2007年06月28日

三丁目の夕日的な貧乏生活9

三丁目の夕日的な貧乏生活9

 私がバイトした築地魚河岸の店は、明治生れの社長(旦那)が、とんでもない暴力男で、店員を容赦なく殴る蹴るクビにする。そういう恐い社長(旦那)のいる店でした。(注・築地では社長のことを旦那と言います)旦那は、入社してすぐに私の正体を見破りました。

「佐藤、お前、つんぼか?」
「・・・・」
「つんぼだって人並に飯を食いたいだろう? 俺はつんぼだから飯を半分、というわけにいかんだろう。ましてや体がでけえんだ、人よりよけいに食いたいはずだ」
「・・・・」
「食えばいい」
「・・・・」
「だが、食うためには、もっと堂々とせい。オドオドするな。はきはき返事しろ! 分からんことは分からんと言え。つんぼは、つんぼらしくしてみろ。俺はつんぼだって言ってみろ!」
「・・・・」

 それっきり旦那は、私を二度と「佐藤」と呼んでくれなかった。私を呼ぶときは「つんぼ」だった。

「お〜い、つんぼ!」
「この、つんぼ野郎が!」
「つんぼのくせに・・・・」

 これには、さすがの私も腹が立ちました。けれど、時がたつと意外なことを発見しました。私が難聴であることが、あっと言う間に市場中に知れわたったのです。

 築地市場は、三千軒の仲買がひしめき、狭い場内に10万人も働いています。みんな手鍵・包丁・解体刀などを持っており、難聴ではかなり危険なのですが、それがなんとかなるようになった。安全に仕事ができるようになったのです。

 旦那は、暴力もふるった。最初は腹がたったが、1年もたつと暴力は演技であることがわかってきました。旦那は、ヒール(悪役)を演じていたのです。おかげで回りの人が、いろいろ気遣ってくれるようになりました。私がの失敗をまわりがフォローしてくれるようになったのです。

 難聴の人間は、ボーッとしてるように見え、一見バカに見えます。そのために入社したての頃は、みんなから、かなりバカ扱いされたものですが、毎日のように旦那に殴られていると、よほど我慢強い人間と感心してくれるのか、高給で引抜きたいと言ってくれる人もでてきました。こうなると、昔どこにも雇ってもらえなかった自分が嘘に思えてくるから不思議です。これもすべて明治生れの旦那のおかげだと思いました。旦那は言います。

「つんぼであることに誇りをもて。オドオドすんな。お前は、つんぼを生かして、人様より上物を落としてこい」
「え、落とすって?」
「今日から競り場に行って競り落としてこいと言ってるんだ。お前は、今日から番頭だ」「(感激の声)だ、旦那・・・・」
「いいか、人様に迷惑をかけることをおそれるなよ」
「ハイ!」
「怒鳴られても、こずかれても、聞こえん時は聞えんと言えよ」
「ハイ!」

 この時の体験は、私の人生を決定したと言ってもいいです。旦那の考え方、旦那の生きざまに私は心服してしまった。旦那は、弱点をさらけだして生きろという。自信をもてという。

 旦那は、私に包丁の使い方を教えてくれました。私は高価な商品を次々と駄目にしましたが、旦那は絶対に怒りませんでした。旦那が怒る時は、危険な行為につながる基本の動作を無視をした時だけでした。

「馬鹿野郎! 何度言ったらわかるんだ! 包丁を持って移動するときは、切っ先を下に向けて、移動しろと云っただろう! 拳固くれてやるから頭を出せ」
「はい!」
「わかればよし! おれの拳固が痛くなるから今回は見逃す。次は容赦せんぞ」
「はい!」

 旦那は、暴力には1本の筋が通っていたのです。
 弱点を武器にする。
 人間を外見で判断してはいけない。

 この2つを築地市場で学んでから、私の人生は 180度変ってしまった。ボケと言われ、つんぼと言われても、それをポジティブに受け止めて生きる。たったそれだけのことで私の人生は見違えるように生き生きとしたものになりました。

 人間は外見では判断できない。こんな当たり前のことだって、旦那に出会うまでは、なかなか実感することはできませんでした。人は時にヒール(悪役)になるということだって、当時の私には目からウロコが落ちる思いでした。

おわり

次は、貧乏旅行論いきます

つづく


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2007年06月27日

三丁目の夕日的な貧乏生活7

三丁目の夕日的な貧乏生活7

 築地市場(魚河岸)で朝4時出勤の会社で働くことにし、池袋のアパートから築地へは、自転車で出社しました。ところが、朝3時頃の都内を自転車で通勤していると不愉快な目にあいます。警察に自転車の盗難を疑われ職務尋問されるのです。しかも、3〜4回も。これでは、30分ですむ通勤時間が、60分もかかります。へたしたら遅刻しますから、こっちはカリカリしますから、
「いいかげんにしろよ!」
怒鳴りますと、相手も人間ですから意地悪をしてきます。こういう時の警察の意地悪というのは、本当にたちが悪いですから、昼間に担当警察署に何度か、正式に抗議に行ったのですが、すると、相手もさるもので、こっちの話を親身になって聞いてくれた上で、警察側の事情も話してくれるので、
「しかたない」
と引き下がらざるをえなくなりました。まあ、お互いに事情をかかえてるということです。

 結局、早朝の自転車通勤は断念し、終電で築地に行き、市場で仮眠することにしました。すると、でてくること、でてくること、ムシたちや、ネズミたちが。いや〜すごいもんでした。気味が悪くて、とても寝られたものではないのですが、それも1ヶ月もすると慣れてくるから不思議です。そして、3ヶ月もすると、友だちに
「お前、魚屋のにおいがするな」
と言われるようになります。

つづく

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posted by マネージャー at 21:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 貧乏・貧乏旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

三丁目の夕日的な貧乏生活8

三丁目の夕日的な貧乏生活8

 コメントをチェックしてたら、かなり前に『貧乏ひとすじ三十年』さんから、つづきの要望があるではないですか。あまり人気のないコーナーかと思って連載打ち切りにしたつもりでしたが、もう1回続編を書きます。

 築地市場(魚河岸)で3ヶ月もすると、友だちに
「お前、魚屋のにおいがするな」
と言われるようになりました。

そうです。河岸で働くと体が魚臭くなるらしいのです。しかし、こんなことでめげる私ではありません。なにせ1980年に時給1500円ですからね。

 さて、ここで大きく話がずれてしまいますが、障害者には、2通りのタイプがあります。

  外見から全く想像のつかない障害者。
  そして見た目ですぐに分かる障害者です。

 一般的に言って、前者が軽度の障害者、後者が重度である場合が多いのですが、あくまでも一般論です。でも見た目は超人のようにみえていても、かなりのハンデを背負っている例がありますから油断なりません。こんな抽象的な話をしたところで、ピンとこないという人があるかもしれませんから、私の話を少しだけしましょう。

「私は子供の頃、ほとんど耳が聞えなかった」

と言うと、半分は嘘で半分が本当です。右耳は聞えないのは本当です。しかし、左耳は少しは聞えていた。けれど、それは耳鳴りがしなかった場合の話で、病院で聴覚検査をすると、決って耳鳴がしたために、重度の難聴に認定されました。

 ちなみに私が育った町は、離島の上に人口五千人という小さな町であるにもかかわらず、福祉施設が充実していました。そのせいか、私が小学校に入学すると学校に視聴覚教室という立派な設備を持った教室ができました。養護教室もありました。まだまだ日本が貧しかった昭和30〜40年代の話ですから、一つの美談に聞えるかもしれませんが、問題はそんなに簡単ではなかった。

 どんなに施設が完備され、立派な先生が配属されていても、世間にハートが無かったら何にもならない。特別教室に入ることで、仲間からひやかされ、馬鹿あつかいにされたら、やってられない。だから私は普通教室に入れてもらった。特別教室には、いろんな人たちがいて、みんな辛い思いをして・・・・ああ、これ以上は書く気にはなれない。

 そういう訳で、私は一般教室で6年間の小学生生活をおくったのですが、それが良かったのか悪かったのか? そこで私は一般人と何ら変わらぬ生活をする術(すべ)を身につけていました。そして、中学・高校と全く普通の人間として成長しました。

 転機がおとずれたのは、バイトをはじめてからです。

 何をやっても駄目、
 怒鳴られて蹴られて、
 すぐにクビになってしまう。

「お前は、確かによく働く。しかし、人の話をきかない」
「・・・・」
「生返事ばかりで、ぜんぜん人の話を聞いてない。☆☆を持ってこいと言っても、ろくに確かめもせずに◇◇を持ってくる。こんなことで世の中通ると思ってるのか?」

 口答えしたくとも答えられないジレンマ。耳が悪いと言った瞬間にクビになってしまうかもしれない。いや、そういう説明自体が通用しない。なぜ通用しないかの説明は、めんどうなので省きます。

 何をやっても、苦しくて切ない毎日。そんな日々か続きました。何度か会社をクビになり、健康診断などで不採用が続き、このままではろくなところで雇ってもらえないと知った私が、やっとありつけた仕事は、世界最大の魚河岸である築地市場。その店のバイト料は、1980年の物価で時給1500円。かなりの高給だったのですが、明治生れの社長(旦那)が、とんでもない暴力男で、店員を容赦なく殴る蹴るクビにする。そういう恐い社長(旦那)のいる店でした。

(注・築地では社長のことを旦那と言います)

 旦那は、入社してすぐに私の正体を見破りました。

「佐藤、お前、つんぼか?」
「・・・・」
「つんぼだって人並に飯を食いたいだろう? 俺はつんぼだから飯を半分、というわけにいかんだろう。ましてや体がでけえんだ、人よりよけいに食いたいはずだ」
「・・・・」
「食えばいい」
「・・・・」
「だが、食うためには、もっと堂々とせい。オドオドするな。はきはき返事しろ! 分からんことは分からんと言え。つんぼは、つんぼらしくしてみろ。俺はつんぼだって言ってみろ!」
「・・・・」


