トムラウシ山遭難事故と百名山5
つづきです。
私は、実際に徒歩旅行をしてみました。
目標は、2000キロ。
一日平均40キロで50日間。どこまで行けるかの旅です。
北海道の宗谷岬からスタートしました。
途中、宿で徒歩旅行仲間に出会いました。
「あのう、質問していいですか?」
「なに?」
「歩き続けると、足にきません?」
「君、休んでないでしょ」
「はい」
「一週間に1日くらいリハビリしないとダメ。足が動かなくなるよ」
「どうしてですか?」
「足が細くなっていくんだよ。タコが自分の手足を食っているようなものだよ。気をつけた方がいいよ」
「それって、どういうことですか?」
「登山でも、徒歩でも、自転車でも、休まないで旅を続けると、筋肉が消耗していくんだよ。みんな運動すると筋肉が増えると勘違いしているけれど、そうではなくて休むと増えるんだよね」
「・・・・」
「で、登山の場合、下山したら休むよね。何日かはリハビリを行う」
「はい」
「自転車も、雨が酷かったら休む。でも、徒歩の場合は、なんとなく休むことなく歩き続けられる。そのために何週間も休まずに歩いて、体がクタクタになってしまう。気がついたら足が細くなっていて、筋肉が消耗しているんだ。カナダで二千キロほど歩いたときに気がついた」
「あっ!」
実は、自分にも身に覚えがありました。実は、ヨーロッパを徒歩旅行したことがあったのです。その時に、2週間くらいでダウンしたことがあった。実はヨーロッパの夏は、長い。日没が22時になる。まだ、午後3時くらいかなと思っても、午後6時だったりする。そのために、知らず知らず歩きすぎてしまい、倒れてしまうんです。中高年の方が、百名山で一番キツイと言っている利尻山を散歩気分で登ってしまう私がダウンしてしまう。その体験を思い出してしまったのです。ここで誤解のないように説明すると、ヨーロッパには徒歩道路が発達していて、その大半が舗装されていません。
「歩くって簡単にできるよね。登山だと身構える。だから登山する人は、いろいろ考えて登るけれど、歩くことだって考えながら歩かないと、とんでもない事故をおこしかねない」
「わかります」
「一番いいことは、休むこと。理想を言うと、3日歩いたら一日は歩かないこと」
「それはちょっと....」
「あとは、蜂蜜をなめること」
「どうして蜂蜜を?」
「蜂蜜をなめると筋肉が消耗しないんだよ。体重が減らない。蜂蜜にはアミノ酸が入っているし、ブドウ糖のかたまりだから吸収が早い。そのせいだと思うけれど、詳しい理屈はわからない。ただ、徒歩屋の間では蜂蜜を嘗めるのは常識ということなんだ」
この話を聞いた後、実際に蜂蜜を嘗めながら歩いてみました。
すると、信じられないくらいに疲れなくなった。
蜂蜜無しだと、50キロ歩くのがやっとだったのに、
蜂蜜ありだと、60キロまで歩けるようになったのです。
しかも体重が減らない。
アミノバイタルプロを使うと、もっと調子が良いこともわかりました。
こちらを使っても体重が減らない。
「登山でも使えるかな?」
と思ったて登山でも、蜂蜜とアミノバイタルプロを使ってみたら、すごくきく。信じがたいくらいに効き目がある。
つづく。
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2009年08月08日
洋食屋ザンガラを再紹介
北軽井沢ブルーベリーYGHから歩いて1分のところにある洋食屋ザンガラといえば、キャベツステーキが有名ですが、

今日は、ちょっと違うメニューを紹介。
まず最初に
イノシシのソーセージ!

これがビールにいい。
堅くも臭くもない。
これで本当にイノシシなの?って感じ。
次にフワフワオムレツ。
湯気がたってますね。
卵がフワフワです。

そして絶品、ロシア風ソースのハンバーグ!
ソースの味に注目贅沢なソースだった。

住所 吾妻郡嬬恋村大字鎌原1052-360
電話 0279-84-5263
営業時間 11:00〜14:30 17:30〜22:00
定休日 火曜定休
駐車場 あり
お値段 1000円くらいから
つづく。
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今日は、ちょっと違うメニューを紹介。
まず最初に
イノシシのソーセージ!
これがビールにいい。
堅くも臭くもない。
これで本当にイノシシなの?って感じ。
次にフワフワオムレツ。
湯気がたってますね。
卵がフワフワです。
そして絶品、ロシア風ソースのハンバーグ!
ソースの味に注目贅沢なソースだった。
住所 吾妻郡嬬恋村大字鎌原1052-360
電話 0279-84-5263
営業時間 11:00〜14:30 17:30〜22:00
定休日 火曜定休
駐車場 あり
お値段 1000円くらいから
つづく。
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村民食堂
軽井沢は、軽井沢町。
町なんですよ!
町!
なのに村民食堂。どうしてでしょう?
嬬恋村なら分かりますけれど。
長野原町にも、町のくせに
「みるく村」
なんてものがありましたよね。
どうなってるの?
さて、中軽井沢にある村民食堂。
食堂とは、名ばかりの居酒屋です。
世界ビールコンテストで、8年連続グランプリをとっている
よなよなエール
の生ビールを飲める店!
ただの食堂のわけがない。
ちょいと、お薦めメニューを紹介しましょう。
まず、これ。
汲み出し豆腐。
軽井沢は、豆腐が美味いのは知る人ぞ知る。
美味いです。

こいつは、なんだと思います?
お茶漬け。
信じられないでしょう?
雑穀のお茶漬け。

で、こいつは、豚バラのカリカリ揚げ。
一押しメニューです。
ビールが最高に美味しくなる。

で、ヨナヨナエールをグイッとやると、最高!
さて、この写真の人は誰でしょう?

この人も誰でしょう?

これは信州御膳。

そして、限定50食の村民定食。
こいつを肴にビールをやると最高。
でも、財布は寂しくなる。

蒸籠で蒸し野菜。

蒸籠のおこわ

野菜と肉を蒸したもの

つづく。
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町なんですよ!
町!
なのに村民食堂。どうしてでしょう?
嬬恋村なら分かりますけれど。
長野原町にも、町のくせに
「みるく村」
なんてものがありましたよね。
どうなってるの?
さて、中軽井沢にある村民食堂。
食堂とは、名ばかりの居酒屋です。
世界ビールコンテストで、8年連続グランプリをとっている
よなよなエール
の生ビールを飲める店!
ただの食堂のわけがない。
ちょいと、お薦めメニューを紹介しましょう。
まず、これ。
汲み出し豆腐。
軽井沢は、豆腐が美味いのは知る人ぞ知る。
美味いです。
こいつは、なんだと思います?
お茶漬け。
信じられないでしょう?
雑穀のお茶漬け。
で、こいつは、豚バラのカリカリ揚げ。
一押しメニューです。
ビールが最高に美味しくなる。
で、ヨナヨナエールをグイッとやると、最高!
さて、この写真の人は誰でしょう?
この人も誰でしょう?
これは信州御膳。
そして、限定50食の村民定食。
こいつを肴にビールをやると最高。
でも、財布は寂しくなる。
蒸籠で蒸し野菜。
蒸籠のおこわ
野菜と肉を蒸したもの
つづく。
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2009年08月07日
トムラウシ山遭難事故と百名山4
トムラウシ山遭難事故と百名山4
つづきです。
どうやら徒歩旅行は、登山より足にダメージがくるらしい。
そういうことが、おぼろげながら分かった頃、
私は、実際に徒歩旅行をしてみました。
目標は、2000キロ。
一日平均40キロで50日間。どこまで行けるかの旅です。
北海道の宗谷岬からスタートしました。
徒歩における消費カロリーは、計算上は大したことはない。
登山による消費カロリーの三分の一くらいです。
だから、飯は、登山に比べて食べないですむかと思いきや、
とんでもない!
登山の時より大飯になるのです。
で、体重がガンガン減っていきます。
三杯飯たべても、どんどん痩せていく。
で、一日四食になってしまった。
理論どうりには、いかなかった。orz
しかも、足に関するダメージが半端ではない。
しかし、徒歩旅行を続けていると、宿で徒歩仲間に出会います。
徒歩仲間は、お互いに親近感があるらしく、こっちに話しかけてくる。
中には、カナダをマウンテンバイクで横断したという猛者もいました。
その猛者に「何が大変でしたか?」と聞くと
「体重が減ること」
と答えてきました。カナダは、夏でも寒いのでマウンテンバイクで
冷たい風を切っていくうちに、どんどんカロリーを奪われて
体が痩せていくのだそうです。
「今年の北海道も一緒だね。風が強いから、燃費がわるくなる(笑)」
なるほどねえ。
「あのう、質問していいですか?」
「なに?」
「歩き続けると、足にきません?」
「君、休んでないでしょ」
「はい」
「一週間に1日くらいリハビリしないとダメ。足が動かなくなるよ」
「どうしてですか?」
「足が細くなっていくんだよ。タコが自分の手足を食っているようなものだよ。気をつけた方がいいよ」
「えええええええええええええええええええ? それって、どういうことですか?」
「そのうち分かるよ」
「そんなこと言わないで教えてくださいよ」
「・・・」
つづく。
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つづきです。
どうやら徒歩旅行は、登山より足にダメージがくるらしい。
そういうことが、おぼろげながら分かった頃、
私は、実際に徒歩旅行をしてみました。
目標は、2000キロ。
一日平均40キロで50日間。どこまで行けるかの旅です。
北海道の宗谷岬からスタートしました。
徒歩における消費カロリーは、計算上は大したことはない。
登山による消費カロリーの三分の一くらいです。
だから、飯は、登山に比べて食べないですむかと思いきや、
とんでもない!
登山の時より大飯になるのです。
で、体重がガンガン減っていきます。
三杯飯たべても、どんどん痩せていく。
で、一日四食になってしまった。
理論どうりには、いかなかった。orz
しかも、足に関するダメージが半端ではない。
しかし、徒歩旅行を続けていると、宿で徒歩仲間に出会います。
徒歩仲間は、お互いに親近感があるらしく、こっちに話しかけてくる。
中には、カナダをマウンテンバイクで横断したという猛者もいました。
その猛者に「何が大変でしたか?」と聞くと
「体重が減ること」
と答えてきました。カナダは、夏でも寒いのでマウンテンバイクで
冷たい風を切っていくうちに、どんどんカロリーを奪われて
体が痩せていくのだそうです。
「今年の北海道も一緒だね。風が強いから、燃費がわるくなる(笑)」
なるほどねえ。
「あのう、質問していいですか?」
「なに?」
「歩き続けると、足にきません?」
「君、休んでないでしょ」
「はい」
「一週間に1日くらいリハビリしないとダメ。足が動かなくなるよ」
「どうしてですか?」
「足が細くなっていくんだよ。タコが自分の手足を食っているようなものだよ。気をつけた方がいいよ」
「えええええええええええええええええええ? それって、どういうことですか?」
「そのうち分かるよ」
「そんなこと言わないで教えてくださいよ」
「・・・」
つづく。
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日本ユースホステル協会
以前、ブログで鐵音茶房(くろがねさぼう)を紹介しましたら、日本ユースホステル協会のブログに、うちのブログが、紹介されました。これです!
http://yh2009.blog100.fc2.com/blog-entry-135.html
ついでにリンクもしておきました。
まあ、これは内緒の話なんですが、うちのブログは、文部省主管の日本ユースホステル協会としては、ちょっとリンクしにくいらしい。ボケをかましまくっていますからね。あまり上品なブログではないことは確かです(笑)。まあ、数あるユースホステルの中に、こんな所が、一件くらいあってもいいかもしれないと思います。
(でも、リンクしてもらったことだし、ちょっと控えよう)
さて、今日は、日本ユースホステル協会ネタ!
実は、日本ユースホステル協会と映画界が、
コラボやっているんです。
その映画とは、
「色即ぜねれいしょん」
http://shikisoku.jp/indexp.html
高校生が、ユースホステルを使って旅をするお話で、
基本的にお笑い系。
原作は、「勝手に観光協会」の「みうらじゅん」!
だから、どんな映画か、想像はつきますね?
監督 田口トモロヲです。
で、日本ユースホステル協会は、この映画企画とコラボで
こんなサイトを作りました。
http://shikisoku.jp/youth/
北軽井沢ブルーベリーYGHも紹介されています。
http://bccks.jp/bcck/25368
http://bccks.jp/#B25368,P247636
このサイト、文や画像が投稿できるらしいのだが、
今ひとつ、使い方がよくわからないんですよね。
フォトコンテストもあるらしい。
ちなみに今年は、ユースホステル誕生100年祭!
全国各地で、いろいろなイベントをやっています。
100周年だから宿泊100円!なんてのもありますよ。
詳しくは、下記サイトでご確認ください。
http://www.jyh.or.jp/index2fr.html
つづく。
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まあ、これは内緒の話なんですが、うちのブログは、文部省主管の日本ユースホステル協会としては、ちょっとリンクしにくいらしい。ボケをかましまくっていますからね。あまり上品なブログではないことは確かです(笑)。まあ、数あるユースホステルの中に、こんな所が、一件くらいあってもいいかもしれないと思います。
(でも、リンクしてもらったことだし、ちょっと控えよう)
さて、今日は、日本ユースホステル協会ネタ!
実は、日本ユースホステル協会と映画界が、
コラボやっているんです。
その映画とは、
「色即ぜねれいしょん」
http://shikisoku.jp/indexp.html
高校生が、ユースホステルを使って旅をするお話で、
基本的にお笑い系。
原作は、「勝手に観光協会」の「みうらじゅん」!
だから、どんな映画か、想像はつきますね?
監督 田口トモロヲです。
で、日本ユースホステル協会は、この映画企画とコラボで
こんなサイトを作りました。
http://shikisoku.jp/youth/
北軽井沢ブルーベリーYGHも紹介されています。
http://bccks.jp/bcck/25368
http://bccks.jp/#B25368,P247636
このサイト、文や画像が投稿できるらしいのだが、
今ひとつ、使い方がよくわからないんですよね。
フォトコンテストもあるらしい。
ちなみに今年は、ユースホステル誕生100年祭!
全国各地で、いろいろなイベントをやっています。
100周年だから宿泊100円!なんてのもありますよ。
詳しくは、下記サイトでご確認ください。
http://www.jyh.or.jp/index2fr.html
つづく。
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カウボーイハウス
もし、カウボーイが日本にいたら?
そんでもって、ステーキハウスをオープンさせてたら?
で、この店がカウボーイハウス

なんと、店員さんが全員カウボーイ!

しかも、格好だけでではない。
本物のカウボーイ。
だから、八百屋みたいに威勢の良い店!
店の中で、カウボーイハットしているし!

とにかく店内は、うるさい。
店員が、やたらと御客様に話しかけてくる。
それが良いという御客様もいれば、
それがうざいという御客様もいる。
口コミでは、賛否両論!
内装も、こんなんだし。



おまけに店員は、ロデオの世界大会に毎回でているらしい。

つまり格好だけでなく、本当にカウボーイ。
だから接客が、ちょっと面白い。
威勢の良い八百屋さんみたいな接客。
とにかく衝撃をうけます。
そのくせ、ステーキは、
軽井沢で一番美味しい!

高級フレンチのステーキより美味しい。
いったい、どうなっているんだろう?
謎だ。
彼らはいったい何者なのだろうか? 一つ言えることは、カウボーイのことや、ロデオのことを質問すると、延々と語り初めて止まらなくなることだけは確かなのだ。
長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉2144
電話 0267-46-3984
つづく。
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そんでもって、ステーキハウスをオープンさせてたら?
で、この店がカウボーイハウス
なんと、店員さんが全員カウボーイ!

しかも、格好だけでではない。
本物のカウボーイ。
だから、八百屋みたいに威勢の良い店!
店の中で、カウボーイハットしているし!
とにかく店内は、うるさい。
店員が、やたらと御客様に話しかけてくる。
それが良いという御客様もいれば、
それがうざいという御客様もいる。
口コミでは、賛否両論!
内装も、こんなんだし。

おまけに店員は、ロデオの世界大会に毎回でているらしい。

つまり格好だけでなく、本当にカウボーイ。
だから接客が、ちょっと面白い。
威勢の良い八百屋さんみたいな接客。
とにかく衝撃をうけます。
そのくせ、ステーキは、
軽井沢で一番美味しい!
高級フレンチのステーキより美味しい。
いったい、どうなっているんだろう?
謎だ。
彼らはいったい何者なのだろうか? 一つ言えることは、カウボーイのことや、ロデオのことを質問すると、延々と語り初めて止まらなくなることだけは確かなのだ。
長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉2144
電話 0267-46-3984
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あさまやまの鳴く頃に02 鬼押し出し編
あさまやまの鳴く頃に02 鬼押し出し編
平成二十一年八月、ひなみざわ、いや、きたかるいざわ.......。
ここは、むかしダム戦争(やんばダム)があった町。
その北軽井沢にあるユースホステルにヘルパーがやってきた。
「実家は東御市なの?」
「そうです」
「なんで? なんで実家の隣町のユースホステルにヘルパーしにきたの?」
「隣町だと、ヘルパーしにきては、いけないのかな、かな」
「いや、そういう訳ではないけれど、どうせなら、もっと見知らぬ観光地でやってもいいかと」
「私、寮に住んでいるんです」
「・・・」
「夏休みになると、寮を追い出されるんです。夏休みの間は、実家に帰らなきゃならないんですけれど、実家に帰ると母親がうるさいんで」
「はあ?」
orz。
なんてこったい!
そんなしょーもない理由でヘルパーかよ!
「で、君はユースホステルに泊まったことはあるの?」
「いいえ」
orz。
へこむなあ....。
しかし、彼女は、すごくユースホステルに合っているのだった。見知らぬ人と、何の壁もなく会話できるし、話題は豊富だし、おしゃべりだし。人見知りしない。おまけに仕事を覚えるのがはやい。接客がうまい。うますぎる。
「君は、何か接客のアルバイトしてたね? 動きが良すぎる」
「はい」
「何をやってた?」
「カフェです」
「カフェ?」
この時、しばし、沈黙が流れたのであった。
「あ、そういや、今日、君は休暇だから」
「自転車かりて遊びに行ってもいいですか?」
「いいよ、鬼押し出しにでもいってきたら」
と、そのとき、真っ青な顔をして、
玄関のドアを開けた人がいた。
「すいません、消化器貸してください!」
隣の土地で、ブルで工事していたのですが、
そのブルが、火事になっていた!
燃えていた!
驚いた私たちは、ありったけの消化器をもって出動ました。
「オニオシサマの祟りだ・・・」
(この物語はフィクションではありません)

つづく。
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平成二十一年八月、ひなみざわ、いや、きたかるいざわ.......。
ここは、むかしダム戦争(やんばダム)があった町。
その北軽井沢にあるユースホステルにヘルパーがやってきた。
「実家は東御市なの?」
「そうです」
「なんで? なんで実家の隣町のユースホステルにヘルパーしにきたの?」
「隣町だと、ヘルパーしにきては、いけないのかな、かな」
「いや、そういう訳ではないけれど、どうせなら、もっと見知らぬ観光地でやってもいいかと」
「私、寮に住んでいるんです」
「・・・」
「夏休みになると、寮を追い出されるんです。夏休みの間は、実家に帰らなきゃならないんですけれど、実家に帰ると母親がうるさいんで」
「はあ?」
orz。
なんてこったい!
そんなしょーもない理由でヘルパーかよ!
「で、君はユースホステルに泊まったことはあるの?」
「いいえ」
orz。
へこむなあ....。
しかし、彼女は、すごくユースホステルに合っているのだった。見知らぬ人と、何の壁もなく会話できるし、話題は豊富だし、おしゃべりだし。人見知りしない。おまけに仕事を覚えるのがはやい。接客がうまい。うますぎる。
「君は、何か接客のアルバイトしてたね? 動きが良すぎる」
「はい」
「何をやってた?」
「カフェです」
「カフェ?」
この時、しばし、沈黙が流れたのであった。
「あ、そういや、今日、君は休暇だから」
「自転車かりて遊びに行ってもいいですか?」
「いいよ、鬼押し出しにでもいってきたら」
と、そのとき、真っ青な顔をして、
玄関のドアを開けた人がいた。
「すいません、消化器貸してください!」
隣の土地で、ブルで工事していたのですが、
そのブルが、火事になっていた!
燃えていた!
驚いた私たちは、ありったけの消化器をもって出動ました。
「オニオシサマの祟りだ・・・」
(この物語はフィクションではありません)
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2009年08月06日
トムラウシ山遭難事故14+α+α+α
Yさん
>その中で、「山屋」の方は「捨てる」事について徹底されているなと思っておりました。
>「捨てる」と言っても、山の為に色々な「無駄」を捨てると言う意味で、
>より良い条件での登頂及び下山を第一にした「合理的思考」に長けている印象があります。
おっしゃるとうりですね。これは山屋にかぎらず、危険な場所を探検する人たちは、目標を限定する傾向がある。経済でいえば、ランチャスターの弱者の戦略です。ペンション経営でいえば、差別化です。大ホテルが真似できないような特殊化によって、大ホテルに勝つ。これが弱者の戦略です。
トムラウシ山の大自然は、強者です。危険(リスク)があ。それに対抗する人間は、弱者。危険(リスク)がある場合、それを避けるには、目標を限定すればいい。そして、この場合の目標は、安全であるはずです。
例えば、うちは宿屋ですが、御客様に食事提供する際の第一目標は安全です。味は、その次になる。で、北軽井沢には生で食べられる美味しいトウモロコシ『みらい』があるのですが、これを生では出しません。茹でて殺菌する。茹でると甘みが減少するのですが、そこを敢えて茹でる。味は2の次なんです。ところが魯山人は、味を第一にした。そのために彼の体は、寄生虫に蝕まれていきました。魯山人は、それで本望だったと思いますが、宿業者の考えは違います。
宿は、一回の食中毒で壊滅します。
ツアー会社も、同じでしょう。
いや、同じでないと困る。
だから危ない橋は渡れないんです。
で、大自然という強者に対して弱者の戦略で立ち向かうとしたら、安全確保のための目標限定と、ロジスティック(補給)を確立するしかないはずです。
>今回の遭難事件、天候も要因のひとつではあるのですが、今回の遭難の要因には、
>1現地判断(ガイド)のミス
>2組織のミス
>3天候
>の三要素が複合して絡み合っているとは思いますが、
>今回、8人死亡のうち何人かの死因の一つには、ヘタカル様提唱の
>「熱収支の悪化に伴う低体温症」があり、
>1次要因として、天候条件と天候に関する判断ミス、
>その2次要因として、気象状況における情報不足及び情報不足に伴う判断ミスがあった、
>という事が、おぼろげながら判ってきました。
憶測ですが、いろいろな情報を勘案するとガイドさんは、真面目で誠実な方たちだったような気がします。遭難中も一生懸命、ツアー客に尽くしていた。ただ、判断だけが間違っていた。御客様の体調を見誤ったことも、病人を放置したことも、出発したことも、大沼で2時間も停滞(戸田証言)したことも、隊を分割したことも、テントを小屋に置いてきたことも、天候予測も、何もかも間違っていた。
だれど、遭難中も一生懸命、ツアー客に尽くしていた。
人事を尽くしていた。
しかしね、彼らの一生懸命は、ポーターとしての一生懸命であって、ガイドとしての一生懸命ではないですよ。スイス人ガイドは、傲慢ですよ。ネパール人ガイドも同じです。荷物なんか持ってくれません。その仕事は、あくまでもポーターの仕事なんです。
ポーターとガイドは、本質的に違うんです。
極論するとガイドは、判断するための存在。
だから、判断材料は、何が何でも持参するはず。
衛星携帯というものがあるなら使うのは当然です。
>極端に言えば、何も捨てれず、参加者の命を捨てた。(様に見えます)
>1.行程を捨てれず、救助や予定変更のコストを捨てれず、
>2.体調の悪い人を(最初の日に避難という言う意味で)捨てれず、
>3.体調の悪い人への付き添いと言うことでのガイド人員の融通を捨てれず、
>(2.3については手遅れになってから要救助者、ガイドの命もろとも捨ててしまいましたが)
>4.結果的にこの時期としては(恐らく)究極の悪天候にツアー全体を、
> 寄集め大人数、体調不良者つきで放り込んだ。
>5.最終日に、最後に安全に替えて捨てたのはテント二貼り(後からのツアー客に残した?)。
おっしゃるとうりですね。
特に5番は、捨ててはならないものです。
捨てるべきモノを捨てずに、
捨ててはいけないものを捨ててしまった。
>結果としては天候条件もありますけれど、8人の命が失われて…
>言葉は悪いのですが、主催側はお金を惜しんで、
>安全を捨て続けて、結局大勢の命を捨ててしまった。
私の感覚からいうと、アミューズが、安全でない登山を奨励しているとは、思えない。会社の経営者が、そういうリスクを抱え込み商売しているとは、にわかには信じにくい。しかし、現実には、かなり杜撰な登山計画がなされており、後方支援体制も皆無。
でも、それなら、もっとまともな人選をすべきですね。
後方支援をしないなら、もっと、すごいガイドをつけないと。
そのお金をケチったのかどうかは不明ですが、
5回の経験者一人と、
未経験者2人なら、
もっと後方支援しないとダメでしょう。
>「安全第一」ではなく、もしかすると
>1、お金、2、段取り(行程)≒登頂、3、安全位の優先順位
>だったのかなと。全部が揃う条件なら問題ないですが、
>全部は取れないですよ!と言う今回の様な時に、
>優先順位が低いもの(安全)から犠牲になってしまった。
>という感じで、効率的ではあっても合理的じゃない。
22万円のツアー費用をとっていて、トムラウシ山に登れなかったらクレームがくるのですかねえ。だとしたらガイドの方たちに、とても同情しますが、それでも安全第一に断固拒否するのがガイドの仕事だったと思います。スペシャリストなんですから。
そのためのガイドなんですから。
で、私の感想ですが、5回しか登って無くて、スペシャリストと言えるかどうか。それでスペシャリストなら、私もトムラウシのスペシャリストになります。
でも、そんなことありえない。春夏秋に2回づつ、それを3シーズンくらいやらないと、つまり3年で18回くらいやらないと、スペシャリストとは言えないでしょう。ポーターならともかく。
本物のスペシャリストなら、
会社が拝金主義でも、
断固拒否して停滞したはずです。
>私が指摘した天候条件は、仮に全てにおいて仮説が正しかったとしても、
>あくまでも「最悪の結果」への決定的な一押しにしか過ぎない。
そうですね。
>■ガイドは先述した優先順位に基いてという事であれば、
>実に一生懸命だったと思います。
>■打てる手を打ってそれでもトラブルは起こることはあります。
>でも、今回は打てる手をほぼすべて打たず、考えうる最悪のパターンに陥っている。
8人は死にすぎですよね。この遭難は、もっと被害を減らせたはずです。2時間の停滞(戸田証言)が無ければ、少なくとも死者は半分ですんだはずです。
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>その中で、「山屋」の方は「捨てる」事について徹底されているなと思っておりました。
>「捨てる」と言っても、山の為に色々な「無駄」を捨てると言う意味で、
>より良い条件での登頂及び下山を第一にした「合理的思考」に長けている印象があります。
おっしゃるとうりですね。これは山屋にかぎらず、危険な場所を探検する人たちは、目標を限定する傾向がある。経済でいえば、ランチャスターの弱者の戦略です。ペンション経営でいえば、差別化です。大ホテルが真似できないような特殊化によって、大ホテルに勝つ。これが弱者の戦略です。
トムラウシ山の大自然は、強者です。危険(リスク)があ。それに対抗する人間は、弱者。危険(リスク)がある場合、それを避けるには、目標を限定すればいい。そして、この場合の目標は、安全であるはずです。
例えば、うちは宿屋ですが、御客様に食事提供する際の第一目標は安全です。味は、その次になる。で、北軽井沢には生で食べられる美味しいトウモロコシ『みらい』があるのですが、これを生では出しません。茹でて殺菌する。茹でると甘みが減少するのですが、そこを敢えて茹でる。味は2の次なんです。ところが魯山人は、味を第一にした。そのために彼の体は、寄生虫に蝕まれていきました。魯山人は、それで本望だったと思いますが、宿業者の考えは違います。
宿は、一回の食中毒で壊滅します。
ツアー会社も、同じでしょう。
いや、同じでないと困る。
だから危ない橋は渡れないんです。
で、大自然という強者に対して弱者の戦略で立ち向かうとしたら、安全確保のための目標限定と、ロジスティック(補給)を確立するしかないはずです。
>今回の遭難事件、天候も要因のひとつではあるのですが、今回の遭難の要因には、
>1現地判断(ガイド)のミス
>2組織のミス
>3天候
>の三要素が複合して絡み合っているとは思いますが、
>今回、8人死亡のうち何人かの死因の一つには、ヘタカル様提唱の
>「熱収支の悪化に伴う低体温症」があり、
>1次要因として、天候条件と天候に関する判断ミス、
>その2次要因として、気象状況における情報不足及び情報不足に伴う判断ミスがあった、
>という事が、おぼろげながら判ってきました。
憶測ですが、いろいろな情報を勘案するとガイドさんは、真面目で誠実な方たちだったような気がします。遭難中も一生懸命、ツアー客に尽くしていた。ただ、判断だけが間違っていた。御客様の体調を見誤ったことも、病人を放置したことも、出発したことも、大沼で2時間も停滞(戸田証言)したことも、隊を分割したことも、テントを小屋に置いてきたことも、天候予測も、何もかも間違っていた。
だれど、遭難中も一生懸命、ツアー客に尽くしていた。
人事を尽くしていた。
しかしね、彼らの一生懸命は、ポーターとしての一生懸命であって、ガイドとしての一生懸命ではないですよ。スイス人ガイドは、傲慢ですよ。ネパール人ガイドも同じです。荷物なんか持ってくれません。その仕事は、あくまでもポーターの仕事なんです。
ポーターとガイドは、本質的に違うんです。
極論するとガイドは、判断するための存在。
だから、判断材料は、何が何でも持参するはず。
衛星携帯というものがあるなら使うのは当然です。
>極端に言えば、何も捨てれず、参加者の命を捨てた。(様に見えます)
>1.行程を捨てれず、救助や予定変更のコストを捨てれず、
>2.体調の悪い人を(最初の日に避難という言う意味で)捨てれず、
>3.体調の悪い人への付き添いと言うことでのガイド人員の融通を捨てれず、
>(2.3については手遅れになってから要救助者、ガイドの命もろとも捨ててしまいましたが)
>4.結果的にこの時期としては(恐らく)究極の悪天候にツアー全体を、
> 寄集め大人数、体調不良者つきで放り込んだ。
>5.最終日に、最後に安全に替えて捨てたのはテント二貼り(後からのツアー客に残した?)。
おっしゃるとうりですね。
特に5番は、捨ててはならないものです。
捨てるべきモノを捨てずに、
捨ててはいけないものを捨ててしまった。
>結果としては天候条件もありますけれど、8人の命が失われて…
>言葉は悪いのですが、主催側はお金を惜しんで、
>安全を捨て続けて、結局大勢の命を捨ててしまった。
私の感覚からいうと、アミューズが、安全でない登山を奨励しているとは、思えない。会社の経営者が、そういうリスクを抱え込み商売しているとは、にわかには信じにくい。しかし、現実には、かなり杜撰な登山計画がなされており、後方支援体制も皆無。
でも、それなら、もっとまともな人選をすべきですね。
後方支援をしないなら、もっと、すごいガイドをつけないと。
そのお金をケチったのかどうかは不明ですが、
5回の経験者一人と、
未経験者2人なら、
もっと後方支援しないとダメでしょう。
>「安全第一」ではなく、もしかすると
>1、お金、2、段取り(行程)≒登頂、3、安全位の優先順位
>だったのかなと。全部が揃う条件なら問題ないですが、
>全部は取れないですよ!と言う今回の様な時に、
>優先順位が低いもの(安全)から犠牲になってしまった。
>という感じで、効率的ではあっても合理的じゃない。
22万円のツアー費用をとっていて、トムラウシ山に登れなかったらクレームがくるのですかねえ。だとしたらガイドの方たちに、とても同情しますが、それでも安全第一に断固拒否するのがガイドの仕事だったと思います。スペシャリストなんですから。
そのためのガイドなんですから。
で、私の感想ですが、5回しか登って無くて、スペシャリストと言えるかどうか。それでスペシャリストなら、私もトムラウシのスペシャリストになります。
でも、そんなことありえない。春夏秋に2回づつ、それを3シーズンくらいやらないと、つまり3年で18回くらいやらないと、スペシャリストとは言えないでしょう。ポーターならともかく。
本物のスペシャリストなら、
会社が拝金主義でも、
断固拒否して停滞したはずです。
>私が指摘した天候条件は、仮に全てにおいて仮説が正しかったとしても、
>あくまでも「最悪の結果」への決定的な一押しにしか過ぎない。
そうですね。
>■ガイドは先述した優先順位に基いてという事であれば、
>実に一生懸命だったと思います。
>■打てる手を打ってそれでもトラブルは起こることはあります。
>でも、今回は打てる手をほぼすべて打たず、考えうる最悪のパターンに陥っている。
8人は死にすぎですよね。この遭難は、もっと被害を減らせたはずです。2時間の停滞(戸田証言)が無ければ、少なくとも死者は半分ですんだはずです。
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鐵音茶房(くろがねさぼう)
鐵音茶房(くろがねさぼう)
この店は、なんと!
鉄でできている。
トイレも

壁も

カウンターも

天井も

客席も

しかし、カフェなのだ!
これで1000円。

これで1000円

アップで寄ってみる。
でかい!

でかい!
そして美味い。
これで1000円。

おすすめの店です。
軽井沢町追分119−8
国道18号線浅間サンライン入り口交差点の角にあります
電話:0267−46−4453
定休日:水、木(8月木曜のみ)
つづく。
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この店は、なんと!
鉄でできている。
トイレも
壁も
カウンターも
天井も
客席も
しかし、カフェなのだ!
これで1000円。
これで1000円
アップで寄ってみる。
でかい!
でかい!
そして美味い。
これで1000円。
おすすめの店です。
軽井沢町追分119−8
国道18号線浅間サンライン入り口交差点の角にあります
電話:0267−46−4453
定休日:水、木(8月木曜のみ)
つづく。
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トムラウシ山遭難事故と百名山3
トムラウシ山遭難事故と百名山3
つづきです。
私は、江戸時代の旅と、現代の百名山の危険度は、ほぼ同じくらいだと考えています。ひょっとしたら百名山よりも、江戸時代の旅の方が危険かもしれない。
実は、根拠があります。
私は昔、1990年頃利尻グリーンヒルユースホステルという宿に泊まって、利尻山に登ったことがあります。そのユースホステルでは、
利尻山に登って、
利尻島一週55キロメートルを歩く
のが流行っていまして、それにチャレンジしたわけですが、利尻山の登山は、たいしたことなく登れました。
といっても、ただ普通に登ったわけではありません。
海抜ゼロから頂上を制圧するために、
海岸に足をつけてから登りますから
コースタイムは13時間です。
もちろん団体登山です。
といってもユースホステル側が、
ガイドしてくれるわけではありませんから、
私が隊長(ツアーリーダー)となって、朝4時に出発しました。
人数は、二十人くらいでした。
平均年齢は二十歳前後。
男女比は半々でした。
そして登山経験は、私一人。なので緊張しましたが、なんとか全員脱落させることなく、帰ってくることができました。天候に恵まれたことと若さもあって、みんな元気いっぱい降りてきました。
で、翌日、利尻島一週55キロメートル完全歩行を12時間かけて歩いたのですが、これには参った。登山では、なんでも無かったのに利尻島一週55キロメートルは、地獄でした。これは、私だけでなく、参加者全員がそういってました。と、ここまで書くと、
「登山の疲れがのこってたんじゃないの?」
と言うことがいるかもしれませんが、そういう事ではないのです。
というのも、翌日に、また、私は利尻山に登ったからです。
海抜ゼロから頂上を制圧。
コースタイムは13時間です。
利尻島一週55キロメートル完全歩行より1時間多いコースです。
にも関わらず、登山では、全く問題なかった。むしろリハビリになったくらいでした。利尻島一週55キロメートルを12時間かけて歩いた時の疲れを、登山することによって取り除くことができたんですね。これは、私だけでなく、一緒に参加した人も、みんな同じ証言をしている。
信じられないかもしれませんが、本当です。
登山より平地を歩いた方が疲れる。
で、その翌日、性懲りもなく、私はまた、ユースホステルの他の御客様たちと、利尻島一週55キロメートルを12時間かけて歩いたのですよ。
今度は、アスファルトを歩かないようにしました。
土の上を歩くようにしたのですが、無駄だった。
やはり地獄だった。体に悪いと思った。

これは私だけではありません。
参加者みんな同じ発言をしている。
だから、その次の日に、また利尻山に登りました。
すると、リハビリになった。
体が楽になった。
この時点で私は確信しましたね。
「登山の方が絶対に楽である」
と。つまり、
登山→一週→登山→一週→登山→一週
と、登山3回・一週3回を、6日間かけて行ったのですが、登山より徒歩で55キロ歩く方が圧倒的に体に悪いなあと確信しました。登山は、時間がかかっても、歩く距離は短いので、足に与えるダメージも少ない。となると、百名山よりも、江戸時代の御遍路の旅の方が辛かったのではないかという気がしてきたのです。
で、それを実証するために東ヨーロッパ徒歩の旅を行いましたが、
やはり同じ結論になりました。
それについては、機会があったら述べることにしましょう。
問題は、登山であっても、平地を延々と歩くコースがあるということです。トムラウシ山遭難事故のコースは、だらだらと、やたら長いコースなんですよね。この長さから、ツアー参加者の足に、どういうダメージを与えたか?という点が気になります。
というのも、利尻島を徒歩で一週すると、途中で動けなくなる人もでてくるからです。そういう人は、頭に熱をもつていたりする。で、タクシーを呼んだり、路線バスの力をかりたりする。しかし、そんな彼らも利尻山なら脱落せずに登れた。

つづく。
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つづきです。
私は、江戸時代の旅と、現代の百名山の危険度は、ほぼ同じくらいだと考えています。ひょっとしたら百名山よりも、江戸時代の旅の方が危険かもしれない。
実は、根拠があります。
私は昔、1990年頃利尻グリーンヒルユースホステルという宿に泊まって、利尻山に登ったことがあります。そのユースホステルでは、
利尻山に登って、
利尻島一週55キロメートルを歩く
のが流行っていまして、それにチャレンジしたわけですが、利尻山の登山は、たいしたことなく登れました。
といっても、ただ普通に登ったわけではありません。
海抜ゼロから頂上を制圧するために、
海岸に足をつけてから登りますから
コースタイムは13時間です。
もちろん団体登山です。
といってもユースホステル側が、
ガイドしてくれるわけではありませんから、
私が隊長(ツアーリーダー)となって、朝4時に出発しました。
人数は、二十人くらいでした。
平均年齢は二十歳前後。
男女比は半々でした。
そして登山経験は、私一人。なので緊張しましたが、なんとか全員脱落させることなく、帰ってくることができました。天候に恵まれたことと若さもあって、みんな元気いっぱい降りてきました。
で、翌日、利尻島一週55キロメートル完全歩行を12時間かけて歩いたのですが、これには参った。登山では、なんでも無かったのに利尻島一週55キロメートルは、地獄でした。これは、私だけでなく、参加者全員がそういってました。と、ここまで書くと、
「登山の疲れがのこってたんじゃないの?」
と言うことがいるかもしれませんが、そういう事ではないのです。
というのも、翌日に、また、私は利尻山に登ったからです。
海抜ゼロから頂上を制圧。
コースタイムは13時間です。
利尻島一週55キロメートル完全歩行より1時間多いコースです。
にも関わらず、登山では、全く問題なかった。むしろリハビリになったくらいでした。利尻島一週55キロメートルを12時間かけて歩いた時の疲れを、登山することによって取り除くことができたんですね。これは、私だけでなく、一緒に参加した人も、みんな同じ証言をしている。
信じられないかもしれませんが、本当です。
登山より平地を歩いた方が疲れる。
で、その翌日、性懲りもなく、私はまた、ユースホステルの他の御客様たちと、利尻島一週55キロメートルを12時間かけて歩いたのですよ。
今度は、アスファルトを歩かないようにしました。
土の上を歩くようにしたのですが、無駄だった。
やはり地獄だった。体に悪いと思った。

これは私だけではありません。
参加者みんな同じ発言をしている。
だから、その次の日に、また利尻山に登りました。
すると、リハビリになった。
体が楽になった。
この時点で私は確信しましたね。
「登山の方が絶対に楽である」
と。つまり、
登山→一週→登山→一週→登山→一週
と、登山3回・一週3回を、6日間かけて行ったのですが、登山より徒歩で55キロ歩く方が圧倒的に体に悪いなあと確信しました。登山は、時間がかかっても、歩く距離は短いので、足に与えるダメージも少ない。となると、百名山よりも、江戸時代の御遍路の旅の方が辛かったのではないかという気がしてきたのです。
で、それを実証するために東ヨーロッパ徒歩の旅を行いましたが、
やはり同じ結論になりました。
それについては、機会があったら述べることにしましょう。
問題は、登山であっても、平地を延々と歩くコースがあるということです。トムラウシ山遭難事故のコースは、だらだらと、やたら長いコースなんですよね。この長さから、ツアー参加者の足に、どういうダメージを与えたか?という点が気になります。
というのも、利尻島を徒歩で一週すると、途中で動けなくなる人もでてくるからです。そういう人は、頭に熱をもつていたりする。で、タクシーを呼んだり、路線バスの力をかりたりする。しかし、そんな彼らも利尻山なら脱落せずに登れた。

つづく。
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2009年08月05日
八間山は断念!野反湖ハイク
八間山は断念!しました。
こんな天気でしたから。

かわりに野反湖ハイク

ちなみに野反湖や八間山は分水嶺。
つまり天候が激変することで有名なところです。

実は、これで2連敗目。
前回は、風が強くて野反湖ハイクどころか、
車から降りることさえできなかった。立ってるのがやっと。
まさにトムラウシ山遭難事故を思わせる天気でしたが、
今回は、風は無し。
そして花はいっぱいありましたよ。





アサギマダラも舞い散っていました。

全然逃げません。

そういえば、子供の頃、アゲハの幼虫を育てて、手乗りアゲハにするのが流行りましたね。今の子供たちは、そんなことしないのかなあ。
ちなみに、
これが晴れたときの野反湖


で、これが八間山

つづく。
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こんな天気でしたから。
かわりに野反湖ハイク
ちなみに野反湖や八間山は分水嶺。
つまり天候が激変することで有名なところです。
実は、これで2連敗目。
前回は、風が強くて野反湖ハイクどころか、
車から降りることさえできなかった。立ってるのがやっと。
まさにトムラウシ山遭難事故を思わせる天気でしたが、
今回は、風は無し。
そして花はいっぱいありましたよ。
アサギマダラも舞い散っていました。
全然逃げません。
そういえば、子供の頃、アゲハの幼虫を育てて、手乗りアゲハにするのが流行りましたね。今の子供たちは、そんなことしないのかなあ。
ちなみに、
これが晴れたときの野反湖
で、これが八間山
つづく。
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トムラウシ山遭難事故と百名山2
トムラウシ山遭難事故と百名山2
つづきです。
トムラウシ山遭難事故は、悲しい出来事でしたが、中高年の百名山へのチャレンジと関係あるかもしれませんね。なんといっても、トムラウシ山は、百名山ですから。
日本人は、なぜ百名山をめざすのか?
これは、大昔からの伝統である巡礼の風習からきているように思います。
西国三十三カ所巡り、東国三十三カ所巡り、秩父三十四カ所巡り、四国八十八カ所巡りなど、日本人は、巡礼が大好きでしたよね。その文化風習が、遺伝子が、山屋にも継承されたような気がしてなりません。だから百名山がブームになったと。
私は、江戸時代の旅と、現代の百名山の危険度は、ほぼ同じくらいだと考えています。ひょっとしたら百名山よりも、江戸時代の旅の方が危険かもしれない。
根拠はあります。
若い頃に本州一週徒歩旅行をした経験からです。テントとシェラフは無し。ブルーシートとザックのみ。もちろん昔は、コンビニなんてものは都会にしかなく、田舎は18時で店じまい。雨の時は、安宿に泊まりましたが、基本的には野宿。で、国道1号線にそって箱根越えをして驚きました。こりゃ登山とかわらんぞと。いや、登山よりキツイ。絶対にキツイ。登山で10時間歩いても体にダメージは無いけれど、一般道を10時間歩くと死にます。中山道はもっと酷い。和田峠なんて難所は、いったいどうやって歩いたんだと、当時の人に問い詰めてみたい。なのに当時の装備ときたら木綿の服に草鞋が主流。
しかし、そこは、偉大なる江戸時代。紀行文や旅のガイドブックが次々と発行され、それがすべてベストセラーになっています。「東海道中膝栗毛」「金比羅参詣」「木曾街道」「善光寺」「中山道道中」「上州草津温泉道中」「東海道分間絵図」「江戸名所図会」「都名所図会」などなど。
そして、全国の有名社寺がパックツアーを企画しましたが、なぜ寺社かと言いますと、寺社が通行手形を発行する役所だったからです。それで有名社寺が、このような旅行業務を熱心に行なっていたわけです。しかし、中には、サービスが悪いボッタクリ宿や暴力団が経営するような宿も多かったようです。
しかし、それに目をつけた大坂や江戸の行商人たちは、自らの経験を生かして、全国の優良旅館を選定してネットワークを作り、指定旅館制度を創始して、浪花講という優良旅館組合をつくりました。そして利用者には加盟施設一覧を記したガイドブックや、会員証や、道中案内が渡されました。そして旅館には、目印に浪花講の看板がかかげられました。本当にいたれりつくせりのツーリストシステムです。
で、現代の日本のお話にもどりますが....?
私からツアー会社に提案したいことがあります。
優良ツアー会社を選定してネットワークを作り、利用者には、ガイドブックや、全国の百名山におけるコースの危険を細かく書いたものと、準備に必要なモノを綿密に書かれた道中案内を渡してはどうかと。
さらに優良ガイドを選定してネットワーク登録する。
登録ガイドには、登山経験の一覧がデーターにしてあり、
利用者は、いつでも閲覧できて、
値段と財布の折り合いで決められる。
(まあ、パイロットの飛行時間表みたいなものです)
ガイドだけでなく、ポーターも登録しておき、
何キログラム幾らの値段設定をしておく。
もちろんモグリがいてもよい。
それを選択するのは御客様ということにしておく。
安心を買いたい人は、高くても経験豊富な地元ガイドを雇い、
体力に不安な人は、ポーターを雇う。
ツアー会社の企画も、■■ガイドなので10万
○○ガイドなので20万と値段をかえてみる。
hisみたいに何種類も組み合わせを提示し手数料だけをとる。
これは、私のアイデアではなく、江戸時代の旅行システムをそのまま、現代の山岳業界に、当てはめてみた、いわば知的な妄想です。現在の山岳ガイド業界は、過渡期であるような気がします。まだ江戸時代に追いついてなかったりして。
つづく。
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つづきです。
トムラウシ山遭難事故は、悲しい出来事でしたが、中高年の百名山へのチャレンジと関係あるかもしれませんね。なんといっても、トムラウシ山は、百名山ですから。
日本人は、なぜ百名山をめざすのか?
これは、大昔からの伝統である巡礼の風習からきているように思います。
西国三十三カ所巡り、東国三十三カ所巡り、秩父三十四カ所巡り、四国八十八カ所巡りなど、日本人は、巡礼が大好きでしたよね。その文化風習が、遺伝子が、山屋にも継承されたような気がしてなりません。だから百名山がブームになったと。
私は、江戸時代の旅と、現代の百名山の危険度は、ほぼ同じくらいだと考えています。ひょっとしたら百名山よりも、江戸時代の旅の方が危険かもしれない。
根拠はあります。
若い頃に本州一週徒歩旅行をした経験からです。テントとシェラフは無し。ブルーシートとザックのみ。もちろん昔は、コンビニなんてものは都会にしかなく、田舎は18時で店じまい。雨の時は、安宿に泊まりましたが、基本的には野宿。で、国道1号線にそって箱根越えをして驚きました。こりゃ登山とかわらんぞと。いや、登山よりキツイ。絶対にキツイ。登山で10時間歩いても体にダメージは無いけれど、一般道を10時間歩くと死にます。中山道はもっと酷い。和田峠なんて難所は、いったいどうやって歩いたんだと、当時の人に問い詰めてみたい。なのに当時の装備ときたら木綿の服に草鞋が主流。
しかし、そこは、偉大なる江戸時代。紀行文や旅のガイドブックが次々と発行され、それがすべてベストセラーになっています。「東海道中膝栗毛」「金比羅参詣」「木曾街道」「善光寺」「中山道道中」「上州草津温泉道中」「東海道分間絵図」「江戸名所図会」「都名所図会」などなど。
そして、全国の有名社寺がパックツアーを企画しましたが、なぜ寺社かと言いますと、寺社が通行手形を発行する役所だったからです。それで有名社寺が、このような旅行業務を熱心に行なっていたわけです。しかし、中には、サービスが悪いボッタクリ宿や暴力団が経営するような宿も多かったようです。
しかし、それに目をつけた大坂や江戸の行商人たちは、自らの経験を生かして、全国の優良旅館を選定してネットワークを作り、指定旅館制度を創始して、浪花講という優良旅館組合をつくりました。そして利用者には加盟施設一覧を記したガイドブックや、会員証や、道中案内が渡されました。そして旅館には、目印に浪花講の看板がかかげられました。本当にいたれりつくせりのツーリストシステムです。
で、現代の日本のお話にもどりますが....?
私からツアー会社に提案したいことがあります。
優良ツアー会社を選定してネットワークを作り、利用者には、ガイドブックや、全国の百名山におけるコースの危険を細かく書いたものと、準備に必要なモノを綿密に書かれた道中案内を渡してはどうかと。
さらに優良ガイドを選定してネットワーク登録する。
登録ガイドには、登山経験の一覧がデーターにしてあり、
利用者は、いつでも閲覧できて、
値段と財布の折り合いで決められる。
(まあ、パイロットの飛行時間表みたいなものです)
ガイドだけでなく、ポーターも登録しておき、
何キログラム幾らの値段設定をしておく。
もちろんモグリがいてもよい。
それを選択するのは御客様ということにしておく。
安心を買いたい人は、高くても経験豊富な地元ガイドを雇い、
体力に不安な人は、ポーターを雇う。
ツアー会社の企画も、■■ガイドなので10万
○○ガイドなので20万と値段をかえてみる。
hisみたいに何種類も組み合わせを提示し手数料だけをとる。
これは、私のアイデアではなく、江戸時代の旅行システムをそのまま、現代の山岳業界に、当てはめてみた、いわば知的な妄想です。現在の山岳ガイド業界は、過渡期であるような気がします。まだ江戸時代に追いついてなかったりして。
つづく。
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2009年08月04日
あさまやまが鳴く頃に01
今年の最初のヘルパー希望者は、40歳くらいの男性でした。となると、部屋の関係で他のヘルパーさんも男性になり ます。その後、女性から応募があったのですが、かたっぱしから断りました。
で、男性ヘルパーを3人確保したのですが、どういう訳か、キャンセルをしてきたり、連絡が来なくなったりで、ついに全滅しました。やはり男性採用には、無理があったみたいです。まず、男性の応募者は、圧倒的に少ないために、キャンセルされると、かわりのヘルパーさんの補充が難しいんですね。
その点、女性のヘルパーさんは、応募者そのものが多いですから、代わりの人をみつけやすい。そこで、新たに募集したところ、5人くらいの女性たちが申し込んできました。まず、メールで履歴を送ってもらい、こちらから諸注意と契約内容を確認するのですが、
法政大学の学生さんがいた!
北軽井沢と法政大学は、切っても切れない関係。北軽井沢を開発して、ここを有名にしたのは、法政大学なのですから。しかも名前が、小林。林の中の一軒家である、うち(北軽井沢ブルーベリーYGH)にぴったりの名前ではないか!
「よし、お願いしよう!」
という事になり、現れたのがこの人。

「サークルは何やってるの?」
「茶道(さどー)です」
「偶然だね、おれ、佐渡(さどー)生まれ」
ちなみに彼女の実家は、東御市らしい。
「東御市なの?」
「そうです」
「嘘だ!」
「隣町じゃん!
なんで?
なんで実家の隣町のユースホステルに
ヘルパーしにきたの?」
つづく。
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で、男性ヘルパーを3人確保したのですが、どういう訳か、キャンセルをしてきたり、連絡が来なくなったりで、ついに全滅しました。やはり男性採用には、無理があったみたいです。まず、男性の応募者は、圧倒的に少ないために、キャンセルされると、かわりのヘルパーさんの補充が難しいんですね。
その点、女性のヘルパーさんは、応募者そのものが多いですから、代わりの人をみつけやすい。そこで、新たに募集したところ、5人くらいの女性たちが申し込んできました。まず、メールで履歴を送ってもらい、こちらから諸注意と契約内容を確認するのですが、
法政大学の学生さんがいた!
北軽井沢と法政大学は、切っても切れない関係。北軽井沢を開発して、ここを有名にしたのは、法政大学なのですから。しかも名前が、小林。林の中の一軒家である、うち(北軽井沢ブルーベリーYGH)にぴったりの名前ではないか!
「よし、お願いしよう!」
という事になり、現れたのがこの人。
「サークルは何やってるの?」
「茶道(さどー)です」
「偶然だね、おれ、佐渡(さどー)生まれ」
ちなみに彼女の実家は、東御市らしい。
「東御市なの?」
「そうです」
「嘘だ!」
「隣町じゃん!
なんで?
なんで実家の隣町のユースホステルに
ヘルパーしにきたの?」
つづく。
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トムラウシ山遭難事故と百名山+α
トムラウシ山遭難事故と百名山+α
■わんたろうさん
>なるほど言われて見れば、
>巡礼と百名山巡りってほんとそっくりですね。
巡礼は、行とレジャーが一致しているところが味噌ですね。
この文化風習が、百名山に遺伝したのかと。
■bobcatさん
>やっぱり「キツかったのは利尻山」だそうです。
利尻山をあげる人は、圧倒的に多いですね。トムラウシ山より多い。
一日に登る標高差1,719mですからね。
この往復が辛いのでしょう。
それと百名山の1番目なので、体が慣れてない時に
最初に登る人がいるからとも聞いています。
私は、これを聞いて「あれ?」と思いました。
というのは、利尻山なら散歩気分で7回くらい登っているからです。
全部オシドマリコース。三日連続3回登ったこともありました。
しかし、よく考えてみれば、天候が一番良いときしか登っていません。
だから楽だったのだと思います。
■代官山のバッカスさん
>100名山自体を否定するものではありません。
実は私も百名山は否定してないんです。それどころか百名山、気がついたら終わってましたね。ただ、これは普通の人には難しいことですね。休みがとれませんから。
私の前職は、ガラス清掃でした。ビルの高いところからロープを使って降りながら窓ふきをする仕事です。山屋さん(=登山家)も多くて、連続して1ヶ月の休暇は、無理なくとれる仕事です。山屋どうしが、交代で長期休暇をとっていましたから。だから時間だけは、たっぷりありましたから、山にも、長期間に行けます。
しかし山に行くと、そんな私と似たような環境の人がいることに気がつきました。中高年の方々です。 彼らは私と同じように時間があるんですよ。その時間がある人たちが、急ぎすぎるんですね。体力も、経験も、技術も、私より遙かに劣るのに急ぎすぎますね。で、あぶなかしい。
>一般の善良な中高年登山者を見下した山岳会の体制には問題があると思います。
ああ、これ、ありますねえ。あると思いますよ。昔っからありました。
>いきなり劔にアタックなんて、あり得ません。
これも驚きますねえ。せめて槍にしとけばいいのに。(嘘です、本当は日和田山からにしてください)。でも、槍でも渋滞の癌を作っていた人がいて、列が動かないので、指導してあげようとしたら断られました。すると後の人が怒り出して、この時は本当に慌てました。で、後の人に
「無理に急かせると本当に滑落しかねないから」
と、なだめて、その人に基本から教えながら一緒に登ったことがあります。
■e-ba-さん
>社会人になって山岳ハイキング部に入部しました。
それは初耳でした。どうりでねえ。貴重な体験だったと思います。
歴史ある山岳会には、いろいろなノウハウがありますから。
私も色々盗ませてもらいました。
先輩のお古も、いっぱいもらったかな?
で、一番良かったなと思ったことは、
昔の登山スタイルを聞けたこと。
ゴアテックスの前の登山が、どうであったかを教えてもらい、夏山の疲労凍死の知識が得られたことですね。キスリングも担がされましたが、悲鳴をあげました。こんなものをよく担いだなあと感心しました。先輩の二十年モノの重登山靴にあこがれて、真似して買ってハイキングしたら靴が堅くて悲鳴をあげて笑われたこともありました。「おまえアホか」と。今にしてみれば、いい思い出です。
つづく。
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■わんたろうさん
>なるほど言われて見れば、
>巡礼と百名山巡りってほんとそっくりですね。
巡礼は、行とレジャーが一致しているところが味噌ですね。
この文化風習が、百名山に遺伝したのかと。
■bobcatさん
>やっぱり「キツかったのは利尻山」だそうです。
利尻山をあげる人は、圧倒的に多いですね。トムラウシ山より多い。
一日に登る標高差1,719mですからね。
この往復が辛いのでしょう。
それと百名山の1番目なので、体が慣れてない時に
最初に登る人がいるからとも聞いています。
私は、これを聞いて「あれ?」と思いました。
というのは、利尻山なら散歩気分で7回くらい登っているからです。
全部オシドマリコース。三日連続3回登ったこともありました。
しかし、よく考えてみれば、天候が一番良いときしか登っていません。
だから楽だったのだと思います。
■代官山のバッカスさん
>100名山自体を否定するものではありません。
実は私も百名山は否定してないんです。それどころか百名山、気がついたら終わってましたね。ただ、これは普通の人には難しいことですね。休みがとれませんから。
私の前職は、ガラス清掃でした。ビルの高いところからロープを使って降りながら窓ふきをする仕事です。山屋さん(=登山家)も多くて、連続して1ヶ月の休暇は、無理なくとれる仕事です。山屋どうしが、交代で長期休暇をとっていましたから。だから時間だけは、たっぷりありましたから、山にも、長期間に行けます。
しかし山に行くと、そんな私と似たような環境の人がいることに気がつきました。中高年の方々です。 彼らは私と同じように時間があるんですよ。その時間がある人たちが、急ぎすぎるんですね。体力も、経験も、技術も、私より遙かに劣るのに急ぎすぎますね。で、あぶなかしい。
>一般の善良な中高年登山者を見下した山岳会の体制には問題があると思います。
ああ、これ、ありますねえ。あると思いますよ。昔っからありました。
>いきなり劔にアタックなんて、あり得ません。
これも驚きますねえ。せめて槍にしとけばいいのに。(嘘です、本当は日和田山からにしてください)。でも、槍でも渋滞の癌を作っていた人がいて、列が動かないので、指導してあげようとしたら断られました。すると後の人が怒り出して、この時は本当に慌てました。で、後の人に
「無理に急かせると本当に滑落しかねないから」
と、なだめて、その人に基本から教えながら一緒に登ったことがあります。
■e-ba-さん
>社会人になって山岳ハイキング部に入部しました。
それは初耳でした。どうりでねえ。貴重な体験だったと思います。
歴史ある山岳会には、いろいろなノウハウがありますから。
私も色々盗ませてもらいました。
先輩のお古も、いっぱいもらったかな?
で、一番良かったなと思ったことは、
昔の登山スタイルを聞けたこと。
ゴアテックスの前の登山が、どうであったかを教えてもらい、夏山の疲労凍死の知識が得られたことですね。キスリングも担がされましたが、悲鳴をあげました。こんなものをよく担いだなあと感心しました。先輩の二十年モノの重登山靴にあこがれて、真似して買ってハイキングしたら靴が堅くて悲鳴をあげて笑われたこともありました。「おまえアホか」と。今にしてみれば、いい思い出です。
つづく。
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トムラウシ山遭難事故に思う14+α+α
トムラウシ山遭難事故に思う14+α+α
またもや Yさんが、素晴らしい考察をしてくれました。
コメント欄に埋もれてしまうのは、もったいないので
検索にひっかかりやすいように、ここに紹介します。
原文は、以下のサイトにあります。
http://kaze3.seesaa.net/article/124752705.html#comment
以下、Yさんの考察ょり抜粋。
■1.戸田様のコメント
(以下、略)
■2.天気図の変化からの把握
(以下、略)
■3.気象衛星からの把握
(以下、略)
■4.アメダスからの検証
(以下、略)
■5.地形的な検証
(以下、略)
■6.総括
天気からは、小康期(この間に出発した)を経た後、
一時的な冬型気圧配置となり、寒気を含む
冷湿なオホーツク気団がトムラウシ連峰目掛けて、
真正面からぶつかったということで間違いないかと思います。
時期的にオホーツク高気圧及びオホーツク気団は、オホーツク海北部に居座って
いるはずです。それらが北風によって流れ込んだと思われます。
ところで、subeight様経由で、以下のブログに行きますと、
http://snowmania7.blog38.fc2.com/blog-entry-56.html
旭川の天気予報は回復傾向、降水確率低下、でよくある天気だった、
との表記もありますが、少なくともトムラウシ登山の条件としてかなり
良くなかったのではないかと思うのです。(特に寒気、風向)
他の遭難者も出ているところを見ますと、
2つ玉低気圧発生時、大雪山系は特に
気をつけて行動する必要があると思います。
また、類似気圧配置である、2002年7月12日を考え合わせると、
閉塞低気圧がオホーツク海で発達した場合、発達度合が
それ程ではなくとも、オホーツク海を低気圧が
抜けるまではトムラウシを中心とした大雪山系では、
絶対に動いてはいけないと言う仮説が立てられます。
より専門的な方に検証頂いて、もし本当にそうであれば、
「一人でも多くの登山者にどんな気圧配置が危ないかを分って頂ければ」
と思うのです。
これは地形的なものもあって、旭川−富良野の盆地に北西方向から
風が吹き降りた場合、十勝トムラウシに風が当たって、
「きわめて低い温度で凝結した雨交じりの嵐になる」からだと思われます。
(略)
以上が、Yさんの考察です。改行と強調は、私が行っています。
で、重要なことは、Yさんが述べる、以下の3行ですね。
>天気図を伝える手段がヒサゴ沼等に設置される事を望みます。
>天気予報に囚われ、天候が回復する見込を持ってしまったからこそ、
>今回の悲劇はより助長されてしまったようにも感じます。
やはり、天気図を伝える手段がヒサゴ沼にほしい。
これは、本当にそう思います。
北アルプスにあるような、ソーラー式の衛生携帯公衆電話を置けないものか?
あと、ガイド会社は、衛生携帯か無線を必携にするとか。
悪天候の中、ガイドさんが、どんなに御客様のために頑張っても、
最初に判断ミスがあったら全てが無駄になりますから
やはり、天気図を伝える手段がヒサゴ沼にほしいですね。
つづく。
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またもや Yさんが、素晴らしい考察をしてくれました。
コメント欄に埋もれてしまうのは、もったいないので
検索にひっかかりやすいように、ここに紹介します。
原文は、以下のサイトにあります。
http://kaze3.seesaa.net/article/124752705.html#comment
以下、Yさんの考察ょり抜粋。
■1.戸田様のコメント
(以下、略)
■2.天気図の変化からの把握
(以下、略)
■3.気象衛星からの把握
(以下、略)
■4.アメダスからの検証
(以下、略)
■5.地形的な検証
(以下、略)
■6.総括
天気からは、小康期(この間に出発した)を経た後、
一時的な冬型気圧配置となり、寒気を含む
冷湿なオホーツク気団がトムラウシ連峰目掛けて、
真正面からぶつかったということで間違いないかと思います。
時期的にオホーツク高気圧及びオホーツク気団は、オホーツク海北部に居座って
いるはずです。それらが北風によって流れ込んだと思われます。
ところで、subeight様経由で、以下のブログに行きますと、
http://snowmania7.blog38.fc2.com/blog-entry-56.html
旭川の天気予報は回復傾向、降水確率低下、でよくある天気だった、
との表記もありますが、少なくともトムラウシ登山の条件としてかなり
良くなかったのではないかと思うのです。(特に寒気、風向)
他の遭難者も出ているところを見ますと、
2つ玉低気圧発生時、大雪山系は特に
気をつけて行動する必要があると思います。
また、類似気圧配置である、2002年7月12日を考え合わせると、
閉塞低気圧がオホーツク海で発達した場合、発達度合が
それ程ではなくとも、オホーツク海を低気圧が
抜けるまではトムラウシを中心とした大雪山系では、
絶対に動いてはいけないと言う仮説が立てられます。
より専門的な方に検証頂いて、もし本当にそうであれば、
「一人でも多くの登山者にどんな気圧配置が危ないかを分って頂ければ」
と思うのです。
これは地形的なものもあって、旭川−富良野の盆地に北西方向から
風が吹き降りた場合、十勝トムラウシに風が当たって、
「きわめて低い温度で凝結した雨交じりの嵐になる」からだと思われます。
(略)
以上が、Yさんの考察です。改行と強調は、私が行っています。
で、重要なことは、Yさんが述べる、以下の3行ですね。
>天気図を伝える手段がヒサゴ沼等に設置される事を望みます。
>天気予報に囚われ、天候が回復する見込を持ってしまったからこそ、
>今回の悲劇はより助長されてしまったようにも感じます。
やはり、天気図を伝える手段がヒサゴ沼にほしい。
これは、本当にそう思います。
北アルプスにあるような、ソーラー式の衛生携帯公衆電話を置けないものか?
あと、ガイド会社は、衛生携帯か無線を必携にするとか。
悪天候の中、ガイドさんが、どんなに御客様のために頑張っても、
最初に判断ミスがあったら全てが無駄になりますから
やはり、天気図を伝える手段がヒサゴ沼にほしいですね。
つづく。
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2009年08月03日
トムラウシ山遭難事故と百名山
トムラウシ山遭難事故は、悲しい出来事でしたが、中高年の百名山へのチャレンジと関係あるかもしれませんね。なんといっても、トムラウシ山は、百名山ですから。
で、百名山を完遂した御客様数名に
「どの山が一番きついですか?」
と聞いたことがあるのですが、みんな口を揃えて
「トムラウシ山か利尻山」
と言います。それを聞いた私は
「はて? どうしてだろう?」
と疑問に思い、こう聞き返しました。
剣岳は?
槍ヶ岳は?
穂高岳は?
こっちの方が、きつくないですか?
トムラウシ山なんて楽勝でしょう。
利尻山も、きつくないし。
岩場があるわけでないし。
すると、こんな答えが
「トムラウシ山にも、利尻山にも山小屋がないですから」
「・・・・」
ああ、そうか。そうだったのか。ふだん営業山小屋を利用している人にとっては、トムラウシ山はキツイのか。かつぐ荷物の重さが違うから。しかし、でも深田久弥さんは、テントで百名山を登ったと思うのだけれど。
それは、ともかくとして、
日本人は、なぜ百名山をめざすのか?
これは、大昔からの伝統である巡礼の風習からきているように思います。
西国三十三カ所巡り、東国三十三カ所巡り、秩父三十四カ所巡り、四国八十八カ所巡りなど、日本人は、巡礼が大好きでしたよね。その文化風習が、遺伝子が、山屋にも継承されたような気がしてなりません。だから百名山がブームになったと。そして、二百名山、三百名山、花の百名山と続いていくのですね。
日本で、もっとも平和だった時代は、江戸時代です。幕末を除いて内乱ゼロというのは、奇跡をみる思いですね。しかし、この平和な江戸時代にこそ、もっとも旅人が大量発生した時代なんですね。江戸時代の庶民が、日本史上一番旅をしています。ジャンジャン旅をしています。ただし、江戸時代の庶民は、お伊勢参りなど、日ごろ信仰している神社やお寺へしきりと参詣旅行に出かけました。
そういう時代ですから、紀行文や旅のガイドブックが次々と発行され、それがすべてベストセラーになるという出版文化が花開きました。なかでも有名なのが十返合一九の「東海道中膝栗毛」で、その他に「金比羅参詣」「木曾街道」「善光寺」「中山道道中」「上州草津温泉道中」なんてのもあります。
また東海道のガイドブック「東海道分間絵図(斐川師宣)」、江戸のガイドブック「江戸名所図会」「東都歳事記」、京都のガイドブック「都名所図会」などが発行されました。さらに広重の「東海道五十三次」なども発行され、庶民にとって旅行は、とても身近なものにています。
また、菅江真澄・古川古松軒・貝原益軒・大田蜀山人・鈴木牧之などが次々と紀行文を発表し、それが飛ぶように売れました。庶民の旅にたいする関心は、異常なほど強かったようです。こうなると、ひょっとしたら現代より、江戸時代の庶民の方が旅に対する感心が高かったのではないか?と思えてきます。
では、江戸時代の庶民たちは、どんな旅行を行なっていたか?
それについて、ちょっと解説してみたいと思います。
実は、江戸時代の庶民たちは、実に活発にサークル活動をしていました。サークル活動のことを「講」と言います。「講」とは僧や民衆の集会をさす仏教用語でしたが、便利な表現なので、いろんな意味に使われ、サークルや組合の意味と同義語のように使われるようになりました。
講の中には、氏神講から、積立金融団体の頼母子(たのもし)講や、鍛冶屋組合のふいご講など、たくさんの講が生れて、さまざまなサークル活動が全国で活発になっていたわけです。
さて旅の話に戻しますが、旅人のサークルも、たくさん誕生し、かなりの数の会員が全国を旅するようになりました。その中でも最も大きかったサークルが、伊勢講です。
伊勢講のすごいところは、全国の農家に御師(おんし)という、現代で言えば旅行会社の営業社員(布教もした)のような人を派遣し、神符や暦などを配付して、伊勢参詣のための説明会を開きました。また、参詣の際には宿を指定し、伊勢に到着すると自宅に泊めて大神楽を奉納させるなど、いたれりつくせりのパックツアーを行っていました。
こういうパックツアーは、全国の有名社寺で普通に行なわれており、江戸時代後期には、各種の講が指定していた、指定の宿が乱立していたようです。有名社寺が、このような旅行業務を熱心に行なっていたわけです。
話がそれますが、指定の宿とは言うものの、統一基準など無く、サービスが悪いボッタクリ宿や暴力団が経営するような宿も多かったようです。
まるで現代日本の
山岳業界みたいですね。
それに目をつけた大坂や江戸の行商人たちは、自らの経験を生かして、全国の優良旅館を選定してネットワークを作り、指定旅館制度を創始して、浪花講という優良旅館組合をつくりました。そして利用者には加盟施設一覧を記したガイドブックや、会員証や、道中案内が渡されました。そして旅館には、目印に浪花講の看板がかかげられました。本当にいたれりつくせりのツーリストシステムです。
で、現代の日本のお話にもどりますが....?
つづく
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で、百名山を完遂した御客様数名に
「どの山が一番きついですか?」
と聞いたことがあるのですが、みんな口を揃えて
「トムラウシ山か利尻山」
と言います。それを聞いた私は
「はて? どうしてだろう?」
と疑問に思い、こう聞き返しました。
剣岳は?
槍ヶ岳は?
穂高岳は?
こっちの方が、きつくないですか?
トムラウシ山なんて楽勝でしょう。
利尻山も、きつくないし。
岩場があるわけでないし。
すると、こんな答えが
「トムラウシ山にも、利尻山にも山小屋がないですから」
「・・・・」
ああ、そうか。そうだったのか。ふだん営業山小屋を利用している人にとっては、トムラウシ山はキツイのか。かつぐ荷物の重さが違うから。しかし、でも深田久弥さんは、テントで百名山を登ったと思うのだけれど。
それは、ともかくとして、
日本人は、なぜ百名山をめざすのか?
これは、大昔からの伝統である巡礼の風習からきているように思います。
西国三十三カ所巡り、東国三十三カ所巡り、秩父三十四カ所巡り、四国八十八カ所巡りなど、日本人は、巡礼が大好きでしたよね。その文化風習が、遺伝子が、山屋にも継承されたような気がしてなりません。だから百名山がブームになったと。そして、二百名山、三百名山、花の百名山と続いていくのですね。
日本で、もっとも平和だった時代は、江戸時代です。幕末を除いて内乱ゼロというのは、奇跡をみる思いですね。しかし、この平和な江戸時代にこそ、もっとも旅人が大量発生した時代なんですね。江戸時代の庶民が、日本史上一番旅をしています。ジャンジャン旅をしています。ただし、江戸時代の庶民は、お伊勢参りなど、日ごろ信仰している神社やお寺へしきりと参詣旅行に出かけました。
そういう時代ですから、紀行文や旅のガイドブックが次々と発行され、それがすべてベストセラーになるという出版文化が花開きました。なかでも有名なのが十返合一九の「東海道中膝栗毛」で、その他に「金比羅参詣」「木曾街道」「善光寺」「中山道道中」「上州草津温泉道中」なんてのもあります。
また東海道のガイドブック「東海道分間絵図(斐川師宣)」、江戸のガイドブック「江戸名所図会」「東都歳事記」、京都のガイドブック「都名所図会」などが発行されました。さらに広重の「東海道五十三次」なども発行され、庶民にとって旅行は、とても身近なものにています。
また、菅江真澄・古川古松軒・貝原益軒・大田蜀山人・鈴木牧之などが次々と紀行文を発表し、それが飛ぶように売れました。庶民の旅にたいする関心は、異常なほど強かったようです。こうなると、ひょっとしたら現代より、江戸時代の庶民の方が旅に対する感心が高かったのではないか?と思えてきます。
では、江戸時代の庶民たちは、どんな旅行を行なっていたか?
それについて、ちょっと解説してみたいと思います。
実は、江戸時代の庶民たちは、実に活発にサークル活動をしていました。サークル活動のことを「講」と言います。「講」とは僧や民衆の集会をさす仏教用語でしたが、便利な表現なので、いろんな意味に使われ、サークルや組合の意味と同義語のように使われるようになりました。
講の中には、氏神講から、積立金融団体の頼母子(たのもし)講や、鍛冶屋組合のふいご講など、たくさんの講が生れて、さまざまなサークル活動が全国で活発になっていたわけです。
さて旅の話に戻しますが、旅人のサークルも、たくさん誕生し、かなりの数の会員が全国を旅するようになりました。その中でも最も大きかったサークルが、伊勢講です。
伊勢講のすごいところは、全国の農家に御師(おんし)という、現代で言えば旅行会社の営業社員(布教もした)のような人を派遣し、神符や暦などを配付して、伊勢参詣のための説明会を開きました。また、参詣の際には宿を指定し、伊勢に到着すると自宅に泊めて大神楽を奉納させるなど、いたれりつくせりのパックツアーを行っていました。
こういうパックツアーは、全国の有名社寺で普通に行なわれており、江戸時代後期には、各種の講が指定していた、指定の宿が乱立していたようです。有名社寺が、このような旅行業務を熱心に行なっていたわけです。
話がそれますが、指定の宿とは言うものの、統一基準など無く、サービスが悪いボッタクリ宿や暴力団が経営するような宿も多かったようです。
まるで現代日本の
山岳業界みたいですね。
それに目をつけた大坂や江戸の行商人たちは、自らの経験を生かして、全国の優良旅館を選定してネットワークを作り、指定旅館制度を創始して、浪花講という優良旅館組合をつくりました。そして利用者には加盟施設一覧を記したガイドブックや、会員証や、道中案内が渡されました。そして旅館には、目印に浪花講の看板がかかげられました。本当にいたれりつくせりのツーリストシステムです。
で、現代の日本のお話にもどりますが....?
つづく
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新しいヘルパーさん、今日、デビュー
新しいヘルパーさん、今日、デビューしました。
写真をとりわすれたので、
あとで、写真をアップしますが、
とっても感じの良い子でした。
好感度ナンバーワンですね。
マルちゃんみたいな感じ。
ユースホステルは、初めてなのですが、
すごく相性がいいみたい。
今、お茶会で、御客様と楽しそうに話しています。
(ホッとしました)
ちなみにカフェでバイトをしていたらしく、
御客様との会話もスムーズ。
つづく
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写真をとりわすれたので、
あとで、写真をアップしますが、
とっても感じの良い子でした。
好感度ナンバーワンですね。
マルちゃんみたいな感じ。
ユースホステルは、初めてなのですが、
すごく相性がいいみたい。
今、お茶会で、御客様と楽しそうに話しています。
(ホッとしました)
ちなみにカフェでバイトをしていたらしく、
御客様との会話もスムーズ。
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2009年08月02日
私のトムラウシ山縦走とトラブル
私のトムラウシ山縦走記録
今回の事件で、もう、ガイドツアーなんて、危険でと思われる方も多いかと思いますが、ガイドツアーは無くならないでしょうね。需要があります。その理由に「足」の問題があります。うちの宿に山岳関係者が団体貸し切りで泊まったことがありまして、貸し切りバスでやってきました。一泊二日で百名山を3つ登るんだと言ってました。
確かに登れます。
貸し切りバスがあれば。
無ければ、3泊は必要でしょう。
車がないと不便な山って多いですね。で、増えているのが、バス会社が盛んにガイドツアーをはじめています。それを利用すると確かに便利です。一泊二日で百名山を3つ登ることも可能になってくる。お得であるということらしい。でも、それって、本当にお得なのでしょうか?
百名山て、そんなに急いで登らないとダメですかね?
天気の良いときに、一つの山を、
最高のコンデションで、じっくり登る方が良くないでしょうか?
実は私はトムラウシに何度か登っています。
天気図をにらみ、最高の天候の時に登りました。
すごい綺麗だった。
で、トムラウシに登ろうとする皆さんに助言です。
必ずテントは、持って行きましょう。
日程は、5泊くらい用意しておくといいです。
天候が悪いなら旅館で、ゆっくり休めばいいですよ。
慌てて登る必要はない。
1990年頃に、私がトムラウシ山を縦走したルートは、十勝岳からトムラウシ山そして天人峡のコースです。天人峡のコースならエスケープできたんじゃないですかね?
私の場合は、美瑛の白金にある自然の村キャンプ場にテントを張り、そこで1泊。日本酒やワインやビールを飲んでいますと、キャンプ場の管理人が見回りにやってきました。で、管理人さんにも酒を飲ませて山の情報を仕入れました。
翌日、晴天だったので、望岳台に向い、望岳台から富良野岳に登り、十勝岳に向いました。十勝岳は、大島に三原山を想わせる、その山容。まるで西部劇に出てくる荒野を思いださせましたね。眼下に眺めも素晴らしいの一言で、富良野や美瑛の美しい事。しかも、自衛隊の大砲の音つき。日本広しと言えども、自衛隊のドンパチが聞ける山は十勝岳くらいのものかもしれない。
その後、美瑛岳に向いました。この美瑛岳のコースは右手に緑の湿原地帯。左手に崖の火山地帯。これほど左右対象の稜線は見た事がありません。まるで、右手に天国、左手に地獄を見ながら山の尾根を歩いているようでしたね。
そんな夢心地の中を歩いた私たちが、美瑛富士避難小屋に着いたのは夕方の3時頃。避難小屋に到着して驚いた事は、その地が、なきうさぎの天国だった事です。チュン、チュンと鳴くなきうさぎ。ウサギというより大きなネズミみたいでした。目の前に宝石箱を見つけたような気分でしたね。
二日目は、ひたすらトムラウシ山に向かいますが、アップダウンの連続。トムラウシ山まであとわずかのところで、夕方に濃霧がでてきたのと、気温の急激な低下に危険と判断し、大沼まで行くのを断念。三河台にテントを張りました。三河台には雪渓が大量に残っていましたから水が簡単にとれました。
三日目にトムラウシ登頂。登山者でごったがえしていました。トムラウシに来るまでは、登山者らしい登山者を見かけなかったものでしたが、さすがはトムラウシ。頂上は通勤ラッシュなみに混んでいましたねえ。そのせいか、トムラウシでは目ぼしいお花も、なきうさぎも見かけることが、ありませんでした。まあ、当然と言えば当然の事かもしれませんね。
その後、天人峡に向いました。大雪のパノラマは、しばし、私たちの足を止めてしまいました。あんまり素晴らしかったんで、食料は、ふんだんに残っていたので、ヒサゴ沼に、もう1泊しようかなと思っていた矢先に、はしゃぎすぎた仲間が、足をくじいてしまった。
この時は、ひやっとしました。
怪我した人の容体をみると靱帯損傷のおそれがありそうなので、3時間後に足が動かなくなるおそれがあると判断。応急処置をしたうえで、私と怪我した人の荷物を他のメンバーに預けました。そして全行程は背負えないので、場合によっては背負ったり、背負わなかったりしながら、5時間かけて天人峡に下山。やはり下山直後に、足は動かなくなっていました。すぐに病院に駆け込みました。
さいわい怪我はたいしたことがなく、
全治3週間でしたが、ほんとうに焦ったものです。
はしゃぎすぎて怪我した人は、反省会では、小さくなり
それ以降は、慎重な登山を目指すようになりました。
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今回の事件で、もう、ガイドツアーなんて、危険でと思われる方も多いかと思いますが、ガイドツアーは無くならないでしょうね。需要があります。その理由に「足」の問題があります。うちの宿に山岳関係者が団体貸し切りで泊まったことがありまして、貸し切りバスでやってきました。一泊二日で百名山を3つ登るんだと言ってました。
確かに登れます。
貸し切りバスがあれば。
無ければ、3泊は必要でしょう。
車がないと不便な山って多いですね。で、増えているのが、バス会社が盛んにガイドツアーをはじめています。それを利用すると確かに便利です。一泊二日で百名山を3つ登ることも可能になってくる。お得であるということらしい。でも、それって、本当にお得なのでしょうか?
百名山て、そんなに急いで登らないとダメですかね?
天気の良いときに、一つの山を、
最高のコンデションで、じっくり登る方が良くないでしょうか?
実は私はトムラウシに何度か登っています。
天気図をにらみ、最高の天候の時に登りました。
すごい綺麗だった。
で、トムラウシに登ろうとする皆さんに助言です。
必ずテントは、持って行きましょう。
日程は、5泊くらい用意しておくといいです。
天候が悪いなら旅館で、ゆっくり休めばいいですよ。
慌てて登る必要はない。
1990年頃に、私がトムラウシ山を縦走したルートは、十勝岳からトムラウシ山そして天人峡のコースです。天人峡のコースならエスケープできたんじゃないですかね?
私の場合は、美瑛の白金にある自然の村キャンプ場にテントを張り、そこで1泊。日本酒やワインやビールを飲んでいますと、キャンプ場の管理人が見回りにやってきました。で、管理人さんにも酒を飲ませて山の情報を仕入れました。
翌日、晴天だったので、望岳台に向い、望岳台から富良野岳に登り、十勝岳に向いました。十勝岳は、大島に三原山を想わせる、その山容。まるで西部劇に出てくる荒野を思いださせましたね。眼下に眺めも素晴らしいの一言で、富良野や美瑛の美しい事。しかも、自衛隊の大砲の音つき。日本広しと言えども、自衛隊のドンパチが聞ける山は十勝岳くらいのものかもしれない。
その後、美瑛岳に向いました。この美瑛岳のコースは右手に緑の湿原地帯。左手に崖の火山地帯。これほど左右対象の稜線は見た事がありません。まるで、右手に天国、左手に地獄を見ながら山の尾根を歩いているようでしたね。
そんな夢心地の中を歩いた私たちが、美瑛富士避難小屋に着いたのは夕方の3時頃。避難小屋に到着して驚いた事は、その地が、なきうさぎの天国だった事です。チュン、チュンと鳴くなきうさぎ。ウサギというより大きなネズミみたいでした。目の前に宝石箱を見つけたような気分でしたね。
二日目は、ひたすらトムラウシ山に向かいますが、アップダウンの連続。トムラウシ山まであとわずかのところで、夕方に濃霧がでてきたのと、気温の急激な低下に危険と判断し、大沼まで行くのを断念。三河台にテントを張りました。三河台には雪渓が大量に残っていましたから水が簡単にとれました。
三日目にトムラウシ登頂。登山者でごったがえしていました。トムラウシに来るまでは、登山者らしい登山者を見かけなかったものでしたが、さすがはトムラウシ。頂上は通勤ラッシュなみに混んでいましたねえ。そのせいか、トムラウシでは目ぼしいお花も、なきうさぎも見かけることが、ありませんでした。まあ、当然と言えば当然の事かもしれませんね。
その後、天人峡に向いました。大雪のパノラマは、しばし、私たちの足を止めてしまいました。あんまり素晴らしかったんで、食料は、ふんだんに残っていたので、ヒサゴ沼に、もう1泊しようかなと思っていた矢先に、はしゃぎすぎた仲間が、足をくじいてしまった。
この時は、ひやっとしました。
怪我した人の容体をみると靱帯損傷のおそれがありそうなので、3時間後に足が動かなくなるおそれがあると判断。応急処置をしたうえで、私と怪我した人の荷物を他のメンバーに預けました。そして全行程は背負えないので、場合によっては背負ったり、背負わなかったりしながら、5時間かけて天人峡に下山。やはり下山直後に、足は動かなくなっていました。すぐに病院に駆け込みました。
さいわい怪我はたいしたことがなく、
全治3週間でしたが、ほんとうに焦ったものです。
はしゃぎすぎて怪我した人は、反省会では、小さくなり
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新しいヘルパーさん登場か?
明日、新しいヘルパーさん登場します。
さっき、連絡がありました。
21歳の大学3年生(女性)とか。楽しみですね。
とにかく明日、写真をアップしますね。
あと、数日遅れて、40歳代の社会人の方(女性)も登場します。
つづく
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さっき、連絡がありました。
21歳の大学3年生(女性)とか。楽しみですね。
とにかく明日、写真をアップしますね。
あと、数日遅れて、40歳代の社会人の方(女性)も登場します。
つづく
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2009年08月01日
トムラウシ山遭難事故に思う14+α
トムラウシ山遭難事故に思う14+α
もう、この事件にふれるのをやめようかと思いましたが、
私が事実確認をせずに、紹介した部分にミスがあったので訂正します。
間違い部分は
>15 日 22:0022:20 時点で遭難パーティは、まだヒサゴ沼避難小屋に
>到着できておらず、行動中であった可能性がある。
という引用部分。
■ばあばさん、
>ヒサゴ沼避難小屋にパーティが到着したのは午後2時だったようです。
>9時間歩いたそうです。
ああ、そうですか!
そうですよね!
いくらなんでも
>15 日 22:0022:20 時点で遭難パーティは、まだヒサゴ沼避難小屋に
>到着できておらず、行動中であった可能性がある。
は変ですよね。と言うことは、
22時の気象通報をきいて、天気図を書いた可能性は高い。
問題は、ガイドが閉塞低気圧を認識できていたかですが。
■Yさん
するどい指摘ありがとうございました。
以下、Yさんの指摘を気象の初心者に分かりやすく解説します。
>2002年は台風崩れの閉塞低気圧ですから、
>気団的には、今回は、2002年より寒冷であった可能性が強いかと思います。
閉塞とは、路や出入り口がふさがるという意味です。
そして2つの前線が閉塞し、
暖かい空気を閉め出してしまうのが、閉塞前線。
図で言いますと、これです。
http://www.weathermap.co.jp/kishojin/diary/products/webjpeg/diary_l/41500_02071509.JPG
北海道の北に、前線が重なり合っています。
これが閉塞前線。
で、これがどうしてヤバイかと言いますと、
この図を見てください。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8a/Warmfrontokklusion_en.png/250px-Warmfrontokklusion_en.png
2つの前線が、ピッタリくっついて閉塞し、
温かい空気が上空で閉じ込められている。
これで急激な寒冷化がおきます。
で、前回遭難があった2002年7月12日の天気図を見てみましょう。
これです。
http://www.weathermap.co.jp/kishojin/diary/products/webjpeg/diary_l/41500_02071209.JPG
みごとな閉塞前線。
では、今回の2009年7月16日の天気図は、
http://www.weathermap.co.jp/kishojin/diary/products/webjpeg/diary_l/41500_09071609.JPG
やはり、みごとな閉塞前線。
Yさんの指摘どうり最悪な天気図ですね。
さらにYさんは、このように言ってます。
>オホーツク海での閉塞低気圧の発達及び停滞は冬季には頻繁に見られるものであり、
>特に発達したものは「旋風」と呼ばれますが、
>今回はその旋風に構造的には近い物であったと考えられます。
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN8/kaikyo/no34/1-(6).html
>そういった低気圧の特徴は、前線部は先行して中心部から離れているため、
>低気圧の等圧線(特に西側)は真円に近づく、かつ移動速度が落ちた場合、
>一定の風向きが長時間において持続するのが特徴です。
>また、前線通過後の小康期がありますので、複数パーティーが当日トムラウシを
>登っているところを見ますと、天気図を知らなければ意外とだまされそうな天候
>だったのかもしれませんがそこは更なる情報を待つべきかもしれません。
さらにYさんは、このように言ってます。
>また、ご指摘のサイトでも低気圧が閉塞したことを知るチャンスは
>おそらくないとされており、私もその点は同意です。
>しかも、定時連絡もしていない以上、今回のツアーでは、
>問題の低気圧がオホーツクで閉塞かつ動きが遅滞化している事は
>知りえなかったと思われます。
これには、そうかもしれませんね。
前日の天気図は
http://www.weathermap.co.jp/kishojin/diary/products/webjpeg/diary_l/41500_09071509.JPG
ですから。欺されるかもしれない。
詳しくは、下記を
http://kaze3.seesaa.net/article/124652751.html#comment
■みわぼーさん
まさか?の展開でした。
どうして気分の悪い人を、途中撤退。
またはヘリ救出、または別行動させなかったのか?
おそらく、彼女は高度障害にかかっている可能性が高い。
2000メートルに低気圧。
ふつうに高度障害がおきるでしょう!
ゲロをはき、頭痛がし、唇と爪が紫ならば決定的。
停滞するしかない。
つづく。
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もう、この事件にふれるのをやめようかと思いましたが、
私が事実確認をせずに、紹介した部分にミスがあったので訂正します。
間違い部分は
>15 日 22:0022:20 時点で遭難パーティは、まだヒサゴ沼避難小屋に
>到着できておらず、行動中であった可能性がある。
という引用部分。
■ばあばさん、
>ヒサゴ沼避難小屋にパーティが到着したのは午後2時だったようです。
>9時間歩いたそうです。
ああ、そうですか!
そうですよね!
いくらなんでも
>15 日 22:0022:20 時点で遭難パーティは、まだヒサゴ沼避難小屋に
>到着できておらず、行動中であった可能性がある。
は変ですよね。と言うことは、
22時の気象通報をきいて、天気図を書いた可能性は高い。
問題は、ガイドが閉塞低気圧を認識できていたかですが。
■Yさん
するどい指摘ありがとうございました。
以下、Yさんの指摘を気象の初心者に分かりやすく解説します。
>2002年は台風崩れの閉塞低気圧ですから、
>気団的には、今回は、2002年より寒冷であった可能性が強いかと思います。
閉塞とは、路や出入り口がふさがるという意味です。
そして2つの前線が閉塞し、
暖かい空気を閉め出してしまうのが、閉塞前線。
図で言いますと、これです。
http://www.weathermap.co.jp/kishojin/diary/products/webjpeg/diary_l/41500_02071509.JPG
北海道の北に、前線が重なり合っています。
これが閉塞前線。
で、これがどうしてヤバイかと言いますと、
この図を見てください。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8a/Warmfrontokklusion_en.png/250px-Warmfrontokklusion_en.png
2つの前線が、ピッタリくっついて閉塞し、
温かい空気が上空で閉じ込められている。
これで急激な寒冷化がおきます。
で、前回遭難があった2002年7月12日の天気図を見てみましょう。
これです。
http://www.weathermap.co.jp/kishojin/diary/products/webjpeg/diary_l/41500_02071209.JPG
みごとな閉塞前線。
では、今回の2009年7月16日の天気図は、
http://www.weathermap.co.jp/kishojin/diary/products/webjpeg/diary_l/41500_09071609.JPG
やはり、みごとな閉塞前線。
Yさんの指摘どうり最悪な天気図ですね。
さらにYさんは、このように言ってます。
>オホーツク海での閉塞低気圧の発達及び停滞は冬季には頻繁に見られるものであり、
>特に発達したものは「旋風」と呼ばれますが、
>今回はその旋風に構造的には近い物であったと考えられます。
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN8/kaikyo/no34/1-(6).html
>そういった低気圧の特徴は、前線部は先行して中心部から離れているため、
>低気圧の等圧線(特に西側)は真円に近づく、かつ移動速度が落ちた場合、
>一定の風向きが長時間において持続するのが特徴です。
>また、前線通過後の小康期がありますので、複数パーティーが当日トムラウシを
>登っているところを見ますと、天気図を知らなければ意外とだまされそうな天候
>だったのかもしれませんがそこは更なる情報を待つべきかもしれません。
さらにYさんは、このように言ってます。
>また、ご指摘のサイトでも低気圧が閉塞したことを知るチャンスは
>おそらくないとされており、私もその点は同意です。
>しかも、定時連絡もしていない以上、今回のツアーでは、
>問題の低気圧がオホーツクで閉塞かつ動きが遅滞化している事は
>知りえなかったと思われます。
これには、そうかもしれませんね。
前日の天気図は
http://www.weathermap.co.jp/kishojin/diary/products/webjpeg/diary_l/41500_09071509.JPG
ですから。欺されるかもしれない。
詳しくは、下記を
http://kaze3.seesaa.net/article/124652751.html#comment
■みわぼーさん
まさか?の展開でした。
どうして気分の悪い人を、途中撤退。
またはヘリ救出、または別行動させなかったのか?
おそらく、彼女は高度障害にかかっている可能性が高い。
2000メートルに低気圧。
ふつうに高度障害がおきるでしょう!
ゲロをはき、頭痛がし、唇と爪が紫ならば決定的。
停滞するしかない。
つづく。
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フレスガッセ
フレスガッセ

