2005年04月29日

ついにゴールデンウイーク突入です!

ついにゴールデンウイーク突入です!

 今年は、カレンダーが良いせいか、海外に行く御客さまが多いのか、去年より予約の勢いが落ちています。とはいえ、ゴールデンウイークは、戦争状態。ブログの書き込みも、なかなかすすみません。ごめんなさい。

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2005年04月26日

牛丼と立飲屋

牛丼と立飲屋

 私は、今は無き、吉野屋の牛丼をこよなく愛する人間です。20年前に上京した時に、たったの300円で牛肉(吉野屋の牛丼)を食べられると知って狂喜しました。私の田舎では牛肉は高級品だったので私は毎日、牛丼屋、に通うことになり、とくに吉野屋を贔屓にするようになりました。

 当時、吉野屋では

「牛丼一筋80年〜」

というCMを流していましたが、何年たっても「牛丼一筋80年」のCMは変らなかったので、

「今年は89年ではないか?」

とか

「来年は90年ではないか?」

と言った批判が出たことがあります。
ところがそれを指摘すると
吉野屋で働いている友人がこう言いました。

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「吉野屋は、10年前から朝定食を始めてしまった。したがって牛丼一筋だった時期は80年で終っているんだよ」

 な、なるほど!

 それから昔の話になりますが、女の子とデートする時に必ず入ったのが吉野屋です。女性は意外と吉野屋に興味をもっているのですが、女性だけでは入れないようです。だから私は、躊躇することなく女性を吉野屋に連れて行きます。

 そして充分に満腹にさせてから立飲屋にいきます。そして串カツや焼鳥を片手にコップ酒をグビグビっとやれば、たいていの女性はカルチャーショックを受けること間違いないです。だから私は、よく立飲屋に入るんですね。けれど、その結果どうなるかは保証しませんけどね。

 どうでも良いけれど、牛丼食べたい!
 吉牛を食べたい!
 500円でいいから食べたいよ!

(しかし北軽井沢にいては食べられない・・・・・・とほほほほ)

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2005年04月25日

熊野神社

熊野神社

 碓氷峠の県境にある熊野神社の社殿です。三社の建物が並び表面からみて中央が本宮。向かって右手が群馬県側で新宮、左手が長野県側で那智宮となっています。神社の由緒記に「昔時の当社神領は、東は上野国碓氷郡新堀村鳥居坂、西は信濃国佐久郡鳥居原村、各社に本社の大鳥居建設ありて・・」とあります。

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 追分節で知られた石の風車。明暦三(1657)年に軽井沢の問屋佐藤市右衛門と代官佐藤平八郎が二世安楽祈願のため神社正面の石畳を寄進したが、その記念に次の代の市右衛門が家紋の源氏車を刻んで奉納したものです。秋から冬にかけての強風を思い、旅人が石の風車として親しみ
「碓氷峠のあの風車 たれを待つやらくるくると」
と追分節に唄われました。

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2005年04月24日

旦念亭

旦念亭

 皆さんは、8時間もかけてコーヒーを作る店で、本物のコーヒーを飲んだことがあるでしょうか? そういう店が軽井沢にあるのです。それも軽井沢駅から歩いて3分という近いところにあるのです。その名は『旦念亭』。

実は、コーヒー通にとっては、この『旦念亭』ぬきに軽井沢のカフェは語れないくらいに知られてまして、知る人ぞ知る店なんです。コーヒー通にとっては、絶対に避けて通ることができない店なのです。
 
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 では、『旦念亭』のコーヒーのどこが違うのかと言いますと、このコーヒーは、水出しコーヒーなんです。水出しコーヒーとは、深炒りのコーヒー粉をセットした上に水のタンクを置いて、まんべんなく一定のリズムで一滴一滴まるで点滴のように水を落とし、コーヒーのエキスを抽出してつくるコーヒーです。

 一秒に一滴つづ水を落としてゆくので、なんと8〜10時間の時間をかけて抽出するんですね。そのために通常のコーヒーと違って香りが逃げませんし、コーヒー豆の成分の全てのエキスを出しきるために、苦みよりも、コーヒー本来が持っているうまみが味わえます。極端に甘さを抑えたビターチョコレートのような甘さを味わえます。つまり『究極のコーヒー』なんですね。