つづく

ちと、長くなったので、続きは明日、アップします

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2007年06月26日

三丁目の夕日的な貧乏生活6

三丁目の夕日的な貧乏生活6

 築地市場(魚河岸)で働くには、
 朝4時に出勤しなければなりません。
 ところが朝4時では、電車が動いてない。
 朝5時でないと築地には行けない。

 もちろん、職種によっては、朝5時からの仕事もありましたが、それだと時給が安いのです。

 贅沢にも私は、時給1500円を確保するために、朝4時出勤の会社で働くことにし、住んでいた池袋のアパートから築地へは、自転車で出社しました。通勤時間は30分かかりましたが、交通費がうくので、一石二鳥というわけです。途中、新聞奨学生たちと何度もすれ違いましたが、そのつど
『おはよう!』
と挨拶しました。最初、むこうは驚いてましたが、しだいにお互いが挨拶しあうようになり、いつしか、言葉をかわすようになり、友だちになっていきました。そうなると朝の自転車通勤は、ほんとうに楽しくなります。

 ところが、不愉快なこともあります。
 警察です。


つづく

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2007年06月25日

三丁目の夕日的な貧乏生活5

三丁目の夕日的な貧乏生活5

 最初は、カップ麺で病気を治し
 次には、カップ麺で健康を損なった

 こういう人間は、世界ひろしといえども私ぐらいのものでしょう・・・・と言いたいところなのですが、不思議なことに、おなじ体験の持ち主は、わんさかいました。いやはや、どうして、みんな同じようなことを考えつき、そして同じような道をたどるのでしょうか?

 私も、その後、ずるずると、多くの諸先輩たちが歩いた道を歩くことになります。
 ズバリ!
 高賃金の肉体労働に走って、
 少なくとも、立派な食事をとることです。

 新聞配達・配膳・工事関係・高所作業などなど、いろいろな職種についたわけですが、学業との両立を考えて最終的に落ち着いたのは、魚河岸の仕事でした。なにしろ時給がよかった。1980年当時で1500円以上ももらえました。当時の平均時給が450円くらいでしたから、今の感覚だと3000円くらいの価値はあったろうと思います。ただし、物価そのものは、今と当時はかわりません。むしろ当時の方が物価は高かったと思います。吉野屋の牛丼は1杯400円でした。今の方がよほど安いですし、当時は百円ショップもなかったので、なにを買うにも高かった。それなの
に初任給は12万円くらいでしたから、当時の人たちは、いかに質素に生きていたことか・・・・。みなさんよく、平均時給が450円くらいで生活していたと思います。

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2007年06月24日

三丁目の夕日的な貧乏生活4

三丁目の夕日的な貧乏生活4

 貧乏生活にも種類があるらしい。

 背後に何もない人たちにとっては、体だけが資本となります。絶対に体を壊すことができません。そのために食生活だけは絶対に確保する必用があります。というより、普通より贅沢すぎるくらいの食生活を確保しなければ、1日16時間労働、または苦学は成立しません。でないと必ず体をこわします。だからケチケチ節約などはしない。金を使うときは思い切り使う。

 しかし、家族と一緒に貧乏生活をするのであれば、こういう考えは棄ててもいい。誰かが節約しながら栄養を考えて食事を作ってくれるなら、こういう考えは棄ててもいい。倒れた場合、タクシーを呼んで病院に連れて行ってくれる人がいるなら、多少の無理をしてもかまわない。

 でも、そうでなければ、一人で生きるなら、多少贅沢しても自分の体だけは確保しなければならない。
 しかし、それが分かっていても中々実行できないのが貧乏性というものです。

 私は、とりあえず中華料理店でバイトしましたが、贅沢は中華料理店のまかないのみにし、自宅では相変らずパンミミ生活を続けました。しかし、パンミミだけでは、多少の不安がありましたので、築地市場に行って、塩分がたっぷりとれそうなカップ焼きそばを40個買ってきて、それを毎日食べることにしました。

 賞味期限切れ直前だったので、値段は1個20円と格安でした。だからカップ焼きそば1種類しか買わなかったのですが、全く飽きませんでした。カップ焼きそばパンミミにはさんで、焼きそばパンにして食べたりしました。それはもう、思いもよらず美味で、毎日の食事が楽しくてたまりませんでした。

 ところがです!
 1ヶ月も過ぎた頃、いきなり嘔吐してしまいました。
 パンミミは、何ヶ月食べても嘔吐に至らなかったのに
 カップ焼きそばには、嘔吐してしまった。
 まずくて嘔吐したわけではありません、
 飽きて嘔吐したわけでもありません。

 それだけではありません、嘔吐した後は、カップ焼きそばを見ただけで、食べても無いのに嘔吐するようになってしまった。そして、その症状が無くなるまで、なんと15年ちかくかかってしまった。だから土井君をはじめとして多くの古い友人は、私がカップ焼きそばを食べられないのを知っています。

つづく

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2007年06月23日

三丁目の夕日的な貧乏生活3

三丁目の夕日的な貧乏生活3

 カップ麺を食べると体調が良くなっていったという信じがたい話を色々な人に話したのですが、たいていの人は大笑いするか、「ばかばかしい」と取り合ってくれませんでした。しかし、苦学生仲間の先輩と、登山仲間だけは、違った反応をしめしました。

 まず、登山仲間の反応。

「そりゃ、塩分が足りなかったんだわ。やまでも良くおきるんだわ」
「ほう」
「夏山じゃ、必要以上に汗をかくので、塩が足りなくなる。だから山小屋のカップ麺が異常に美味しく感じる」
「そういえば・・・・」
「特に7日以上のテント泊の縦走をすると、フラフラになってしまう。でも、山小屋の飯を食べると、とたんに元気になる。味噌汁が異常に美味しいんだ。そして、フラフラは、たちまち治ってしまう」
「なるほど」

