ところで、ニホンカモシカが動物園などの施設で、本格的に飼育・繁殖等を研究され始めたのは戦後になってからでした。戦前においては、繁殖も成功例はなく、動物園もサジをなげている状態でした。
しかし、第二次大戦のために全国各地の動物園は、動物たちを失ってしまい、もう一度、動物を収集することになると、にわかにニホンカモシカが注目されてきたのです。 ニホンカモシカは欧米の動物園ではとても珍重される動物で、入手を希望する国が多いことから、ニホンカモシカの飼育繁殖に成功すれば、それと交換することによって、多くの貴重な動物を手に入れる可能性がでてきたから、ニホンカモシカの研究は大変重要なポイントをしめるようになりました。
しかし、人間がカモシカを飼育するというのはとても難しいことでした。
ストレスに弱い動物だったからです。
捕獲して動物園までの輸送中に死んでしまうことが多く、動物園に着いても、人の与える餌に馴染もうとしません。若いニホンカモシカでなんとか餌付けに成功しても、人間の飼育下にあるというストレスから消化器系の故障をきたして死んでしまったり、こどもにしても環境の変化に対応できないストレスで抵抗力が衰えて肺炎をおこしやすく、すぐ死んでしまいます。
昭和38年3月、文化財保護委員会、林野庁、全国の動物園や博物館の代表者が集まって「特別天然記念物カモシカの保護についての打ち合わせ会」(のちの「カモシカ会議」の発端)が催されます。この会議で、全国の動物園・博物館が協力して共同捕獲・共同飼育を行い増殖をはかることになり、
三重県御在所岳の日本カモシカセンター
大町山岳博物館、
立山風土記が丘カモシカ園、
京都市動物園、
神戸市立王子動物園
の5ヶ所で飼育実験が実行されることになりました。
そして、昭和40年にはじめてニホンカモシカの飼育下での繁殖は成功したのです。ただし、海外の動物園に輸出するまでにいたっていません。ストレスに弱いために、移動の困難からなかなか実現できないようです。 これは国際的にも珍しい事例ですが、外交の際の友好の証としてのみやりとりされ、日本国の代表として活躍する動物なんですね。つまり、ジャイアントパンダと同じくらいに貴重な動物なんです。いや、それ以上なんです。海外の動物園での希少価値は、パンダ以上であると言っても過言ではありません。