 というわけで、もちろん私は、アイスコーヒーを注文しました。水出しコーヒーを飲むにはアイスコーヒーを注文するしかありません。

一口飲んで、すぐにわかりました。私が今まで飲んだ、どんなアイスコーヒーよりもうまいことを。これは自信をもって言えますが、どんな味音痴の方でも、『旦念亭』のアイスコーヒーだけは、その違いが、一口でわかると思います。

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 そして注文したのが、チョコレートケーキです。甘さ控えめで大人の味わいと有名な『旦念亭』のチョコレートケーキは、本当にオリジナルな味です。さすが、いろいろなマスコミで紹介されるだけのことはあって、コーヒーとの相性もよかったです。

 それから『旦念亭』の名物に、リンゴシャーベットがあるのですが、今回は、あえて奇をてらって『椰子の実アイス』をオーダーしてみました。これは、本物の椰子の実を使って作られたアイスで、その濃厚さは、すごいものがあります。もはやアイスというものではないのかもしれません。チョコレートケーキも、そうでしたてが、この椰子の実アイスの味も、おそらく、この『旦念亭』にしかないかもしれません。

 それから、この『旦念亭』の素晴らしいところは、館内禁煙であることです。喫煙者はテラスでコーヒーを飲んでもらうわけですが、こういう心配りがうれしいですね。また、建物も素晴らしく、天井が高くて、開放感があります。そのうえ大きな薪ストーブがあって、木が燃える暖かさと、不思議な炎の魅力を私たちに伝えてくれます。また、木のパズルが、客席一つ一つにあるんですね。このへんも面白いと感じました。

 とにかく、ユニークな店です。
 そして本格的なコーヒー店です。

長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢東4-2
0267-42-5616
JR長野新幹線軽井沢駅からすぐ

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2005年04月23日

ミネルバ茶房

ミネルバ茶房

 軽井沢でも老舗の喫茶店になる『ミネルバ茶房』は、写真でもわかるように、味わい深いレトロな建物です。蔦の絡まる洋館という感じですが、実は木造建築であり、中に入ると木と白壁の作りになっています。

こういう造作を『おしゃれ』と表現しては失礼でしょう。ミネルバ茶房は、そういううわついた喫茶店ではありません。オシャレというより、むしろ軽井沢の風格を感じるというか、軽井沢の歴史を体現しているといった方がいいかもしれません。
 
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 マスターの言によれば、「ミネルバ茶房」と言う店名は、五木寛之さんの「ソフィアの秋」に出てくる喫茶店の名前からいただいたそうです。メニューは飲み物を含めて約150種類もありますが、中途半端にたくさんのメニューがあるというわけではありません。

浅間ベリー・こけもも・ルバーブ・木いちご・赤すぐりといった軽井沢特産の素材を生かしたメニューが大半で、パスタにしても、乾燥パスタと、オリジナル生パスタと、分けて注文できるのです。生パスタだと900円。ただしランチセットのサービスはありませんが、乾燥パスタのメニューだと1100円で、コーヒーと手作りヨーグルトのセットがたのめます。
  
長野県北佐久郡軽井沢町長倉離山2009
0267-42-5981

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2005年04月19日

ちよっと良い話

ちょっと、良いことが書いてあった本があったので、一部を紹介したいと思います。

渡部昇一教授の記憶の法則より抜粋

「記憶」と「年輪」は家庭円満の両輪親孝行と同じく結婚についても、かつては日本人に固有な思い入れのようなものがあったと思う。ところが昨今では、結婚よりも離婚について取り沙汰されることが多くなっている。

事実、離婚率は、1990年代に入って増加の傾向が著しく、最近では、年間約五万件にも達し、その後も増え続けている。成田離婚や箱崎離婚が当たり前になっているようなのである。単純計算すると、これはおよそ十分に一件の割合で離婚が起きていることになる。バツイチなどという言葉さえ生まれ、世は離婚花ざかりである。

だが、いくら離婚してみても、何度結婚してみても、結婚というものがどのようなものかはなかなかわからない。普通の物事は経験を積めば積むほど、その本質や実体がわかるものなのだが、こと結婚に関しては違うらしい。むしろ逆で、五回結婚した人よりは一回こっきりの人のほうがよくわかるのではないかと思う。