 そして苦学生仲間の先輩の反応。

「お、お前も、やっと気がついたか」
「はあ」
「これは誰もが通過する儀式のようなもんだ。気にするな。塩も醤油もドレッシングも使わない食生活を続けると、そういうことは良く起きるんだよ。最初は誰もが思いつくからな、パンのミミ生活は。いわば通過点さ」
「・・・・」
「しかしな、貧乏生活のプロは、パンのミミ生活といった安易な道を選ばない」
「安易だったでしょうか?」
「安易だな」
「はあ」
「そういうケチケチ作戦をしているようでは、まだまだ半人前。プロの貧乏生活者は、そんな節約食生活はしない。そういうのは、家庭の主婦がやるならともかく、とことん金のない天涯孤独な独り者は、腹一杯美味しいもの食べなきゃ」
「でも、金が」
「アホか、俺たち天涯孤独な貧乏人にとっては、体だけが唯一のたのみなんだ。守るべきは体なんだよ。体さえあれば金は稼げる」
「といっても、金が」
「だからさ、金のことは忘れろよ。そういう発想があるかぎりダメなんだよ。金が無ければ別の方法で美味しい物をたべればよい」
「・・・・」
「おまえ、バイトの休みは何曜日だ」
「土日が休みです」
「よし、その土日で、俺の知ってるラーメン屋でバイトするか?」
「はあ?」
「時給400円と安めで労働時間は、夕方の18時〜22時。日給1600円と、たいして金にはならんが、ラーメンと餃子とチャーハンだけは食べ放題だ。塩分もとれるし、飢餓からも解放される。お前の体力はすぐに回復するぞ」


つづく


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2007年06月22日

三丁目の夕日的な貧乏生活2

三丁目の夕日的な貧乏生活2

 最初に考えたのは、誰もが思いつくようなことです。パンのミミを30円で山ほど買ってきて、それを腹一杯食べて食費を節約しました。牛乳は高くて買えないので、業務用の脱脂粉乳を仕入れて、そこに砂糖をたっぷり入れて、何杯も飲みました。

 ところが、その生活を1ヶ月も続けると立ちくらみがしてきます。
立上がると、血が、ザザーと下がるのがわかるんですね。

 それから、頭痛に悩まされるようになり、咳もでてくるようになりました。さらに睡眠不足、寒けにも襲われるようになり、目眩までしてきました。こいつはいかんと、風邪薬を飲んだり、体によさそうなフルーツを食べたりしたのですが、体は悪くなる一方で、ついに寝込んでしまいました。

 そうなると、自炊する気力もなくなったので、コンビニに行きましたが、貧乏ゆえにコンビニ弁当を買う金もなく、一番安いカップ麺を買って食べるしか、なくなりました。で、カップ麺を食べたわけですが、これが非常に美味かった。

 と、同時に、あれほど酷かった頭痛や低血圧や寒気が一気に吹き飛んでしまった。
 
 体によさそうなフルーツやサラダを食べても症状が改善されなかったのに、カップ麺を食べると、症状がすぐ良くなった。そして、その後も何回もカップ麺を食べたわけですが、食べれば食べるほど体調が良くなってくるのに気がつきました。

「そんな馬鹿な?」

と思われる人も多いかもしれませんが、当時の私も思いました。しかし、カップ麺を食べると体調が良くなっていくのは、確かな事実でした。変だなと思いつつ、別の食材、つまりカレーライスを食べても調子が良くなることがわかり、ある確信が得られました。

「塩分が足りなかった」


つづく

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2007年06月21日

三丁目の夕日的な貧乏生活1

三丁目の夕日的な貧乏生活1

若い頃、なぜ、あんな無茶ができたのかと、
不思議に思うことがあります。
その一つが貧乏生活です。

若い頃の貧乏生活は、
誰もが体験していることと思いますが、
人によって、貧乏生活には、違いがあると思います。
ここでは、私ま個人的な体験を述べてみたいと思います。

私が学生時代の平均時給は、450円くらいでした。
30年近く前の話です。
当時、吉野屋の牛丼が400円でしたから、
物価は、今とかわりありません。

その時代に、時給450円で1日に8時間バイトしても3600円。
週に5日働いても、1万8000円。
月給7万2000円にしかなりません。
そこから家賃や、光熱費を引いても、残りはわずかです。
生活できるわけがありませんから、
最初は、食費を削り、質屋がよいの毎日となります。

ところが、しばらくすると、この『食費を削る』というところに
恐ろしい罠があることを思い知らされます。

最初に考えたのは、誰もが思いつくようなことです。
パンのミミを30円で山ほど買ってきて、
それを腹一杯食べて食費を節約しました。

牛乳は高くて買えないので、業務用の脱脂粉乳を仕入れて、
そこに砂糖をたっぷり入れて、何杯も飲みました。
これだと腹がふくれますから
「パンのミミと、脱脂粉乳の取り合わせは、最高だな」
と実感したものです。

ところがです。
その生活を1ヶ月も続けると立ちくらみがしてきます。
立上がると、血が、ザザーと下がるのがわかるんですね。

最初は、野菜が足りないのかなと、
近所の野菜市場から屑野菜を無料で
もらってきて、炒めて食べたんですが、
多少の改善はありましたが、
やはり貧血はなおりませんでした。

つづく

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2007年06月20日

貧乏論 最終回

貧乏論−最終回

キャッシュフローとは、お金の流れのことを言います。
お金の流れを理解した者が、勝ち組になる。
これが、ビジネス界での常識で、
これを知らないと損をすると言ったのが、
ロバート・キヨサキ氏でした。

ロバート・キヨサキ氏の理論は単純明快です。
資産とは、金が入ってくるものに限られます。

だから、ポイントが、キャッシュバックされる可能性がある、
キャッシュフローを生むことのできる
キャッシュカードは、使い方によっては資産になりえます。

では、自己所有している家(あるいはマンション)は?
これは、固定資産税や修繕費や減価償却などの
出費がかかるだけで利益を生まないので負債となります。

でも、不動産業者や銀行は、
「持ち家の自宅は資産ですから」
とそそのかしますが、
ロバート・キヨサキ氏に言わせれば
キャッシュフローを生まない自宅は負債になります。

(高値で売る予定があれば資産になりますが)

さて、ここで質問です。
何一つ財産を持ってないと言われている貧乏苦学生B君には、
資産家になるチャンスは無いでのしょうか?

それがあるのです。
貧乏苦学生B君は、キャッシュフローを生むために
苦学しているからです。

親が息子の進学に大金を出しているのも、
息子にキャッシュフローを掴ませるためです。

そのために学歴信仰が生まれたりしました。
しかし、そのキャッシュフローが正解かどうかは、
神のみぞ知るところでしょう。

戦前は、一流大学への進学に大金を出すよりも、
職人としての腕を磨くことが
キャッシュフローをつかめると信じられていました。

ロバート・キヨサキ氏は、
ファイナンシャルリテラシーを磨くことによって
キャッシュフローをつかめると言っています。

山田真哉氏(竿竹屋はなぜ儲かるかの著者)は、
連結経営によるキャッシュフローの有利さを
さかんに説いています。

ここで整理してみます。


1.複式簿記的な考え方

複式簿記の考え方では、資産価値のある財産を
(負債より)多くもってる方が金持ちである
という考え方をとります。


2.キャッシュフロー的な考え方

キャッシュフロー的な考え方では、金の流れを
捕らえるシステムをもった方が
金持ちになる近道という考えです。


1.の考え方は、物を重視
2.の考え方は、物よりもソフトの方を重視していますね。


他にも、貧乏論には、いろいろな考え方があるのですが、
いちいち解説していては、きりがないので
貧乏論は、これで終わりとします。

つぎは私が体験した、
3丁目の夕日的な貧乏生活について、
語りたいと思います。


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2007年06月11日

伝説の基地■ユースホステルのサイト発見

伝説の基地■ユースホステルのサイト発見しました。

http://www.k2f.jp/risiri/1977/index.html
http://www.k2f.jp/risiri/1990/index.html
http://www.k2f.jp/risiri/index.shtml

その名も、鴛泊ユースホステルのサイト。

念のために言っておきますが、
鴛泊ユースホステルは、もう滅びてて
存在していません。

この鴛泊ユースホステル。
桃岩ユースホステルより、クレージーでした。

ちなみに、ここの私の友人がヘルパーをやってて、
酔っぱらうと、こんな踊りを踊っていた。

♪かっこいい奴が 
 かっこいい奴が
 汽車でやって来た

 すがる女を振り切って 
 止める女を振り切って

 かっこいい奴が 
 かっこいい奴が 
 飛行機でやって来た♪


その基地外ぶりは、■■一歩すれすれで、
今から思えば、よく無事だったなと思います。


つづく

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2007年06月10日

貧乏論10

貧乏論10

どうしてキャッシュフローの本質が理解できると、
資産家への最短距離に入るんですか?
という問い合わせがきました。

それは、貧乏論ではなく、金持ち論になるので、
ここでは書きたくなかったのですが、
今回だけ、特別に書きます。

ただし、これをもって貧乏論の最終回とし、
次は、貧乏生活論・貧乏旅行論にうつりたいと思います。

なんといっても、私にとって馴染みがあるのは、
貧乏
の方ですから、はやく貧乏を、いや貧乏旅行を語りたい・・・・。

さて、キャッシュフローについてですが、
具体例を用いて分かりやすく説明しましょう。

友だち10人で、飲み会に出かけたとします。
その時、率先して幹事を引き受け、レジで一括払いをし、
レシートをみて、かかった費用を10等分にし、
みんなからお金を徴収した人がいたとします。
もし、そういう人がいたとしたら、その人は、
『キャッシュフロー』
をよく理解した人である可能性が高いです。

おそらく、その人は、カードで払っているはずです。
友だち10人の飲み会費用が、10万だとすると、
カード会社から、1パーセントなら1000円のポイントが
キャッシュバックされる可能性があります。

キャッシュフローとは、お金の流れのことを言います。
お金の流れを理解した者が、勝ち組になる。
これが、ビジネス界での常識で、
これを知らないと損をすると言ったのが、
ロバート・キヨサキ氏でした。

ロバート・キヨサキ氏は、
複式簿記も、経理も知らなかった。
数字にも弱く、経営能力もなく、資金ももってなかった。
しかし、キャッシュフローを理解していたために
大金持ちになりました。

