雷電爲右エ門とは、史上最強の相撲とりで、これに勝った力士は、新人時代から通算しても、たったの10人です。優勝記録も7年間連続という恐ろしいものです。また、一場所で2敗することはついになく、同じ相手に2度負けることも一人を除いてなかった。さらに、雷電ルールが適用され、突っ張り、張り手、閂(かんぬき)、鯖折りを禁じ手とされていました。
これが生家。
自由に入れます。
これは碑文。佐久間象山の揮毫により文久元年(1861年)建立されています。突っ張り、張り手、閂を禁じ手とされた逸話も述べられています。 その石片は勝負事に利益があるとしてたびたび削り取られ、明治期には碑文はもう読めないほどになっていたため、勝海舟、山岡鉄舟らの発起で新碑が建立されました。現在新旧の両碑がT字型に並び立っています。
場所は、東部湯の丸インターから、湯の丸山に向かう途中にあります。
つづく。
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