私がバイトした築地魚河岸の店は、明治生れの社長(旦那)が、とんでもない暴力男で、店員を容赦なく殴る蹴るクビにする。そういう恐い社長(旦那)のいる店でした。(注・築地では社長のことを旦那と言います)旦那は、入社してすぐに私の正体を見破りました。
「佐藤、お前、つんぼか?」
「・・・・」
「つんぼだって人並に飯を食いたいだろう? 俺はつんぼだから飯を半分、というわけにいかんだろう。ましてや体がでけえんだ、人よりよけいに食いたいはずだ」
「・・・・」
「食えばいい」
「・・・・」
「だが、食うためには、もっと堂々とせい。オドオドするな。はきはき返事しろ! 分からんことは分からんと言え。つんぼは、つんぼらしくしてみろ。俺はつんぼだって言ってみろ!」
「・・・・」
それっきり旦那は、私を二度と「佐藤」と呼んでくれなかった。私を呼ぶときは「つんぼ」だった。
「お〜い、つんぼ!」
「この、つんぼ野郎が!」
「つんぼのくせに・・・・」
これには、さすがの私も腹が立ちました。けれど、時がたつと意外なことを発見しました。私が難聴であることが、あっと言う間に市場中に知れわたったのです。
築地市場は、三千軒の仲買がひしめき、狭い場内に10万人も働いています。みんな手鍵・包丁・解体刀などを持っており、難聴ではかなり危険なのですが、それがなんとかなるようになった。安全に仕事ができるようになったのです。
旦那は、暴力もふるった。最初は腹がたったが、1年もたつと暴力は演技であることがわかってきました。旦那は、ヒール(悪役)を演じていたのです。おかげで回りの人が、いろいろ気遣ってくれるようになりました。私がの失敗をまわりがフォローしてくれるようになったのです。
難聴の人間は、ボーッとしてるように見え、一見バカに見えます。そのために入社したての頃は、みんなから、かなりバカ扱いされたものですが、毎日のように旦那に殴られていると、よほど我慢強い人間と感心してくれるのか、高給で引抜きたいと言ってくれる人もでてきました。こうなると、昔どこにも雇ってもらえなかった自分が嘘に思えてくるから不思議です。これもすべて明治生れの旦那のおかげだと思いました。旦那は言います。
「つんぼであることに誇りをもて。オドオドすんな。お前は、つんぼを生かして、人様より上物を落としてこい」
「え、落とすって?」
「今日から競り場に行って競り落としてこいと言ってるんだ。お前は、今日から番頭だ」「(感激の声)だ、旦那・・・・」
「いいか、人様に迷惑をかけることをおそれるなよ」
「ハイ!」
「怒鳴られても、こずかれても、聞こえん時は聞えんと言えよ」
「ハイ!」
この時の体験は、私の人生を決定したと言ってもいいです。旦那の考え方、旦那の生きざまに私は心服してしまった。旦那は、弱点をさらけだして生きろという。自信をもてという。
旦那は、私に包丁の使い方を教えてくれました。私は高価な商品を次々と駄目にしましたが、旦那は絶対に怒りませんでした。旦那が怒る時は、危険な行為につながる基本の動作を無視をした時だけでした。
「馬鹿野郎! 何度言ったらわかるんだ! 包丁を持って移動するときは、切っ先を下に向けて、移動しろと云っただろう! 拳固くれてやるから頭を出せ」
「はい!」
「わかればよし! おれの拳固が痛くなるから今回は見逃す。次は容赦せんぞ」
「はい!」
旦那は、暴力には1本の筋が通っていたのです。
弱点を武器にする。
人間を外見で判断してはいけない。
この2つを築地市場で学んでから、私の人生は 180度変ってしまった。ボケと言われ、つんぼと言われても、それをポジティブに受け止めて生きる。たったそれだけのことで私の人生は見違えるように生き生きとしたものになりました。
人間は外見では判断できない。こんな当たり前のことだって、旦那に出会うまでは、なかなか実感することはできませんでした。人は時にヒール(悪役)になるということだって、当時の私には目からウロコが落ちる思いでした。
おわり
次は、貧乏旅行論いきます
つづく
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