なぜ、そうなるのだろうか。それは、結婚生活というものが記憶の積み重ねで成り立つものだからではないかと思う。

私の家内は、髪にそろそろ白いものが混じり始め、しわくちゃとまではいかないにせよ、老婦人の雰囲気を十分に漂わせる年齢になってきている。けれども結婚した時の記念写真を見ると、今の姿形からは想像もできないくらい、ふっくらとしてういういしい乙女なのだ。すると、その当時から今に至るまでの、何十年もの時間の重みがひしひしと伝わってくるのである。さまざまな記憶がふつふつと湧いてくる。そして、この積み重ねを共有することこそが、結婚生活なのだと私は思う。

何回同棲しても、
また、結婚、離婚を繰り返しても、
このような時間の重みは得られない。

共有する時間も短く、
記憶も寸断されて、
積み重ねるものがなくなってしまうからだ。

私の知人の女性学者が、はからずもそのことを裏づけてくれた。彼女には子供が二人ほどいるらしいのだが、ある時、何気なく、過去のアルバムを整理し始めた。

子供たちがまだ小さい時分の写真を見ているうち、当時自分もまだ駆け出しの学者の卵で、子供と悪戦苦闘しながらとにもかくにもしゃにむに生きてきたその頃が思い出されて、涙が止まらなくなったというのである。

その話を聞いた時、そういえば私の家内も同じようなことをやっていたと思い至った。家内も子供たちのアルバムを見ながら、最初のうちは、「こんな顔している、あんな格好している」と笑っていたのだが、そのうち、「こんなにちっちゃな時もあったのね」とつぶやきながら、涙ぐんでいるのである。

三人の子供たちはみな成人して、私たちにはもう孫もいる。その孫と同じぐらいの年齢だった子供たちの姿をアルバムでたどるうちに、過去の記憶がどんどん蘇ってきて、思わず涙が出てきたのであろう。この思いの蓄積を共有できるのが、夫婦というものなのである。そこでは、過去の記憶とそれをたどってきた年輪とがぴったりと重なり合うのだ。

ここが、同棲などとは決定的に違うところだと思う。そして記憶と年輪とがかみ合った夫婦というのは、円満な家庭を築いてきたものなのである。気が合ったから一緒になって、嫌になったら止めてしまう、などといった安易な結びつきとは違うのだ。

例外もあるから全部が全部というわけではないのだが、私の知っている企業の経営者、とくに中小企業の経営者の多くは、景気がよくて儲けていた時分、女房とは別に、愛人といえる女性を身近に置くということが普通にあった。当時、彼らの多くは、古女房などより若いこの愛人のほうがよく尽くしてくれるなどと悦に入っていた。なかには、老後は彼女に面倒を見てもらうなどと宣言した人もいたくらいである。

だが、私の知っている限り、全部失敗している。やはり彼女たちは、男のほうに金や社長という肩書きがあるから愛人になっただけなのである。不景気になって会もままならなくなればそれまでである。ましてや、引退したあとの老後の世話など始めから念頭にはない。そういう素振りでも見せようものなら、すぐさまおさらばしてしまう。

これに対して、古女房たちはどうなのか。彼女たちは、社長たちがまだ若く、海のものとも山のものともつかない時分のことを知っている。多少の学歴と多少の財産がある程度で、その他何もないところからのし上がってきたとか、あるいは、そういうものも何もなく、ただ押しの強さと運を頼りに人生を切り開いてきたという、全くの下積み時代から知っているのだ。 知っているというよりも、苦しい時代を二人して乗り切ってきたといったほうがいい。それゆえ、二人の記憶が濃厚なのだ。過去からの記憶の重みを共に背負っているのである。

だから不景気でうまくいかなくなれぱなるほど、また、年を取れば取るほど、その時代の記憶が蘇ってくる。記憶の一つの法則に、昔のことはよく覚えているが最近のことは忘れやすいというのがある。こうして、古女房たちが復活するのである。

俳優の三船敏郎もそうだった。彼は離婚して若い女優と一緒になった。ところが、彼が、ぼけると、この若い奥さんは逃げてしまう。そして結局、昔馴れた最初の奥さんが彼の世話をすることになる。

これなどは非常に極端な例だとは思うのだが、やはり、老妻は重んずべしの典型的な例であろう。

昔習った『十八史略』の東漢光武帝のところに「貧賤ノ交ハリハ忘ルヘカラズ、糟糠(そうこう)ノ妻ハ堂ヨリ下サス」というのがあった。

「糟糠の妻」とは、貧乏でかすやぬかしか食うものがなかった頃の妻である。そういう妻は自分が偉くなって御殿に住むようになっても、側において大切にせよという意味である。
三船の話に戻ると、彼自身はぼけていてどう思っていたのかはわからないが、奥さんの側からしても、二人の若い頃の記憶が濃かったのだと思う。

