天気予報が外れて、快晴でした。
塩名田宿(しおなだしゅく)は、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十三番目の宿場です。暴れ川であった千曲川の東岸にあり、旅籠が10軒以下の小さな宿場にも拘らず、本陣と脇本陣が合わせて3軒もありました。橋も掛けられたが洪水の度に流失し、船や徒歩で渡るのが専らでした。この辺りは各宿駅間の距離が短く、大名行列等大通行の折には分宿も行われていたといいます。
江戸期の通行量の増加は、宿場を密に設置しても人出は慢性的に不足で、助郷制度と呼ばれる近隣農村からの応援部隊で宿の業務をやり繰りしていました。この二ヶ宿の助郷は、延享3年(18世紀中盤)の時点で28ヶ村にも及んでいます。
塩名田宿は川止めの際に大いに賑っていました。本陣二軒のうち一つは名残を留めていませんが、新左衛門家(現丸山家)が残ります。県道沿いにはその他に袖うだつを両脇に張り出させた旧家など、旧宿場町らしい姿を伝えていました。往時は市が立ち商家も多かったといいます。
つづく
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