今回は、別の視点から。
山で遭難事故がおきるたびに、
「参加者の自己責任だろう!」
というガイド擁護ともとれる声があがります。それが正しいかどうかは、別にして、「なぜ、そういう声が出るか?」という背景を御存じない方のために、ちょっと説明がいるなと感じましたので、今回は、この点から話を進めてみましょう。
実は、山には、平地と違うルールがある。
いや、昔はあったと言っておきましょう。
どういう事かと言いますと、危険な山登りにおいては、全員が助かるために、一人を犠牲にすることもありえる。具体的にいうとザイルを切り落とすこともありうる。これは平地では、殺人罪にあたることですが、山では、必ずしもそうではなかった。お互いに暗黙の了解として、生存のためには、しかたないと思って山に登っていた。
そういう時代もあったんですね。
だから昔は、遭難事故で(刑事裁判はともかくとして)民事裁判は、おこりにくかったし、新聞報道でも遭難事故をおこした遭難者を叩く記事は、大昔は少なかった。けれど、ある時期を境に、マスコミが遭難者を叩くようになった。
軽量なトレッキングシューズ、ゴアテックスの雨具とシェラフカバー、チタン製品、新型ザック、ダウンシェラフなどの革新的なアイテムの登場によって、登山が驚くほど簡単になって、誰でも山に行けるようになってしまった。
それだけでなく、ガイド会社までできた。
ガイド会社は、金を持っている中高年をターゲットに
「荷物は、うちのポーターが持ってあげますよ」
「軽装で身軽な登山ができますよ」
という商売まではじめました。
ネパールのトレッキングツアー会社みたいなことをはじめた。
こうなると、昔みたいに覚悟して山に登る人は、少なくなってしまいますね。かって、山には、平地と違うルールがあったことを知っている人は、いったいどれだけ存在しているのだろうか? いや、そういう覚悟のあった人でさえ、20万円以上の高額ツアーの広告をみたら、そんな記憶は、消えてしまうかもしれない。
ところで、この手の遭難事故で裁判になると、ツアーリーダーが大抵負けるようです。つまり、ガイドだろうが、何だろうが、ツアーリーダーが責任をとらされる。
責任をとらされるということは、
決定権があることになる。
決定権が無ければ、法的には責任は存在しない。
私が何を言いたいかわかりますね。
「このガイド、おかしいなあ」
と思っても、逆らいにくいのですよ。
つづく。
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