オープン8周年を迎えて2
ペンションブルーベリーを買い取ったのは、2000年5月でした。
その時、2つの選択肢がありました。
1つは、ペンションを賃貸に出す方法です。
当時の計算だと、賃貸に出すことによって5年くらいで借金全部を返済することが出来ました。その5年の期間で、ペンション経営のなんたるかと経理とホームページの作り方を学び、準備万端、無借金で経営をスタートすれば、リスクなしにペンション経営できると思いました。
しかし、友人が、どうしてもペンションをやりたいと言ってきたので、結局、友人にペンション経営をまかせ、私と家内は東京で働くことによって、コツコツと借金を返していくことになりました。そうすれば、私は経理を学べるし、東京で旅行代理店を回ったり、ビラ配りができると思ったのです。
しかし、これは裏目にでました。
慣れない私の営業活動は、すこしも成果を出せず、ペンションのリピーターも皆無。250万かけた広告費も、夏以外は、ほとんど成果がでない状態でした。また、友人に全てまかせるというのも良くなかった。
「このままでは倒産してしまう」
と思った私は、家内の反対を押し切って、会社をやめ、本格的にペンション経営にのりだすことにし、今まで任せていた友人には、富良野の民宿を手伝ってもらうことにし、ペンションブルーベリーの再建に着手することにしました。
そして一人ぼっちの戦いがスタートしたのですが、これが辛かった。今と違って、スタッフはいなかったし、家内は埼玉県の春日部の会社で管理職をやってましたから、何から何まで一人でやらなければならなかった。そのうえ御客様は来なかった。
ただ、新しい手はうっていました。
ホームページを造り、アクセスをのばすための検索エンジンの登録を行い、一人旅専用雑紙「とほ」や「フリー」などにも営業をかけてきました。「とほ」関係者に会いに北海道に行ったりもしましたが、これは成果があがりませんでした。逆に嫌みを言われてスゴスゴと帰ってきました。「フリー」への掲載は、こころよくOKしていただきました。
日本ユースホステル協会に行ってユースゲストハウス契約もまとめてきました。1年間で35万円という多額のユースゲストハウスの契約金と各種の出費は痛かったですが、とにかくユースゲストハウスとし認可がおりましたので、ユースホステル会員が、あるていど来るのではないかという期待をもちました。
ユースホステルがオープンすると、ユースホステルのヘビーユーザーが、どどーっと押し寄せるという噂をきいていましたから、それに期待しました。特に開所パーティー(開業パーティー)に押し寄せ、満室になると聞いていました。
しかし2001年1月7日にユースホステルとしての開所パーティー(開業パーティー)を行った結果、泊りに来たユースホステル会員は、たったの2名でした。
ユースホステルがオープンするとヘビーユーザーが、どどーっと押し寄せるという噂は、北軽井沢ブルーベリーYGHに限って言えば、ありませんでした。それどころか、3ヶ月、閑古鳥が鳴き続けました。待てど暮らせどユースホステル会員はやってきませんでした。たまに泊りに来る御客様は、全て「じゃらん」で広告(1ヶ月10万円の広告費)をみた客様ばかり。もちろん広告費の元もとれていません。
世の中、あまくはなかった。
つづく
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posted by マネージャー at 11:43|
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