三船が若い女をつくった時には、殺してやりたいくらい憎らしかったかもしれない。けれども、年がたつにつれて、若い頃の記憶が蘇ったのではないか。そこでの三船敏郎は、彼女にとってはいい男だった。

だから、捨てられるというひどい仕打ちを受けながらも、老後の世話をしたのではないか。三船にとってみれば、若い頃の自分の価値を記憶に残せたことが幸いしたといえるかもしれない。

結婚もそうなのだが、人生は記憶だと考えると多くのことが理解できる。自分の人生はいったい何なのだろうと考えてみても、要するに記憶の連続こそが人生なのであって、そのほかには考えようがないことに気づくのである。

遺産相続といった、一見、記憶とは関係ないようなことでも、人生を記憶という視点からとらえるとわりと簡単に説明がつく。

なぜ、親は子供に相続させたいのか。 たとえば、私のなけなしの財産を、今の時点で遺産相続させるとする。私にとって今、一番役立っている人物は誰かというと、家内をのぞけば、仕事上では秘書で、その他のことでは家政婦さんということになる。子供たちはどうかというと、これはみな独立した大人になっていて、今や昔のようにかわいらしくも何ともないし、今の私の役に立っているわけでもない。

これらの事情を考え合わせた時、では、役に立っている秘書と家政婦さんに遺産の一部でも相続させるかというと、決してそうはならない。どうしてなのか。それは、血がつながっているとかいないとかということではなく、私の中の記憶がつながっているかどうかの問題だからだ。記憶のレベルの問題なのである。

子供たちは、まだ赤ん坊のヨチョチ歩きの時から、だんだん大きくなって、どうにかこうにか小学校に入るようにまで育てた。そして、夏休みには山や海へ連れて行ってやった。さらに中学校の時はこうで、高校、大学の時はああで、という具合に、大きくなってきた記憶として子供は私の中に存在している。これに対して秘書や家政婦さんは、たかだかここ数年の記憶にしか過ぎない。記憶のレベルが低いのである。

だからこれらの人たちは、今どれだけ役に立っていても、私の遺産相続の対象とはならないのだ。外国では二、三十年も秘書をやってくれた人に財産を譲るということがあるようだが、これは、長く勤めれば「記憶の問題」となるからであろう。遺産を子供たちに相続させたいというのは、親としては普通の感情だろうが、その根底には、このように人生を記憶の連続としてとらえる考え方があると思う。

親のこの思いをいいことに、子供たちが親孝行しなくなった点については、前に述べた。いずれにせよ、子供たちは親にとって記憶のレベルが高い存在であることには違いない。だからこそ、私たちの中では価値があるのだ。

「忙しくてたいへんな時なのに、私のために」

が効く夫婦についても同じことがいえる。記憶の重みのある夫婦、つまり、記憶のレベルが高ければ高い夫婦ほどうまくいく。そういう点では、自分が輝いているうちに、いい記憶をつくることが夫婦円満の秘訣ということになる。つまり、男の立場からすれば、忙しく働いている時にこそ、無理して時間をつくり、女房のために尽くしてみるということだ。

何だかんだいいながらも、デレツとして暇をもてあましている時よりも、忙しく駆けずり回っている時のほうが、男は輝いて見えるものだ。そしてそういう時に、無理に時間をつくってカミさん孝行しておくと、これは彼女たちの記憶に残る。

「仕事が忙しくてたいへんな時なのに、私のために」

という感謝の気持ちが残るのだ。だから、ある程度は恩着せがましくやってもかまわないと思う。

「本来なら休めないところなのだが、お前もくたびれているだろうから、ちょっと旅行へでも行こうか」

というのである。なにも大仰なことでなくてもいい。海外旅行である必要もない。夏休みや正月の休みを利用して夫婦二人で温泉へ行くとか、国内のパック旅行へ行くという程度でかまわないのだ。ちょっと余裕があるならハワイ旅行もいいかもしれない。

要は、忙しくて本当に時間がないような時に旅行するということだ。"あの忙しがりやの亭主が""忙しい忙しいばかりの亭主が私のために……。というニュアンスが大切なのだ。