ロバート・キヨサキ氏は勉強ができなかった。
それゆえに彼の理論は、小学生にもわかる単純なものです。

彼の理論は単純明快です。
ロバート・キヨサキ氏の理論によれば、
資産とは、金が入ってくるものに限られます。

つまり、ポイントが、キャッシュバックされる可能性がある、
キャッシュフローを生むことのできる
キャッシュカードは、使い方によっては資産になりえます。

このキャッシュフローを重視する考え方でいけば、
複式簿記の考え方による貧乏論とは、
違った貧乏論が出てきます。

さて、いよいよ次回、最終回です。
その後は、
貧乏生活論、
そして貧乏旅行論にうつりましょう。

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2007年06月09日

貧乏論9

貧乏論9

考えてみれば
「貧乏」と
「貧乏生活」は
イコールにならないですね。

貧乏生活は、金持ちでも、貧乏人でも、
その気になれば、誰にだってできるし、
貧乏人だから必ずしも、貧乏生活しているとは限らない。

不思議なことですが、
贅沢三昧している貧乏人もいるし、
貧乏生活している金持ちもいる。

そして複式簿記を学ぶと、とっても不思議な世界に迷い込みます。
ベンツを乗り回し、高級マンションに住むA君より、
新聞配達しながら学校に通う、無一文の苦学生のB君の方が、
帳簿上は金持ちという、摩訶不思議な事例があったりするからです。

ベンツを乗り回し、高級マンションに住んでいても
その資産をうわまる負債があったら、
マイナスになってしまうからです。

逆に、新聞配達しながら学校に通う、無一文の苦学生のB君に
負債がなければ、少なくとも負債をかかえるA君より貧乏とはいえません。
これが複式簿記の考え方です。

この考え方を基本にすると、
「負債は、少なければ少ないほどいい」
という結論に到達します。
現に、「金持ち父さん」を書いたロバートキヨサキ氏は、

「裕福になりたいなら、まず最初に、1枚を残して、全てのキャッシュカードをハサミで切断しよう」

と言っています。ただ、1枚だけは、
キャッシュフォローのために残しておきます。
ここで

「キャッシュフォロー」

という言葉がでてきますが、これはかなり重要な単語です。
キャッシュフォローの本質が理解できると、
資産家への最短距離に入ると言われているからです。

まあ、そんなことはどうでも良いとして、
「負債は、少なければ少ないほどいい」
のが複式簿記の考え方なので、
苦学生のB君は、親に負債が無いので、
非常に健全な財政状態にあると言えます。
つまり複式簿記の考え方では、貧乏ではない。

しかも、節約しているわけではないので、
帳簿上は貧乏生活しているわけでもありません。


つづく

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2007年06月08日

貧乏論8

A君は、100円の現金を持っています。
B君は、500円の現金を持っています。
さて、どっちがお金持ちでしょうか?

答えは、B君。
と普通の人なら回答します。
私も昔は、そのように回答していました。

でも、複式簿記を知ってる人なら

「これだれでは回答できません。
バランスシート(貸借対照表)をみないと」

と答えるはずです。
なぜならぱ、
100円の現金しかもってないA君が、
500万円の土地をもっている可能性があり、

500円の現金をもっているB君が、
500万円の借金をかかえている可能性があるからです。

その場合、バランスシート(貸借対照表)には、
A君は、500万100円の資産を持っていて、
B君は、499万9500円の負債を持っている。
と書かれますから、実質的に、
A君は、B君よりも1000万円ほど金持ちということになります。

これが複式簿記の基本的な考え方なのですが、
この考え方でいくと、車を持っていても、
マンションを持っていても、
バランスシート(貸借対照表)的には、貧乏
ということも大いにあり得ます。

現に某S君は、地獄の貧乏を体験したとは言ってても
しっかりマンションなどの資産を持っていた。
しかし、資産があっても、負債が上回れば
複式簿記の基本的な考え方をすれば、
そのへんのフリーターより貧乏になります。

でも、こういう発想は、資産ゼロから出発した
人には馴染めない発想ですね。

ワンタロウさんや、私のような資産ゼロから出発した
人間には、なかなか理解できない考えでした。
(今ならよく分かりますが)

しかし、起業家や資産家という人たちは、こういった
複式簿記的な発想で貧乏というものをとらえるのです。
バランスシート(貸借対照表)的な発想をする彼らは、
出るものを抑え、入るものを増やそうとします。

だから節約という考えが出てきます。

しかし、この複式簿記的な発想を安易に取り入れるのは
危険だと警告した人もいます。

「金持ち父さん」

を書いたロバートキヨサキという人です。

つづく

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2007年06月07日

貧乏論7

先祖代々にわたる超資産家の家で生まれた(欧羅巴人)と、
知り合いになったのですが、その方が、
16歳から自立することを選んだことを聞いて
「なぜ?」
と質問しましたら
「自由になりたかったから」
と答えてくれました。

欧米の資産家というものは、日本のそれとケタが違うらしい。
ところが、それほど金があるのに、食事も生活も質素で、
パソコンどころか、テレビさえなく、こずかいもろくにないとか。
もちろん携帯も持ってないし、漫画も買えないし読めない。
彼は、日本のアニメが大好きだったのだが、
それを親が見ることを許さない。
これは、彼らの世界では決して珍しいことではないらしい。

