2009年11月06日

運がついた話

 190という高血圧に、倒れる寸前になったためにウォーキングをはじめています。おかげで命拾いしつつあります。

 昨日は、浅間園を1周したあとに、サイクリングロードを通って浅間牧場まで歩き、そこから北軽井沢ブルーベリーYGHまで歩きました。合計13キロくらいかな? 浅間園から浅間牧場のサイクリングロードは、最高に気持ちの良い道ですね。でも、ここを人が歩いた形跡がない。ここ10年くらい人が通過した形跡がありません。もったいないですね。

 この道を歩いて嬉しいところは、ゴミが皆無なことです。
 やはり北軽井沢の観光地には、ゴミが少ないのです。
 しかし、軽井沢から上がってくる国道146号には、ゴミが多い。

 おそらく犯人の目星はついていると思います。
 警察が調べていますが、
 どうも小諸市からゴミが運ばれているらしい。
 ちなみに小諸市は、分別にうるさい地域です。

 話は変わりますが、ウォーキングをはじめて2週間。始めてから昨日まで、私以外にウォーキングする人など見たこともなかったのですが、今日は、3人もウォーキングする人に出会いました。それも、普通なら絶対に出会わない、街から10キロ以上はなれた場所にです。これには驚きました。というのも、歩いて、そこに行くには、往復20キロくらいかかってしまうからです。

 で、そのうち一人は、ゴミ拾っていました。
 敢えて声はかけませんでしたが、
 ひょっとして、このブログ読んだ人ですか?
 もし、そうなら嬉しいなあ。

IMG_5961.JPG

 ちなみに、今日は、小浅間山に登り、軽井沢スノーパークに向かう道から、浅間牧場を縦断し、天丸山に登り、栗の木プラザ、人間牧場を通って、竹ノ内テニス、北軽井沢ブルーベリーYGHまで散歩しました。18キロ4時間です。で、また面白い発見をしました。

 国道146号線からスノーパークに向かう道路に入ってすぐのところにズミ林があります。そこに野鳥たち(カラ類)が、たくさん集まっていたんです。冬になってないのに群生してたんですね。このズミ林のズミの樹たちは、背丈が低く、手でバケツ一杯の実がとれるくらいなのですが、その枝枝で夜中たちが群れていました。もちろん私の目線の高さの所です。手を伸ばせば届きそうなところにいっぱいいました。

 それが、あんまり可愛らしいので、ボーッと見ていたら、その中の一羽が、何を勘違いしたのか私の肩に留まりました。

 私が驚くと、飛び去っていきました。
 一瞬のことでした。
 肩には、ウンチが残されていました。

 ウン(運)がついた。
 宝くじを買いに行かねば。

つづく。

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posted by マネージャー at 23:55| Comment(3) | 日記 2009以前 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マレーシアで逮捕の女、拘置施設に移送

まず、ニュースの引用を。


マレーシアで逮捕の女、拘置施設に移送

http://news.tbs.co.jp/20091103/newseye/tbs_newseye4274400.html

 マレーシアの空港で、末端価格3300万円相当の覚せい剤を隠し持っていたとして逮捕された日本人の女が3日、拘置施設に移送されました。
 身柄を移送されたのは、覚せい剤4.7キロをスーツケースの底に隠して持ち込もうとしていたとして、先月30日、マレーシアの税関当局に逮捕された元看護師、竹内真理子容疑者です。
 調べに対し、「荷物は預かったものだ」と供述しているという竹内容疑者は、日本にいる母親に電話をし「こんなことになってごめんなさい」と、涙を流しながら謝っていたということです。
 竹内容疑者は、今年だけでもドバイやマレーシアなどを何度も行き来していて、現地当局は竹内容疑者が大掛かりな麻薬密売ルートの中での運び役だったとみて調べています。

 薬物犯罪に厳しいマレーシアで有罪となれば、死刑判決を受ける可能性もあります。
(03日19:15)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

これは、事実だとしたら死刑になる可能性があります。
で、なぜ、このニュースをとりあげたかと言いますと、
日本人に知ってもらいたい事実があるからです。


なぜ、マレーシアでは
麻薬の持ち込みで死刑になるのか?
という点です。


これは、知っておいて良い。
いや、絶対に知ってないといけないことです。
マレーシアの歴史を。

 戦前のマレーシアは、イギリス植民地であり、マレーシア人たちは、ゴム林の巨大農園で奴隷のように働かされていました。そのうえ麻薬漬けにされていました。一日の仕事が終わるとマレーシア人たちは、賃金をはたいて英国人の管理の下、中国人たちから阿片を買います。彼らのくゆらす阿片の煙と独特の臭いが夕闇の中に漂いました。しかし、太平洋戦争がはじまり、プリンスオブウエールズなどのイギリス戦艦二隻が沈められ、シンガポールも陥落し、白人様が血相を変えて逃げ出していきました。マレーシアはそのとき一変しました。

 そして独立。

 しかし、マレーシアの阿片中毒患者は十万を超え、経済は中国人が握っていました。ゴム林も錫鉱山もロンドンにいる英国人が所有し利益を吸い上げていました。マレーシアはまず国庫の大方を注ぎ込んで英国人からプランテーションの所有権を買い戻し、阿片密売者にはどしどし死刑を宣告しました。

 そしてマレーシアは、マレー人のもの、中国人は遠慮してもらうと。でもただ出て行けとは言いませんでした。彼らに領土の一部シンガポールをそっくり与えたのです。こうしてマレーシアから麻薬を撲滅させていったのです。

 マレーシアにとって、麻薬くらい憎いものはありません。
 私たち日本人は、まず、そのへんを理解した上で、マレーシア旅行に出かける必要があります。
 彼らに敬意をはらうなら絶対に薬物に手をだしてはならないし、運び屋になってもいけないのです。

 しかし、日本人の信用につけ込んで、運び屋として利用しようとする、甘い罠が存在することも確かなのです。どっちにしろ、外国で麻薬に手を出す危険は避けた方が良い。

untitled.jpg

つづく。

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posted by マネージャー at 00:45| Comment(2) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする