2005年10月10日

市村記念館

市村記念館

 市村記念館は、近衛文麿公、市村今朝蔵が別荘として利用したものですが、平成9年、長倉の雨宮御殿の中に移築され、市村家より町に寄付されました。

 ここで重要なキーワードがでてきます。

 近衛文麿
 市村今朝蔵
 雨宮御殿


です。何のことか分からないという方に、この3つを説明します。まず、近衛文麿とは、有名な総理大臣の名前です。つまり、市村記念館は、近衛文麿総理大臣の別荘なんですね。それがどうして『市村記念館』なのかと言いますと、市村今朝蔵という人が、近衛文麿総理大臣から買って、ながいこと使っていた建物を町に寄付したから『市村記念館』なんです。市村さんの寄付だから、市村記念館なんですよ。

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2005年10月09日

フランスパン

フランスパン

 軽井沢といえばパン。パンといえば軽井沢というくらいに軽井沢のパンは有名ですが、恥ずかしながら、その事実を知ったのは、北軽井沢にペンションをオープンしてからでした。きっかけは、全国各地から軽井沢に修行に来ているパン職人さんたちが、私どもの宿に泊まりにくるようになってからです。そして、彼らのパンにたいする愛情を知るにつれ、パンに関する知識を仕入れるにつれ、うちの宿では安易にパンは出せないなという結論に達したのです。

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2005年10月08日

白糸の滝

白糸の滝

 浅間山の伏流水が湧き出した軽井沢の景勝地。落差3メートル、幅が70メートル。岩盤から湧き出した水が、幾千もの流れとなって見る人を魅了。カーテンのように水が流れ出るさまを見たときは感動ものです。白糸の滝は、川の水が落ちているのではなく、地下水が崖の途中から噴き出しています。そのため、本当に細い水の流れが無数に落ちています。

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 この滝の不思議なところは、水は伏流水のために年間温度が一定なことです。春は深緑の季節が特に美しいですね。近くの信濃路自然遊歩道付近では山菜狩りも楽しめ、夏は清涼感がたっぷり。もちろん秋の紅葉は美しいですよ。

 白糸の滝といえば、富士宮市の白糸の滝が有名で、規模や迫力という点では、軽井沢の白糸の滝の方が小さいですが、両者を較べるなんて野暮です。実際に現地に行ってみると日本庭園のようなこの景色に感動します。こちらの白糸の滝には、風雅というか、わびさびというか、心をうつ美しさがあります。大きければ、良いというものではないですよ。心をうつ滝なんですから。

 ちなみにシーズン中に行くときは、朝早く行くべきです。時間をずらした方が良いですね。駐車スペースが足りないからです。

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2005年10月07日

ショーハウス

ショーハウス(ショー礼拝堂)

 江戸時代の軽井沢一帯は、寒冷地帯であるため農作物には恵まれず、旅人が落とす路銀が唯一の収入源でした。しかし明治に入ると中仙道を歩く人はいなくなり、軽井沢は急にさびれていきます。寒冷地の軽井沢。高原野菜はまだ日本にはありませんでしたから、ろくに食べるものもない寒村でした。

そのうえ1884年(明治17年)、碓氷新道の開通により、宿場への人の流れは完全に絶たれてしまいました。しかし、この寂れた軽井沢が、イギリス人宣教師、アレキサンダー・クロフト・ショーの来訪によって盛り返すことになります。

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 明治19年、偶然、さびれた軽井沢へ通りかかったのが、カナダ生まれで英国国教会の宣教師、アレキサンダー・クロフト・ショーと友人の英語教師ジェームズ・ディクソンでした。彼らは、軽井沢の涼しい自然に祖国スコットランドの風景を思い出しました。彼は、この地を

「屋根のない病院」

と感動し、彼らは休業状態の旅籠『亀屋』を訪れて「一夏の間、借りたい」と申し出たのです。亀屋の主人・佐藤万平はこれを好機と捕らえ、外国人の生活習慣や彼らをもてなす技術を学ぶことにしました。そして明治27年(1894)に一部を洋風に改装して亀屋ホテルと名乗り、翌年、万平ホテルと改めます。