だからこれは、若い時分でなくてもかまわない。五十代になってからでもちっとも遅くはないのである。

覚えておいてほしい。女房から見れば、亭主が忙しがって働いている時が一番輝いて見えるのだ。この輝いて見える時に、いい記憶をつくっておくことが大切なのである。

よく、テレビや雑誌などで、退職後はカミさんに大々的なサービスをすることが、さも美しい夫婦愛のごとくに紹介されたりしている。それはそれで結構なことには違いないのだが、あまり意味はないということは知っておいてもいいだろう。

なぜなら一つには、いくら地位のあった人でも、退職して暇になってしまえば、女房から見れば輝きが薄れてしまうということ。そしてもう一つは、記憶の法則で、年を取れば取るほど、昔のことは思い出すけれども、最近の出来事は忘れてしまうからだ。

いくら大盤振る舞いして女房孝行しても、それが退職後の年を取ってからのことだと往々にして忘れられてしまい、記憶として残っていかない。これでは何にもならないのだ。だからこそ、記憶の重みとして残る、まだ若い時分にしておくことが大切なのだ。

しょっちゅうやる必要はないが、五年に一度とか、それぐらいの頻度でかまわないから、一週間ほどカミさんのために休みを取るのである。ただ、その際に注意しなければならないことは、旅行へ行くのなら奥さんの知らない土地か、あるいはそれほど詳しくない場所を選ぶことだ。とくに海外へ行くような場合には、カミさんが詳しいところだと、最初のうちはいいとしても、だんだん亭主が邪魔になってくる。せっかく休みを取って連れてきてやったつもりが、気がついてみたらあわれな〃濡れ落ち葉族。になっていたということにもなりかねない。

また、女房が英会話などのスクールなどに通っていたりして外国語がしゃべれる場合には、もっと要注意だろう。亭主がしゃべれなけれぱ、女房のお尻にくっついているより仕方がなくなる。外出するたびにうるさい存在になってしまい、結局はケンカするはめにもなりかねない。このようなことになるくらいなら、温泉にでも行ってゆっくりするほうがずっと効果的である。

「一番近い人」

だからこそ折り目正しくが鉄則夫婦円満のためのもう一つの方法は、相手に対しては礼儀正しくするということだ。私もあまり実行していないので、勧める資格はないかもしれないが、カミさんには他の誰よりも礼儀正しくしなければならない。あまりにも当たり前のこと過ぎて、まじめに考えたことなどないかもしれないが、夫婦にとって一番大切な人間は、当の相手以外の誰でもないのである。たとえば近所の人とトラブルが生じてケンカになったとしても、ある意味ではどうということはない。痛くもかゆくもない。嫌なら顔を合わせなけれぱすむからだ。

ところが、夫婦となるとそうはいかない。毎日顔を合わせなければならない。だから、ほんとうは礼儀正しく接して、大切にしなけれぱならないのである。このあたりのことを孔子は『論語』の中で、「夫婦別あり」といっているのである。夫婦といえども、折り目正しく接しなさいというわけだ。

頭ではわかっていても、実際にはこれがなかなかできない。けれども、夫婦円満のためには、時々でもいいからやさしさを見せ合うことが大切だと思う。それが礼節なのだ。たとえ心からやさしさを発揮できなくとも、その努力はする必要があるだろう。毎日ではくたびれるから、十日に一度ぐらいはお互いに大切にし合う。

そうすれば、長い問には、これが記憶として残っていくのである。記憶のもう一つの法則に、いいことだけは覚えているということがある。不愉快なことは忘れてしまうが、いい思い出は残るのだ。最近、熟年夫婦の離婚が多くなっているようだが、それもこれもみな、忙しさを口実に夫婦二人の良い思い出をつくってこなかったからではないだろうか。ちょっとしたやさしさでもかまわないから、たまには奥さんに見せることだ。若い頃からのその積み重ねが記憶として残り、それらを共有していくことにこそ、夫婦の意味がある。夫婦というのも人生と同じく、共有した記憶以外の何ものでもないのである。

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2005年04月18日

火山博物館

火山博物館

 北軽井沢には、嬬恋郷土資料館と火山博物館という2つの浅間山関係の博物館があります。どうして2つもあるのでしょうか? 一言で言うと、運営している自治体が違うのです。つまり、

  嬬恋村の運営 =嬬恋郷土資料館
  長野原町の運営=火山博物館

という図式になります。そして、面白いことに、火山博物館は嬬恋村の中にあります。長野原町の町立博物館なのに嬬恋村の中にあるのです。すごいことですね。これって、京都府立博物館が、奈良にあるより変です。

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 さらに凄いことには、嬬恋村にある博物館であるのにもかかわらず、嬬恋村から入れない博物館であるということです。つまり火山博物館に入るには、長野原町からの専用道路でないと入れなかったことです。しかし、これではあんまりだということになり、最近は嬬恋村からも入れるようになりました。

 ちなみに、この火山博物館は、以前はボロボロの博物館で、いつ倒壊してもおかしくないような建物ではした。しかし、最近になってディズニーランドも真っ青の施設に新装オープンし、最新のハイテクを駆使し、様々な角度から浅間山の生い立ちや周辺に生息する動植物の姿も知ることができ、さらに火山の魅力を体感することができるようになりました。


嬬恋郷土資料館 vs 火山博物館

 では、嬬恋郷土資料館と火山博物館のどちらを先に見るべきなんでしょうか? どっちか片方しかみる時間がないととしたら、どちらを選択すべきなのでしょうか?

 大人だけなら嬬恋郷土資料館。
 幼児つれなら火山博物館です。

 火山博物館は、いうなればディズニーランドと土産物屋が合体したようなところです。真面目に火山の勉強しようという人にはむいていません。逆にいうと、大人には、ものたりないというか、そこらへんにある博物館と同じだといっていいです。けれど幼児のお子さんにはむいていると思います。

 それから火山博物館には、浅間園というハイキングコースがあり、溶岩の中を散歩できます。途中に吊り橋があったりして、家族で歩くのにちょうどいいコースになっています。
 また、浅間記念館というバイクの博物館もあります。これは、終戦直後に行われたバイクレースを記念して世界中の古いバイクを展示してあります。バイク好きにはたまらない博物館が併設されているわけです。

 嬬恋郷土資料館の特徴は、歴史解説にあります。火山博物館が理科系の博物館だとしたら、嬬恋郷土資料館は文化系博物館です。しかも鎌原観音堂という歴史遺産、創作実習館という創作伝統の実演館まであります。そして前にも言ったように、2階の映画館では、とても興味深い映画を上映しています。

http://kaze3.com/gyh/1-kitakaru/kazan/kazan.htm


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2005年04月17日

男だって

男だってケーキを食べたい!
 私は甘い物が嫌いです。でもシュークリームは大好き。子供の頃に生れて初めてシュークリームを食べたときは、この世にこんなに美味しい食べ物があるのだろうかと感動し、小遣いをためてはセッセとシュークリームを買いに行ったものです。最近は無くなりましたが、以前はシュークリーム5個を昼御飯がわりに食べていたこともあります。

「そんなことでは栄養失調になるぞ」

と忠告されても

「小麦と牛乳と卵でできているから栄養価は高い」

とへ理屈で反論していました。

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 それからモンブランも好きです。マロンクリームと栗の入ったあのケーキを初めて食べたとき、これこそケーキの王様であると思いました。それまでは栗ヨウカンこそが菓子類の王様であると思っていたのですが、

「やっぱりモンブランだよな」

と思うようになりました。私は栗に目がないのです。栗が入っていれば大喜びする性格なのです。イチゴのショートケーキより栗のモンブランの方が大好きなのです。だからもし、イチゴ大福の代りに栗大福があったら、真っ先に食べていると思います。


 ある日のことです。ふと神田の町を歩いているとケーキ屋さんがあり『モンブランシュー』なるケーキを発見してしまいました。

 それはフランスパンのような横長のケーキで、シュー皮の下生地に栗を並べてマロンクリームをぶっかけ、そのうえにまたシュー皮を乗せてカスタードクリームをたっぷりかける。そしてその上にスポンジケーキを乗せて生クリームをかける。最後にはマロンクリームで表面を固めてチョコレートをまぶすといった、超豪華なケーキが、たったの千円で売っていたのです。

「食べたい」

と思った私は、さっそく昼飯がわりにモンブランシューを買いに店内に入りました。すると、そこには女の子が並んでいました。一瞬とまどいつつも勇気をふりしぼって私は言いました。

