Yさん
>どちらかといえば、霧雨男だったからで、
>出来るだけ好条件の時にという事と、
>一人で静寂の中で山の風を感じるのが好きだったという事もありました。
ああ、これ分かりますね。
山は、晴れてる時に登るのが一番です。
もう楽しさが違います。
あとね、山の特色として、一人で登っても全く寂しくない。
山では、仲間とおしゃべりするより、自然を感じるほうが楽しいですね。
あと、じっくり写真を撮るには、少人数だったり一人の方が便利。
>そういった意味(無茶がてんこ盛り)でも
>今回の遭難できるだけありのままを明らかにして欲しいですね。
そうなんです。実際に私の友人たちの中には、トムラウシ山遭難事故のガイドみたいな無茶苦茶なやつがいて、何度注意しても聞く耳をもたないやつがいるんです。だから正直言って、トムラウシ山遭難事故は、人ごとのように思えないんです。知り合いでなくても、近場の山で、かなりヤバソウな団体様をみかけています。
だから他人事ではないと思いました。
トムラウシ山遭難事故は、
条件さえあえば、私の身近でもおこりうる!
というのが偽らざる感想です。もちろん自分自身への戒めも含めています。まあ、それにしてもトムラウシ山遭難事故は、ちょっと御粗末すぎましたけれどね。でも、その御粗末の中に教訓がいっぱいあったような気がします。
私から口で言われても馬の耳に念仏というか、単なる小言にすぎなかったでしょうが、こういう実例を見たら『ああ、なるほど』と今更ながら分かったことでしょう。私に烈火のごとく怒鳴られても、事の重大性が分からず反発する者もいました。そういう私も、若い頃に日没近くの18時頃に山小屋に入り怒鳴られてシュンとしたことがありましたが。
(昔はテント持ってても怒鳴られたもんです)
>登る能力と、まとめる能力は、
>ある意味まったく逆方向のもの。
そうです!
まさに、そのとうり!
だから、本格的な山屋さんの立場で事件を眺めると、ちょっと別の意見が出てくる。
例えば家庭教師が、麻布高校の生徒を教えるのと、偏差値40の人を教えるのでは、教え方が根本的に違っていますよね。同じ家庭教師の仕事でも、仕事内容がまるで違いますよね。もう別次元の仕事になる。それを一緒くたにしてはダメだと思います。
だから、今回の事件に、いろいろコメントする人がいますが、プロの登山家のコメントも良いですが、もっと日常的に寄せ集めの大人数で登山ガイトしている人間のコメントを聞いておいた方が良いと思いますよ。
でもね、そういう人たちは、どういう訳か沈黙しているのです。
下手なことを言って明日はわが身になりかねませんから。
私だって同じです。
そういうリスクを背負って、ここに書き込んでいる。
それとですね、トムラウシ山遭難事故は、山屋の立場からの見方と、ガイド屋の立場にたった見方では、ちょっと違ってくるんですよね。
ガイド屋の立場にたったら『山に入ったら自己責任』ではすまされない。金をとってガイドするなら船長と一緒で、全員の命を預かっているも同然。舵取りに全神経を使うわけです。お湯を沸かすとか、場所取りをするとかは、本来の意味では、ガイドの仕事じゃありません。そういうのは各自でやってもらって、もっと別次元の仕事をすべきですね。天気に関するあらゆる情報を集める。場合によっては、偵察に行く。体調の悪い人を介護する。これがガイドの仕事ですよ。これは、ネパールでもスイスでも一緒ですよ。
しかし、山屋の立場にたつと、ちょっと違ってくる。『山に入ったら自己責任』なんですよ。つまり御客様は、山屋の立場に自分を置き、ガイドは、ガイド屋の立場にたつ。これが一番理想的なパーティーなのかなと思います。
つづく
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