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 ところでアレキサンダー・クロフト・ショーは、よほど軽井沢を気に入ったらしく、明治21年に旧軽井沢の大塚山(だいづかやま)に小さな別荘を建てました。そして、友人の宣教師や日本の知識人たちにも勉強にもってこいの絶好の保養地であると紹介しました。その結果、外国人、財界人、文人、芸術家たちの別荘が増え、いくつかの教会も建ちました。

 当時の欧米人は、夏休みがあっても故郷への船旅は何ヶ月もかかってしまうので帰れなかったため、東京のうだるような暑さに耐え切れない欧米人にとって軽井沢は格好の避暑地となったわけです。1893年(明治26年)、碓氷新鉄道の開通で町はさらに発展、西洋文化の香り漂う高級別荘地へと生まれ変わりました。

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 また、欧米人が多く滞在するため、やがて、海外経験のある政財界人や貴族・皇族が避暑に来るようになり、そして作家・芸術家も別荘を持つようになり、「避暑地・軽井沢」のステータスが築かれていきました。例えば軽井沢のジャムやハムやソーセージ。または、ブランジェ浅野屋に代表される軽井沢のパン屋さん。これらは外国人が伝えた軽井沢の食文化のひとつでもあります。

(中山農園が一番古いジャム屋さんで、宣教師から教わった作り方で作った色々なジャムがあります。おすすめは「ペアジンジャージャム」。洋梨とショウガのジャムです)

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2005年10月06日

旧三笠ホテル

旧三笠ホテル

 旧三笠ホテルは、日本郵船や明治製菓の重役を務めた実業家の山本直良(1870〜1945)が創業しました。この山本直良という人は、有名な音楽家・山本直純の祖父に当たる人です。あの懐かしい森永製菓のTVコマーシャル『大きいことはいいことだ』や映画『男はつらいよ』の主題歌の作曲者としても有名であり、テレビ『オーケストラがやってきた』などでも活躍した山本直純さんののおじいちゃんなんですね。

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(2002年06月21日、指揮者山本直純氏が亡くなられました。業界では「彼が本気で音楽をやったら凄い指揮者になっただろう」といわれつつも、音楽の普及の方面で活躍した人で、テレビや映画音楽やコマーシャルソングや合唱など数々の名曲を残しています。興味有る方は、『森のうた―山本直純との芸大青春記−講談社文庫−岩城宏之著』をどうぞ。今では考えられないような信じられない実話に圧倒されます。孫も、おじいちんに負けず劣らずの大物です)

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 明治37年、三笠山のふもとに土地25万坪を購入しする山本直良は、はじめは牧場を営むことを考えていましたが、土壌に問題があり断念しました。そこで定宿の万平ホテルの主人に知恵を借り、三笠ホテルを造ることを決意し、設計を欧米に学んだ岡田時太郎に、監督を、商売敵であるはずの万平ホテルの佐藤万平に頼みました。

 佐藤万平は、商売敵になるホテル建築の監督を引き受け、万平ホテルを建てた軽井沢一の棟梁小林代造を紹介します。明治37年(1904)にホテルの工事を始め、翌38年に竣工したもので、すべて日本人によってつくられています。つまり日本が日本人設計者と日本人の技によって作り上げた明治日本の建築技術の粋を集めた西洋建築様式の建物でした。

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 ホテルの営業は明治39年(1906)5月に開始されました。電灯によるシャンデリア照明、英国製タイルを張った水洗便所、英国製のカーペットの採用など、当時の最先端・最高級の設備が整えられていました。驚くべき事は、客室30に対し定員は40人というところです。この割合には、驚嘆するしかないですが、見学に行けば、もっと驚くこと間違いないです。あの規模で定員40人というのは、現在、日本中のどこを探しても見つからないでしょう。第一、今の三笠ホテルは、当時の半分しか残ってないのです。

 そのうえプールもありました。明治39年のホテルにプールとは、本当に驚きますが、それよりも水洗トイレが完備していたことや、電灯によるシャンデリア照明を備えていたことにも驚かされます。

 また、軽井沢駅までの約2キロの道のりを黒塗りの馬車で送迎するなどのサービスもあり、その豪華さゆえ、渋沢栄一や団琢磨(旧三井財閥総帥)、住友吉左衛門(旧住友財閥総帥)、乃木希典将軍、近衛文麿、有島武郎、里見淳、清朝最後の皇帝溥儀といった名だたる顔ぶれが宿泊する、華やかな社交の舞台でした。人々は、この三笠ホテルを

『軽井沢の鹿鳴館』

と呼びました。それにしても、これだけ豪華だと三笠ホテルは、万平ホテルとは競合しなかったかもしれません。

 ちなみに創設者の山本直良の奥さんは、作家有島武郎の妹でした。そういううこともあって、三笠ホテルは白樺派のサロンとしても利用されました。また英国から取り寄せたすべての洋食器には、弟の画家有島生馬が絵付けを行いました。

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 また山本直良は、ホテル業以外にも有島家と親交のあった当代の陶芸家宮川香山らを京都から招いて三笠焼を開窯。また、あけび細工や軽井沢彫りなど地元の工芸品を奨励販売しました。外国人宿泊者にも珍重され、これらの工芸品は、現在、軽井沢の貴重な郷土の宝となっています。ました。しかし、経営は赤字続きでホテルは大正14年に手放され、昭和45年にはホテルとしての営業に幕を下ろしました。なお、窯のために直良が植林した赤松が今も三笠一帯に残っています。

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2005年10月05日

嬬恋郷土資料館

嬬恋郷土資料館

 北軽井沢最大の観光地は、なんといっても鬼押出園です。しかし、意味もなく鬼押出園にいってはいけません。その前に嬬恋郷土資料館に行くべきです。最初に嬬恋郷土資料館に行き、展示物には目もくれずに、2階にあがって上映されている映画を見るべきなのです。

 何事にも基本というものがあります。北軽井沢を極めるのも、基本から入っていく必要があります。そのためには、北軽井沢の歴史と火山関係について基本的なことを知っておく必要があります。それを手っ取り早く教えてくれるのが、嬬恋郷土資料館の2階でやっている映画なのです。

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 さて、どうして、浅間山噴火が、映画『男はつらいよ・フーテンの寅さん』と関係があるかと言いますと、嬬恋郷土資料館で映画『男はつらいよ・フーテンの寅さん』を上映しているというわけではありません。寅さんが産湯を使った、葛飾柴又の帝釈天。あの御前様が住職をしている帝釈天との間に深い関係あるのです。詳しくは映画をみてもらいたいのですが、ここで簡単な説明をしておきます。

 江戸時代の中頃のことです。東京の荒川に突然、大量の死体が流れつきました。当時の江戸市民が、それを供養したのが葛飾柴又の帝釈天のはじまりですが、いったいどうして、大量の死体が荒川を通って江戸湾まで流れ着いたのでしょう?

 1783年(天明3)、7月8日の午前10時。浅間山が大爆発しました。土石流は、ものすごい勢いで高速の土石流となって、鎌原村をはじめ多くの集落をおそいました。そして何千という人間を、延命寺の石碑や、常林寺の鐘を何十キロも先に押し流し、死体は遠く江戸湾まで流されました。

 中山道は寸断され、軽井沢宿は全戸が焼失。この時の噴火による軽石は、高崎から伊勢崎、本庄方面にも飛んでいき、軽井沢や碓氷峠では1.5メートル、本庄辺でも10センチ前後も降り積もりました。火山灰にいたっては、成層圏にまで達して長く滞留し、日光をさえぎったために、日射量が減じたために真夏なのに防寒着(綿入れの着物)がないと寒くて暮らせなくなりました。

 土砂は吾妻川をせきとめ、一時的にダム状態になり、これが決壊して洪水が発生。利根川が大洪水となりました。こうして大勢の人間が一瞬にして死んでしまったわけですが、観音様のおかげで奇跡的に生き残った人たちもいました。嬬恋郷土資料館の映画は、奇跡的に生き残った人たちのその後についても解説しています。

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2005年10月04日

西崎アニメ

西崎アニメ

 宮崎アニメもいいですが、西崎アニメも忘れられませんね。特に『海のトリトン』は名作でした。トリトン族のトリトンが、悪のポセイドン族と戦って勝利する物語なのですが、勝利した瞬間、悪の手先は自分自身であって、ポセイドン族は被害者であることがわかってしまいます。トリトンは絶望して、どこかに旅たつというストーリーでした。

 この『海のトリトン』の戦いシーンがまたファンタジックで、ポセイドン族が鮫・エイ・カメ・ちょうちんアンコウを味方にし、トリトン族は、イルカ・カメ・シーラカンスを味方にして戦かっていました。エンディングテーマ曲は、なぜか「かぐや姫」が歌ってました(作詞:伊勢正三/作曲:南こうせつ)。

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♪海の底の昼さがり
 そっと耳を澄ませてごらん
 虹色のサンゴ礁の向うから
 きこえてくるよ 海の底のオーケストラ♪

 西崎アニメといったら『宇宙戦艦ヤマト』も忘れられません。このアニメの凄いところは、単純なドンバチ戦争がほとんどなくて、心理ゲームの戦いが繰り広げられているところです。そして高度な戦略。見応えのあるアニメでした。

 ところで、この『宇宙戦艦ヤマト』には、いろんな不可解な謎があります。まず、かならず第三艦橋から被害をうけることです。最初にやられるのは、なぜか必ず第三艦橋なのは、なぜでしょう? それからガミラス星人は、最初、ガミラス語を話していたくせに、いつの間にか日本語をしゃべるようになり、最後には、ヤマトの乗組員と会話までしているのは何故? さらに、滅茶苦茶にヤマトが破壊されても、次の週になると新品のヤマトになっているのは何故なんでしょうか? それにヤマトは、船体上部に大砲がついていて、船体下部は丸裸なのに、どうして敵は、丸裸の船体下部を攻撃しないんでしょうかね? そういえば『宇宙戦艦ヤマト』は、これでもか、これでもかというくらいに続編がつくられましたね。まるでフーテンの寅さんみたいに・・・・・。あのマンネリ攻撃にはウンザリしました。だから私は、パート2までしか見ていません。

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2005年10月03日

マンネリアニメ

マンネリアニメ

 でも、マンネリと言っても、面白いマンネリもあります。タツノコプロのタイムボカンシリーズなんかです。このシリーズは、アニメ界の水戸黄門と言ってもいいくらいにマンネリを売り物にしていました。

 その上、主題歌を国民的演歌歌手「橋幸夫」が、演歌で歌っていたわけですから驚きます。当時、タイムボカンを見ていたアニメファンたちは、橋幸夫の演歌を歌っていたんですねえ。すごいことです。『科学忍者隊ガッチャマン』もタツノコプロですが、これもマンネリアニメでしたね。でも面白かった。しかし『科学忍者隊』のくせに、どう考えても科学的ではないんですよね。初歩的な物理の法則を無視しているんですから。

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 それから『新造人間キャシャーン』も忘れてはいけません。これは、公害や環境破壊を減らす画期的なロボットを開発した結果、そのロボットが、これ以上の環境破壊を防ぐためには、人間を皆殺しにする必要があると判断して、環境保護のために人間を皆殺しにするという物語でした。

 しかも、そのロボットを開発してしまった博士は、責任を感じて、家族をアンドロイド(改造人間)にして、環境保護ロボットたちと戦う。最後には核兵器を使ってロボットたちを破壊し、ますます環境を悪化させるわけですから泣けてきます。暗いアニメなんですね。おっと、ページがなくなったので、ここらで筆を置きます。


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2005年10月02日

宮崎アニメ

宮崎アニメ

 ちょっと待って!
 『パンダコパンダ』を忘れてはいけないのでは?

 という人も多いかと思います。東映まんが祭りの最高傑作が『長靴をはいた猫』なら、東宝チャンピオン祭りの最高傑作は『パンダコパンダ』でしょう。この作品は、なんと宮崎・高畑・大塚トリオで作られており、全編大笑いのアニメになっています。しかも、登場するパンダが『トトロ』に似ているんですね。どうでもいいけれど、どうして宮崎アニメは、アニメに登場するキャラクターが似たようなものが多いのでしょうかね? クラリス・ナウシカ・もののけ姫の3人は、とてもよく似ていますよね。

 そうそう、宮崎アニメも忘れてはいけません。私が一番好きな宮崎アニメは、『風の谷のナウシカ』ですね。当時22歳だった私は、1ヵ月かけて30回くらい『風の谷のナウシカ』を映画館でみたものです。そしてその結果、子供の頃に森で遊んでいた自分を思いだしして、狂ったように登山したり、森に入るようになりました。私はナウシカに影響されて山に入るようになった口なのです。そういえば『風のたより』で知床を探険している時も、ハイ松を腐海、ヒグマを王蟲にみたてて、ナウシカの歌を歌いながら前進していました。気分はいつもナウシカだったのです。

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 ところで宮崎アニメには『未来少年コナン』『ルパン3世カリオストロの城』『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『紅の豚』『魔女の宅急便』『耳をすませば』『もののけ姫』と、いろいろありますけれど、皆さんは、どの作品が好きですか? 『風のたより』でアンケートをとると、圧倒的に『天空の城ラピュタ』になりますが、これは少年冒険ラブストーリーだからでしょうね。それに歌もよかった。あと、女の子に人気があるのが『ルパン3世カリオストロの城』で、宮崎アニメで一番笑えるアニメです。けれど『長靴をはいた猫』にそっくりなのは、どうしてでしょうか? 私の好みを言えば、『耳をすませば』が好きですね。とくに主題歌のカントリーロード大好きです。

♪ひとりぼっちおそれずに
 生きようと夢みてた
 さみしさ押し込めて
 強い自分を守っていこ
カントリー・ロード この道ずっとゆけば
あの街につづいてる気がするカントリー・ロード

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2005年10月01日

日本最高傑作のSF映画

日本最高傑作のSF映画

私はSF映画が大好きなのです。そこでSF映画の好きな読者に聞いてみたいのが『アルマゲドン』と『デープインパクト』のどちらが面白かったか?という質問です。両方とも、彗星が地球にぶつかってしまうので、その前に彗星を破壊してしまうという映画なのですが、映画の雰囲気はまるで正反対。

『アルマゲドン』は、あくの強い登場人物が戦うドラマ。『デープインパクト』は美しい人間ドラマ。どっちが好きかと言われれば圧倒的に『アルマゲドン』です。B級映画ですけど『アルマゲドン』の方が人間臭くて好きです。私は、駄目人間が、極限状況でものすごい力を発揮して地球を救う映画の方が好きですね。

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では、『スターウォーズ』と『スタートレック』ではどうか? 私は断然『スタートレック』派です。何故なら、『スターウォーズ』がチャンバラ映画であるのに対して『スタートレック』の方は、会話の映画だからです。

『スタートレック』の面白いところは、会話にあります。どんな場面でも論理的であろうとするミスタースポックと、いつも感情的に反応するドクターマッコイの喧嘩が楽しいのです。しかも、この2人は喧嘩しながら敵を倒していき、勝利するのですが、勝利した後でも喧嘩を続けます。そこが楽しいのです。

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楽しいと言えば皆さんは、『勝利の日まで』というSF映画を知っていますか? これは、戦争中に作られた作品にもかかわらず、日本におけるSF映画の最高傑作かもしれない作品です。しかも、ミュージカル映画ときています。 どんな映画かと言いますと、ある博士が、戦争で戦っている兵士を慰問するために、あるロケットを開発します。そのロケットには娯楽が積められていて、それを前線に撃ち込むのです。

しかし、このロケットが、あちこちの島に滅茶苦茶に落ちるものだから、さあ大変。海に落ちたり、敵陣に落ちたりする。落ちると爆発して中から東宝のオール・スターが出てくる。つまり娯楽が出てくるのです。 ミュージカル仕立てで、ドンパチ戦っている前線で、ロケット弾が落ちてくると、美人歌手が胸はだけて三人くらいパッと出て来て、パーッと歌って消えたりします。こんな映画を戦争中に作っていた日本という国は、かなりあなどれまなせん。

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