「モンブランシューを下さい」

 すると店員さんが

「御誕生日ですね?」

と言ってきます。私は焦りました。

「え? あ、はい・・・・」
「名前は何ですか?」
「私ですか? 私は佐藤ですが・・・・」
「いえ、御誕生日になる子の名前です」
「え? あ? あ〜、●●です」

 慌てたデタラメな名前を口走ってしまいました。
 しかも女の子の名前だった。
 店員さんは、よもや私が
 モンブランシューを食べるとは思ってなかったようです。

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「ちゃんずけにしますか? さんずけにしますか?」
「はあ?」
「●●ちゃんとケーキに名前を入れるほうがいいですか? ●●さんとケーキに書くほうがいいですか?」
「ああ、はい。そうして下さい」
「ロウソクは何本にしますか?」
「7本にしてください」
「7本ですか。小学1年生ですね。さぞかしかわいらしいお子さんなんでしょうね」
「え? ええ、まあ・・・・」

 私は、完全にパパにされてしまっていました。店員さんは、彼女にプレゼントするケーキであるという美しい誤解は、まったくもって、してくれませんでした。

「それではランドセル形のチョコをサービスしておきますね」
「ああ、ありがとうございます」

 こうして恐怖のモンブランシュー購入事件は終りました。もう私は正々堂々と自分が食べるケーキを買うことができなくなる歳になってしまったようです。しかし、私は声を大にして言いたい。
「男だってケーキを食べてもいいではないか!」
 すると、冷たい北風がピューピュー吹きつけました。公園の片隅でランドセル形のチョコをかじる私の背中は寒かった。


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追伸
・ヨウカンは端の方がすきだ!
・アンコはツブアンの方がすきだ!
・ミツマメよりアンミツだと思う。
・チョコレートパフェにフレークを入れるのは邪道だと思う。
・煎餅にマヨネーズをつけて食べると意外においしい。
・アーモンドチョコは、
 チョコ全部を口の中で溶かしてからアーモンドをかじる!

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2005年04月16日

ハイジ

ハイジ

 北軽井沢ブルーベリーYGHから、徒歩0分。約30メートルの所にあるのが『ハイジ』です。手作りケーキとコーヒーの店で、ケーキは絶品です。また、小さなログハウスのお店は、雰囲気も良く木陰にテーブルもあります。爽やかな空気とコーヒーの香りを楽しむ事が出来る店で、店内はリースで飾られています。そしてリースは販売もしています。そして、軽井沢のパン屋の老舗、「浅野屋」から取り寄せたパンを使った、限定10食の日替わりランチもあります。

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 ところで今日は、皆さんに朗報!があります。ユースホステルの会員証を持って『ハイジ』でランチを注文すると、なんとデザートがサービスになることになりました。ハイジの手作りケーキは、ここで徐々に紹介していきたいと思います。

 北軽井沢へ訪れるリピーターの方なら一度は入ったことのある喫茶店ハイジは、自宅でケーキ教室をしているだけに、ケーキのお味はばつぐんです。毎日、クグロフ等の焼き菓子からショートケーキにわたって色々と作っています。


 前回に引き続き、ブルーベリーのお隣にある喫茶店「ハイジ」のケーキです。手作りケーキのおいしさに、ホームページの取材の為、と理由をつけては通ってしまいます。これはオレンジケーキ。アーモンドが入ったふわふわの生地の中にオレンジピールが焼き込んであります。素朴なパウンドケーキのようでいて、繊細なスポンジケーキのような柔らかさも持っている、そんな上品さと素朴さを合わせもった味でした。

 ハイジのケーキは、はじめはケースの中から好きなケーキを選ぶようになっているのですが、食べる時には、さらに、独自のデコレーションをして出してくれます。それは、美味しい生クリームだったり、庭に生えているミントの葉だったり、秋には紅葉した葉っぱだったり。ママさんのセンスの良さで、いつもプラスアルファの楽しさがあります。ケーキの味だけでなく、お店の雰囲気や、見た目の美しさ、楽しさ、ママさんの気配りがいろんな所に感じられるのです。

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2005年04月15日

パンカーラ

パンカーラ

 2004年5月1日、北軽井沢に新しいレストラン「パンカーラ」がオープンしました。オープン前から、度々ここの名前を聞いていました。と、いうのは、ブルーベリーに泊まりに来るお客さんが、パンカーラのオーナーの友人だったり、元同僚の方だったりと、パンカーラに縁の深い方ばかりだったのです。オープンから半月後、やっと訪れることができました。

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 パンカーラの場所は、国道146号沿い、北軽井沢交差点から10分ほど北上した左側にあります。みるく村の前です。看板には、南米音楽の楽器が描かれています。ここのレストランではフォルクローレの生演奏が聴けるのです。