で、自立の道を選んで、16歳で家を出て異国で働きながら
イラストの勉強をしていたわけですが、
どんな極貧生活でも、毎日が楽しくてたまらないらしい。
彼にとっては、金より自由が大切だったのでしょう。

それは、ともかく、その彼がいうには
金持ちというものは、なにかと節約したがり、
庶民は、金に自由な面をもっているとのこと。

まあ、それは、それで当たっているかもしれません。
自分のことを貧乏だと言ってる奴が、
案外、金をもっていたりするからです。

ここで、経理の話をしましょう。
金持ちの発想と、貧乏人の発想を経理の視点からみてみると、
貧乏とは何であるかが、見えてくることがあります。


つづく

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2007年06月06日

貧乏論6

貧乏論6

何度も書きますが、

自ら貧乏を選ぶのと、

いやおうなく貧乏を強いられるのでは

全く別物であるらしい。



苦学した人なら自明なことですが、
苦学を終えて、就職したとき、

『なんて生活が楽なんだ!』
『働くだけでよいって、なんて素敵なことなんだろう』
『世の中って、こんなに楽だったのか』

と感動するものです。
それほど仕事と勉強の両立は苦しい。
なのに、あとから振り返ってみると、
その苦しい思いが、懐かしくさえある。
貧乏を覚悟した人には、
そんなゆとりがあったりしますね。


ところが、いやおうなく貧乏を強いられた人の多くは、
私の狭い交際範囲において、知るかぎり

貧乏に怨念(ルサンチマン)をもっている人が多いような気がします。

戦中派や欠食世代なんかにも、
そういう人が多いかもしれませんね。だから、
「息子だけには、ひもじい思いをさせたくない」
と、息子に不自由させなかったりする。
その結果が、今の世相に現れていたりする。


覚悟の上で貧乏を選んだ人と、
いやおうなく貧乏を強いられた人を
比較してみると、こんな違いが見えてきたりします。


ところで、話は変りますが、最近、
ある方(先祖代々にわたる超資産家・欧羅巴人)と、
知り合いになったのですが、その方が、
ウルトラ苦学生であったことを知って驚かされました。

その方の家は、先祖代々にわたる超資産家なので
金で困っているわけではないのに、
16歳から海外で働かされていた。
しかし、その方は、それを「楽しかった」と言っている。
身の上話を聞くと、とても楽しいと言える話ではないのに
「楽しかった」「有意義だった」と言っている。
なぜならば、納得ずくでウルトラ苦学したからです。

つづく

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2007年06月05日

貧乏論5

貧乏論5

貧乏には種類があると書きましたが、

自ら貧乏を選ぶのと、
いやおうなく貧乏を強いられるのでは
全く別物であるらしい。

もっと言えば、
12歳で貧乏体験するのと
16〜18歳で貧乏体験するのでは天地ほども違う。

18歳なら、学校を辞めて働くことができるし、
働きながら学校に通い続けることもできるし、
賄い付きの寮に入って働くこともできる。
そして、手取りで30万を手に入れることも可能です。
新聞奨学生となって大学を卒業することも
学生社員となって大学を卒業することも可能です。

でも、12歳だと、どうにもならない。
できることは、
節約か、家の手伝いしかできない。
だから、12歳で貧乏体験した人が、18歳で貧乏体験した人に
得意がって貧乏論を語ると

『はあ? おまえ何いってんの?』

『それって、ちょっと、ズレてねえ?』


という事になります。
また、その逆もありえます。


つづく

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2007年06月04日

貧乏論4

貧乏論4

貧乏には種類があると書きましたが、
こんどは別の種類の貧乏です。
曽原君のケースです。

曽原君は、わんたろうさんに比べたら
それほど極限生活してませんし
苦学をしてるわけでもありません。
ある意味で、ゆとりがあります。
苦学したわけでもないし、
節約する程度ですんでいるわけですから。

しかし、わんたろうさんと、
曽原君には決定的な違いがあります。

わんたろうさんは、自分の夢のために、
自ら極限生活を選んだのであるのですが、
曽原君の場合は、御両親が事業に失敗し
いやおうなく貧乏を強いられたということです。

わんたろうさんは、夢さえ捨てれば、
いつでも貧乏とサヨナラできるのに
曽原君の場合は、そうではなかった。


つづく

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posted by マネージャー at 22:38| Comment(1) | TrackBack(0) | 貧乏・貧乏旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月03日

貧乏論3

貧乏論3

「わんたろう」さんは、
ヘリコプターのパイロットになることを夢見て
ヘリコプターの免許をとることを決意しました。
ヘリコプターの免許をとるには1000万円かかります。
お金のない彼は、地獄の佐川急便で五年間、
馬車馬のように働きました。
さて、彼は、貧乏?貧乏ではない?
どっちでしょうか?

常識的に言えば、苦学する「わんたろう」さんは、貧乏なはずです。
でも、もし「わんたろう」さんが、
ヘリパイロットになる夢を捨てれば
貧乏から解放されるのです。

それは、ともかく、「わんたろう」さんの苦労について
いや貧乏生活について、もう少し語ってみましょう。

一日中働いた「わんたろう」さんは、家に帰るなり、
倒れるように眠りました。
一日の睡眠が4時間ですから、
布団に入る間もなく爆睡します。

玄関で倒れることもあり、
気がついたら玄関で眠っていたとか、
夕食のパンを口に入れたまま、
朝起きたら、そのまま口の中にパンがあったりとか、
そういう日々が5年間も続きました。

布団をひく前に気絶することも多いので
当然のことながら、
電気をつけっぱなしで寝ることは日常茶飯事です。
節約なんて頭は、これっぽっちも出てきません。

だいたい、極限状態で生きているのですから、
節約以前の問題で、生きる屍の情況です。

生きるのに精一杯で、
金を貯めるのに、精一杯で
電気代の節約や、水道代の節約なんかに、頭が回りません。

(ちなみに、わんたろうさんは、訳あって御両親と離れ、天涯孤独で、はやくから自立して生きていました)

つづく

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posted by マネージャー at 15:46| Comment(1) | TrackBack(0) | 貧乏・貧乏旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月02日

貧乏論2

貧乏論2

どうやら貧乏には、種類があるらしい。
では、貧乏の種類とは?

それにふれる前に、皆さんに質問があります。
苦学生たちは、はたして貧乏なのでしょうか?

「何言ってるの、金がないから働きながら学校に通うんでしょ? 貧乏に決まってるじゃないの!」
「そうですよね、私もそう思っていました。曽原君に指摘されるまでは」
「へえ?」

金がないから働きながら学校に通う。
それを貧乏であると、
働きながら学校に通った人間なら
誰でも、そう思ってるはずです。

しかし、ある種の貧乏体験者によれば、
そういうものは貧乏の範疇から外れてしまいます。

私は、学生時代にバイトを3つかけもちしたことがあります。
そうしないと高額の授業料が払えなかった。
服は、真冬でもワイシャツと学生ズボンだけ。
同情した同級生たちが、金を出し合って
セーターをプレゼントしてくれたこともありましたが、
翌日、そのセーターを質屋に入れたのも私だった。
食事は、バイト先の賄いだけですませました。
電車には乗らず、千円で買った中古自転車で
バイト先や都内のどこにでも出かけました。

「これが貧乏でなければ、なんだというのだ!」

と思うのは当然のことだと思う。

でも、視点を変えると、
貧乏ではなくなるから不思議です。
なぜでしょうか?

それについて、分かりやすく解説してみましょう。

ここで北軽井沢ブルーベリーYGHのスタッフの
「わんたろう」さんの例をあげてみます。

P4200436.JPG

「わんたろう」さんは、
ヘリコプターのパイロットになることを夢見て
ヘリコプターの免許をとることを決意しました。
ヘリコプターの免許をとるには1000万円かかります。
お金のない彼は、地獄の佐川急便で五年間、
馬車馬のように働き、せっせとお金を貯めて
アメリカに留学して、ヘリコプターの免許をとりました。

ここで質問です。

地獄の佐川急便で五年間、我慢に我慢をかさね馬車馬のように働いている彼は
 貧乏?
 貧乏ではない?
どっちでしょうか?

つづく

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posted by マネージャー at 18:54| Comment(1) | TrackBack(0) | 貧乏・貧乏旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月01日

貧乏論1

貧乏論1

谷川岳ラズベリーユースホステルのオーナーである曽原君が
うちでヘルパーしていた頃の話である。
曽原君が、激しく私を責め立てたことがあったのです。

「佐藤さんは、貧乏したことないでしょ」
「えええええええええええええええええええええ!」

驚いたのなんのって、今まで、

そんなこと言われたことが無かった

ので腰が抜けるほど驚きました。

なぜなら私は、誰よりも貧乏を知っているつもりであり
貧乏とともに生きてきた人間だったからです。

「佐藤さんは、貧乏したことないでしょ」
「どうして、そう思うわけ?」
「北軽井沢ブルーベリーYGHは、水も電気もジャンジャン使うし、佐藤さんには、節約するっていう発想が無いでしょう」
「・・・・・」
「もっと締めるところは締めた方が良いですよ」
「・・・・・」
「俺は貧乏育ちだから、気になって仕方がないです」
「・・・・・」
「佐藤さんは、ある日、突然、家屋敷が差し押さえられたことはありますか?」
「ない」
「電気・ガスとめられたことは?」
「それはある。しかし、水道まではいってないし、何度も止められたわけではない」
「でしょ、貧乏を経験してないから、電気をじゃんじゃんつけっぱなしにするんです」
「な、なるほど・・・・、でも逆に貧乏だったから電気をじゃんじゃんつけっぱなしにするという考えはない?」
「なにバカ言ってるんですか、貧乏だったら電気とめられるでしょうが。貧乏だったら節約するでしょうが、全く佐藤さんは訳のわからんことを言うなあ」
「あ・・・・・」

こうして、曽原君に何時間も節約について延々と
説教されたわけですが、
これには全くもって感心してしまいました。
何に感心したのかというと、

曽原君が体験した貧乏と、

私の体験した貧乏は、

どうやら別の種類の貧乏であるらしい


ということに気がついたからです。
どうやら貧乏には、種類があるらしい。
体験した貧乏に違いがあるらしい。
では、貧乏の種類とは・・・・・・・?


つづく


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posted by マネージャー at 18:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 貧乏・貧乏旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする