何度も書きますが、
自ら貧乏を選ぶのと、
いやおうなく貧乏を強いられるのでは
全く別物であるらしい。
苦学した人なら自明なことですが、
苦学を終えて、就職したとき、
『なんて生活が楽なんだ!』
『働くだけでよいって、なんて素敵なことなんだろう』
『世の中って、こんなに楽だったのか』
と感動するものです。
それほど仕事と勉強の両立は苦しい。
なのに、あとから振り返ってみると、
その苦しい思いが、懐かしくさえある。
貧乏を覚悟した人には、
そんなゆとりがあったりしますね。
ところが、いやおうなく貧乏を強いられた人の多くは、
私の狭い交際範囲において、知るかぎり
貧乏に怨念(ルサンチマン)をもっている人が多いような気がします。
戦中派や欠食世代なんかにも、
そういう人が多いかもしれませんね。だから、
「息子だけには、ひもじい思いをさせたくない」
と、息子に不自由させなかったりする。
その結果が、今の世相に現れていたりする。
覚悟の上で貧乏を選んだ人と、
いやおうなく貧乏を強いられた人を
比較してみると、こんな違いが見えてきたりします。
ところで、話は変りますが、最近、
ある方(先祖代々にわたる超資産家・欧羅巴人)と、
知り合いになったのですが、その方が、
ウルトラ苦学生であったことを知って驚かされました。
その方の家は、先祖代々にわたる超資産家なので
金で困っているわけではないのに、
16歳から海外で働かされていた。
しかし、その方は、それを「楽しかった」と言っている。
身の上話を聞くと、とても楽しいと言える話ではないのに
「楽しかった」「有意義だった」と言っている。
なぜならば、納得ずくでウルトラ苦学したからです。
つづく
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