営業時間・11時30分〜14時 18時〜22時

フォルクローレ


とても幸運なことに、スタッフの方達が、「コンドルは飛んでゆく」を演奏してくれました。今まで料理を運んでくれていたスタッフの方が、衣装と帽子をつけて、ミュージシャンに早変わりです。お店の混み具合によって、常にリクエストできるわけではないですが、タイミングが合えば、演奏していただけるかもしれませんよ。フォルクローレというのは、何だかストレートに胸を打つ感じがしますね。おいしいランチと良い音楽に囲まれて、ゆったりした時間を過ごすことができました。パンカーラのスタッフの皆さん、ありがとうございました。また、ゆっくり生演奏を聴きに行きたいです。
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2005年04月14日

春ですね

 北軽井沢に遅い春がやってきました。特に今日は、とても良い天気で、ポカポカ陽気でした。残念ながら、まだ新緑というわけにはいきませんが、あと1週間もすれば、木々も芽吹いて春を告げるウグイスが鳴きはじめるのではないかと思います。さすがに朝は寒いですが、午前中はポカポカ暖かいですから、マウンテンバイクで浅間牧場や浅間大滝なんかをめぐるには、もってこいの季節になってきました。

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 そうそう、休館中だった火山博物館も、オープンしましたよ。たくさんのハーブが咲き乱れる花木園は、もうちょっと後のゴールデンウイーク直前の開園になりますけれど、今、雪が、凄いスピードで溶けていますから、場合によっては、もっと早く開園になるかもしれません。それから鬼押出し園の方は、だいぶ雪が溶けていて、良い感じなっています。

 それにしても、今年は、雪の多い年でした。
 異常でしたね。

 逆に言えば、ゴールデンウイーク直前に開通する万座〜志賀高原道路が、ちょっと楽しみなんですよ。というのは、高さ10メートルにものぼる雪の壁が、今年は、しっかりと残っている可能性があるからです。ゴールデンウイークに、こちらに来られる皆さんは、ぜひ、この雪の壁を楽しみにされると良いと思います。



posted by マネージャー at 18:44| 群馬 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 北軽井沢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月13日

御挨拶

 はじめまして、
 北軽井沢でユースホステルとペンションを経営している者です。
 これから北軽井沢について何でも語ってみようかなと思っています。

 北軽井沢ブルーベリーYGHは、北軽井沢にあるユースゲストハウスです。詳しくは、ホームページの http://kaze3.cc/ を御覧頂ければ、わかるかと思いますが、ちょっとグレードの高いペンションタイプのユースホステルなんですね。もっと、分かり易く言うと、かなりアットホームなペンション言ってもいいかもしれません。

 北軽井沢ブルーベリーYGHは、オープンして5年になりますけれど、この5年で、ずいぶん北軽井沢の事を知るようになりました。そこで北軽井沢の生活を少しづつ、ここで紹介していこうかなあと、思うようになりました。というわけで、この日記を読んでくれている皆さん、今後とも宜しくお願いいたします。

 あ、そうそう、私はペンションも経営しています。
 ペンション・ティンカーベルというペンションです。

  http://homepage3.nifty.com/bbe/

 こちらも、宜しく御願いいたします。
posted by マネージャー at 16:36| 群馬 ☔| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 2009以前 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月12日

このブログの御案内

相互リンク・トラックバック大歓迎

 このブログは、相互リンク・トラックバック大歓迎のブログです。と言うか、むしろ、御客様や、見知らぬ大勢の皆さんと、相互リンク・トラックバックをジャンジャン行うために作ったブログです。友達の友達は友達だと言いますが、たくさんの皆さんと友達の輪を広げて行けたらいいなと思っています。

 それから私は、宿泊施設業を営んでいますが、このブログは、決してビジネスブログではありません。まあ、そういう要素が全くないとは言えませんが、どっちかといえば商売ではなく、個人的な趣味の世界が大半です。

 ですから、きわめて個人的な趣味の世界を書き込んでますし、けっこう本音トークを書いてますので、失礼な表現が一部でてしまっているかもしれません。御了承ください。というか、今のうちに謝っておきます。私の宿に興味をもたれた方は、こちらにどうぞ。営業モード(?)で応対させていただきます。

2004-9-09.jpg

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posted by マネージャー at 13:04| Comment(3) | TrackBack(1) | 日記 2009以前 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする