霊の見える話 その3
宿主というものは、因果な商売です。
車で移動中、御客様の気分が急変すると、
御客様データーに「○○さんは、車に酔いやすい」と記録します。
しかし、何度もデーターをとっているうちに○○さんは、
車酔いしない人であることが分かってきます。
そして、ある場所だけで、車酔いすることも分かってきます。
そういう御客様が、20人くらいでてくると、
さすがの私も、その場所に疑問がわいてきます。
逆に、御客様の中に、特殊な才能をもっている人もいる。
そういう人の区別も分かってきます。
ただ、御客様の中には、それを自覚されてない方も多く
半数以上の方は、なんで気分が急変するか分からないのですね。
つまり、自分の才能に気づいてないんです。
そういう御客様とは、こんな会話が成立します。
「気分わるいですか?」
「はい」
「車酔いですか?」
「どうも、そのようです」
「車酔いする方なんですか?」
「いえ、全くそういう事はないんですが、おかしいですねえ、どうしてなんでしょう?」
「(ある場所を離れると・・・・)」
「あ、大丈夫です、気分がよくなってきました」
と、こういう会話になるのですが、まれに御自分の力に気がついている方は、こんなふうに言ってきます。
「すいません、ちょっと、ここから離れてもらえますか」
「はい」
「・・・・」
「・・・・」
「もういいです」
ごくまれに、こういう御客様もいます。
そういう御客様とは、後でこっそり、能力について私から尋ねたりもします。
と、ここまで書くとオカルトっぽい話になってしまいますが、実は、この話のテーマは、オカルトの話ではありません。そういう不思議な能力をもった人と、おつきあいすることによって、ある法則を発見したという話です。不思議な能力は、決して、人を幸せにしないという話です。
つづく
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