2009年08月04日

あさまやまが鳴く頃に01

 今年の最初のヘルパー希望者は、40歳くらいの男性でした。となると、部屋の関係で他のヘルパーさんも男性になり ます。その後、女性から応募があったのですが、かたっぱしから断りました。

 で、男性ヘルパーを3人確保したのですが、どういう訳か、キャンセルをしてきたり、連絡が来なくなったりで、ついに全滅しました。やはり男性採用には、無理があったみたいです。まず、男性の応募者は、圧倒的に少ないために、キャンセルされると、かわりのヘルパーさんの補充が難しいんですね。

 その点、女性のヘルパーさんは、応募者そのものが多いですから、代わりの人をみつけやすい。そこで、新たに募集したところ、5人くらいの女性たちが申し込んできました。まず、メールで履歴を送ってもらい、こちらから諸注意と契約内容を確認するのですが、

 法政大学の学生さんがいた!

 北軽井沢と法政大学は、切っても切れない関係。北軽井沢を開発して、ここを有名にしたのは、法政大学なのですから。しかも名前が、小林。林の中の一軒家である、うち(北軽井沢ブルーベリーYGH)にぴったりの名前ではないか!

「よし、お願いしよう!」

という事になり、現れたのがこの人。

DSCF6721.JPG

「サークルは何やってるの?」
「茶道(さどー)です」
「偶然だね、おれ、佐渡(さどー)生まれ」

ちなみに彼女の実家は、東御市らしい。


「東御市なの?」
「そうです」

「嘘だ!」

「隣町じゃん!
 なんで?
 なんで実家の隣町のユースホステルに
 ヘルパーしにきたの?」


つづく。

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posted by マネージャー at 22:16| Comment(6) | TrackBack(0) | ヘルパー物語2008− | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

トムラウシ山遭難事故と百名山+α

トムラウシ山遭難事故と百名山+α

■わんたろうさん
>なるほど言われて見れば、
>巡礼と百名山巡りってほんとそっくりですね。

巡礼は、行とレジャーが一致しているところが味噌ですね。
この文化風習が、百名山に遺伝したのかと。


■bobcatさん
>やっぱり「キツかったのは利尻山」だそうです。

利尻山をあげる人は、圧倒的に多いですね。トムラウシ山より多い。
一日に登る標高差1,719mですからね。
この往復が辛いのでしょう。
それと百名山の1番目なので、体が慣れてない時に
最初に登る人がいるからとも聞いています。

私は、これを聞いて「あれ?」と思いました。
というのは、利尻山なら散歩気分で7回くらい登っているからです。
全部オシドマリコース。三日連続3回登ったこともありました。
しかし、よく考えてみれば、天候が一番良いときしか登っていません。
だから楽だったのだと思います。


■代官山のバッカスさん
>100名山自体を否定するものではありません。

 実は私も百名山は否定してないんです。それどころか百名山、気がついたら終わってましたね。ただ、これは普通の人には難しいことですね。休みがとれませんから。

 私の前職は、ガラス清掃でした。ビルの高いところからロープを使って降りながら窓ふきをする仕事です。山屋さん(=登山家)も多くて、連続して1ヶ月の休暇は、無理なくとれる仕事です。山屋どうしが、交代で長期休暇をとっていましたから。だから時間だけは、たっぷりありましたから、山にも、長期間に行けます。

 しかし山に行くと、そんな私と似たような環境の人がいることに気がつきました。中高年の方々です。 彼らは私と同じように時間があるんですよ。その時間がある人たちが、急ぎすぎるんですね。体力も、経験も、技術も、私より遙かに劣るのに急ぎすぎますね。で、あぶなかしい。

>一般の善良な中高年登山者を見下した山岳会の体制には問題があると思います。

 ああ、これ、ありますねえ。あると思いますよ。昔っからありました。

>いきなり劔にアタックなんて、あり得ません。

 これも驚きますねえ。せめて槍にしとけばいいのに。(嘘です、本当は日和田山からにしてください)。でも、槍でも渋滞の癌を作っていた人がいて、列が動かないので、指導してあげようとしたら断られました。すると後の人が怒り出して、この時は本当に慌てました。で、後の人に
「無理に急かせると本当に滑落しかねないから」
と、なだめて、その人に基本から教えながら一緒に登ったことがあります。



■e-ba-さん
>社会人になって山岳ハイキング部に入部しました。

それは初耳でした。どうりでねえ。貴重な体験だったと思います。
歴史ある山岳会には、いろいろなノウハウがありますから。
私も色々盗ませてもらいました。
先輩のお古も、いっぱいもらったかな?

で、一番良かったなと思ったことは、
昔の登山スタイルを聞けたこと。

 ゴアテックスの前の登山が、どうであったかを教えてもらい、夏山の疲労凍死の知識が得られたことですね。キスリングも担がされましたが、悲鳴をあげました。こんなものをよく担いだなあと感心しました。先輩の二十年モノの重登山靴にあこがれて、真似して買ってハイキングしたら靴が堅くて悲鳴をあげて笑われたこともありました。「おまえアホか」と。今にしてみれば、いい思い出です。

つづく。

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posted by マネージャー at 14:41| Comment(3) | TrackBack(0) | 登山関係の話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

トムラウシ山遭難事故に思う14+α+α

トムラウシ山遭難事故に思う14+α+α

またもや Yさんが、素晴らしい考察をしてくれました。
コメント欄に埋もれてしまうのは、もったいないので
検索にひっかかりやすいように、ここに紹介します。
原文は、以下のサイトにあります。

http://kaze3.seesaa.net/article/124752705.html#comment

以下、Yさんの考察ょり抜粋。


■1.戸田様のコメント
(以下、略)

■2.天気図の変化からの把握
(以下、略)

■3.気象衛星からの把握
(以下、略)

■4.アメダスからの検証
(以下、略)

■5.地形的な検証
(以下、略)

■6.総括
天気からは、小康期(この間に出発した)を経た後、
一時的な冬型気圧配置となり、寒気を含む
冷湿なオホーツク気団がトムラウシ連峰目掛けて、
真正面からぶつかったということで間違いないかと思います。
時期的にオホーツク高気圧及びオホーツク気団は、オホーツク海北部に居座って
いるはずです。それらが北風によって流れ込んだと思われます。

ところで、subeight様経由で、以下のブログに行きますと、
http://snowmania7.blog38.fc2.com/blog-entry-56.html
旭川の天気予報は回復傾向、降水確率低下、でよくある天気だった、
との表記もありますが、少なくともトムラウシ登山の条件としてかなり
良くなかったのではないかと思うのです。(特に寒気、風向)


他の遭難者も出ているところを見ますと、
2つ玉低気圧発生時、大雪山系は特に
気をつけて行動する必要があると思います。


また、類似気圧配置である、2002年7月12日を考え合わせると、
閉塞低気圧がオホーツク海で発達した場合、発達度合が
それ程ではなくとも、オホーツク海を低気圧が
抜けるまではトムラウシを中心とした大雪山系では、
絶対に動いてはいけないと言う仮説が立てられます。


より専門的な方に検証頂いて、もし本当にそうであれば、
「一人でも多くの登山者にどんな気圧配置が危ないかを分って頂ければ」
と思うのです。

これは地形的なものもあって、旭川−富良野の盆地に北西方向から
風が吹き降りた場合、十勝トムラウシに風が当たって、
「きわめて低い温度で凝結した雨交じりの嵐になる」からだと思われます。

(略)

以上が、Yさんの考察です。改行と強調は、私が行っています。
で、重要なことは、Yさんが述べる、以下の3行ですね。

>天気図を伝える手段がヒサゴ沼等に設置される事を望みます。
>天気予報に囚われ、天候が回復する見込を持ってしまったからこそ、
>今回の悲劇はより助長されてしまったようにも感じます。


やはり、天気図を伝える手段がヒサゴ沼にほしい。
これは、本当にそう思います。
北アルプスにあるような、ソーラー式の衛生携帯公衆電話を置けないものか?
あと、ガイド会社は、衛生携帯か無線を必携にするとか。

悪天候の中、ガイドさんが、どんなに御客様のために頑張っても、
最初に判断ミスがあったら全てが無駄になりますから
やはり、天気図を伝える手段がヒサゴ沼にほしいですね。

つづく。

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posted by マネージャー at 13:46| Comment(1) | TrackBack(0) | 登山関係の話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする