2009年09月04日

昔のユースの風景

1999年。10年前の写真です。
今回は、ラズベリーユースの曽原マネージャーの
若かりし頃の写真を中心にピックアップしてみました。

まず、浜坂ユースの写真。
一番前で目立っているのが曽原氏。
昔から、こういう人でした。
目立ちたがりでありながら、打たれ強い。
あまりクヨクヨしないタイプです。
5分前のことは忘れて、新しいことを始めるタイプですね。

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これは天橋立ユースホステルで知り合った
アメリカ人女性と一緒に旅をしている風景。

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これは宇多野ユースホステルで
インド人と知り合って誕生会をひらいている様子。

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これは冬の京都。

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そして佐渡島。
これは宇多野ユースホステルで知り合った
インド人を佐渡の実家に招待してインド踊りをしいる様子。

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日本とインドの国際交流です。
しかも佐渡島で。
こういう出会いと交流が、
ユースホステルの醍醐味なんです。


そしてハイキング。
体を使った旅もユースホステルの面白いところ。

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つづく。

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posted by マネージャー at 21:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 古い写真を発掘したみた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

力士雷電博物館

力士雷電博物館
は、雷電クルミの郷にあります。

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地上最強の相撲とりが雷電です。
どのくらい強かったかとと言いますと
雷電ルール
があったくらい強かった。

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つまり、雷電だけは、突っ張りや張り手を禁止されていたんですよね。
よーするに雷電と戦う場合は、雷電側に技の制限があった。
それなのに、勝率は歴代ナンバーワン。
もし、雷電ルールがなかったら、
ぶっちぎりの全勝街道まっしぐらだったでしょう。

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雷電は、寛政2年(1790年)11月、初登場で西方関脇に付け出しで初土俵。横綱と互角の試合をして、勝負は預かり。この場所で8勝2預りとなり優勝をしました。以来、対戦者を圧倒しました。

江戸相撲では7年にわたり出場した11場所全ての場所で優勝相当成績を記録。その後も引退までに出場した場所で7連続と9連続で優勝相当成績を記録。通算で優勝に相当する成績を残すこと28回のうち全勝が7回。
優勝回数は年2場所制の時代なので、年6場所制に移行した現在ならば、84回の優勝に相当します。

で、勝率96.2パーセント。
44連勝を筆頭に30連勝以上を4回記録しています。

そして一場所で2敗することはついになく、
同じ相手に2度負けることも一人(花頂山)を除いてなかった。

閂で八角政右エ門の腕をへし折ったために、突っ張り、張り手、閂(かんぬき)、鯖折りを禁じ手とされるという雷電ルールが適用されました。

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さて、雷電の大きさですが
身長、197センチ。
体重、172キロ
の筋肉質な巨人だったと言いますから、これが本当なら負けるわけがありませんね。

つづく。

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posted by マネージャー at 21:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 東御市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする