのようなものがあったと思う。ところが昨今では、結婚よりも離婚について取り沙汰されることが多くなっている。
事実、離婚率は、1990年代に入って増加の傾向が著しく、最近では、年間約五万件にも達し、その後も増え続けている。成田離婚や箱崎離婚が当たり前になっているようなのである。単純計算すると、これはおよそ十分に一件の割合で離婚が起きていることになる。バツイチなどという言葉さえ生まれ、世は離婚花ざかりである。
だが、いくら離婚してみても、何度結婚してみても、結婚というものがどのようなものかはなかなかわからない。普通の物事は経験を積めば積むほど、その本質や実体がわかるものなのだが、こと結婚に関しては違うらしい。むしろ逆で、五回結婚した人よりは一回こっきりの人のほうがよくわかるのではないかと思う。
なぜ、そうなるのだろうか。それは、結婚生活というものが記憶の積み重ねで成り立つものだからではないかと思う。
私の家内は、髪にそろそろ白いものが混じり始め、しわくちゃとまではいかないにせよ、老婦人の雰囲気を十分に漂わせる年齢になってきている。けれども結婚した時の記念写真を見ると、今の姿形からは想像もできないくらい、ふっくらとしてういういしい乙女なのだ。すると、その当時から今に至るまでの、何十年もの時間の重みがひしひしと伝わってくるのである。さまざまな記憶がふつふつと湧いてくる。そして、この積み重ねを共有することこそが、結婚生活なのだと私は思う。
何回同棲しても、
また、結婚、離婚を繰り返しても、
このような時間の重みは得られない。
共有する時間も短く、
記憶も寸断されて、
積み重ねるものがなくなってしまうからだ。
私の知人の女性学者が、はからずもそのことを裏づけてくれた。彼女には子供が二人ほどいるらしいのだが、ある時、何気なく、過去のアルバムを整理し始めた。
子供たちがまだ小さい時分の写真を見ているうち、当時自分もまだ駆け出しの学者の卵で、子供と悪戦苦闘しながらとにもかくにもしゃにむに生きてきたその頃が思い出されて、涙が止まらなくなったというのである。
その話を聞いた時、そういえば私の家内も同じようなことをやっていたと思い至った。家内も子供たちのアルバムを見ながら、最初のうちは、「こんな顔している、あんな格好している」と笑っていたのだが、そのうち、「こんなにちっちゃな時もあったのね」とつぶやきながら、涙ぐんでいるのである。
三人の子供たちはみな成人して、私たちにはもう孫もいる。その孫と同じぐらいの年齢だった子供たちの姿をアルバムでたどるうちに、過去の記憶がどんどん蘇ってきて、思わず涙が出てきたのであろう。この思いの蓄積を共有できるのが、夫婦というものなのである。そこでは、過去の記憶とそれをたどってきた年輪とがぴったりと重なり合うのだ。
ここが、同棲などとは決定的に違うところだと思う。そして記憶と年輪とがかみ合った夫婦というのは、円満な家庭を築いてきたものなのである。気が合ったから一緒になって、嫌になったら止めてしまう、などといった安易な結びつきとは違うのだ。
例外もあるから全部が全部というわけではないのだが、私の知っている企業の経営者、とくに中小企業の経営者の多くは、景気がよくて儲けていた時分、女房とは別に、愛人といえる女性を身近に置くということが普通にあった。当時、彼らの多くは、古女房などより若いこの愛人のほうがよく尽くしてくれるなどと悦に入っていた。なかには、老後は彼女に面倒を見てもらうなどと宣言した人もいたくらいである。
だが、私の知っている限り、全部失敗している。やはり彼女たちは、男のほうに金や社長という肩書きがあるから愛人になっただけなのである。不景気になって会もままならなくなればそれまでである。ましてや、引退したあとの老後の世話など始めから念頭にはない。そういう素振りでも見せようものなら、すぐさまおさらばしてしまう。
これに対して、古女房たちはどうなのか。彼女たちは、社長たちがまだ若く、海のものとも山のものともつかない時分のことを知っている。多少の学歴と多少の財産がある程度で、その他何もないところからのし上がってきたとか、あるいは、そういうものも何もなく、ただ押しの強さと運を頼りに人生を切り開いてきたという、全くの下積み時代から知っているのだ。 知っているというよりも、苦しい時代を二人して乗り切ってきたといったほうがいい。それゆえ、二人の記憶が濃厚なのだ。過去からの記憶の重みを共に背負っているのである。
だから不景気でうまくいかなくなれぱなるほど、また、年を取れば取るほど、その時代の記憶が蘇ってくる。記憶の一つの法則に、昔のことはよく覚えているが最近のことは忘れやすいというのがある。こうして、古女房たちが復活するのである。
