佐久総合病院とは何か?1
『阿弥陀堂だより』の話が出たついでに、
佐久総合病院とは何か?について話しておきましょう。
佐久総合病院は、世界中で一番有名な病院かもしれません。
佐久総合病院の前に、佐久総合病院は無かったからです。
これはどういう事かと言いますと、佐久総合病院は、患者が来るのを待っていた病院では無かったのですね。健康そうな人の所に出かけて、病気を発見して治療した病院なんです。しかも、それまで病気でさえなかった病気(風土病・職業病)を発見していった。そういう病院なんです。
この佐久病院を作り上げた人間は、若月俊一という元マルキスト(共産主義者)です。若月俊一氏は、戦争中に治安維持法で逮捕され、佐久の臼田という田舎に追放されます。
臼田は、行ってみるとわかりますが、ド田舎です。
そのド田舎で、若月俊一は、しゃんじゃん手術した。
薬も機材も医師も看護師も足りない中で、しゃんじゃん手術した。
若月俊一は、外科医だった。
無医村において、外科医は、神様のような存在です。
もし、若月俊一が内科医だったら佐久総合病院は生まれてなかった。
ドクターコトーというテレビドラマがありましたが、あれは、若き日の若月俊一に似ています。あのドラマも、外科医ですが、外科医だからこそドラマになりうる。優秀な外科医は、村民に対してカリスマを発揮するのです。しかし、単に優秀な外科医であるだけなら今日の佐久総合病院はなかった。僻地の人口の少ない佐久臼田の村において、病人の数などたかが知れています。小さな病院のままで終わっていたでしょう。
ところが若月俊一は、病人をかたっぱしから手術し、
一段落ついた後に、病気を探しに行った。
つまり顧客開拓に出かけたわけです。
農村の中に積極的に入り込み、無医村への出張診療を行いました。また「予防は治療に勝る」との考えのもと自ら脚本を書いた演劇などをセットにした出張診療をおこない衛生活動の啓発に努めました。そして農民の生活に密着したフィールドワークや研究をおこない、気づかず型、がまん型の潜在疾病の概念を確立しました。
実は、私も佐久総合病院で体をみてもらったことがあります。行ってみて驚いたことは、まず『総合診療科』という部署にまわされました。そこで外科に行くか内科に行くか、他の科に行くかを相談するわけですが、その相談が決まるまで、丁寧すぎるほどの診療をされました。他の病院なら5分で終わるところを20分かけて診察されました。たかが血圧を測るだけのことに、立って、座って、寝て血圧測定を何度も繰り返しました。他の病院なら、そんなことをする前にすぐにCTスキャンにかけられていたでしょう。医師たちの熱意がなけれぱ゛こんな診療はありえません。佐久総合病院とは、そういう病院なのです。
しかし、こういう佐久総合病院にも、欠点があります。
医師たちのストレスが溜まることです。
そして病院を去っていく医師たちも多いことです。
『阿弥陀堂だより』を書いた南木圭士さんも、
そういう医師の一人だったようです。
そして南木圭士さんは、内科医だった。
つづく。
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