日本人に最も愛されてきた食べ物はなにか?
それは、ラーメンとカレーライスではないでしょうか?
私は子供の頃、夕食がラーメンの場合、グラウンド5周のマラソンをして腹を空かし、夕食がカレーライスの場合、グラウンド10周して腹を空かしたものでした。
なぜカレーライスの方が5周多かったかと言いいますと、ラーメンにはインスタントがあり自分で作れるにもかかわらず、カレーライスの方は母親に作ってもらうしかなかったからだ(大塚のボンカレーが出現するとカレーライスもグラウンド5周になってしまった)。そういう意味でインスタントラーメンを発明した奴は、本当に偉いと思います。
ところでインスタントラーメンの歴史は、
日清食品と
明星食品の
激しい勢力争いからスタートしました。そして私が生れて初めて食べたインスタントラーメンは、日清食品のチキンラーメンでした。
小学校に入る前、アニメ『オバケのQ太郎』に出てくるラーメン好きの小池さんが食べているチキンラーメンを食べたくて親にねだったのがきっかけでした。
ちなみにこのチキンラーメンは、世界初のインスタントラーメンで、昭和33年に日清食品で販売され大ブームになっています。そしてこのチキンラーメンは、私が生れ育った佐渡島の奥地では大変重宝されていました。というのも、当時(昭和30年代)の佐渡島では、冬になると船が欠航し、道路が閉鎖されたりして、新聞雑誌や食料物資が奥地まで届かなくなったからです。
しかし、チキンラーメンの天下は長く続きませんでした。『オバケのQ太郎』の放映が終了し、『パーマン』の放映が始まると子供たちの感心はチキンラーメンではなくパーマン2号のトレードマークであるバナナ(当時は貴重品)に向かいました。
しかも昭和41年に明星食品の『明星チャルメラ』が衝撃デビューしてしまいました。明星チャルメラは、チキンラーメンより数倍美味しく、しかもスープとスパイスがついていました。
というのも今でこそ当たり前のように付いているスープとスパイスは、明星チャルメラがでるまでは付いてなく、自分で味付しなければいけなかったからです。
しかも明星チャルメラには屋台のおじさんの絵が書いてあります。殺風景な袋に入ったままのチキンラーメンなんかより、数段おしゃれな感じがしたために、子供たちは明星食品のチャルメラに親しみを感じたことは確かです。
しかし、日清食品も黙ってませんでした。昭和43年に新製品『出前一丁』を発売したのです。
「チャルメラがスパイス付きなら、出前一丁は胡麻ラー油で勝負だ」
とばかり胡麻ラー油を付けてきました。しかし、実はこれが佐渡島の子供たちに評判がよろしくありませんでした。手がベトベトしてしまうからです。しかし日清食品はへこたれません。
「チャルメラが、おじさんキャラクターなら、出前一丁は子供のキャラクターで勝負だ」
と出前の子供キャラクターの袋になっていましたが、これも評判が悪かったです。佐渡島の子供たちは、おじさんキャラクターに信頼感を感じていたのです。やはり明星チャルメラの優位はゆるぎませんでした。
しかし、日清食品はインスタントラーメン界に革命をおこします。昭和46年にカップヌードルを発売したのです。これはチキンラーメンをカップに入れたという、ただそれだけのものであったのですが、当時の人々には衝撃でした。それは
●英語で書いてある。
●ラーメンでなくヌードルである。
●ドンブリでなくコップスタイルである。
●従って立って食べられる。
●CMでも立って食べるシーンばかりだった。
●箸ではなくフォークだった。
●かやく(具)が入っていた。
という点で革命的でした。特に「歩きながら食べてもつゆがこぼれないラーメン」という点が斬新でした。
そのうえ日清食品は、『ヤングオーオー』という番組のスポンサーになり、これでもか、これでもかという具合に若者にアピールしたためにカップヌードルを街中で歩きながら食べることは、かなりおしゃれなことになってしまいました。そのため
日清食品=おしゃれ(カップヌードル)
明星食品=レトロ(明星チャルメラ)
という図式ができあがりました。
しかし、明星食品は負けてませんでした。昭和50年に『ちびろく』を発売。これが一大ブームとなるのです。これは小さな麺が六つ入ったインスタントラーメンで、
「坊やがちび1、ママがちび2、パパがちび3」
と麺の分量を加減することができるラーメンでした。あくまでも明星食品は袋入りインスタントラーメンで勝負をしてきたのです。いさぎよかった。
そして明星食品はカップラーメンも販売しました。こちらは丼カップで勝負だとばかり、『明星ラーメントン吉くん』と、やはりレトロなイメージで勝負をかけてきたのです。紙面が無くなってきたので今回の講座は、これまで。
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