俳優の三船敏郎もそうだった。彼は離婚して若い女優と一緒になった。ところが、彼が、ぼけると、この若い奥さんは逃げてしまう。そして結局、昔馴れた最初の奥さんが彼の世話をすることになる。
これなどは非常に極端な例だとは思うのだが、やはり、老妻は重んずべしの典型的な例であろう。
昔習った『十八史略』の東漢光武帝のところに「貧賤ノ交ハリハ忘ルヘカラズ、糟糠(そうこう)ノ妻ハ堂ヨリ下サス」というのがあった。
「糟糠の妻」とは、貧乏でかすやぬかしか食うものがなかった頃の妻である。そういう妻は自分が偉くなって御殿に住むようになっても、側において大切にせよという意味である。
三船の話に戻ると、彼自身はぼけていてどう思っていたのかはわからないが、奥さんの側からしても、二人の若い頃の記憶が濃かったのだと思う。
三船が若い女をつくった時には、殺してやりたいくらい憎らしかったかもしれない。けれども、年がたつにつれて、若い頃の記憶が蘇ったのではないか。そこでの三船敏郎は、彼女にとってはいい男だった。
だから、捨てられるというひどい仕打ちを受けながらも、老後の世話をしたのではないか。三船にとってみれば、若い頃の自分の価値を記憶に残せたことが幸いしたといえるかもしれない。
結婚もそうなのだが、人生は記憶だと考えると多くのことが理解できる。自分の人生はいったい何なのだろうと考えてみても、要するに記憶の連続こそが人生なのであって、そのほかには考えようがないことに気づくのである。
遺産相続といった、一見、記憶とは関係ないようなことでも、人生を記憶という視点からとらえるとわりと簡単に説明がつく。
なぜ、親は子供に相続させたいのか。 たとえば、私のなけなしの財産を、今の時点で遺産相続させるとする。私にとって今、一番役立っている人物は誰かというと、家内をのぞけば、仕事上では秘書で、その他のことでは家政婦さんということになる。子供たちはどうかというと、これはみな独立した大人になっていて、今や昔のようにかわいらしくも何ともないし、今の私の役に立っているわけでもない。
これらの事情を考え合わせた時、では、役に立っている秘書と家政婦さんに遺産の一部でも相続させるかというと、決してそうはならない。どうしてなのか。それは、血がつながっているとかいないとかということではなく、私の中の記憶がつながっているかどうかの問題だからだ。記憶のレベルの問題なのである。
子供たちは、まだ赤ん坊のヨチョチ歩きの時から、だんだん大きくなって、どうにかこうにか小学校に入るようにまで育てた。そして、夏休みには山や海へ連れて行ってやった。さらに中学校の時はこうで、高校、大学の時はああで、という具合に、大きくなってきた記憶として子供は私の中に存在している。これに対して秘書や家政婦さんは、たかだかここ数年の記憶にしか過ぎない。記憶のレベルが低いのである。
だからこれらの人たちは、今どれだけ役に立っていても、私の遺産相続の対象とはならないのだ。外国では二、三十年も秘書をやってくれた人に財産を譲るということがあるようだが、これは、長く勤めれば「記憶の問題」となるからであろう。遺産を子供たちに相続させたいというのは、親としては普通の感情だろうが、その根底には、このように人生を記憶の連続としてとらえる考え方があると思う。
親のこの思いをいいことに、子供たちが親孝行しなくなった点については、前に述べた。いずれにせよ、子供たちは親にとって記憶のレベルが高い存在であることには違いない。だからこそ、私たちの中では価値があるのだ。
「忙しくてたいへんな時なのに、私のために」
が効く夫婦についても同じことがいえる。記憶の重みのある夫婦、つまり、記憶のレベルが高ければ高い夫婦ほどうまくいく。そういう点では、自分が輝いているうちに、いい記憶をつくることが夫婦円満の秘訣ということになる。つまり、男の立場からすれば、忙しく働いている時にこそ、無理して時間をつくり、女房のために尽くしてみるということだ。
何だかんだいいながらも、デレツとして暇をもてあましている時よりも、忙しく駆けずり回っている時のほうが、男は輝いて見えるものだ。そしてそういう時に、無理に時間をつくってカミさん孝行しておくと、これは彼女たちの記憶に残る。
「仕事が忙しくてたいへんな時なのに、私のために」
という感謝の気持ちが残るのだ。だから、ある程度は恩着せがましくやってもかまわないと思う。
「本来なら休めないところなのだが、お前もくたびれているだろうから、ちょっと旅行へでも行こうか」