思いっきり大衆食堂です。
おせじにもオシャレではない。
だからデートには向きません。
で、誰だよ、某食べブログに
「デート向き」って書いた奴!
ちょっと出てきなさい!(笑)
(いや、あんたが本気でデート向きだと信じてるなら、
それは、それで立派な姿勢なので、拍手しますけれどね)
軽井沢にハム・ソーセージの店を開いて25年以上。
建物自体は手作り40年程の歴史があり、
今では傾いており、隙間風もふく
(と、店の公式ホームページにも書いてある)

ただ、この店は、手作りソーセージとハムが食べられるので、その方面の食通にはたまらないことは確かです。軽井沢通の人間で、ここに通う人は多いようです。食材は自家製。ソーセージやハムはもちろん、お料理に使うソースも自家製です。もちろん保存料・添加物等、使用してません。で、これが自家製ソーセージ。



TEL 0267-42-8169
住所 長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢東29-15
営業時間 9:00〜15:00 17:00〜19:30
不定休
http://fress-gasse.com/
つづく。
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思いっきり大衆食堂です。
おせじにもオシャレではない。
だからデートには向きません。
で、誰だよ、某食べブログに
「デート向き」って書いた奴!
ちょっと出てきなさい!(笑)
(いや、あんたが本気でデート向きだと信じてるなら、
それは、それで立派な姿勢なので、拍手しますけれどね)
軽井沢にハム・ソーセージの店を開いて25年以上。
建物自体は手作り40年程の歴史があり、
今では傾いており、隙間風もふく
(と、店の公式ホームページにも書いてある)
ただ、この店は、手作りソーセージとハムが食べられるので、その方面の食通にはたまらないことは確かです。軽井沢通の人間で、ここに通う人は多いようです。食材は自家製。ソーセージやハムはもちろん、お料理に使うソースも自家製です。もちろん保存料・添加物等、使用してません。で、これが自家製ソーセージ。
TEL 0267-42-8169
住所 長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢東29-15
営業時間 9:00〜15:00 17:00〜19:30
不定休
http://fress-gasse.com/
つづく。
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トムラウシ山遭難事故に思う16
トムラウシ山遭難事故に思う16
こんなサイトを発見して愕然としました。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/31/mr-toda-text/
登山関係者のサイトオーナーが、
遭難被害にあわれた戸田さんに質問を出し、戸田さんが答えたというサイトです。
ここに意外な事実が。
戸田さんの回答
>最初の日にすでに一人の女客が旭岳から白雲岳へ行く途中で
>うつむいてゲロをはくこと、ゲイゲイとやっていた。
>体調をくずしていたようです、ガイドに連絡しなにかやっていた
>ようですが、自分の視界からきえました。
>その日にもう一度目撃し、次の日に一度目撃しました。
>彼女のサポートに足を取られ、大幅な時間遅延がしょうじ、それが誤算だったようにおもいます。
涙、出てきました。もう、何が何だか。
コメントするのも辛くなってきた。
本当に泣けてくる。
さらに戸田さんは、驚くべき事に、このように証言しています。
>小屋から5時間でなく6時間(コースタイムは2時間30分)です、
>2倍ではなく3倍に近い時間を食ったと思います。
>そして分岐の下で停滞したのが1時間半とされていますが、
>2時間と思います。2時間は現場で自分が最初に考えた時間です。
恐ろしいな。
本当に恐ろしい。
私は、最初のニュースのいい加減な報道を思い出しています。
こんなこと、言うのは不謹慎かもしれませんが、
生き残ったガイドの刑事責任を免責にできませんか?
免責にしたうえで、
会社をやめてもらって
ガイドにも真実を徹底的に
語ってもらうことはできませんか?
真実を解明しないと再発する気がする。
この事件には、それだけの教訓があると思う。
この遭難事件は、誰かに責任をとらすことよりも、
どういう会社の指示で、どういう理屈で、
どういう心理状態で、どういう判断を下したかを
究明することを第一にしては、だめでしょうか?
(ダメだろうなあ、8人死んでるからなあ)
あと、こんなサイトも。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1028738865
>で「山岳遭難」救援を求めるのが常識以前の問題。
(途中略)
>何故に、救助要請を遅らしたのか?
>無駄に命を散らしたのか
>海王丸事故ではヘリのパイロットはマストの上、直径1メーターの箇所に
>特殊救難隊員を降下させてみせた。神業としか思えない風速30メーター。
>そのような鍛えられたメンバーがわが国には存在する。
>何故に速やかに救助を求めなかったか?
>ヘリが飛べるか、飛べないかは担当者が決定する。
>大切なのは救助要請が大幅に遅れた事。
あと、テントが4人用が一つだけだったという情報にも驚かされました。はじめからの予定で、他のテント(10人用一つ、4人用一つ)は次のパーティーのため避難小屋にのこしたとは、なんて酷い話なんだろう。これが本当ならビバークも出来ない。おまけにツエルトは、御客様の備品だったらしいし。こんな計画をたてて、ガイドに丸投げするなんて、計画した人の責任も重いなあ。
やっぱり、この隊は、最初に睨んだとうりポーター軍団だったんだなあ。
会社は何をやってたんだろう?
ああ、本当に嫌になってきた。
胸くそ悪い。
もう、そろそろ、この話題を打ち切ろうかと思います。
(経験、無線、気象、カロリー、ポター、装備、医療、いろいろ想定してブログを書いていたけれど、病人に鞭打って悪天候を突破するというのは、さすがの私には想定外でした。事実は小説より奇なりというところか? いったい事件の背景に何があったのか?)
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こんなサイトを発見して愕然としました。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/31/mr-toda-text/
登山関係者のサイトオーナーが、
遭難被害にあわれた戸田さんに質問を出し、戸田さんが答えたというサイトです。
ここに意外な事実が。
戸田さんの回答
>最初の日にすでに一人の女客が旭岳から白雲岳へ行く途中で
>うつむいてゲロをはくこと、ゲイゲイとやっていた。
>体調をくずしていたようです、ガイドに連絡しなにかやっていた
>ようですが、自分の視界からきえました。
>その日にもう一度目撃し、次の日に一度目撃しました。
>彼女のサポートに足を取られ、大幅な時間遅延がしょうじ、それが誤算だったようにおもいます。
涙、出てきました。もう、何が何だか。
コメントするのも辛くなってきた。
本当に泣けてくる。
さらに戸田さんは、驚くべき事に、このように証言しています。
>小屋から5時間でなく6時間(コースタイムは2時間30分)です、
>2倍ではなく3倍に近い時間を食ったと思います。
>そして分岐の下で停滞したのが1時間半とされていますが、
>2時間と思います。2時間は現場で自分が最初に考えた時間です。
恐ろしいな。
本当に恐ろしい。
私は、最初のニュースのいい加減な報道を思い出しています。
こんなこと、言うのは不謹慎かもしれませんが、
生き残ったガイドの刑事責任を免責にできませんか?
免責にしたうえで、
会社をやめてもらって
ガイドにも真実を徹底的に
語ってもらうことはできませんか?
真実を解明しないと再発する気がする。
この事件には、それだけの教訓があると思う。
この遭難事件は、誰かに責任をとらすことよりも、
どういう会社の指示で、どういう理屈で、
どういう心理状態で、どういう判断を下したかを
究明することを第一にしては、だめでしょうか?
(ダメだろうなあ、8人死んでるからなあ)
あと、こんなサイトも。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1028738865
>で「山岳遭難」救援を求めるのが常識以前の問題。
(途中略)
>何故に、救助要請を遅らしたのか?
>無駄に命を散らしたのか
>海王丸事故ではヘリのパイロットはマストの上、直径1メーターの箇所に
>特殊救難隊員を降下させてみせた。神業としか思えない風速30メーター。
>そのような鍛えられたメンバーがわが国には存在する。
>何故に速やかに救助を求めなかったか?
>ヘリが飛べるか、飛べないかは担当者が決定する。
>大切なのは救助要請が大幅に遅れた事。
あと、テントが4人用が一つだけだったという情報にも驚かされました。はじめからの予定で、他のテント(10人用一つ、4人用一つ)は次のパーティーのため避難小屋にのこしたとは、なんて酷い話なんだろう。これが本当ならビバークも出来ない。おまけにツエルトは、御客様の備品だったらしいし。こんな計画をたてて、ガイドに丸投げするなんて、計画した人の責任も重いなあ。
やっぱり、この隊は、最初に睨んだとうりポーター軍団だったんだなあ。
会社は何をやってたんだろう?
ああ、本当に嫌になってきた。
胸くそ悪い。
もう、そろそろ、この話題を打ち切ろうかと思います。
(経験、無線、気象、カロリー、ポター、装備、医療、いろいろ想定してブログを書いていたけれど、病人に鞭打って悪天候を突破するというのは、さすがの私には想定外でした。事実は小説より奇なりというところか? いったい事件の背景に何があったのか?)
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