塩名田は、街道と千曲川が交わる唯一の宿です。
渡し場として栄えました。
保14年(1843)で人口574名、
総家数116軒、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠7軒。
けっこう大きな街です。
塩名田と御馬寄の間を千曲川が流れています。江戸時代には、これを渡るのはたいへんなことでした。橋を架けても、洪水でじきに流されてしまったからです。しかし、橋が流されたからといって、いつまでも放置しておくわけにはいきません。このため地元塩名田宿・御馬寄村をはじめとして、この地方の人々は、渡川を確保するためにたいへんな苦労をしています。
そこでつくられたのが船橋会社で、この会社によって明治六年(1873)に船橋(九艘の舟をつないで、そのうえに板をかけわたして橋としたもの)が架けられ、渡川が確保されました。舟つなぎ石は、その船橋をつなぎとめたもので、だから上部に穴があけられているのです。その後、明治二十五年に県によって木橋が架けられ、船橋の役割は終わりました。
こんな変わった東屋も、
のぞいてみると
錦鯉が!
このあたりは、木造三階建ての家が多いです。
つづく
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