というのである。なにも大仰なことでなくてもいい。海外旅行である必要もない。夏休みや正月の休みを利用して夫婦二人で温泉へ行くとか、国内のパック旅行へ行くという程度でかまわないのだ。ちょっと余裕があるならハワイ旅行もいいかもしれない。
要は、忙しくて本当に時間がないような時に旅行するということだ。"あの忙しがりやの亭主が""忙しい忙しいばかりの亭主が私のために……。というニュアンスが大切なのだ。
だからこれは、若い時分でなくてもかまわない。五十代になってからでもちっとも遅くはないのである。
覚えておいてほしい。女房から見れば、亭主が忙しがって働いている時が一番輝いて見えるのだ。この輝いて見える時に、いい記憶をつくっておくことが大切なのである。
よく、テレビや雑誌などで、退職後はカミさんに大々的なサービスをすることが、さも美しい夫婦愛のごとくに紹介されたりしている。それはそれで結構なことには違いないのだが、あまり意味はないということは知っておいてもいいだろう。
なぜなら一つには、いくら地位のあった人でも、退職して暇になってしまえば、女房から見れば輝きが薄れてしまうということ。そしてもう一つは、記憶の法則で、年を取れば取るほど、昔のことは思い出すけれども、最近の出来事は忘れてしまうからだ。
いくら大盤振る舞いして女房孝行しても、それが退職後の年を取ってからのことだと往々にして忘れられてしまい、記憶として残っていかない。これでは何にもならないのだ。だからこそ、記憶の重みとして残る、まだ若い時分にしておくことが大切なのだ。
しょっちゅうやる必要はないが、五年に一度とか、それぐらいの頻度でかまわないから、一週間ほどカミさんのために休みを取るのである。ただ、その際に注意しなければならないことは、旅行へ行くのなら奥さんの知らない土地か、あるいはそれほど詳しくない場所を選ぶことだ。とくに海外へ行くような場合には、カミさんが詳しいところだと、最初のうちはいいとしても、だんだん亭主が邪魔になってくる。せっかく休みを取って連れてきてやったつもりが、気がついてみたらあわれな〃濡れ落ち葉族。になっていたということにもなりかねない。
また、女房が英会話などのスクールなどに通っていたりして外国語がしゃべれる場合には、もっと要注意だろう。亭主がしゃべれなけれぱ、女房のお尻にくっついているより仕方がなくなる。外出するたびにうるさい存在になってしまい、結局はケンカするはめにもなりかねない。このようなことになるくらいなら、温泉にでも行ってゆっくりするほうがずっと効果的である。
「一番近い人」
だからこそ折り目正しくが鉄則夫婦円満のためのもう一つの方法は、相手に対しては礼儀正しくするということだ。私もあまり実行していないので、勧める資格はないかもしれないが、カミさんには他の誰よりも礼儀正しくしなければならない。あまりにも当たり前のこと過ぎて、まじめに考えたことなどないかもしれないが、夫婦にとって一番大切な人間は、当の相手以外の誰でもないのである。たとえば近所の人とトラブルが生じてケンカになったとしても、ある意味ではどうということはない。痛くもかゆくもない。嫌なら顔を合わせなけれぱすむからだ。
ところが、夫婦となるとそうはいかない。毎日顔を合わせなければならない。だから、ほんとうは礼儀正しく接して、大切にしなけれぱならないのである。このあたりのことを孔子は『論語』の中で、「夫婦別あり」といっているのである。夫婦といえども、折り目正しく接しなさいというわけだ。
頭ではわかっていても、実際にはこれがなかなかできない。けれども、夫婦円満のためには、時々でもいいからやさしさを見せ合うことが大切だと思う。それが礼節なのだ。たとえ心からやさしさを発揮できなくとも、その努力はする必要があるだろう。毎日ではくたびれるから、十日に一度ぐらいはお互いに大切にし合う。
そうすれば、長い問には、これが記憶として残っていくのである。記憶のもう一つの法則に、いいことだけは覚えているということがある。不愉快なことは忘れてしまうが、いい思い出は残るのだ。最近、熟年夫婦の離婚が多くなっているようだが、それもこれもみな、忙しさを口実に夫婦二人の良い思い出をつくってこなかったからではないだろうか。ちょっとしたやさしさでもかまわないから、たまには奥さんに見せることだ。若い頃からのその積み重ねが記憶として残り、それらを共有していくことにこそ、夫婦の意味がある。夫婦というのも人生と同じく、共有した記憶以外の何ものでもないのである。
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