出版までの経緯を述べるのは、簡単ではありません。しかし、一部のユースホステル関係者、およびユースホステルマネージャーには、5年前からの周知のことであったと思います。
そうです。
あれは5年前のことです。
私が北軽井沢ブルーベリーYGHを開業した年は、日本ユースホステル協会五十周年記念の年でした。そして、東京の国立オリンピック記念青少年総合センターでラリーが開催されていました。
ユースホステルの経営者は、ラリーへの参加義務がありました。私は、ユースホステル運動の研究部会に参加しました。その部会は、上田まほろばユースホステルのマネージャーである斉藤さんと五十年史編集委員の磯野さんが中心になってやっておられました。
そこには、今回、シルマン出版を応援してくれている、遠野ユースホステルのマネージャーや、トイピルカ北帯広ユースホステルのマネージャーさんも一緒に議論されておりました。お二方は、覚えておられるでしょうか?
議長は、今回のシルマン伝の出版において大変御世話になりました、日本ユースホステル協会の五十年史編集委員の磯野さんでした。ところが、その部会で磯野さんが、
「日本にはユースホステル運動を提唱したリヒャルト・シルマンの伝記が売られていません」
とおっしゃいました。正確に言えば、一九六三年に日本ユースホステル協会が出版した『ユースホステルの祖父 リヒャルト・シルマン』だけで、それも日本ユースホステル協会に数冊残っているだけだと聞きました。正直申しますと、その時の私は、
『リヒャルト・シルマンって、いったい誰よ?』
とシルマンについて全くもって無知だったのですが、それはともかく、
『仮にも世界の80ヶ国に約5500ヶ所の施設がある世界最大の宿泊ネットワークを作ったユースホステル運動の創始者の伝記が無い』
という状態が、本当に、ありえるんだろうかと思いました。落ちぶれつつあるとはいえ、2001年当時国内に13万の会員があり、国内に300以上の施設があるのです。その創業者の伝記がないと聞いて驚くなという方が無理です。
ショックを受けた私は、磯野さんに、自腹を切って一九六三年に日本ユースホステル協会が出版した『ユースホステルの祖父 リヒャルト・シルマン』を復刻出版したい。それをユースホステル協会に寄付したいと申し出ました。
すると磯野さんは、あとで事務所にいらっしゃいとおっしゃいました。