さだめなく 鳥やゆくらむ 青山の
青のさびしさ かぎりなければ
数多くの美人画を残しており、大正浪漫を代表する画家でした。また、多くの書籍の装幀、広告宣伝物、日用雑貨のほか、浴衣などのデザインも手がけており、日本の近代グラフィック・デザインの草分けの一人でもありました。
その独特な美人画の多くは、後世になってから評価されたもので、当時は、大衆人気というかたちで脚光を浴びました。一時は中央画壇への憧れもあったようですが受け入れられず、終生、野にあって新しい美術のあり方を模索しました。都市における大衆文化の開花による消費生活の拡大を背景とした、新しい応用美術としてのデザインというものの黎明の時代でした。
夢二は、明治17年9月16日、岡山県の酒屋に生まれました。早稲田実業在学中、雑誌『中学世界』にコマ絵「筒井筒」が一等入選し、初めて世に名をあらわしました。夢二はまた日本各地を旅行し、晩年には欧米も訪れました。しかし帰国後、肺結核となり昭和9年、51歳(数え年)でこの世を去っています。
はじめて伊香保を知ったのは加藤ミドリさん(旧姓松沢)からのファンレターでした。大正8年に伊香保を訪れて以来、伊香保の気候、風土、人情が夢二の心を捉え、晩年には「榛名山美術研究所」建設という大きな構想を立てていました。
つづく。
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